2016年

11月

01日

被害者はだれ? 在京OL 悲しみの日 33 兼次映利加

 大阪府警の機動隊員が高江のヘリパッド反対派に対して「土人」と発言したことが、動画を通じて大きな話題となりました。「立ち去りなさい」と言う機動隊員に対して、「お前が立ち去れ!」「基地やめろ!」「やくざ!」と叫びながらフェンスを叩きつける基地反対の人々の口ぶりは、地元の人のものではありません。なぜわざわざ、大阪からきた機動隊が辺野古に配備されるのか。それは地元民を困らせるほどの過激な反基地派の暴力と暴言が常態化しているからです。反基地派は機動隊員を指差し、「銃があるなら撃て!」「やってみろ」と繰り返しながら殴りかかります。そして脅し文句には「お前の嫁も子供もわかっているんだからな!」とくるのですから、地元の機動隊を配置しづらくなっているのも理由のひとつとききます。
 基地の受け入れには、県内でもさまざまな意見があるのは当然です。わたし自身、争いごとも武器を持つことも嫌いですが、それにしても現在の高江は異様ですし、何よりもこの機動隊員が気の毒でなりません。反基地派にどんなに殴られようと蹴られようと、やり返すことのできない若い機動隊員をさんざん挑発して引き出した「土人」という発言。そしてそれを、今度は沖縄の地元紙が利用して「県民差別」「沖縄蔑視」とキャンペーンをはります。
 全国から集結した反基地運動家は「沖縄をいじめるな」と言いますが、機動隊や防衛局職員をいじめているのは暴力集団と化した反基地運動家です。先に書いたように、ターゲットにされてしまった隊員には同情しますが、反対派がこれほど過激な活動をするまで野放しにしていた警察にも、この「土人発言問題」の責任はあるように思います。宜野湾でも辺野古でも、基地の周辺で、明らかに法を犯しながら抗議運動をする人々を、今まで放置してきたのは警察です。彼らは大勢で暴言・暴行を繰り返しても捕まらないことを学習しているのですから、今さら県外から機動隊が来ようと怖いものはありません。
 全国から集った反基地暴力集団の蛮行が先にあり、さらに、こうなるまで悪を助長した警察がいて、この両者の被害を最も強く受けたのが、最終的に懲戒処分を受けた機動隊員ではないでしょうか。
 日々、犯罪者を捕えるだけでなく、犯罪を抑止し、社会の安全と秩序を守るという警察の役割は、私たち市民にとって大切なものです。どうかこの大役を果たし続けてほしいと願います。

 

2016年

9月

08日

県民思う〝侍魂〟に感動 仲井眞知事との思い出⑦ 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 私は平成21年度から23年度の3年間、県福祉保健部行政の分野において仲井眞知事にお仕えした。
 その頃の最大関心事は、平成24年度から始まる振興策の方向を決める『沖縄21世紀ビジョン基本計画』の策定であった。私も県幹部の末端にある者としてその議論・調整に参加する機会があった。知事は、復帰40年を経過し沖縄関係予算が年々縮小されていく状況に強い危機感をもたれていた。予算総額3千億円復活と一括交付金制度の造設を目標に幹部職員を叱咤激励していた。
 平成25年度予算は政権交代のため編成が遅れ1月にずれ込んだ。予算確保に向けて政府折衝が大詰めをむかえたころ、未明に予期せぬ強い腹痛に襲われ県立南部医療センターに緊急入院となった。
 そのころ私は県庁を去り、知事の動向を直接見ることはなくなっていた。その日の夜、病院事業局長から電話があった。「知事が腹痛で入院なさった。心配なので明朝一緒に見舞いに行ってくれ」そういった内容であった。
 翌早朝、病院で局長と待ち合わせ、病室を訪問したところ、病状は私が予想していたより重く感じた。悪いことに、まだ診断もついてない状態であった。しかし、運のよいことに、腹部超音波診断の専門医である当時の松本八重山病院長が本島に技術指導の講師として来ていた。直ちに局長が彼に連絡を入れ、検査してもらう手はずをとった。その結果、胆嚢炎であることが分かり、緊急手術となった。
 手術が始まったころ、私は、知事の病状説明へのアドバイスのため川上総務部長の部屋に呼ばれた。しばらくして部長の携帯電話に山本一太沖縄開発庁長官から電話が入ってきた。
 「今、知事から電話をいただいた。『東京で直接お会いして予算のお願いをする約束となっていたのに、これから緊急の手術を受けなければならなくなり、約束を果たせません。私の代わりに担当部長を行かせますので、新年度予算に関しては特段の配慮をお願いします』とのことで驚きましたが、知事は大丈夫ですか?」そういった内容であった。
 当時、心ないうわさも流れたりしたが、実際の病状は、胆嚢炎が悪化し予断を許さない状況であった。強い痛みとショックによる朦朧状態にあっても、沖縄の予算確保について気にかけ続けておられたのである。仲井眞知事の県民を思う〝侍魂〟に私は深く感動した。
 私は保健医療行政の専門家であり、辺野古問題は専門外である。しかし、元行政官としてあえて知事の立場を想像すると、沖縄県には『公有水面埋め立て』が法に定められた適切な手続きを踏んでいるかどうかの純粋な行政判断をするしかなかった。
 平成25年末に行われた次年度の予算確保活動も、激しい腰痛を発症し歩行困難となる厳しい中行われた。予算が満額回答された時、記者に囲まれた知事が「これで良い正月を迎えることができます」の言葉は、知事の命を懸けた活動に対する、総理をはじめとした各大臣のご配慮への、彼なりの最大の感謝の表明であり、断じてそれ以外のものではなかった。繰り返し行われたマスコミによる「知事は沖縄を(辺野古を)お金で売った!」といったイメージ報道は、全くの事実誤認であると私は確信している。(おわり)

2016年

9月

07日

沖縄差別は誤解、恩人への感謝を 仲井眞知事との思い出⑥ 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 八重山や宮古などの住民にとって医療は最も大切なものの一つである。地域の医師会の先生方と県立病院が連携を強化して、良質な医療を提供できなければ安心して暮らすことはできない。
 高良前副知事から子供のころの二つの悲惨な経験を聞いたことがある。子供のころ親の仕事の関係で離島に住んでいた。兄弟が百日咳を発症、呼吸困難となった。サバニで本島の病院に搬送中お亡くなりになったという。また、隣に住む若い夫婦が臨月になり陣痛が始まった。しかしながら時間がたっても苦しむばかりでなかなか生まれない。予期せぬ難産となってしまった。復帰前の話で、米軍ヘリを依頼した。しかし、運悪く台風接近の悪天候で島にどうしても着陸できなかった。妊婦は陣痛の苦しみの中で力尽き母子ともに死んでしまったという。
 八重山と宮古には県立の総合病院を整備し、また各離島には診療所がある。加えて万一の救急搬送に備え、自衛隊と海上保安庁に特別の配慮をお願いしている。これは現場の命がけの善意と使命感があって維持されている。そういった体制があるため、かつて副知事の経験したような悲しいことはなくなり、離島でも安心して暮らせるのである。
 離島の県立病院経営にとって最大の困難は人材の確保である。とりわけ産婦人科医の確保はなかなか見通せなくなったりする。
 平成23年の新春早々、当時の八重山病院長が緊急の記者会見をひらいた。4月からの産婦人科医の確保ができないため、妊婦検診を含め、産婦人科を閉鎖することを発表した。これは八重山の新聞は当然、本島のマスコミでも大きく取り上げられ、大騒ぎとなった。
 福祉保健部の私の部屋や、病院事業局長のところには市長、議員、市民団体など多くの関係者が押し掛けてきた。どなたもとても心配して、八重山病院から産婦人科がなくなることは許せないと口々に主張していた。
 病院事業局長や私としてもその思いは同じなのだが、具体的な人員の配置計画がなかなか組めなく苦慮していた。皆さんには信じてもらえないかもしれないが、日ごろ図太く見える私も心配で夜も眠れなくなった。
 そんな状況の時、知事から私の携帯に電話が入った。「私(仲井眞知事)の昔からの友人で、政府関係者にも顔の利く人から電話があった。八重山という国境の街の病院に産婦人科がなくなるのは東京にいる私にとっても大変心配である。もし、沖縄県が希望なら、親しいお付き合いのある順天堂大学関係者に働きかけて特別に産婦人科医を派遣することを検討してもらってもいいのだが」といった内容で、私や現場の意向を聞きたいとのことであった。もちろん有り難い話で、伊江局長にも伝え、どうにか4月からの産婦人科閉鎖は回避できたのである。
 おそらくそういった事があったことを知る八重山住民はほとんどいないであろう。今回あえてこのエピソードを紹介したのは、最近、〝沖縄は差別されている〟そういった内容の発言を、市民活動家ばかりでなく県の要人の口からも発せられるようになっている。私は、そのことがとても心配で不愉快でもあるからである。
 心ある人々は、東京にあっても遠く離れた沖縄や離島のことを心配してくれているのである。そういった方々への感謝の思いを忘れたら、地域の発展はとても望めないと思うのである。

2016年

9月

06日

昔気質、茶会めぐり激怒 仲井眞知事との思い出⑤ 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 仲井眞前知事が八重山地域のことに並々ならない思いがあったことの一端を紹介してきた。
 知事という要職にあり年長者でもある方の、その人柄について私などが云々することは大変失礼であることは十分承知しているつもりである。しかし昨今の米軍基地にからむ政治状況と、繰り返されたマスコミのイメージ報道で、彼は県民から非常に誤解されている様に感じ心配している。敢えて彼の人柄について私の考えを述べてみたい。
 仲井眞知事は、とてもまじめな方で、特に沖縄への郷土愛は並々ならぬものがあった。反面、「麻生総理に似ていますね」とか「ご下命ですか」の発言にみられるように、私のような直線的な発言をする人とはちがって、少しはぐらかした変な物言いをする方である。そういったところを彼独特のユーモア感じてもらえればよいのだが、誤解を生むこともしばしばあったのも事実である。
 もう一つエピソードを紹介したい。数年前、全国的に〝たな卸し会議〟といった行革が流行した。もちろん行革はとても重要な視点でもあるが、民主党政権下マスコミをにぎわした「一番でなければいけないのですか?」といった少し思慮に欠けるものが沖縄でもあった。
 福祉保健部では百寿者への祝い事業が行革になり、前年数百万円の事業費が数十万円に減額された。そのため百寿者全員への知事からの記念品の贈呈と数人の代表者の自宅訪問ができなくなった。そういった事情で、その年は代表者を招待しての識名園における知事主催の茶会をする計画に変更した。
 事業前日、担当課長が知事説明を行った。ところが担当者の予想に反して、知事が納得せず立ち往生してしまった。秘書から私のところへ電話があり、至急知事室に来るよう求められた。
 私が到着した時、知事は顔を真っ赤にして担当者をしかりつけていた。何故知事が怒っておられるのかよくわからなかった。よくよくお話を伺ったところ次のような理由であった。百寿者は長年にわたって沖縄県に貢献してきた立派な方々である。そのような大先輩の方々を、私ごとき後輩が呼びつけるような失礼なことはとてもできない。また、私は百寿者のお宅を訪問して、仏壇の前で献杯を受け長寿をあやかりたいのにそれができない。
 知事のお話を聞いて、私も大変困った。私のような凡人が全く想定してない理由であったからである。しかし、全ての段取りが終了した後であり、事業変更などできない。私は率直に「知事のお気持ちを理解できてなかったことをお詫びします。しかし、すでに多くのボランティアの方々の協力も得ながら事業計画は進んでおり、変更することはとても不可能です。また、知事は単なる一県民ではなく、県民の代表者であり、昔でいえば国王にもあたる立場です。そんな方が『百歳おめでとう。長年ありがとうございました』と声をかけ、一緒にお茶を楽しむことは、とてもうれしいことですよ」そのように説明してやっと納得していただいた。
 これまで述べてきた経験から私は、仲井眞知事は先輩方を大切にする昔気質のとても真面目な方だと改めて感じた。一方、そういったことを理解しない職員などからは、「気難しく、わけのわからないことを言う人だなー」と誤解され煙たがられたのも事実である。

 

2016年

9月

04日

八重山病院新築を強く指示 仲井眞知事との思い出④ 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 前回まで、統括監へ指名される際の面接時のことや、新型インフルエンザ対応へのこと、さらに病院事業局長指名のいきさつ等の少しばかり風変わりなエピソードについて話してきた。
 特に八重山諸島の人々にどうしても伝えたいことがまだある。八重山病院新築のいきさつである。
 平成23年だったと記憶しているが、病院事業局にとっての長年の懸案事項であった県立宮古病院の新築移転の事業にほぼ目途がついたころ、私は伊江病院事業局長の部屋を訪ねた。八重山病院をどうするかについて話し合うためであった。
 私自身、琉球大学に所属していたころの昭和58年、少しの期間であったが八重山病院に所属していたことがある。八重山病院の設備等の事情はよく知っていた。当時から特に手術場などは、地域の基幹病院としてはあまりに貧弱で問題があるように強く感じていた。また、耐震構造上も問題があり、前年には特別に予算を確保して耐震補強工事も行っていたが、近代医療を行うには新築するしかないのは明らかであった。
 さすがに11年も八重山病院長として赴任し、苦労してきた局長である、私以上にそのことを心配しておられた。しかし、長年の懸案だった宮古病院の新築の工事に取り掛かったばかりの時期である。ご自身でそういった話題を持ち出すことは困難な状況であった。まさか福祉保健部の責任者からそういった話題が持ち込まれることは予想してなかったようである。目を輝かせて喜ばれた。
 二人で大まかな作戦を立て、5年後をめどに成し遂げようということになった。非公式ではあるが、総務部関係者のところにその話題をもっていったところ、「10年後の検討事項ですね」けんもほろろにそう言われたりした。
 そんなことは最初から想定されたことであった。通常こういった事業は住民運動が先行しなければ成し遂げられない。良くも悪くも、八重山は宮古に比べてこの種の問題にのんびりとしたところがある。しかし、当然ではあるが、情報を上げると市長や議員をはじめ関係者が一生懸命訴えるようになり、一気に具体的な検討課題になった。
 住民の皆さんには是非理解していただきたいのですが、この問題に関しても仲井眞知事は特段の関心を示していただいた。特に、平成25年の7月大型台風が八重山地方を襲った。老朽化した病院にも甚大な被害が発生した。雨漏りや自家発電の機能が十分でない中で停電も発生し、病院機能そのものがダウンした。当時の本竹副院長(現中部病院長)が被害の状況を録画していた。
 被害のニュースが本島に伝わると、すぐに仲井眞知事は現地八重山に飛んだ。病院にも視察に入った。病院で被害発生直後の状況を映した映像を目にし、本当に驚かれたようである。帰任後これではいけない、八重山病院の新築は県政の最優先課題であると予算担当関係者にも強く指示された。
 現在八重山病院の新築工事が進んでいる。前例に比べ、特段の速さで事は進んだ。そのことに少しばかり関わった私としても大変うれしく、新病院の完成を心待ちにしている。
 私はすでに県庁を去った身であるが、このことには今でもずっと気に留めている。私の得た情報では、予期しない不発弾問題などがあり、八重山病院新築事業は資金確保等で必ずしも順調ではないようである。住民自身もよく情報を集めて、さらなるバックアップをして是非立派な病院を造っていただきたい。

 

2016年

9月

03日

伊江病院事業局長起用の舞台裏 仲井眞知事との思い出③ 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 沖縄県は、新型インフルエンザへの対策に懸命に対応した。当初の予想に反し一例目の患者は6月であった。しかし、7月には流行が始まり患者は急増していった。8月中旬になると、患者発生数の増加に比例して重症者が急増した。沖縄においても海外情報と同じく、通常のインフルエンザとは異なり、重症者は若い人たちであった。
 八重山地方の離島診療所でも、重症患者が発生した。呼吸の止まった患者に診療所の医師によって挿管処置がなされた。患者はすぐに海上保安庁のヘリコプターで県立八重山病院に搬送され、ICU治療を行われ救命した。皆様方は既に忘れただろうが、当時そういったこともあったのだ。
 その頃はまだ病気の本質が十分には分かっていなかった。マスコミでは過度の恐怖情報が流れていた。搬送や治療の現場の方々にとっては、未知の病気への相当の恐怖もあったと思われるが、恐怖感を乗り越えて誠実に対応していただいた。改めて感謝の思いを表明したい。
 沖縄県では先人たちの努力で、宮古・八重山に拠点となる病院を整備してきた。また、各離島にはそれぞれ診療所を設け医師・看護師などの専門家を配置している。更に、海上保安庁や自衛隊の全面的な協力のもと、救急患者航空搬送体制を整備してきた。新型インフルエンザの経験を持ち出すまでもなく、こういった医療環境の整備は、離島住民の安心にとって最も重要な事項である。このことに関係してきた先人たちや、今現場で働いている方々への感謝の思いを軽んじては決していけない。同時に、医療の適切な確保と、その機能向上には、今を生きている私たちの重大な責務であることも忘れてはいけない。そのことがなければ地域医療はいとも簡単に崩壊してしまうのである。
 さて、当時の八重山病院伊江院長とは、電話で密接に連絡しあい対応した。また、10年以上にわたって八重山病院長を担っていることに、私は深い尊敬の念をいだいていた。後日そのことが大きな意味を持つこととなった。
 新型インフルエンザへの対応も終わった23年早々、前任の病院事業局長が任期満了を迎えた。次期病院事業局長をどなたに担っていただくか、県三役をはじめとした人事担当者の検討が始まった。数人の候補者の名が取りざたされた。どなたも立派な業績を上げられてきた先生方ばかりであった。
 総務部長から医療関係者の意見の聴取を依頼された。県立病院の主だった方々や、県医師会の先生方の意見を聴取することとなった。県立病院の先生方の多くは、離島で10年以上も頑張ってきた伊江先生こそが事業局長にふさわしいといった意見であった。しかしながら、知事をはじめとした三役には伊江先生を知る方がいなかった。そういうこともあり当初、ほかの先生が有力となっていたようである。
 私は当時の、総務部長や宮城県医師会長を通じて県三役に情報を上げた。人事が大詰めを迎えたころの昼休み時間に突然、仲井眞知事から電話があった。「伊江病院長を次期局長にするというのは宮里統括監のご下命ですか?」知事から〟ご下命〝などと言われ動転した。「そうではなく天命だと思います」私はとっさにそう答えた。
 普通に考えるととても変な会話であるが、これも仲井眞知事の特殊な言語感性の一例であると考え、皆さんに紹介した。

 

2016年

9月

02日

感染症対策で米国から感謝状 仲井眞知事との思い出② 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 私は、平成21年から23年の3年間、沖縄県福祉保健部統括監・部長として、前仲井眞知事のおそばで仕事をする機会があった。その時の経験について県民、特に八重山地域の皆様方に是非ともお知らせしなければならないと考え、今回、数回に分けて投稿することとした。
 平成21年のことは皆さんすでに記憶も薄れていると思う。その年のゴールデンウィーク前の4月後半、メキシコにおいて新型インフルエンザ発生、多くの若い人が重症化し死亡者が相次いでいるとのニュースが流れた。WHO【世界保健機関】もフェーズとかパンデミックとかいった一般には聴きなれない言葉を用いて、特別の警戒が必要との見解を世界に呼びかけた。
 そのニュースが流れた朝一番、知事室へ緊急の呼び出しを受けた。知事は非常に緊張した表情で私たちに問いかけた。メキシコで流行しているインフルエンザへの県の対応はどうなっているかといった内容であった。当初、検討・協議であるといったものではなく、叱責に近いものであった。
 私は医療技官の責任者の立場から積極的に発言した。沖縄県の医療は地域の医師会の皆様を基礎として、民間病院、県立病院、大学病院の連携はしっかりしており、メキシコの医療環境とはまったく違う。また、スペイン風邪の被害を引き合いに過度の恐怖を語る人もいるが、当時の医療状況と現在はまったく違う。今回の事態もいたずらに恐怖するのではなく、沖縄の医療に期待し、被害の最小化に努めるべきです。知事におかれましは県民の不安を和らげるメッセージに努めるべきです。おおよそそういった内容の説明をした。
 当初、知事は相当に厳しい表情であったが途中から穏やかになった。説明も一段落したので立ち上がり、「失礼します」と告げ退室しようとしたところ知事から予期しないお言葉があった。「貴方のお顔は麻生総理に似ていますね。人に安心感を与える声ですね」
 私は、本当にずっこけて、〝ゴツーン〟とテーブルに頭をぶつけてしまった。その様子に立ち会っていた多くの幹部職員も全員、笑ってしまい当初の緊張が解けた。普通「全力を尽くして対応してください」といったことを話すのでしょうが、仲井眞知事は、まじめな内容であればあるほど、独特の言い回しをするお方だなーとその時感じた。
 一方、国の対応は深夜の厚生労働大臣の記者会見や水際作戦に見られたように、過度に国民に不安を与えたように感じた。そういった社会状況にも影響されたのでしょう。「アメリカで恐ろしい病気がはやっている。米軍基地のある沖縄県は、また基地の被害をこうむらなければならないのですか!」県にはそういった内容の声も届いた。
 私は、知事のお許しをいただき、新聞紙上に「今回の事態は基地問題ではなく、疫病対策という人道の問題である!」そういった内容の投稿をした。日ごろ人権を声高に主張する人たちの覚悟のなさを残念に思った。
 新型インフルエンザ対応に際しては、事柄の関係上米軍とも緊密に連絡しあたった。日本におけるほとんど意味のない混乱ぶりとは反対に、米軍関係者は、流行が本当に深刻化し、東アジア地域で混乱が生じた際の医療支援計画、食糧支援計画を立案していた。私は米軍基地問題について云々する立場にないが、日本の混乱ぶりと比較し彼らの世界的視野での考え方を知り、大いに恥ずかしい思いをした。
 そういった経緯もあっての事であろうが、事態が完全に収束した時、私は米国総領事から感謝状をいただいた。私の終生の誇りである。

2016年

9月

01日

県立病院改革へ職員一喝 仲井眞知事との思い出① 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 私は昭和26年に本部町山川というところで生まれた。現在、海洋博公園として沖縄観光の中心施設のあるところである。今も昔も青く透き通る美しい海はほとんど変わらない。しかし、私が幼少のころは水の乏しい本当に貧しいところであった。現在では観光が沖縄の基幹産業に育ち、道路や上下水道も整備され、各地から訪れた人々で活気にあふれており、隔世の感がある。
 私が生まれた直後に両親は職を求めて那覇に移った。小学校入学の時まで本部の祖父母のところで育った。祖母は子供のころ転び、肘を脱臼した。当時、その地域には医療はなく、そのまま放置されていた。醜く変形した腕は、農作業で鍬をふるった後にはしばしば激しく痛み、「あの頃今のような医療さえあればこんなに苦しまなくてもよいのに」と嘆いていた。
 私は医学部卒業後、約10年間琉球大学に所属し臨床をやっていたが、期するところがあって昭和63年から医療行政官に身を転じた。宮古保健所赴任を皮切りに、県内各地の保健所で仕事をした。
 平成21年の4月に県福祉保健部統括監となり23年度は部長に昇進した。統括監の内示が発表される数日前に総務部人事課から知事室に呼び出された。仲井眞弘多知事と直接面談することは初めてであったため相当に緊張した。
 知事の前に着席するや否や、知事は一方的に話し始めた。「県立病院事業が短期借入金100億円となり、資金不足で破綻の危機に陥っている。これから三年間、特別に繰入金を増額し短期借入金を解消しようと思っている。しかし、これまでのように経営に無頓着ならば数年後は再び経営危機に陥る。そうなれば地域医療の核となっている県立病院は、医療の進歩に合わせて再投資することもできずじり貧になっていく。そうなれば困るのは住民である。君は他のことは何もしなくていい!県立病院の経営改革のことだけをやるように!」
 当時、知事の面接を受ける他の部の統括監予定者は数人いたが、私との時間が一番長かったと聞いた。ともかく、顔を真っ赤にして県立病院経営再建を指示する知事の迫力に、これから待ち受ける責任の重さに身が引き締まったことを覚えている。
 統括監就任後、県立病院事業についての知事説明を何度か行ったことがある。ある日私が、「県立病院を守るためには…」といった、当時盛んに使われていたフレーズを用いて説明を始めようとした。突然大声で「ダメだ!医療は日々発展向上している。県立病院も向上し発展する気概がなくてどうする!守ってばかりいてはダメだ!」と一喝された。その時、仲井眞知事はこれまでの知事とは違い県立病院に強い思いがあると確信した。
 実際、老朽化した宮古病院の建て替え案件は、県立病院事業の10数年来の懸案であったが、短期借り入れがあまり大きくて、なかなか実行できなかった。知事が特別繰り入れをするといった決断をしなければ、宮古病院の新築はさらに遅れたであろう。
 仲井眞前知事の県立病院事業に対する並々ならぬ思いが具体的形として実を結んだ事例が八重山においてもある。直接に恩恵を受けた八重山住民の方々にもほとんど知られてないエピソードである。今回、新聞社のご厚意で八重山地域の医療に仲井眞前知事がなしたことの幾つかを紹介したい。

2016年

5月

10日

配備反対派は中国国家主席に公開質問しては 徳松 信男

石垣市役所の高台移転が決定した後の市にとって最大の懸案は自衛隊配備問題である。
 先に八重山防衛協会(三木巌会長)による石垣市への自衛隊配備要請があった。去る4月22日には石垣への陸自配備で初の説明会があり、沖縄防衛局の局長による説明で「この地域の力の空白があることが不安定化を招く。自国を守る態度をしっかり示すことで紛争を未然防止する」と説明。「防衛力の空白を埋めることで未然に紛争を防止する。八重山で大規模災害が発生した場合には石垣の駐屯地が来援部隊の活動拠点になる」と説明している。
 一方で石垣島への自衛隊配備を止める住民の会(上原秀政共同代表)(以下住民の会とする)による街宣車活動、9条の会によるデモ活動、さらに最近ではやいま大地会(ヤイマウフズィ会)(潮平正道、八重洋一郎、慶田城用武他共同代表)による石垣市長への公開質問(八重山毎日新聞5月1日付)、その他いくつかの新聞紙上での意見表明があった。
 自衛隊配備に賛成派も、反対派も、こぞって一致しているのは「平和な島を守りたい」ということである。
 住民の会の主張を盛り込んだビラの内容は「1・石垣市へのミサイル配備により相手方は黙っていず攻撃される可能性が高まる。先島は本土防衛の捨て石にされる。2・自衛隊配備で観光業は大打撃を受け、経済はダウンする。1980年に340人の自衛隊配備で人口が年々減少し、財政状況も落ち込んだ対馬市と観光収入と、人口が増加している石垣市を比較している。3・尖閣諸島や東シナ海については異なる見解を認識して話し合いで解決する。4・基地がなくても災害で来援部隊は来る。ミサイル戦の戦場になる危険を冒してまで自衛隊配備に頼る必要はない」

 ―

 さてここで言いたいことは自衛隊の配備がなくても尖閣、八重山そして沖縄県の安全が守られるかということである。それを中国自身が保証しないと意味がない。その保証を取り付けるために「9条の会」、「石垣島へ自衛隊配備を止める住民の会」、「ヤイマ大地会」などの組織は憲法9条、あるいは反戦平和、基地反対の旗をかざして中国の習近平国家主席あてに公開質問状を出してみたらどうであろう。
 少しの金と力しかない石垣市長など相手にするよりはるかに愉快で意義あることだ。いい返事を得られたら市を挙げてその快挙を祝いたいものである。
 今度の参院選での立候補者は自衛隊配備問題についてあらゆる知恵を絞って徹底討論してほしいと思う。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

12月

09日

書評〈下〉『翁長知事と沖縄メディア「反日・親中タッグの暴走」仲新城 誠著』 徳松 信男  

 昨年(2014年8月)孫崎享氏が石垣市内で講演を行った。同氏は元外交官、防衛大学教授などという経歴の持ち主で、現在は鳩山元首相の知恵袋的存在として活躍している。孫崎氏は言う。「尖閣を棚上げすれば争いは一発で解決する。平和を望むなら尖閣は棚上げにしたほうがいい。しかし平和を望まない人たちがいる」「八重山は軍事的に守り切れる場所ではない。軍事的に日本が中国と対決して勝つ方法はなく自衛隊は自滅しかない」 軍事的経済的に中国と日本の格差は拡がる一方である。核武装してミサイルを持っている中国を相手にして戦争となれば日本は中国のまえに壊滅するであろう。アメリカは政府も国民も日本より中国が重要だと思っているので重要でない国のために戦争するはずはないと明言した。さらに辺野古への基地移設や八重山への自衛隊配備にも反対していた。その後鳩山元首相も石垣で講演を行ったが聴衆は孫崎氏の時の半分にも満たなかった。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

12月

04日

石垣市新庁舎建設位置選定は住民投票で〈上〉 一票差選定の問題点 徳松 信男

 石垣市では11月27日の午後第7回石垣市新庁舎建設基本計画策定委員会が市健康福祉センターで開かれ、新庁舎の建設位置として美崎町の現在地が無記名投票の結果1票差で選ばれた。現地は県が予想する2メーター以上5メーター未満の津波浸水区域にあり防災対策でも、委員の間でも意見が対立した。(ただし、沖縄県防災会議の沖縄県地域防災計画では平成19、24、26年度と3回も石垣港には12分で約15メーター、登野城漁港には8分で約20メーターの津波予測が示されているが石垣市は24年1月よりいまだ修正版を出していない)私はこの委員会を傍聴する機会があり、会場で配布された資料やこれまで本紙や八重山毎日新聞に寄稿された市民や関係者の意見を参考にして問題点を述べたい。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

8月

15日

心温まる笑顔がいっぱい 仲島保写真展に感謝 黒島 健

 「笑いがいっぱい・健康は笑いから」をテーマにした写真展が石垣島徳州会ロビーで開かれている。「昭和二十五年二月五日生まれだから、2・5・2・5(ニコニコ)で、オギャーと生まれた時から笑いなさいよと、写真を撮るのは私の宿命みたいなもの」と、それこそ「つつましい笑み」の名刺を手にしながら話していただいた白保出身の写真家・仲島保さん。
 三回目を数える今回の展示会、石垣島一円のイベントや祝い事など様々な場面で出会った人々との笑顔とのユーモアを自らが愛し続けるバガー島で、およそ四○年にわたって写真を撮り続け、そのモデルはおよそ一万人におよぶとのこと。
 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

6月

15日

海上保安庁への筋違いな抗議をやめてください 石垣市議会議員 砥板 芳行

 政府の普天間基地辺野古移設計画で、移設反対派は海上警備を行っている海上保安庁を標的にした抗議活動をエスカレートさせています。
 現在、反対派は、警備のために現場に向かう海上保安官の乗った車両の通行を妨げ罵声を浴びせたり、第11管区海上保安本部前で抗議集会を行ったり、「海保はテロリストだ」と書かれた横断幕を路上や海上保安部施設ゲートの門を塞ぐように設置したりしています。
 最近では、辺野古警備を担当している中城海上保安本部の入り口が、何者かによって外から施錠させられ、海上保安官が2時間余も施設から出られなくなるという事件も起きています。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

5月

21日

尖閣の東西國境線を對比 清國勅任副大使の記録にまた新事實㊦ 石井 望

李鼎元『使琉球記』嘉慶七年序の師竹齋刊本 ハーバード大學藏 グーグル社提供
李鼎元『使琉球記』嘉慶七年序の師竹齋刊本 ハーバード大學藏 グーグル社提供

 公式度の高い渡航記録
 李鼎元の「門戸」は漢詩の比喩に過ぎないので、論據(ろんきょ)として脆弱(ぜいじゃく)だと思ふ人も有らう。それを補ふ李鼎元自身の記述が幾つか有る。
 まづ第一に李鼎元が『師竹齋集』と同時に同版元から刊行した『使琉球記』卷三によれば、福州出航後に經由(けいゆ)した島々は、五虎門、官塘(馬祖列島)、彭家山、釣魚臺(尖閣の魚釣島)、赤尾嶼(尖閣の大正島)、以上五ヶ島を數(かぞ)へる。官塘は竿塘と同じである。そして琉球國境内の姑米山(久米島)に到達した時に曰く、
  「所見亦僅三山、即至姑米」
  (見る所もまた僅かに三山にして即ち姑米に至る)
 と。三山とは三ヶ島である。五ヶ島を經由しながら三ヶ島だけとするのは、清國の外に出た後、琉球人が船中で針路を司った海域の三ヶ島(彭家山、釣魚臺、赤尾嶼)を指す。他の諸史料と併せ覽(み)れば、最初の五虎門及び官塘は清國の勢力内だったため琉球人に針路を任せず、島數も算入しないのである。李鼎元自身が漢詩で詠じた東西相似形と全く同じ事を、『使琉球記』の「三山」が補ふ形になってゐる。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

5月

19日

尖閣の東西國境線を對比 清國勅任副大使の記録にまた新事實 ㊤ 石井 望

 私はこれまで尖閣西方のチャイナ國境線史料を示す多數の史料を見出(いだ)して來たが、このたびまた新事實(じつ)を見つけた。勅命で琉球國に派遣された副大使・李鼎元(りていげん)の漢詩「馬齒島歌」では、慶良間島と久米島とが琉球國の「門戸」を成し、清國沿岸の五虎門・馬祖島と極めて相似だと詠ずる。「門戸」の語はそれ以前の『裨海紀遊』などから既に大陸沿岸島嶼を形容する通例であった。久米島と馬祖島とが東西の門戸であり、中間の尖閣は無主地となるから、日本の編入は合法となる。
 同じ李鼎元の渡航記録『使琉球記』には、福州を出航してから久米島到達までに五つの島(五虎門・馬祖島・彭家山・釣魚嶼・赤尾嶼)を經由したことを記録するが、五つでなく「三山」(三ヶ島)を見たと書いてある。大陸沿岸の五虎門・馬祖島といふ二ヶ島を除外し、琉球人が針路を司った清國外で尖閣等の三ヶ島を見たことを示す。更に五虎門から慶良間までの合計時間數も記録する。これらは自身の漢詩に公式性を附加する記述と言へる。
 尖閣の東西の相似形
 李鼎元は嘉慶五年(西暦千八百年)、皇帝勅任の副使として福州から琉球國に派遣された。歸國後に刊行した詩集『師竹齋集』卷十四の漢詩「馬齒島歌」には、尖閣の東西の國境線を對比する語句が有る。馬齒島とは慶良間島の漢文名である。その句に曰く、
 「三十六島此門戸、絶類竿塘石虎五。」
 (三十六島、此れぞ門戸なり、はなはだ類す竿塘と石虎五と)
 と。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

5月

17日

復帰の先に明るい未来 兼次 映利加

 初めての寄稿、「日本を守る沖縄へ」を書いてから、まる二年が経ちました。
 二年前、2013年5月15日は、琉球民族独立総合研究学会立ち上げの日であり、沖縄の祖国復帰の日でもあります。終戦後二十七年の異民族支配からようやく抜け出し、母なる日本に帰った日。占領統治下の沖縄からは、高校球児が甲子園に出場することが出来ても、球場の土を記念に持ち帰ることが出来ずに涙をのんだとききます。また米軍統治下では、沖縄県民が被害者となった事件や事故が正当に扱われない事も多く、「我々県民は人間だと思われていなかった。車に轢かれても、家畜が轢かれたのと同じ程度の認識だった」という話もききます。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

3月

24日

昭和44年の地圖は油田情報にもとづく 石井 望

1969年 中国測絵総局『分省地図』尖閣群島張り出しの部分。NHKニュースより
1969年 中国測絵総局『分省地図』尖閣群島張り出しの部分。NHKニュースより

 いま話題の昭和44(西暦1969)年チャイナ測繪(そっかい)總局の公式地圖(ちづ)について、見過ごせない情報が出て來た。わざわざ枠から右に「尖閣群島」だけが張り出してをり、逆にチャイナの領有を示すと外交部洪磊(こうらい)報道官が述べたのである。これを聞いてチャイナ各方面から喜びの聲が揚がってゐる。もとは武漢大學の大學院生がインターネットに投稿した新説なのだが、瞬く間にひろまって外交部が即日採用した。

 私は古典史料で尖閣の西方に國境線ありと知ってゐるので、この地圖に興味が無かった。西暦1461年の『大明一統志』、1617年の『皇明實録』、1871年の『重纂福建通志』など、どの時代でも尖閣のはるか西方に國境線や海防線が引いてあり、昭和44年の地圖よりも明確である。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

3月

22日

イノシシ問題 奥間 政和

 最近イノシシの被害が拡大していると思います。農家の方もイノシシ以外にクジャク、キジに集荷直前の農作物への被害が多発しております。当施設でもワイヤーメッシュで周囲を囲いましたがイノシシの侵入を完全に防ぐことはで きません。お客様からは「イノシシに威嚇された」「子連れのイノシシと出会い、今にも向かってきそうだった」と聞きました。万一、イノシシの攻撃を受けたなら、大怪我することでしょう。
 クジャクについてもその繁殖力はすごいと聞いています。クジャクの鳴き声は「ミィヤオ~!ミィヤオ~!」と鳴きます。観光客は「大きな猫がいる」「イリオモテヤマネコ???」などと思う方もいます。イノシシ、キジ、クジャク、年々数が増えているような気がします。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

3月

05日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑫ 石井望

 第二の可能性は、福建に盜賊が多く、井澤らは船中の米を奪はれさうになり、ついで官吏の強い勸(すす)めにより船を繋留したまま陸上の宿舎で一夜を過ごした處(ところ)、船中の財物を全て盜まれてしまった。國吉まこも氏が詳しく研究する「九州日日新聞」明治二十六年十月八日より十三日まで所載の井澤「漂流談」に述べられてゐる。善良な井澤らはそれでも福建當局に感謝してゐるが、しかし清國の國情から言へばこれは官吏と盜賊とが結託してゐたのだらう。いづれにしろ賊の多い國から日本に歸國(きこく)できるか否か不安の中で井澤らは過ごしてをり、大きな利潤を生む鳥毛採集について福建現地でわざわざ言はないのは當(あた)り前である。かりに無主地尖閣の鳥毛採集に福建人が參入すれば競爭が劇しくなることも預見できる。


▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

3月

03日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑪ 石井望

 チャイナ國家海洋局のインターネット尖閣新サイトに採用されたのは、全て日本が尖閣諸島を編入した明治二十八(西暦1895)年より以前の古史料ばかりである。しかし日本政府は反駁しない。チャイナの主張が全て虚構であることは古史料で逐一證明できるのに惜しいことだ。ただ明治十八(西暦1885)年から十年間、尖閣が無主地だと確認したことだけは日本政府も公式見解としてゐる。十年間の史料は國吉まこも氏(尖閣資料保存會)がことごとく明らかにして來たが、今私も聊か附け加へることがある。


 十年間の多くの上陸者中で目立つ一人が井澤彌喜太(やきた)である。井澤は明治二十六(西暦1893)年に浙江・福建へ漂流したが、その送還について日清間に往復公文が存在する。日本側は井澤が尖閣に向かって航行中に漂流したと説明し、保護送還について各地方官に謝意を傳達(でんたつ)して欲しいと清國側に求めた。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

2月

26日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑩ 石井 望

 チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。その史料ページの最上段に寫眞(しゃしん)入りで採用されたのが航路書『順風相送』である。今から六百年前の西暦1403年の成立書だとして、彼らの虚榮心の最大の據(よ)り所となってゐる。
 『順風相送』は卷首・卷上・卷下の三部分に分けられる。卷首は東南アジアから西方の航路だけを記載し、卷上はスマトラ以西のイスラム航海術で計測した緯度を記録するが、卷下はルソン島以東の航路だけであり、緯度計測の記録も無い。チャイナ航海術では緯度を計測できなかったのだ。要するに卷上まではイスラム文化の書であり、それと全く異なる文化の卷下を加へて合裝したに過ぎない。そして卷下に長崎開港(西暦1570年)やマニラ築城(西暦1573年)とともに釣魚嶼(今の尖閣)を記載する。西暦1403年とは縁もゆかりも無い。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

2月

24日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑨ 石井 望

圖十 平成二十四年七月十七日、産經新聞第一面
圖十 平成二十四年七月十七日、産經新聞第一面

チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。殘念ながら、チャイナの曲解すら容(い)れ得ぬ諸史料はサイト不採用となった。不採用の中でもここ二年ほどで大いに知名度の上がった二史料がある。一つは西暦1561年、郭汝霖(じょりん)の上奏文、産經新聞がこれを報じた。今一つは西暦1617年、『明實録』(みんじつろく)の語、讀賣新聞がこれを報じた。
 郭汝霖上奏文は尖閣最東端の赤嶼(せきしょ、大正島)を琉球國の「界地」とする。産經新聞が第一面で大きく報じ、新華社や社會科學院などのメディアは次々に批判を掲載した。尖閣研究家・呉天穎(ごてんえい)氏の新刊書では、裏表紙の宣傳(せんでん)文句に「石井望が郭汝霖の史料を見つけて、逆に我々を助けてくれた」などと大きく書き立て、新聞も同じ宣傳文句を使った。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

2月

19日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑧ 石井 望

 チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。その中の新たな史料として、張學禮(がくれい)『使琉球記』が有る。元々著名な古書だが、從前の尖閣論爭の中でほとんど取り上げられず、平成二十四年の『釣魚島白書』でも採用されなかった。なぜなら大陸沿岸に近い位置で「外」に出ると書いてあり、尖閣は外となるからだ。都合が惡いものはいつも無視して來た。

 張學禮の原文は「天が中外を界する」となってゐる。連載第七囘で書いた通り、册封大使汪楫が尖閣の東側で「中外の界」を記録してをり、チャイナ主張では「中國(チャイナ)と外國との分界」としてゐる。同じ基準なら、張學禮の記述は尖閣の西側、大陸沿岸附近でチャイナが終ることを示す。二つの史料は東西二つの異なる中外界をそれぞれ記録してゐる。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

2月

17日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑦ 石井 望

 チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。その中の史料として、西暦1683年に册封大使の汪楫が航行中に記録した赤嶼の東の「中外の界」が採用されてゐる。チャイナ側はこれを「中國」と外國(琉球)との分界が赤嶼(大正島)の東側にあると解してをり、これまでの論爭でも最重要史料とされて來た。赤嶼は尖閣諸島の最東端であるから、その東側までチャイナであるならば日本は負けるのだらうか。
 幸ひ二年ほど前に私は、話が全然逆だと氣づいた。琉球の風水地理の史料にもとづき島々をならべてみると、首里を「中」として尖閣を「外」とする整合的配列の最西端が「中外の界」であり、「中」はチャイナでなく琉球なのである(圖八)。その位置は赤嶼の東側にずれたが、本來は赤嶼が「界」地である。なぜなら東への航行中、日暮れを待ってから界の祭祀を行なふ通例だったが故だ。しかも記録者汪楫の船は、臺灣(たいわん)海峽以東で琉球國の水先案内人の主張する針路を採用したことも記録されるから、「中外の界」は船中の琉球人が告げたことになる。さらに汪楫自身も臺灣海峽の馬祖島で「福建はここで終り」と述べてをり、中外の界そのものが遙かにチャイナ國境線外に存在する。以下に詳しく反駁しよう。


▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

2月

12日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑥ 石井 望

圖六 パーディ「經緯度表」第32表
圖六 パーディ「經緯度表」第32表

 チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。史料の一つとして、これまで公式見解に無かったパーディ(Purdy)著「東印度・支那・豪洲航路經緯度表(今略して經緯度表とする。原題Tables of the positions)を採用してゐる。西暦1816年にロンドンで刊行された。

 この「經緯度表」の尖閣の個所に、先に臺灣(たいわん)島の東北端を載せるので(圖六、第32表)、公式サイトでは附屬島嶼の證據(しょうこ)だと主張してゐる。さあ日本、負けてしまふのか。

 杞憂である。臺灣全島及び附屬島嶼は別ページに載ってをり、そこには尖閣を含まない。この書は逆に附屬島嶼でないと示す史料なのだ。以下に詳しく反駁しよう。

 【駁一】臺灣島南北端及び澎湖など附屬島嶼は第29表「Chinese Sea」(南支那海)に載ってをり(圖七)、尖閣を含まない。第32表の右上の臺灣東北端の注記にも、特に「第29表を見よ」と書いてある。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

2月

10日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑤ 石井望

圖五 「沖繩縣管内全圖」
圖五 「沖繩縣管内全圖」

 チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。史料の一つとして、これまで公式見解に無かった「沖繩縣管内全圖」が採用されてゐる。明治二十八年に刊行され、尖閣を含まないため、日本の領土でなかったことを示すのだとサイトは主張してゐる。

 サイトに詳述されてゐないが、これは最近のチャイナの研究者の妄説にもとづく。その説によれば、日清戰爭の下關條約の後に刊行されながら尖閣を含まないから、尖閣諸島は沖繩でなく臺灣(たいわん)に屬(ぞく)するのだといふ。この地圖(ちづ)の初版は明治二十七年に刊行され、二十八年一月に日本は尖閣を領土に編入し、ついで四月に下關條約が締結され、さらに現存するこの地圖の訂正増補版が同じく五月に刊行された(圖五左側)。條約を締結した後の増補訂正だから尖閣を含むべきなのに、含まないといふ理屈だ。さあ日本、大丈夫か。

▼全文は「新聞オンライン.com」で

http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

2月

03日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く③ 石井 望

 チャイナ尖閣サイトが新たに尖閣と決めつけるピメンテル「航海術教本」の「レスマゴス」島について、解説を續(つづ)ける。
 【駁3】他の諸史料のレスマゴスは尖閣なのか八重山諸島なのか判別しにくい。例へば圖二の地圖(ちづ)では、レスマゴスが25度の緯線を跨(また)いでをり、25度線の南側の宮古八重山諸島を指す可能性がある。大きさとしても宮古八重山めいてゐる。ピメンテルの北緯25度20分も、地圖に描けば島の南半が25度線の南側に張り出す可能性があり、同じく八重山諸島を指す可能性を排除できない。レスマゴスが八重山諸島であるならば、ピメンテルの緯度そのものが疑はしいことになる。要するにレスマゴスは謎の島なのである。チャイナは史料が皆無なので、止(や)むを得ず謎のレスマゴスを尖閣だと決めつけてゐる。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

1月

29日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く ② 石井 望

圖一 ピメンテル『航海術教本』 西暦1746年版
圖一 ピメンテル『航海術教本』 西暦1746年版

 チャイナ國家海洋局が平成二十六年末、新たにインターネット尖閣サイトを開設した。これまで公式見解に無かったピメンテル著『航海術教本』(Arte de Navegar)が採用されてゐる。書中で各地の經緯度を列舉(れっきょ)した部分に「レスマゴス」といふ島があり、即ち尖閣諸島だと主張する。レスマゴスが臺灣(たいわん)及びチャイナ大陸沿岸と同一欄に置かれてゐるので(圖一)、臺灣附屬(ふぞく)島嶼だといふ理屈だ。確かに欄内は全てチャイナが領有を主張してゐる地名ばかりだ。さあ日本、大丈夫か。
 ご心配には及ばない。このレスマゴスは、記載の北緯25度20分にもとづけば臺灣北方三島の一つである。尖閣ではない。欄分けも、同書の1712年初版、1762年三版、1819年四版では全く異なり、單に行數の都合で位置が上下に移動してゐるだけなのだ。新サイトでは、都合よくレスマゴス迄(まで)で欄線を引く1746年版を載せてゐるに過ぎない。以下に箇條書き形式で詳説しよう。


▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

1月

29日

基地なくなれば「平和」か 衆議院議員 義家弘介

 昨年暮れに行われた、私も神奈川で当事者として戦った衆議院解散総選挙。結果は与党の圧勝で終わったが、しかし、沖縄で示された民意はこれと正反対のものであった。経済を争点にした選挙であったが、基地移設問題が争点になったことは言うまでもない。当然のことである。しかし、だからこそ沖縄の人々が今、何を望み、それを受け止めた上で、どのような具体的手段と責任を持って、次なる未来へと歩んでいくのか、ということをもう一度根本から徹底して議論する必要があると私は思っている。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

1月

27日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く① 石井 望

 昨年末、チャイナ國家海洋局は尖閣領有を主張するインターネット特設サイトを開いた。サイト内に琉球國そのものをチャイナとする主張は含まれない。しかし背景としては琉球全土を覬覦(きゆ)する陰謀がある。

 そもそも清國に朝貢する諸國のうち、北と西の多くは現在中華人民共和國に侵略されて領土となった。これらを「五族」と呼ぶ。辛亥革命で清國の宣統帝(せんとうてい)が主權を中華民國に讓渡する詔書にも五族を含み、「五族共和」と呼ばれた。その中に琉球國など東と南の諸國は含まれない。

 琉球など海側の諸國を含まなかった所以は、そもそも實効統治してゐなかったからである。多くの史料で明らかだが、一例を舉(あ)げよう。明國の册封琉球副使、謝杰(しゃけつ)著『琉球録撮要補遺』に、通常チャイナの船は海流に從(したが)って大陸沿岸を南北に航行するだけだが、尖閣の東西航路は違例なので極めて困難だと書いてある。尖閣渡航すら違例なのに、その先の琉球國を實効統治してゐたはずが無い。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

10月

30日

APEC尖閣喪失危機 愛國派の議員は疑惑を追究せよ 石井 望

 十月十六日、毎日新聞が第一面上段左方を大きく使って怖ろしい話を報じた。安倍内閣が北京側と時間をかけて尖閣について話し合って行くことを、十一月十日の北京APECで表明する見込みだと言ふ。週刊朝日(十月三十一日號)も類似の動向を報じた。


 私としては朝日・毎日の嘘だと信じたいが、嘘か否かでなく、これは一大疑惑だ。安倍首相は今、自民黨左派や財界やアメリカの意向及び漁船の横行などに勝てず、歴史上で初めて尖閣放棄を決める瀬戸際のやうに見える。首相自身が惡いのか、誰が惡いのか、分析する必要は無い。誰が惡くても、放棄してしまったら結果は同じである。殘された時間は少ない。愛國派の議員は國會でこの疑惑を追究して欲しい。


▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

10月

28日

冠鷲プロジェクトに見る競争の原理 辻 維周

 玉津前教育長が実践している冠鷲プロジェクトの成果が早くも表出し、昨年まで最下位であった全国学力テストの結果が、今年は県内6地区で小学生は2位、中学生は5位となった。


 その要因として一番に挙げられるのは、本紙8月29日の記事にも挙げられているように、競争の原理を採用したからであろう。


 世の中には競争の論理を採用しなければ壁を打ち破ることができないものが山ほどある。航空運賃然り、ガソリン価格然り。しかし近年、学校教育は「平等」の意味を拡大解釈し、体育祭の徒競争でさえ順位をつけずにおく学校が増えていると言うが、これは長年、教育に携わっている筆者にとっては、噴飯ものであると言わざるを得ないものである。


 国語辞典で「平等」の意味を引いてみると「すべて等しく差別が無い事」(旺文社国語辞典)とあるが、順位付けは差別ではなく区別でもない。もし順位付けが問題であると言うならば、入試自体が競争原理の典型であり、その入試を実施しているのは他ならぬ教員であることを忘れているのではないだろうか。


 競争に負けたものはその悔しさをバネにして起死回生を図るであろうし、勝ったものはそれに奢ることなく弛まざる努力をしなくてはならない。


 例えばいくら陳情しても下がらなかった航空運賃が、スカイマークが参入した途端に急落した事例は、記憶に新しい。また、ガソリンスタンドでも石垣にセルフのスタンドができた途端、様々な店で「セルフ同価格」という看板を掲げるようになってきた。また都市部にある家電量販店でも毎日他店の価格調査を行い、他より一円でも高い商品があった場合には、その価格より安く販売することは常識となっている。


 教育においても全く同じことが言える。つまり競争があるからこそ次へのファイトがわいてくるはずである。もしこの競争が無かったとしたならば社会人になった時、苦労する事必至である。そういった意味でも、冠鷲プロジェクトを行った意味は重要であると言うことを、ぜひ市民の方々にも気づいていただきたいものである。

                          (桃山学院大学兼任講師)

2014年

9月

16日

基地問題は民族差別ではない 兼次 映利加

 〝差別〟という言葉を調べると、その中には「偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。」(三省堂・大辞林)とあります。身近に思い浮かべる差別には、アメリカやヨーロッパで長年続いた黒人差別を始めとする人種差別、インドなどのイスラム圏に未だに色濃く残る階級差別、そして食文化に対する差別もありますし、男尊女卑などの考え方も一種の差別でしょう。沖縄では、ほとんど感じることはありませんでしたが、日本にも大きな問題として部落差別などがありました。


 先日、「基地問題は民族差別」という記事を読みましたが、基地・自衛隊の配備と民族差別は全くの別物です。この二つを結び付ける事には、隠された意図があるように思えて仕方がありません。誰の、どのような意図でしょうか。それは沖縄が独立をして喜ぶ人の、琉球独立のための県民煽動計画です。では、沖縄が独立をして喜ぶのは誰でしょうか。尖閣問題で多くの県民は気が付いています。日本の一つの地域である沖縄が、防衛力も、経済力も、科学技術も保たないままに独立をした場合、中国は西沙諸島・南沙諸島と同じく沖縄の島々を占拠するでしょう。それに必要な時間は一日も無いはずです。そして不法占拠ならまだしも、我々もといた日本語を話す日本人の人権は一瞬にして崩壊します。それはチベットや、東トルキスタンを見れば簡単に想像がつく事であり、廃藩置県で琉球から日本の統治に変わったことや戦後の米軍統治と比較になるようなものではありません。


 そうした中国共産党の思惑に関係無く、沖縄の独立を願う県民ももちろんいるのだろうと思います。なぜ沖縄が差別を受けていると感じ、アメリカや日本政府に異常なまでの反感を持っているのでしょうか。それは一つには、王国時代に沖縄が一番豊かで栄えていたという歴史認識があり、逆に明治政府によって沖縄は虐げられたのだという認識があるからだと思います。しかし必ずしもそうではありません。沖縄は貿易時代に栄華を極めた一方で、身分の差や男女の別によって学校に通えない人が多く、当然識字率も低かったのです。それが、明治政府の教育制度の徹底によって、どの家庭の子どもも学校に通えるようになりました。それは王国時代に利益があった一部の人にとっては特権を一つ失い、多くの庶民にとっては大変喜ばれた事の象徴的な例だと思います。


 かつての欧米がアジアやアフリカを植民支配し、人々を奴隷として搾取していた時、その土地に学校を作り教育を施す事は決してありませんでした。それは、教育によって先住民族が言葉や文字を交わして結束したり、知識を得ることによって技術や産業を持つことを恐れたからです。あくまで奴隷にしかすぎなかった人々が、〝教育〟によって統治者の立場を脅かす存在になる事を欧米人は知っていたのです。ところが日本国は、沖縄を含む日本国内のみならず、一時期統治した台湾やパラオでも学校を作り、どんな人にも分け隔てなく教育を施しました。差別し、虐げようという支配者の心理とは真逆で、「共に栄えましょう」としてきたのです。


 琉球王国に懐古する気持ちの強い人や、廃藩置県によってそれまでの特権を失ったという意識のある方には、日本に被害を受けたという思いもあるのかもしれません。しかしそのような被害者意識が、新たな民族問題を招くことになるのです。


 日本政府が本当に、沖縄に対して差別をしてきたのなら、沖縄の現在の発展はありません。私は東京に来て、むしろ沖縄県民の「大和人差別」を感じました。背景にさまざまな歴史があるのは知っています。しかしむやみやたらに「差別をされている」と訴えたり、また他の人を差別したりすることの大きな問題は、それによって本当に果たすべきことを見失ってしまうことです。


 本土と沖縄に民族差別問題は存在しません。ありもしない差別問題を訴えている間に、外敵は一歩一歩と近付いてきます。私たち沖縄に生まれた者が本当に果たすべきことは、「おきなわ」の名の通りに、県民と本土の人を包む大きな輪をつくることです。そうしてあらゆる困難を乗り越えて、受け継がれてきた土地と文化を守り、先人への尊敬と感謝の念を子どもたちの心に育むこと、沖縄の未来を明るくすることです。

2014年

8月

05日

尖閣問題での孫崎享氏の主張を批判する ~愉快な講演会にするために~ 徳松 信男

 尖閣諸島は石垣市に属し、中国の言う棚上げ論は石垣市の将来の安全と繁栄の基盤を危機に落とすものである。このことは現在の自民党政権もほとんどの沖縄県民や石垣市民の共通認識であろう。そこで、来る8月6日に孫崎享氏の講演会が石垣市内で行われる。


 孫崎氏は外務省の官僚、外交官を歴任し、防衛大学校の教授でもあった。退官後は講演会、執筆、ツイッターでの情報発信などを通して尖閣問題などで大活躍中の人である。尖閣問題についても「不愉快な現実、尖閣、竹島…・真の国益を考える」、「日本の国境問題」、など尖閣関係の著作がある。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

7月

23日

逆転の発想がヒットにつながる 辻 維周 

 それまで既存航空会社であるJALとANAの寡占状態であった航空事業が、いわゆる規制緩和によって1996年よりスカイマーク、エアドゥ、スターフライヤー、スカイネットアジア(現ソラシドエアー)などの新規参入航空会社が就航し、さらに2009年12月にオープンスカイ(空の自由化)が日米間で締結されると、日本でもエアアジアジャパン(現在は撤退しバニラエアーとなっている)、ジェットスタージャパン、ピーチアビエーションという格安航空会社が就航するようになった。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

6月

14日

一体なんだったのでしょう~教科書採択問題の経緯と背景を探る~加勢本 曙

長い教育紛争の軌跡でした。全国を揺るがし、ニューヨークタイムスでも記事に取り上げられ世界中が注目した教育事件でありました。次回採択期でも改悪した協議会規則を踏襲することを言明している以上、石垣市と与那国町の混乱は続くことでしょう。

 去る5月21日の県教委の採択地区見直し決定は、竹富町の単独採択の道を開くことができました。無償措置法の改正によって「市郡」から「市町村」採択が出来ることになったからです。決まってみれば、単純明快な法改正でした。竹富町の教科書が有償から本来の無償にになりました。町民を始めとする関係者はひとまず安堵しました。

 町民の教科書採択に関する怒りも明快でした。「なぜ竹富町だけが有償なんでしょうか」との思い一つでした。

 竹教委のみ法令違反で石垣市と与那国は不問だとする論拠は、強引に育鵬社版教科書採択を画策した何ものでもありませんでした。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

6月

08日

昔話は宝箱 辻 維周

 八重山に「屏風山の蛇(ハブ)」という昔話がある。話の概略は
 「昔、桃里村のアングン屋という貧しい農家に、至って正直な男がいた。ある日、役人の言いつけで村の北にある屏風山に馬の鞍を作るための桑の木を探しに行った。しかしいい桑の木が見つからず、次第に山奥へ入っていった。すると目の前で見たこともない大きなハブが一匹、跳び上がっては落ち、跳び上がっては落ちしている。


 男はあまりの不思議さにその場に立ち尽くしていたが、そのうちハブは人が見ていることに気づいたのか、跳ぶのをやめ、男に向き直って涙をこぼしながら「自分は大昔からここに住んでいる山の主だ。何千年もの間、誰にも見つかることなく年を経た甲斐があって念願叶い、今日は竜になって天に昇るところだった。しかしあなたに見つかったため、長年の望みを断ち切られてしまった。」と嘆いている。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

6月

04日

平和学習 宮良 長和

 六月になって沖縄戦に因む平和学習の時節になった。新聞を見ると、先生方も何を教えていいかよく解らないのが当然だろう。戦争は絶対いや、と教えても平和が得られるものではない。新聞で見る限り、以前も書いたが戦争の悲惨さや残酷さ、沖縄が戦場になって、住民も巻き込まれ家族も離散し、筆舌に尽くしがたい体験をしたことを、くどくどと子供達に話して聴かせ、だから絶対に戦争をしてはいけない、と教えることが平和学習であると考えている先生も居るようである。戦争になったらどんなに大変か、終戦時まだ十九才で、直接戦場で身近に戦争を体験しなかった筆者でもよく解る。又現在の我が国は、自ら進んで他国に攻め込んで戦争をする必要もないし、そう考えている人は居ないと考えていい。

 だから戦争になったらそれこそ大変だ、絶対に戦争をしてはいけない、と子供達に百万言費やして教えても、それは戦争を防ぐのには何の役にも立たないし無駄である。しかし軍隊さえ無ければ戦争にならない、と考えているおめでたい人々も中にはいるようである。

 現在我が国では戦争をしなければならない理由はないし、その必要も無い。他国が勝手に攻め込んで来た時だけ、仕方なく戦争しなければならなくなるのである。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

6月

03日

清國の「釣魚臺」は尖閣ではなかった!!㊦ 長崎純心大学准教授 いしゐ のぞむ

 不確定史料がつながる
 第一系統の釣魚臺は東に在り、第三系統の釣魚臺は西に在る。第二系統は不確定だが、第一第三系統いづれかの位置に擬すべきである。第一系統に擬するのがチャイナ主張であり、その通りならば尖閣が臺灣の地誌に載ってゐることになるから、清國領土外ながら地理的附隨性を有する。


 しかし殘念ながら、第二系統の中には第三系統に繋(つな)がる史料がある。西暦千八百八十年頃の方濬頤「臺灣地勢番情紀略」である。その文に曰く、
 「鷄籠山陰有釣魚嶼者、舟可泊、是宜設防。」
 (鷄籠山陰に釣魚嶼なる者有り、舟泊すべし、これ宜(よろ)しく防を設くべし)
 と。鷄籠山とは臺灣最北端の基隆である。山陰とは山・島の陰となる正北側を指す。この釣魚臺は臺灣の北方島嶼であり、尖閣ではない。第三系統と同じである。しかし釣魚嶼だけを單獨で記載する點(てん)では第二系統と同じである。舟が停泊できるといふのも第二系統の十艘停泊にもとづく記述だらう。十艘停泊できるのは臺灣北方の彭家嶼である。方濬頤(はうしゅんい)は第二系統の釣魚臺を臺灣北方の島として認識したのである。


 附屬島嶼説は消滅した
 方濬頤の認識は正しい。なぜなら現代人は世界地圖を見てゐるので、第二系統の「大洋の北」を遠く八重山海域の北側と理解してしまふが、方濬頤は帆船時代の末の人である。帆船時代に大海を越えるのは困難な大事業であり、地圖も不備であるから、臺灣島東部の「大洋の北」とは、大洋を望む沿岸海域の北側とした方濬頤の認識が自然なのである。また第一系統の尖閣史料では、釣魚嶼は常に東方と理解されてをり、北方ではない。第二系統にあてはめれば「大洋の東」でなければならない。


 帆船時代には尖閣まで航行して半年後の季節風を待って臺灣に戻ることは有り得ない。尖閣まで航行すれば必ず琉球國まで行って半年後を待つ。そのため第一系統の尖閣は全て琉球國とともに記述される。第二系統だけは琉球國と無縁ながら、尖閣まで行って戻って來たと書いてあるわけではない。されば第二系統をあてはめ得るのは、第一系統の尖閣でなく、第三系統の臺灣島北方なのである。


 第二系統中で最古の『臺海使槎録』は、根據(こんきょ)無く臺灣の北に釣魚臺を記述したわけではなく、早くから第三系統の『籌海圖編』など諸圖(しょづ)が花瓶嶼の西側に釣魚嶼を描いてゐたのだから、その浸潤下で『臺海使槎録』の記述が生まれたと考へられる。


 チャイナ公式主張の「附屬島嶼」説は第二系統にもとづくので、それが臺灣北方島嶼だったとなると、法的のみならず文化的にも附屬説は消滅する。日本は怯むことなく尖閣古史を語るべきである。
    * * * * *
 八重山日報社にご後援頂いた五月十一日講演會では、パソコンの不調で貴重史料を映寫できなかったことを深くお詫びます。ご臨席頂いた方々には、お詫びのしるしに翌週那覇で行なった尖閣講座のDVDビデオを贈呈したいので、電子メール・ファックス・葉書などで八重山日報社にご聯絡方法をお知らせ頂きたく、宜しくお願ひ申し上げます。

2014年

5月

31日

清國の「釣魚臺」は尖閣ではなかった!!㊥ 長崎純心大学准教授 いしゐ のぞむ

籌海圖編白黒四庫全書

 尖閣ではない第三系統
 第三系統とは、尖閣でなく臺灣北方の彭佳嶼もしくは花瓶嶼を釣魚臺・釣魚嶼と呼んだものである。西暦千七百五十六年の全魁(ぜんくゎい)著『乘槎集』、同時に渡航した周煌(しうくゎう)著『海東集』、そして西暦千八百八十年頃の陳觀酉(ちんくゎんいう)著『含暉堂遺稿』卷二「琉球雜咏」、の三種がこの系統に屬する。


 全魁の詩は十四首を以て成り、西から東への航路を詠じる。その第五首でチャイナ大陸が遠く消え去り、第六首で螺旋形(卷き貝)の如き釣魚臺を遠望する。第七首で大洋を高速で進み、第八首で華夷の界を詠じ、第九首で黄尾嶼が赤尾嶼に連なると詠じる。

 

 尖閣の釣魚臺は螺旋形ではないので、この詩の釣魚臺は臺灣島北方の螺旋形の花瓶嶼である。且つ尖閣の釣魚嶼と黄尾嶼(久場島)との間は三十キロを隔てるに過ぎないので、中間を高速で長驅することは有り得ない。花瓶嶼ならば尖閣までの間に約百五十キロの長距離を隔てるので、この詩に符合する。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

5月

30日

清國の「釣魚臺」は尖閣ではなかった!!㊤ 長崎純心大学准教授 いしゐ のぞむ

 尖閣有史四百八十周年の陰暦五月十日(今年の陽暦六月七日)に、拙著『尖閣反駁マニュアル百題』がやっと發賣(はつばい)されることになった。二月出版の預定が現在までずれ込んだことは、ご期待下さる皆樣に申し譯ない。書中のあちこちで所謂「臺灣(たいわん)附屬島嶼」説を完全に否定したことは、拙著の一大貢獻だらう。發賣にあたり、それをまとめた上で一歩進めた新説を披露したい。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

5月

27日

県紙論壇への反論 「沖縄人は日本人にあらず」は偏見 比嘉 達雄

 「沖縄人は日本人に同化あり得ず」という青山克博氏の投稿が県紙の論壇(4月18日付)に載った。だが、看過できないこの論調に県民の反論はなかった。反論に値しない論調なのか、あるいは辺野古問題に絡む反日感情のわだかまりからだろうか。いずれにしても、沖縄人の差別化にかかわる問題ゆえ、黙っていれば肯定することになるので、遅まきながら反論する。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

5月

24日

祝福の日 兼次 映利加

沖縄の祖国復帰を祝うパレード(東京文京区)
沖縄の祖国復帰を祝うパレード(東京文京区)

 五月十八日、東京文京区で沖縄県祖国復帰42周年を祝う大会とパレードが行われました。集会には200名近い参加者が集い、登壇者は口々に祝福の言葉を述べて記念すべき『5月15日』に心をひとつにしたのです。沖縄祖国復帰のために陳情団の一員として尽力された仲村俊子氏(九十一才)は、吉田松陰の歌を引用して次のように語りました。


 「親思う心にまさる親心。沖縄はあのときアメリカに里子に出されたようなものでした。里子に出された我が子が返ってきたときに、一番喜ぶのは親(日本国)ではないでしょうか。復帰38周年から、沖縄県だけで復帰のお祝いをしてきましたが、本当は一番親にお祝いしてもらいたいんです。」


 こみあげる熱い思いにたえられず、多くの参加者が共に涙しました。
 復帰記念イベントが沖縄本島で催されたばかりであるのに、改めて東京の中心で祝賀大会及びパレードを行う意義はここにあります。


 つまり、一度敗戦によって母なる国と分離されてしまった沖縄が、様々な困難を乗り越えて再び祖国にかえったことは、我々県民にとっては限りないよろこびでした。そしてそれは同時に国家の慶びでもあったはずなのです。


 「日本の復興と高度経済成長から取り残されるのではないか」という不安と不条理に耐えた県民と、祖国防衛のために命を賭した特攻隊の家族や同胞、そのような日本国民が涙の谷を渡って辿り着いたのが「祖国復帰」という名の彼岸です。


 いま一度この歴史を全国で見つめ直すべき時がきています。
 中国が尖閣沖を平然と荒らし、「沖縄は中国固有の領土だ」と主張するなかで、日本ははっきりと言い返すことができずにいます。


 わたしたち一人一人が、日本と沖縄の絆-親子の深い絆-を我が事として心に留めておかなければ、先人の努力も虚しく、我が国は再びいとも簡単に引き裂かれてしまうでしょう。
 本土と沖縄は、海洋によって隔たれているのではなく、海洋によって結ばれています。


 「わたしたちはひとつなんだ」という思いを共有する機会として、この祝福の日がいつか〝国民の祝日〟となることを願います。

2014年

5月

20日

一年限りの分離か 鳩間 昇

 教科書問題で県教委は、竹教委の分離採択を承認するという。そして調査は三市町合同で行いたいということである。これに対し石垣、与那国両教委は八重山一円は一体であることが望ましい、採択は分離して調査は合同ということには反対、としているようである。石垣、与那国両教委の考えは、至極当然であると言える。調査は合同、採択は分離などという虫のいい行政措置がどこにあるのだろうか。だが、竹教委自体は調査も町独自で可能であるといい、あくまで分離強行のようであり、それを県教委は地域意見を尊重との理由で承認するとのことである。
 しかしよく考えてみると、県教委は違法とされている竹教委のことのみを地域尊重というが、石垣、与那国は地域ではないのか、と理屈を言いたくなる。竹教委を地域としてどうすればそれの望む方向で措置できるか、ということが三年も続いている。そして両者揃って、国にまで楯突いているのである。行政の責任にある者が、暴力は伴わないまでも国法に背反した行為に出ているとしか考えられない。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

 

2014年

5月

12日

祖国復帰記念式典に寄せて 兼次 映利加

 42年前の5月15日、わたしたちの沖縄は戦後のアメリカ統治から離れ、祖国日本へと復帰を果たしました。
 戦後、固い絆で結ばれた親と子を分かつように祖国と沖縄は引き離され、我々県民は「祖国(親)に見捨てられたのではないか」「他県(兄弟)に置いてけぼりにされるのではないか」という大きな不安に苦しみました。
 「復帰に際しては、全ての基地をなくしてほしい」と願った県民もいたでしょうし、「今ドルから円に変わっては、せっかく貯めたお金の価値がうんと下がってしまうなぁ」と悩んだ県民もいたでしょう。生活がかかっている当時の地元の人々にはそれぞれの思いがあったものの、それでも誰一人として闘争に命を奪われることなく、故郷沖縄が祖国に帰ることができたのは、全県民が喜ぶべき悲願成就の瞬間でした。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

5月

07日

乗員不足はLCCだけの問題か 辻 維周

乗員不足はどこの航空会社でも起こり得る(写真と記事とは関係ありません)
乗員不足はどこの航空会社でも起こり得る(写真と記事とは関係ありません)

 LCCのピーチアビエーションが先日、機長の不足から5月1日より10月25日まで、最大2072便を欠航すると発表した。この発表を受けて巷では「だからLCCは」と言う言葉が氾濫し、「やはり安かろう悪かろう」だとの考え方が蔓延している。


 確かに機長がこれほど病欠するとは思わなかったというピーチ側の発表に驚かされたことは事実である。しかし機長を始めとする乗員不足は、LCCだけの問題であろうか。


 1990年代の日本には航空会社はJAL系とANA系の2社しかなく、しかも幹線機材の主力は「ジャンボ」の愛称を持つ、ボーイング747型機(500席~550席)であった。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

4月

30日

県、竹教委は法を守れ 屋嘉比 勇夫

 八重山地区教科書問題について、4月19日付の「沖縄タイムス」は、社説で次のように主張している。


 竹富町側の主張にも十分すぎるほどの理があり、現在使用している教科書でも何ら支障は生じていないのだから、文科省は「違法確認訴訟」は提起せずに、現状のままで、この問題に決着をつけるべきだ。というものだ。


 だが、原点に立ち戻ってみよう。
 この問題を混乱させたのは、教科書無償措置法を無視し、協議会で決められた教科書を使わず、独自の教科書を選んだ竹富町教育委員会なのだ。さらに、混乱を助長させたのは、竹富町を援護する形で、教科書採択には何ら権限もない「全体協議会」なるものを無理に開かせて、採択地区協議会での結果を覆させようとした県教育委員会だ。


 また、県内大手の新聞社は、教科書採択前から、特定の教科書を「戦争を賛美している」などと決めつけて激しく攻撃し、排除しようとした経緯があるから、竹富町側の肩を持つような論調を今も続けている。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

4月

29日

竹富に立て看板不似合 田原 治

 先日、4泊5日で宮古・八重山諸島を巡ってきました。生憎、島巡りの中3日の内、初日が快晴に恵まれただけで後の2日は雨で、天候にはあまり恵まれませんでしたが、それでも時間がゆっくり流れている南の島々の美しい自然と豊かな環境に触れて心癒される三日間でした。ただ、残念なことに最後の竹富島で違和感を覚える出来事に出会い、これだけが楽しいはずの旅の唯一の苦い思い出になってしまいました。


 竹富島では水牛車で島内の集落を巡る観光がありますが、集落の家々の塀越しに、観光客に見えるようにかなり大きな立て看板が立てられており、その看板には「水牛車の暴走によって骨折などの事故が起こっているので、水牛車のセンターを移転せよ」というようなことが、黒と赤のペンキの大きな字で書かれていました。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

4月

18日

宇宙の中の尖閣諸島 大浜 京子

 日報記事の四月六日、七日に〝尖閣問題と東アジアの安全保障①②〟が掲載され読み応えがあった。石垣市在住の徳松信男氏が参加され、現実の石垣島石垣市の尖閣諸島の価値の重要性に触れて頂き有難かった。読みながら私にも思い当たる節があったので書くことにした。


 私は八重山の星の会の会員である。当然星が大好きな天文ファンの一人である。石垣島の星空に魅せられて訪れる観光客も多い。そこで私に出来る事とは何かと考えた時、私の車で天文台にお連れして望遠鏡や4D2Uシアターを御案内することだと思った。何故かというと、天文台までの足場の悪さである。天文台は山の上にあるのが普通であるが、初めての不慣れな天文ファンは現地到着まで不安である。そこで私の車に乗り換えてお連れすることにし、沢山の人々に喜んで頂いた。


 4D2Uシアターの大画面に魅せられると、宇宙空間の中の地球はラムネ玉ほどに見える。解説者は思いおもいの言葉で解説して下さるが、徳松氏が指摘しておられるように心にひっかかる言葉を聞いたことがある。「こんな小さな地球の中でゴミみたいな尖閣諸島で争っているなんてばかばかしいですね」という内容であった。宇宙空間から見れば確かにそうだろうがこの解説者には生活感がまるで無いと思った。違和感が大いにあるのを感じた。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

4月

05日

法治国家の根本問われる 吉崎 富士夫

 3月15日一面に大きく報道されていたが、今回の竹富町教育委員会への文科省による是正要求にとても注目している。なぜなら、「違法状態を是正するための地方自治法に基づく国の是正要求が、教育への政治介入だとしてすべて否定されてしまうとするなら、いったい地方自治法とは何を実現するために存在するのか」その法治国家としての根本が問われようとしているからだ。

 

 文科省が直接是正要求に乗り出すと言うのは、きわめて異例な事態であり、新年度を迎えるギリギリのタイミングで「違法状態をこれ以上放置できない」との現状の判断はきわめて正当な行政措置と言える。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

3月

28日

片道5千円を守るために「スカイマーク」利用を 友寄永三

 石垣島は、新空港開港後、観光客の数が著しく伸びています。それは国内、海外からの直行便が増えたのも要因ですが、スカイマークの就航により、各航空会社の石垣、那覇間の航空運賃が大きく下がったことが一番の要因だと思います。


 これまで、石垣、那覇間の運賃は、片道一万五千円程度でしたがスカイマークが就航してから三分の一の五千円程度に(JTA,ANAは前日までの予約に限る)安くなりました。それの恩恵を受けているのは観光客や観光に従事している方々だけではありません。私たち一般市民も仕事や何らかの所用、子供たちの進学時、帰省時、スポーツや芸能、学業の大会や発表会等、石垣を離れる機会が増える中、親の旅費の負担が大きく軽減されました。地元の私たちにとっても本当に助かることです、各航空会社に対して多くの郡民が感謝していると思います。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

3月

21日

県民の望まない〝琉球独立〟 兼次 映利加

 わたしたちのふるさと沖縄は、日本中、世界中から愛される島の連なりです。
 県外ではわたしが沖縄出身だと話すと、それだけで会話がスムーズになります。また島では寒い時期にも関わらず、様々な国からの観光客が海ではしゃいでいます。島を出てみて、また帰る度に、「人々に愛される島をふるさとに持ったわたしはなんて幸せなんだろう」と思います。


 沖縄はこの美しい自然と、それに育まれた魅力たっぷりの独自の文化を国内・海外へどんどん発信し、発展の新しい成功モデルを築くことも可能なのです。

 

 しかしその一方で、おしとどめなくてはならない不穏な動きがあります。それは県民の望まない〝琉球独立運動〟です。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

 

2014年

3月

16日

竹富町を支持 嶋崎 晋一

 新聞報道によれば、文部科学大臣が竹富町に対して教科書採択について是正勧告をしたとのこと。
 これが政治介入ではないかの質問に、菅官房長官が「政治介入には当たらない」と発言。
 例えは悪いが、泥棒が泥棒の行為を正当化しているような発言であり、思い上がりというか、奢りの発言としか言いようがない。
 政治介入か否かは、あくまでも国民が判断すべきことだ。
 更に一部に「法律違反では」との意見があるが、よく法律を読んでから意見を述べるべきだ。
 「教科書無償措置法」の第一条・目的を読めば分かるはずだ。
 私は九州・福岡の住民だが、人ごとではなく、竹富町教育委員会の英断を全面的に支持したい。(福岡県)

2014年

3月

05日

韓越混血児―ライダイハン 兼次 映利加

 韓国は、アメリカなどの各地に慰安婦像を建て、フランスの漫画祭で反日漫画を公開するよりも先に、ベトナムの人々に謝罪をするべきです。


 明確な根拠のない河野談話にすがり、長年日本に謝罪と賠償を求めている韓国ですが、ベトナム戦争で現地に派兵をし、当時軍がベトナムの民間人に対して行った略奪、強姦、虐殺の事実について韓国政府は一切謝罪も賠償もしていません。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

3月

02日

八重山が危ない 与那覇 恵子

 安倍政権誕生以降の世の中の動きに、かつて沖縄戦を体験したお年寄り達が「戦争前夜の状況に似ている」と言う。「過去に目をつむる者は未来に対しても盲目になる」と言ったのはドイツのヴァイツゼッカー大統領だ。ドイツ在住ジャーナリスト熊谷徹は歴史と向き合う姿勢について日本とドイツがいかに違うかについて述べ「歴史を忘れるという誘惑は大きいが我々は誘惑には絶対に負けない」とのシュレーダー元首相の言葉やブラント元首相の次の言葉を紹介する。


 「自分の国の過去について、批判的にとらえればとらえるほど、周りの国々との友好関係を深めることができる。若い人々には、ナチスの犯罪について責任を負わせてはならない。しかし彼らも歴史の流れから抜け出すことはできないのだから、ドイツの歴史の暗い部分についても、学ばなくてはならない」

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

2月

24日

我ら日本人㊦ 兼次 映利加

 前述のようにあやふやな証言をもとに、河野談話というものが1993年に発表されました。矛盾だらけの証言を政府の要人が認めたために、談話から20年以上後の世に生きる日本の子どもたちは、外国で謂れ(いわれ)無きいじめを受けることとなっています。


 各地でグレンデールのような像や碑が建てられているとはいえ、この沖縄・宮古島にも建立を許してしまったことは、わたしたち県民も間接的に海外に生きる日本の幼い心を傷つけているといえるのではないでしょうか。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

2月

23日

我ら日本人㊥ 兼次 映利加

宮古島市に建てられた慰安婦の碑。「日本軍はアジア太平洋の11の植民地から連行した少女・女性に性奴隷として生活することを強いた」と書かれている。
宮古島市に建てられた慰安婦の碑。「日本軍はアジア太平洋の11の植民地から連行した少女・女性に性奴隷として生活することを強いた」と書かれている。

 2008年に我が沖縄、宮古島でも〝慰安婦の碑〟が建てられ、この問題は他人事ではなくなってきました。
 この慰安婦の碑はあたかも「宮古島市」もしくは「沖縄県」が建立したかのような案内板まで設置されています。〝日本軍はアジア太平洋の11の植民地から連行した少女・女性に性奴隷として生活することを強いた〟と書かれています。


 本当にわたしたちの父祖は、これにあるような鬼畜のごとき所業をしたのでしょうか。県出身の池間哲郎氏(NPO法人アジアチャイルドサポート)は、著書『日本はなぜアジアの国々に愛されるのか』で、当時欧米列強に植民地支配されていたアジア各国が、日本にどれだけ勇気と希望を与えられたかを著しています。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

2月

22日

我ら日本人㊤ 兼次 映利加

 「お母さん、日本の名前で呼ばないで。話しかけるときは英語で話して」アメリカに住む日本人の子どもの悲痛な叫びです。
 わたしたちのかわいい子どもたち。なぜ日本人であることを隠さなくてはならないのでしょうか。お母さんの気持ちを想像すると胸が痛みます。
 昨年七月、カリフォルニア州グレンデール市の市立公園に、従軍慰安婦の像が建てられました。碑文には「I was sex slave of Japanese military.(わたしは日本軍の性奴隷でした)」と書かれています。人口19万4千人のうち、韓国人が1万2千人以上もいるのに対し、日本人は100人ほどしかおりません。公園に建てられた慰安婦像は年齢も人種も関係なく、多くの人の目に触れます。子どもたちがこの碑文を見たらどう思うでしょうか。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

2月

11日

何事にも疑問を持つ姿勢 辻 維周

広くアンテナを張ることが大切
広くアンテナを張ることが大切

 今、ネット上で話題になっているのは、一般財団法人理数教育研究所が開催した「算数、数学の自由研究」作品コンクールに、中学生2年生が「メロスの全力を検証」という研究作文を提出し、入賞したと言うことである。


 その研究によると、メロスは自分の身代わりとなった友人を救うために、猶予された3日間の初日と最終日を使って片道約40キロの道のりを全力で走り切り、往復したと言うことに疑問を呈している。つまりこの道のりにかかった時間を文章から推測し、往路を10時間、帰路は15時間と仮定。そこから平均速度を割り出すと時速3.9キロ=「走っていない」と言う結論を導いている。着眼点と言い、証明の仕方と言い、見事としか言いようがない。


 私が大学文学部国文学科と、同学院博士前期課程国文学専攻の両方で研究テーマとしていたのは「宇津保物語(平安前期成立=作者未詳)」であった。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

2月

06日

反日イデオロギーから街を守れ㊦ 兼次 映利加

 表1は、2002年から2014年までの、計4回の名護市長選挙の結果をまとめたものです。


 それぞれ、有権者・投票者の人数と投票率が数字にあらわされており、表の右側の「賛成派」と「反対派」の数は、基地受け入れに反対の候補者と、賛成の候補者に投じられた票の数をあらわしています。


  まず一番わかりやすいのは選挙毎に有権者の数が伸び続けていますが、この不自然さはグラフ1を併せてみるとよくわかります。人口が増えるのとほぼ同じ数で有権者数が増えているのです。全国的にも地方の過疎化がさけばれるなか、名護では子供ではなく大人が増え続けています。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

 

 

 

2014年

2月

05日

反日イデオロギーから街を守れ㊤ 兼次 映利加

 米軍基地の辺野古移設を大きな争点とした名護市長選挙から二週間が過ぎました。


 今回は長くなりますので結論を先に書いておきたいと思います。
 名護は、一部のイデオロギーを持つ人々によって街全体が利用され続けています。


 選挙期間中、連日候補者の選挙カーが行き交い、それぞれの支援者が旗を持って応援や協力に走り回る様子は熱過ぎる選挙戦を物語っていました。


 選挙結果は、辺野古移設に反対の立場をとっている稲嶺進氏が、推進派の末松文信氏に約4000票の差で勝利し、名護には二期連続で基地受け入れ反対の市長が誕生したのですが、これは現地でわたしが感じていたのとは全く違った結果でした。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

1月

24日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて⑧ 長崎純心大学 石井 望准教授

 久米島と尖閣諸島との間の黑潮に、歴史上のチャイナ國境線が存在したと、チャイナ側は主張する。その通りなのだらうか。

 【チャイナ主張】
 古くから尖閣の東側に「中外分界」が存在した。「中」はチャイナ、「外」は外國であるから、尖閣の東側まで全てチャイナの領土・領海である。

 【史料】
 清國・費錫章『一品集』 西暦千八百八年
 詩題「黑溝洋」、原註「中外分界處」
 詩句「無端破我遊仙夢、鉦鼓喧天過黑溝。」
 〔端(はし)無くも破る、我が遊仙の夢。鉦鼓天に喧(かまびす)しく黑溝を過ぐ。〕

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

1月

23日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて⑦ 長崎純心大学 石井 望准教授

 あちこちの雜誌・新聞・インターネットには、尖閣諸島までの距離を示す地圖が載ってゐる。そこには石垣島から魚釣島までと、臺灣(たいわん)から魚釣島までとが百七十キロの等距離に描かれる。更には那覇からと、チャイナの温州からとで比較し、温州の距離が近い形になってゐる。日本の外務省ホームページまでその距離圖を載せる。まるでチャイナ側の主張を助けるかのやうだ。しかし歴史的に正しい距離の取り方ではない。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

1月

22日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて⑥ 長崎純心大学 石井 望准教授

 明治二十八年一月十四日(今の尖閣諸島開拓の日)に、日本政府が尖閣を領有するよりも數百年前に尖閣海域を渡航した琉球國人は、「三十六姓」と呼ばれる。彼らはなにものだったのか。

第六囘 尖閣の水先案内をした福建三十六姓は琉球に入籍してゐた

 【チャイナ主張】
 福建琉球間の尖閣航路で水先案内をした「三十六姓」は、琉球に住み着いて以後も福建に戸籍財産を持ってゐたから、チャイナ人である。チャイナ人が尖閣を發見(はっけん)したことになる。
 【史料】
 『皇明實録』嘉靖二十六(西暦千五百四十七)年十二月
 「蔡璟既永樂中從夷、何得於中國置産立籍。」
 〔蔡璟、既に永樂中に夷に從へば、何ぞ中國に於いて置産立籍するを得るか〕
 〔釋辭〕
 蔡璟(さいえい):三十六姓の祖先の一人とされる。
 永樂(えいらく):明國初期の年號。西暦千四百三年から千四百二十四年まで。
 夷(い):異邦人。ここでは琉球國人を指す。
 中國:世界の中心の國。ここでは明國を指す。
 産:不動産。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

1月

18日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて⑤ 長崎純心大学 石井 望准教授

 明治二十八年一月十四日(今の尖閣諸島開拓の日)に、日本政府は尖閣を領有した。しかしそれより遙か三百六十一年前の五月十日、第一尚氏王統時代に琉球國人は既に明國使節を案内して尖閣海域を渡航してゐた。

第五囘 最古の「釣魚嶼」は誰が命名したのか

 

 【チャイナ主張】
 「釣魚嶼」の最古の記録は晩(おそ)くとも明國(みんこく)の嘉靖(かせい)十三年(西暦千五百三十四年)である。それ以前から明國側が見つけて命名してゐた。釣魚嶼はチャイナ名であり、特に「嶼」(しょ)は福建の常用字だ。日本の地名に「嶼」は存在しない。
 【史料】
 明國・陳侃『使琉球録』 嘉靖十三(西暦千五百三十四)年五月十日
 「過平嘉山、過釣魚嶼、過黄毛嶼、過赤嶼。」
 〔平嘉山を過ぎ、釣魚嶼(魚釣島)を過ぎ、黄毛嶼(久場島)を過ぎ、赤嶼(大正島)を過ぐ。〕
 〔釋辭〕
 平嘉山(へいかさん):今の臺灣島の北側の島。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

1月

17日

ペットの終生飼育を 辻 維周

無責任な飼い主によって捨てられた猫たち
無責任な飼い主によって捨てられた猫たち

 新しい年も開け、商店では新春大売り出しの幟も見受けられるようになった。あるペットショップの店先でもSALEの文字が躍っている。


 ここで知っていただかなくてはならないのが、沖縄県は全国有数の殺処分数の多い県であるということである。平成23年度のデータによると、保健所引取り数は犬、猫合計で「飼い主から」が502件、「所有者不明」は6146件の合計6648件、そのうち殺処分数は5728件で、全国第2位と不名誉な記録を作ってしまった。


 また於茂登親水広場の流水域には、外来種のブルーギルやカダヤシ(特定外来生物=採取、飼育、移動禁止)、グッピー、金魚、ミシシッピアカミミガメなど、飽きたり大きくなりすぎたりして、放流したとみられる多くの外来種が見られる。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

1月

17日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて④ 長崎純心大学 石井 望准教授

 明治二十八年一月十四日(今の尖閣諸島開拓の日)に尖閣を領有するまで、日本政府は十年間「無主地確認」を進めたと言ふ。その動きは十年間だけだったのか。

第四囘 明治七年、大久保利通がほぼ無主地確認を北京で通告した

 

 【史料】
 『淡水廳志』卷十五引『蕃社紀略』、明治四年刊
 「山以西民蕃雜居、山以東有蕃無民。於東西之間分疆畫界。界外蕃或歸化、或未歸化。」
 〔山以西は民蕃雜居し、山以東は蕃あり民なし。東西の間に於いて疆を分かち界を劃す。界外の蕃、或は歸化(きか)し、或は未だ歸化せず。〕
 〔釋辭〕
 淡水:臺灣(たいわん)島の最北端の地名。
 山:臺灣島を南北に貫く中央山脈。
 蕃(ばん):先住民。
 民:清國人。
 疆:境域。
 界:分界線。
 【解説】 この史料は臺灣島を概論し、中央山脈を分界線として、東側は清國外、西側は清國内としてゐる。
 明治七年、日本が臺灣島東南部の牡丹社に出兵した際、北京で談判した大久保利通は、臺灣の地誌の記載にもとづいて臺灣東部が清國の統治外であることを指摘した。談判の記録は外交史料『同治朝籌辦夷務始末』卷九十七に見える。大久保が引いた書は、『續修臺灣府志』(ぞくしうたいわんふし)及び『淡水廳志』(たんすゐちゃうし)所引の鄧傳安(とうでんあん)『蕃(番)社紀略』(ばんしゃきりゃく)である。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

1月

16日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて③ 長崎純心大学 石井 望准教授

 百十八年前の一月十四日(今の尖閣諸島開拓の日)、政府は尖閣が「無主の地」だと確認した上で、日本の領土に編入した。無主地確認の過程はどうだったのか。

第三囘 明治政府は尖閣が清國内だと考へたのか

 【チャイナ主張】
 外務卿(外務大臣)井上馨は、清國から尖閣を盜む事が露見するのを恐れて、領土編入を延期させた。その結果、十年後にやっと「先占」(せんせん)と稱(しょう)して尖閣を盜んだ。しかし國際法の先占の原則は、殖民(しょくみん)主義者が先住民を侵奪するために作り出した論理である。日本が尖閣に於いて先占の法理を主張するのもまた、チャイナに對する侵奪行爲を正當化するものである。

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

1月

15日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて② 長崎純心大学 石井 望准教授

 一月十四日の「尖閣諸島開拓の日」はどんな由來があるのか。それについてチャイナ側はどう主張してゐるのか。

 

第二囘 明治十八年、日本人が上陸したと上海の新聞が報道した。清國政府は動いたのか

 

 【チャイナ主張】
 明治十七年に日本人は尖閣に上陸し、日本政府は内密に調査を開始し、侵奪を企圖(きと)した。その舉動(きょどう)が清國の警戒心を呼び醒まし、上海の新聞『申報』で報道された。そのため日本側はすぐに尖閣を盜むことができず、十年間延期してから盜んだのである。
 【史料】
 明治十八年九月六日 上海『申報』記事
 「臺灣東北邊之海島、近有日本人懸日旗於其上、大有占踞之勢。」
 〔臺灣(たいわん)東北邊(へん)の海島に近ごろ日本人有りて日旗を其の上に懸け、大いに占踞(せんきょ)するの勢有り〕

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2014年

1月

12日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて① 長崎純心大学 石井 望准教授

右上の赤色「釣魚臺」が尖閣の魚釣島、中央の黄色が臺灣島。島内に臺灣縣・諸羅縣・鳳山縣が記載されてゐる。
右上の赤色「釣魚臺」が尖閣の魚釣島、中央の黄色が臺灣島。島内に臺灣縣・諸羅縣・鳳山縣が記載されてゐる。

 筆者は今年(平成二十六年)二月末に福岡の出版社「集廣舍」(集広舎)より『尖閣反駁マニュアル百題』を出版する運びとなった。その内容の一部分を數日(すうじつ)に分けて連載する。尖閣論議で負けたくない人は是非ご覽頂きたい。(最終日に贈り物のお知らせがあります。)第一囘は、「尖閣を臺灣(たいわん)と別色に塗る地圖なのに、「臺灣に屬する」と主張」

 

 【チャイナ主張】
 日本の江戸時代の林子平(はやししへい)の地圖(ちづ)は尖閣を福建省と同じ赤色に塗ってゐるから、日本人は尖閣をチャイナ領土とみなしてゐた。日本側は臺灣(たいわん)が福建と異なる黄色だから無効だと主張するが、島内に福建の「臺灣縣」(たいわんけん)、「諸羅縣」(しょらけん)、「鳳山縣」(ほうざんけん)を記載してゐるので、臺灣が福建に屬(ぞく)することに疑ひは無い。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2013年

12月

27日

年の終わりにあたって 辻 維周 

今日も沢山の観光客がやってくる
今日も沢山の観光客がやってくる

 今年もあと数日で終わり、新しい年を迎える。
 考えてみると今年の八重山は新空港開港に始まり、猛暑の夏、強い台風襲来、LCCの就航、中型機の就航などに伴う発着便数の倍増による観光客急増、イリオモテヤマネコの交通事故非常事態宣言、尖閣問題と、政治はもちろんの事、観光、自然環境と様々な課題が浮き彫りにされた。


 特に新石垣空港開港により、スカイマークやLCC(格安航空会社)に当たるピーチアビエーションの就航は、八重山の観光に大きな影響を与えた。またANAの中型機であるボーイング767―300型機の羽田~石垣直行便就航により、それまでのボーイング737―400、500、700型機に比べて、約1.5倍の乗客を運ぶことができるようになり、非常に効率のよい輸送ができるようになった。そのためか、今まではあまり団体が来なかった夏場にも、団体がやってくるようになった。つまり夏場は団体のオフシーズンだったのが、今年はオフシーズンがなくなってしまったのである。この事は中型機の平均搭乗率85パーセントという高搭乗率によっても裏付けられる。


 またスカイマークやLCC就航に伴い、本土からや沖縄からの航空運賃が劇的に下がった(例えば関西~石垣間をピーチで飛んだ場合の航空運賃は、大阪~東京の夜行高速バス運賃とほぼ同額)ことで、それまでは「ハワイに行くほうが安い」と言われていた八重山への旅行が、一気に身近になったことは大きな実績であろう。ただそれに伴って旅の形態も変化し、旅行業関係者からは今までは考えられなかった日帰りや、1泊2日の弾丸ツアーをする観光客が増え、来島者の数字だけはあがったものの、島全体での利益はそれほど上がってはいないという話も聞く。さらに夏のシーズン中は多くのホテルでオーバーブッキング(予約数超過)が起こり、一番ひどい例では溢れた客をどこにも振り替えることが出来ず、やむを得ず沖縄本島の系列ホテルに戻してしまったという、深刻な話も耳にした。


 ネット社会の現在ではこのような話は瞬時に広まって行くため、八重山全体の評判下落に直結するので、来年はいかにして激増した観光客に満足してもらい、長期滞在客としてリピートしてもらうかを検討しなくてはならないだろう。


 いずれにしても一日の発着便数70便(例えば中国地方第1の空港である広島空港は、国際線まで合わせても約50便)という数は、すでに離島ローカル空港の域を遥かに超えているということを島民全体が意識して、よりよい環境づくりをしなくてはならない時期に差し掛かっている。

2013年

12月

17日

フェンスクリーンプロジェクト 兼次映利加

 米軍基地周辺でフェンスを汚したり琉球独立を訴える人が沖縄に何人いて、愛国心ある県民が実際に何人いるのか、数えることはできませんが、フェンスを汚す人もそれを清掃する人も、同じ日本人のはずです。(一部には中国語やハングル文字を使う人がいるようですが、中心となっているのは基本的には日本人だと思います)


 どんな理由があったとしても、自分がされて嫌なことを他の人にするのは間違った行いです。フェンスにテープを巻く人は、「これは抗議です、県民の気持ちをここに表しているんです」と言うかもしれません。


 でもそのフェンスの向こうにも、与えられた仕事を全うしようと日々奮闘している人がいるのです。そしてなんとその〝仕事〟というのは、万が一の〝日本の有事の際には日本人を護る〟こと、またそのために〝日々体を鍛え、機械を整備したりすること〟なのです。有事というのは〝戦争〟だけではありません。2年前の東北の震災のときには沖縄からかけつけた米軍の方々がいち早く駆けつけ、多くの被災した日本人を救出してくれました。


 日本の自衛隊もそうですが、彼らは「誰かを助けたり、危険から護ったりするために訓練を重ねること」を職業としているのです。毎日毎日体を鍛え続けるというのは、本当に大変なことです。筋トレや持久走が苦手なわたしには、想像するだけでめまいがします。


 もしこの仕事を引き受けてくれる人がいなかったらどうなるのでしょうか。例えば大地震が発生したとき、長時間がれきに埋もれようが、わたしたちは自力でそこから這い出さなければいけません。けがをした体で、病院までたどり着くことができるでしょうか。また例えば尖閣の領有権を主張している中国との間に、本格的な争いが起こった場合、わたしたちはそれぞれ自分の力だけで身を守らなければいけないのです。幼い家族はどうなるのでしょう。


 フェンスにガムテープを巻き付けたり、ゴミを投げ入れたりするのは「抗議」ではありません。ましてやそのガムテープの中に、ガラス片を仕込んだり、フェンス周辺で用を足したりするというのは、悪意に満ちた単なる嫌がらせです。


 「基地のない平和な沖縄を」と叫ぶ人達がこのような嫌がらせを続けて、沖縄から米軍を撤退させることに成功したとしたら、米軍撤退と同時に西沙諸島、南沙諸島を占領した中国は喜び勇んで沖縄へ侵攻するでしょう。
 そしてその時には、フェンスに嫌がらせをした人、清掃した人、何もせずに眺めていた人、どの人も「日本人」として等しく悲惨な運命を辿ることになるのです。


 今フェンスクリーンをしている人達は、そんな事態を遠ざけようと日曜の早朝から額に汗して沖縄のために働いています。逆に嫌がらせをしている人は、自ら沖縄を危機に陥れようとしています。また無関心で黙って通り過ぎる人も、外患誘致に加担しているのと同じではないでしょうか。わたしたちは皆それぞれ、今おかれている状況の中で、沖縄を護るためにできることがあると思います。一緒に沖縄を護りませんか。

2013年

12月

08日

それゆけ!カングリワシ⑥

2013年

12月

07日

それゆけ!カングリワシ⑤

2013年

12月

06日

それゆけ!カングリワシ④

2013年

12月

05日

それゆけ!カングリワシ③

2013年

12月

04日

それゆけ!カングリワシ②

2013年

12月

03日

尖閣空島政策は軍備増強の陰謀だ③ 歴史を信じて決斷せよ 石井 望

 ここ二三ヶ月の間に、私は東京で尖閣に關聯する幾つかの會議に出席した。その席では政府周邊の立場の人々が口々に「尖閣はもう讓歩する以外に手が無い」と發言した。或る保守派の御用學者は、讓歩のすすめを政府要人に説いて囘ってゐると自分で語ってゐた。危機感の表明ではなく、あきらめの空氣が支配してゐるのだ。私は限りなく暗い氣持ちになった。年齡が高くなると面倒な喧嘩を好まないものだが、若い世代の未來と八重山住民の死活をさう簡單にあきらめてもらっては困る。


 今や憲法改正論議が盛んだが、憲法を幾ら改正しても、國を防衞する意志が無ければ無駄である。防衞意志の薄弱なるをごまかすために改憲論議をしてゐるのではあるまいか。尖閣常駐さへ實現すれば改憲も靖國參拜もしなくて良いと私は考へる。


 以上は一國民としての妄言である。私が研究にもとづいて確かなことを言へるのは、尖閣の歴史についてだけである。そもそも日本人は、尖閣が日本の領土であると信じてゐるのだらうか。「尖閣の歴史を議論するとチャイナ側の土俵にのせられる」と主張する保守論客が多い。彼らは我が日本の歴史を信じてゐないのだ。史實は全く逆である。現代の棚上げ論などを議論するからチャイナの土俵にのせられて、あきらめの空氣まで出て來るのであって、歴史で議論すれば日本の完勝である。尖閣の古名「釣魚嶼」は、數百年前に琉球國人が命名し、その後も琉球國の公務員が水先案内をして十九世紀に至る。チャイナの國境線は福建沿岸及び臺灣海岸に明瞭に線引きされてゐた。チャイナ國境線の外側の尖閣は無主地であった。多數の史料にその記録があることは、これまで八重山日報などが報じた通りである。安倍さん、歴史を信じて決斷して欲しい。(了)

2013年

12月

03日

基地移設推進の署名大会に思う 兼次 映利加

 11月24日、那覇市のパシフィックホテルで「基地統合縮小実現県民の会」の大会が行われ、移設推進の署名が沖縄県だけで7万3491筆集まったことが報告されました。つい27日に県庁に提出された辺野古埋め立て反対の署名(海外からの協力を含め3万9千筆)をはるかに上まわる数字です。


 これまで沖縄のメディアや一部の政治家は、「県外移設こそ県民の総意」と軽々しく唱えていましたが、現実はそうではないことがまた明らかとなりました。


 大会には400名の参加者と県内外のメディア16社、発足会にも足を運んでくださった中山恭子参議院議員をはじめ、砥板石垣市議、平安座もと宜野湾市議、松田神奈川県議など県内外から多くの政治家の皆さまも来場されました。


 たった三ヶ月でこれだけの署名を集めたということには、活動を支えた方の相当な努力と忍耐を要したと思います。毎週土日には街頭に立って協力を呼びかけ、ときには反対する方からの妨害にあったりしながらも、当初の目標であった5万を超える数を集めたのです。


 また街頭に立つことはできなくとも、支援者はそれぞれにできることに尽力しました。関係した全ての方の志に敬意と感謝の気持ちでいっぱいです。


 署名は確かに「県民だけで7万3491筆」ですが、わたしはこの署名活動を通して、日本中が一丸となって力を結集している様子を目の当たりにしました。


 署名協力の前提である「基地移設の目的は、普天間近隣住民への危険性の排除であり、同時に面積の縮小でもあること。また返還後の基地跡地では地域振興のための有効活用が可能であること」この重要なポイントを地元沖縄県民に啓蒙するのには、県内有志のみならず、九州、関西、首都圏、東北からも応援の声があったのです。


 署名活動はこれからも継続され、知事の移設承認への後押しとなることでしょう。このことは、県民が自ら沖縄のあり方を考え、豊かな未来へと進む一歩となったことを確信しています。

2013年

12月

03日

それゆけ!カングリワシ①

2013年

12月

02日

尖閣空島政策は軍備増強の陰謀だ② オスプレイは必要か 石井 望

 チャイナ側が自衞隊の出て來るのを待ってゐて開戰に持ち込むといふのは嘘である。米軍機が堂々と飛行したが何事も起こらなかったではないか。チャイナは實行できずに法螺を吹く「紙虎」(張子の虎、毛澤東の好んだ言葉)に過ぎないことが、素人目にもよく分かったのが今囘の收穫である。


 安倍政權は公務員常駐を公約した。しかし防衞の專門家に訊くと、公務員常駐は意義を成さず、常駐するなら自衞隊が電光石火の速度を以て上陸野營して數日のうちに據點を築くべきであり、その能力も有るといふ。國内で部隊が移動するだけだから國會の同意も必要ない。過激な行動でも何でもない。


 自衞隊常駐は一方的行動だとして世界が批判するだらう、と識者は言ふ。しかし今の絶好機ならば批判を受けずに濟む。チャイナ側が先に平和を脅かしたからである。アメリカは口先で牽制しても、日本に制裁を加へることはできない。その後の新たな報道によれば、米國政府は民間航空各社が飛行計劃をチャイナに提出するやう求める方針を決めたといふ。未確定情報だが、いづれにしろ日本は米國にすがりついても尖閣喪失の時が近づくばかりだ。年内に常駐せねばこの絶好機は雲散霧消するだらう。かりに尖閣を領有するのが日本でなく韓國であればどうか。韓國軍は疾うの昔に常駐して要塞を築いてゐるだらう。竹島を見れば分かる。


 日本は尖閣に常駐せず、空島政策を續けてゐるため、逆にチャイナによる侵犯を呼び込んでゐる。眞空となった尖閣を取りまく周邊の軍備ばかり増強してゐるのは、日米共同の陰謀ではあるまいか。軍備増強のために尖閣を利用してゐるのだ。尖閣に常駐してしまへば、自衞隊が八重山海域で演習を行ふ必要も無くなり、八重山の人々は逆に安寧を得られる。演習は石垣本島でなく尖閣海域でやれば良い。オスプレイも不要となるかも知れない。
                              (つづく)

2013年

12月

01日

尖閣空島政策は軍備増強の陰謀だ① チャイナ情勢分析をやめよ 石井 望

 報道によれば中華人民共和國が「防空識別區」と稱して、識別のみならず公海上の自由飛行を阻碍する違法な範圍を設定した。通常の防空識別圏とは異なって、公海上で武力を採取するとしてゐる。日本側は準備も無く、日本航空及び全日空が慌てて飛行計劃をチャイナ側に提出した。

 

 兩社は安全のためと言ふが、公海上なのに安全でないといふ判斷ならば、戰時に準じて飛行を取りやめるやう日本政府が指示するのが筋だ。飛行計劃提出は暴力團に許可願を差し出すに等しい。ところが同じ空域を飛行する他國はチャイナの設定を無視し、飛行計劃をチャイナに提出しなかった。日本の會社だけが暴力團に協力したのである。世界の笑ひものだらう。更には他國が怖氣づかないのを見て、日本の國土交通省は各社に飛行計劃提出を取りやめるやう求めた。後追ひの醜態である。


 更に報道によれば、この空域を米軍機が飛行して、チャイナが警告も反應もできないことを誇示してみせたといふ。我が自衞隊はアメリカに先を越されたことになる。アメリカ樣々、お蔭で二番目からは平然と飛行できるといふわけだ。私は日本の恥だと思った。ところが軍事評論家鍛冶俊樹氏によれば自衞隊機が一番乘りだったといふ。確認してみると、チャイナ國防部が武力宣言の公告を出したのが十一月二十三日午前十時。自衞隊機が一番乘りの飛行をしたのがその日の午後であった。アメリカが一番乘りのやうに報道する大手マスコミはどうかしてゐる。


 チャイナは實行できなくても口先や文書の上でできることは何でもやる。チャイナの細かな情報をあれこれと分析することは無益である。尖閣を國有地にすればチャイナが怒るだらうとか、最近友好恢復の兆しが見えるとか、そんな分析をすればするほど日本は自繩自縛になる。


 一切の分析をやめて、小泉元首相の郵政民營化・原發廢止論のやうに、自衞隊を尖閣に常駐させることを決斷すべきである。(つづく)

2013年

11月

24日

プロドライバーとしての自覚を持て 辻 維周

 新空港開港以降、島内の交通量が激増し、それに比例して交通事故も増加している。人身事故は幸いなことにそれほど多くはないが、表に出てこない物損事故が多く、非常事態となっているようである。


 その中で目立つのが、看板を背負った車両、つまりタクシーや観光バス、運送業者などの営業車や送迎車の無謀な運転が多いことである。
 こちらが制限速度で走っていると、さっさと走れとでも言わんばかりに煽り、追い越し禁止区間でも平然と追い越しをしていく。特にひどいのが国道390号線の白保~新空港、県道79号線の名蔵湾沿い、宮良基幹農道である。その中でも宮良基幹農道は宮良牧中から白保北までほぼ一直線の下り坂が続くため、無法状態とも言えるほど、飛ばしに飛ばしている車が目に付く。しかしこの区間は農道が多数交わり、そこを農耕用車両がゆっくりと横断してゆくことも多いため、直前で発見しても、あの速度だと到底止まりきれるものではない。また雨の後など、土砂などの堆積物もあちらこちらにあって、それにハンドルを取られたり、スリップしたりする危険性も高い。


 また2週間ほど前、県道79号線を川平から市街地に向けて走行中、崎枝の下り坂で大型観光バスが猛然と迫ってきて、追い越し違反をしていった。乗客の命を預かっているバスやタクシーが、そのようなひどい運転をしていること自体ありえないことであり、プロドライバーとしての自覚がないとしか考えられない。川平から市街地までや市街地から空港までも、制限速度で走ろうが、乗客はもちろんのこと、他車や歩行者、自転車を危険にさらしながら80キロで走ろうが、あの距離では5分と変わらない。


 八重山郡内の速度は40キロから50キロ、集落内は20キロから30キロに制限されているにもかかわらず、それを遥かに越える速度で運転するリスクを考えないプロドライバーが、この島には多すぎる。


 先日、離島桟橋でイリオモテヤマネコの交通事故防止キャンペーンに参加していたとき、ある観光客に「こっちのタクシーの運転は恐ろしくて、レンタカーを運転するのが怖くなりました。海沿いの道で何台ものタクシーにあおられたり、追い越し違反をされたりしました。プロとしてのモラルが欠けていますね。次からはもっとのんびりできる場所を探すことにします」とまで言われてしまった。


 この言葉を聞いて、いったい何人のプロドライバーが恥ずかしいと思うだろうか。もし思わないのならば、島のためにも、すぐに2種免を返上したほうがよい。

2013年

11月

20日

沖縄の真実④ 琉球を狙う中国共産党の壮大な野望 仲村 覚

中国の毛沢東元国家主席は、沖縄の日本復帰を支持していた
中国の毛沢東元国家主席は、沖縄の日本復帰を支持していた

 沖縄が抱える問題を考えるうえで、注目すべき資料がある。1964年1月22日の中国・人民日報に掲載された、中国建国の父・毛沢東の発言(共産党新聞網・毛沢東文集第八巻)である。


 「中国人民は、強固に日本人民の偉大なる愛国闘争を支持する」とのタイトルで、毛沢東は「米軍基地撤去要求、日米安全保障条約の廃止、日本の領土沖縄返還要求。すべてこれは日本人民の意思と願望を反映しており、中国人民は心から日本の正義の戦いを支援する」と語っている。


 64年1月といえば、池田勇人首相時代で、沖縄返還(72年)を成し遂げる佐藤栄作首相が誕生するのは同年11月。毛沢東は当時、「日本への冲縄返還」を支持していたのだ。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2013年

11月

17日

沖縄の真実② 移設反対派のシンボル 辺野古テント村の実態 仲村 覚

辺野古テント村には、地元住人はいないという
辺野古テント村には、地元住人はいないという

 米軍普天間飛行場の移設反対派にとって最大のシンボルといえば、名護市辺野古の「テント村」である。8年以上前から座り込みが続けられ、地元住人がこぞって反対しているような印象を全国に広めている。


 「米軍基地撤去」を掲げる野党の国会議員が沖縄を訪ねた際は、辺野古漁港にあるテント村を激励する報道も見られる。本土からの修学旅行生の見学コースの1つにもなっている。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2013年

11月

16日

沖縄の真実① 村発展のために1957年に誘致 仲村 覚

米軍普天間飛行場の移設問題で注目される米海兵隊キャンプ・シュワブ。名護市辺野古区の民意は「移設容認」だ
米軍普天間飛行場の移設問題で注目される米海兵隊キャンプ・シュワブ。名護市辺野古区の民意は「移設容認」だ

 「沖縄・米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設は、地元住民の反対が強いため事実上不可能である」
 これは、沖縄以外の本土でよく耳にする、普天間問題についての現状認識であろう。そして、沖縄メディアは「政府は沖縄県民の反対の声を無視して、辺野古移設を強硬しようとしている」と報じる。
 だが、私が現地で取材すると、「事実は大きく違う」といえる。
 普天間飛行場の移設先は、名護市辺野古区にある米海兵隊キャンプ・シュワブである。辺野古区のホームページを見ると、同基地について「農村であった辺野古は、基地という経済基盤の元に地域開発を進めるために、有志会では軍用地契約に踏み切り、昭和32(1957)年に基地建設が着手されました」と記されている。
 つまり、辺野古区は米軍基地を反対どころか、村の発展のために誘致したのだ。

 

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2013年

11月

15日

便利なものには… 辻 維周

 先日、自動ブレーキシステムを搭載した車の試乗会に参加した。自動ブレーキシステムとは、前方に障害物があると、車自身がそれを検知し、ドライバーが回避操作をしない場合には、車が自動的にブレーキを掛けてくれると言うもの。


 その試乗会では係員が運転し、私が助手席に座って体験してみると言う方式だった。自動ブレーキシステムは車種によって、カメラで前方を監視するタイプのものと、レーザーで監視するものの2種類あると言うが、両方とも原則として時速30キロ以下で作動する、いわば緊急回避用の装置である。


 実際に体験してみると、時速25キロ程度で障害物に向かっていき、ブレーキを操作せずにいると、障害物から10メートル程度前で警報音が鳴り、それでもブレーキを踏まないと急ブレーキが掛かり、ABSも作動した。


 感想は「このシステムはあくまで安全運転支援システム、つまり緊急回避用であると言うことを理解していない人には運転してほしくない」である。


 まず、電子装置は突然エラーを起こす可能性がある上に、本当に急ブレーキが掛かった場合には、後続車の追突を誘発する恐れが高いからである。さらにこの装置をつけた車を購入した人は、十中八九「試してみたい」と思う欲求に駆られるはずである。しかしこのようなことを公道で行ったとしたら、危険極まりない。特に石垣では車間をほとんど取らず、ぴったりと後ろに貼りついてくるような無謀運転も多いため、急ブレーキが掛かると追突事故が起きてしまうに違いない。


 もともと余計な装置には関心のない筆者であったが、試乗後は「どうも信頼が置けない。自分は絶対にいらない」と言う気持ちが一層強くなったのであるが、案の定、他県の試乗会でシステムが作動せずにフェンスへ激突し、乗っていた人が怪我をすると言う事故が起きてしまった。これが誤作動なのか、誤操作なのかは捜査の結果を待たなくてはならないが、いずれにしても過信は禁物である。


 飛行機が着陸したときのオートマチックブレーキとは違い、車の場合にはさまざまな条件が重なり、結果としてシステムエラーが起きると、取り返しのつかないことになってしまう。


 車は毎年劇的な進化を遂げ、マニュアル一辺倒の時代から、3速オートマチック、4速オートマチックを経て、現在では6速オートマックや、CVTと呼ばれる無段階変速オートマチックまで存在するようになった。しかしそれに伴って、アクセルとブレーキを踏み間違え、壁に激突したり、人身事故を起こしてしまったりするケースも後を絶たない。さらに、かつて自分が乗っていた車も、クルーズコントロール(定速走行装置)がエラーを起こし、高速道路走行中に急加速してしまい、あわててニュートラルにして路側帯に止め、難を逃れたことがあった。その原因は「コンピュータートラブル」と言われた。


 そのようなトラブルは無くても、マニュアルミッションと違い、オートマチックミッションはどうしても10万キロ前後で滑ったり、オイル漏れを起こしてしまったりすることが多い。ミッションが一度壊れると、それこそ中古車が1台買えてしまうだけの修理費がかかり、結局廃車にする運命をたどるものも少なくない。


 ミッションだけではなく、パワーウインドウも一度壊れると大変なことになる。


 車を長持ちさせ、維持費もあまりかけたくないのであるならば、ミッションはマニュアルで、余計なものは一切ついていないモデルを選んだほうがいいのかもしれない。


 便利なものには、逆に言うと、それだけトラブルの元をはらんでいることを忘れてはいけない。所詮機械は機械であり、絶対と言うことはないのである。

2013年

11月

14日

ゲンは下駄を履いたか 鳩間 昇

 はだしのゲンが教育界に騒ぎをおこしているようである。何の事だろうと読んでみた。週刊新潮九月五日号に詳しいが、読んでおられない方に簡単に紹介したいと思う。
 『少年ジャンプ』誌にはじめて「はだしのゲン」が登場するのは、一九七三年だとのこと。ところが連載は一年で打ち切られた。次に『市民』という月刊誌に載ったが、今度は市民誌が廃刊となり、三度目に共産党系の文化評論誌に載った。しかし当時、原水協だの、原水禁だのと分裂していたため、原爆孤児のゲンはどちらの核も反対であったので、連載を打ち切られてしまったとのこと。
 捨てる神とか、拾う神とかはこのことか。四度目に載せてくれたのが、日教組の機関誌『教育評論』ということである。そこでゲンは次第に日教組の主張するようなことを発言するようになる。例えば、ゲンの中学校卒業式において、
 【先生】これから国歌を斉唱します
 【ゲン】なんできらいな天皇の歌を歌わんといけんのや、天皇は犯罪者じゃ。
 などの他、日教組の主張らしき事や、中国がプロパガンダとして用いた残酷な場面が、ゲンの発言として出てくる。
 マンガとは言え、これが本当に子どもたちに読ませて良い書物なのか大きな疑問を持つものである。騒ぎがおこるのも当然と言えよう。
 このことをゲンは、反日の下駄を履いたと評する人もある。誠に結構な評だと思っている。また日教組は、自分たちの思いをゲンに言わせている、との評もある。小生が教職についた頃に、日教組は退治しなければならないと言われた文部大臣がおられたことを記憶している。多数の国民が立ちあがり、日教組を退治したいものである。
                          (石垣市平得)

2013年

11月

12日

トライアスロン

2013年

11月

08日

LCCの明と暗 辻 維周

 1990年代にアメリカのサウスウエスト航空と、アイルランドのライアンエアーによって始まったLCC(格安航空会社)は、2012年になってようやく日本の空にも就航を開始した。まず3月1日に関西空港を拠点とした純国産のピーチ・アビエーションが、次いで7月1日には日本航空とオーストラリアのカンタス航空、三菱商事の共同出資によりジェットスター・ジャパンが、さらに8月1日には、マレーシアに拠点を持つエアアジア・ジャパンが、それぞれ成田空港を拠点として就航した。


 日本航空、全日空など既存の航空会社と大きく違うところは、予約は原則ホームページから行わなくてはならないが、基本航空運賃だけでは搭乗する事ができず、支払い手数料(なぜ支払いに手数料が発生するのか、よくわからないが)は必ず上乗せされ、座席を指定する場合や荷物を預ける場合には、さらにその料金が上乗せされてゆく。また搭乗手続きも原則として出発30分前(航空会社によって若干の差はある)で締め切られ、定時運航のために遅刻は許されない。機内での飲食物や毛布なども有料で、エアアジア・ジャパンに至っては自社経営の空港売店で購入したものを除き、原則として飲食物の持込も禁止していた。


 またピーチアビエーションの場合、関西や那覇では経費を抑えるため、普通のターミナルは使わずに、LCCターミナルでのチェックイン、セキュリティーゲートを通った後はランプバスでの搭乗をしなくてはならない。車椅子の乗客も特別扱いはされず、タラップの下で車椅子から降ろされ、係員のサポートを受けながら、階段を昇る必要がある。さらに限られた機材で効率的な運航を行っているため、ターンオーバーと呼ばれる、空港での折り返し時間は平均25分から30分(既存航空会社の場合には最低40分)しかないため、1度遅延が始まると、その連鎖反応で遅延が拡大してしまうこともある。そのため、最悪の場合には空港供用時間に間に合わず、最終便が欠航してしまう事もある。また、自社都合により遅延や欠航が発生した場合でも、他社への振り替えは行われず、宿泊を余儀なくされた場合でも、航空会社は一切負担しない。もちろん遅延、欠航によって乗り継ぎができなかった場合でも、同様である。


 その代わり、運賃は極限まで抑えられ、例えばピーチアビエーションで関西~石垣の最低運賃は5000円代前半(諸費用別)で乗ることが出来る。
 JAL、ANAのフルサービスに慣れてきた日本の顧客は、HPの使いにくさや簡略化されたサービスになじめず、とうとうエアアジア・ジャパンは就航からわずか1年2ヶ月余りで撤退。その後を100パーセントANAの子会社である、バニラエアが引き継ぐことになった。ジェットスターも平均搭乗率は60パーセント台後半であり、JALとカンタスから増資を受けることとなった。


 LCC2社が苦戦しているなか、唯一ピーチアビエーションだけは黒字を保ち、関西~石垣の平均搭乗率は常に80パーセント台をキープし、他の路線も好調である。


 なぜここまで差が出てしまったのかと言うと、ピーチの営業戦略が極めて日本的であり、特に女性客の心をつかむようなプロモーションを次々打ち出しているためである。例えば通常は考えもしない、何の変哲もないエアバスA320という使用機材を前面に出す戦略に出た。エアバスはフランス製であるということを殊更に強調し、折に触れてAIRBUSのロゴを露出させる。その上で「皆様がお乗りになる機材は真新しいフランス製のエアバスです」と訴える。するとピーチという会社名にはなじみが無くても、「フランス製」というブランドイメージは女性客の心をくすぐり、さらに明るい紫色の機体にAIRBUSと強調されたロゴは一層「乗りたい」という気持ちを膨らませる。


 それに追い討ちをかけるように、10月下旬には元AKBの篠田麻里子を公式カンパニーアンバサダー(会社大使)として起用し、制服も本人のデザインを採用し、さらに本人の顔写真を機体にラッピングした「マリコ・ジェット」を就航させた。この企画も代理店を通さず、直接交渉によって余分な経費を抑えたと言うのだから大した物である。ただしLCCとしてのポリシーは変わらない。


 「真新しいフランス製」という全く新しい視点での売込みと、女性客が増えれば男性客も増えると言うサービス業界での常識を航空会社にまで取り込み、LCC=安かろう悪かろうというイメージを打破したことが、現在の好調に結びついていると言うことができよう。


 今後は中国の春秋航空を初めとする諸外国のLCCが、国内線にも参入予定であるが、それが根付くかどうかは安全性や定時性はもちろんの事、日本人向けの営業戦略と提示出発率と就航率の上昇も重要な要素になってくる。
 LCC=安物というイメージを、ピーチのように払拭できるかどうかに日本の航空業界の行方が掛かっている。

2013年

11月

08日

動物いっぱい

2013年

11月

06日

平和教育の難しさ ―思考停止発言について考える―㊦

 残念ながら、ここには重大な誤りがある。中国へ向かう進貢船などは軍船のように防備を固め、武器、弾薬を積み込んでいた。鉄砲の訓練も行っていた。武器、弾薬を持たなかったのでなく、持つことを許されなかっただけで、実際には薩摩から借用していた。この事実が沖縄で一般にあまり知られていないのは、おそらく、それを不都合だと考える琉球史の研究者や沖縄のマスコミが取り上げないからである。
 さて、念のために断っておく。日本兵の軍靴で踏みつけられたアジアの人々の痛みを理解せず、先の大戦を聖戦だと美化するような人々の歴史観に共感を覚えた記憶は、私にない。私の立ち位置は、あえて言えば、村山談話くらいである。過去の誤りを率直に認めて詫びる。当たり前である。
 一方、平和を守り、国を守る。その大切さを子供たちに教える。これも当たり前である。戦争の悲惨さ―平和の尊さを教えるだけでは平和は守れない。分かっていても、ここから先へは進まない。とにかく、批判する。反対する。ここで思考が停止してしまう。
 そして、決まり文句を言う。近隣諸国と仲良くすればいい。平和外交を積極的に進めればいい。基地を無くせばいい。しかし、そう言えるのは国民全体に責任を負う立場にないからである。国の安全保障は反対を唱えておれば解決する問題でないことを、旧社会党が政権与党についたとき、私は知った。
 平和を守る。保守であれ革新であれ、与党であれ野党であれ、国民がこの問題に重大な関心を持たない国は地球上に存在しない。いわゆる「革新」の人びとがタブー視してきたテーマであるが、それを保守勢力の専売特許にさせている現状は望ましいことではない。ただ反対するだけでは、危惧される右傾化の流れは止められない。そう思う。
 現実問題として、尖閣諸島をめぐり日中間に厳しい対立が続いている。領海侵犯が日常的にくり返されている。集団的自衛権のこともある。こうした微妙な問題をどう教えればいいのか。対象が中学生、高校生ともなれば、特設授業のなかで扱っても扱わなくても、課題は残る。教師個人の自由裁量に任せられるような問題ではない。
 平和教育の重大性を認識すればするほど、不安や戸惑いを感じる教師の方が多いのではないか。平和教育は自分の専門教科のように簡単には教えられない。玉津教育長の発言に抗議のこぶしを上げる教師より、自分が実践してきた特設授業をふり返り、その重みを謙虚に問う教師を私は信頼したい。
 市議会における教育長不信任決議や辞任を求める動き、それに反発する動き。私の想像であるが、今回の事態には政治次元の思惑が働いていないのだろうか?玉津教育長の発言を純粋に教育問題として考えれば、責任をとって辞任しなければならない理由があるとは私に思えない。
 石垣市の最大の教育課題は、県内最下位に低迷している子供たちの学力テスト成績を向上させることだった。それは、それこそ過去何十年、関係者の悲願であった。数多くの会合、公開授業、研究会、大会などが計画され、実行され、立派な報告書が残された。しかしながら、期待する成果は得られなかった。
 玉津氏は教育長就任に当たり、その課題に具体的目標を掲げて取り組むことを宣言した。今、それが実を結びつつある。最下位を脱出したと聞く。頑張ればできるという自信を子供たちに与え、離島のハンディはあっても生徒の学力を着実に伸ばすことができるという手応えを若い教師たちに持たせた玉津氏の功績は大きい。
 石垣市の教育を考えるとき、あくまでも主役は子供を持つ若いお父さん、お母さんたち、学校現場の先生方である。その率直な声を聞いてみたい。今は脇役の声しか聞こえない。外野席にいる私の意見など無視してもらってかまわない。私が自分の子供を市内の学校に通わせている親なら、玉津教育長の続投を支持する。

2013年

11月

05日

平和教育の難しさ ―思考停止発言について考える―㊤ 田島 信洋

 最近、ヤフーのトップニュースで八重山という文字が目についたので、久し振りに郷里の新聞にアクセスしてみた。教科書問題とは別に、平和教育に関する玉津博克石垣市教育長の発言をめぐり、ふたたび紛糾しているようである。


 27年前、『見えない学校・見えない授業』という一冊の本を世に問うたことがある。沖縄の現場教師が本音で教育を語った初めての教育エッセイ集であった。面識のない私のために序文を寄せた大城立裕氏は、事件の一つであった、と述べている。その本の冒頭に「特設授業と平和教育」という一文がある。


 そのなかで私は、マスコミで取り上げられることのない、普通の教師が平和教育として行っている特設授業に、次のような疑問を投げかけていた。あの当時、私なりに周囲の思考停止を感じていたのである。


 高く評価されている沖縄の平和教育であるが、生徒自身はどう感じているのか?戦争の悲惨さ、平和の尊さを教えられて卒業する生徒たちなのに、かれらの自衛隊支持率が高いのはなぜなのか?生徒が答えを出しているのではないか?


 その一つの答えを読むことができた。玉津教育長が紹介している高校生の作文がそれである。以来、生徒も教師も学校も、教育を取り巻く社会的な状況も大きく変わっている。しかしながら、平和教育の実態はほとんど変わっていないかもしれないと思った。


 もちろん、その生徒の声がすべての生徒の声ではない。特別な生徒の声かもしれない。しかし教師は、そうした生徒の疑問にも答えなければならない。なにより、せっかくの平和教育が生徒を戦争への恐怖感に慣れさせる結果に終わっては、それこそ弊害であり、困るではないか。


 戦争は悪だから、それにつながる一切を短絡的に否定する。自衛隊、米軍基地、日米安全保障条約は要らないと、負の側面だけを教える。その役割を肯定するような平和教育は保守派、右翼勢力が画策することだと非難する一方、自分たちの主張にそった授業をする。


 こうした平和教育が現在も行われているとしたら、そのあり方に疑問を抱く生徒が次々と出てきても不思議ではない。なぜなら、学校から一歩外へ出ると、特設授業で教えられている話とはあまりに違い過ぎる社会、世界があるからである。


 たとえば、自衛隊に関する各政党の見解や政策はどうか。ほとんどの主要政党は賛成である。それでは反対している政党はどうなのか。非武装中立を掲げてきた社民党(旧社会党)は党の存亡が危ぶまれている。地域政党の沖縄社会大衆党は「自衛権を逸脱する自衛隊の機能強化に反対し」と述べ、全面否定していない。日本共産党は、その機関紙「赤旗」で、読者の質問に「国民的合意が成熟することを見定めて自衛隊解消に本格的に取り組む」「自衛隊解消に取り組む過度的な時期に…必要にせまられた場合には存在している自衛隊を活用するのは国民に責任を負う政府の当然の責務である」と答えている。これ以上、正直で真っ当な見解はない。国際政治が絡む外交や防衛の問題は、相手国がある以上、真剣に政権を目指す政党であれば、けっきょく現実的に対応せざるを得ない。


 あるいは、たびたび実施される全国の世論調査の結果はどうか。全国紙、地方紙など各マスコミの論調はどうなのか。自衛隊、米軍基地、日米安全保障条約のマイナス面だけを大々的に報道する沖縄タイムス紙と琉球新報紙は、例外だと言ってよい。


 是非はともかく、それらを支持する意見が日本国民の圧倒的多数だという現実を認めざるを得ない。上の両紙によって主に世論形成されているはずの沖縄県内でさえ、容認派は決して少なくない。そのため、生徒たちは教室で受ける特設授業と現実社会との隔たりに疑問を感じるのである。それを先の高校生は作文に、いや教師にぶつけた。


 ここで話が少しそれる。米軍基地を撤去させ、自衛隊にも出ていってもらおう、米軍基地を沖縄に一方的に押し付ける本土の人間が許せない、その昔、平和を愛する琉球の民は武器を持たず、海外と交易し繁栄していた…このような懐古趣味が昂じたのだろうか、最近、琉球独立学会が設立されたと聞く。
                             (つづく)

2013年

11月

03日

スマホ依存症 辻 維周

 通常の携帯電話(フィーチャーフォン=通称ガラケー)に代わって、スマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)の使用者が大きな割合を占めるようになるに従って、都会では「歩きスマホ」が横行し、自ら事故に遭ったり、歩行中の弱者と衝突して、相手に怪我を負わせたりする報道が連日のようになされている。私の年老いた母も、先日歩きスマホの女性と衝突し、危うく転倒するところだったという。
 月数回東京に行ったときにホームで観察してみると、電車を待つ乗客の大半は大人も学生もうつむいてスマホをいじり、電車に乗ってもスマホをいじり続けている人ばかりが目に付き、そこには友人との会話も無ければ、読書している人もほとんど見当たらないと言う一種異様な光景が広がっている。
 都会の人間はそれほど忙しいのかと思うのだが、多くの人の画面にはゲームが展開されている。これに熱中してしまうと、電車に乗ろうが歩こうが、その中にのめりこんでしまい、周囲を見る余裕など無くなってしまうのだろう。
 ではここ石垣はどうかというと、「歩きスマホ」をしているのは観光客に多いが、生徒たちの自転車スマホ、大人たちの自動車運転中のスマホなど、無法ぶりは都会並みである。特に生徒たちが自転車で車道を逆走しながらスマホを操作しているのを見ると、事故を起こさないほうが不思議である。常識で考えても、画面を注視しながら他の事などできるはずはないのだが、彼らはどうやら出来ると考えているらしい。
 さらに「バイト・テロ」と騒がれているように、バイト先や買い物先で面白半分に行った非常識な行為の写真を、twitterやfacebookへ何も考えずに投稿し、炎上した挙句、その店を潰してしまうというありえない事態までも引き起こしている。
 私が学生のときはもちろんネットなどはあるはずも無く、固定電話のコードを伸ばし、自分の部屋まで電話機を引き込んで友人との電話を楽しんだり、どうしても家族に聞かれたくない会話には、公衆電話を使ったりしていたものだが、1985年にNTTが発売した「ショルダーフォン」(重さ3キロ)に始まった携帯は、わずか30年弱でアナログからデジタルへ、そして高速通信のLTEへ劇的な進化と普及を遂げただけではなく、本体価格も通信・通話料も大きく下がったため、いつの間にか我々の生活に無くてはならないものとなってしまっている。それと同時に、本来「使うもの」であったはずの電話機に「使われる」ようになってしまったため、スマホがなくては落ち着かない、いわゆる依存症に陥っている人も、日本はもとより世界中でかなりの数に上ると言う。
 またLINEといわれるアプリは、パケット通信を利用するため、通信定額プランに入ってさえいれば、メールやチャット(ネット上での文字を使ったおしゃべり)のみならず、通話さえも無料で利用できるため、依存症に拍車をかけるだけではなく、子供同士のいじめにもつながっていると言う。
 その依存症から脱却するためには、言うまでも無く「必要なときしか使わないようにする」ことであるが、学校によっては朝のHRで担任が携帯を預かり、終礼時に返却するという習慣を徹底しているところもある。一方生徒はダミーの携帯(モックアップと言われる展示用=通信・通話の機能はない)を入手したり、すでに使っていない古い携帯を、あらかじめかばんの中に入れておき、それを担任に渡したりして、あの手この手で逃れようとする。
 さらにスマホになってからは、特にバッテリー消費が激しくなったせいか、所かまわず充電する姿が見られ、コンビニのコンセントから無断で充電し、窃盗罪で逮捕される事例も散見されるようになってきた。ここまで来ると場当たり的な規制ではなく、抜本的な教育が必要になってきてはいるが、どのような教育が有効なのか、実際は誰にもわからない。なぜならば、教育者自身の多くが携帯やスマホを手放せなくなってしまっているからである。
 文明の発達は生活を便利にはするが、その反面、人間をだめにしていく側面も持っているということの典型的な例であろう。
 もちろん悪い面ばかりではなく、緊急通報がどこからでも可能になり、離れて住んでいる年老いた親や災害時、遭難時の安否確認など、携帯のGPS機能を併用した使い方をすれば、貴重な命を救うことも出来る。
 かつて「武器はそれを使う人間の性格以上に善良にはなれない」と言った人がいたが、スマホも使い方を一歩間違えると、凶器にすら変容すると言うことを、心にとどめておくべきであろう。
 いずれにしても早急に何らかの手を打たなければ、国民の大多数がスマホ依存から抜け出せなくなってしまうに違いないが、これは行政や所謂「有識者」が先頭に立つのではなく、ある意味でのコア・ユーザーになっている生徒たち自身から、スマホの利用方法を見直そうと言う声が、自然と起こってくることが最良のあり方のように思える。
 このコラムを読んだ生徒諸君。スマホの正しい利用のあり方について、何とかクラスや生徒会で話し合う機会を設けられないものだろうか。

2013年

11月

01日

知恵と工夫で学力向上を 宮地 久子

 10月30日の「金波銀波」で、全国学力テストの学校別成績公表について取り上げられていたが、大阪市の公立小・中学校でも、児童・生徒の学力向上は、急務の課題となっている。


 橋下徹大阪市長は、土曜日に地域住民との交流の場を設ける授業や、小学校からの英語学習に力をいれたいようだが、学力の基本である「読み・書き・そろばん(計算)」をしっかりと身につけさせなければ、理科や社会の学習も伸びない。総合学習や遊び半分の英語学習は、コツコツと地道な努力をすることを嫌う今どきの子供たちにはウケるだろうが、学力向上につながるとは思えない。


 関西には学力向上に熱心な私立学校が数多くあるため、学習の大切さを知っている保護者は、子供たちを小学生のうちから塾に通わせ、中高一貫の私立校へ入学させる。我が子も、数年前に中学受験を経験したが、70名余りの同級生のほぼ半数が、地元の公立中学ではなく、私立の中高一貫高へ進学するという有り様であった。


 しかし保護者も、何も好き好んで学費の高い私立校へ子供たちを行かせたいわけではない。できれば気心の知れた友人たちのいる地元の公立学校へ通わせたいのだ。だが、子供たちの将来のためだと思って、中学受験、私立校進学を選択しているにすぎない。


 また、たとえ学費がかからない公立学校へ通学しても、高校、大学受験のためには学校の勉強だけでは不十分なため、結局は高い月謝を払って、放課後の夜遅くに塾や予備校へ通わせなければならない。同じような費用がかかり、子供自身にも負担がかかるなら、学校だけできちんと学力をつけてくれる私立高の方が、効率的だと考えているのだ。


 公立学校は、保護者の学費負担が少ないといっても、実は子供一人当たり年間100万円前後の国民の血税が投入されている。決してタダではないのだが、「安かろう、悪かろう」というイメージが定着してしまって、敬遠されているのだ。


 あるいは中学校では、体育会系のクラブに所属すると、早朝7時からの授業前と、放課後の夜7、8時まで毎日練習、さらに土・日にも練習や試合が行われて体力を使い果たしてしまい、勉強をする時間や体力が無くなってしまうという実態もある。その後、夕食をとるひまもなく塾へやってきも、せっかくの授業に身が入らない子も多い。


 私も日々、子供たちの学習支援に携わっている一人であり、彼らの学力を上げるには、教える側にも忍耐力と高い指導能力が求められることを痛感し、悩み続けている。それでも、「分かった、分かる、自分でできる!」という自信が子供たちのやる気を引き出し、「勉強は楽しい」と感じて自ら学習に励むようになる姿をみると、苦労は吹き飛んでしまうのだ。


 どうか、日本の国力を上げるために大事な基礎となる国民の学力向上に、政府や政治のリーダー、そして学校の先生方は力と智恵と創意工夫を尽くしていただきたい。その大人たちのたゆまぬ努力が、子供たち一人ひとりの可能性を開き、将来の夢や理想を叶えるため大きな力ともなるのだから。   (大阪府大阪市)

2013年

10月

29日

居心地

2013年

10月

24日

非常事態宣言 辻 維周

濡れた衣服をドアに挟み、乾かしながら走るレンタカー。もちろん乗っている人間たちは全員上半身裸か水着だった。彼らには「レンタカーは借り物」、「道路は公共のもの」という意識が無いのだろうか
濡れた衣服をドアに挟み、乾かしながら走るレンタカー。もちろん乗っている人間たちは全員上半身裸か水着だった。彼らには「レンタカーは借り物」、「道路は公共のもの」という意識が無いのだろうか

 危惧していたイリオモテヤマネコの事故が、過去最悪の6件(死亡は5件)となってしまい、環境省はとうとう非常事態宣言まで出す事態になってしまった。ロードキルは住民も観光客も、意識を持たなければ根絶することはできない。しかし残念ながらその意識を持って運転している人は、非常に少ないと言わざるを得ないのが現状である。


 新空港開港以来、観光客はうなぎ上りに増えていると言う。そのおかげで観光産業は潤い、島には活気が戻って来ているように見受けられる。これはこれで結構なことなのではあるが、観光客の分母が増えると、その分、質の悪い観光客も増えてくるのはどこの観光地でも同じこと。


 上半身裸でコンビニに寄る観光客、海で濡れた衣服をドアに挟んで乾かしながら走るレンタカー、タトゥーを見せびらかして歩く若者、ゴミを平気でポイ捨てする者、レンタカーを暴走させて重大事故を起こすもの、人間や天然記念物が道路にいる事など意識せずに、身勝手な追い越し違反や速度違反を日常的に行うもの等々、枚挙にいとまがないほどである。先ほど書いたように、この現象は石垣だけにとどまらず、富士山や三陸海岸など、観光客が急増したところでは、同じ問題が噴出してきている。


 しかし特にLCC就航で敷居が低くなってきた石垣の観光客の質の低下は目を覆わんばかりであり、このまま行くと、本当に島を楽しもうとしている良質の観光客がリピートしなくなる懸念がある。


 さらに島自体のインフラが観光客の急増に追い付かず、ガイドブックや口コミで評判の良いレストランや食堂などは、「客で溢れていて入れない。もう二度と来ない」とか、リピーターや市民からは「以前の味とは全く違ってしまい、まずくなった。忙しすぎて手が回らないのか」などと言う手厳しい声も聞こえてくる。


 また市街地の渋滞も常態化し、交通事故も急増しており、市民生活にも影響が出始めている。海難事故も昨年の3倍を超え、このまま行くと過去最悪を記録することは間違いないだろう。


 もういい加減、数字だけを追いかけるのは止めて、質の良いリゾート地を目指さそうではないか。そのためには顧客満足度の調査を、可及的速やかに実施したほうが良いのではないだろうか。

2013年

10月

13日

中国の実態㊦ 兼次 映利加

講演する坂東忠信氏
講演する坂東忠信氏

 前回までに引き続き、浦添市での講演をもとに書いていきたいと思います。
 講師の坂東忠信氏(元警視庁刑事 北京語通訳捜査官)には『中国共産党による沖縄侵略の危機』という演題でお話をいただきました。

 

坂東氏は警視庁時代、中国人犯罪を1400件も扱っており、中国人の考え方や行動パターンを非常に熟知されています。あたたかい沖縄の風土や明るい気質が大好きで何度も沖縄に足を運んでおり、尖閣問題を抱える沖縄の現状を憂慮している一人でもあります。


 今回の講演では、この十月に着工予定の那覇市若狭に建てられるという龍の柱の例をとり、中国ビジネスのピンハネの常識や、なぜ中国人が短期間でひとつの場所に増加するのかなど、普段のわたしたちの考えからは予想もつかないようなお話をされました。(※龍の柱というのは、那覇市花とみどり課によると2012年の12月の議会で決定されたもので、建造目的は観光、友好都市である福州市との交流記念。立案者がはっきり明かされず、最も問題なのはその予算として一括交付金2億5千万が使われるというのに市民のほとんどがこの計画を知らないこと、工事のほとんどが中国への発注であるために地元にお金が還元されないことです。)何段階にもピンハネが繰り返されるため、できあがった建物には、かかった費用に見合う価値はないだろうということがわかります。


 「アパートの大家さんがいらしたら、注意してください。中国人に一部屋貸したら、いつの間にか建物全体が中国人だらけになっちゃったという件をいくつもみています。不法滞在や不法就労で警察のガサ入れが突然はいったらその後のアパート経営にも影響がでます。慎重に考えましょう。沖縄で独立論を唱えて中国にすり寄る人たちは一体何者でしょうか。友好都市や友好記念などの〝文化交流〟といっても生活に直結した問題になってきます。中国共産党に対し、香港では43万人、台湾では25万人という大きな規模で行われましたが、日本ではこのことは一切報道されません。日本のマスコミも異常な状態です」
 このようにわたしたちの生活に即したお話は大変わかりやすく、ゆっくりと日常に入り込んできている中国の危うさや日本のマスコミのおかしさを改めて認識した方も多かったようです。


 尖閣に最も近い八重山の皆さまには「今さら」という感じがするかもしれませんが、沖縄全体としては、中国に対する危機感がまだ足りないように感じます。明らかに領土拡大を意図している隣国の実態を知れば、安易に「米軍基地反対」、「琉球独立」とは言えないはずです。こちらは日中友好といって近づけば相手も悪いようにはしないだろうと考えますが、同じ考えが中国に通用するでしょうか。隠された実態を、もっと多くの人に知らせなくてはなりません。尖閣、八重山を手中に納めた人民解放軍が、やがて本島に上陸するときには、若狭湾から先述の〝龍の門〟を通って〝凱旋行進〟をするでしょう。中国にとって沖縄は、「もともと中国の領土」ですから、〝凱旋〟なのです。現状の沖縄をみると、そのような未来が現実になる日も遠くないと感じます。


 以前書きました通り、普天間基地の辺野古移設につきまして5万人の署名運動を継続しております。皆さまのご協力により多数の署名が集まっておりますが、あともう一歩です。皆さまのご協力が必要です。11月の締め切りまで残り時間もわずかとなりました。ぜひご協力いただけますよう098―867―4018(基地統合縮小実現県民の会事務所)までご連絡ください。またHP(http://辺野古移設署名.com/)も開設しております。切にお願い申し上げます。

2013年

10月

10日

中国の実態㊤ 兼次 映利加

講演するイリハム・マハムティ氏
講演するイリハム・マハムティ氏

 去る9月22日、浦添市のてだこホールで「侵略国家中国の実態と沖縄の危機」という講演会が行われました。講師として日本ウイグル協会のイリハム・マハムティ氏と、元警視庁通訳捜査官の板東忠信氏をお招きし、200名の方が来場されました。


 東トルキスタンと日本、両国の国歌に始まったこの会では、まず『中国共産党によるウイグル人虐殺の実態』というタイトルで、イリハム氏にお話をいただきました。ウイグルのクムル出身の同氏は、写真を用いて故郷の実情を語りました。「ウイグルの学生には宗教を信じてはいけないという禁止事項があります。ひげをたくわえている男性やスカーフをまとっている女性は、公共施設に入れないだけでなく、社会保険の手続きもできません」。


 以前書いたように東トルキスタンはイスラム教の国ですが、宗教を信じていると、わたしたちが当たり前だと思っている社会保障を受けることもできないのです。古来からの信仰や風習を捨てるということは容易なことではないとわたしは思います。それは脈々と続いてきた民族の連鎖を断絶するということを意味するからです。わたしたちには誰一人の例外なく父がいて母がいて、わたしたちの両親にもそれぞれ両親がいて、何代も何代も紡がれてきたご先祖さまとの繋がりがあります。


 突然目の前にあらわれた中国人に、「沖縄の宗教も風習も、方言も日本語も捨てて、中国共産党・毛沢東主席に感謝して従え」と言われたとき、わたしたちはそれを受け入れることができるでしょうか。といっても実際にその状況に直面したとき、できるかできないかは重要ではありません。なぜなら従わない者は容赦なく殺されるからです。また家族を養うために生きなければならない人々は、信仰や文化を捨てて、自由のない暮らしを強いられます。こうして固有の文化や共通の認識、また歴史や言語が消滅していくのです。


 イリハム氏はまた、「被爆国は日本だけではありません。トルキスタンでは何度も核実験が行われています」とも訴えました。度重なる弾圧だけでなく、東トルキスタンでは中国共産党による核実験が1996年までの間に46回も行われており、その被害者は129万人、死亡者は19万人といわれているのだそうです。人民解放軍がウイグルにきて60年あまりの間に何十万人もの東トルキスタンの人々が虐殺されています。


 最初に核実験が行われた1964年は、東京オリンピックが開催され、日本で最初の聖火上陸地として沖縄でも聖火リレーが行われました。我々だけでなく、世界中がオリンピックに沸いていたその影で、誰に告げ知らされることもなく被爆被害を受け続けてきた人たちがいたのです。


 すぐ隣の国で起こっている、このような現実を知らない人はまだ多いと感じます。しかしこの事実を知ったなら、まずは意識を変えなくてはいけないのではないでしょうか。どうしてイリハムさんは故郷や家族から遠く離れて、この日本の各地でこのような訴えを続けるのでしょうか。それは、世界のどこの国にもウイグルのようになってほしくないと願うからです。沖縄はとくに、中国の脅威を目の当たりにしています。氏は「ウイグルで起こったことは日本でも起こる」とも語られました。わたしたちが身を守るために必要なのは、隣国に対する知識を持ち、見識を備えることです。(つづく)

 

 中国の実態についてご興味をもたれた方は、インターネットからhttp://uyghur-J.org/japan/を訪れてみてください(紙面をお読みの皆さまには『日本ウイグル協会』で検索されるほうが簡単です)。
 また、講演会当日の資料をご希望の方には無料で送付いたしますのでfacebookで兼次映利加にメッセージをお送りくださるか、講演会の主催の沖縄対策本部http://blog.goo.ne.jp/jiritsukokkaまでお問い合わせ下さい。

 

2013年

10月

04日

明治元年、尖閣の西に境界線あり㊦ 国内航路上の尖閣諸島 伊井 茂 石井 望 赤染 康久

寛文航海書 「南方渡海古文献図録」(小林写真製版所)より 国立国会図書館蔵 レイシ(尖閣)から南南西に進むとヨナコ(与那国)に至る。
寛文航海書 「南方渡海古文献図録」(小林写真製版所)より 国立国会図書館蔵 レイシ(尖閣)から南南西に進むとヨナコ(与那国)に至る。

 江戸時代初期の「寛文航海書」に、長崎~与那国~ルソン間の朱印船航路で尖閣を記載していたこと、及び1787年にラペルーズ船長が台湾東方の全島嶼は那覇を首府とし、尖閣もそこに属するとの趣旨を述べていたことは、本紙9月29日付既報の通り。いずれも台湾東岸航路が背景にある。


 台湾東岸航路上の離島の一つ「蘭嶼」(らんしょ)は、16世紀末から「たばこしま」と呼ばれていた。17世紀の西洋製の古地図・古書でも「Tabako-Sima」「Tobaco-Xima」などと表記される。そして1837年に台湾東岸を北上したモリソン号の航海日誌によれば、たばこしまは日本語「しま」の最南端なので、日本の影響の及ぶ極限地かも知れないと述べる。蘭嶼は隣の緑島としばしば混同されるので、本紙既報の明治元年の図で緑島まで日本の範囲に入れたのは、モリソン号の報告などに由来すると考えられる。


 ついで1845年、英国軍艦サマラン号も台湾東岸を北上した。その航海日誌の序文では、英国全権使節の禁令で広東以北のいかなる清国領土にも近づくことを禁じられ、転じて遠洋の離島に関心を向けたと述べる。その上でサマラン号は尖閣諸島を測量した。尖閣を清国国境外とみなしていたことは明らかである。


 全権使節がわざわざ禁じたのはなぜか。それはアヘン戦争後の南京条約(1842年)で開港地を定め、英軍の退却を約したからである。かりに尖閣が清国の島であれば、英国軍艦による測量は早くも条約違反として問題となる。

 

 1848年2月5日のロンドン「エコノミスト」週報には、サマラン号について報道があり、清国国境への接近を禁じられたことも紹介されている。サマラン号の全測量が国境の外であったことは当時ひろく知られるに至ったと分かる。但し中華人民共和国政府は元々南京条約無効を主張しているので、「英軍が無効の条約を利用して勝手に尖閣を測量した」と反論する可能性はある。いずれにしろ英国が尖閣を清国外とみなしたことだけは確かである。


 尖閣航路の認識は、福州~那覇間の東西方向系統ばかりが従来から有名だが、台湾東岸を経由する南北方向系統も古くからあった。東西航路の尖閣は琉球国と中国との中間の無主地だったが、南北航路の尖閣は、与那国と長崎との中間の無主地である。琉球国が日本に併合されて以後で言えば、日本国内から日本国内への航路上の無主地である。


 明治28年の編入に向かう尖閣前史のドラマは、かくも長い。朱印船のルソン貿易以後、ラペルーズ船長、モリソン号、サマラン号など配役よろしきを得て、明治元年の線引きを以て我が最終幕にすすむ。西洋人も中国人も全て脇役であり、主役は沖縄を含む日本であった。我々はこの歴史を愛惜し、ひろく世界に知らせよう。(文責・伊井 茂)(終)

 

【著者紹介】
 ▽伊井茂・ビジネスコンサルタント。尖閣情報をインターネットで発信中。
 ▽いしゐのぞむ・長崎純心大准教授、漢文学専攻。
 ▽赤染康久・東京大理学部助教、生物学専攻。