2014年

10月

28日

冠鷲プロジェクトに見る競争の原理 辻 維周

 玉津前教育長が実践している冠鷲プロジェクトの成果が早くも表出し、昨年まで最下位であった全国学力テストの結果が、今年は県内6地区で小学生は2位、中学生は5位となった。


 その要因として一番に挙げられるのは、本紙8月29日の記事にも挙げられているように、競争の原理を採用したからであろう。


 世の中には競争の論理を採用しなければ壁を打ち破ることができないものが山ほどある。航空運賃然り、ガソリン価格然り。しかし近年、学校教育は「平等」の意味を拡大解釈し、体育祭の徒競争でさえ順位をつけずにおく学校が増えていると言うが、これは長年、教育に携わっている筆者にとっては、噴飯ものであると言わざるを得ないものである。


 国語辞典で「平等」の意味を引いてみると「すべて等しく差別が無い事」(旺文社国語辞典)とあるが、順位付けは差別ではなく区別でもない。もし順位付けが問題であると言うならば、入試自体が競争原理の典型であり、その入試を実施しているのは他ならぬ教員であることを忘れているのではないだろうか。


 競争に負けたものはその悔しさをバネにして起死回生を図るであろうし、勝ったものはそれに奢ることなく弛まざる努力をしなくてはならない。


 例えばいくら陳情しても下がらなかった航空運賃が、スカイマークが参入した途端に急落した事例は、記憶に新しい。また、ガソリンスタンドでも石垣にセルフのスタンドができた途端、様々な店で「セルフ同価格」という看板を掲げるようになってきた。また都市部にある家電量販店でも毎日他店の価格調査を行い、他より一円でも高い商品があった場合には、その価格より安く販売することは常識となっている。


 教育においても全く同じことが言える。つまり競争があるからこそ次へのファイトがわいてくるはずである。もしこの競争が無かったとしたならば社会人になった時、苦労する事必至である。そういった意味でも、冠鷲プロジェクトを行った意味は重要であると言うことを、ぜひ市民の方々にも気づいていただきたいものである。

                          (桃山学院大学兼任講師)

2014年

7月

23日

逆転の発想がヒットにつながる 辻 維周 

 それまで既存航空会社であるJALとANAの寡占状態であった航空事業が、いわゆる規制緩和によって1996年よりスカイマーク、エアドゥ、スターフライヤー、スカイネットアジア(現ソラシドエアー)などの新規参入航空会社が就航し、さらに2009年12月にオープンスカイ(空の自由化)が日米間で締結されると、日本でもエアアジアジャパン(現在は撤退しバニラエアーとなっている)、ジェットスタージャパン、ピーチアビエーションという格安航空会社が就航するようになった。

 

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2014年

6月

08日

昔話は宝箱 辻 維周

 八重山に「屏風山の蛇(ハブ)」という昔話がある。話の概略は
 「昔、桃里村のアングン屋という貧しい農家に、至って正直な男がいた。ある日、役人の言いつけで村の北にある屏風山に馬の鞍を作るための桑の木を探しに行った。しかしいい桑の木が見つからず、次第に山奥へ入っていった。すると目の前で見たこともない大きなハブが一匹、跳び上がっては落ち、跳び上がっては落ちしている。


 男はあまりの不思議さにその場に立ち尽くしていたが、そのうちハブは人が見ていることに気づいたのか、跳ぶのをやめ、男に向き直って涙をこぼしながら「自分は大昔からここに住んでいる山の主だ。何千年もの間、誰にも見つかることなく年を経た甲斐があって念願叶い、今日は竜になって天に昇るところだった。しかしあなたに見つかったため、長年の望みを断ち切られてしまった。」と嘆いている。

 

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2014年

5月

07日

乗員不足はLCCだけの問題か 辻 維周

乗員不足はどこの航空会社でも起こり得る(写真と記事とは関係ありません)
乗員不足はどこの航空会社でも起こり得る(写真と記事とは関係ありません)

 LCCのピーチアビエーションが先日、機長の不足から5月1日より10月25日まで、最大2072便を欠航すると発表した。この発表を受けて巷では「だからLCCは」と言う言葉が氾濫し、「やはり安かろう悪かろう」だとの考え方が蔓延している。


 確かに機長がこれほど病欠するとは思わなかったというピーチ側の発表に驚かされたことは事実である。しかし機長を始めとする乗員不足は、LCCだけの問題であろうか。


 1990年代の日本には航空会社はJAL系とANA系の2社しかなく、しかも幹線機材の主力は「ジャンボ」の愛称を持つ、ボーイング747型機(500席~550席)であった。

 

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2014年

2月

11日

何事にも疑問を持つ姿勢 辻 維周

広くアンテナを張ることが大切
広くアンテナを張ることが大切

 今、ネット上で話題になっているのは、一般財団法人理数教育研究所が開催した「算数、数学の自由研究」作品コンクールに、中学生2年生が「メロスの全力を検証」という研究作文を提出し、入賞したと言うことである。


 その研究によると、メロスは自分の身代わりとなった友人を救うために、猶予された3日間の初日と最終日を使って片道約40キロの道のりを全力で走り切り、往復したと言うことに疑問を呈している。つまりこの道のりにかかった時間を文章から推測し、往路を10時間、帰路は15時間と仮定。そこから平均速度を割り出すと時速3.9キロ=「走っていない」と言う結論を導いている。着眼点と言い、証明の仕方と言い、見事としか言いようがない。


 私が大学文学部国文学科と、同学院博士前期課程国文学専攻の両方で研究テーマとしていたのは「宇津保物語(平安前期成立=作者未詳)」であった。

 

 

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2014年

1月

17日

ペットの終生飼育を 辻 維周

無責任な飼い主によって捨てられた猫たち
無責任な飼い主によって捨てられた猫たち

 新しい年も開け、商店では新春大売り出しの幟も見受けられるようになった。あるペットショップの店先でもSALEの文字が躍っている。


 ここで知っていただかなくてはならないのが、沖縄県は全国有数の殺処分数の多い県であるということである。平成23年度のデータによると、保健所引取り数は犬、猫合計で「飼い主から」が502件、「所有者不明」は6146件の合計6648件、そのうち殺処分数は5728件で、全国第2位と不名誉な記録を作ってしまった。


 また於茂登親水広場の流水域には、外来種のブルーギルやカダヤシ(特定外来生物=採取、飼育、移動禁止)、グッピー、金魚、ミシシッピアカミミガメなど、飽きたり大きくなりすぎたりして、放流したとみられる多くの外来種が見られる。

 

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2013年

12月

27日

年の終わりにあたって 辻 維周 

今日も沢山の観光客がやってくる
今日も沢山の観光客がやってくる

 今年もあと数日で終わり、新しい年を迎える。
 考えてみると今年の八重山は新空港開港に始まり、猛暑の夏、強い台風襲来、LCCの就航、中型機の就航などに伴う発着便数の倍増による観光客急増、イリオモテヤマネコの交通事故非常事態宣言、尖閣問題と、政治はもちろんの事、観光、自然環境と様々な課題が浮き彫りにされた。


 特に新石垣空港開港により、スカイマークやLCC(格安航空会社)に当たるピーチアビエーションの就航は、八重山の観光に大きな影響を与えた。またANAの中型機であるボーイング767―300型機の羽田~石垣直行便就航により、それまでのボーイング737―400、500、700型機に比べて、約1.5倍の乗客を運ぶことができるようになり、非常に効率のよい輸送ができるようになった。そのためか、今まではあまり団体が来なかった夏場にも、団体がやってくるようになった。つまり夏場は団体のオフシーズンだったのが、今年はオフシーズンがなくなってしまったのである。この事は中型機の平均搭乗率85パーセントという高搭乗率によっても裏付けられる。


 またスカイマークやLCC就航に伴い、本土からや沖縄からの航空運賃が劇的に下がった(例えば関西~石垣間をピーチで飛んだ場合の航空運賃は、大阪~東京の夜行高速バス運賃とほぼ同額)ことで、それまでは「ハワイに行くほうが安い」と言われていた八重山への旅行が、一気に身近になったことは大きな実績であろう。ただそれに伴って旅の形態も変化し、旅行業関係者からは今までは考えられなかった日帰りや、1泊2日の弾丸ツアーをする観光客が増え、来島者の数字だけはあがったものの、島全体での利益はそれほど上がってはいないという話も聞く。さらに夏のシーズン中は多くのホテルでオーバーブッキング(予約数超過)が起こり、一番ひどい例では溢れた客をどこにも振り替えることが出来ず、やむを得ず沖縄本島の系列ホテルに戻してしまったという、深刻な話も耳にした。


 ネット社会の現在ではこのような話は瞬時に広まって行くため、八重山全体の評判下落に直結するので、来年はいかにして激増した観光客に満足してもらい、長期滞在客としてリピートしてもらうかを検討しなくてはならないだろう。


 いずれにしても一日の発着便数70便(例えば中国地方第1の空港である広島空港は、国際線まで合わせても約50便)という数は、すでに離島ローカル空港の域を遥かに超えているということを島民全体が意識して、よりよい環境づくりをしなくてはならない時期に差し掛かっている。

2013年

11月

24日

プロドライバーとしての自覚を持て 辻 維周

 新空港開港以降、島内の交通量が激増し、それに比例して交通事故も増加している。人身事故は幸いなことにそれほど多くはないが、表に出てこない物損事故が多く、非常事態となっているようである。


 その中で目立つのが、看板を背負った車両、つまりタクシーや観光バス、運送業者などの営業車や送迎車の無謀な運転が多いことである。
 こちらが制限速度で走っていると、さっさと走れとでも言わんばかりに煽り、追い越し禁止区間でも平然と追い越しをしていく。特にひどいのが国道390号線の白保~新空港、県道79号線の名蔵湾沿い、宮良基幹農道である。その中でも宮良基幹農道は宮良牧中から白保北までほぼ一直線の下り坂が続くため、無法状態とも言えるほど、飛ばしに飛ばしている車が目に付く。しかしこの区間は農道が多数交わり、そこを農耕用車両がゆっくりと横断してゆくことも多いため、直前で発見しても、あの速度だと到底止まりきれるものではない。また雨の後など、土砂などの堆積物もあちらこちらにあって、それにハンドルを取られたり、スリップしたりする危険性も高い。


 また2週間ほど前、県道79号線を川平から市街地に向けて走行中、崎枝の下り坂で大型観光バスが猛然と迫ってきて、追い越し違反をしていった。乗客の命を預かっているバスやタクシーが、そのようなひどい運転をしていること自体ありえないことであり、プロドライバーとしての自覚がないとしか考えられない。川平から市街地までや市街地から空港までも、制限速度で走ろうが、乗客はもちろんのこと、他車や歩行者、自転車を危険にさらしながら80キロで走ろうが、あの距離では5分と変わらない。


 八重山郡内の速度は40キロから50キロ、集落内は20キロから30キロに制限されているにもかかわらず、それを遥かに越える速度で運転するリスクを考えないプロドライバーが、この島には多すぎる。


 先日、離島桟橋でイリオモテヤマネコの交通事故防止キャンペーンに参加していたとき、ある観光客に「こっちのタクシーの運転は恐ろしくて、レンタカーを運転するのが怖くなりました。海沿いの道で何台ものタクシーにあおられたり、追い越し違反をされたりしました。プロとしてのモラルが欠けていますね。次からはもっとのんびりできる場所を探すことにします」とまで言われてしまった。


 この言葉を聞いて、いったい何人のプロドライバーが恥ずかしいと思うだろうか。もし思わないのならば、島のためにも、すぐに2種免を返上したほうがよい。

2013年

11月

15日

便利なものには… 辻 維周

 先日、自動ブレーキシステムを搭載した車の試乗会に参加した。自動ブレーキシステムとは、前方に障害物があると、車自身がそれを検知し、ドライバーが回避操作をしない場合には、車が自動的にブレーキを掛けてくれると言うもの。


 その試乗会では係員が運転し、私が助手席に座って体験してみると言う方式だった。自動ブレーキシステムは車種によって、カメラで前方を監視するタイプのものと、レーザーで監視するものの2種類あると言うが、両方とも原則として時速30キロ以下で作動する、いわば緊急回避用の装置である。


 実際に体験してみると、時速25キロ程度で障害物に向かっていき、ブレーキを操作せずにいると、障害物から10メートル程度前で警報音が鳴り、それでもブレーキを踏まないと急ブレーキが掛かり、ABSも作動した。


 感想は「このシステムはあくまで安全運転支援システム、つまり緊急回避用であると言うことを理解していない人には運転してほしくない」である。


 まず、電子装置は突然エラーを起こす可能性がある上に、本当に急ブレーキが掛かった場合には、後続車の追突を誘発する恐れが高いからである。さらにこの装置をつけた車を購入した人は、十中八九「試してみたい」と思う欲求に駆られるはずである。しかしこのようなことを公道で行ったとしたら、危険極まりない。特に石垣では車間をほとんど取らず、ぴったりと後ろに貼りついてくるような無謀運転も多いため、急ブレーキが掛かると追突事故が起きてしまうに違いない。


 もともと余計な装置には関心のない筆者であったが、試乗後は「どうも信頼が置けない。自分は絶対にいらない」と言う気持ちが一層強くなったのであるが、案の定、他県の試乗会でシステムが作動せずにフェンスへ激突し、乗っていた人が怪我をすると言う事故が起きてしまった。これが誤作動なのか、誤操作なのかは捜査の結果を待たなくてはならないが、いずれにしても過信は禁物である。


 飛行機が着陸したときのオートマチックブレーキとは違い、車の場合にはさまざまな条件が重なり、結果としてシステムエラーが起きると、取り返しのつかないことになってしまう。


 車は毎年劇的な進化を遂げ、マニュアル一辺倒の時代から、3速オートマチック、4速オートマチックを経て、現在では6速オートマックや、CVTと呼ばれる無段階変速オートマチックまで存在するようになった。しかしそれに伴って、アクセルとブレーキを踏み間違え、壁に激突したり、人身事故を起こしてしまったりするケースも後を絶たない。さらに、かつて自分が乗っていた車も、クルーズコントロール(定速走行装置)がエラーを起こし、高速道路走行中に急加速してしまい、あわててニュートラルにして路側帯に止め、難を逃れたことがあった。その原因は「コンピュータートラブル」と言われた。


 そのようなトラブルは無くても、マニュアルミッションと違い、オートマチックミッションはどうしても10万キロ前後で滑ったり、オイル漏れを起こしてしまったりすることが多い。ミッションが一度壊れると、それこそ中古車が1台買えてしまうだけの修理費がかかり、結局廃車にする運命をたどるものも少なくない。


 ミッションだけではなく、パワーウインドウも一度壊れると大変なことになる。


 車を長持ちさせ、維持費もあまりかけたくないのであるならば、ミッションはマニュアルで、余計なものは一切ついていないモデルを選んだほうがいいのかもしれない。


 便利なものには、逆に言うと、それだけトラブルの元をはらんでいることを忘れてはいけない。所詮機械は機械であり、絶対と言うことはないのである。

2013年

11月

08日

LCCの明と暗 辻 維周

 1990年代にアメリカのサウスウエスト航空と、アイルランドのライアンエアーによって始まったLCC(格安航空会社)は、2012年になってようやく日本の空にも就航を開始した。まず3月1日に関西空港を拠点とした純国産のピーチ・アビエーションが、次いで7月1日には日本航空とオーストラリアのカンタス航空、三菱商事の共同出資によりジェットスター・ジャパンが、さらに8月1日には、マレーシアに拠点を持つエアアジア・ジャパンが、それぞれ成田空港を拠点として就航した。


 日本航空、全日空など既存の航空会社と大きく違うところは、予約は原則ホームページから行わなくてはならないが、基本航空運賃だけでは搭乗する事ができず、支払い手数料(なぜ支払いに手数料が発生するのか、よくわからないが)は必ず上乗せされ、座席を指定する場合や荷物を預ける場合には、さらにその料金が上乗せされてゆく。また搭乗手続きも原則として出発30分前(航空会社によって若干の差はある)で締め切られ、定時運航のために遅刻は許されない。機内での飲食物や毛布なども有料で、エアアジア・ジャパンに至っては自社経営の空港売店で購入したものを除き、原則として飲食物の持込も禁止していた。


 またピーチアビエーションの場合、関西や那覇では経費を抑えるため、普通のターミナルは使わずに、LCCターミナルでのチェックイン、セキュリティーゲートを通った後はランプバスでの搭乗をしなくてはならない。車椅子の乗客も特別扱いはされず、タラップの下で車椅子から降ろされ、係員のサポートを受けながら、階段を昇る必要がある。さらに限られた機材で効率的な運航を行っているため、ターンオーバーと呼ばれる、空港での折り返し時間は平均25分から30分(既存航空会社の場合には最低40分)しかないため、1度遅延が始まると、その連鎖反応で遅延が拡大してしまうこともある。そのため、最悪の場合には空港供用時間に間に合わず、最終便が欠航してしまう事もある。また、自社都合により遅延や欠航が発生した場合でも、他社への振り替えは行われず、宿泊を余儀なくされた場合でも、航空会社は一切負担しない。もちろん遅延、欠航によって乗り継ぎができなかった場合でも、同様である。


 その代わり、運賃は極限まで抑えられ、例えばピーチアビエーションで関西~石垣の最低運賃は5000円代前半(諸費用別)で乗ることが出来る。
 JAL、ANAのフルサービスに慣れてきた日本の顧客は、HPの使いにくさや簡略化されたサービスになじめず、とうとうエアアジア・ジャパンは就航からわずか1年2ヶ月余りで撤退。その後を100パーセントANAの子会社である、バニラエアが引き継ぐことになった。ジェットスターも平均搭乗率は60パーセント台後半であり、JALとカンタスから増資を受けることとなった。


 LCC2社が苦戦しているなか、唯一ピーチアビエーションだけは黒字を保ち、関西~石垣の平均搭乗率は常に80パーセント台をキープし、他の路線も好調である。


 なぜここまで差が出てしまったのかと言うと、ピーチの営業戦略が極めて日本的であり、特に女性客の心をつかむようなプロモーションを次々打ち出しているためである。例えば通常は考えもしない、何の変哲もないエアバスA320という使用機材を前面に出す戦略に出た。エアバスはフランス製であるということを殊更に強調し、折に触れてAIRBUSのロゴを露出させる。その上で「皆様がお乗りになる機材は真新しいフランス製のエアバスです」と訴える。するとピーチという会社名にはなじみが無くても、「フランス製」というブランドイメージは女性客の心をくすぐり、さらに明るい紫色の機体にAIRBUSと強調されたロゴは一層「乗りたい」という気持ちを膨らませる。


 それに追い討ちをかけるように、10月下旬には元AKBの篠田麻里子を公式カンパニーアンバサダー(会社大使)として起用し、制服も本人のデザインを採用し、さらに本人の顔写真を機体にラッピングした「マリコ・ジェット」を就航させた。この企画も代理店を通さず、直接交渉によって余分な経費を抑えたと言うのだから大した物である。ただしLCCとしてのポリシーは変わらない。


 「真新しいフランス製」という全く新しい視点での売込みと、女性客が増えれば男性客も増えると言うサービス業界での常識を航空会社にまで取り込み、LCC=安かろう悪かろうというイメージを打破したことが、現在の好調に結びついていると言うことができよう。


 今後は中国の春秋航空を初めとする諸外国のLCCが、国内線にも参入予定であるが、それが根付くかどうかは安全性や定時性はもちろんの事、日本人向けの営業戦略と提示出発率と就航率の上昇も重要な要素になってくる。
 LCC=安物というイメージを、ピーチのように払拭できるかどうかに日本の航空業界の行方が掛かっている。

2013年

11月

03日

スマホ依存症 辻 維周

 通常の携帯電話(フィーチャーフォン=通称ガラケー)に代わって、スマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)の使用者が大きな割合を占めるようになるに従って、都会では「歩きスマホ」が横行し、自ら事故に遭ったり、歩行中の弱者と衝突して、相手に怪我を負わせたりする報道が連日のようになされている。私の年老いた母も、先日歩きスマホの女性と衝突し、危うく転倒するところだったという。
 月数回東京に行ったときにホームで観察してみると、電車を待つ乗客の大半は大人も学生もうつむいてスマホをいじり、電車に乗ってもスマホをいじり続けている人ばかりが目に付き、そこには友人との会話も無ければ、読書している人もほとんど見当たらないと言う一種異様な光景が広がっている。
 都会の人間はそれほど忙しいのかと思うのだが、多くの人の画面にはゲームが展開されている。これに熱中してしまうと、電車に乗ろうが歩こうが、その中にのめりこんでしまい、周囲を見る余裕など無くなってしまうのだろう。
 ではここ石垣はどうかというと、「歩きスマホ」をしているのは観光客に多いが、生徒たちの自転車スマホ、大人たちの自動車運転中のスマホなど、無法ぶりは都会並みである。特に生徒たちが自転車で車道を逆走しながらスマホを操作しているのを見ると、事故を起こさないほうが不思議である。常識で考えても、画面を注視しながら他の事などできるはずはないのだが、彼らはどうやら出来ると考えているらしい。
 さらに「バイト・テロ」と騒がれているように、バイト先や買い物先で面白半分に行った非常識な行為の写真を、twitterやfacebookへ何も考えずに投稿し、炎上した挙句、その店を潰してしまうというありえない事態までも引き起こしている。
 私が学生のときはもちろんネットなどはあるはずも無く、固定電話のコードを伸ばし、自分の部屋まで電話機を引き込んで友人との電話を楽しんだり、どうしても家族に聞かれたくない会話には、公衆電話を使ったりしていたものだが、1985年にNTTが発売した「ショルダーフォン」(重さ3キロ)に始まった携帯は、わずか30年弱でアナログからデジタルへ、そして高速通信のLTEへ劇的な進化と普及を遂げただけではなく、本体価格も通信・通話料も大きく下がったため、いつの間にか我々の生活に無くてはならないものとなってしまっている。それと同時に、本来「使うもの」であったはずの電話機に「使われる」ようになってしまったため、スマホがなくては落ち着かない、いわゆる依存症に陥っている人も、日本はもとより世界中でかなりの数に上ると言う。
 またLINEといわれるアプリは、パケット通信を利用するため、通信定額プランに入ってさえいれば、メールやチャット(ネット上での文字を使ったおしゃべり)のみならず、通話さえも無料で利用できるため、依存症に拍車をかけるだけではなく、子供同士のいじめにもつながっていると言う。
 その依存症から脱却するためには、言うまでも無く「必要なときしか使わないようにする」ことであるが、学校によっては朝のHRで担任が携帯を預かり、終礼時に返却するという習慣を徹底しているところもある。一方生徒はダミーの携帯(モックアップと言われる展示用=通信・通話の機能はない)を入手したり、すでに使っていない古い携帯を、あらかじめかばんの中に入れておき、それを担任に渡したりして、あの手この手で逃れようとする。
 さらにスマホになってからは、特にバッテリー消費が激しくなったせいか、所かまわず充電する姿が見られ、コンビニのコンセントから無断で充電し、窃盗罪で逮捕される事例も散見されるようになってきた。ここまで来ると場当たり的な規制ではなく、抜本的な教育が必要になってきてはいるが、どのような教育が有効なのか、実際は誰にもわからない。なぜならば、教育者自身の多くが携帯やスマホを手放せなくなってしまっているからである。
 文明の発達は生活を便利にはするが、その反面、人間をだめにしていく側面も持っているということの典型的な例であろう。
 もちろん悪い面ばかりではなく、緊急通報がどこからでも可能になり、離れて住んでいる年老いた親や災害時、遭難時の安否確認など、携帯のGPS機能を併用した使い方をすれば、貴重な命を救うことも出来る。
 かつて「武器はそれを使う人間の性格以上に善良にはなれない」と言った人がいたが、スマホも使い方を一歩間違えると、凶器にすら変容すると言うことを、心にとどめておくべきであろう。
 いずれにしても早急に何らかの手を打たなければ、国民の大多数がスマホ依存から抜け出せなくなってしまうに違いないが、これは行政や所謂「有識者」が先頭に立つのではなく、ある意味でのコア・ユーザーになっている生徒たち自身から、スマホの利用方法を見直そうと言う声が、自然と起こってくることが最良のあり方のように思える。
 このコラムを読んだ生徒諸君。スマホの正しい利用のあり方について、何とかクラスや生徒会で話し合う機会を設けられないものだろうか。

2013年

10月

24日

非常事態宣言 辻 維周

濡れた衣服をドアに挟み、乾かしながら走るレンタカー。もちろん乗っている人間たちは全員上半身裸か水着だった。彼らには「レンタカーは借り物」、「道路は公共のもの」という意識が無いのだろうか
濡れた衣服をドアに挟み、乾かしながら走るレンタカー。もちろん乗っている人間たちは全員上半身裸か水着だった。彼らには「レンタカーは借り物」、「道路は公共のもの」という意識が無いのだろうか

 危惧していたイリオモテヤマネコの事故が、過去最悪の6件(死亡は5件)となってしまい、環境省はとうとう非常事態宣言まで出す事態になってしまった。ロードキルは住民も観光客も、意識を持たなければ根絶することはできない。しかし残念ながらその意識を持って運転している人は、非常に少ないと言わざるを得ないのが現状である。


 新空港開港以来、観光客はうなぎ上りに増えていると言う。そのおかげで観光産業は潤い、島には活気が戻って来ているように見受けられる。これはこれで結構なことなのではあるが、観光客の分母が増えると、その分、質の悪い観光客も増えてくるのはどこの観光地でも同じこと。


 上半身裸でコンビニに寄る観光客、海で濡れた衣服をドアに挟んで乾かしながら走るレンタカー、タトゥーを見せびらかして歩く若者、ゴミを平気でポイ捨てする者、レンタカーを暴走させて重大事故を起こすもの、人間や天然記念物が道路にいる事など意識せずに、身勝手な追い越し違反や速度違反を日常的に行うもの等々、枚挙にいとまがないほどである。先ほど書いたように、この現象は石垣だけにとどまらず、富士山や三陸海岸など、観光客が急増したところでは、同じ問題が噴出してきている。


 しかし特にLCC就航で敷居が低くなってきた石垣の観光客の質の低下は目を覆わんばかりであり、このまま行くと、本当に島を楽しもうとしている良質の観光客がリピートしなくなる懸念がある。


 さらに島自体のインフラが観光客の急増に追い付かず、ガイドブックや口コミで評判の良いレストランや食堂などは、「客で溢れていて入れない。もう二度と来ない」とか、リピーターや市民からは「以前の味とは全く違ってしまい、まずくなった。忙しすぎて手が回らないのか」などと言う手厳しい声も聞こえてくる。


 また市街地の渋滞も常態化し、交通事故も急増しており、市民生活にも影響が出始めている。海難事故も昨年の3倍を超え、このまま行くと過去最悪を記録することは間違いないだろう。


 もういい加減、数字だけを追いかけるのは止めて、質の良いリゾート地を目指さそうではないか。そのためには顧客満足度の調査を、可及的速やかに実施したほうが良いのではないだろうか。

2013年

9月

25日

〝OMOTENASHI〟 辻 維周

 ある夕方、米原キャンプ場前を通りかかったところ、終バスが出た後のバス停で、バスを待っていた外国人観光客がいた。そこで私は車を止め、行く先を聞いたところ街まで行きたいとのこと。彼に、この時間にはもうバスはないこと、タクシーも呼ばなければ来ないことなどを告げ、自分も街まで帰るので乗せてゆこうと言うと、喜んで乗ってきた。


 彼は4月から半年間、埼玉大学に短期留学しているポーランド人で、石垣には2週間滞在の予定で来たと言う。ただし日本語は片言しか話せず、車内ではお互い不慣れな英語での会話となった。


 石垣の印象を聞いてみると、「自然景観が美しい。ヨーロッパにはない風景なので飽きずに滞在できるし、その自然の中には人工的な建造物もあまりないため、自然好きの自分には堪えられない魅力がある。ヨーロッパの人間はこういった手付かずの自然が好きな人が多いので、これから訪れる人は増えてくると思う。ただ、観光施設ではなかなか英語が通じず困っている。日本一星がきれいな場所だということも、あなたの言葉で初めて知った。滞在中に星を見に行ってみるよ」と言っていた。


 彼は図らずも、①自然の中に人工的な建造物が少ないことが魅力②西洋人はそのような場所が好きなので、今後マーケット展開ができる③観光施設で英語が通じない場所が多い④重要なセールスポイントにもかかわらず外国人向けの発信には、まだ不十分なものがあるという4つのポイントを、外からの目で教えてくれた。


 まず①の手付かずの自然に関しては、宮平康弘石垣市観光交流協会会長が常々言われている、「環境なくして観光なし」の言葉を裏打ちしてくれたものであり、②の西欧人好みの場所という言葉の裏には、近隣諸国のみならず、西欧諸国にもセールスプロモーションがかけられる可能性が残っていることを教えてくれた。③に関してはどこの観光施設かは具体的に教えてくれなかったが、少なくとも空港や離島桟橋などの公共施設だけでなく、ガイドブックに載っているような観光地では、英語対応が可能な人間や案内板、パンフレットなどを設置する必要がある。もはや英語は外国語ではなく、共通語であるという認識を持って対応してゆかないと、海外から来てくださったお客様に申し訳ないという意識が必要であるということを教えてくれた。また④の外国語によるセールスポイントの発信が不十分という部分に関しては、早急に行う必要があろう。


 五輪招致の場で、一躍世界的に脚光を浴びた「OMOTENASHI」は、英訳すると〝Hospitality〟であるが、ニュアンスとして「おもてなし」という言葉には、「ホスピタリティ」という英単語では表現しきれない、日本語だけが持つ奥深い何かが含まれている。


 そこで思い出したのが、東バスの前津文一社長の「私どもでは、市街地~空港の40分間、極力お客様をお立たせすることがないよう、お客様が多い時は続行便・臨時便を出しています。せっかく遠くから来ていただいた方をお立たせすることは失礼になりますから」という一言だった。大都市圏のバスでは考えられないその気配りこそ、「おもてなし」の真髄なのではないだろうか。この気配りが全島に行き渡ったとき、初めて世界的な観光地になり得るのではないだろうか。

2013年

8月

31日

抜本的な交通対策を 辻 維周

無謀運転が止まらない=名蔵湾
無謀運転が止まらない=名蔵湾

 新空港開港により石垣島を訪れる観光客は前年比20パーセント以上のプラスになり、このままで行くと年間観光客80万人突破は確実だろうと言われている。確かに川平湾や平久保灯台など主だった観光地には、連日観光客が押し寄せ、駐車場は満杯で順番待ちの車が列を作っている光景が見られる。これによる経済効果も相当大きく、ハローワークの求人情報を見てみると、レンタカー受付業務やホテルスタッフなど、観光サービス業関連がトップを占めていることからも、その効果のほどがうかがわれる。


 航空機のロードファクター(搭乗率)を見ると、JTA、ANAともに前年を若干下回る月があるようではあるが、新規に参入したピーチアビエーションやスカイマーク、さらに台湾からのチャーター便の搭乗旅客数が上乗せされたために、この数字が出てきたことは想像に難くない。


 しかし観光客数が急増したその裏側には、必ずマイナス要因も芽を出していると言うことを忘れるわけには行かない。


 現在のところ、一番の問題となっているのは、空港がある国道390号線沿線の交通量激増ならびに無謀運転の増加、レンタカーがらみの人身事故倍増である。


 旧空港は市街地にあり、発着便数も限られていた上に、小型機のみしか発着できなかったので観光客数も読めていたため表面化しなかった問題が、新空港ができた今、一気に浮上してきた。そのひとつは観光客増加に伴うレンタカーの増車である。レンタカー協会の調べによると、昨年の約3000台に対して、今年は約5000台(6月末現在)と、ほぼ75パーセント増しになっていると聞いたことがあるが、それでも夏休みシーズンは満車状態が続いているとのこと。


 これだけ増車されれば狭い島の交通量が激増するのは自明の理である。その上、レンタカーを使うのはほとんどが観光客であり、南の島に来たと言う開放感と、一歩郊外に出ると信号もほとんどなく、走りやすいと言うことがあいまって、ついつい首都高速並みの速度を出してしまうのであろう。知らない道で速度を出すと、それだけ事故の確率が高まると言う当たり前のことも忘れて。

 

 それに加えて、市街地~空港の距離が10キロ程度遠くなってしまったために、白保や空港の営業所へ、時間までに返却しなくてはならないレンタカーが飛ばすのみならず、市街地に営業所があるレンタカーの送迎車両やタクシーまでもが、客をさばくために制限速度を大幅に上回る速度で、国道や裏道に当たる宮良基幹農道を突っ走って行く。事故防止啓発の看板が多数設置されているにもかかわらず、ある。


 しかし国道390号線の沿線には、大浜、宮良、白保という歴史のある集落が連続しており、そこで暮らしている方々は、車両の急増や高速化のために、道路の横断すらままならないという状況になってきている。


 住民の安全が脅かされ続け、生活にまで支障が出ていることを何とか食い止めなくてはならないと、8月28日に石垣市教育委員会の高木健教育委員長と玉津博克教育長とが、レンタカー協会、タクシー会社、バス会社などに異例の要請を行い、安全運転励行を訴えた。


 レンタカーのドライバーは、当然のことながら常に入れ替わるため、営業所は継続的に注意喚起する必要がある。しかし営業所に到着客が集中すると、カウンター前に列を作ってしまうほど混雑するため、スタッフも十分な説明をせずに終わってしまうこともしばしばあると聞く。仮に色々と説明や注意をしても、肝心の利用者は早く出発したいために、上の空というケースがほとんどであるとも聞く。


 また、タクシーのドライバーや、レンタカー送迎車のドライバーは、少しでも運行効率を上げるために、制限40キロから50キロの道を、80キロから90キロで突っ走ってゆくものも少なくない。


 一方、路線バスは運行ダイヤに余裕を持たせてあるせいか、制限速度をほぼ守っているが、それにイライラしたレンタカーやタクシー、送迎車や一般車両までもが、平然と追い越し違反を行い、対向車とあわや正面衝突というケースを、自分自身何度も体験している。


 今まで述べてきたように、ドライバーのモラルに期待できないのであるならば、無謀ドライバーによる犠牲者が出る前に、八重山を走行する全車両には、60キロ以上出せないように速度リミッターの装着を義務付けるしかないのではなかろうか。


 車両運行従事者は「人命はすべてに優先する」という大原則を厳守する必要があり、ガイドブックを発行する出版社には、グルメや観光情報に加えて、石垣の交通事情も載せて頂かなくてはならないだろう。


 さらに八重山警察には覆面パトカーや白バイをも導入した、徹底した交通取締りをお願いしたい。いずれにしても今のままでは、観光客の急増に比例して、島が荒れてゆくのを食い止めることはできないのではないだろうか。

2013年

8月

12日

恒久的な空の安全を 辻 維周

 あの日から28年目の夏がやってきた。
 1985年8月12日午後6時56分、乗員乗客524人を乗せた、羽田発大阪伊丹行きJAL123便(JA8119)ボーイング747SR―100型機は、32分間の迷走後、群馬県にある御巣鷹山に墜落し、奇跡的に4人の乗客は助かったものの、単独航空機での事故としては世界最悪の520人もの犠牲者を出した。


 事故原因は、その機材が1978年6月2日、伊丹空港着陸時に起こした、いわゆる「しりもち事故」の際破損した、圧力隔壁の修理が不完全であったため、123便として飛行中に修理箇所が破壊され、そこから噴出した空気によって垂直尾翼の大半が吹き飛び、油圧系統を制御するオイルもその箇所から滅失、制御不能になったためと発表された。


 当日、仕事が入ったため数日前に当該便をキャンセルしたばかりだった私にとって、これほどの衝撃はなく、未だにその事故を背負い続けており、「自分の代わりに亡くなった方の分まで、しっかりと生きなくてはならない」と念じてはいるが、毎年8月12日が近付くにつれて、重い気持ちになってくる。


 後日公開された事故当時のボイスレコーダーを聞いていると、午後6時24分から56分までの32分間、高濱雅己機長を始めとするパイロットたちが必死に機体を立て直そうとしている様子が、脳裏にありありと浮かんでくる。そして機長のものと思われる「もう、だめだー」という絶叫の直後にクラッシュ音と思われるものが録音されており、これによってすべての希望が打ち砕かれてしまう。


 一方、フゴイド運動と呼ばれる急上昇、急下降に加え、ダッチロールと呼ばれるフラフラとした不安定な運動を繰り返す機体に、なすすべもなく閉じ込められていた乗客たちの恐怖は察するに余りあるものであり、何人かが残している遺書によっても、その恐怖と無念さとが感じられる。


 さらに恐怖と闘いながら、必死に乗客を落ち着かせようとしている客室乗務員の沈着冷静な声も涙を誘う。


 近年、日本の空にもスカイマークを始めとする新規参入航空会社や、ピーチアビエーションを始めとする格安航空会社が参入し、割引でも片道2万円以上していた羽田~石垣が、往復でも3万円程度になってきた。つまりバスや鉄道並みに気軽に利用できる乗り物となって来たわけである。しかし、鉄道やバスとは違い、航空機は言うまでもなく空中に浮かんで高速移動する乗り物である。ちょっとした整備を怠る事が、大惨事を引き起こしてしまう要因にもなってしまうので、航空関係者には、この事故をいつまでも風化させることなく、しっかりとした訓練や整備に取り組んでいただきたいと切に願わずにはいられない。

2013年

8月

06日

「見た目の美しさ」 辻 維周

 最近読了した本に浅田次郎の「降霊会の夜」がある。自分はもともと浅田文学の大フアンであり、「地下鉄(メトロ)に乗って」「活動寫真の女」「プリズンホテル」は、彼の3大作品だと思っている。浅田文学はストリーテリングにとどまらず、見た目の日本語の美しさにもこだわり続け、漢字、ひらがな、カタカナをシーンによって絶妙に使い分けていた。


 ところがここ数年、浅田の作品にはキレが無く、過去の作品の焼き直し的なものも多く見られたため、どうしても作品の中にのめり込むことができなかった。
 しかし2012年に刊行された「降霊会の夜」(朝日新聞出版)は、浅田がスランプから脱出したかのような、目の覚めるほど素晴らしい作品に仕上がっていた。帯にも「至高の恋愛小説であり、第一級の戦争文学であり、極めつきの現代怪異譚。まさに浅田文学の真骨頂!」と書かれている通り、抜群のストリーテリングと、読者の人生観までをも変えてしまうほどの出来栄えである。


 図らずも浅田は「プリズンホテル」の中で、「真の名作とは読む者や味わう者の人生観や価値観までをも変えてしまうもの」であると言うような事を書いていたが、この作品はまさしくそれに該当する。


 また見た目の日本語の美しさに関して言うならば、「私は夢の中でそうしたように、膝を抱えて屈みこんだ。金色の唐松の葉の降り嵩む路上に、体が少しずつ沈みこんでゆく。芒の綿毛を振り払って顔を上げれば、灰色の天のきわみから、うつつとも知れぬ泡雪がこぼれてきた。」(「降霊会の夜」292ページ)と表記されているが、これを「私は夢の中でそうしたように、膝をかかえてかがみこんだ。金色のカラ松の葉の降りかさむ路上に、体が少しずつ沈みこんでゆく。ススキの綿毛を振り払って顔を上げれば、灰色の天の極みから、現とも知れぬ淡雪がこぼれてきた。」
 としてしまうと、実につまらない文章になってしまう。


 日本語は西洋の言語と違って、「見せる」言語でもある。つまりひらがなで表記するか、カタカナで表記するか、漢字で表記するか、はたまた外来語で表記するかによって、全く違う雰囲気を醸し出してしまう不思議な言語である。しかしメールの普及によって、見た目の美しさが忘れ去られていないだろうか。確かに言葉は時代とともに変遷して行くものであり、紫式部も本居宣長も、「今の言葉はなっていない」と愚痴をこぼしている。


 しかし文章を扱う私がここで憂えているのは、「言葉の変化」ではなく、「文字」としての日本語軽視である。
 世界で最も複雑な言語のひとつと言われる日本語を、見た目の上からももっと大切にしていきたいものである。

2013年

7月

18日

おもてなしの心 辻 維周

台風7号であらぬ方向を向いた信号機
台風7号であらぬ方向を向いた信号機

 12日に島を襲った台風7号は、先島に甚大な被害を残して大陸方面へと去って行った。台風が来るたびに思うことは、本土に台風が来る時には数日前からマスコミが大騒ぎし始めるにもかかわらず、沖縄に接近してはいても、本土に影響がないと思われる台風の場合には、事前の報道はほとんど無いという状態が今もって続いていると言うことである。


 こちらにやってくる観光客の多くは、まさか先島に向かっている台風があるとは夢にも思っておらず、直前にならないと出発空港の航空会社カウンターでも案内することはないため、石垣空港到着後に台風接近を知り、慌てふためくことになる。


 今回もまったく同じ事が起こっていた。台風通過前日の11日朝、石垣空港で空席待ちをしていた観光客(35)に話を聞くと、「9日に着いて12日まで滞在しようと思っていたが、12日は全便欠航だろうと聞いてあわてて空港にやって来た。東京では台風が接近すると予想されるときには、数日前からニュースや天気予報で言ってくれるのに、今回はほとんど何も言ってくれなかった。もちろん航空会社のカウンターでも何も案内はなかった。だから大したことは無いと思っていたのにこの有様。初石垣だったのに、どこに怒りをぶつけていいのやら。海外ならまだしも、同じ日本なのにこれほど情報量が少ないところがあるとは思ってもいなかった」と困惑していた。


 また大きな台風の後にはしばらく船が入らず、船便が復活するまで店頭から弁当などの食料品が消える事が多いが、やはり観光客はそのような事情をわかるはずもない。


 1997年12月、グアムがスーパータイフーン・PAKA(台風28号)に襲われ、最大瞬間風速107.5mを記録し、3000世帯が半壊もしくは全壊した。その暴風により、グアム国際空港の管制塔のガラスが全損し、管制機器が水をかぶったため空港は3日間閉鎖、当然船も来ることができず、グアムは孤立。食料品もガソリンも底を尽きだした。


 そこでグアム政府は空港再開後も数日間は日本など諸外国からやってくる便に原則として乗客を乗せず、回送便としてグアムまで来させ、折り返し救援フライトとしてグアムから脱出する人のみを乗せると言う思い切ったプランを実施した。そのおかげで生活物資が枯渇せずに済んだ。


 八重山の台風シーズンは始まったばかりである。次回も本土のマスコミに期待することができないのであるから、先島に影響を与えそうな台風が発生したならば、3市町が率先してネット上に台風情報を流した上で、島の台風のすさまじさを本土の人間に示してみてはどうだろう。島のセールスポイントのみならず、台風に遭遇した時の心構えなども一緒に流しておけば、今回のようなクレームも少なくなり、却ってリピーターが増えるのではなかろうか。


 観光客が欲しい情報を、その時その時で的確にキャッチして流す、それも「おもてなし」のひとつであると考える。

2013年

7月

17日

参院選の争点を 八重山の視点で考える 徳松 信男

 参院選が7月4日公示され、沖縄選挙区から4人の候補者が立候補している。参院選の争点に関し違いはあるが、八重山について重要なことは、特に八重山振興と尖閣諸島問題である。憲法改正問題は、領土問題やその他の経済問題にも大きな影響はあるが、ここでは尖閣問題を主として考えてみよう。


 ひとついえることは、八重山で尖閣問題よりも普天間基地の問題ばかりを叫ぶことは適切ではない。なぜなら、石垣・普天間間は410kmほども離れており、普天間の基地に関する問題より、石垣市域の尖閣問題が、八重山では喫緊の課題である。


 尖閣問題に対し、候補者4人のスタンスは異なる。安里氏と金城氏は尖閣の防衛力について訴えている。糸数氏は対話による解決を目指しており、政府は尖閣領有権問題の存在を認め、中国との東シナ海の海洋資源の共同利用の枠組み作りを訴えている。新島氏は、尖閣諸島はどこの国のものでもなく、領有権の主張は人間のおろかさそのものだという訴えである。しかし、尖閣諸島がどこの国にも属さないというのは領土に対する認識をまったく欠いており、政治家としての議論の対象にはならない。糸数氏は「領有権問題の存在を認め、東シナ海を平和の海として海洋資源を公正、かつ持続可能に共同利用する枠組みをつくり、中国との合意達成に努めるべきだ」という。現在中国が一方的に進めている日中中間線付近の東シナ海 ガス田開発で日本側の抗議に耳を貸さない中国の姿勢を見ても「東シナ海を平和の海に」という主張はむなしく響く。 尖閣の領有権問題で話し合いのテーブルに着くということは、中国政府の主張と同じである。つまり、中国との交渉により、日本は尖閣の一部を明け渡すことになりかねず、ひいては東シナ海における日中間の線引きに影響し、非常に多くの権益を失うことにつながるのは間違いない。交渉の妥結は譲歩と妥協の産物であるからだ。さらに、平和憲法を守れば中国は尖閣諸島に侵攻しないとは言っていない。それどことろか、1992年の領海法で、石垣市の一部である尖閣諸島を中国の領土と定めている。中国との合意達成に努めるというが、氏の在職中に尖閣問題に対し、中国との間に何らかの成果 の上がる働きかけをしたのか。平和解決を目指すとあるが、現実に領海侵入を繰り返す中国に対し、一度でも効果的な主張をしたことがあるのか、厳しく問われるべきであろう。防衛のスタンスのない話し合いに成果が期待できるわけがない。何より中国や台湾による尖閣領有の主張は1970年以降であることを忘れてはならない。


 憲法改正も、尖閣問題と密接にリンクしている。なぜなら、現行の憲法体制下で、尖閣諸島を有効に守ることができるか否かという点で、安里・金城両氏は憲法改正を主張しているが、96条の改正については時期尚早および反対の姿勢をとっている。現憲法はできて67年にもなる。どの条文についても改正が時期尚早ということはありえない。突っ込んだ議論が必要である。


 八重山の振興に対し、糸数氏は具体策がある。たとえば離島を結ぶ航空便の確保と支援を訴えている。また日台漁業協定の見直しやドクターヘリの拡充、産婦人科医や小児科医の確保に力を入れ、親の所得格差による子どもへの教育格差の是正も視野に入れている。安里氏のいう一括交付金を離島振興に活用するという訴えは八重山にとって大いに利点があるが、優先的に活用するための理論的根拠が必要である。金城氏は八重山の経済基盤を固めると訴えるが具体策は乏しい。

 

 なお安里、金城両氏とも日台漁業協定をどうするかについてはあまり関心がないように見えるのは残念である。これは八重山の漁業者にとって死活的に重要な問題であるからである。


 普天間基地移設に対しては、辺野古か県外かで意見が分かれている。現状では、本土の自治体に受け入れ可能性はほとんどなく、受け入れさせるための手段を考えねばならないであろう。尖閣の防衛に辺野古移設は必要であるか否かも議論すべきだろう。その場合、辺野古移設にすべきか普天間続行かが論点となる。


 最後に、オスプレイの配備に対しては、安全性や性能に関しては統計資料を基に議論を戦わせ、尖閣諸島の有事の際にオスプレイ出動が必要であるか否かまであわせて議論を聞きたい。

2013年

6月

21日

島の光 辻維周

 新空港が開港してから3カ月が経過したが、観光客は比較的順調に増えており、市内の宿泊施設は満室の事も多くなってきたと聞くが、少し郊外の宿泊施設は苦戦しているところもあると言う。


 ところで、観光客が八重山に来る目的となると、今一つはっきりしないことも多い。「ゆったりとした島時間を満喫したい」と言う割には、せかせかと動きまわり、「豊かな自然を見に来た」と言う割には、島の希少生物について理解している観光客は、ごく稀である。


 つまり「この島の売りは何か」が今一つはっきりしていないために、観光客は観光地と言われる「点」を求めてあちこち動き回るしかなく、道中をゆっくり見ようという気持ちも芽生えない。さらに石垣島を取り上げるテレビ番組も、もったいない事に多くがグルメ番組に終始してしまっている。そのような傾向が強くなると、わずか1回石垣に来ただけでもう満足してしまい、リピートをしなくなってしまう。


 観光客により多くきてもらうためには、リピーターを増やすことであるが、そのために何をすればよいのだろうか。それはまず、島民自身がこの島の魅力を改めて見直してみることだろう。八重山には他にはない奥深い自然があることは理解していても、実際にどのような貴重な生物がどれだけ生息しているのかをきちんと把握している島民はほとんどいないのではないだろうか。と言うより、その自然がある事が当たり前となってしまっており、その貴重さに気づいていないだけなのかもしれない。


 ここ八重山にはトキと同じ、国の特別天然記念物であるカンムリワシ、西表にしかいない国の特別天然記念物イリオモテヤマネコ、国の天然記念物セマルハコガメ、カラスバト、リュウキュウキンバト、キシノウエトカゲ、オカヤドカリ、ナキオカヤドカリ、ムラサキオカヤドカリ、県の天然記念物コノハチョウ、アサヒナキマダラセセリ、石垣市指定のイシガキニイニイなど、天然記念物だけで何と12種類も生息する。これに宮古・八重山だけに生息するヤエヤマイシガメやサキシママダラ、サキシマスジオやサキシマヒラタクワガタなどの昆虫まで加えると、相当な数になっていく。


 国の特別天然記念物が平気で国道を横切ったり、道路に降りていたりするような「市」が他にどれほどあるだろうか。この重要な観光資源となり得る生物多様性を、なぜもっと積極的に本土の観光客や新規の移住者に知らせようとしないのだろう。彼らの多くはカンムリワシの名前すら知らずに来ているのである。


 そのような事をまず島民が理解し、観光客や新規移住者に伝える事によって、点(観光地)と点との移動ではなく、線(道中)を意識した移動を行うようになる。つまり次の点に移動するのみではなく、点と点とをつなぐ「線」の存在を理解するようになるはずである。するとおのずから「どこかで天然記念物が見られるのではないだろうか」という期待から、ゆっくり運転をするようになり、結果、事故や違反も減少する。また、その時目に入った地元の商店や食堂にも足を向けるようになってくる。さらに市街地にある立派な宿泊施設だけではなく、自然の中に建っている小規模な宿泊施設にも「天然記念物に遭えるかもしれないから泊まりたい」と思うようになるのではなかろうか。


 今一度我々島民自身が「島の光」とは何か、考えてみる価値はある。

2013年

6月

10日

新石垣空港航空戦争 辻 維周

 いよいよ6月14日から純国産LCCである「ピーチアビエーション」が、石垣に参入する。また7月10日からは新規参入航空会社であるスカイマークも石垣~那覇・神戸・成田間の運航を開始する。一方迎え撃つ大手航空会社は55日前までに予約・購入すると、石垣~那覇で最安値¥4400からという運賃を設定した。しかし変更の効く普通運賃は¥24100と高いままで、スカイマークの普通運賃¥5000とはかけ離れている。▼全文は「新聞オンライン.com」でhttp://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2013年

5月

30日

命どぅ宝 辻 維周

咬傷事例があるという事で、一度は殺処分の決定が下された犬
咬傷事例があるという事で、一度は殺処分の決定が下された犬

 ある雨の夜、真栄里ダムのあたりを歩いているトイプードルの血が入っていると見られる一頭の犬に遭遇した。見ると赤い首輪が付いており、こちらの姿を見ると体をこすりつけてくる。迷い犬かと思ったが、どうする事も出来ずにそのまま帰宅した。ところが翌日、於茂登付近をぬれ鼠になりながら歩いている前夜の犬を発見し、声をかけると飛んでこちらにやって来て、開け放した車のドアから勝手に自分で乗り込んでしまった。


 保健所に連絡したところ、すぐ連れてきてほしいとのことであったため、そのまま車に乗せて連れて行った。保健所までの約20分、彼は車の助手席に大人しく座り、ほとんど身じろぎもせずお座りをし、もちろん吠える事もなかった。保健所に到着して引き渡しが済んだのち、自分は「もし飼い主が現れない場合は、自分が引き取る」と保健所の職員に明言して帰宅した。


 その翌日、担当者から話を聞いてみると、どうやらその飼い主は放し飼いの常連であったと言うが、その時点では飼い主に引き取りに来るよう連絡をしていたようだ。しかし数日経過しても飼い主は引き取りを拒否しているとのことであったので、ではうちが引き取るからと申し出ると、保健所は「この犬は咬傷事例を引き起こしているので一般譲渡は不可能で、殺処分となる」と通告してきた。保健所側は詳しくは語ってくれなかったが、医者の診断書まで提出してきたので、それなりのものであったと言う。


 結局その犬は、こちらに一言の断りもなく本島の動物愛護管理センターに送られてしまったが、犬の訓練士でもある私の教え子の奔走により、殺処分寸前で難を免れる事が出来、その犬は彼女が飼育する事になった。


 島を取材のために走っていると、当たり前のように放し飼いされた犬や、リードなしで大型犬を散歩させている飼い主、保健所の指導が入らない夜間、土日祝日だけ放されている犬など、無責任な飼い主に飼われている犬が多数見られる。保健所がいくら指導しても飼い主はどこ吹く風だとも言う。そのような飼い主のために、良識ある飼い主までが悪く見られてしまうのはいい迷惑である。終生飼育と飼育管理は飼い主の義務と言う事を忘れてはならない。飼い主はペットを選べるが、ペットは飼い主を選べないのである。


 一度失われてしまった命は、二度と戻ることはない。「命どぅ宝」と言う言葉の意味をもう一度真剣に考えてもらいたいものである。

2013年

5月

21日

バリアフリー観光地を目指して

先日観光客の方より「車いすの知人を島につれて来たのですが、意外にバリアフリーの観光地は少ないのですね。」と言う言葉を聞いたため、主だった公共的な観光地7か所のトイレとアクセスを確認して回った。
 1、唐人墓 バリアフリーのトイレはあるが、5月14日現在故障中。観光のための車いす可能なスロープもあるが、専用駐車場は設けられていない。


 2、御神崎 同じくトイレはバリアフリーだが、トイレに至る勾配が少し急。岬の先端までは道が悪いため、車いすで入れるのは灯台の直下まで。専用駐車場はない。


 3、川平湾 世界に名だたる観光地だけあって、かなり整備が行き届いている。トイレはバリアフリーで、グラスボート乗り場の直前まで車いすが入れる。展望台までの道も車いすで大丈夫。今のところ専用駐車場はないが、現在増設中の駐車場に、2台分ほど専用駐車場を設けられないものだろうか。


 4、米原ヤシ林 トイレはバリアフリーあり。しかしヤシ林に入るためには数段の階段を上る必要があるため、車いすでの観光は難しく、専用駐車場もない。


 5、平久保灯台 トイレはバリアフリー。灯台までの道も整備されており、勾配はきついが、車いすでも何とか行ける。取材時にも車いすを押している観光客がいた。しかし専用駐車場がないばかりか、一般の駐車場も狭く、シーズンには大混雑となる。


 6、玉取崎展望台 トイレはバリアフリー。しかし展望台までの道の一か所は勾配がきつく、車いすでの移動は難しい。専用駐車場もない。


 7、八島人工島 トイレはバリアフリー。遊具がある広場へはスロープも完備され、車いすでも問題なく行ける。ただし広場自体は芝生なので注意が必要。人工林は入口にトンブロックが置かれているが、車いすでも何とか通れる。人工島一周は問題なく出来るが、車に注意。専用駐車場はないが、駐車場自体が広いため、イベント開催時以外は問題ないはず。


 以上のように公共的な観光地を見てみると、障がい者専用の駐車場が設けられている所は今のところ一か所もなく、それ以外でもトイレや展望台に至る道の勾配がきつかったり、バリアフリーのトイレが壊れていたりしていて、障がい者のみならず、お年寄りにもあまり優しくない観光地となっている事がわかる。
 今後ますます観光客の増加が予想されるため、早急な整備を行い、世界にも胸を張れるようなバリアフリー観光地にしたいものである。

2013年

5月

02日

密猟から島を守れ 辻 維周

日本には屋久島と南西諸島にしか生息しない、チュウダイズアカアオバト=これも採取の対象となっている
日本には屋久島と南西諸島にしか生息しない、チュウダイズアカアオバト=これも採取の対象となっている

 いよいよGWも始まり、島にも多くの観光客が訪れる季節になったが、我々自然公園ふれあい推進員にとっては頭の痛い季節になって来た。それは陸生生物の密猟である。ここで言う密猟とは天然記念物に指定されている蝶や爬虫類などを、勝手に採取して持ち帰ることである。


 八重山では天然記念物に指定されているものだけでも、カンムリワシ(鳥)、リュウキュウキンバト、カラスバト、セマルハコガメ(亀)、キシノウエトカゲ(トカゲ)、アサヒナキマダラセセリ(蝶)、ヨナグニサン(蛾)、コノハチョウ、イシガキニイニイ(蝉)、オカヤドカリなど多岐にわたり、その中でもアサヒナキマダラセセリとイシガキニイニイは出現する期間が非常に短いため希少価値が高く、高額で売れるせいか密猟者たちがこっそりとやってくるのである。


 沖縄県では環境省と市の教育委員会などと協力してGWからパトロールを強化しているが、プロ集団である密猟者たちも、あの手この手で採ってゆく。アサヒナキマダラセセリはアワユキセンダンソウの蜜を吸いに於茂登岳周辺に降りてくるので、車の助手席側から捕虫網を出し、花が咲いている所を一網打尽にして行くケースが多く、こういったケースを阻止するために我々もチェックポイントを通った車両を全てチェックしたり、林道内をくまなく走りまわったりしている。しかしあの広いエリアを限られた人数でパトロールする事には限界があり、相手もその隙を狙ってやってくる。


 また指定物件だけを守ればいいと言うわけではなく、マニアは指定外のサキシマヒラタクワガタの雄やヤエヤママルバネクワガタ、カミキリムシ、キノボリトカゲの類いを生きたままごっそりと採っていく。自分の飼育のために数匹なら許されるだろうが、販売を念頭に置いて、根こそぎ持って行かれると知らぬ間に絶滅していたなどと言うことにもなりかねない。また間違って他地域で逃がされてしまった場合、国内外来種と言うことにもなりその地域の生態系を乱しかねない。さらに指定物件であるセマルハコガメもカニカゴを使って大量に密猟され、販売されるときには外見から産地までを判別する事は困難であるため、タイワンセマルハコガメとして取引されると言う。実際にネットを見てみると、ありとあらゆる八重山の生物が、驚くほどの高値で売買されており、その商魂のたくましさには呆れ返るばかりである。


 西表島が世界自然遺産に登録されるのではないかという話もちらほら聞かれる今日この頃であるが、石垣も早急に動植物採取に対する規制を掛けなければ、この島の自然は密猟者や業者によってボロボロにされてしまい、後に残るのは外来種ばかりと言う最悪の事態になってしまわないとも限らない。


 生き物に興味がない方も、これだけは知っておいていただきたい。「天然記念物は文化財」なのである。
     (桃山学院大学兼任講師)

2013年

4月

13日

開港から1カ月 辻 維周

新空港のショッピングゾーン
新空港のショッピングゾーン

 新空港開港から1カ月が経ち、そろそろお祭りムードも落ち着いてきたように見受けられる。それと同時にターミナルビルの問題点、例えば出発・到着ロビーの椅子の少なさ、フロアマップの不備なども取り沙汰されるようになり、ターミナルビル会社もその改善に乗り出すと言う。


 自分も何度か利用しているうちに、いくつかの問題点に気がついた。一つはセキュリティゲートが最大3か所しか設置されておらず、出発便が重なると長蛇の列ができることである。今後中型機での運航便が増加したり、LCCが就航したりすると、ますます混雑することが予想されるため、ゲートの早急な増設が望まれるところである。


 また取材していると、フードコートが隔離されていないために、他人に見られているようで食べていても落ち着かないとか、埃っぽいようで食べる気がしないと言った年配の旅行者からの言葉もあった。確かにあのようなオープンスペースでの飲食には抵抗がある人もいるに違いないので、通路から隔離されたクローズドスペースを持つ飲食店も必要ではないだろうか。また飲食店の開店時間が午前9時からと遅い事や、ほかの空港のようにショッピングゾーンでお弁当(空弁)を売っていないことも利用者には不評で、「フードコートは落ち着かないし、機内で食べるお弁当を買おうにも売っていないとは不親切だ」などと不満を漏らす観光客もいた。


 さらに、雑誌を含む書籍を売っている店が一軒もなくなってしまった事。特に旧空港では買う事が出来た、八重山でしか買えないような地元出版社の書籍が、新空港では一切買えなくなってしまった事は、一人でも多くの人に八重山を深く知ってもらいたいと思っている私にとっては残念至極である。
 以上述べた事はほんの一例であり、ターミナルビル内に「御意見箱」のようなものを設置したり、ターミナルビルのHPで、空港に対する意見や提案をできるようなサイトを作ったりすることも必要ではないだろうか。当事者には見えていないところでも、利用者は意外と見ているものである。


 また紙面でも何回となく指摘されている交通の問題であるが、レンタカーやレンタカー送迎車両、一般車両の無謀運転だけでなく、国道や裏道として利用される農道でのバスやタクシーの大幅な速度違反や追い越し違反も目立っている。空港から市街地までのたった14~15キロの区間を、40~50キロの制限速度で走る場合と、70キロで走る場合との所要時間は5分と変わらない(もっともメーターさえ見ずに漫然と走っているケースもあるらしいが)。その運転により自転車やセニアカーに乗ったお年寄り、小学生などが事故の危険にさらされている問題である。また、自転車やマラソンの練習をしている人も増加しており、ルールを守った運転をするのはドライバーの義務である。島時間を堅持し、自分本位な運転は止めようではないか。

2013年

4月

04日

島の自然どうなる 辻 維周

親水広場で調査する富田氏
親水広場で調査する富田氏

 先日、恐竜博士として有名な肉食爬虫類研究所代表富田京一氏と、昼夜1回ずつ、石垣の環境を調査して回った。富田氏は爬虫類・両生類を専門とし、自宅兼研究所には80匹ほどの蛇、トカゲ、亀、蛙類を飼育している。


 富田氏がまず驚いたのは、野底海岸の海岸浸食と、そこで浸食された土砂が吹通川河口のマングローブの根元に堆積し、普通ではあり得ない、砂に埋もれているマングローブが出現している事であった。氏は「よくここまで酷い状態で生き残っている」と語り、海岸浸食は食い止めようがないため、せめてこのマングローブだけは救いたいとも話していた。


 さらにカンムリワシやキシノウエトカゲ、キノボリトカゲ、ヤエヤマイシガメなどはよく目にするが、通行量が多すぎて速度も高いため、車に轢かれる事例も多く、絶滅してしまうのも時間の問題ではないかとの懸念を示した。


 一方、夜の於茂登親水広場の調査では、泥にもぐっているヤエヤマイシガメの周囲には、無数のオオヒキガエルの幼生(オタマジャクシ)がひしめき合い、水中にはブルーギルやカダヤシ、グッピー、ティラピアなどの外来種が所狭しと泳ぎ回っており、時折在来種であるゲンゴロウが姿を見せる。さらに外来種のホテイアオイの中から現れたのは、何と3匹の和金。和金はコイ科の魚ではあるが、決して自然界には生息しない生き物であり、何者かによってこの場所に移動させられたものであろうが、富田氏の見せた絶望的な顔は「沖縄県ふれあい自然推進員」ボランティアでもある私は、この上もなく恥ずかしく、無力感すら感じてしまった。


 さらに帰り道で3匹のヤエヤマイシガメが車に轢かれており、その轢かれ方の酷さは富田氏を驚愕させるに十分すぎるようであった。
 富田氏は「自然が観光資源だと言う割には、あまりに無頓着すぎませんか?今、何とかしないと石垣の自然は破壊されてしまい、観光としての魅力がなくなってしまいます。島民の意識を啓発する事は当然のこと、レンタカーを使う観光客にも早急に啓発活動をしてください。私も出来る限り応援しますから」と言う言葉を残して、帰って行った。


 島民は今まで当たり前のように見かけていた生物たちが急激に減少してきている事に気づいているはずである。その壊れかけた自然を元に戻せるか否かは、我々市民の手に委ねられている。

2013年

3月

10日

3・11の声を聞いた 辻 維周

亘町におけるヘリからの救出(資料写真=陸自第15旅団提供)
亘町におけるヘリからの救出(資料写真=陸自第15旅団提供)

 先日那覇から羽田に飛ぶ機内で偶然隣り合わせになったのは、福島県富岡町で被災し、現在はいわき市に避難されているKさんと言う方だった。その方は5人のグループの一人で、いつまでも悲しんでばかりいないで、前を向いて生活して行くための起爆剤として八重山を旅行先に選んでくださった。


 「八重山はいわきと違ってとても暖かく、いいところですね」と、しばし八重山の話に花が咲いた後、私が日報で論説を書いていると言ったところ、「震災の事を何でも聞いてください。そしてより多くの人に伝えてください。何かのお役にたつかもしれませんから」とおっしゃられたので、震災から丸2年経つ今、その方の話をできるだけ忠実に伝えていこうと思う。


 3月11日午後2時46分、自分の畑で農作業をしていた時、強い揺れに襲われた。とても立っていられる状態ではなく、土の中に手を突っ込んでバランスを取らねばならなかったほどだったと言う。すぐに自宅に戻り、97になる年老いた母親と犬とを車に乗せて避難する道すがら、2人の知人を拾い、山の方へ走っている途中で津波に追いつかれた。その時の恐怖をこう語る。「車がふわっと浮いたんですよ。とっさにブレーキを踏みましたが、効くわけはありません。そうこうするうちに引き波が始まり、私の車も海の方へ引き戻されていきました。車内では人間はもちろんのこと、犬までもが目を見開いたまま、黙りこくっていたのです」


 第2波で沖合から陸地に押し戻されたその車が、再び引き波にさらわれようとした時、運よくコンクリートのビルに引っかかって止まった。第3波が来るまでのわずかな間に、壊れずに残っていたそのビルの階段を4人で昇り、屋上までたどり着いたその時、第3波が襲った。その波の中にも多くの人が浮かんで「たすけて!」と叫んでいたが、どうする事もできなかった。その声は4波、5波の時もしていたが、回を追うごとに少なくなり、とうとう水の音しか聞こえなくなってしまったという。


 また、引き波にさらわれそうになる孫の両腕を必死になってつかんでいた知り合いのお婆さんが、ふと気付くと孫の腕だけを握っていた(つまり体が無くなっていた)、というショッキングな出来事も目にしたと言う。その人は一時精神状態が不安定になってしまったが、必死の治療により何とか今は元に戻っているとのこと。さらに自分は直接出遭わなかったけれど、被災者の多くは自衛隊の方々に助けられ、感謝してもし切れないほどだったと言う話も聞いている。


 何時間経ったのかわからない頃、ようやくKさんたち4人は助けられ、焚き火にあたらせてもらった。今回ほど焚き火がありがたいと思った事はなかったが、逆に濡れそぼった服が、これほど乾かないものだとも思わなかった。その後、避難所として開放された学校の体育館へ移されたが、時間が経つにつれて灯油が不足し始めた。避難所は机やいすを積み上げて壁を作り、プライバシーを保たせようとはしていたが、音やにおいはどうにもならなかった。さらに寒さに震える年老いた母を少しでも暖めようとストーブを焚くと、「灯油を使うな」という怒声がどこからともなく飛んできて、結局我慢させるしかなかった。お腹をすかせて泣いている子供の事をビンタする親、どこからともなく聞こえるすすり泣きの声、怒声…何度も避難所を移動させられたり、人の死を目の当たりにしてきたりした避難民は急速に疲れ切って行った。


 自分の母親は「長生きしたらいい事があるかと思ったけれど、まさか最後にこんな仕打ちを受けるとは思わなかった」とポツリと語り、その後はうつろな目を見開くだけで何も語らなくなり、とうとう肺炎を起こして避難所で亡くなってしまった。しかし「母親の事を少しでも世話しようと思って、69歳にもかかわらずヘルパー2級を取りました。結果的に母親の世話には間に合わなかったけれど、その後も避難所で他のお年寄りのお世話を出来たので良かったと思っています」そして別れ際に「人間は強いですね。叩かれても叩かれても必死になって這い上がろうとする。ですから見守っていてください。そして頑張ったら拍手してください。人々は哀しみを足下に置いて立つ金剛力を持って群れてきていると思います」と明るい顔でおっしゃったのが、せめてもの救いだった。

2013年

3月

05日

新石垣空港開港を祝う 辻 維周

 いよいよ八重山郡民37年の悲願であった「南ぬ島 石垣空港」が開港の運びになったことは、この上ない喜びであり、これを機に八重山が一層元気になっていく事を祈りたい。
 また今まで航空機の離発着時の騒音に悩まされつつも、郡民発展のために我慢をなさってきた、平得、真栄里、大浜地区住民の方々には深い敬意と感謝の気持ちを表したい。特にジェット便が主流になると同時に、観光客が激増した2000年以降には離発着回数も増え、その騒音のために学校の授業も度々中断したと言う話も聞いた。


 ジェットエンジン特有のキーンという音は、さぞ住民の方々の神経を苛立たせた事であろう。また常にあったオーバーランの恐怖からも解放されることになるので、7日以降は平穏な日常生活を取り戻していただけることと思う。
 また乗客の立場から見ても、条件付き運航や欠航率の高さ、ゴーアラウンド(着陸復航)、タッチダウン後の急ブレーキも2000㍍滑走路や、ILS装備により、ほぼなくなるため、より安心して利用する事が出来るようになるはずである。


 しかし一方では観光客に対して、新空港は島民の30数年来の悲願であったといくら説明したとしても、その想いを伝える事はほぼ不可能と言ってもよい。以前から何度も述べてきているように、多くの観光客にとって新空港開港は単に既存空港が移動しただけだとしか捉えられていないからである。特に先日インタビューした人の中には、新空港開港と言う大イベントに全く興味がなく、少しでも多くの島に上陸することだけが目的なので、空港などどうでもいいとまで言い切る人もいた。
 以上の事例から鑑みても開港はあくまでも出発点に過ぎず、あの立派な設備を持った空港を生かすも殺すも、我々八重山郡民次第であると言うことを忘れてはならない。

 

 観光客は空港を見に来るわけではなく、八重山を満喫するために来ると言うことを根本に置き、より魅力ある上質な滞在型観光地にするためには何をどうしたらよいのか、官民一体となって考える時がやって来たのである。
 開発と環境保全は相反するものではなく、共存できるものである。それがうまくかみ合った時、初めて魅力ある島が出来上がり、それとともに上質な観光客も増えていくはずである。
 (首都大学東京 大学院 非常勤講師)

2013年

2月

28日

カンムリワシの早急な保護を! 辻 維周

啓発看板
啓発看板

 環境省石垣自然保護官事務所によると、石垣では今年に入ってから国の特別天然記念物であるカンムリワシの命が6羽、西表では4羽失われ、うち9羽はロードキルによるものであろうと言う。


 しかし国の特別天然記念物に指定されているにしては、ヤンバルクイナやイリオモテヤマネコほど有名ではなく、観光客100人中80人以上が名前すら知らないという驚くべき事実が我々の聞き取り調査で判明した。


 さらにカンムリワシは昼間しか活動しないわけではなく、夜間も路上で轢き殺された動物を餌として摂取するために活動しているが、その事実もほとんど知られていない。また八重山を紹介しているガイドブックを見ても、多少触れられてはいるものの、積極的なPRはされていないため、いまだに観光客に認知されていない。


 筆者は路上に小動物が轢かれていた場合、それがカンムリワシを路上に降ろす元となってしまうため、積極的にトングを使って道路外へ死体を排除するようにしている。カラスやキジ、クジャク、ハブなどは害をもたらすために轢き殺してもいいという人もいるようであるが、全く別次元の問題であり、轢いて放置した場合にはカンムリワシのロードキルに直結してしまうと言うことを理解していただかなくてはならない。


 内地に対してカンムリワシが八重山にいると言うことを少しでも知ってもらおうと、JTAにお願いして新石垣空港のキャラクターである「ぱいーぐる」を機体に描いて飛んでいただいているが、それだけでは到底足りず、行政が積極的にPRをして行かねば、近い将来絶滅してしまうことは間違いがない。


 絶滅するのは生命力が無いので仕方がないと言う人もいるが、生態系ピラミッドの中にある生物同士の弱肉強食論理で絶滅してしまうのならば、それはそれで仕方ないだろう。しかし生態系ピラミッド外にいる人間が、それを絶滅させてしまうと言う事は論外である。


 また、運よく生きたままで保護され、動物病院に搬送された後、回復して放鳥されるケースもあるが、放鳥するときに子供たちを呼び、その雄姿を見せることも行われており、それはそれで命の大切さや、間近で島の宝を学ばせるためにはよいことである。


 ただしそのとき、子供たちにカンムリワシを触らせてしまうこともあるようだが、その行為はこれから野生に返されるカンムリワシをおびえさせてしまうだけではなく、野生生物が持っているウイルスに子供が感染してしまうことも十分考えられるので、厳に慎んでいただきたい。カンムリワシを始めとする天然記念物は「文化財」だという意識が、あまりに欠落している。


 新空港が開港するとレンタカーも激増し、カンムリワシの生命もさらに脅かされてしまうことは間違いないので、観光客に対する、より一層のPRを徹底しなくてはならないだろう。また環境省が写真のような看板を立てているので、その付近では特に細心の注意を払って運転を。


 なお、カンムリワシを誤ってはねたり、傷病個体を発見したりした場合には、環境省石垣自然保護官事務所0980―82―4768または石垣市教育委員会文化課0980―83―7269、西表野生生物保護センター0980―85―5581まで大至急連絡をお願いしたい。


 故意に死傷させる、追いかける、傷病個体や死体を持ち帰る、隠匿するなどした場合には、文化財保護法違反に問われる可能性もある。(首都大学東京 大学院 非常勤講師)

2013年

2月

20日

本当の意味での「観光立市」を目指すために⑪ 辻 維周

 いよいよ新石垣空港開港まで秒読みに入った。そして全日空が念願の中型機ボーイング767―300(270人乗り、プレミアムクラス付き)を、JTAが懐かしい南西航空塗装のボーイング737―400を復刻運航することになり、さらにLCCの中では一番定評のあるピーチアビエーションも就航することになり、巷では観光客100万人も夢ではないと言う声まで聞かれるようになった。一方で観光客数が激増すると言うことは、それだけ秩序を乱す輩も入り込んでくると言うことを忘れてはならない。


 先日も、とある有名な牧場の売店に仕事で行ったところ、10人ほどの若者のグループが入って来た。ところが、その中の数人が水着のような半裸スタイルをしていたのである。確かにその日は最高気温が28度になるという夏日ではあったが、夏でもなければ、海水浴場でもない場所にそのような格好で入り込んでくる神経には呆然とした。


 確かに今までも非常識な観光客は少なからずいたのだが、航空運賃が安くなり、敷居が低くなると、そのような観光客の割合も上がり、島が荒れてしまうことはほぼ確実であろう。


 いい例がグアムである。グアムは石垣とほぼ同じ広さの島であるが、低価格ツアーのせいか、年間の観光客数は100万人に届く勢いである。しかし日本人観光客御用達のホテルロードと言われるタモン付近(先日痛ましい事件があった場所)には、面妖な格好をした日本人の若者が闊歩したり座り込んだりして、ローカルたちの顰蹙を買っていることは、イメージダウンになると言うことからか、あまり報じられない。さらに土地も高騰し、20年前のグアムでは想像もできなかった価格で売買されている。


 また急増する観光客に対処しきれず、宿泊施設の質は低下し、サービスホスピタリティーが急落してしまったホテルもある。さらに本来免税の島(グアムは島の大きさが小さいために、アメリカでありながら州にはなっておらず、住民にはアメリカ大統領選の投票権もない。その代償としてフリーポート、つまり免税の島になっている)にもかかわらず、堂々と「免税店」などと看板を掲げている怪しげな店まで出る始末である。


 逆の例としてはタヒチがあげられる。特に首都パペーテから飛行機で1時間ほどのボラボラ島は、世界的なリゾート地として有名であるが、そうなった裏には住民たちが一体となった最高のサービスホスピタリティーがあったからこそである。どこに行っても住民たちの暖かな笑顔があり、治安も抜群。ホテルスタッフのフレンドリーな中にも緊張感あふれる態度、朝食のカヌーサービスやアクティビティ、水上コテージというアコモデーションは当然のこと、ベッドメイク一つにまで、細かい気配りがなされていることを関係者はきちんと勉強しておく必要があろう。


 石垣も国際的なリゾートを目指すのならば、まず宿泊施設を始めとする観光関連の意識改革を図る事である。ある有名ホテルのマネージャークラスと話をした時、「ホテルは公器である」という事すら理解していなかったという事実、そして石垣は田舎だから今のままでいいという言葉には、愕然とさせられた。ちなみに先に述べたタヒチのボラボラ島は、石垣など比べ物にならないほどの田舎である。


 もちろん、すべてのホテルを高級志向に持ってゆく必要はなく、客のニーズに合わせた様々なスタイルのホテルがあっていい。しかし、せっかく経営者が新しい風を入れようと考え、国際的な感覚を持ったスタッフを採用しても、変化を嫌う古参の従業員がいびり出してしまうという実例も多く聞く。このような事が無くならない限り、この島が国際的なリゾート地になることなどあり得ない。


 先ほども書いたとおり、観光客はただ増えればいいというものではなく、質の悪い観光客を放置すれば島が荒れてしまう。一方、質の高い観光地にするためには、質の高い観光客がどれだけリピートしてくれるかにかかっているが、そうなるためには関係諸機関スタッフの意識改革が必須であるということに、関係者はいい加減気付く必要がある。(公立大学法人 首都大学東京 大学院 観光科学領域 非常勤講師)

2013年

2月

11日

海自指揮官達の不満 惠 隆之介

 現在、海自の後輩指揮官達の不満は頂点に達しつつあります。万一中国軍から攻撃を受けた際、あるいはその直前、憲法に従って黙して滅びるか、あるいは国家の名誉と部下の命を守るため独断で応戦し中国人を叩き潰すかです。
 思えば日中関係近代史は元寇を含め中国の攻勢と最終的に立ち上がって失地を回復せんとする日本の衝突だったと思われます。


 昭和2年3月、中国革命軍が南京で武装蜂起、暴徒化した中国軍が列国居留民や領事館を襲撃したため、列強は共同出兵(多国籍軍)、共同攻撃を呼びかけましたが、日本はそこで自分だけいい子になろうとしてこれを拒否したのです。すると中国人は日本人と日本権益だけを狙いました。


 極めつけは、在留日本人婦女子がレイプを回避しようと南京日本大使館に避難しました。我海軍陸戦隊は同大使館保護のため出動しましたが、政府(若槻礼次郎内閣)の訓令「武力使用絶対禁止」を墨守したため、無抵抗で中国暴徒の大使館乱入を許し、避難中の日本婦女子はことごとく陵辱されました。
 国民が激怒したため、若槻内閣は間もなく解散し、田中義一内閣が成立し対中国強硬外交に転じたためその不満は解消しました。

 

 軍事力をもたない国、行使できない国はバカにされ、隣国から収奪されるのです。ロシアもしかり、9日に領空侵犯したくせに(しかも北方領土記念日に)、「した覚えはない」としらばっくれております。
 私が総理なら「解った、次回からは警告なし撃墜する」と淡々と発言します。恐らくロシアは言葉を失うでしょう。

2013年

2月

10日

盧韓国大統領が恩師に発した言葉 惠 隆之介

 現在、わが国の教育会、スポーツ界では暴力的指導が問題になっておりますが、こういう話もあります。


 昭和63年、韓国大統領に就任した盧泰愚(ロタイグ)大統領は、小学校3年次の恩師佐藤彰先生を熊本に探しあてて、ご夫妻を国賓として青瓦台に招待し、「今日あるのは先生のお陰です」と会食し師恩に感謝しました。

 

 二人は感極まって抱き合って泣いたそうです。盧大統領は幼い頃、父親を事故で亡くしており、また佐藤先生も同じ境遇であったため、佐藤先生は絶えず盧少年を気にかけておられたようです。

 

 盧大統領と先生の再会は、恩師との再会というより父子の再会の印象だったと言われております。その際の記事が、文藝春秋1988年7月号に掲載されております。一部紹介します。


 佐藤先生が盧大統領に、「自分の子供のつもりで無我夢中になって(君らを)怒りもし、泣きもし、叩きもした。どうぞそれを許して下さい」と言ったところ、盧大統領は、「いや、先生に叩かれることによって愛情を感じていたのです。先生の怒りは、私達の中の悪に対する怒りであったことをみんな知っていました」と私(佐藤先生)を慰めたあとで、大統領はこう付け加えたのです。「自分の可愛い子だったら、叱り、叩くことさえある」。

 

 実はこの一節もペスタロッチ(スイスの教育家)からの引用だったのです。盧大統領は40数年前、知らず知らずのうちに(私が)しゃべっていたペスタロッチの一節を、ご記憶だったのですよ…


 余談になりますが、朴大統領の父親朴正煕大統領は日本の陸軍士官学校卒でした。朴大統領も生前戦前の日本教育を褒めておりました。日本ではあまり報道されておりませんが、田中角栄総理が日本陸軍下士官のころの上司が朴陸軍中尉だったのです。

 

 陸軍士官学校は海軍兵学校と並んで戦前難関中の難関で、今の東大、防大の比ではありません。陸軍士官学校に八重山から進学された先輩は、大桝松一大尉、伊舎堂用久中佐です。海軍兵学校は宮良眼科院長の宮良先輩です。

 

 沖教組は戦前の日本教育を、「皇民化教育だった」と批判しておりますが、その価値が解っていない証拠です。沖教組がそう言っている間、沖縄からは国際級の人材は決して生まれないでしょう。

2013年

2月

06日

LCC参入② 辻 維周

 前回LCCに関して数字を交えて解説したところ、非常にわかりやすく役に立ったとのご意見を多数いただいたので、もう少し大手航空会社(FSC)と格安航空会社(LCC)との違いを解説してみたいと思う。


 前回は予約の仕方と運賃とを解説したが、今回は機内サービスや設備について書いてみよう。今回石垣に入ってくるピーチアビエーションが使っている機材は、エアバスA320というもので、日本のLCC各社(エアアジアジャパン、ジェットスタージャパン、ピーチ・アビエーション)や、スターフライヤー、ANAの一部路線で採用している。通常は3列×3列のシート配置で、定員はスターフライヤーの144人が一番少なく、ANAは166人(国内線仕様)、LCC各社は180人となっている。定員が少なければ少ないほど座席の間隔(シートピッチ)は広くなるので、スターフライヤーが一番広い事になる。ちなみにスターフライヤーは91センチ、LCC各社は平均71センチ、ANAの国内線仕様は世界標準の78センチ前後となっている。ちなみにJTAのボーイング737―400(普通席)は80センチ前後であり、これと比較していただけると、71センチは相当狭く感じるかもしれない。

 

 要はFSCと同じ機材ではあっても、運賃を下げるためにはできるだけ多くの乗客を詰め込む必要があり、このシートピッチが採用されている。ただしLCC機材の全席がそこまで狭いわけではなく、非常口座席などは90センチ程度確保されている。しかし、そこに座るためには840円の追加料金が必要になる(航空会社によって多少の増減がある)と同時に、非常口という特性上、利用制限がかかる場合が多い。さらに関空や那覇空港ではLCC専用ターミナルでチェックインや荷物受け取りが行われるため(除ジェットスター)、その分、時間を余計に見ておく必要もある。


 またFSCでは当たり前の飲み物無料サービスはLCCには存在せず、コーヒーやコーラ類は¥200程度で販売されているのが普通である。機内の湿度は限りなく0パーセントに近いため、関西~福岡線のような近距離路線では必要性をあまり感じない飲み物も、本土~沖縄・石垣線のように2時間を超えるフライトの場合には、体が要求することが多いので、飲み物サービスは結構重要な要素かもしれない。
 さらに機材到着後、地上での折り返し時間はFSCが通常35分以上とっているのに対し、LCCは運航効率を上げるために25分程度としており、一度遅れが出始めると、折り返し運航のため、その遅れはどんどん増幅してゆき、最終便になると1時間以上の遅延になってしまうこともざらである。つまり少しでもゆったりと、そして遅延のリスクも最小限にとどめたいならば多少高くてもFSCを、窮屈さやサービス、遅延などには目をつぶる代わりに、できるだけ安く行きたいと言うならばLCCを選ぶのが良いだろう。


 これからの航空業界に必要な事は、FSCとLCCとの住み分けである。FSCには高いだけの理由が、LCCには安いだけの理由があるのだから、利用者はそれを十分理解したうえで、航空会社を選ぶ時代になって来たのである。

2013年

1月

24日

LCC参入① 辻 維周

 新石垣空港にもLCC(ローコストキャリア)であるピーチアビエーションの参入が決まり、航空運賃の低減によって島民の移動が楽になったり、観光客の増加が見込めたりと、いいことずくめのように見える。しかし安いには安いなりのリスクがつきものであるということを忘れると、相当に困惑する事もある。つまりLCCは従来の大手航空会社(LCCに対してFSC=フルサービスキャリアと言う)とは対極にある航空会社だと言うことを、利用者はまず理解しておかねばならない。また搭乗日によっては必ずしも大手より大幅に安くなるとも限らない。


 LCCにはいわゆる「乗り継ぎ」という概念はなく、あくまでも「A地点とB地点とを結ぶ直行便」という考え方に基づいている。一例をあげると関空~石垣のピーチ直行便が満席だったため、関空~沖縄~石垣とピーチを乗り継いだとしよう。大手航空会社の場合には「乗り継ぎ割引」が設定されており、機内預け荷物もスルーチェックインができるため、関空で預ければ、たとえ那覇で乗り継ぎになったとしても、荷物は最終目的地で引き取れば済む。しかしLCCの場合には、たとえ同一航空会社に乗り継ぐ場合であっても、那覇で一度荷物を引き取り、再びカウンターで荷物を預けなくてはならない。さらに格安運賃の場合には、1個手荷物を預けると1050円の手荷物料金が徴収されるが、このルートをたどった場合には関空で1050円、那覇でも1050円が徴収される。また座席指定をする場合にも、指定する座席によって400円~840円の手数料が徴収され、決済も原則としてクレジットカードが基本で、1区間ごとに決済手数料が315円徴収される。


 例えばピーチの沖縄~石垣便が飛び始める9月13日に、関空~那覇~新石垣を荷物1個預けて、最前列のシートを指定して飛ぶ事にしたとしよう。利用者はまずピーチのWEBページを開き、第一区間である関空~沖縄線の搭乗便(MM213便)を探し出して一つ一つ項目を埋めて行く。予約完了後はその場でクレジットカード決済し、再び同じ手順を繰り返して第二区間の沖縄~新石垣便を予約しなくてはならない。そして運賃+料金は関空~沖縄(運賃¥7590+空港利用料・税金¥400+座席指定¥840+荷物預け¥1050+カード決済手数料¥315=¥10195)、沖縄~新石垣(運賃¥6390+税金¥0+座席指定¥840+荷物預け¥1050+カード決済手数料¥315=¥8595)で、合計¥18790を支払うことになる(1月22日現在)。(関空~新石垣直行便はすべて込みで¥13780)


 一方同じ区間で大手航空会社の28日前まで発売されている乗り継ぎ割引を利用したとすると、多少の増減はあるにしても、大まかなところ関空~沖縄¥12600+沖縄~新石垣¥8500=¥21100(直行便は¥22000前後)となる。このように乗り継ぎの場合には大手のほうが約¥2000程度高くはなるが、仮に搭乗便が遅延して、乗り継ぎ便に乗れなかった場合でも、自社便もしくは他社便への振り替えがある。運悪く最終便であったとしても、宿泊の手配まで行ってくれる。


 ところがLCCの場合には、自社便にのみ振り替え可能という規定があるため、関空~那覇が大幅に遅延した時、那覇~石垣のように1日1便しか飛ばない路線の場合には、原則として他社便を改めて買い直すか、自腹での宿泊を余儀なくされてしまう。LCCを利用する場合には、①遅延はつきものと割り切る②多くが「自己責任」③出来る限り乗り継ぎは避け、直行便を使う④利用者が航空会社の規則に合わせるというように、客自身の意識改革を図る必要がある。図らずも記者会見でピーチの社長が発言していた、「旅客機の電車化」とはそういうことである。


 今後は石垣でもLCC顧客と大手顧客との「住み分け」が明確になるだろう。LCCに関して言うならばそれなりのリスクはあるものの、格安で搭乗できるため、今まで価格面で石垣旅行に踏み切れなかった人々にとっては福音であり、石垣にとってもその部分の客がプラスオンされると考えればよい。


 一方大手は運賃が高い分、リスクを覚悟する必要もなく安心して搭乗することができる。つまり客層が全く違うため、大手の顧客がLCCに流出することは、あまり考えなくてもよいはずである(初めは物珍しさから、LCCを利用してみる顧客もいるかもしれないが)。


 以上の事からLCCはより安く、より安全に、そして大手2社は誇りを持って自分の道を進んで行って頂きたいと切に望む次第である。

2013年

1月

12日

本当の意味での「観光立市」を目指すために8 辻 維周

 いよいよ石垣市民待望の新空港開港の年になり、この開港が島の経済再生の起爆剤になると考えている島民が相当数いるはずである。しかし、新空港開港は島民にとっては30年来の悲願であるが、一部の航空マニアを除き、ほとんどの観光客にとっては、今まで空港が無かった島に新しく空港ができるわけではなく、「単に移転するだけ」であると捉えられているということを、知っておかねばならない。つまり島民と観光客の感覚には相当の温度差があり、単に開港すれば、すぐに観光客が激増すると言うわけではない。「八重山観光新春のつどい」で石垣市観光協会会長の宮平康弘氏も発言されたとおり、新空港開港はゴールではなく出発点である。従って、新空港が開港するまで行った血のにじむような努力を、今度は島民全体でしていかなければ、単に空港が遠くなっただけで終わってしまうことになる。


 そのためには「沖縄本島に行けば得られるサービスや自然の美しさ」ではなく、「八重山にしかない(できない)サービスや自然の美しさ」を持つ必要があり、また、そうでなくては、わざわざ石垣にまで足を延ばしてくれるはずもなく、いつまでたっても本島止まりとなってしまう。それは宿泊・観光施設のサービス然り、自然然りである。


 例えば節分の企画として、市販の鬼の面を買ってきて、ホテルにチェックインする家族連れに、それを配ったとしよう。しかしそれを喜ぶ客がどれほどいるだろうか。おそらくゴミにはなっても、喜ぶ客などほとんどいないはずである。観光客は、ありきたりのものではなく、八重山でなくては、また、そのホテルでなくては受けられないサービスを望んでいる。要は宿泊施設に限らず全ての観光施設が、常に客の立場に立った八重山ならではのサービスを企画して行き、同時に豊かな自然をアピールして行かなければ、独自の魅力がある観光地にはなり得ないということである。


 そのためには、石垣に来る観光客が何を求めているのかを正確に把握する努力と、それを満たすための高い企画力とが必要になってくる。思い付きの企画は通用しない。最近の観光客は、団体・個人を問わず、非常に眼が肥えているため、ありきたりなものでは、到底満足しないからである。


 また、お世辞にもいいとはいえない交通マナーは、早急に改善されなくてはならない。日常的に行われている追い越し禁止区間における追い越し違反、一時停止無視、ながら運転、ペットや子供を膝に乗せたままでの危険運転など、枚挙にいとまがないほどである。石垣島マラソンやトライアスロンの練習をする人が多数道路を走っている上に、新空港開港によって交通量が増加することも予想される中で、そのような運転を続けて行くならば、死亡事故も増加することは明白であるので、警察当局にも取り締まりの強化をお願いしたい。観光客の多くは「のんびりとした島時間」を望んでくる。そのような観光客に対して、全島民が温かい気持ちで彼らを迎え、ニーズにこたえて行かない限り、ハード面ばかり充実して行っても、魅力的な観光地にはなり得ないということを理解しておく必要があろう。(首都大学東京 大学院 観光科学領域講師)

2012年

12月

30日

カンムリワシに注意! 辻 維周

島の誇り「カンムリワシ」
島の誇り「カンムリワシ」

 ご存じのように石垣島と西表島には、国の特別天然記念物であるカンムリワシが合わせて200羽程度生息しているとされているが、特に西表島の場合には、人間の立ち入ることができないほどの深い山が多いため、正確な生息数は不明である。


 我々が行っているロードキルパトロールは、車にひかれている動物を食べに降りてくるカンムリワシが、再び車にひかれてしまうと言う二次被害を防止する事を目的とするほか、八重山の固有種がどのあたりに、どの程度生息しているのかという生息密度調査も目的としている。


 先日、本紙に発表したデータとは別に、種類別のデータを見てみると、原生林が残る於茂登山周辺と、バンナ岳周辺、屋良部半島はカンムリワシのほかに、天然記念物であるセマルハコガメやキシノウエトカゲの生息密度が高いということが分かり、来年学会でも発表予定である。


 我々はカンムリワシやセマルハコガメなどの希少生物が車にひかれることを防止するため、生息密度が高い場所に、市の協力を得て啓発看板を設置している。その文言は「カンムリワシを轢かないで」「カメを轢かないで」「ここは野生動物の宝庫です」の3種類であるが、看板周辺のロードキル件数は設置前に比べて8割近く減少した。またカンムリワシのロードキル(保護・死亡合計)件数も昨年の16件にくらべて今年は6件(環境省石垣自然保護官事務所調べ)に減少し、看板と動物の死体除去による一定の抑止効果が認められる。


 ところで、ある地域には「カンムリワシに注意!」という看板が立っているが、この表記には少々問題がある。つまり内地でカンムリワシを知らない人は相当数にのぼり、たとえ名前は知っていてもその生態までは知らない人がほとんどであろう。そのような人々がこの「カンムリワシに注意!」という看板を見た場合、「カンムリワシは人を見ると襲ってくる」と考えてもおかしくはないし、現実にそう思ってしまったという話を聞いたこともある。


 カンムリワシやセマルハコガメ、キシノウエトカゲなどは八重山の宝であり文化財でもある。そのような貴重な生物が八重山に生息しているということを、観光客に周知徹底することは非常に重要なことではあるが、看板の文言一つで受け取る側の印象が大きく変わると言うことも、我々は認識することが必要である。


 今年もあと2日で終わるが、来年こそ新石垣空港とともに、島の誇りである「カンムリワシ」を始めとする天然記念物たちが日本全国に周知され、保護が徹底されるよう祈らずにはいられない。

2012年

12月

27日

道標 辻 維周

フィナーレを飾るテーマ曲「道標」を踊るメンバー
フィナーレを飾るテーマ曲「道標」を踊るメンバー

 今年も子供演劇現代版組み踊り「オヤケアカハチ太陽の乱」を観てきた。昨年10周年を迎え、ますます円熟味を増したこの劇は、石垣の年末の風物詩として、石垣市民に定着し始めている。


 1500年におこったと言われる、オヤケアカハチホンガワラの乱が史実であろうが無かろうが、アカハチ自身が琉球王朝に反旗を翻した逆賊であろうが石垣の英雄であろうが、長田大主と敵対関係であろうが無かろうが、それは別次元の問題である。


 それよりも石垣島出身の詩人伊波南哲氏(1902~1976)が長編叙事詩「オヤケアカハチ」を書き、それを基にしてこの脚本が書かれたわけであるが、それが大人のみならず、なぜ現代の子供の心までとらえているのか、その真意を探る必要があるだろう。

 

 八重山は琉球弧列島の一部ではありながら、古代から独特の文化を持ち、「琉球」とは一線を画する存在であったはずである。それは島言葉や郷土芸能によって容易にくみ取ることができる。ところが琉球王朝が出来てからというもの、琉球の文化が流入し、それだけにとどまらず重い年貢を王朝に納めなくてはならず、それが常に八重山住民の生活を圧迫してきた。住民はお上に逆らうわけにもゆかず、窮々とした生活に甘んじざるを得なかった。そこに登場したのがアカハチであり、長田大主であり、仲間満慶山である。

本番前、舞台裏で気合を入れる出演者たち
本番前、舞台裏で気合を入れる出演者たち

 この演劇の中でのアカハチは、石垣の住人を王朝の圧政から救おうと立ち上がったが、結局長田大主に底原で斬り殺されてしまう。しかし長田大主はアカハチの遺志を継いで、琉球王朝に直訴するという筋立てになっている。言葉にすると非常に簡単なものになってしまうが、この脚本の中にはアカハチの八重山に対する熱い想いが充満している。


 つまり八重山の人々の心の奥底には、「琉球(沖縄)」に従属していない、本来の「やいまぴとぅ」のアイデンティティー復活への願いが込められており、その願いがこの演劇のメインテーマである「道標」という言葉に表れているのではなかろうかということである。


 似たようなケースはほかの太平洋諸島にもあり、現在はアメリカ領となってしまったグアム島にも「チャモロ族」という先住民族がいる。彼らは長いスペイン統治時代を過ごし、日本の信託統治を経て、アメリカ統治となった現在でも「チャモロ・プライド」を大切にして、チャモロ文化の復活・保存を行っている。その事はグアム島内を走る車のナンバープレートの下に〝TANO Y CHAMORRO〟(チャモロの島)と書かれていることからも理解できる。


 八重山の人々もチャモロ民族のように、自分たちの先祖が培ってきた独特の文化を大切にして、「沖縄」とは違った「これこそが八重山だ」という文化を、新石垣空港に降り立つ観光客に見せてほしい。


 なりたくても決して「やいまぴとぅ」にはなれない、島外出身者からの切なる願いである。

2012年

12月

22日

大人たちよ、恥を知ろう! 辻 維周

ロードキル防止啓発の缶バッジを持つ平田君
ロードキル防止啓発の缶バッジを持つ平田君

 第53回「動物愛護の作文コンテスト」(主催  公益社団法人日本動物福祉協会)に応募した平真小学校3年生の平田育(はぐむ)君が、「大じなみんなの命」というタイトルで応募し、全国2等賞に選出された。


 平田君は5人兄弟の真ん中で、兄弟全員が毎朝新聞配達をおこなっている。その時、配達区域である産業道路でロードキルに遭っている動物を見つけると、余った広告に包んで家まで持ち帰り、ビニール袋に入れて「ごめんね」と言いながら、ゴミ箱へ入れると言う。


 一体誰が血だらけになった動物の死体を持ち帰り、轢いた人に代わって「ごめんね」と贖罪の気持ちを言葉にすることができようか。この行動は、身勝手な運転の結果、平然と動物をひき殺してゆく大人たちと完全に対極をなすものであろう。平田君にインタビューしてみると「人間が殺しているのに、死体をそのままにしておくのはかわいそうなので、始めました。車を運転する人はスピードを出さないでほしいです。将来は消防士になって、沢山の命を救いたいと思います」と語っていた。

 

 さらに保護者の方からは、新聞配達の仕事が無い時、ロードキルのパトロールにも親兄弟全員を同行させてほしいとの申し出もあり、冬休み中の金曜日は毎週同行することになった。


 このロードキル密度国内ワースト1位の石垣を、現状のまま平田君のような素晴らしい感性を持つ子供たちに託してはならない。石垣に住む人や、レンタカーを運転する観光客は、今一度この作文が語る意味をよく考えてほしい。育君をこのような子供に育てた保護者の方や、平真小学校の先生方に深い尊敬と感謝の念を覚える。
 大人たちよ、恥を知ろう!


 【以下原文】
 「大じなみんなの命」
  平真小学校3年
    平田 育
 「あっ!また死んでる…」
 朝五時に新聞配たつをするぼくは、毎日道路で死んでいる動物を見ては、つらい気持ちになります。オオヒキガエル、ねこ、とり、ハブ、セマルハコガメ、ネズミにヤエヤマオオコウモリ、みんながころされているのです。


 夜、エサを食べようと道に出たり、横だんしている所を車にひかれて死んでしまう、これを〝ロードキル〟と言うそうです。ロードキルで夜中に死んだ動物たちを、明け方はカラスがエサにしようと、たくさんむらがってきます。ほねと羽毛が食べのこったり、すききらいか食べずに放ちされていることもあります。だからぼくは、あまった新聞やチラシで死んだ動物を拾い、家に連れて帰りビニールにつつみます。そして「ごめんね」って言いながらしずかにゴミ箱に入れます。直せつさわると、バイキンや病気がうつるのでよくないそうです。今は暑いのですぐ、においが出たりウジがわくので、早くかた付けないと、とてもかわいそうです。


 今朝は小さなセマルハコガメでした。甲らがこなごなで、とてもいたくてくるしかっただろうなと思います。温かく、やわらかい体の時は、生き返らないかなと考えたりするけど、悲しそうな目を開いたまま動くことはありません。そして、この死んだ動物たちのお父さん、お母さん子供をずっとさがしてるのかなってそうぞうすると、なみだがながれそうになります。


 ロードキルの調さをしている方がいます。石垣のゆたかな自ぜんを、い持するには、き少動物は欠かせないそんざいです。


 でもき少動物の生たいを知らない人が多いので、ロードキルのひがいはくりかえされているそうです。夜行せいで、町の方にも住んでいること、体が小さいのでどんなに急いでも移動に時間がかかること。だからみんなで守らなければいけないのに、大事なことと理かいされていないとお話してくださいました。島みん全員が共ぞんを意しきして、ゆっくり運てんをすれば、き少動物の急なとび出しや、おそい発見でも、助かったのかも知れないと思います。


 自然界には〝食物連さ〟があります。それは自ぜんの中で動物たちが、食べたり食べられたりすることで、ぼくたち人間が勝手にころしたり、数を減らすことはぜったいしてはいけないことです。かんたんにふえない天ねん記念物のヤンバルクイナやイリオモテヤマネコ、カンムリワシもロードキルで数がげきげんしていると、新聞にかかれていました。数をへらすことをやめれば、少しずつふえるかもしれません。


 ぼくは虫が大好きで、さとうきび葉のイワサキクサゼミや大きいクマゼミ、パインの仕かけではヒラタクワガタをつかまえたりと、夏はたのしいです。けれどやさしく遊ぶこと、遊び終わったら同じ場所でにがしてあげることに気をつけています。そうすれば来年もまた元気に仲間をふやしてくれ、ぼくたちもうれしくなります。みんなの地球だから、虫も動物も人も、命と家族を大切にして、くらせたらいいなとおもいます。ロードキルがなくなって明日こそ、きずついた動物たちがいない道路でありますように。(原文ママ)

2012年

12月

09日

中村勘三郎を悼む 辻 維周

高校の卒業写真。右が勘三郎、左が筆者
高校の卒業写真。右が勘三郎、左が筆者

 私と中村勘三郎(本名 波野哲明)との付き合いは、はるか53年前に遡る。私が通っていた歌の教室に偶然彼がいたのである。その後、小中高と同じ暁星学園と言う私立に通い、ほぼ12年間同じクラスで過ごした。もちろん彼はすでに勘九郎を襲名しており、舞台や稽古などで休むこともあったが、学校にいる時は単なるいたずら坊主に過ぎなかった。

 

 中学生になって歌舞伎座に彼の芝居を見た帰りに、楽屋へ遊びに行った時の事、ちょうど彼の父親である先代の勘三郎が顔を作っている最中だった。先代の勘三郎は楽屋を入った瞬間に威圧感を感じるほどの人間であったが、私には笑顔で接してくれた。しかしその時私は委縮してしまい、十分に話も出来ずにすごすごと楽屋を後にした事を覚えている。

 

 その後、先代勘三郎がなくなり、その葬式に参列した時、当時の勘九郎はもう歌舞伎を背負って立つ覚悟を決めていたらしく、涙も見せずに参列者に気丈に応対していた。

 

 その後も、勘九郎の楽屋を度々訪れたり、関ヶ原の合戦400年記念イベントに招かれて、対談したりしていたのだが、彼が「平成中村座」を立ちあげて初めての年、中村座の楽屋で次のように切り出してきた。

 

 「今の歌舞伎は入場料が高すぎて、若い人たちが来づらいじゃないか。だから来年この中村座に金額が高い席を作り、その代わり1000円程度で全幕見られる学生席も作るつもりなんだ。自分は歌舞伎を特別なものではなく、原点に帰って庶民芸能として見てもらいたいんだよ。どう思う?」私は「それは是非お願いしたい。やはり伝統芸能の気位も大切だが、もっとハードルを下げて、学生たちにもどんどん来てもらいたいね。」と答え、その言葉通りに翌年は「学生席」が設定された。

 

 しかしその時、彼の口から「この小屋はね、千秋楽の翌日にはもう跡形もなくなってしまうんだ。役者の人生もそんなものさ。役者って孤独なんだよ。」としんみり語った事も思い出す。そして勘三郎襲名が決まった時も「お前、まだ少し早くないか?勘三郎の大名跡を継ぐのはとんでもないプレッシャーだぞ。それにお前にはまだ先代の威圧感がない」と言うと、彼は「自分もそう思う。しかし早く勘三郎を継いで、俺の足跡をこの世に残しておきたいんだ。」と話し、2005年勘三郎を襲名した。

 

 その襲名披露公演の時、あるカード会社の企画による歌舞伎解説を東京、神戸、福岡で私が担当することになったが、今思うと彼は「自分は短命である」ということを悟っており、生き急いでいたように感じる。

 

 勘三郎襲名後は破竹の勢いでコクーン歌舞伎のような新歌舞伎から伝統的な歌舞伎、そして新劇やテレビドラマまで幅広く活躍し、一躍大役者に躍り出た。にもかかわらず、我々同級生との付き合いは欠かさず、昨年春には「辻、お前、今石垣島で野生生物の保護活動をやっているんだよな。俺も何か手伝いたいと思うから、息子の勘九郎襲名が終わったら、石垣に行くことを考えるよ。俺でも何かの役には立つだろう。もう少し待ってくれよ。」と言ってくれたが、その言葉が実現される前に逝ってしまった。

 

 彼は我々が200年掛っても出来ないことを、たった57年の人生の中でやり遂げ、その芸風や理念は息子の勘九郎、七之助はもちろんのこと、中村屋一門によって語り継がれていくことだろう。

 

 波野よ、お前は立派すぎる足跡を残したが、少し早く逝きすぎたな。でもお前が手伝ってくれようとした石垣の野生生物保護は、きっと俺たちがやり遂げるから、あっちの世界で応援してくれよ。


 走り続けて疲れただろう。俺がそちらに行ったら、また馬鹿話をしよう。それまでゆっくり休んで待っていてくれ。

2012年

12月

04日

すぐやる市政に期待する 徳松 信男

 本紙11月15日第1面に石垣市すぐやる課の「発展的解消論も」と大見出しの記事があった。相談件数が年々減少し、維持管理が中心になっているため「維持管理課」に改編するようとの声も出ている。また一方で市民の意見も聞くべきとの声もある。いまや同課の相談内容は他の課に業務を繋ぐ内容が多いという。これまで道路の補修、舗装、防犯灯や街灯の新設、修繕などで市民から感謝されている。


 私自身昨年家の修理で大工に来てもらっていた時のことだが、戸袋内から蜂の大群が飛び出し、私を含め二人の大工が刺され、一日仕事にならず帰ってもらった事があった。すぐやる課に依頼したところ、早速防護服を着た職員が複数の蜂の巣を処理してくれた。

 

 また自宅近くの下水溝が詰まって道路が水で溢れたことがあった。鉄棒でつついても流れが良くならず、これもすぐやる課の専門チームがバキューム車で来てくれ、すぐ水が引いた。私は「すぐやる課ありがとう」と新聞に投書した。

 

 機構改革で維持管理課に名前を変えたら、市民にはわかりづらく、市政サービスについても誤解を招くだろう。担当部署を調べて、そこに当たるのも手数がかかり、気後れするだろう。つなぐ業務も重要だが、すぐやる課ができる市民の相談内容や情報提供などサービスの内容を考えるべきだ。

 

 すぐやる課の「すぐやる」と言うのが重要で、すぐやらないといけないことが多いし、すぐやれないこともある中で、情報などを与える知恵袋の課になることで市民により良い情報を提供できる。また担当部課と協力してすぐやれるようにする業務内容などの方策も検討されていい。

 

 何より「すぐやる課」は石垣市長の選挙公約であった。これだけでなく「すぐやる市政」を重視する現れでありこの姿勢は大事にすべきである。すぐやる市長の異名をとるまでこの課は存続すべきであろう。

 

 例えば11月19日には来年度(2013年11月)に石垣市で行われる日本惑星科学会、及び「プラネタリウム設置期成会」(仮称)のランチミィーティングが行われた。石垣天文台副所長、八重山高校校長、八重山星の会(私を含む2人)、市長、副市長、教育長、観光課職員2人のメンバーが急遽一堂に会し有意義な討論が行われた。この会議の決定はすぐに行われ、多忙な面々の中タイミングを逃さないいい機会であったと思っている。

 

 地元のある政治家によると、政治家は①挑戦するか②言いわけを考えて逃げるか③傍観して何もしないかの三つのタイプに分かれるそうである。うまいことを言ったものだが、挑戦して成功すればいいが、失敗して非難されることもある。政策が手続き上実行できないと上手な言いわけを考える者もいる。傍観する場合は、特定の政治事案に対して問題意識がないか、事なかれ主義に陥っている場合である。

 

 聖書には「偽りの誓いを立てるな、主に対して誓った事は必ず果たせ」とある。またイエス・キリストは「一切誓いを立ててはならない」と言う。(マタイ福音書第5章33―37)

 

 今般、選挙で誓ったマニフェスト内容が実行できないため民主党が分裂した (例えば月26,000円の子供手当や社会保障と税の一体改革等)。また「近いうちに解散する」というあいまいな期日設定をしたが、それでも首相はうそつき呼ばわりされ解散に追い込まれた。

 

 それで今度の選挙では各党とも数値目標を設定する事にとても慎重になっているという。私は守れる見込みのある誓いは立てて実行することはいいことだと思う。第一信用に繋がるし、本人の行動力にも資する事大である。

 

 さて石垣市長は昨年12月に議会で「放送大学分校を設立する」事を言明し、放送大学本部にも行って、その事を約束した。いよいよ約束の期限が迫ってきた。しかし考えてみるに、これはできるという確信があれば、巨額な財源が必要とされるものでもなく、だれに反対されるものでもなく、全市民に歓迎されることであるのは間違いない。

 

 問題は、できないとか間にあわないとかの言いわけを考えないことが肝要であり、誓いを立てたからには何としても実行するために挑戦する姿勢が大事である。小さな行政の中でも、人をまとめるのは容易なことではない。

 

 なぜなら、関係部署に於いて、何かを実行するときにその責任者は、理想的な政策よりもまず先に自分の責任に塁が及ぶ事を考えるかもしれないのである。それでも誓った事は必ず勇気を持って果たさねばならないだろう。

 

 私は石垣市政に於いても市長、副市長、教育長や各所属長が三位一体となって、挑戦し、公約を実現してほしいと願っている。何事も「成せばなる」のである。すぐやる市政の真骨頂を発揮してほしいと強く希望している。

2012年

11月

29日

モラル崩壊 辻 維周

放し飼いと思われる犬(鑑札なし)
放し飼いと思われる犬(鑑札なし)

 先月より行われている「南の島の猫アイランド事業」によって、猫の不妊手術がクローズアップされてきた。しかし逆に八島の人工島に猫を置いてくれば、不妊費用を自分で負担しなくてもやってくれると言う無責任な考えの人も存在するようで、耳先V字カットをされていない猫(不妊手術がされていない猫)も多少なりとも増えている。

 

 それにしてもこの島の野良猫、野犬、放し飼いの犬の多さは異常なほどであり、伊盛牧場では何頭もの成牛や子牛が、深夜、野犬に食い殺されると言う事件も発生している。我々もロードキルのパトロール中に相当数の野犬や放し飼いと思われる犬、そして野良猫を目撃しており、特に犬の場合はできるだけ写真を撮って、市の環境課や保健所に届けるようにしている。一部の飼い主は、その犬や猫に終生責任を負うという至極当たり前のことすら、実行できないのだろうか。

 

 人間の都合だけで犬を放し飼いにしたり、犬や猫を捨ててしまったりする事は、当然ながら許されざる行為であり、終生飼育が出来ない人は飼い主になる資格などない。
 それに起因した、犬や猫のロードキルも多発しており、先日は私の2台前の車がマンタ公園前で子猫を轢いてしまい、のたうちまわっているその猫を置き去りにして、平然と立ち去ると言う場面を目撃した。我々はすぐ路側帯に車を止め、ハザードと黄色の回転灯をつけた上で猫の手当てを行ったが、眼球が飛び出し、至る所から出血しているという、手のつけられない状態であった。当然と言えば当然であるが、轢いた人間は戻っても来なかった。

 

 その時気になったことは、猫の処理をしている我々の横を、ほとんどの車が速度も落とさずに通過して行ったということである。普通の神経であれば、路側帯で人間が作業をしていれば、速度を落とすはずである。もちろん「何がありましたか?」と車を止めて聞いてくれる人など、誰一人として存在しなかった。

 やいまぴとぅ、島ナイチャーを問わず、この島の人々の神経は一体どうなってしまったのだろうか。「温かい八重山」ではなかったのか。「生き物にも優しい八重山」ではなかったのか。

 

 さらに携帯をかけながら運転をする「ながら運転」や、飲酒運転も後を絶たず、しかも捕まった本人には罪の意識が希薄であるとも聞く。車を運転すると言うことは、大きな責任を負うということでもあるが、そのことを認識している人はどれほどいるのであろうか。
 このままで行くとせっかく新空港ができても、特に市街地での交通事故が続発し、観光立市どころではなくなってしまうことが懸念される。

 過去にも書いたように、この小さな島ではどれほど急いでも到達時間は数分しか変わらず、それに引き換え事故の危険性が増してしまうという、至極当然な論理を再度胸に刻んでいただきたい。

2012年

11月

26日

ジョブシャドウイング 辻 維周

JTA石垣空港所でジョブシャドウイングを行う石小の生徒たち
JTA石垣空港所でジョブシャドウイングを行う石小の生徒たち

 沖縄県では「みんなでグッジョブ運動」の一環として、「ジョブシャドウイング」という、キャリア教育を行っている。ジョブシャドウイングとは児童生徒が影のように従業員に寄り添って、働く大人の取り組む姿勢を観察するもので、もちろん子供は労働に参加することはない。しかし働く大人の背中から「働く姿勢」を感じ取ることで、生活には欠かせない「労働」というものを考えさせようとする教育である。


 先日、別件で石垣空港のJTA事務所を訪れたときにも、石垣小学校6年生の6名が、ジョブシャドウイングとして空港職員の後ろ姿を見ており、彼らはらんらんと目を輝かせ、興味深そうに職員の仕事ぶりを観察し、職員もいつもとは違う日常を楽しんでいた。


 そもそも労働とは生活の糧を得ることではあるが、職場の空気がどんよりと濁っていたのでは、働く側としても嫌気がさしてしまうに違いない。また叱られる(「怒られる」ではない)ことに慣れていない若者たちは、ピリピリした雰囲気もしくは、どんよりとした雰囲気の職場で叱られた場合、すぐに「辞めてしまおう」という気分が湧き起こっても不思議ではない。


 これが全国的に見ても、若者たちの離職率の高さ(在職1年以内に離職する者は、沖縄県で3割=グッジョブおきなわ推進事業局しらべ)に結びついていると言っても過言ではないだろう。


 このジョブシャドウイングは働く側の気分をも転換させる、非常に素晴らしい企画である。子供たちはその職場の雰囲気を敏感に感じ取り、即座に反応するため、惰性で働いている労働者がいたとしたら、いい刺激になるに違いない。


 実際に子供たちにインタビューしてみると、「業務部のみなさんに優しくしてもらい、普段見られない部分を見させてもらってよかった」、「将来客室乗務員になりたいので、実際にCAさんが優しく色々なことを話してくれてよかった」、「航務の方に優しく教えてもらったし、機内に入れてよかった」などと、非常に好評であったようだ。


 このようなキャリア教育は、職場の面白さを実感させるため、若者の早期離職率を減らす一定の効果は期待できるが、逆に「実際に就職してみると、あの時とは全く違う」と感じることにより、嫌気が差した結果、離職してしまう可能性もあるので、受け入れる側はあくまで「普段の顔を見せる」事に徹する必要がある。いずれにしても「ジョブシャドウイング」は、新しいタイプの教育として全国に広がってゆくことを期待したい。

2012年

11月

18日

石垣市台湾訪問団の「漁業権めぐり日台交流」の危うさ 徳松 信男

 11月14日(水)付八重山日報、また八重山毎日新聞でも石垣市からの台湾訪問団11人の一行の出発式の様子が両紙とも第一面に定期便就航要請と日台間の漁業権交渉の環境づくりという目標を伝えている。同日の日報の4面には早くも「漁業権めぐり日台交流、尖閣諸島領海侵入漁民と市長ら意見交換継続へ」の大見出しの記事が踊っている。

 

 そして宜蘭県蘇澳区漁会で意見交換会終了後に手をつなぐ中山市長と、同漁会の陳春生理事長が日台の国旗をおいたテーブルでにこやかに手をつないでいる。陳理事長は9月に中国漁船団が尖閣諸島沖の日本領海に侵入した際に、一方で漁業権保護を訴えるために同漁会が漁船団を組織して、陳氏が率いて領海侵入を行ったという。

 

 この記事を見て異様に感じたのは私だけではないので一筆書いたのである。蘇澳鎮の首長か宜蘭県の首長が相手なら話はわかりやすい、しかし領海侵入をした不法者と石垣市長が対等であるはずがない。


 さらに陳氏が「領有権争いと言う政治的問題により蘇澳と石垣の友好が損なわれてはならない。争いを棚上げにして資源を共有できるようにして欲しい」と挨拶したに対して中山石垣市長は「信頼関係を基に意見交換を重ねれば必ず問題は解決できると信じている」と応じている。

 

 尖閣諸島の領有権については日本領であることは国際的に確定していて領有権問題は存在しないと言うのが日本政府の公式の立場である。この問題で市長が意見交換を重ねることは出来ないのである。ここで陳氏は領海侵犯をしたことで八重山に多大の迷惑をかけたことに対し一言の侘びもないばかりか領有権の棚上げ論と資源の共有を求めている。

 

 中山石垣市長は、「尖閣諸島は私の町内である石垣市登野城に所属している。今後わが石垣市の領域である尖閣諸島の領海内に侵入しないように」と毅然たる態度で抗議すべきであった。その上で尖閣の領有権は日本にあるが漁業権の問題については別途話し合いをかさねたい、と応じるべきであったろう。

 

 今尖閣問題が争われるようになった経緯で中国の鄧小平が1978年に記者会見の席で尖閣の領有権棚上げ論を述べた。これに対して日本側は友好関係を重視して特に強力な反論をしていない。このことが後々禍根を残すことになったのである。国際社会では特に反論しなければ黙認したと受け取られるのだ。台湾の陳春生氏は老獪なしたたか者であろう。石垣市はそうした海千山千の連中を相手に市益を超えた国益に関わる問題を話し合えるであろうか。多くの市民がこの危うさを憂慮しているに違いないのである。

2012年

11月

15日

甦れ!川平湾 辻 維周

海底から赤土の塊を持って浮上する中山市長(辻さん撮影)
海底から赤土の塊を持って浮上する中山市長(辻さん撮影)

 2010年7月20日、私は珍しく緊張していた。まだ市長に就任して間もない中山義隆氏を、川平湾の海底に案内し、現状を知ってもらうその日に当たっていたからである。


 川平湾の汚染は我々が石垣にやってきた2000年ごろよりもはるかに進み、COD(化学的酸素要求量)も6~10ppm(東京湾深奥部並みの汚れ)を記録することもあった。また透明度も極端に悪化しており、さらに大雨が降ると湾内の潮抜けが悪いために、水深3m付近まで塩分濃度は1%前後まで薄まり、真珠貝も相当数死んでゆくという最悪の状態に陥っていた。

 

 それまで川平湾の汚染を行政に訴え続けていた琉球真珠の仲野専務の協力を得て、調査のために潜ってみると、水深13m以深の透明度はほぼ0で、あたり一面珊瑚の死体が散らばる死の世界になっていた。


 この現状を中山市長にお話ししたところ、「ぜひ一緒に潜ってみたい。早いほうがいいので7月20日に決めましょう。」とのことであった。私はすぐさま懇意にしているカマンタ・ダイビングクラブの富岡さんに相談すると、市長の潜水調査に協力してもらえることになった。


 潜水調査当日、まず久しぶりの潜水となる市長に勘を取り戻してもらうためのリフレッシュダイビングを行い、その後、川平湾内へと船を進めた。


 富岡さんは、ボートはもちろんのこと、ご自身のほかに2名のサポートダイバーまで用意してくださり、私を含めて4名で市長をガードしながらの潜水が始まった。


 水深17mの海底に到達すると、思った通り透明度はほぼ0であり、市長もあまりの酷さに驚いた様子で、目を皿のようにして視察を続けていた。そして自ら、堆積した赤土の中に手を入れ、それをすくい取って海面まで持ち上げようとしていた。


 浮上してしばらく呆然としていた市長は、気を取り直した様子で、記者のインタビューに「海底は田圃のようだった。これは早急に手を打たねば大変なことになる」と答え、帰港する船の中でも深刻な表情をしていた。


 その後、我々も川平湾の調査を続けるとともに、その都度結果を報告しに市長室を訪れた。市長は「国立公園内にある川平湾は、法の規制が厳しいのですが、このまま放置しておくわけにはゆかないので頑張ります。」と言ってくれていた。そして前市長では成しえなかった川平湾の浄化事業が、やっと今、調査と言う第一歩を踏み出したのである。


 川平湾は市の財産のみならず、県の、そして国の宝である。国や県には下らぬ縄張り意識や建前論を排除して、一刻も早く元の川平湾に戻すよう、努力していただかねばならない。


 さらに、浚渫した赤土を有効利用するため、そのまま投棄するのではなく、市の特産品として焼き物などに加工することも決して忘れてはならない。

2012年

10月

24日

猶ことざまの優に覚えて 辻 維周

 先日石垣空港で許可を受けて機材を撮影していた時、思いがけない光景に出遭った。


 JTAは毎日石垣空港において、発着初便の空港職員によるお出迎えとお見送りとを欠かさずに行っている。特に出発の光景は全国の空港でも類をみないほどの素晴らしさで、空港職員が最低でも10名、最大20名以上が勢ぞろいして、出発機に対して手を振るのである。これは送迎デッキから見ると壮観であり、感動ものでもある。


 今回掲載した写真はその一コマであるが、飛行機がスポットを離れた後も職員たちはその場に残り、深々とお辞儀をし続けたり、立ち続けていたりしているのである。普通なら乗客から見えなくなった時点で引き上げてしまうに違いない。つまりこの行為は決して表面上だけで出来るものではなく、現場のスタッフの、乗客に対する心からの感謝が形になったものであろう。


 鎌倉時代末期に書かれた「徒然草」に次のような一節があるが、その部分を改めて思い出させてくれる出来事であった。


 「よきほどにて出で給ひぬれど、猶ことざまの優に覺えて、物のかくれよりしばし見居たるに、妻戸を今少しおしあけて、月見るけしきなり。やがてかけ籠(こも)らましかば、口惜しからまし。あとまで見る人ありとは如何でか知らん。かやうの事は、たゞ朝夕の心づかひによるべし。」
 (徒然草第32段後半)


 (現代語訳)「ちょうどよい時間に(ご主人様は女性のところから)出て来られたが、なお、その状況が優美に思えて、物陰よりしばらくの間見て座っていると、(その女性は)妻戸を少しおしあけて月を見る様子である。(人を送り出して)すぐに鍵をかけて籠ってしまったとしたならば、残念だっただろうに(それをしなかったので女性の心づかいがわかった)。(その男が)出て行ったあとまで見ている人がいるとは、どうしてわかるだろうか。いや、わかりはしない。このような事は、ただ毎朝毎晩の心づかいによるに違いない。」

2012年

10月

22日

尖閣防衛に重要な制空権 惠 隆之介

 今朝(10月9日)、日本本土への通勤途上、乗機が補助滑走路からランウエイに進出しようとして突然停止、約10分間、機内アナウンス無しで停止しました。


 窓外に目をやると私の乗機のすぐ前方に那覇基地所属F15戦闘機4機が密集して発進準備体制にありました。


 尖閣事件以前は、機長は気を遣い、「自衛隊機発進につき…」とコメントしていましたし、本土へ帰還を急ぐビジネスエリートたちはそれでもイラついておりましたが、状況は一変しました。


 「尖閣防空を頼む!」それぞれ離発着体制にあった民間機パイロットたちはそう思ってであろうし、私の周りに座る乗客たちは一切不平不満を漏らしませんでした。


 結局、編隊長機含め合計5機の戦闘機は秋晴れの東シナ海に次々と発進して行きました。これほど空自機が頼もしく思ったことはありませんでした。


 昭和20年(終戦の年)春、組閣直後、総理海軍大将鈴木貴太郎先輩は、国民に揮号を求められ、「征空」と大きく書かれました。
 私は今朝、この話をしみじみ思い出しました。

2012年

10月

19日

「南の島の猫アイランド事業」 辻 維周

 18日まで行われていた「南の島の猫アイランド事業」の中核をなす、八島地区人工島野猫不妊手術のボランティアに参加した。


 この事業は捨て猫の多さに心を痛めた「石垣島しっぽの会」(早川始代表)が、これ以上捨て猫を増やさないという市民への啓発活動の一環として、石垣市へ人工島に捨てられている猫たちに、不妊手術を行いたいと提案し、市もそれを認めて協働事業として事業化し、一括交付金の138万円を交付したものである。不足分は「石垣島しっぽの会」と関係の深い「公益財団法人 どうぶつ基金」が負担し、犬猫の殺処分ゼロを目指す「NPOゴールゼロ」も獣医師たちの派遣に協力している。


 さらに市民もケージやキャットフード、タオルなどの消耗品を寄付したり、ボランティアを申し出たりして、この運動に対する意識の高さを窺うことができた。


 実際に参加してみると特に前半の2日間はエアコンもなく、悪臭が外に漏れないようにするため、窓も開けられないという劣悪な環境の中で、4名の獣医師がほとんど休憩も取らずに手術を行い、それをボランティアが側面から支える形になっていた。また別働隊は人工島で捕獲し残した猫たちを根気強く待って、檻の中へ誘い込んでいた。


 このような光景を見るにつけても、今まで家族のように飼っていた動物たちを、自分たちの都合だけで平然と捨て、あとは知らぬ顔をして過ごしている人達の意識の低さとの対比に愕然とするとともに、動物を愛する人たちの熱意に胸を熱くさせられた。


 我々も毎晩島を回り、ロードキルの調査と、二次被害防止のために死体の除去を行っているが、根底は今回の主催である「どうぶつ基金」や「しっぽの会」のメンバーと同じ、「動物を愛する気持ち」である。今までは島の中でそれぞれの団体がバラバラに活動していたが、それが一つの力になれば、少なくともこの石垣では、捨て猫も、捨て犬も、ロードキルも減少していくに違いない。


 この島の動物たちを身勝手な人間から守るためにも、そろそろお互いの活動を支えあう時期に差し掛かっているのではないだろうか。(本紙論説員)

2012年

10月

14日

ワシントンから見た「沖縄返還」の一面 惠 隆之介

 復帰40周年を迎えた本年、私は米国統治27年間を総括する必要性と、インナー保守勢力による自己陶酔型復帰分析(万歳復帰記念式典)に異論を唱えてきました。


 実は米国は沖縄統治27年間に10億ドル以上の国費を投入し、沖縄史上初の大学をつくり、看護学校、総合病院、道路、橋梁、ダム、発電所(一部原発構想もあり)等のインフラをつくりました。なにより戦前より裸足で生活する住民にズックまで支給したのです。


  住民が高等教育を軽視するため、「学業手当て」と称して琉球大学学生、フルブライト留学生には高額なお小遣いまで支給しておりました。


 それがどうでしょう。1950年代、琉球大学は反米の巣くつと化し、米軍政府は那覇市をマンハッタン地区のように開発して沖縄を極東のショウウインドーにしようとしたら、今のオスプレイ反対運動に見られるような稚拙な反対運動が生起したのです。


 那覇市議(当時)いわく、「道路を拡幅したら戦時に滑走路に悪用される」「橋は戦車を通りにくくするため上下に彎曲して作れ」。ベトナム戦争で南ベトナムを失陥した米国は悟りました。「自主自立の精神のない人種にいくら国費を投入しても無駄!」、「施政権は日本に返還し、やっかいな沖縄左翼の子守は日本に任せ、基地の安定運用のみに特化しよう」。ワシントンはこうして沖縄返還を決意したのです。


 沖縄戦で米将兵3万人の戦死戦傷者を出し、約3万人の発狂者(主に海軍艦艇将兵)をだしてなお、短期間にかつ戦闘なしに占領地を敗戦国に返還した米国の戦略の一面がここにありました。(本紙論説委員長)

2012年

10月

10日

伝統と文化 辻 維周

 先日、八重山古典民謡の大功労者である大濱安伴師の生誕100周年顕彰碑除幕式と、川平の結願祭に参加して来た。


 大濱安伴師は復帰より前の昭和41年に、各島バラバラであった八重山古典民謡を、何とか形にして八重山に残しておきたいと思い、工工四を考案、発刊したという。もし安伴師の存在がなかったとしたら、八重山の民謡が現在まできちんとした形で残っていなかった可能性もある。観光客は琉球民謡も八重山民謡も、ひとかたまりのものとして見ているようであるが、実際は琉球民謡の力強さとは全く違った、しっとりとした節回しが聴く人の心を魅了する。


 また石垣の中でも古い歴史を持つ川平の結願祭では、伝統的な棒や、約500年の歴史を持つという獅子舞が奉納されたが、その獅子舞では当初から使われ続けていた由緒ある獅子頭が老朽化したために新調されることが決まり、最後のお披露目となった。この川平の獅子舞は他地域よりも浄めの意味合いが強く、非常に厳かな空気を感じることができた。さらにこの獅子頭は顎を外側から手で支えるという、非常に古い形式をとっているが、この形式がかえって見るものに新鮮な驚きを与えてくれる。


 現代は伝統文化や伝統芸能を軽んじ、新しい形に流れてゆく傾向があるが、やはり人の営みは「歴史」の上に成り立っているものであるので、新旧の共存が必要であろう。そしてそれをきちんとした形で全国に広く知ってもらうという試みも大切なのではないだろうか。八重山の民謡居酒屋で琉球民謡だけを演奏することは、自らの伝統文化を否定していることになるということを、観光に携わる人々は肝に銘じておく必要がある。(本紙論説委員)

2012年

10月

04日

島の台風 辻 維周

 9月27日に八重山を襲った台風17号ジェラワットは、甚大な被害を島に残して去っていった。この17号は島の南側を通ったため、北からの猛烈な風に見舞われたうえに、大潮と重なり名藏湾沿いの県道79号線が高潮の影響を受け、至るところで冠水していた。


 台風通過後に島を回ってみると、樹木や自販機はもちろんのこと、なんと生きた鶏が入ったままのケージまで道路上に吹き飛ばされていた。しかし台風に慣れている島は一人の死者も出すことなく、日常生活に戻って行った。


 さて、台風が来るたびに台風情報の出し方について非常に不愉快に思うことがある。今回は17号に続き、本州の南海上で18号イーウィニャが発生していた。強さと規模ははるかに17号の方が大きく、先島諸島を直撃する公算が大きいにもかかわらず、全国向けの天気予報では本州に近い(ただしその付近では海水温もそれほど高くなかったため、発達の可能性もさほどなく、さらに偏西風が本州の南まで降りているため、上陸の可能性はほとんどなかった)18号の情報を中心に報じており、17号の情報は付け足し程度であった。


 そのため17号が接近していることを知らない観光客が続々来島し、石垣空港や観光案内所で初めて台風接近を知り、呆然としている姿を数多く見かけた。せめて出発空港で台風接近の情報を客に与えていれば、日程変更やキャンセルなども出来ただろうが、そのようなインフォメーションが全くと言ってなかったという客の苦情を聞くにつけても、航空会社の無責任ぶりには呆れ果てるばかりである。


 さらに罪が重いのは内地優先のマスコミである。一時は900ヘクトパスカルにまで下がった「非常に強い台風」が先島諸島を襲うことは確実であるにもかかわらず、一向に報じることはなく、それが内地にまで影響をもたらすとわかった途端、手のひらを返したように17号の情報を伝え出すという身勝手さには、沖縄切り捨てという意識を感じ、強い怒りさえ覚える。


 おそらく今後もこのような沖縄切り捨て、離島切り捨ては続くと思われるので、沖縄県を訪れようとしている観光客は、自分自身でこちらの天気情報、台風情報を入手するしかないのかもしれないが、行政サイドもこのような内地優先の姿勢に対して抗議していってもらいたいものである。(本紙論説委員)

2012年

9月

27日

国際的センス養え 惠 隆之介

 私はかつて台湾を旅したとき、現地タクシーの運転手が、「日本の方ですか」とたどたどしい日本語で尋ねられたので、「そうだ」と答えたら、「料金は頂けません、私は満州族の子孫です、日本に感謝しています、せめてもの感謝の気持ちです」と言われてはっとしたことがあります。


 満州(現在の中国東北部)は、ロシアが南下して占領状態にあったものを、日露戦争(1905年)で我が国が10万の犠牲を払って解放したところでありました。国際条約で我国の駐兵権、旅順・大連の租借権、南満州鉄道使用権は認められておりました(条約期限2005年)。


 なにより満州経営は成功し、北支からの移住も年々倍加して行ったのです、ところが中国(漢民族)は国際条約を蹂躙し満州への兵力投入を拡大し、欧米資本をバックに満州鉄道に平行する鉄道まで建設して行ったのです。


 帝国陸軍はそこで満州族と計って満州国の建設と、シナ勢力の排除に着手したのです、当時、国際社会はこれを一応は批判したものの、ソ連の拡大を防止する手段として暗黙の了解を与えておりました。満州(正確な地名を忘れたのですが)総領事を勤めていた吉田茂も当時、「軍事力の行使なくして解決手段なし」と発言したぐらいです。


 9月17日、英字新聞「International Herald Tribune」に、1968年、中国・文化大革命で反革命分子として処刑される満州族らしい方々の写真が掲載されております。「百回嘘を繰り返せば真実になる」。中国人の特技です。我方も国際社会に向かって発言力を強めるべきですが、日本マスコミは視野狭窄、超理想主義(お花畑)です。


 日本語の新聞、放送だけを見聞きしていては、国際的センスや発言力は養えないと思われます。(本紙論説委員長)

2012年

9月

26日

善と悪 辻 維周

 人間界には「善と悪」が必ず存在するが、自然界に目を転じてみると、その言葉ではとても割り切れないような事例がよく見られる。たとえば悪とされる「外来種」であるが、環境省の定義では「明治以降、意図的であるなしにかかわらず、その地域に生息していない生物を、人為的に他地域から持ち込まれたもの」と言う事になっている。石垣ではオオヒキガエルを始めとして、キジ、クジャク、グリーンイグアナ、カダヤシなどが知られている。オオヒキガエルは畑の害虫駆除のため人為的に持ち込まれたことははっきりしているようであるが、他の生物は飼っていたものが逃げ出したり、人為的に捨てられたりしたものが繁殖したと推測される。


 しかし突き詰めて言うと彼らには一切に罪は無く、やはり持ちこんだり逃がした人間が「悪」であるに違いないが、現状で放置しておくと在来の生態系を破壊したり、農作物に悪影響を及ぼしたりしているため駆除することはやむを得ないと思われる。しかしながら特にオオヒキガエルやカダヤシは特定外来生物に指定されているため、原則として許可なく捕獲、移動、飼育、売買などができない事になっている。


 かといってそのまま放置すると、特にオオヒキは毒を持っているため天敵もなく、繁殖力も旺盛なため際限なく増殖してゆく。そのため、環境省は毎年七月~八月にかけて「オオヒキガエル捕獲大作戦」というイベントを開催し、少しでも数を減らそうと努めているが、期間が限られている事や参加者もそれ程多くないこと、作業が夜間であることなどの事情から、相当苦戦しているようである。しかしながら「特定外来生物」のくくりを外して通年捕獲を許可すると、飼育する人間も出てくるため、非常に難しい問題であろうと思われる。


 また外来生物ではないが悪の権化のように言われているオニヒトデも頭の痛い問題である。私は研究室やフィールドで十年以上オニヒトデの研究調査をしてきたが、彼らは本来弱った珊瑚を食べてリセットする役割(つまり人間世界で言う「善」)を担っているようである。


 つまり本来オニヒトデは珊瑚礁の生態系の一部であるため、バランスが取れていれば問題は無い。しかし現状を見てみるととても尋常とは思えない数が生息し、弱った珊瑚を食べるどころか、健康な珊瑚まで食いつくしてしまい(人間世界で言う「悪」)、密度の高いところでは共食いすら始めている。彼らは水温二十五度以上で活発化し、二年もの以上の成体になると少しの外部刺激によって放卵・放精を行う事がわかっているが、なぜ今のような爆発的増殖になったのかはまだわかっていない。

 

 せめてもの対応策として、駆除は水温が下がってから行うという事程度しかなさそうであるが、駆除予算と同時にオニヒトデ研究に対する予算をつけて、生態を知った上で対処しないと、いつまでもこの状態が続くに違いない。彼らがトゲと猛毒とで武装している理由をよく考えてみる必要があるだろう。


 このように自然界における「善」と「悪」は、人間を中心に決められたものであって、生物そのものには何の罪もない。ただし人間を除いては。
 *カダヤシは一見メダカに似ているが、卵ではなく直接子供を産み、爆発的な繁殖力をもっている。また攻撃力が強いため在来種を駆逐してゆく。(本紙論説委員)

2012年

9月

13日

考え方、考えさせ方 辻 維周

 先日の報道によると、教育長が提唱した冠鷲プロジェクトの努力が報われて、学力の向上が顕著に表れてきたとのことであるが、非常に喜ばしい限りである。


 私は約三十年間大手予備校の講師を務め、それ以外にも中学校から大学院そして社会人教育まで幅広く教える機会に恵まれているが、近年は生徒・学生に「考える力」「考えようとする努力」が急速に失われてきているように感じられてならない。少し難問にぶつかると全く考えようともせずに「わからない」を連発し、問題を解決しようとする努力すら放棄する。その態度を叱るとふて腐れたり逆切れしたりする。それを「ゆとり教育」のせいにするのは簡単であるが、指導するほうも努力を怠っていたのではないだろうか。

 

 つまりほとんど何の指導もせずに「とにかく考えてみなさい。」と無責任な発言をしたり、面倒になってすぐに解答を与えてしまったりしてはいなかっただろうか。これでは、言われた側も考える糸口を見つけられず困惑したり、安易な方向に走ったりするばかりである。


 物事を考えさせるコツは、生徒・学生が出した答えを正解か失敗かすぐに判断するのではなく、なぜそのように考えたのか、なぜそのような結論に達したのかを労をいとうことなく生徒・学生と話し合い、向き合うことである。

 

 さらに結論として間違ってはいたとしても、そこに至るプロセスがある程度あっている場合には、その部分を評価して軌道修正させ、正しい答えに誘ってゆく努力も大切である。またその解答が斬新なものであった場合には、否定せず教える側も一緒になって検証してゆくような柔軟さもほしい。その時点での教育が社会人になったときにマニュアル人間のままで終わるか、それとも柔軟な思考を持つ人間に成長してゆくかの基礎作りになってゆくということに、教員側にも気づいてもらわなくてはならない。


 そのためには「結論が出ない問題」を自分なりに考えさせてゆくトレーニングが重要である。たとえば必ず私が学生に課す課題として「無とゼロと虚の違いを自分なりに考えよ。」というものがある。これは当然結論など出るはずのない問題であり、いきなり出題された学生は当然ながら困惑している。しかししばらく考えさせた後で考え方のヒントを与えると、思考の糸口が見つかり、きちんとした論理を構築した論文を書き上げる学生が多い。


 学校であれ職場であれ、指導する側の人間は相手が何も考えてくれないと嘆く前に、自分自身の思考を柔軟にし、その上で考え方のヒントを与えるとかなり状況が改善されることもあるということを、知っておくほうがいいだろう。(本紙論説委員)

2012年

9月

12日

石垣市の児童生徒の学力向上を喜ぶ㊦ 徳松 信男

▽冠鷲プログラム実施の成果
 八重山で今大事なことはまず小、中学校の生徒の児童生徒の学力向上である。市の教育委員会の提案している冠鷲プロジェクトは蔭山英男氏が開発し、多くの学校で実証されたものである。石垣市教育委員会の提唱しているのは読み書き、音読計算の反復学習である。これは影山方式のモジュール授業(モジュールはまとまった小部分の意)で「朝一番の45分の授業時間を15分ずつ3つに分けて、読み、書き、計算の基礎を反復練習する事によって集中力(脳の活性化)や基礎学力をつけようとする取り組みである。


 それに児童生徒の基本的生活習慣の確立である。「早寝、早起き、朝ごはん、家族団欒」がそれであり、テレビ視聴時間を短くして、家庭学習時間を、30分を超えて1時間、1時間半と少しでも伸ばすような取り組みである。目安は15分×学年である。


 今般の学力向上の成果で従来と変わった点がいくつかある。これまでも学力向上推進委員会があったが、教育委員会の指導課中心であった。主な改革点は①学校指導課といきいきまなび課が中心となり学力指導にあたっている。②校長と職員が一致団結して学力向上に取り組んだ事。③朝のモジュール学習時間をとりいれた事。④教育長、課長以下7、8人が参加して夏休みに学校現場の先生方との意見交換会を18校にわたって行った事。⑤学力とは学ぶ力であり、記憶力や知識の量は学力の一側面にすぎないという従来のゆとり教育路線を廃した事。⑥新市長になり予算が倍増した事等であるとのことである。


 また真喜良小学校では平成14年からフロンティアスクールを行い、学力面においてかなりの成果を上げたが、これは影山方式によるものであったそうである。石垣市でも小規模校数校においては以前から、すでに全国平均以上か、或いは大幅に上回っているのである。


 学力向上には学校現場の教員を始め教育関係者が一体となって進めることが大事である。家庭にあっては良い生活習慣の連鎖反応が必要だ。蔭山氏の著書を読んで興味あるのは、学力が伸びれば知能指数も伸びると言う事である。また勉強が楽しく、大切であると思える生活習慣が家庭において必要であると強調される。その点で私は父兄が放送大学の学生になって家庭で学ぶ姿勢も一石二鳥であると思う。大いに推奨したい。


 ところで昨年(平成23年度)、八重山地区中学公民の教科書選定問題で揺れに揺れた。八重山毎日新聞の平成23年9月7日付け社説では、「県内上位はもはや無理か~玉津教育長の冠鷲事業、教科書問題で困難に~」との見出しで教科書採択に対する教育長の強引な手法のため教育関係者始め地域が一体となる推進体制が望めなくなったために県内上位の学力向上は同教育長の「自業自得」でもはや無理との見方を伝えている。それどころか県紙2紙を始め方々で玉津教育長は集中砲火を浴びていた。よくノイローゼにも病気にもならず、出勤拒否もせず頑張ったものだとそのしぶとい精神構造に多くの人が感心し、あるいはあきれたかもしれない。


 いまどきいじめの問題で登校拒否をする生徒も多いがこれにも自ら答えをだしている。教育長の卓話の最後に学力向上という難関を乗り切るためにパワーの源としたいと言って蔡温(江戸期琉球王国の政治家)の琉歌を紹介している。


「褒マリ謗ラリヤ世ヌ中ヌ倣イ 謗ラリヌ者ヌ ヌ役タチュガ」~褒められ、謗られは世の倣い謗られぬものが何の役に立つと言うのか~


 八重山の児童生徒の学力が県内最高水準になる日を待ち望んでいる。(本紙論説委員)

2012年

9月

11日

石垣市の児童生徒の学力向上を喜ぶ㊤ 徳松 信男

 8月30日付の本紙一面に「全国学テ、6科目で県平均上回る過去最多、冠鷲PJ奏功」の見出しは多くの石垣市民が喜びを持って見たニュースである。いつも児童生徒の学力について語られる時沖縄県は全国で最下位、石垣市は沖縄県で最下位と言われたものであった。これを聞くたび肩身の狭い思いをしたのは教育関係者だけでなく多くの市民であるのは間違いない。芸能やスポーツ関係では八重山の児童生徒は全国的に活躍してきているが、学力が低迷したままの状態が2、30年も続いてきた。その意味で4月に行われた今回の全国学力テストの結果は市教育委員会の冠鷲プロジェクトによる取り組みが功を奏したと言っていい快挙である。


 全国学力テストは小学6年生と中学3年生が、前者は国語A、国語B、算数A、算数B、理科、後者は国語A、国語B、数学A、数学B、理科を抽出により受験した。Aは知識、Bは応用力が問われる問題で、石垣市からは小学校6校(抽出率30%)、中学校5校(抽出率55.6%)が参加した。


 学力テストの結果を詳しく見ると小学校6年生で、5科目中2科目で県平均を上回るが3科目は下回っている。平均してみると県平均にはまだ届いていない。中学3年生で見ると5科目中4科目で県平均を上回っているが数学Aだけがわずか0.8ポイント下回っているだけである。

 

▽八重山における学力の問題点
 平成19年から24年までの学力・学習状況結果一覧を見ると、冠鷲プロジェクトは平成23年から玉津教育長主導で取り組みが始まったものであるが、教育長の学力向上に対する決意は23年1月26日のロータリークラブ例会卓話で良く表明されている。その内容は文・武・芸に秀でた生徒像と学校像の理想、八重山の教育の過去・現在の分析、学力向上のための冠鷲プロジェクト、保護者の力・地域の力を教育に反映する事を目指すものである。


 文とは学校での勉強、武とはスポーツ、芸とは芸能や芸術など文化面の活動である。「現在武と芸については石垣市の子どもたちはかなり秀でているが、足りないのは学力の部分である。これは私たち石垣市の教育関係者の落ち度であり、深く反省しなければいけない」と言っている。教育関係者でここまで言い切った人は少ないのではなかろうか。


 良くいわれることであるが、高校の学力低下は中学校に、中学校の学力低下は小学校に、また小学校の学力低下は家庭にあると言う責任転嫁論が多く、こうした言いわけを当事者意識が乏しかったと断じ、「責任は自分たちにありとの覚悟で全うな教育システムを作りたい」と述べている。


 また次に八重山の教育の過去・現在・これからについて分析している。1950年代において八重山の小学校の学力調査の結果は県全体で3位であった。60年代になると、小学校では八重山は14地区で5位、中学校も5位であった。高等学校についても1960年代は高校生の学力は国費・自費で判断しているが、1位那覇高校、2位宮古高校、3位首里高校、4位八重山高校が入っている。しかし、1971年度を境にして復帰後八重山の高校生の国費合格や琉球大学の合格者数は激変して、教育の八重山は地に落ちた。


 さて、玉津教育長の見解では、学力の低い状態が当たり前になると、学力が話題になっても教師は気にしないし、地域も無関心を装った。一方1970年代以降では勉強する事への意欲や学力向上への意欲が薄れると、生徒の興味や関心は芸能やスポーツに移っていった。郷土芸能も盛んになり多くの有名な芸能人やスポーツマンを輩出している。それは素晴らしいことである。

 

 しかし大多数の生徒の学力が低下し、復帰後15年もすると八重山高校から校現役琉大合格ゼロという事態になり社会問題化した。それを受けて進路指導を重視した特別クラスが設置された。以後25年になるがその間国公立大学に年間20人前後の現役合格者を出してきている。


 玉津教育長の視点の基準が琉球大学をはじめとする国公立大学の進学にのみに向いているようである。優秀な私大や高専、海外の大学、或は苦労して何年か後で合格したもの、進学せずにそれ以上に社会的に成功した人を考慮していない。これらのデータは不十分らしい。(つづく)

2012年

9月

07日

島のシンボル 辻 維周

 宮古・八重山諸島には様々な希少生物が生息しており、国の特別天然記念物であるカンムリワシや、キシノウエトカゲのように世界中どこを探してもここでしか見られないものもいる。ところが多くの観光客は「カンムリワシ」や「キシノウエトカゲ」の名前や存在すら知らず、他方イリオモテヤマネコやヤンバルクイナが石垣島を歩き回っているものだと思っている。


 カンムリワシは石垣、西表それぞれに百羽ほど生息していると言われているが、人が足を踏み入れられない場所も多数あるため正確な数は不明である。また彼らは動きが鈍く道路上にあるロードキル死体を食べに降りているときに、無謀運転の車に轢かれてしまう事もあるので、我々はこのような二次被害を防止するために、ロードキル死体を極力道路外に排除するようにしている。しかしながら国の特別天然記念物でもあり、貴重な観光資源ともなり得る鳥ではありながら、あまり周知されていない彼らをもう少し全国レベルにまで有名にさせるためにはどうすればよいのだろうか。


 最良の方法は来年三月七日に開港する新石垣空港のシンボルであるカンムリワシを基調にしているパイーグルを徹底的に利用することであろう。あの少し悪そうな面構えは、うまくPRすれば必ず全国的な人気者になるはずである。たとえば「うちなーの翼」であるJTAや、最近路線拡充に努めているANAに協力を依頼して、マブヤージェットやポケモンジェットのように、機体にパイーグルの大きなシールを貼り付けて「カンムリワシジェット」として、内地に飛んで行ってもらうのである。

 

 特に三月七日新石垣空港に飛んでくる内地発の初便にこの機材を使っていただければ、話題性も増すので一挙両得であろうと考える。ぜひ早急に関係諸機関に検討をお願いしたいものである。ただカンムリワシが有名になりすぎると、逆に密猟をしたり、彼らを追いかけまわしたりする不心得者が増えてくる可能性もあるので、その対策は予め講じておく必要があるだろう。


 石垣にはこれだけ立派な島のシンボルがいるのだから、島民はこの事実を誇りに思い、イリオモテヤマネコやヤンバルクイナに負けないほどのPRと保護活動とを行っていただきたい。朱鷺のように絶滅してから騒いでも後の祭りである。(本紙論説委員)

2012年

9月

05日

本当の意味での「観光立市」を目指すために⑧ 辻 維周

 読者の方から「名蔵湾沿いを走っていると、トイレが無くて困る事があるので、それについて取り上げて欲しい。」というリクエストがあったため、ソーロン明けの日曜日に、早速取材するために島を一周してきた。

 

 確かに市内から川平までの距離は約二十キロで普通に走れば四十分ほどで到着できるが、観光客や観光タクシーの場合、あちらこちらの景色を楽しみながら走るため、その倍以上の時間がかかる事がある。しかし市内を出ると海側経由の場合には唐人墓、バンナ経由の場合にはバンナ南口を過ぎると名蔵湾までパーキングらしきものは一か所も無く、名蔵湾沿いに出ても県道79号線には単なるパーキングは崎枝を含めて五か所あるものの、そのいずれにもトイレは設置されていない。更に北上すると川平駐車場には設置されてはいるものの、川平から玉取崎までの間には県道から少し離れたヤシ林以外、一か所もないことがわかった。


 また国道390号線を北上した場合は更に悲惨で、市街地を出るとやはり玉取崎展望台まで星野と伊野田にはあるものの、観光客にはわかりづらい。玉取崎を出て平久保半島に入ると平久保灯台まで明石一か所しかなく、ここも比較的わかりづらい。一方於茂登岳周辺ではせっかく整備された於茂登親水広場にも、於茂登トンネル北口広場にもトイレは設置されておらず、切迫した表情をした人にも出会った。

 

 親水広場に一番近いトイレはナルンガーラにあるが、そこまでの道のりは容易ではない。さらに屋良部半島の道にはパーキングは数か所あるものの、トイレは御神崎灯台にしかないので、私自身困ったことがある。


 トイレの印象は観光客にとっても非常に重要であるので、市が本気で観光立市に取り組むのなら県道79号線では名蔵湾沿いに1か所、吹通川パーキングに1か所、平久保半島内では久宇良付近に一か所、国道390号線では宮良川パーキングや盛山か大里付近の国道沿いに1か所、あとは於茂登親水広場とトンネル北口広場、屋良部半島のパーキングにそれぞれ1か所ずつ、「バイオトイレ」を設置することが望ましいのではないだろうか。


 問題はその維持管理と費用負担であろうが、新たな雇用創出にもなって来ることでもあるので、市議会で十分議論の上早急に設置をしていただきたいものである。


 ※バイオトイレとは排泄物をバクテリアで分解し、それを肥料として再利用できる設備を有するトイレ。これからの循環型社会には必要なものであろう。(本紙論説委員)

2012年

9月

03日

開発を考える① 辻 維周

 来年三月の新空港開港を半年後に控え、あちらこちらで宿泊施設や道路の建設が行われている。確かに島が多くの観光客で活気づくのはいいことだと思うし、それによって雇用が創出され島民が経済的に豊かになることは、将来を見据える上に於いても重要なことである。


 しかし一方ではその開発によって赤土が大量に流出し、海洋汚染を引き起こしつつあることも知っておく必要がある。特に今まで手つかずであった北部の開発が盛んになり、それに伴って大雨が降ると建設現場からの赤土で海が真っ赤になる光景を見るたびに、珊瑚の行く末が気になるのである。造礁珊瑚(陸地を形成することができる珊瑚)は褐虫藻という藻を共生し、昼間はそれが光合成することによって珊瑚に酸素を供給している。

 

 また夜は珊瑚自体が肉食生物としてポリプを伸ばして盛んにプランクトンを捕食する。その珊瑚の上に赤土が降り積もると光合成が阻害され、珊瑚は酸素不足に陥ってゆく。さらに農薬が混入しているとダブルで珊瑚を痛めつけ、褐虫藻は珊瑚から逃げ出して行ってしまう。その結果珊瑚は白くなり(白化)、死滅への道をたどってゆく。珊瑚が死滅してゆくと、珊瑚を住処としていた海洋生物たちも行き場が無くなり、漁場の減少にもつながって行ってしまうのである。


 他方、道路に目を転じてみると、野底林道や屋良部林道、浦底クイツ、嵩田林道などの法面が大雨によって崩壊し、道路が通行止めになるとともに、そこから大量に流出した赤土が海洋汚染を引き起こした事は記憶に新しい。浦底クイツは昔から存在しているバイパス的な存在の道であるから仕方がないと思うが、それ以外の林道を建設した理由が今一つはっきりしない。

 

 さらにこのような道に観光客のレンタカーが入り込んでくると、そこに生息している貴重な野生生物のロードキルも発生するため(現実に野底林道や屋良部林道ではセマルハコガメが潰されていたこともある)、海洋生物のみならず陸生生物の生命までも脅かしてゆくために、百害あって一利なしということにもなりかねないのである。一方既存の道路は一度大雨が降ると至るところで路面が冠水し、知らずに突っ込んで立ち往生する車両も多くみられる。


 以上の理由により、プラス要因よりも乱開発によるマイナス要因のほうが多くなってしまうことが明白であるため、新しい宅地開発や道路建設は必要最小限にとどめ、既存施設の整備を行うことのほうが先決のように思える。

2012年

8月

31日

本当の意味での「観光立市」を目指すために⑦ 辻 維周

ヤエヤマハラブチガエルのロードキル死体をくわえて、意気揚々と引き上げるサキシママダラ
ヤエヤマハラブチガエルのロードキル死体をくわえて、意気揚々と引き上げるサキシママダラ

 毎晩八時頃から午前一時頃までロードキル(小動物の交通事故)のパトロールで島を巡回していると、思いがけないシーンと遭遇することがある。半年ほど前の雨上がりの夜中、車に潰されたオオヒキガエルの幼体と、ヤエヤマハラブチガエルの幼体とが並んで落ちていた。

 

 そこにサキシママダラと言うヘビがやって来て、毒のあるオオヒキガエルには目もくれず、無毒のハラブチガエルの死体を道路からひきはがして飲み込み、実に得意そうに歩道に上がって行った=写真。また、ある冬の日の夜十時半ごろ吉原付近の道路上に、世界で一番小さいリュウキュウコノハズクが蹲っていたので、車から降りて見に行くと、どうやら車と接触して脳震盪を起こしている様子だった。

 

 そこで石垣市環境課の職員に電話をして事情を話すと夜中にもかかわらず駆けつけてくれ、相談した結果、我々が緊急避難として一晩保護して、翌日獣医のところに運ぶことになった。数日後には運よく回復したため放鳥することができた。放鳥と言うとカンムリワシしか知られていないが、実は有名な動物以外でも、獣医はきちんと治療して野生に返していると言う事を知ってほしいものである。


 またある時は天然記念物のキシノウエトカゲが轢かれて死んでいたため、道路から歩道に移動し、教育委員会に運ぶための保護ボックスを手に戻って見ると、ハブがそのトカゲの死体を食べているというきわめて稀な場面に遭遇した。


 もちろんそのように珍しいシーンを見るだけではなく、時には悲惨な現場に遭遇することもある。中でも我々が憤りを感じた二つの事例がある。一つ目はバンナ北口より少し嵩田よりの路上に天然記念物のセマルハコガメが轢かれ、しかもまだ動いている。路上には亀の体内から出てしまった卵が複数個産卵し、豊かな自然があるバンナの路上は修羅場と化していた。このセマルハコガメが轢かれていたのは車線の中央であり、故意に轢かない限り決してこのような事にはなり得ない場所であった。

 

 二つ目は県道79号線の名蔵湾沿いで固有種のヤエヤマイシガメが何台もの車に轢かれてバラバラにされていたため、我々は蛍光ベストを着用して処理を始めた。しかし我々が路上で処理をしているにもかかわらず、レンタカーを含めて速度を落とす車がほとんどいなかった。


 今日も台風の中、一台の公用車が制限速度で走っていた我々を猛然と追い上げてきて、またも平然と追い越し違反までするという現場に遭遇した。前にも書いたように市民の模範となるべき公用車が、このような酷い運転をしている間はロードキルも無くならず、「観光資源」のはずの野生動物の中には人知れず絶滅してゆくものもあるはずである。


 もし全市民が本当に自然は観光資源と考えるなら、路上には野生動物が出てくるものと予測したうえで、安全運転をしていただきたいものである。


 昨年一年間のロードキル件数は我々の調査した範囲内で三六八件、今年はまもなく五百件になろうとしている。なおこの数字にはカエルやカニは含まれていない。

2012年

8月

28日

本当の意味での「観光立市」を目指すために⑥ 辻 維周

 今年の沖縄県は台風の当たり年と言ってもよいほど、多くの台風に襲われている。特に今まさに沖縄本島を襲っている台風15号は、中心気圧が910ヘクトパスカルまで下がり、最大瞬間風速も70mオーバー(時速換算で約250キロ以上)と、最悪の記録を残そうとしている。


 台風は原則として北緯10度以上の地域かつ水温が27℃以上で発生し、28℃以上で発達してゆくとされている。海は荒れる事によって海水を撹拌し、夏の太陽によって熱せられた水温を下げたり、多くの酸素を取り込んだりしながら生物たちの命を育んでいるので、台風や低気圧は無くてはならないものである。


 しかし近年の温暖化と思われる海水温の上昇(8月26日現在、本島~先島地域で29℃)により、年々大型化、強力化してきている。特に沖縄県は島しょ部であるため、台風のエネルギー源である海に囲まれており、衰弱する前に直撃してしまうケースが多い。これは内地では通常考えられない事であり、観光客は島の台風をついつい甘く見てしまう。

 

 その結果、長時間欠航してしまう飛行機や船舶によって予定が大きく狂ってしまったり、帰れなくなり仕事に支障を来してしまったりすることも多々ある。空港や港は運航再開を待つ旅客で溢れ、いつまでも運航を再開しない事に腹を立てて、職員を怒鳴りつけているシーンにも時々遭遇する。また暴風雨の中でも走り回るレンタカーが後を絶たず、冠水している箇所に突っ込んで、立ち往生している車を私自身が救出したこともある。


 このような事を防止するために、県や市町村は観光客に対して、島の台風は内地の台風とはレベルが違う事をきちんと説明した上で、台風情報を細かく伝える努力が必要である。また航空会社や船会社、旅行会社、宿泊施設は台風がこちらに向かうと予測された時点で、台風の中を来島するリスクを強く訴え、予約客や出発空港のカウンターを訪れる客に対しては、予定変更や旅行中止を勧めるべきであろう。

 

 またレンタカー会社も暴風雨の中を走行する危険性を、貸し渡し前にきちんと説明しなくてはならないのではないだろうか。売りっぱなし、貸しっぱなしをした挙句、客に文句を言われてもそれは仕方がないが、きちんとしたリスク説明を行っていれば、理不尽な文句を言ってくる客に対して毅然とした対応ができるはずである。


 観光客は八重山にとって大切ではあるが、彼らに気を使うあまり肝心な部分を隠してしまうと、現場で応対するスタッフを疲弊させてしまう。我々島民は優秀な現場スタッフもまた「島の宝」であると認識し、大切にしなくてはならないのではないだろうか。(本紙論説委員)

2012年

8月

26日

本当の意味での「観光立市」を目指すために⑤ 辻 維周

 以前にも書いたが、「観光」という言葉は易経にある「観国之光」から取られたものである。この「光」とは「宝」の意味でつかわれているが、この八重山の「光」とは一体何だろうか。


 ある人は「青い海」であると言い、ある人は「手つかずの原生林やそこに生息する様々な生物たち」と言うだろう。しかし最近、その「光」が急速に失われてしまっている。原因は傍若無人に走りまわり、貴重な野生動物をひき殺したり、砂浜に乗り入れたりする車であり、下水道未接続地域の汚水であり、豪雨後の赤土流出などである。特に川平湾の海底には厚さ二メートル以上あろうと思われるヘドロ(赤土と珊瑚砂が混ざったシルト状の泥)が堆積し、海底十七メートル付近の透明度はほぼゼロと言ってもよいだろう。


 中山義隆氏が市長になって二カ月ほど経ったある日、市長室で市長に面会し川平湾海底の窮状を訴えた。すると市長は「潜ってこの目で確認してみたい。いつ頃にしましょうか。」とおっしゃるので、「では七月ごろはいかがでしょうか。」と答えたところ、市長は快諾してくださり、全国でもおそらく初めての試みとなった市長自らの潜水視察が実現し、その結果として川平湾再生のための調査もまもなく開始されようとしている。


 また今春には於茂登親水広場が七~八年前に作られたまま、市民にもほとんど知られることなく放置されていると言ったところ、市長は即日視察をし、翌週には当該部署に於茂登親水広場の整備を命じて、この夏は少しずつ市民や観光客が訪れるようになってきた。


 ところがせっかく整備された親水広場の流水は外来種天国となっており、ブルーギルやティラピア、グッピー、カダヤシ、オオヒキガエルの幼生(オタマジャクシ)などで溢れ返っている。そしてカダヤシ(特定外来生物=採取や飼育は当然のこと、移動も禁じられている)をメダカと思いこんで採取し、持ち帰ってしまう人が後を絶たない。

 

 この親水広場は安全に水遊びができる絶好な場所であるが、逆に外来種を他地域に広めてしまう交易所にもなってしまったのである。本来は於茂登山系の生物多様性を楽しめる場所であるので、従来の生態系を少しでも取り戻すために早急な外来種除去ならびに訪れる人々への注意喚起を促す必要がある。少しでも自然に興味がある人ならば、どこでも見られる外来種など見たいはずはなく、その土地独特の生態系を観察したいものである。外来種天国から本来の生態系を取り戻すことができるようになれば、おのずと観光客は集まって来るのではないだろうか。


 それができるのは、実行力のある中山市長しかいないと思っている。
 ※オオヒキガエルの幼生(オタマジャクシ)は真っ黒な色をしており、この時点でも毒を持っている。成体になると強い毒を持ち、雑食性で貪欲、天敵もいないため生態系を荒らしまくる。カダヤシは卵ではなく子供を産むために繁殖力が旺盛であり、攻撃性も強く在来種を駆逐してしまう。オオヒキ、カダヤシともに採取したり他の地域に持って行ったりすることは、法律で禁止されている。(本紙論説委員)

2012年

8月

23日

本当の意味での「観光立市」を目指すために④ 辻 維周

 本稿1回目にJTA石垣空港の英文サインボードに対する提言を書いたところ、JTA石垣空港副所長はすぐに社内メールで全社員に対し、この提言を早速実行に移すことを検討するように指示したとのこと。このアクションの速さはさすが「うちなーの翼」を自負する航空会社だけのことはある。


 私は仕事の関係上、毎週のように石垣~那覇~羽田を往復しているが、JTA石垣空港のきめ細かなサービスには感心させられる事が多い。その中でも特筆ものは、那覇から到着する初便にあたる600便と、その折り返しの601便では毎日、空港職員のみならず、管理職、整備士など総勢十名ほどのお出迎えとお見送りを行う事である。このようにきめ細かなサービスが乗客の心をくすぐり、またJTAで石垣に来ようと思わせる大きな要素となっている。


 しかし一方では、那覇~宮古線にスカイマークが参入するようになってからと言うもの、那覇~宮古線の運賃と、那覇~石垣の運賃の格差が問題になっている。確かにスカイマークの那覇~宮古間の運賃三千円(通常期)に合わせるように、JTAも先得割引で三千円台を打ち出している。しかしこの無理な低価格がJTAの体力を奪い、はては那覇~石垣の値引きを迫られる事態になってしまっていることは、本末転倒と言ってもいいだろう。


 JTAはれっきとしたFSA(フルサービスエアライン)であり、FSAではないスカイマークと一線を画すのは当然である。たとえば遅延が発生した場合、きっちりとしたケアをする航空会社(特に離島路線では乗り継ぎの関係でこのケアは非常に重要)と、そうではない航空会社とでは運賃体系が違って当然であり、乗客もそれを納得したうえで選択しなくてはならない。今後新石垣空港にスカイマークが参入した場合においてもJTAは自分のスタンスを堅持し、自らの首を絞めるような運賃設定は控えるべきである。また現空港でおこなっている離島ならではのきめ細かなサービスも、継続できるものは継続していただきたいと切に願う次第である。


 また石垣空港の観光案内所は、今年の春よりタッチパネル方式の無人案内機を導入した関係からか、職員を三人から二人に減らすと同時に、営業時間も従来の午前九時から最終便までではなく午後六時までとしたが、これは合理化と言う名のサービス切り捨てである。空港に行くたびに観察していると、タッチパネルを使っている人をあまり見かけることは無く、やはり案内所に足を運び、様々な質問をしている姿の方が目立つ。ここは、英語は当然のこと、多くの言語を話せる有能なスタッフを配置しているので、外国人にも好評である。


 空港や離島桟橋では、融通が効かない機械よりも人間が応対する事によって、その観光地の印象がよくなることも多々あるので、今後は無理な合理化をすることなく「人間」の温かみを感じさせるゲートウエイであってほしいと切に望む次第である。それが「観光立市」たるべき第一歩ではないだろうか。(本紙論説委員)

2012年

8月

21日

石垣市議会 辻 維周

 時々市議会の傍聴をさせていただくことがあるが、非常に真面目に取り組んでいる議員が多い中で、一部の議員に対して毎回情けなく思う事がある。


 たとえば欠席や遅刻、私語、途中退出である。仮にも市民の代表として議会に送られた議員はその職務を全うする必要があり、病欠や体調不良による遅刻、早退はやむを得ないが、喫煙の為の退出は決して許されないものである。また質問時の揚げ足取りや、ヤジ、質疑時の言葉遣いの悪さなど、品位を疑いたくなるような議員もごく少数であるが目にする。


 議会はケーブルテレビで中継されており、その一部始終が市民の目にさらされている事を承知のうえでの行動・言動なのだろうか。だとすればこれは確信犯的なものであり、到底容認することはできない。


 そもそも市議は市民の代表であり、市民の意見を集約して議会に提出しなくてはならないはずである。にもかかわらず、誠意を持って解決しようと試みる議員に対して、私情をはさみ感情的に相手を攻撃するような質問を投げかける場面にも多々遭遇している。


 また解決済みの古い話をいつまでも蒸し返して質問し、山積している懸案事項にはなかなか手をつけようともしないことは、石垣市にとって行政の遅滞を招き、結果として多くの市民のいら立ちを募らせることになる。


 石垣市議会に今必要なことは、山積する問題を市民の代表として誠意を持って審議・解決することである。


 さらにその審議も常に品位を保ち、私情をはさむことなく行ってゆかなければならない。そのためには一人でも多くの市民が市政に興味を持って、議会を傍聴することも必要ではないだろうか。(本紙論説委員)

2012年

8月

13日

ロンドンオリンピック、日本選手団にエールを送る旧敵英国海軍関係者 本紙論説委員長 惠 隆之介

 8月になると毎年、広島、長崎、終戦記念日という悲劇3点セットが報道され陰湿な気分になる。ところが今回はロンドンオリンピックに見る日本人選手勝利の続報に感動と闘志を貰って気分は爽快となった。


 ここで報道されない話を披瀝したい。
 我が国は戦後3年経た1948年、ロンドンで開催されたオリンピックへの参加を拒否された。理由は、「日本が大戦中、英国海軍主力戦艦『プリンス・オブ・ウエルズ』を沈めたから」と英国政府から通知されたからである。


 中国人なら、「当然のことをしたまでだ!防衛戦争をしたまでだ、負けおしみするな!」と反論したであろうが、謙譲の美徳を重んじる日本国民は抗弁しなかった。


 小著「敵兵を救助せよ!」(草思社刊)に「プリンス・オブ・ウエルズ」「レパルス」と我海軍航空隊の戦闘、すなわちマレー沖海戦について詳述してある。


 昭和16年12月10日、日本軍攻撃のためマレー半島クワンタン沖北上中の英国東洋艦隊を、我海軍航空隊が迎撃し、約2時間で壊滅させたのである。世界海戦史上、航空機のみで高速戦艦を屠った画期的な戦いであった。


 私は2005年、ロンドンで東洋艦隊司令長官フィリップ提督の副官として海戦に参加したグレム・アレン大尉(当時)と少尉候補生で乗艦していたサー・アンソン提督(戦後、英国中東艦隊司令官を歴任)と会食したことがある。長官は、当時の英国人特有の有色人蔑視観を持っていた方で、日本人もその延長線上に見ていた。副官が、「日本人は他の有色人種と異なる、侮っては危険」と意見具申したところ、「黄色いサルが何ができるか」と一笑していたと言う。


 ところが、我海軍航空隊の攻撃が開始されるや、長官は、『こんな見事な雷撃を私は見たことがない』と絶句し顔面蒼白になった。日露戦争(1905年)で我が国がロシアバルチック艦隊に圧勝するや、米英両国海軍はこれまで海軍技術を指導していたものが極端な秘密主義に転換していた。


 我が国はそこで零戦、酸素魚雷等、世界最高水準の科学兵器を短期間で独自に開発したのみか、ワシントン、ロンドン両海軍軍縮条約で米英両国から課せられた劣勢比率を練度でカバーすべく猛訓練を積んでいたのである。


 ところが英国海軍東洋艦隊将兵を感動させることが起こる。帝国海軍航空隊は戦いの雌雄が決するや、指揮官機の信号で一切の攻撃を中止、英国護衛駆逐艦による救助活動を一切妨害しなかったばかりか、母港シンガポールへ残存部隊が帰還するまで上空より護衛したのである。


 この情報はジャワ方面やインド洋で活動する全英海軍将兵に達し、彼らが抱いていた白人絶対優位のうぬぼれは一挙に崩れ去った。アレン大尉は、日本帝国海軍を「偉大な海軍」と絶賛し、「貴殿は帰国したら、日本国民の皆様に我々の敬意と感謝を伝えてくれ」と強調した。


 以降、私はかつて日本海軍と戦った英国海軍士官子孫と兄弟のように交流している。彼らは熱心な日本ファンで、今回も日本選手団にエールを送り続けていたのである。

2012年

8月

04日

異常なオスプレイ沖縄配備反対運動に思う 本紙論説委員長 惠 隆之介

1.最悪の事態に備えよ!
 昨年、石垣で自衛隊を参加させての防災訓練が実施された。その際、NHKが市民にインタビューしたところ、「防災訓練に戦闘機まで参加しているのはおかしい」と発言した方がいた。


 この方が目撃したのはファントム偵察機であった。私はこの方に、平和ボケ大賞を贈呈すべきと思った。


 今後の防災訓練においては最悪の事態を想定して実施すべきである。
 一昨年三月十一日に発生した東日本大震災のあと、災害派遣で現地に出動した自衛隊指揮官から深夜、私に連絡が入った。


 「見慣れないアジア人の集団がうごめいている」「遺体が損壊されており、指が切断されていたり、顎骨に人為的損傷が見られる」。この集団は不慮の災難で海水を飲み込んで膨れあがった遺体のズボンを切り裂いて財布を盗んだのみか、遺体を損壊してまでご遺体が身につけていた貴金属類を奪っていたのである。


 海外で東日本震災クラスの災害が発生したときは、当該国所属の国軍は武装したり、MP隊(憲兵隊)が出動させて治安秩序維持にあたる。さらに混乱の度合いによっては戒厳令を布告して法秩序が回復するまでは一般法(平事法)の執行を停止する。


 残念ながらわが国にはこのような有事法体系がない、現行では救助活動する自衛隊が不逞の外国人集団に遭遇してもどうすることもできないが、現場指揮官が超法規的に判断し不法行為を牽制することはできるのだ。


2.首長責任の明確化と生前遺言制の実施を
 平成八年、阪神大震災が発生したとき、倒壊家屋に挟まれ、押し寄せた火炎に焼かれて市民約四五〇〇名が亡くなった。それ以前、ときの貝原知事に自衛隊は防災訓練の実施を何度も提案していていたが、左翼傾向の思想をもった知事や県幹部によってことごとく否決されていた。


 こういう首長の判断ミスによって住民に甚大な被害を及ぼしたときには、本来なら当該首長は全財産を処分して被災住民、遺族への弁済にあてるべきではないだろうか。


 沖縄でも平成元年から三年にかけて折から発生したバブルに便乗しようと幾多の市町村首長が後援業者と結託して第三セクターを創設し、箱物事業を手がけたていた。ところがその後バブル崩壊し、事業はことごとく失敗した。


 異常だったのはその際、県内首長誰一人、私財を処分してまで経営責任をとった方はいなかった。民間であれば経営陣は銀行より資産を差し押さえられてルンペン生活を強いられていたのである。


 そこで表題のオスプレイ沖縄配備反対運動に言及したい。中山市長まで同機の沖縄配備に反対しておられるが、最悪のとき責任をとれる覚悟をもってのことであろうか。


 ここ日本本土では、「中山市長は沖縄で唯一人の正論を主張する首長、次回は是非、国政へ」と資金援助まで申し入れる国民もいたが、このオスプレイ沖縄配備反対への賛同の動きを知って、誰も中山市長に言及する方はいなくなった。


 米軍は九月、尖閣、与那国方面にて紛争が発生する危険度が最も高くなると分析しているのだ。


 それと石垣、与那国方面には、自衛隊や米軍に反対する方々が少なくないと言われている。そこでこういう方々のために、自然災害や有事発生時、自衛隊、米軍による救援活動を一切拒否するむねの意思表示を登録する制度を確立すべきと思う。


 救急医療では、「トリアージ」と称して、災害被災者の怪我の度合いによって医師により、救命処置対象者の順番が決定される。


 このシステムを災害有事救援事態のときにも拡大適用して、救援を拒否する対象者または家族を選定すべきと私は思う。

2012年

7月

06日

オスプレイ配備こそが離島防衛のかなめ㊦ 本紙論説委員長 惠 隆之介

 勿論、沖縄でオスプレイを配備する際は、これまでにも増した万全の安全対策を実施するのが条件である。


 ところで現在、米海兵隊の主力機CH46ヘリコプターは老朽化が甚だしく、行動半径も一四〇㎞と短い、尖閣有事の際には沖縄本島よりの直接の作戦行動は不可能である。ここで、佐世保を母港とする揚陸強襲艦に搭載して尖閣沖まで行動しなければならないが、これに要する期間は、最短でも一週間から十日を要する。この間、中国軍は構築物を作り対空火器を設置するであろうから島嶼の奪還は難航する。


 オスプレイの行動半径は約六〇〇㎞、最大速力はCH46の約二倍の五二〇㎞、有事の際には、普天間飛行場より尖閣諸島に約四〇分で急行できるのである。


 もう一つ、見落とされていた島嶼防衛の盲点がある。
 嘉手納米空軍基地に配備されているF15、那覇基地に配備されている航空自衛隊のF15、いずれも対地、対艦攻撃装備をもっていない、その点オスプレイは何れも高い攻撃能力を有しているのである。


 戦争は行ってはいけないが、抑止する必要がある。中国、北朝鮮のような軍事専制大国へは口先だけの平和主義だけでは通用しない。中国に侵略され弾圧されているチベットを見ればその失敗がよく解る。むしろスイスのような、「侵入すれば生きて帰さないぞ」という強い意志と装備を持つことこそが最大の平和維持策であるのだ。


 「沖縄県は観光立県を目指す」と言うが、安全保障(真の平和)があってこそ、人、物、金の動きが発生することを、県知事以下各首長は認識すべきある。

2012年

7月

05日

オスプレイ配備こそが離島防衛のかなめ㊤ 本紙論説委員長 惠 隆之介

 先月、全日空が使用するプロペラ機•ボンバルジアQ型に搭乗した。この機は以前、トラブルや墜落事故が世界で相次ぎ、国内でも着陸時、前輪が作動せず胴体着陸をしたことがあった。しかし、現在では事故率も激減し、国民は安心して搭乗している。


 話は変わるが、七月一日、仲井真弘多県知事はオスプレイ配備説明のため来県した森本敏防衛大臣にオスプレイの事故を強調し、「政府がオスプレイの沖縄配備を強行すれば沖縄の全米軍基地の即時閉鎖を要求する」と発言した。


 私はこの日、高松の市民会館で講演していたが、聴講されていた一婦人が講演直後、挙手して、知事発言を披瀝した後、「一県知事の権限でこういう行為ができるのですか」と批判にも似た指摘をされた。


 今、仮に沖縄から米軍基地が全面撤去されたら、尖閣諸島をはじめとする離島に中国軍は侵入するであろう。米軍がオスプレイの沖縄への配備を二か月早めたことも実は迫り来る尖閣有事を想定してのことである。


 今年四月十八日、石原東京都知事がワシントンで尖閣諸島購入を発表したところ、五月二十二日、中国は激怒して、尖閣諸島は中国の「核心的利益」と発表し、軍事力の行使さえほのめかしている。


 私はこのような危機に最も有効に対処できるのが米軍新鋭機「オスプレイ」であると確信している。


 米軍将校にオスプレイついて質問したところ、「性能的には全く問題ないが、操縦が難しい」とのことであった。ならば早く配備してパイロットを訓練させた方がいいのではないか。米軍パイロットとて人間、本当に危険な航空機であれば誰が乗務するであろうか?(つづく)

2012年

6月

19日

住民投票に防衛政策はそぐわない㊦ 拓殖大客員教授 惠 隆之介

 一九四六年十月十八日、終戦の翌年、中国国民党(現在の台湾・中華民国)は、沖縄統治権の譲渡を米国政府に要求した。さらには一九四八年六月、空軍機を石垣島の旧日本海軍飛行場に強行着陸させ実効支配を試みた。これは米軍によって排除されたが、彼らは懲りず、沖縄の日本復帰まで国際社会に対しラジオ「自由中国の声放送」で、「琉球列島はもともと中華民国の領土」と頻繁に主張し続けた。
 また沖縄の有力者を台北に度々招いては「独立」を働きかけていたのである。
 一方、台湾では戦後、住民が新たに進駐して来た国民党軍の実態に辟易していた。これまで駐屯していた日本軍に比べ、指揮統制がとれてなかったばかりか、モラルも滅茶苦茶であった。
 そこで林宗義医師ら親日派エリート達が日本復帰運動を開始したのである。
  国民党はこれを一斉に弾圧粛正し、一九四七年二月二十八日には林氏以下反国民党勢力(日本復帰派)住民約三万人を処刑したのである。とくに林氏は銃殺刑に処せられた。


 もし戦後、沖縄列島に米軍の存在が無ければ事態はまさに台湾の二の舞となっていたことであろう。反体制運動家として有名な故瀬長亀次郎氏などは国民党によって処刑され、琉球大学を占拠していた学生活動家たちは、天安門事件にように戦車で轢殺され、火炎放射器で火葬にふされていたにちがいない。
 ところで一九四九年十月一日、中国内戦で中国共産党が勝利し、中国大陸に中華人民共和国が誕生した。敗れた国民党は台湾に引きこもって中華民国を形成し現在に至っている。


 ここで東シナ海に平和が訪れるかに見えたがつかの間だった。中国共産党は台湾制圧を目指した。ちなみに沖縄には世界最強の米軍が存在するため、さしもの中国共産党も手出しができなかったのだ。
 中国は一九五四年、一九五八年と二度にわたって台湾侵攻を試みたがすべて在沖米軍によって阻止された。 

 一方、中国は一九五八年、チベットに侵攻し、八万七〇〇〇人のチベット人を虐殺し占領した。


 そこで米国は一九六〇年、沖縄本島に中国全土を射程内に入れた戦術中距離核ミサイル・メースB九六発を配備、翌年には同数の戦術核ロケットを配備して牽制した。
 この結果、中国は金縛り状態に陥って一歩も東シナ海、台湾海峡に出て来なくなったのである。
 残念ながらこのミサイル、ロケット群は日本の非核三原則に抵触するとして返還前に撤去された。
 一九九六年、時移り、米軍がフィリピンから全面撤退した光景を見た中国共産党軍は、「戦機到来」と言わんばかりに再び台湾侵攻を試みた。


 威嚇のため非核弾頭ミサイルを台湾海峡に連続発射、その一部は与那国島北方五〇㎞に着水、町民を恐怖のどん底に陥れた。与那国の漁師は魚に出れず三千万円以上の収益が消えた。
 中国共産党はさらに、台湾の対岸に十万の大軍を集結させて、台湾が領有する島嶼への上陸を試みたのである。これを挫いたのは、沖縄に駐留する米海兵隊第三海兵遠征軍であった。
 このように軍拡を続ける中国軍を抑止するには、中国軍上陸予想島嶼に自衛隊を駐屯させるなど、国家の強い意思と実行力を内外にアピールすることである。

 

 三、住民投票実施は町費と時間の無駄遣い
 以上述べた史実を与那国町民はどれぐらい理解しまた記憶しておられるであろうか。
 ここで米国の学者が、「政治に世論調査(住民投票)は無効」と断言した論考を紹介したい。
 平成十七年、米国ワシントン在のシンクタンク「ケイトー研究所」(cato Institute)は世論調査(住民投票)について、イリノイ大学政治学教授ロバート・ワイスバーグ論文、「政治家は世論調査を無視すべき」、「世論調査は政策決定に害悪だ!」を紹介している。それを引用紹介する。


 「世論調査の結果は、あくまでも大衆の期待や願望であって、複雑な背景や実現性を無視したものだ。政治の世界では世論調査は意味をなさない。例えば、国民が給与の増加を望んでいるからと言って紙幣の印刷量をむやみに増やすわけにはいかないのと同じことだ。民主主義政治において最善策はありえず次善の策になりがちだが、世論調査はそうした次善への配慮ができない。そもそも大衆は政策決定に必要な専門知識が不足しているのみか、政策決定後の責任やリスクをまったくとれないのである。」


 詳細は拙著『誰も書かれなかった沖縄の真実』(ワック出版)ご参照

2012年

6月

16日

住民投票に防衛政策はそぐわない㊤ 拓殖大客員教授 惠 隆之介

 近々、与那国町では自衛隊の配備をめぐって住民投票が行われる。
 防衛政策は外交の最も重要な課題であることは言うまでもないが、さらにこれを論じるには基礎知識と国際情勢の分析が要求される。
 その両者の経験もない大衆が、ただ感情だけで自衛隊の配備について反対表明することは却って危険ではないだろうか?
 今、反対派の方々の理論根拠がいかに薄弱なものであるか三点列挙したい。


 ①わが国国民は、戦後、国家の外交政策を個人倫理の延長線上にとらえると言う、とんでもない錯誤を起こしている。国家はそもそも、国益伸張のためには戦争をも辞さない。また国内においては、反体制派の粛正(暗殺処刑)も平気で行う。その傾向は隣国、中国、北朝鮮を見れば一目瞭然に解る。


 ②戦後六十五年にわたる平和は日米安保条約と米国の核抑止力によるものであった。ところが、わが国戦後世代はそれを、憲法九条によるものと教育されており、「軍備をもたない方が『平和』を達成できる」と錯覚するようになっている。


 ③米国は中国の軍事拡張に伴う緊張開始に伴い、日本国民が自らの国土を真剣に守る意志があるのか、万一の際、米国は自国青年の血を流してまで日本を守るに値するパートナーであるか疑念を持ち初めている。


 それでは、単純な平和主義がどんなに結末を生じたか史実を挙げたい。

 

 一、平和主義者が起こした第二次世界大戦
 一九三八年春、ヒットラー・ドイツはチェコスロバキア政府に対し、ズデーテン地方の割譲を要求していた。今の中国が尖閣の領有を主張するようなものだ。それ以前、ドイツは第一次大戦の責をもって再軍備を禁じられていたが、ヒットラーは国際社会に「反戦平和」を主唱しながら秘密裡に軍拡を実施していたのである。


 一方、ドイツに対抗し、かつ戦勝国であったイギリス、フランス両国には今の日本のような理想平和主義が蔓延していた。
 政治家で「国防の必要性」を主張する者は大衆からたちまち疎まれ、政治生命をも絶たれていたのである。
 従って英仏両国首脳は、ヒットラーの再軍備政策を察知していながら、譲歩策(appeasement policy)をとらざるを得なかった。


 ヒットラーの侵略手法は、まずドイツ人を近隣諸国に多量に移住させる。その後、一定数に達すると、移民たちが「民族自決」を当該国に要求しはじめる。この時ドイツは政治介入し、コミュニティの自治を早期に達成させた、そしてその後に併合するのであった。


 話を戻そう。一九三八年九月二十九日、ズデーテン地方のドイツへの割譲をめぐって、ドイツ・ミュンヘンで欧州首脳会談が開催された。
 参加者はヒットラー総統(ドイツ)、チエンバレン首相(イギリス)、ダラディエ首相(フランス)、ムッソリーニ首相(イタリア)の四者であった。


 ヒットラーはそこで、「最後の領土割譲要求」と発言したため、ドイツとの戦争を恐れた英仏両国代表は妥協した。勿論、英仏両国の民衆も懸念を示すどころか歓迎したのである。


 当時の欧州は異常だった。
 チャンバレン首相がヒースロー空港に帰任するや、大衆十万人が空港に駆けつけ、首相を「平和の使者」と褒め称えたのである。


 ヒットラーはほくそ笑んだ、英仏両国の厭戦ムードを察知したからである。半年後ドイツ軍は電撃作戦を開始、あっという間に西ヨーロッパー全土を席捲し英国に迫った。
 フランスは、かつて大陸軍国と世界から評されていたが、僅か一週間でドイツ軍の軍門に下った。当時、フランスは政治家が政争を繰り返しており、また軍人の処遇も劣悪で、士気も低かった。

 

 二、日本はこのままではナチス時代のフランスになる
 前回の「寸鉄直言」で、私は「復帰四十周年記念式典では米国の沖縄統治を総括すべきでは」と、国会議員や地元保守層に提言したことを述べた。野田桂彦首相も仲井真弘多知事もこのような視点を持たないから新型機オスプレーの配備を含む新たな沖縄政策、とりわけ南西諸島防衛強化策が県民に理解されないのである。


 ところが、東シナ海をはじめ石垣をとりまく情勢は油断をならない状況に来ている。とくに中国は尖閣諸島をチベットのように「核心的利益」と主張しており、沖縄本島への潜在主権さえ言及するようになっているのだ。
 ここで戦後、米軍統治のいったんについて述べたい。 (つづく)

 

2012年

6月

06日

復帰四十周年で見た日本の視野狭窄症状 拓殖大客員教授 惠 隆之介

 スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは、生前、「政治家は歴史の視点をもて」と強調していた。


 これこそが政治家の必要十分条件であると私は思う、歴史はほぼ百年単位で繰り返す。歴史を学習すれば、必然的に未来予知が可能となり、大衆を指導できるのである。


 このため、欧米のリーダーや王族は歴史教育を最優先して受ける、エリザベス女王が最初に学んだ科目もやはり歴史で、かつ英米関係史であったと言う。


 昭和五十年代まで、わが国でも人物を評するとき、「確かな史眼を持つ人」と言うフレーズが多用されていた。


 ここで注意すべきことは、沖縄の平和教育と欧米の歴史教育とは根本的に異なると言うことだ、沖縄のそれは被害者意識を根底にした叙情の世界でしかないのだ。


 翻って現在、わが国ではリーダーがいなくなった。お笑い番組の影響か、日本政治家は人気取りと、近視眼的な問題に固執するようになっている。


 世はまさに幕末の様相を呈しているが、これではわが国に坂本竜馬のようなリーダーが再現するか、はなはだ心もとない。

 

我が国の危機がもう一つある。
国民層に、英語を初めとする外国語を解する層が極めて少ないことである。その結果一種の情報鎖国国家に陥っている。


 先日、大阪で講演する機会があり、宿泊先のホテルで英字新聞を求めたら、「置いていない」とのことであった。そのホテルは五十階建てで、「国際ホテル」と銘打っていたのである。


 未だ我が国では、東京以外の地方都市で英字新聞の入手は困難であるのだ。
 ところで、先週五月十五日昼、那覇市内で、NHKニュースセンター九時でお馴染みの大越健介キャスター一行に復帰四十周年の感想を求められた。


 開口一番、私は、NHKが百年一日のごとく復帰直後同様の報道を繰り返していることを指摘した、さらに以下のことを強調した。


 「復帰四十周年にして沖縄を取り巻く情勢は劇的に変化している。とりわけ南シナ海や東シナ海における中国の脅威については、近隣諸国の新聞は一面で報じているが、国内マスコミは殆ど言及しない。しかも、沖縄の米軍基地を評価するどころか、単体で、しかも恣意的なコメントを挿入して報道している。これでは国民の政治判断が混乱する。古今東西、人、物、金の流れは安全と自由が保障されない限り、決して集約しない」


 大越氏は感服した表情を浮かべ、「必ずニュースで放映する」と約束したが、この部分はすべてカットされていたのである。


 復帰記念式典にも問題があった。復帰を「屈辱の日」と評する勢力は論外であるが、保守層にも国際基準で総括できるセンスが乏しかった。


 私は昨年より四十周年記念式典を、米国施政を総括し、日米両国政府に感謝する式典を挙行すべきと主張していたが、保守層でさえ賛同者が少なかった。


 このため今月十九日、沖縄市民会館で、有志とともに、「日米友好促進・感謝フェスティバル」と銘打って独自で式典を開催したのである。


 保守層も、沖縄の日本復帰を、「異民族支配からの開放」であったかのように表現している。


 実は米国政府は沖縄統治二十七年間に十億ドル以上の援助を行っており、戦前の日本が七十余年かけて達成できなかった近代化を果たしたのである。


 また石垣、与那国、尖閣諸島は台湾に狙われていたが、米軍のプレゼンスのお陰で日本の主権(復帰までは潜在主権)が守られ、現在に至っている。


 米国統治の遺産は、道路(国道五八号線)、橋梁などのインフラをはじめ、琉球大学、看護学校、米国式医師インターン・システムなど、現在に引き継がれている。


 その中で、米国施政下に確立された公衆衛生看護システムこそは今の日本でさえ確立できないプライマリィ・ケアー(予防医学)の先駆であったのだ。


 このシステムにより戦前より県民を悩まして来たマラリア、結核、ハンセン病等を撲滅され、戦前寿命が四十七歳であった沖縄は復帰時七十八歳という最長寿県を達成したのである。要するに米国統治のお陰で、現在の繫栄があるのである。


 願わくば、本稿を読まれる若人が国際的視野を持ち、かつ大志を抱き、海外に雄飛されんことを祈念している。