2015年

5月

17日

復帰の先に明るい未来 兼次 映利加

 初めての寄稿、「日本を守る沖縄へ」を書いてから、まる二年が経ちました。
 二年前、2013年5月15日は、琉球民族独立総合研究学会立ち上げの日であり、沖縄の祖国復帰の日でもあります。終戦後二十七年の異民族支配からようやく抜け出し、母なる日本に帰った日。占領統治下の沖縄からは、高校球児が甲子園に出場することが出来ても、球場の土を記念に持ち帰ることが出来ずに涙をのんだとききます。また米軍統治下では、沖縄県民が被害者となった事件や事故が正当に扱われない事も多く、「我々県民は人間だと思われていなかった。車に轢かれても、家畜が轢かれたのと同じ程度の認識だった」という話もききます。

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2014年

9月

16日

基地問題は民族差別ではない 兼次 映利加

 〝差別〟という言葉を調べると、その中には「偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。」(三省堂・大辞林)とあります。身近に思い浮かべる差別には、アメリカやヨーロッパで長年続いた黒人差別を始めとする人種差別、インドなどのイスラム圏に未だに色濃く残る階級差別、そして食文化に対する差別もありますし、男尊女卑などの考え方も一種の差別でしょう。沖縄では、ほとんど感じることはありませんでしたが、日本にも大きな問題として部落差別などがありました。


 先日、「基地問題は民族差別」という記事を読みましたが、基地・自衛隊の配備と民族差別は全くの別物です。この二つを結び付ける事には、隠された意図があるように思えて仕方がありません。誰の、どのような意図でしょうか。それは沖縄が独立をして喜ぶ人の、琉球独立のための県民煽動計画です。では、沖縄が独立をして喜ぶのは誰でしょうか。尖閣問題で多くの県民は気が付いています。日本の一つの地域である沖縄が、防衛力も、経済力も、科学技術も保たないままに独立をした場合、中国は西沙諸島・南沙諸島と同じく沖縄の島々を占拠するでしょう。それに必要な時間は一日も無いはずです。そして不法占拠ならまだしも、我々もといた日本語を話す日本人の人権は一瞬にして崩壊します。それはチベットや、東トルキスタンを見れば簡単に想像がつく事であり、廃藩置県で琉球から日本の統治に変わったことや戦後の米軍統治と比較になるようなものではありません。


 そうした中国共産党の思惑に関係無く、沖縄の独立を願う県民ももちろんいるのだろうと思います。なぜ沖縄が差別を受けていると感じ、アメリカや日本政府に異常なまでの反感を持っているのでしょうか。それは一つには、王国時代に沖縄が一番豊かで栄えていたという歴史認識があり、逆に明治政府によって沖縄は虐げられたのだという認識があるからだと思います。しかし必ずしもそうではありません。沖縄は貿易時代に栄華を極めた一方で、身分の差や男女の別によって学校に通えない人が多く、当然識字率も低かったのです。それが、明治政府の教育制度の徹底によって、どの家庭の子どもも学校に通えるようになりました。それは王国時代に利益があった一部の人にとっては特権を一つ失い、多くの庶民にとっては大変喜ばれた事の象徴的な例だと思います。


 かつての欧米がアジアやアフリカを植民支配し、人々を奴隷として搾取していた時、その土地に学校を作り教育を施す事は決してありませんでした。それは、教育によって先住民族が言葉や文字を交わして結束したり、知識を得ることによって技術や産業を持つことを恐れたからです。あくまで奴隷にしかすぎなかった人々が、〝教育〟によって統治者の立場を脅かす存在になる事を欧米人は知っていたのです。ところが日本国は、沖縄を含む日本国内のみならず、一時期統治した台湾やパラオでも学校を作り、どんな人にも分け隔てなく教育を施しました。差別し、虐げようという支配者の心理とは真逆で、「共に栄えましょう」としてきたのです。


 琉球王国に懐古する気持ちの強い人や、廃藩置県によってそれまでの特権を失ったという意識のある方には、日本に被害を受けたという思いもあるのかもしれません。しかしそのような被害者意識が、新たな民族問題を招くことになるのです。


 日本政府が本当に、沖縄に対して差別をしてきたのなら、沖縄の現在の発展はありません。私は東京に来て、むしろ沖縄県民の「大和人差別」を感じました。背景にさまざまな歴史があるのは知っています。しかしむやみやたらに「差別をされている」と訴えたり、また他の人を差別したりすることの大きな問題は、それによって本当に果たすべきことを見失ってしまうことです。


 本土と沖縄に民族差別問題は存在しません。ありもしない差別問題を訴えている間に、外敵は一歩一歩と近付いてきます。私たち沖縄に生まれた者が本当に果たすべきことは、「おきなわ」の名の通りに、県民と本土の人を包む大きな輪をつくることです。そうしてあらゆる困難を乗り越えて、受け継がれてきた土地と文化を守り、先人への尊敬と感謝の念を子どもたちの心に育むこと、沖縄の未来を明るくすることです。

2014年

5月

24日

祝福の日 兼次 映利加

沖縄の祖国復帰を祝うパレード(東京文京区)
沖縄の祖国復帰を祝うパレード(東京文京区)

 五月十八日、東京文京区で沖縄県祖国復帰42周年を祝う大会とパレードが行われました。集会には200名近い参加者が集い、登壇者は口々に祝福の言葉を述べて記念すべき『5月15日』に心をひとつにしたのです。沖縄祖国復帰のために陳情団の一員として尽力された仲村俊子氏(九十一才)は、吉田松陰の歌を引用して次のように語りました。


 「親思う心にまさる親心。沖縄はあのときアメリカに里子に出されたようなものでした。里子に出された我が子が返ってきたときに、一番喜ぶのは親(日本国)ではないでしょうか。復帰38周年から、沖縄県だけで復帰のお祝いをしてきましたが、本当は一番親にお祝いしてもらいたいんです。」


 こみあげる熱い思いにたえられず、多くの参加者が共に涙しました。
 復帰記念イベントが沖縄本島で催されたばかりであるのに、改めて東京の中心で祝賀大会及びパレードを行う意義はここにあります。


 つまり、一度敗戦によって母なる国と分離されてしまった沖縄が、様々な困難を乗り越えて再び祖国にかえったことは、我々県民にとっては限りないよろこびでした。そしてそれは同時に国家の慶びでもあったはずなのです。


 「日本の復興と高度経済成長から取り残されるのではないか」という不安と不条理に耐えた県民と、祖国防衛のために命を賭した特攻隊の家族や同胞、そのような日本国民が涙の谷を渡って辿り着いたのが「祖国復帰」という名の彼岸です。


 いま一度この歴史を全国で見つめ直すべき時がきています。
 中国が尖閣沖を平然と荒らし、「沖縄は中国固有の領土だ」と主張するなかで、日本ははっきりと言い返すことができずにいます。


 わたしたち一人一人が、日本と沖縄の絆-親子の深い絆-を我が事として心に留めておかなければ、先人の努力も虚しく、我が国は再びいとも簡単に引き裂かれてしまうでしょう。
 本土と沖縄は、海洋によって隔たれているのではなく、海洋によって結ばれています。


 「わたしたちはひとつなんだ」という思いを共有する機会として、この祝福の日がいつか〝国民の祝日〟となることを願います。

2014年

5月

12日

祖国復帰記念式典に寄せて 兼次 映利加

 42年前の5月15日、わたしたちの沖縄は戦後のアメリカ統治から離れ、祖国日本へと復帰を果たしました。
 戦後、固い絆で結ばれた親と子を分かつように祖国と沖縄は引き離され、我々県民は「祖国(親)に見捨てられたのではないか」「他県(兄弟)に置いてけぼりにされるのではないか」という大きな不安に苦しみました。
 「復帰に際しては、全ての基地をなくしてほしい」と願った県民もいたでしょうし、「今ドルから円に変わっては、せっかく貯めたお金の価値がうんと下がってしまうなぁ」と悩んだ県民もいたでしょう。生活がかかっている当時の地元の人々にはそれぞれの思いがあったものの、それでも誰一人として闘争に命を奪われることなく、故郷沖縄が祖国に帰ることができたのは、全県民が喜ぶべき悲願成就の瞬間でした。

 

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2014年

3月

21日

県民の望まない〝琉球独立〟 兼次 映利加

 わたしたちのふるさと沖縄は、日本中、世界中から愛される島の連なりです。
 県外ではわたしが沖縄出身だと話すと、それだけで会話がスムーズになります。また島では寒い時期にも関わらず、様々な国からの観光客が海ではしゃいでいます。島を出てみて、また帰る度に、「人々に愛される島をふるさとに持ったわたしはなんて幸せなんだろう」と思います。


 沖縄はこの美しい自然と、それに育まれた魅力たっぷりの独自の文化を国内・海外へどんどん発信し、発展の新しい成功モデルを築くことも可能なのです。

 

 しかしその一方で、おしとどめなくてはならない不穏な動きがあります。それは県民の望まない〝琉球独立運動〟です。

 

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2014年

3月

05日

韓越混血児―ライダイハン 兼次 映利加

 韓国は、アメリカなどの各地に慰安婦像を建て、フランスの漫画祭で反日漫画を公開するよりも先に、ベトナムの人々に謝罪をするべきです。


 明確な根拠のない河野談話にすがり、長年日本に謝罪と賠償を求めている韓国ですが、ベトナム戦争で現地に派兵をし、当時軍がベトナムの民間人に対して行った略奪、強姦、虐殺の事実について韓国政府は一切謝罪も賠償もしていません。

 

 

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2014年

2月

24日

我ら日本人㊦ 兼次 映利加

 前述のようにあやふやな証言をもとに、河野談話というものが1993年に発表されました。矛盾だらけの証言を政府の要人が認めたために、談話から20年以上後の世に生きる日本の子どもたちは、外国で謂れ(いわれ)無きいじめを受けることとなっています。


 各地でグレンデールのような像や碑が建てられているとはいえ、この沖縄・宮古島にも建立を許してしまったことは、わたしたち県民も間接的に海外に生きる日本の幼い心を傷つけているといえるのではないでしょうか。

 

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2014年

2月

23日

我ら日本人㊥ 兼次 映利加

宮古島市に建てられた慰安婦の碑。「日本軍はアジア太平洋の11の植民地から連行した少女・女性に性奴隷として生活することを強いた」と書かれている。
宮古島市に建てられた慰安婦の碑。「日本軍はアジア太平洋の11の植民地から連行した少女・女性に性奴隷として生活することを強いた」と書かれている。

 2008年に我が沖縄、宮古島でも〝慰安婦の碑〟が建てられ、この問題は他人事ではなくなってきました。
 この慰安婦の碑はあたかも「宮古島市」もしくは「沖縄県」が建立したかのような案内板まで設置されています。〝日本軍はアジア太平洋の11の植民地から連行した少女・女性に性奴隷として生活することを強いた〟と書かれています。


 本当にわたしたちの父祖は、これにあるような鬼畜のごとき所業をしたのでしょうか。県出身の池間哲郎氏(NPO法人アジアチャイルドサポート)は、著書『日本はなぜアジアの国々に愛されるのか』で、当時欧米列強に植民地支配されていたアジア各国が、日本にどれだけ勇気と希望を与えられたかを著しています。

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2014年

2月

22日

我ら日本人㊤ 兼次 映利加

 「お母さん、日本の名前で呼ばないで。話しかけるときは英語で話して」アメリカに住む日本人の子どもの悲痛な叫びです。
 わたしたちのかわいい子どもたち。なぜ日本人であることを隠さなくてはならないのでしょうか。お母さんの気持ちを想像すると胸が痛みます。
 昨年七月、カリフォルニア州グレンデール市の市立公園に、従軍慰安婦の像が建てられました。碑文には「I was sex slave of Japanese military.(わたしは日本軍の性奴隷でした)」と書かれています。人口19万4千人のうち、韓国人が1万2千人以上もいるのに対し、日本人は100人ほどしかおりません。公園に建てられた慰安婦像は年齢も人種も関係なく、多くの人の目に触れます。子どもたちがこの碑文を見たらどう思うでしょうか。

 

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2014年

2月

06日

反日イデオロギーから街を守れ㊦ 兼次 映利加

 表1は、2002年から2014年までの、計4回の名護市長選挙の結果をまとめたものです。


 それぞれ、有権者・投票者の人数と投票率が数字にあらわされており、表の右側の「賛成派」と「反対派」の数は、基地受け入れに反対の候補者と、賛成の候補者に投じられた票の数をあらわしています。


  まず一番わかりやすいのは選挙毎に有権者の数が伸び続けていますが、この不自然さはグラフ1を併せてみるとよくわかります。人口が増えるのとほぼ同じ数で有権者数が増えているのです。全国的にも地方の過疎化がさけばれるなか、名護では子供ではなく大人が増え続けています。

 

 

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2014年

2月

05日

反日イデオロギーから街を守れ㊤ 兼次 映利加

 米軍基地の辺野古移設を大きな争点とした名護市長選挙から二週間が過ぎました。


 今回は長くなりますので結論を先に書いておきたいと思います。
 名護は、一部のイデオロギーを持つ人々によって街全体が利用され続けています。


 選挙期間中、連日候補者の選挙カーが行き交い、それぞれの支援者が旗を持って応援や協力に走り回る様子は熱過ぎる選挙戦を物語っていました。


 選挙結果は、辺野古移設に反対の立場をとっている稲嶺進氏が、推進派の末松文信氏に約4000票の差で勝利し、名護には二期連続で基地受け入れ反対の市長が誕生したのですが、これは現地でわたしが感じていたのとは全く違った結果でした。

 

 

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2013年

12月

17日

フェンスクリーンプロジェクト 兼次映利加

 米軍基地周辺でフェンスを汚したり琉球独立を訴える人が沖縄に何人いて、愛国心ある県民が実際に何人いるのか、数えることはできませんが、フェンスを汚す人もそれを清掃する人も、同じ日本人のはずです。(一部には中国語やハングル文字を使う人がいるようですが、中心となっているのは基本的には日本人だと思います)


 どんな理由があったとしても、自分がされて嫌なことを他の人にするのは間違った行いです。フェンスにテープを巻く人は、「これは抗議です、県民の気持ちをここに表しているんです」と言うかもしれません。


 でもそのフェンスの向こうにも、与えられた仕事を全うしようと日々奮闘している人がいるのです。そしてなんとその〝仕事〟というのは、万が一の〝日本の有事の際には日本人を護る〟こと、またそのために〝日々体を鍛え、機械を整備したりすること〟なのです。有事というのは〝戦争〟だけではありません。2年前の東北の震災のときには沖縄からかけつけた米軍の方々がいち早く駆けつけ、多くの被災した日本人を救出してくれました。


 日本の自衛隊もそうですが、彼らは「誰かを助けたり、危険から護ったりするために訓練を重ねること」を職業としているのです。毎日毎日体を鍛え続けるというのは、本当に大変なことです。筋トレや持久走が苦手なわたしには、想像するだけでめまいがします。


 もしこの仕事を引き受けてくれる人がいなかったらどうなるのでしょうか。例えば大地震が発生したとき、長時間がれきに埋もれようが、わたしたちは自力でそこから這い出さなければいけません。けがをした体で、病院までたどり着くことができるでしょうか。また例えば尖閣の領有権を主張している中国との間に、本格的な争いが起こった場合、わたしたちはそれぞれ自分の力だけで身を守らなければいけないのです。幼い家族はどうなるのでしょう。


 フェンスにガムテープを巻き付けたり、ゴミを投げ入れたりするのは「抗議」ではありません。ましてやそのガムテープの中に、ガラス片を仕込んだり、フェンス周辺で用を足したりするというのは、悪意に満ちた単なる嫌がらせです。


 「基地のない平和な沖縄を」と叫ぶ人達がこのような嫌がらせを続けて、沖縄から米軍を撤退させることに成功したとしたら、米軍撤退と同時に西沙諸島、南沙諸島を占領した中国は喜び勇んで沖縄へ侵攻するでしょう。
 そしてその時には、フェンスに嫌がらせをした人、清掃した人、何もせずに眺めていた人、どの人も「日本人」として等しく悲惨な運命を辿ることになるのです。


 今フェンスクリーンをしている人達は、そんな事態を遠ざけようと日曜の早朝から額に汗して沖縄のために働いています。逆に嫌がらせをしている人は、自ら沖縄を危機に陥れようとしています。また無関心で黙って通り過ぎる人も、外患誘致に加担しているのと同じではないでしょうか。わたしたちは皆それぞれ、今おかれている状況の中で、沖縄を護るためにできることがあると思います。一緒に沖縄を護りませんか。

2013年

12月

03日

基地移設推進の署名大会に思う 兼次 映利加

 11月24日、那覇市のパシフィックホテルで「基地統合縮小実現県民の会」の大会が行われ、移設推進の署名が沖縄県だけで7万3491筆集まったことが報告されました。つい27日に県庁に提出された辺野古埋め立て反対の署名(海外からの協力を含め3万9千筆)をはるかに上まわる数字です。


 これまで沖縄のメディアや一部の政治家は、「県外移設こそ県民の総意」と軽々しく唱えていましたが、現実はそうではないことがまた明らかとなりました。


 大会には400名の参加者と県内外のメディア16社、発足会にも足を運んでくださった中山恭子参議院議員をはじめ、砥板石垣市議、平安座もと宜野湾市議、松田神奈川県議など県内外から多くの政治家の皆さまも来場されました。


 たった三ヶ月でこれだけの署名を集めたということには、活動を支えた方の相当な努力と忍耐を要したと思います。毎週土日には街頭に立って協力を呼びかけ、ときには反対する方からの妨害にあったりしながらも、当初の目標であった5万を超える数を集めたのです。


 また街頭に立つことはできなくとも、支援者はそれぞれにできることに尽力しました。関係した全ての方の志に敬意と感謝の気持ちでいっぱいです。


 署名は確かに「県民だけで7万3491筆」ですが、わたしはこの署名活動を通して、日本中が一丸となって力を結集している様子を目の当たりにしました。


 署名協力の前提である「基地移設の目的は、普天間近隣住民への危険性の排除であり、同時に面積の縮小でもあること。また返還後の基地跡地では地域振興のための有効活用が可能であること」この重要なポイントを地元沖縄県民に啓蒙するのには、県内有志のみならず、九州、関西、首都圏、東北からも応援の声があったのです。


 署名活動はこれからも継続され、知事の移設承認への後押しとなることでしょう。このことは、県民が自ら沖縄のあり方を考え、豊かな未来へと進む一歩となったことを確信しています。

2013年

10月

13日

中国の実態㊦ 兼次 映利加

講演する坂東忠信氏
講演する坂東忠信氏

 前回までに引き続き、浦添市での講演をもとに書いていきたいと思います。
 講師の坂東忠信氏(元警視庁刑事 北京語通訳捜査官)には『中国共産党による沖縄侵略の危機』という演題でお話をいただきました。

 

坂東氏は警視庁時代、中国人犯罪を1400件も扱っており、中国人の考え方や行動パターンを非常に熟知されています。あたたかい沖縄の風土や明るい気質が大好きで何度も沖縄に足を運んでおり、尖閣問題を抱える沖縄の現状を憂慮している一人でもあります。


 今回の講演では、この十月に着工予定の那覇市若狭に建てられるという龍の柱の例をとり、中国ビジネスのピンハネの常識や、なぜ中国人が短期間でひとつの場所に増加するのかなど、普段のわたしたちの考えからは予想もつかないようなお話をされました。(※龍の柱というのは、那覇市花とみどり課によると2012年の12月の議会で決定されたもので、建造目的は観光、友好都市である福州市との交流記念。立案者がはっきり明かされず、最も問題なのはその予算として一括交付金2億5千万が使われるというのに市民のほとんどがこの計画を知らないこと、工事のほとんどが中国への発注であるために地元にお金が還元されないことです。)何段階にもピンハネが繰り返されるため、できあがった建物には、かかった費用に見合う価値はないだろうということがわかります。


 「アパートの大家さんがいらしたら、注意してください。中国人に一部屋貸したら、いつの間にか建物全体が中国人だらけになっちゃったという件をいくつもみています。不法滞在や不法就労で警察のガサ入れが突然はいったらその後のアパート経営にも影響がでます。慎重に考えましょう。沖縄で独立論を唱えて中国にすり寄る人たちは一体何者でしょうか。友好都市や友好記念などの〝文化交流〟といっても生活に直結した問題になってきます。中国共産党に対し、香港では43万人、台湾では25万人という大きな規模で行われましたが、日本ではこのことは一切報道されません。日本のマスコミも異常な状態です」
 このようにわたしたちの生活に即したお話は大変わかりやすく、ゆっくりと日常に入り込んできている中国の危うさや日本のマスコミのおかしさを改めて認識した方も多かったようです。


 尖閣に最も近い八重山の皆さまには「今さら」という感じがするかもしれませんが、沖縄全体としては、中国に対する危機感がまだ足りないように感じます。明らかに領土拡大を意図している隣国の実態を知れば、安易に「米軍基地反対」、「琉球独立」とは言えないはずです。こちらは日中友好といって近づけば相手も悪いようにはしないだろうと考えますが、同じ考えが中国に通用するでしょうか。隠された実態を、もっと多くの人に知らせなくてはなりません。尖閣、八重山を手中に納めた人民解放軍が、やがて本島に上陸するときには、若狭湾から先述の〝龍の門〟を通って〝凱旋行進〟をするでしょう。中国にとって沖縄は、「もともと中国の領土」ですから、〝凱旋〟なのです。現状の沖縄をみると、そのような未来が現実になる日も遠くないと感じます。


 以前書きました通り、普天間基地の辺野古移設につきまして5万人の署名運動を継続しております。皆さまのご協力により多数の署名が集まっておりますが、あともう一歩です。皆さまのご協力が必要です。11月の締め切りまで残り時間もわずかとなりました。ぜひご協力いただけますよう098―867―4018(基地統合縮小実現県民の会事務所)までご連絡ください。またHP(http://辺野古移設署名.com/)も開設しております。切にお願い申し上げます。

2013年

10月

10日

中国の実態㊤ 兼次 映利加

講演するイリハム・マハムティ氏
講演するイリハム・マハムティ氏

 去る9月22日、浦添市のてだこホールで「侵略国家中国の実態と沖縄の危機」という講演会が行われました。講師として日本ウイグル協会のイリハム・マハムティ氏と、元警視庁通訳捜査官の板東忠信氏をお招きし、200名の方が来場されました。


 東トルキスタンと日本、両国の国歌に始まったこの会では、まず『中国共産党によるウイグル人虐殺の実態』というタイトルで、イリハム氏にお話をいただきました。ウイグルのクムル出身の同氏は、写真を用いて故郷の実情を語りました。「ウイグルの学生には宗教を信じてはいけないという禁止事項があります。ひげをたくわえている男性やスカーフをまとっている女性は、公共施設に入れないだけでなく、社会保険の手続きもできません」。


 以前書いたように東トルキスタンはイスラム教の国ですが、宗教を信じていると、わたしたちが当たり前だと思っている社会保障を受けることもできないのです。古来からの信仰や風習を捨てるということは容易なことではないとわたしは思います。それは脈々と続いてきた民族の連鎖を断絶するということを意味するからです。わたしたちには誰一人の例外なく父がいて母がいて、わたしたちの両親にもそれぞれ両親がいて、何代も何代も紡がれてきたご先祖さまとの繋がりがあります。


 突然目の前にあらわれた中国人に、「沖縄の宗教も風習も、方言も日本語も捨てて、中国共産党・毛沢東主席に感謝して従え」と言われたとき、わたしたちはそれを受け入れることができるでしょうか。といっても実際にその状況に直面したとき、できるかできないかは重要ではありません。なぜなら従わない者は容赦なく殺されるからです。また家族を養うために生きなければならない人々は、信仰や文化を捨てて、自由のない暮らしを強いられます。こうして固有の文化や共通の認識、また歴史や言語が消滅していくのです。


 イリハム氏はまた、「被爆国は日本だけではありません。トルキスタンでは何度も核実験が行われています」とも訴えました。度重なる弾圧だけでなく、東トルキスタンでは中国共産党による核実験が1996年までの間に46回も行われており、その被害者は129万人、死亡者は19万人といわれているのだそうです。人民解放軍がウイグルにきて60年あまりの間に何十万人もの東トルキスタンの人々が虐殺されています。


 最初に核実験が行われた1964年は、東京オリンピックが開催され、日本で最初の聖火上陸地として沖縄でも聖火リレーが行われました。我々だけでなく、世界中がオリンピックに沸いていたその影で、誰に告げ知らされることもなく被爆被害を受け続けてきた人たちがいたのです。


 すぐ隣の国で起こっている、このような現実を知らない人はまだ多いと感じます。しかしこの事実を知ったなら、まずは意識を変えなくてはいけないのではないでしょうか。どうしてイリハムさんは故郷や家族から遠く離れて、この日本の各地でこのような訴えを続けるのでしょうか。それは、世界のどこの国にもウイグルのようになってほしくないと願うからです。沖縄はとくに、中国の脅威を目の当たりにしています。氏は「ウイグルで起こったことは日本でも起こる」とも語られました。わたしたちが身を守るために必要なのは、隣国に対する知識を持ち、見識を備えることです。(つづく)

 

 中国の実態についてご興味をもたれた方は、インターネットからhttp://uyghur-J.org/japan/を訪れてみてください(紙面をお読みの皆さまには『日本ウイグル協会』で検索されるほうが簡単です)。
 また、講演会当日の資料をご希望の方には無料で送付いたしますのでfacebookで兼次映利加にメッセージをお送りくださるか、講演会の主催の沖縄対策本部http://blog.goo.ne.jp/jiritsukokkaまでお問い合わせ下さい。

 

2013年

8月

27日

辺野古移設に5万人の署名を 兼次 映利加

 8月18日、宜野湾市JAジュビランスにて、「基地統合縮小実現県民の会結成式」が執り行われました。中山恭子参議院議員(維新の会)をはじめ、西銘恒三郎衆議院議員(自民党)、地方議員、一般の来場者、あわせて250人が会場をうめつくしました。


 中山恭子議員は、平成14年に内閣官房参与に就任して以降、拉致問題の最前線で取り組んでこられた政治家の一人で、11年前5人の拉致被害者が日本に帰国したとき、彼らを北朝鮮から連れ帰ってこられた方です。


 当時わたしは高校生で、テレビで曽我さんや蓮池夫妻が飛行機のタラップを降りてくるシーンを何度も見ましたが「こんな奇跡みたいなことがあるんだなぁ」ととても感慨深く思ったのを覚えています。そのときのことが印象に残っている方も多いのではないでしょうか。


 さて、この「基地統合縮小実現県民の会」では、普天間基地の辺野古移設を促す五万人の署名活動を行うという方針がうちだされています。単に「普天間基地を名護市辺野古へ」というと、辺野古の環境をかえりみない冷たい言葉のようにきこえるかもしれませんが、一体これはどういうことでしょうか。


 会長の中地昌平さんは挨拶の中でこのようにおっしゃいました。「平成8年9月に当時の橋本総理大臣とクリントン米大統領が移設に合意をして17年、普天間基地の移設は進展していません。この合意の目的は、『基地周辺の危険性の除去』と、『近隣住民の負担の軽減』でありました。今なお実現できずにいるのはメディアや議員の強硬な〝県外移設要求〟が原因の一つではないかと思います。〝いつ〟、〝どこへ〟という具体的な移設候補地との交渉もなく県外移設を訴えるのは無責任ではないでしょうか。今移設が実現しなければ、実質的な普天間基地の固定化につながりかねません。」


 つまり、移設の目的はあくまで地域住民に対する危険を取り除くことと、住民の生活をより過ごしやすくすることであったのに、『県外移設』にこだわることによって逆に我々県民は基地の固定化を招いているということを問題と捉えているわけです。


 実際に20年近く進展がないということは、もめている間に10年先も20年先も普天間は返還されず、近隣住民は危険と隣り合わせの生活をこの先も続けていかなくてはならない…。そんな可能性が現実にあるのです。


 また「基地統合縮小実現県民の会」によると、日米が合意した辺野古移設計画では、普天間基地の面積が480ヘクタールであるのに対し、移設後は160ヘクタールとなり、現在の約3分の1まで面積を縮小することができます。そして米軍基地の7割が沖縄に集中しているとよく言われておりますが、自衛隊との共用面積を含めると実は全体の26%なのだということも、県民としては併せて知っておいた方が良いでしょう。


 この「26%」は決して少なくありませんが、地政学上沖縄がいかに大事な場所であるかを考えると、妥当な数字なのかもしれません。
 米軍基地や自衛隊は、普段の生活で言えば警察のようなものです。わたしたちの平和で安全な暮らしを守るのに必要なものなのです。
 そのように考えると、これを県外に排除しようとする動きが何を意味するのか、良識ある県民の皆さまにはもうおわかりのことと思います。


 警察のいない無法地帯で、わたしたちの生活は安全を保てるでしょうか。
 県民の生活を守りつつ、負担を軽減させ、なおかつ日本の防衛ラインも護ることができる辺野古移設案は、今のわたしたちにとって最善の選択肢だと、わたしは思います。
                             (東京都)

2013年

8月

15日

琉球独立に潜む罠 ㊦ 兼次 映利加

 チベットでは今も多くの僧侶たちが焼身自殺を図り中国の弾圧に抗議をしていますが、その訴えもむなしく状況が好転することはありません。沖縄がそのようになってからでは遅いのです。


 独立を主張するならば、軍事力(防衛能力)を持たないこの小さな島がどのように独立を維持していくのかということまで具体的に示すべきでしょう。有事に際して「想定していなかった」と言い逃れて済むことではありませんし、今生きているわたしたちの決断は、未来に生きる子や孫の運命を分けるものになるからです。純粋な気持ちで、「力を持たなければ平和が訪れる」「力を放棄すれば仲良くできる」と信じる人のけがれなき思いは、調和の取れた社会においては喜ばれ、尊敬されるべきものだと思います。しかし今沖縄をとりまくのは調和とはかけはなれた世界なのです。わたしたちは楽園の夢から目覚めなければなりません。


 祖国やアメリカに対する恨みがましい言葉を並べるのではなく、『琉球独立』の四文字に、〝愛する沖縄がウイグルやチベットのようになる可能性が秘められている〟ということこそ県民にひろく周知しなくてはならないことです。今まさに悲運を辿っている国々の現実を知ってなお、「沖縄は独立をしたほうが良い」と思える人は一体どれぐらいいるでしょうか。我が子に悲惨な人生を歩んでほしいと願う親はいないはずです。


 中国に弾圧を受けている国々には共通する点がいくつかあります。中でも注意したいのは、〝侵略の直前には、内部から外敵を招く運動が起こっていた〟という点です。沖縄の独立運動は、当事者たちの真意に関わらず、それと同じことなのです。


 冒頭の会の概要には、「日米によって奴隷の境涯に追い込まれた琉球民族は自らの国を創ることで、人間としての尊厳、島や海や空、子孫、先祖の魂(まぶい)を守らなければならない」という一文があります。わたしたちは確かに守るべき多くの財産に恵まれています。そしてその財産を守る力は「知る」ことによって与えられます。歴史をよく知ることです。知は力なり。知識と情報は最大の武器です。無知によって祖国を失うよりも、知によって人間としての尊厳を守りましょう。(東京都)

2013年

8月

14日

琉球独立に潜む罠 ㊤ 兼次 映利加

 『琉球民族独立総合研究学会』が2013年5月15日に設立されました。会の趣旨としましては、「日米の植民支配を受けている琉球民族が独立し、平和な社会を築くための討論と人材の育成を行う」というものです。


 果たして本当に沖縄が日米の植民支配を受け、搾取や略奪をされてきたのかということをひとまず置いて、〝沖縄が日本から独立をするとどのようなことが起こるのか〟ということを考えてみたいと思います。


 南シナ海の西沙諸島では、1973年にアメリカがベトナムから基地を撤退させた後、また南沙諸島では同じくアメリカがフィリピンから基地を撤退させた1992年以降、中国が軍による実効支配を強め、領土の拡大を図っています。


 チベットという、かつて独立した国家であったところも、1950年以降、軍事侵攻によって中国の一部とされました。


 東トルキスタンも同様です。東トルキスタンはチベットの北に位置し、モンゴル、ロシア、カザフスタン、インドなどの国々と国境をもつ、イスラム教を信仰する人々の国でした。目鼻立ちのはっきりとした、どちらかというと西洋風の容姿をもつ彼らは、明らかに中国人とは異なる民族です。現在そこは「新疆ウイグル自治区」と呼ばれ、中国の一部とされています。


 チベットと東トルキスタンでは、民族浄化といって、尊重されるべき人権は無視され、人々はあらゆる弾圧に苦しんでいます。女性は中国の都市部へ連れていかれ、漢民族の子を妊娠させられます。男性は財産や仕事を奪われ無給の肉体労働、子どもは誘拐され、売られていきます。売られた子どもたちがどのような運命を辿っていくのか、それはわたしたちの想像を絶するものです。


 このように近隣諸国への侵略を続けてきた国家と、我が沖縄は地理的に相対する立場にありますが、もし独立をした場合、領土拡大の意図を持って長年軍事力を増強し続けてきた隣国から独立を護持することができるでしょうか。
 一度侵略を許せば取り返しがつかなくなることは歴史をみれば明らかです。
                          (つづく)

2013年

5月

26日

弥勒世果報はどこに 兼次 映利加

 小学4年生の時、担任の先生が言いました。「みなさん、沖縄がアジアのなんと呼ばれているか知っていますか。知ってる人は手をあげて。沖縄はアジアの要石。キーストーンと言われています。だから、アメリカはここに基地を置いて、沖縄がほしいんです。」


 またこうも言いました。「普天間基地のある宜野湾市は、市の真ん中が基地につかわれて、ドーナツのようにぽっかりと穴が開いているので、市の南側から北側へ行くのに、つっきることができないから迂回しないと向こう側へ行けません。時間もかかるし、とっても不便です。」「子どもの時、歩いてると見えるんですよ、B29が飛んでいくのが。こわいですよ、これから戦争に行く戦闘機が、沖縄から飛んでいくんです。」


 わたしはそれから暫く、低空飛行をしているヘリコプターの音をきくと、戦火の沖縄が思い浮かび、その音をきいては怯えていました。「沖縄は要の石なんだ。基地がなければ普天間の人は不便をしなくてもいいのにな。」そう思ったクラスメイトは多かったのではないかと思います。


 先生の言葉をきいてから17年。宝石のように青く輝く海を湛えたわたしたちの島には、今も基地があり、反対の声もおさまりません。
 知識や情報が不十分な子どものうちに〝基地(戦闘機)=戦争=こわい〟という大きな恐怖心を抱いてしまった方には、基地の存在意義には議論の余地はないのだと思います。戦争を経験していないわたしが、ヘリコプターの音をきくだけで身がすくんだほどです。経験のある方には、考えるのも嫌なことだとわかります。
 嫌だけれども、沖縄に住む以上この議論は避けて通ることはできません。怒りや嫌悪に身を任せずに、考えなくてはならないのです。基地の駐留に賛成の人も、反対の人も、本来の願いは「平和」のはずです。


 武力とは、それ自体が悪いものではなく、行使する目的によって人を幸せにしたり、不幸にしたりするものです。
 力持ちのジャイアンは、のび太くんを殴っていじめることもできますが、その腕力が無ければ、崖から落ちそうなのび太くんを引っ張り上げて命を救うこともできません。
 今、この腕力を使って弱い者いじめをしている国があります。
 世界ウイグル協会の議長であるラビア・カーディルさんによると、中国は、はじめにウイグル自治区を設置したとき、「ウイグル人を自由にし、民族の文化を保護し、民族自決を保証し、宗教を尊重する」といいました。ところがこれらの約束はその後全て反故にされたのです。まず知識人、社会的地位のある人、宗教者が処刑の対象になりました。言論の自由・表現の自由・移動の自由を奪われ、やがて言語と宗教にも制限が及ぶようになりました。


 中国は琉球独立を支持・扇動し、沖縄を日本から解放した後は前述と同じように沖縄に自治区を設置するでしょう。そして同じように約束は反故にされ、家々にあるヒノカン様の神棚は破壊され、拝みをすると投獄され、それを訴える人がいれば容赦なく武力によって鎮圧されるのです。これが「平和」と言えるでしょうか。
 わたしたちが求め続けた弥勒世果報は、こんな世界ではないはずです。 

 (東京都)

2013年

5月

18日

最後の1人を救うまで 兼次 映利加

 「風は波を誘(いざな)い 波は寄せては返し 今日の希(ねが)いを 彼方へと運ぶ あなたが故郷(ふるさと)を 忘れていないように 私たちもあなたを 片時も忘れない だからどうか強く生き抜いて きっと救け出すから」


 これは北朝鮮による拉致被害者家族のために、ある支援者男性がつくった「あなたを忘れない」という歌の歌詞です。


 今回はわたしが学生の頃からボランティアで支援をしてきた、拉致問題について書いてみたいと思います。


 現在政府認定拉致被害者の数は17人(うち5人は帰国)となっています。そして昨年警察庁が公開したデータによると、北朝鮮に拉致された可能性が否定できない特定失踪者数は、868人(現在は864人)にのぼることがわかりました。この900人にも及ぶ方々にもそれぞれご家族がおられ、今も再会の希望を胸に日々を過ごしておられます。


 今から36年前の昭和52年11月15日の夕方、当時13歳の横田めぐみさんは、通っていた中学でのバドミントンの部活動を終えて帰宅する途中で拉致されました。


 増元るみ子さんの弟の照明さんは、お姉様が突然姿を消す直前に姉弟げんかをしたそうです。とうとう仲直りができないまま、35年の月日が経ってしまいました。


 1976年、金正日は工作員育成・養成のため、外国人を積極的に拉致する指令をだしました。日本だけでなく、韓国、中国、タイ、シンガポール等のアジア諸国、そしてアメリカ、フランス、イタリア、オランダ、レバノン、ルーマニア等の欧米諸国少なくとも14カ国が拉致の被害に遭っています。世界各国から、特に若者や子どもが拉致される事例が多かったのだそうです。


 北朝鮮による拉致というのは、特定の誰かを狙った犯罪であったとは限りません。


 あのとき、力ずくで無理矢理袋詰めにされ、真っ暗な闇のなか工作船で日本海を渡らなければならなかったのは、もしかしたら今ここにいるあなたや、あなたの愛する人だったかもしれないのです。


 彼の地に暮らす全ての日本人拉致被害者は、わたしたちと同じ「日本国家」という大きな家の、家族の一員です。わたしたちは大事な家族を不当に奪われ、それを知っていながら何十年もかけて、未だに取り戻すことができないでいます。この間に得たのは数百名のうちのたった5人と、偽の遺骨、そして十分な裏付けのない資料だけでした。


 わたしたちは故郷を忘れて、生きていくことができるでしょうか。親を忘れて、生きていける人がいるでしょうか。幼い我が子と引き離されて幸せのうちに生きていけるお母さんが、いるでしょうか。


 多くの方が、「拉致問題の解決は難しい」と感じていることと思います。けれども相手は国家をあげて略奪を続けてきたのです。日本も国家が総力をあげて立ち向かわねばなりません。わずかな政治家の力だけでは不十分です。残された家族の心を支えるのは、全国に住む全ての日本人です。そして拉致問題に対し前向きに取り組むことができる政治家を選んでいくということは、遠く離れたわたしたちにできる大きな支援です。


 11年前に5人とその家族が帰還したことは大きな進展でした。しかしいつまでもこの一点に満足してはおれません。北朝鮮にいる拉致被害者の、最後の一人を救い出すまで、静かな戦いは続くのです。         (東京都)

2013年

5月

09日

「日本を守る沖縄」へ 兼次 映利加

 進学のために那覇市から上京して、ちょうど10年が経ちました。ふるさとをとりまく環境は、わたしが沖縄に暮らしていた頃のそれとは全く異なるものになったと感じます。以前から問題であった米軍基地返還・移設問題、教科書採択問題、そして尖閣領海侵犯問題…。問題が解決しないうちに新たな問題が起こり、まさに山積状態です。


 「なぜ、悲惨な地上戦を経験した沖縄に基地が必要なのか」


 「なぜ、育鵬社の教科書が採択されたのか」


 「なぜ、中国の領海侵犯に機敏に対応しなくてはならないのか」


 これは県内外を問わず人々が抱く自然な疑問だと思います。かわいい我が子にこのような質問をなげかけられたときに、どれだけの大人がはっきりと答えることができるでしょうか。
 それは、自分の身を守るためであり、自虐史観から脱し子どもの尊厳を守るためであり、父祖が築いたこの土地を守るためです。


 社会生活において強盗事件が起こればわたしたちは警察を呼びます。しかし例えば沖縄の船が攻撃を受けたとき、あるいは島民が命の危機にさらされて自衛隊の助けが必要なとき、今の憲法では自衛隊を即座に出動させることはできません。実際にそのような事態に陥ったとき、わたしたちには解決の術がないのです。それは、大事な仲間や家族の危機を黙って傍観するしかないということを意味します。


 沖縄は平和を愛する島ですが、自衛隊や基地をなくせば平和が訪れるのでしょうか。平和を重んじ、武力を持たなかったチベットという国は、1950年以降隣接する中国に侵攻され、たくさんの人が虐殺され、今なお弾圧は続いています。沖縄から基地を追い出し、自衛を放棄することは、新たな侵略の歴史を自ら招き入れるのと同じことです。


 長い歴史のなかで、大和との統一やアメリカによる統治を経験した沖縄ですが、わたしたち県民はこの日本という国家の庇護と、アメリカの力に守られて、連綿と続いてきた祖先とのつながりを今日まで維持することができました。
 一方チベットやウイグル(東トルキスタン)は、今まさに民族と文化がまるごと消滅の危機にあります。彼らが抱いているであろう、祖国を失う恐怖と喪失感をわたしたちはよく知っています。


 それを鑑みたとき、先祖代々のウチナーンチュが現在も沖縄に平和に暮らしていられることは、当たり前のように思えますが、実はとても有り難いことだとわかります。このことに気づき、わたしたちは尊い使命を果たしていかなくてはいけません。
 その使命とは、抑止力としての米軍基地受け入れであり、正しい歴史教育であり、他国の侵犯を断固許さないという姿勢です。


 人々に愛されるわたしたちの故郷は、「守られる沖縄」から、「日本を守る沖縄」へと変化の時期を迎えているように思います。 (東京都)
 (この連載は不定期で掲載します)