2016年

11月

01日

被害者はだれ? 在京OL 悲しみの日 33 兼次映利加

 大阪府警の機動隊員が高江のヘリパッド反対派に対して「土人」と発言したことが、動画を通じて大きな話題となりました。「立ち去りなさい」と言う機動隊員に対して、「お前が立ち去れ!」「基地やめろ!」「やくざ!」と叫びながらフェンスを叩きつける基地反対の人々の口ぶりは、地元の人のものではありません。なぜわざわざ、大阪からきた機動隊が辺野古に配備されるのか。それは地元民を困らせるほどの過激な反基地派の暴力と暴言が常態化しているからです。反基地派は機動隊員を指差し、「銃があるなら撃て!」「やってみろ」と繰り返しながら殴りかかります。そして脅し文句には「お前の嫁も子供もわかっているんだからな!」とくるのですから、地元の機動隊を配置しづらくなっているのも理由のひとつとききます。
 基地の受け入れには、県内でもさまざまな意見があるのは当然です。わたし自身、争いごとも武器を持つことも嫌いですが、それにしても現在の高江は異様ですし、何よりもこの機動隊員が気の毒でなりません。反基地派にどんなに殴られようと蹴られようと、やり返すことのできない若い機動隊員をさんざん挑発して引き出した「土人」という発言。そしてそれを、今度は沖縄の地元紙が利用して「県民差別」「沖縄蔑視」とキャンペーンをはります。
 全国から集結した反基地運動家は「沖縄をいじめるな」と言いますが、機動隊や防衛局職員をいじめているのは暴力集団と化した反基地運動家です。先に書いたように、ターゲットにされてしまった隊員には同情しますが、反対派がこれほど過激な活動をするまで野放しにしていた警察にも、この「土人発言問題」の責任はあるように思います。宜野湾でも辺野古でも、基地の周辺で、明らかに法を犯しながら抗議運動をする人々を、今まで放置してきたのは警察です。彼らは大勢で暴言・暴行を繰り返しても捕まらないことを学習しているのですから、今さら県外から機動隊が来ようと怖いものはありません。
 全国から集った反基地暴力集団の蛮行が先にあり、さらに、こうなるまで悪を助長した警察がいて、この両者の被害を最も強く受けたのが、最終的に懲戒処分を受けた機動隊員ではないでしょうか。
 日々、犯罪者を捕えるだけでなく、犯罪を抑止し、社会の安全と秩序を守るという警察の役割は、私たち市民にとって大切なものです。どうかこの大役を果たし続けてほしいと願います。

 

2016年

9月

08日

県民思う〝侍魂〟に感動 仲井眞知事との思い出⑦ 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 私は平成21年度から23年度の3年間、県福祉保健部行政の分野において仲井眞知事にお仕えした。
 その頃の最大関心事は、平成24年度から始まる振興策の方向を決める『沖縄21世紀ビジョン基本計画』の策定であった。私も県幹部の末端にある者としてその議論・調整に参加する機会があった。知事は、復帰40年を経過し沖縄関係予算が年々縮小されていく状況に強い危機感をもたれていた。予算総額3千億円復活と一括交付金制度の造設を目標に幹部職員を叱咤激励していた。
 平成25年度予算は政権交代のため編成が遅れ1月にずれ込んだ。予算確保に向けて政府折衝が大詰めをむかえたころ、未明に予期せぬ強い腹痛に襲われ県立南部医療センターに緊急入院となった。
 そのころ私は県庁を去り、知事の動向を直接見ることはなくなっていた。その日の夜、病院事業局長から電話があった。「知事が腹痛で入院なさった。心配なので明朝一緒に見舞いに行ってくれ」そういった内容であった。
 翌早朝、病院で局長と待ち合わせ、病室を訪問したところ、病状は私が予想していたより重く感じた。悪いことに、まだ診断もついてない状態であった。しかし、運のよいことに、腹部超音波診断の専門医である当時の松本八重山病院長が本島に技術指導の講師として来ていた。直ちに局長が彼に連絡を入れ、検査してもらう手はずをとった。その結果、胆嚢炎であることが分かり、緊急手術となった。
 手術が始まったころ、私は、知事の病状説明へのアドバイスのため川上総務部長の部屋に呼ばれた。しばらくして部長の携帯電話に山本一太沖縄開発庁長官から電話が入ってきた。
 「今、知事から電話をいただいた。『東京で直接お会いして予算のお願いをする約束となっていたのに、これから緊急の手術を受けなければならなくなり、約束を果たせません。私の代わりに担当部長を行かせますので、新年度予算に関しては特段の配慮をお願いします』とのことで驚きましたが、知事は大丈夫ですか?」そういった内容であった。
 当時、心ないうわさも流れたりしたが、実際の病状は、胆嚢炎が悪化し予断を許さない状況であった。強い痛みとショックによる朦朧状態にあっても、沖縄の予算確保について気にかけ続けておられたのである。仲井眞知事の県民を思う〝侍魂〟に私は深く感動した。
 私は保健医療行政の専門家であり、辺野古問題は専門外である。しかし、元行政官としてあえて知事の立場を想像すると、沖縄県には『公有水面埋め立て』が法に定められた適切な手続きを踏んでいるかどうかの純粋な行政判断をするしかなかった。
 平成25年末に行われた次年度の予算確保活動も、激しい腰痛を発症し歩行困難となる厳しい中行われた。予算が満額回答された時、記者に囲まれた知事が「これで良い正月を迎えることができます」の言葉は、知事の命を懸けた活動に対する、総理をはじめとした各大臣のご配慮への、彼なりの最大の感謝の表明であり、断じてそれ以外のものではなかった。繰り返し行われたマスコミによる「知事は沖縄を(辺野古を)お金で売った!」といったイメージ報道は、全くの事実誤認であると私は確信している。(おわり)

2016年

9月

07日

沖縄差別は誤解、恩人への感謝を 仲井眞知事との思い出⑥ 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 八重山や宮古などの住民にとって医療は最も大切なものの一つである。地域の医師会の先生方と県立病院が連携を強化して、良質な医療を提供できなければ安心して暮らすことはできない。
 高良前副知事から子供のころの二つの悲惨な経験を聞いたことがある。子供のころ親の仕事の関係で離島に住んでいた。兄弟が百日咳を発症、呼吸困難となった。サバニで本島の病院に搬送中お亡くなりになったという。また、隣に住む若い夫婦が臨月になり陣痛が始まった。しかしながら時間がたっても苦しむばかりでなかなか生まれない。予期せぬ難産となってしまった。復帰前の話で、米軍ヘリを依頼した。しかし、運悪く台風接近の悪天候で島にどうしても着陸できなかった。妊婦は陣痛の苦しみの中で力尽き母子ともに死んでしまったという。
 八重山と宮古には県立の総合病院を整備し、また各離島には診療所がある。加えて万一の救急搬送に備え、自衛隊と海上保安庁に特別の配慮をお願いしている。これは現場の命がけの善意と使命感があって維持されている。そういった体制があるため、かつて副知事の経験したような悲しいことはなくなり、離島でも安心して暮らせるのである。
 離島の県立病院経営にとって最大の困難は人材の確保である。とりわけ産婦人科医の確保はなかなか見通せなくなったりする。
 平成23年の新春早々、当時の八重山病院長が緊急の記者会見をひらいた。4月からの産婦人科医の確保ができないため、妊婦検診を含め、産婦人科を閉鎖することを発表した。これは八重山の新聞は当然、本島のマスコミでも大きく取り上げられ、大騒ぎとなった。
 福祉保健部の私の部屋や、病院事業局長のところには市長、議員、市民団体など多くの関係者が押し掛けてきた。どなたもとても心配して、八重山病院から産婦人科がなくなることは許せないと口々に主張していた。
 病院事業局長や私としてもその思いは同じなのだが、具体的な人員の配置計画がなかなか組めなく苦慮していた。皆さんには信じてもらえないかもしれないが、日ごろ図太く見える私も心配で夜も眠れなくなった。
 そんな状況の時、知事から私の携帯に電話が入った。「私(仲井眞知事)の昔からの友人で、政府関係者にも顔の利く人から電話があった。八重山という国境の街の病院に産婦人科がなくなるのは東京にいる私にとっても大変心配である。もし、沖縄県が希望なら、親しいお付き合いのある順天堂大学関係者に働きかけて特別に産婦人科医を派遣することを検討してもらってもいいのだが」といった内容で、私や現場の意向を聞きたいとのことであった。もちろん有り難い話で、伊江局長にも伝え、どうにか4月からの産婦人科閉鎖は回避できたのである。
 おそらくそういった事があったことを知る八重山住民はほとんどいないであろう。今回あえてこのエピソードを紹介したのは、最近、〝沖縄は差別されている〟そういった内容の発言を、市民活動家ばかりでなく県の要人の口からも発せられるようになっている。私は、そのことがとても心配で不愉快でもあるからである。
 心ある人々は、東京にあっても遠く離れた沖縄や離島のことを心配してくれているのである。そういった方々への感謝の思いを忘れたら、地域の発展はとても望めないと思うのである。

2016年

9月

06日

昔気質、茶会めぐり激怒 仲井眞知事との思い出⑤ 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 仲井眞前知事が八重山地域のことに並々ならない思いがあったことの一端を紹介してきた。
 知事という要職にあり年長者でもある方の、その人柄について私などが云々することは大変失礼であることは十分承知しているつもりである。しかし昨今の米軍基地にからむ政治状況と、繰り返されたマスコミのイメージ報道で、彼は県民から非常に誤解されている様に感じ心配している。敢えて彼の人柄について私の考えを述べてみたい。
 仲井眞知事は、とてもまじめな方で、特に沖縄への郷土愛は並々ならぬものがあった。反面、「麻生総理に似ていますね」とか「ご下命ですか」の発言にみられるように、私のような直線的な発言をする人とはちがって、少しはぐらかした変な物言いをする方である。そういったところを彼独特のユーモア感じてもらえればよいのだが、誤解を生むこともしばしばあったのも事実である。
 もう一つエピソードを紹介したい。数年前、全国的に〝たな卸し会議〟といった行革が流行した。もちろん行革はとても重要な視点でもあるが、民主党政権下マスコミをにぎわした「一番でなければいけないのですか?」といった少し思慮に欠けるものが沖縄でもあった。
 福祉保健部では百寿者への祝い事業が行革になり、前年数百万円の事業費が数十万円に減額された。そのため百寿者全員への知事からの記念品の贈呈と数人の代表者の自宅訪問ができなくなった。そういった事情で、その年は代表者を招待しての識名園における知事主催の茶会をする計画に変更した。
 事業前日、担当課長が知事説明を行った。ところが担当者の予想に反して、知事が納得せず立ち往生してしまった。秘書から私のところへ電話があり、至急知事室に来るよう求められた。
 私が到着した時、知事は顔を真っ赤にして担当者をしかりつけていた。何故知事が怒っておられるのかよくわからなかった。よくよくお話を伺ったところ次のような理由であった。百寿者は長年にわたって沖縄県に貢献してきた立派な方々である。そのような大先輩の方々を、私ごとき後輩が呼びつけるような失礼なことはとてもできない。また、私は百寿者のお宅を訪問して、仏壇の前で献杯を受け長寿をあやかりたいのにそれができない。
 知事のお話を聞いて、私も大変困った。私のような凡人が全く想定してない理由であったからである。しかし、全ての段取りが終了した後であり、事業変更などできない。私は率直に「知事のお気持ちを理解できてなかったことをお詫びします。しかし、すでに多くのボランティアの方々の協力も得ながら事業計画は進んでおり、変更することはとても不可能です。また、知事は単なる一県民ではなく、県民の代表者であり、昔でいえば国王にもあたる立場です。そんな方が『百歳おめでとう。長年ありがとうございました』と声をかけ、一緒にお茶を楽しむことは、とてもうれしいことですよ」そのように説明してやっと納得していただいた。
 これまで述べてきた経験から私は、仲井眞知事は先輩方を大切にする昔気質のとても真面目な方だと改めて感じた。一方、そういったことを理解しない職員などからは、「気難しく、わけのわからないことを言う人だなー」と誤解され煙たがられたのも事実である。

 

2016年

9月

04日

八重山病院新築を強く指示 仲井眞知事との思い出④ 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 前回まで、統括監へ指名される際の面接時のことや、新型インフルエンザ対応へのこと、さらに病院事業局長指名のいきさつ等の少しばかり風変わりなエピソードについて話してきた。
 特に八重山諸島の人々にどうしても伝えたいことがまだある。八重山病院新築のいきさつである。
 平成23年だったと記憶しているが、病院事業局にとっての長年の懸案事項であった県立宮古病院の新築移転の事業にほぼ目途がついたころ、私は伊江病院事業局長の部屋を訪ねた。八重山病院をどうするかについて話し合うためであった。
 私自身、琉球大学に所属していたころの昭和58年、少しの期間であったが八重山病院に所属していたことがある。八重山病院の設備等の事情はよく知っていた。当時から特に手術場などは、地域の基幹病院としてはあまりに貧弱で問題があるように強く感じていた。また、耐震構造上も問題があり、前年には特別に予算を確保して耐震補強工事も行っていたが、近代医療を行うには新築するしかないのは明らかであった。
 さすがに11年も八重山病院長として赴任し、苦労してきた局長である、私以上にそのことを心配しておられた。しかし、長年の懸案だった宮古病院の新築の工事に取り掛かったばかりの時期である。ご自身でそういった話題を持ち出すことは困難な状況であった。まさか福祉保健部の責任者からそういった話題が持ち込まれることは予想してなかったようである。目を輝かせて喜ばれた。
 二人で大まかな作戦を立て、5年後をめどに成し遂げようということになった。非公式ではあるが、総務部関係者のところにその話題をもっていったところ、「10年後の検討事項ですね」けんもほろろにそう言われたりした。
 そんなことは最初から想定されたことであった。通常こういった事業は住民運動が先行しなければ成し遂げられない。良くも悪くも、八重山は宮古に比べてこの種の問題にのんびりとしたところがある。しかし、当然ではあるが、情報を上げると市長や議員をはじめ関係者が一生懸命訴えるようになり、一気に具体的な検討課題になった。
 住民の皆さんには是非理解していただきたいのですが、この問題に関しても仲井眞知事は特段の関心を示していただいた。特に、平成25年の7月大型台風が八重山地方を襲った。老朽化した病院にも甚大な被害が発生した。雨漏りや自家発電の機能が十分でない中で停電も発生し、病院機能そのものがダウンした。当時の本竹副院長(現中部病院長)が被害の状況を録画していた。
 被害のニュースが本島に伝わると、すぐに仲井眞知事は現地八重山に飛んだ。病院にも視察に入った。病院で被害発生直後の状況を映した映像を目にし、本当に驚かれたようである。帰任後これではいけない、八重山病院の新築は県政の最優先課題であると予算担当関係者にも強く指示された。
 現在八重山病院の新築工事が進んでいる。前例に比べ、特段の速さで事は進んだ。そのことに少しばかり関わった私としても大変うれしく、新病院の完成を心待ちにしている。
 私はすでに県庁を去った身であるが、このことには今でもずっと気に留めている。私の得た情報では、予期しない不発弾問題などがあり、八重山病院新築事業は資金確保等で必ずしも順調ではないようである。住民自身もよく情報を集めて、さらなるバックアップをして是非立派な病院を造っていただきたい。

 

2016年

9月

03日

伊江病院事業局長起用の舞台裏 仲井眞知事との思い出③ 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 沖縄県は、新型インフルエンザへの対策に懸命に対応した。当初の予想に反し一例目の患者は6月であった。しかし、7月には流行が始まり患者は急増していった。8月中旬になると、患者発生数の増加に比例して重症者が急増した。沖縄においても海外情報と同じく、通常のインフルエンザとは異なり、重症者は若い人たちであった。
 八重山地方の離島診療所でも、重症患者が発生した。呼吸の止まった患者に診療所の医師によって挿管処置がなされた。患者はすぐに海上保安庁のヘリコプターで県立八重山病院に搬送され、ICU治療を行われ救命した。皆様方は既に忘れただろうが、当時そういったこともあったのだ。
 その頃はまだ病気の本質が十分には分かっていなかった。マスコミでは過度の恐怖情報が流れていた。搬送や治療の現場の方々にとっては、未知の病気への相当の恐怖もあったと思われるが、恐怖感を乗り越えて誠実に対応していただいた。改めて感謝の思いを表明したい。
 沖縄県では先人たちの努力で、宮古・八重山に拠点となる病院を整備してきた。また、各離島にはそれぞれ診療所を設け医師・看護師などの専門家を配置している。更に、海上保安庁や自衛隊の全面的な協力のもと、救急患者航空搬送体制を整備してきた。新型インフルエンザの経験を持ち出すまでもなく、こういった医療環境の整備は、離島住民の安心にとって最も重要な事項である。このことに関係してきた先人たちや、今現場で働いている方々への感謝の思いを軽んじては決していけない。同時に、医療の適切な確保と、その機能向上には、今を生きている私たちの重大な責務であることも忘れてはいけない。そのことがなければ地域医療はいとも簡単に崩壊してしまうのである。
 さて、当時の八重山病院伊江院長とは、電話で密接に連絡しあい対応した。また、10年以上にわたって八重山病院長を担っていることに、私は深い尊敬の念をいだいていた。後日そのことが大きな意味を持つこととなった。
 新型インフルエンザへの対応も終わった23年早々、前任の病院事業局長が任期満了を迎えた。次期病院事業局長をどなたに担っていただくか、県三役をはじめとした人事担当者の検討が始まった。数人の候補者の名が取りざたされた。どなたも立派な業績を上げられてきた先生方ばかりであった。
 総務部長から医療関係者の意見の聴取を依頼された。県立病院の主だった方々や、県医師会の先生方の意見を聴取することとなった。県立病院の先生方の多くは、離島で10年以上も頑張ってきた伊江先生こそが事業局長にふさわしいといった意見であった。しかしながら、知事をはじめとした三役には伊江先生を知る方がいなかった。そういうこともあり当初、ほかの先生が有力となっていたようである。
 私は当時の、総務部長や宮城県医師会長を通じて県三役に情報を上げた。人事が大詰めを迎えたころの昼休み時間に突然、仲井眞知事から電話があった。「伊江病院長を次期局長にするというのは宮里統括監のご下命ですか?」知事から〟ご下命〝などと言われ動転した。「そうではなく天命だと思います」私はとっさにそう答えた。
 普通に考えるととても変な会話であるが、これも仲井眞知事の特殊な言語感性の一例であると考え、皆さんに紹介した。

 

2016年

9月

02日

感染症対策で米国から感謝状 仲井眞知事との思い出② 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 私は、平成21年から23年の3年間、沖縄県福祉保健部統括監・部長として、前仲井眞知事のおそばで仕事をする機会があった。その時の経験について県民、特に八重山地域の皆様方に是非ともお知らせしなければならないと考え、今回、数回に分けて投稿することとした。
 平成21年のことは皆さんすでに記憶も薄れていると思う。その年のゴールデンウィーク前の4月後半、メキシコにおいて新型インフルエンザ発生、多くの若い人が重症化し死亡者が相次いでいるとのニュースが流れた。WHO【世界保健機関】もフェーズとかパンデミックとかいった一般には聴きなれない言葉を用いて、特別の警戒が必要との見解を世界に呼びかけた。
 そのニュースが流れた朝一番、知事室へ緊急の呼び出しを受けた。知事は非常に緊張した表情で私たちに問いかけた。メキシコで流行しているインフルエンザへの県の対応はどうなっているかといった内容であった。当初、検討・協議であるといったものではなく、叱責に近いものであった。
 私は医療技官の責任者の立場から積極的に発言した。沖縄県の医療は地域の医師会の皆様を基礎として、民間病院、県立病院、大学病院の連携はしっかりしており、メキシコの医療環境とはまったく違う。また、スペイン風邪の被害を引き合いに過度の恐怖を語る人もいるが、当時の医療状況と現在はまったく違う。今回の事態もいたずらに恐怖するのではなく、沖縄の医療に期待し、被害の最小化に努めるべきです。知事におかれましは県民の不安を和らげるメッセージに努めるべきです。おおよそそういった内容の説明をした。
 当初、知事は相当に厳しい表情であったが途中から穏やかになった。説明も一段落したので立ち上がり、「失礼します」と告げ退室しようとしたところ知事から予期しないお言葉があった。「貴方のお顔は麻生総理に似ていますね。人に安心感を与える声ですね」
 私は、本当にずっこけて、〝ゴツーン〟とテーブルに頭をぶつけてしまった。その様子に立ち会っていた多くの幹部職員も全員、笑ってしまい当初の緊張が解けた。普通「全力を尽くして対応してください」といったことを話すのでしょうが、仲井眞知事は、まじめな内容であればあるほど、独特の言い回しをするお方だなーとその時感じた。
 一方、国の対応は深夜の厚生労働大臣の記者会見や水際作戦に見られたように、過度に国民に不安を与えたように感じた。そういった社会状況にも影響されたのでしょう。「アメリカで恐ろしい病気がはやっている。米軍基地のある沖縄県は、また基地の被害をこうむらなければならないのですか!」県にはそういった内容の声も届いた。
 私は、知事のお許しをいただき、新聞紙上に「今回の事態は基地問題ではなく、疫病対策という人道の問題である!」そういった内容の投稿をした。日ごろ人権を声高に主張する人たちの覚悟のなさを残念に思った。
 新型インフルエンザ対応に際しては、事柄の関係上米軍とも緊密に連絡しあたった。日本におけるほとんど意味のない混乱ぶりとは反対に、米軍関係者は、流行が本当に深刻化し、東アジア地域で混乱が生じた際の医療支援計画、食糧支援計画を立案していた。私は米軍基地問題について云々する立場にないが、日本の混乱ぶりと比較し彼らの世界的視野での考え方を知り、大いに恥ずかしい思いをした。
 そういった経緯もあっての事であろうが、事態が完全に収束した時、私は米国総領事から感謝状をいただいた。私の終生の誇りである。

2016年

9月

01日

県立病院改革へ職員一喝 仲井眞知事との思い出① 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 私は昭和26年に本部町山川というところで生まれた。現在、海洋博公園として沖縄観光の中心施設のあるところである。今も昔も青く透き通る美しい海はほとんど変わらない。しかし、私が幼少のころは水の乏しい本当に貧しいところであった。現在では観光が沖縄の基幹産業に育ち、道路や上下水道も整備され、各地から訪れた人々で活気にあふれており、隔世の感がある。
 私が生まれた直後に両親は職を求めて那覇に移った。小学校入学の時まで本部の祖父母のところで育った。祖母は子供のころ転び、肘を脱臼した。当時、その地域には医療はなく、そのまま放置されていた。醜く変形した腕は、農作業で鍬をふるった後にはしばしば激しく痛み、「あの頃今のような医療さえあればこんなに苦しまなくてもよいのに」と嘆いていた。
 私は医学部卒業後、約10年間琉球大学に所属し臨床をやっていたが、期するところがあって昭和63年から医療行政官に身を転じた。宮古保健所赴任を皮切りに、県内各地の保健所で仕事をした。
 平成21年の4月に県福祉保健部統括監となり23年度は部長に昇進した。統括監の内示が発表される数日前に総務部人事課から知事室に呼び出された。仲井眞弘多知事と直接面談することは初めてであったため相当に緊張した。
 知事の前に着席するや否や、知事は一方的に話し始めた。「県立病院事業が短期借入金100億円となり、資金不足で破綻の危機に陥っている。これから三年間、特別に繰入金を増額し短期借入金を解消しようと思っている。しかし、これまでのように経営に無頓着ならば数年後は再び経営危機に陥る。そうなれば地域医療の核となっている県立病院は、医療の進歩に合わせて再投資することもできずじり貧になっていく。そうなれば困るのは住民である。君は他のことは何もしなくていい!県立病院の経営改革のことだけをやるように!」
 当時、知事の面接を受ける他の部の統括監予定者は数人いたが、私との時間が一番長かったと聞いた。ともかく、顔を真っ赤にして県立病院経営再建を指示する知事の迫力に、これから待ち受ける責任の重さに身が引き締まったことを覚えている。
 統括監就任後、県立病院事業についての知事説明を何度か行ったことがある。ある日私が、「県立病院を守るためには…」といった、当時盛んに使われていたフレーズを用いて説明を始めようとした。突然大声で「ダメだ!医療は日々発展向上している。県立病院も向上し発展する気概がなくてどうする!守ってばかりいてはダメだ!」と一喝された。その時、仲井眞知事はこれまでの知事とは違い県立病院に強い思いがあると確信した。
 実際、老朽化した宮古病院の建て替え案件は、県立病院事業の10数年来の懸案であったが、短期借り入れがあまり大きくて、なかなか実行できなかった。知事が特別繰り入れをするといった決断をしなければ、宮古病院の新築はさらに遅れたであろう。
 仲井眞前知事の県立病院事業に対する並々ならぬ思いが具体的形として実を結んだ事例が八重山においてもある。直接に恩恵を受けた八重山住民の方々にもほとんど知られてないエピソードである。今回、新聞社のご厚意で八重山地域の医療に仲井眞前知事がなしたことの幾つかを紹介したい。

2016年

5月

10日

配備反対派は中国国家主席に公開質問しては 徳松 信男

石垣市役所の高台移転が決定した後の市にとって最大の懸案は自衛隊配備問題である。
 先に八重山防衛協会(三木巌会長)による石垣市への自衛隊配備要請があった。去る4月22日には石垣への陸自配備で初の説明会があり、沖縄防衛局の局長による説明で「この地域の力の空白があることが不安定化を招く。自国を守る態度をしっかり示すことで紛争を未然防止する」と説明。「防衛力の空白を埋めることで未然に紛争を防止する。八重山で大規模災害が発生した場合には石垣の駐屯地が来援部隊の活動拠点になる」と説明している。
 一方で石垣島への自衛隊配備を止める住民の会(上原秀政共同代表)(以下住民の会とする)による街宣車活動、9条の会によるデモ活動、さらに最近ではやいま大地会(ヤイマウフズィ会)(潮平正道、八重洋一郎、慶田城用武他共同代表)による石垣市長への公開質問(八重山毎日新聞5月1日付)、その他いくつかの新聞紙上での意見表明があった。
 自衛隊配備に賛成派も、反対派も、こぞって一致しているのは「平和な島を守りたい」ということである。
 住民の会の主張を盛り込んだビラの内容は「1・石垣市へのミサイル配備により相手方は黙っていず攻撃される可能性が高まる。先島は本土防衛の捨て石にされる。2・自衛隊配備で観光業は大打撃を受け、経済はダウンする。1980年に340人の自衛隊配備で人口が年々減少し、財政状況も落ち込んだ対馬市と観光収入と、人口が増加している石垣市を比較している。3・尖閣諸島や東シナ海については異なる見解を認識して話し合いで解決する。4・基地がなくても災害で来援部隊は来る。ミサイル戦の戦場になる危険を冒してまで自衛隊配備に頼る必要はない」

 ―

 さてここで言いたいことは自衛隊の配備がなくても尖閣、八重山そして沖縄県の安全が守られるかということである。それを中国自身が保証しないと意味がない。その保証を取り付けるために「9条の会」、「石垣島へ自衛隊配備を止める住民の会」、「ヤイマ大地会」などの組織は憲法9条、あるいは反戦平和、基地反対の旗をかざして中国の習近平国家主席あてに公開質問状を出してみたらどうであろう。
 少しの金と力しかない石垣市長など相手にするよりはるかに愉快で意義あることだ。いい返事を得られたら市を挙げてその快挙を祝いたいものである。
 今度の参院選での立候補者は自衛隊配備問題についてあらゆる知恵を絞って徹底討論してほしいと思う。

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2015年

12月

09日

書評〈下〉『翁長知事と沖縄メディア「反日・親中タッグの暴走」仲新城 誠著』 徳松 信男  

 昨年(2014年8月)孫崎享氏が石垣市内で講演を行った。同氏は元外交官、防衛大学教授などという経歴の持ち主で、現在は鳩山元首相の知恵袋的存在として活躍している。孫崎氏は言う。「尖閣を棚上げすれば争いは一発で解決する。平和を望むなら尖閣は棚上げにしたほうがいい。しかし平和を望まない人たちがいる」「八重山は軍事的に守り切れる場所ではない。軍事的に日本が中国と対決して勝つ方法はなく自衛隊は自滅しかない」 軍事的経済的に中国と日本の格差は拡がる一方である。核武装してミサイルを持っている中国を相手にして戦争となれば日本は中国のまえに壊滅するであろう。アメリカは政府も国民も日本より中国が重要だと思っているので重要でない国のために戦争するはずはないと明言した。さらに辺野古への基地移設や八重山への自衛隊配備にも反対していた。その後鳩山元首相も石垣で講演を行ったが聴衆は孫崎氏の時の半分にも満たなかった。

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2015年

12月

04日

石垣市新庁舎建設位置選定は住民投票で〈上〉 一票差選定の問題点 徳松 信男

 石垣市では11月27日の午後第7回石垣市新庁舎建設基本計画策定委員会が市健康福祉センターで開かれ、新庁舎の建設位置として美崎町の現在地が無記名投票の結果1票差で選ばれた。現地は県が予想する2メーター以上5メーター未満の津波浸水区域にあり防災対策でも、委員の間でも意見が対立した。(ただし、沖縄県防災会議の沖縄県地域防災計画では平成19、24、26年度と3回も石垣港には12分で約15メーター、登野城漁港には8分で約20メーターの津波予測が示されているが石垣市は24年1月よりいまだ修正版を出していない)私はこの委員会を傍聴する機会があり、会場で配布された資料やこれまで本紙や八重山毎日新聞に寄稿された市民や関係者の意見を参考にして問題点を述べたい。

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2015年

8月

15日

心温まる笑顔がいっぱい 仲島保写真展に感謝 黒島 健

 「笑いがいっぱい・健康は笑いから」をテーマにした写真展が石垣島徳州会ロビーで開かれている。「昭和二十五年二月五日生まれだから、2・5・2・5(ニコニコ)で、オギャーと生まれた時から笑いなさいよと、写真を撮るのは私の宿命みたいなもの」と、それこそ「つつましい笑み」の名刺を手にしながら話していただいた白保出身の写真家・仲島保さん。
 三回目を数える今回の展示会、石垣島一円のイベントや祝い事など様々な場面で出会った人々との笑顔とのユーモアを自らが愛し続けるバガー島で、およそ四○年にわたって写真を撮り続け、そのモデルはおよそ一万人におよぶとのこと。
 

▼全文は「新聞オンライン.com」で
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2015年

6月

15日

海上保安庁への筋違いな抗議をやめてください 石垣市議会議員 砥板 芳行

 政府の普天間基地辺野古移設計画で、移設反対派は海上警備を行っている海上保安庁を標的にした抗議活動をエスカレートさせています。
 現在、反対派は、警備のために現場に向かう海上保安官の乗った車両の通行を妨げ罵声を浴びせたり、第11管区海上保安本部前で抗議集会を行ったり、「海保はテロリストだ」と書かれた横断幕を路上や海上保安部施設ゲートの門を塞ぐように設置したりしています。
 最近では、辺野古警備を担当している中城海上保安本部の入り口が、何者かによって外から施錠させられ、海上保安官が2時間余も施設から出られなくなるという事件も起きています。

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2015年

5月

21日

尖閣の東西國境線を對比 清國勅任副大使の記録にまた新事實㊦ 石井 望

李鼎元『使琉球記』嘉慶七年序の師竹齋刊本 ハーバード大學藏 グーグル社提供
李鼎元『使琉球記』嘉慶七年序の師竹齋刊本 ハーバード大學藏 グーグル社提供

 公式度の高い渡航記録
 李鼎元の「門戸」は漢詩の比喩に過ぎないので、論據(ろんきょ)として脆弱(ぜいじゃく)だと思ふ人も有らう。それを補ふ李鼎元自身の記述が幾つか有る。
 まづ第一に李鼎元が『師竹齋集』と同時に同版元から刊行した『使琉球記』卷三によれば、福州出航後に經由(けいゆ)した島々は、五虎門、官塘(馬祖列島)、彭家山、釣魚臺(尖閣の魚釣島)、赤尾嶼(尖閣の大正島)、以上五ヶ島を數(かぞ)へる。官塘は竿塘と同じである。そして琉球國境内の姑米山(久米島)に到達した時に曰く、
  「所見亦僅三山、即至姑米」
  (見る所もまた僅かに三山にして即ち姑米に至る)
 と。三山とは三ヶ島である。五ヶ島を經由しながら三ヶ島だけとするのは、清國の外に出た後、琉球人が船中で針路を司った海域の三ヶ島(彭家山、釣魚臺、赤尾嶼)を指す。他の諸史料と併せ覽(み)れば、最初の五虎門及び官塘は清國の勢力内だったため琉球人に針路を任せず、島數も算入しないのである。李鼎元自身が漢詩で詠じた東西相似形と全く同じ事を、『使琉球記』の「三山」が補ふ形になってゐる。

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2015年

5月

19日

尖閣の東西國境線を對比 清國勅任副大使の記録にまた新事實 ㊤ 石井 望

 私はこれまで尖閣西方のチャイナ國境線史料を示す多數の史料を見出(いだ)して來たが、このたびまた新事實(じつ)を見つけた。勅命で琉球國に派遣された副大使・李鼎元(りていげん)の漢詩「馬齒島歌」では、慶良間島と久米島とが琉球國の「門戸」を成し、清國沿岸の五虎門・馬祖島と極めて相似だと詠ずる。「門戸」の語はそれ以前の『裨海紀遊』などから既に大陸沿岸島嶼を形容する通例であった。久米島と馬祖島とが東西の門戸であり、中間の尖閣は無主地となるから、日本の編入は合法となる。
 同じ李鼎元の渡航記録『使琉球記』には、福州を出航してから久米島到達までに五つの島(五虎門・馬祖島・彭家山・釣魚嶼・赤尾嶼)を經由したことを記録するが、五つでなく「三山」(三ヶ島)を見たと書いてある。大陸沿岸の五虎門・馬祖島といふ二ヶ島を除外し、琉球人が針路を司った清國外で尖閣等の三ヶ島を見たことを示す。更に五虎門から慶良間までの合計時間數も記録する。これらは自身の漢詩に公式性を附加する記述と言へる。
 尖閣の東西の相似形
 李鼎元は嘉慶五年(西暦千八百年)、皇帝勅任の副使として福州から琉球國に派遣された。歸國後に刊行した詩集『師竹齋集』卷十四の漢詩「馬齒島歌」には、尖閣の東西の國境線を對比する語句が有る。馬齒島とは慶良間島の漢文名である。その句に曰く、
 「三十六島此門戸、絶類竿塘石虎五。」
 (三十六島、此れぞ門戸なり、はなはだ類す竿塘と石虎五と)
 と。

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2015年

3月

24日

昭和44年の地圖は油田情報にもとづく 石井 望

1969年 中国測絵総局『分省地図』尖閣群島張り出しの部分。NHKニュースより
1969年 中国測絵総局『分省地図』尖閣群島張り出しの部分。NHKニュースより

 いま話題の昭和44(西暦1969)年チャイナ測繪(そっかい)總局の公式地圖(ちづ)について、見過ごせない情報が出て來た。わざわざ枠から右に「尖閣群島」だけが張り出してをり、逆にチャイナの領有を示すと外交部洪磊(こうらい)報道官が述べたのである。これを聞いてチャイナ各方面から喜びの聲が揚がってゐる。もとは武漢大學の大學院生がインターネットに投稿した新説なのだが、瞬く間にひろまって外交部が即日採用した。

 私は古典史料で尖閣の西方に國境線ありと知ってゐるので、この地圖に興味が無かった。西暦1461年の『大明一統志』、1617年の『皇明實録』、1871年の『重纂福建通志』など、どの時代でも尖閣のはるか西方に國境線や海防線が引いてあり、昭和44年の地圖よりも明確である。

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2015年

3月

22日

イノシシ問題 奥間 政和

 最近イノシシの被害が拡大していると思います。農家の方もイノシシ以外にクジャク、キジに集荷直前の農作物への被害が多発しております。当施設でもワイヤーメッシュで周囲を囲いましたがイノシシの侵入を完全に防ぐことはで きません。お客様からは「イノシシに威嚇された」「子連れのイノシシと出会い、今にも向かってきそうだった」と聞きました。万一、イノシシの攻撃を受けたなら、大怪我することでしょう。
 クジャクについてもその繁殖力はすごいと聞いています。クジャクの鳴き声は「ミィヤオ~!ミィヤオ~!」と鳴きます。観光客は「大きな猫がいる」「イリオモテヤマネコ???」などと思う方もいます。イノシシ、キジ、クジャク、年々数が増えているような気がします。

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2015年

3月

05日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑫ 石井望

 第二の可能性は、福建に盜賊が多く、井澤らは船中の米を奪はれさうになり、ついで官吏の強い勸(すす)めにより船を繋留したまま陸上の宿舎で一夜を過ごした處(ところ)、船中の財物を全て盜まれてしまった。國吉まこも氏が詳しく研究する「九州日日新聞」明治二十六年十月八日より十三日まで所載の井澤「漂流談」に述べられてゐる。善良な井澤らはそれでも福建當局に感謝してゐるが、しかし清國の國情から言へばこれは官吏と盜賊とが結託してゐたのだらう。いづれにしろ賊の多い國から日本に歸國(きこく)できるか否か不安の中で井澤らは過ごしてをり、大きな利潤を生む鳥毛採集について福建現地でわざわざ言はないのは當(あた)り前である。かりに無主地尖閣の鳥毛採集に福建人が參入すれば競爭が劇しくなることも預見できる。


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2015年

3月

03日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑪ 石井望

 チャイナ國家海洋局のインターネット尖閣新サイトに採用されたのは、全て日本が尖閣諸島を編入した明治二十八(西暦1895)年より以前の古史料ばかりである。しかし日本政府は反駁しない。チャイナの主張が全て虚構であることは古史料で逐一證明できるのに惜しいことだ。ただ明治十八(西暦1885)年から十年間、尖閣が無主地だと確認したことだけは日本政府も公式見解としてゐる。十年間の史料は國吉まこも氏(尖閣資料保存會)がことごとく明らかにして來たが、今私も聊か附け加へることがある。


 十年間の多くの上陸者中で目立つ一人が井澤彌喜太(やきた)である。井澤は明治二十六(西暦1893)年に浙江・福建へ漂流したが、その送還について日清間に往復公文が存在する。日本側は井澤が尖閣に向かって航行中に漂流したと説明し、保護送還について各地方官に謝意を傳達(でんたつ)して欲しいと清國側に求めた。

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2015年

2月

26日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑩ 石井 望

 チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。その史料ページの最上段に寫眞(しゃしん)入りで採用されたのが航路書『順風相送』である。今から六百年前の西暦1403年の成立書だとして、彼らの虚榮心の最大の據(よ)り所となってゐる。
 『順風相送』は卷首・卷上・卷下の三部分に分けられる。卷首は東南アジアから西方の航路だけを記載し、卷上はスマトラ以西のイスラム航海術で計測した緯度を記録するが、卷下はルソン島以東の航路だけであり、緯度計測の記録も無い。チャイナ航海術では緯度を計測できなかったのだ。要するに卷上まではイスラム文化の書であり、それと全く異なる文化の卷下を加へて合裝したに過ぎない。そして卷下に長崎開港(西暦1570年)やマニラ築城(西暦1573年)とともに釣魚嶼(今の尖閣)を記載する。西暦1403年とは縁もゆかりも無い。

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2015年

2月

24日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑨ 石井 望

圖十 平成二十四年七月十七日、産經新聞第一面
圖十 平成二十四年七月十七日、産經新聞第一面

チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。殘念ながら、チャイナの曲解すら容(い)れ得ぬ諸史料はサイト不採用となった。不採用の中でもここ二年ほどで大いに知名度の上がった二史料がある。一つは西暦1561年、郭汝霖(じょりん)の上奏文、産經新聞がこれを報じた。今一つは西暦1617年、『明實録』(みんじつろく)の語、讀賣新聞がこれを報じた。
 郭汝霖上奏文は尖閣最東端の赤嶼(せきしょ、大正島)を琉球國の「界地」とする。産經新聞が第一面で大きく報じ、新華社や社會科學院などのメディアは次々に批判を掲載した。尖閣研究家・呉天穎(ごてんえい)氏の新刊書では、裏表紙の宣傳(せんでん)文句に「石井望が郭汝霖の史料を見つけて、逆に我々を助けてくれた」などと大きく書き立て、新聞も同じ宣傳文句を使った。

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2015年

2月

19日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑧ 石井 望

 チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。その中の新たな史料として、張學禮(がくれい)『使琉球記』が有る。元々著名な古書だが、從前の尖閣論爭の中でほとんど取り上げられず、平成二十四年の『釣魚島白書』でも採用されなかった。なぜなら大陸沿岸に近い位置で「外」に出ると書いてあり、尖閣は外となるからだ。都合が惡いものはいつも無視して來た。

 張學禮の原文は「天が中外を界する」となってゐる。連載第七囘で書いた通り、册封大使汪楫が尖閣の東側で「中外の界」を記録してをり、チャイナ主張では「中國(チャイナ)と外國との分界」としてゐる。同じ基準なら、張學禮の記述は尖閣の西側、大陸沿岸附近でチャイナが終ることを示す。二つの史料は東西二つの異なる中外界をそれぞれ記録してゐる。

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2015年

2月

17日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑦ 石井 望

 チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。その中の史料として、西暦1683年に册封大使の汪楫が航行中に記録した赤嶼の東の「中外の界」が採用されてゐる。チャイナ側はこれを「中國」と外國(琉球)との分界が赤嶼(大正島)の東側にあると解してをり、これまでの論爭でも最重要史料とされて來た。赤嶼は尖閣諸島の最東端であるから、その東側までチャイナであるならば日本は負けるのだらうか。
 幸ひ二年ほど前に私は、話が全然逆だと氣づいた。琉球の風水地理の史料にもとづき島々をならべてみると、首里を「中」として尖閣を「外」とする整合的配列の最西端が「中外の界」であり、「中」はチャイナでなく琉球なのである(圖八)。その位置は赤嶼の東側にずれたが、本來は赤嶼が「界」地である。なぜなら東への航行中、日暮れを待ってから界の祭祀を行なふ通例だったが故だ。しかも記録者汪楫の船は、臺灣(たいわん)海峽以東で琉球國の水先案内人の主張する針路を採用したことも記録されるから、「中外の界」は船中の琉球人が告げたことになる。さらに汪楫自身も臺灣海峽の馬祖島で「福建はここで終り」と述べてをり、中外の界そのものが遙かにチャイナ國境線外に存在する。以下に詳しく反駁しよう。


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2015年

2月

12日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑥ 石井 望

圖六 パーディ「經緯度表」第32表
圖六 パーディ「經緯度表」第32表

 チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。史料の一つとして、これまで公式見解に無かったパーディ(Purdy)著「東印度・支那・豪洲航路經緯度表(今略して經緯度表とする。原題Tables of the positions)を採用してゐる。西暦1816年にロンドンで刊行された。

 この「經緯度表」の尖閣の個所に、先に臺灣(たいわん)島の東北端を載せるので(圖六、第32表)、公式サイトでは附屬島嶼の證據(しょうこ)だと主張してゐる。さあ日本、負けてしまふのか。

 杞憂である。臺灣全島及び附屬島嶼は別ページに載ってをり、そこには尖閣を含まない。この書は逆に附屬島嶼でないと示す史料なのだ。以下に詳しく反駁しよう。

 【駁一】臺灣島南北端及び澎湖など附屬島嶼は第29表「Chinese Sea」(南支那海)に載ってをり(圖七)、尖閣を含まない。第32表の右上の臺灣東北端の注記にも、特に「第29表を見よ」と書いてある。

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2015年

2月

10日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑤ 石井望

圖五 「沖繩縣管内全圖」
圖五 「沖繩縣管内全圖」

 チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。史料の一つとして、これまで公式見解に無かった「沖繩縣管内全圖」が採用されてゐる。明治二十八年に刊行され、尖閣を含まないため、日本の領土でなかったことを示すのだとサイトは主張してゐる。

 サイトに詳述されてゐないが、これは最近のチャイナの研究者の妄説にもとづく。その説によれば、日清戰爭の下關條約の後に刊行されながら尖閣を含まないから、尖閣諸島は沖繩でなく臺灣(たいわん)に屬(ぞく)するのだといふ。この地圖(ちづ)の初版は明治二十七年に刊行され、二十八年一月に日本は尖閣を領土に編入し、ついで四月に下關條約が締結され、さらに現存するこの地圖の訂正増補版が同じく五月に刊行された(圖五左側)。條約を締結した後の増補訂正だから尖閣を含むべきなのに、含まないといふ理屈だ。さあ日本、大丈夫か。

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2015年

2月

03日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く③ 石井 望

 チャイナ尖閣サイトが新たに尖閣と決めつけるピメンテル「航海術教本」の「レスマゴス」島について、解説を續(つづ)ける。
 【駁3】他の諸史料のレスマゴスは尖閣なのか八重山諸島なのか判別しにくい。例へば圖二の地圖(ちづ)では、レスマゴスが25度の緯線を跨(また)いでをり、25度線の南側の宮古八重山諸島を指す可能性がある。大きさとしても宮古八重山めいてゐる。ピメンテルの北緯25度20分も、地圖に描けば島の南半が25度線の南側に張り出す可能性があり、同じく八重山諸島を指す可能性を排除できない。レスマゴスが八重山諸島であるならば、ピメンテルの緯度そのものが疑はしいことになる。要するにレスマゴスは謎の島なのである。チャイナは史料が皆無なので、止(や)むを得ず謎のレスマゴスを尖閣だと決めつけてゐる。

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2015年

1月

29日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く ② 石井 望

圖一 ピメンテル『航海術教本』 西暦1746年版
圖一 ピメンテル『航海術教本』 西暦1746年版

 チャイナ國家海洋局が平成二十六年末、新たにインターネット尖閣サイトを開設した。これまで公式見解に無かったピメンテル著『航海術教本』(Arte de Navegar)が採用されてゐる。書中で各地の經緯度を列舉(れっきょ)した部分に「レスマゴス」といふ島があり、即ち尖閣諸島だと主張する。レスマゴスが臺灣(たいわん)及びチャイナ大陸沿岸と同一欄に置かれてゐるので(圖一)、臺灣附屬(ふぞく)島嶼だといふ理屈だ。確かに欄内は全てチャイナが領有を主張してゐる地名ばかりだ。さあ日本、大丈夫か。
 ご心配には及ばない。このレスマゴスは、記載の北緯25度20分にもとづけば臺灣北方三島の一つである。尖閣ではない。欄分けも、同書の1712年初版、1762年三版、1819年四版では全く異なり、單に行數の都合で位置が上下に移動してゐるだけなのだ。新サイトでは、都合よくレスマゴス迄(まで)で欄線を引く1746年版を載せてゐるに過ぎない。以下に箇條書き形式で詳説しよう。


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2015年

1月

29日

基地なくなれば「平和」か 衆議院議員 義家弘介

 昨年暮れに行われた、私も神奈川で当事者として戦った衆議院解散総選挙。結果は与党の圧勝で終わったが、しかし、沖縄で示された民意はこれと正反対のものであった。経済を争点にした選挙であったが、基地移設問題が争点になったことは言うまでもない。当然のことである。しかし、だからこそ沖縄の人々が今、何を望み、それを受け止めた上で、どのような具体的手段と責任を持って、次なる未来へと歩んでいくのか、ということをもう一度根本から徹底して議論する必要があると私は思っている。

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2015年

1月

27日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く① 石井 望

 昨年末、チャイナ國家海洋局は尖閣領有を主張するインターネット特設サイトを開いた。サイト内に琉球國そのものをチャイナとする主張は含まれない。しかし背景としては琉球全土を覬覦(きゆ)する陰謀がある。

 そもそも清國に朝貢する諸國のうち、北と西の多くは現在中華人民共和國に侵略されて領土となった。これらを「五族」と呼ぶ。辛亥革命で清國の宣統帝(せんとうてい)が主權を中華民國に讓渡する詔書にも五族を含み、「五族共和」と呼ばれた。その中に琉球國など東と南の諸國は含まれない。

 琉球など海側の諸國を含まなかった所以は、そもそも實効統治してゐなかったからである。多くの史料で明らかだが、一例を舉(あ)げよう。明國の册封琉球副使、謝杰(しゃけつ)著『琉球録撮要補遺』に、通常チャイナの船は海流に從(したが)って大陸沿岸を南北に航行するだけだが、尖閣の東西航路は違例なので極めて困難だと書いてある。尖閣渡航すら違例なのに、その先の琉球國を實効統治してゐたはずが無い。

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2014年

10月

30日

APEC尖閣喪失危機 愛國派の議員は疑惑を追究せよ 石井 望

 十月十六日、毎日新聞が第一面上段左方を大きく使って怖ろしい話を報じた。安倍内閣が北京側と時間をかけて尖閣について話し合って行くことを、十一月十日の北京APECで表明する見込みだと言ふ。週刊朝日(十月三十一日號)も類似の動向を報じた。


 私としては朝日・毎日の嘘だと信じたいが、嘘か否かでなく、これは一大疑惑だ。安倍首相は今、自民黨左派や財界やアメリカの意向及び漁船の横行などに勝てず、歴史上で初めて尖閣放棄を決める瀬戸際のやうに見える。首相自身が惡いのか、誰が惡いのか、分析する必要は無い。誰が惡くても、放棄してしまったら結果は同じである。殘された時間は少ない。愛國派の議員は國會でこの疑惑を追究して欲しい。


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2014年

8月

05日

尖閣問題での孫崎享氏の主張を批判する ~愉快な講演会にするために~ 徳松 信男

 尖閣諸島は石垣市に属し、中国の言う棚上げ論は石垣市の将来の安全と繁栄の基盤を危機に落とすものである。このことは現在の自民党政権もほとんどの沖縄県民や石垣市民の共通認識であろう。そこで、来る8月6日に孫崎享氏の講演会が石垣市内で行われる。


 孫崎氏は外務省の官僚、外交官を歴任し、防衛大学校の教授でもあった。退官後は講演会、執筆、ツイッターでの情報発信などを通して尖閣問題などで大活躍中の人である。尖閣問題についても「不愉快な現実、尖閣、竹島…・真の国益を考える」、「日本の国境問題」、など尖閣関係の著作がある。

 

 

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2014年

6月

14日

一体なんだったのでしょう~教科書採択問題の経緯と背景を探る~加勢本 曙

長い教育紛争の軌跡でした。全国を揺るがし、ニューヨークタイムスでも記事に取り上げられ世界中が注目した教育事件でありました。次回採択期でも改悪した協議会規則を踏襲することを言明している以上、石垣市と与那国町の混乱は続くことでしょう。

 去る5月21日の県教委の採択地区見直し決定は、竹富町の単独採択の道を開くことができました。無償措置法の改正によって「市郡」から「市町村」採択が出来ることになったからです。決まってみれば、単純明快な法改正でした。竹富町の教科書が有償から本来の無償にになりました。町民を始めとする関係者はひとまず安堵しました。

 町民の教科書採択に関する怒りも明快でした。「なぜ竹富町だけが有償なんでしょうか」との思い一つでした。

 竹教委のみ法令違反で石垣市と与那国は不問だとする論拠は、強引に育鵬社版教科書採択を画策した何ものでもありませんでした。

 

 

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2014年

6月

04日

平和学習 宮良 長和

 六月になって沖縄戦に因む平和学習の時節になった。新聞を見ると、先生方も何を教えていいかよく解らないのが当然だろう。戦争は絶対いや、と教えても平和が得られるものではない。新聞で見る限り、以前も書いたが戦争の悲惨さや残酷さ、沖縄が戦場になって、住民も巻き込まれ家族も離散し、筆舌に尽くしがたい体験をしたことを、くどくどと子供達に話して聴かせ、だから絶対に戦争をしてはいけない、と教えることが平和学習であると考えている先生も居るようである。戦争になったらどんなに大変か、終戦時まだ十九才で、直接戦場で身近に戦争を体験しなかった筆者でもよく解る。又現在の我が国は、自ら進んで他国に攻め込んで戦争をする必要もないし、そう考えている人は居ないと考えていい。

 だから戦争になったらそれこそ大変だ、絶対に戦争をしてはいけない、と子供達に百万言費やして教えても、それは戦争を防ぐのには何の役にも立たないし無駄である。しかし軍隊さえ無ければ戦争にならない、と考えているおめでたい人々も中にはいるようである。

 現在我が国では戦争をしなければならない理由はないし、その必要も無い。他国が勝手に攻め込んで来た時だけ、仕方なく戦争しなければならなくなるのである。

 

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2014年

6月

03日

清國の「釣魚臺」は尖閣ではなかった!!㊦ 長崎純心大学准教授 いしゐ のぞむ

 不確定史料がつながる
 第一系統の釣魚臺は東に在り、第三系統の釣魚臺は西に在る。第二系統は不確定だが、第一第三系統いづれかの位置に擬すべきである。第一系統に擬するのがチャイナ主張であり、その通りならば尖閣が臺灣の地誌に載ってゐることになるから、清國領土外ながら地理的附隨性を有する。


 しかし殘念ながら、第二系統の中には第三系統に繋(つな)がる史料がある。西暦千八百八十年頃の方濬頤「臺灣地勢番情紀略」である。その文に曰く、
 「鷄籠山陰有釣魚嶼者、舟可泊、是宜設防。」
 (鷄籠山陰に釣魚嶼なる者有り、舟泊すべし、これ宜(よろ)しく防を設くべし)
 と。鷄籠山とは臺灣最北端の基隆である。山陰とは山・島の陰となる正北側を指す。この釣魚臺は臺灣の北方島嶼であり、尖閣ではない。第三系統と同じである。しかし釣魚嶼だけを單獨で記載する點(てん)では第二系統と同じである。舟が停泊できるといふのも第二系統の十艘停泊にもとづく記述だらう。十艘停泊できるのは臺灣北方の彭家嶼である。方濬頤(はうしゅんい)は第二系統の釣魚臺を臺灣北方の島として認識したのである。


 附屬島嶼説は消滅した
 方濬頤の認識は正しい。なぜなら現代人は世界地圖を見てゐるので、第二系統の「大洋の北」を遠く八重山海域の北側と理解してしまふが、方濬頤は帆船時代の末の人である。帆船時代に大海を越えるのは困難な大事業であり、地圖も不備であるから、臺灣島東部の「大洋の北」とは、大洋を望む沿岸海域の北側とした方濬頤の認識が自然なのである。また第一系統の尖閣史料では、釣魚嶼は常に東方と理解されてをり、北方ではない。第二系統にあてはめれば「大洋の東」でなければならない。


 帆船時代には尖閣まで航行して半年後の季節風を待って臺灣に戻ることは有り得ない。尖閣まで航行すれば必ず琉球國まで行って半年後を待つ。そのため第一系統の尖閣は全て琉球國とともに記述される。第二系統だけは琉球國と無縁ながら、尖閣まで行って戻って來たと書いてあるわけではない。されば第二系統をあてはめ得るのは、第一系統の尖閣でなく、第三系統の臺灣島北方なのである。


 第二系統中で最古の『臺海使槎録』は、根據(こんきょ)無く臺灣の北に釣魚臺を記述したわけではなく、早くから第三系統の『籌海圖編』など諸圖(しょづ)が花瓶嶼の西側に釣魚嶼を描いてゐたのだから、その浸潤下で『臺海使槎録』の記述が生まれたと考へられる。


 チャイナ公式主張の「附屬島嶼」説は第二系統にもとづくので、それが臺灣北方島嶼だったとなると、法的のみならず文化的にも附屬説は消滅する。日本は怯むことなく尖閣古史を語るべきである。
    * * * * *
 八重山日報社にご後援頂いた五月十一日講演會では、パソコンの不調で貴重史料を映寫できなかったことを深くお詫びます。ご臨席頂いた方々には、お詫びのしるしに翌週那覇で行なった尖閣講座のDVDビデオを贈呈したいので、電子メール・ファックス・葉書などで八重山日報社にご聯絡方法をお知らせ頂きたく、宜しくお願ひ申し上げます。

2014年

5月

31日

清國の「釣魚臺」は尖閣ではなかった!!㊥ 長崎純心大学准教授 いしゐ のぞむ

籌海圖編白黒四庫全書

 尖閣ではない第三系統
 第三系統とは、尖閣でなく臺灣北方の彭佳嶼もしくは花瓶嶼を釣魚臺・釣魚嶼と呼んだものである。西暦千七百五十六年の全魁(ぜんくゎい)著『乘槎集』、同時に渡航した周煌(しうくゎう)著『海東集』、そして西暦千八百八十年頃の陳觀酉(ちんくゎんいう)著『含暉堂遺稿』卷二「琉球雜咏」、の三種がこの系統に屬する。


 全魁の詩は十四首を以て成り、西から東への航路を詠じる。その第五首でチャイナ大陸が遠く消え去り、第六首で螺旋形(卷き貝)の如き釣魚臺を遠望する。第七首で大洋を高速で進み、第八首で華夷の界を詠じ、第九首で黄尾嶼が赤尾嶼に連なると詠じる。

 

 尖閣の釣魚臺は螺旋形ではないので、この詩の釣魚臺は臺灣島北方の螺旋形の花瓶嶼である。且つ尖閣の釣魚嶼と黄尾嶼(久場島)との間は三十キロを隔てるに過ぎないので、中間を高速で長驅することは有り得ない。花瓶嶼ならば尖閣までの間に約百五十キロの長距離を隔てるので、この詩に符合する。

 

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2014年

5月

30日

清國の「釣魚臺」は尖閣ではなかった!!㊤ 長崎純心大学准教授 いしゐ のぞむ

 尖閣有史四百八十周年の陰暦五月十日(今年の陽暦六月七日)に、拙著『尖閣反駁マニュアル百題』がやっと發賣(はつばい)されることになった。二月出版の預定が現在までずれ込んだことは、ご期待下さる皆樣に申し譯ない。書中のあちこちで所謂「臺灣(たいわん)附屬島嶼」説を完全に否定したことは、拙著の一大貢獻だらう。發賣にあたり、それをまとめた上で一歩進めた新説を披露したい。

 

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2014年

5月

27日

県紙論壇への反論 「沖縄人は日本人にあらず」は偏見 比嘉 達雄

 「沖縄人は日本人に同化あり得ず」という青山克博氏の投稿が県紙の論壇(4月18日付)に載った。だが、看過できないこの論調に県民の反論はなかった。反論に値しない論調なのか、あるいは辺野古問題に絡む反日感情のわだかまりからだろうか。いずれにしても、沖縄人の差別化にかかわる問題ゆえ、黙っていれば肯定することになるので、遅まきながら反論する。

 

 

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2014年

5月

20日

一年限りの分離か 鳩間 昇

 教科書問題で県教委は、竹教委の分離採択を承認するという。そして調査は三市町合同で行いたいということである。これに対し石垣、与那国両教委は八重山一円は一体であることが望ましい、採択は分離して調査は合同ということには反対、としているようである。石垣、与那国両教委の考えは、至極当然であると言える。調査は合同、採択は分離などという虫のいい行政措置がどこにあるのだろうか。だが、竹教委自体は調査も町独自で可能であるといい、あくまで分離強行のようであり、それを県教委は地域意見を尊重との理由で承認するとのことである。
 しかしよく考えてみると、県教委は違法とされている竹教委のことのみを地域尊重というが、石垣、与那国は地域ではないのか、と理屈を言いたくなる。竹教委を地域としてどうすればそれの望む方向で措置できるか、ということが三年も続いている。そして両者揃って、国にまで楯突いているのである。行政の責任にある者が、暴力は伴わないまでも国法に背反した行為に出ているとしか考えられない。

 

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2014年

4月

30日

県、竹教委は法を守れ 屋嘉比 勇夫

 八重山地区教科書問題について、4月19日付の「沖縄タイムス」は、社説で次のように主張している。


 竹富町側の主張にも十分すぎるほどの理があり、現在使用している教科書でも何ら支障は生じていないのだから、文科省は「違法確認訴訟」は提起せずに、現状のままで、この問題に決着をつけるべきだ。というものだ。


 だが、原点に立ち戻ってみよう。
 この問題を混乱させたのは、教科書無償措置法を無視し、協議会で決められた教科書を使わず、独自の教科書を選んだ竹富町教育委員会なのだ。さらに、混乱を助長させたのは、竹富町を援護する形で、教科書採択には何ら権限もない「全体協議会」なるものを無理に開かせて、採択地区協議会での結果を覆させようとした県教育委員会だ。


 また、県内大手の新聞社は、教科書採択前から、特定の教科書を「戦争を賛美している」などと決めつけて激しく攻撃し、排除しようとした経緯があるから、竹富町側の肩を持つような論調を今も続けている。

 

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2014年

4月

29日

竹富に立て看板不似合 田原 治

 先日、4泊5日で宮古・八重山諸島を巡ってきました。生憎、島巡りの中3日の内、初日が快晴に恵まれただけで後の2日は雨で、天候にはあまり恵まれませんでしたが、それでも時間がゆっくり流れている南の島々の美しい自然と豊かな環境に触れて心癒される三日間でした。ただ、残念なことに最後の竹富島で違和感を覚える出来事に出会い、これだけが楽しいはずの旅の唯一の苦い思い出になってしまいました。


 竹富島では水牛車で島内の集落を巡る観光がありますが、集落の家々の塀越しに、観光客に見えるようにかなり大きな立て看板が立てられており、その看板には「水牛車の暴走によって骨折などの事故が起こっているので、水牛車のセンターを移転せよ」というようなことが、黒と赤のペンキの大きな字で書かれていました。

 

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2014年

4月

18日

宇宙の中の尖閣諸島 大浜 京子

 日報記事の四月六日、七日に〝尖閣問題と東アジアの安全保障①②〟が掲載され読み応えがあった。石垣市在住の徳松信男氏が参加され、現実の石垣島石垣市の尖閣諸島の価値の重要性に触れて頂き有難かった。読みながら私にも思い当たる節があったので書くことにした。


 私は八重山の星の会の会員である。当然星が大好きな天文ファンの一人である。石垣島の星空に魅せられて訪れる観光客も多い。そこで私に出来る事とは何かと考えた時、私の車で天文台にお連れして望遠鏡や4D2Uシアターを御案内することだと思った。何故かというと、天文台までの足場の悪さである。天文台は山の上にあるのが普通であるが、初めての不慣れな天文ファンは現地到着まで不安である。そこで私の車に乗り換えてお連れすることにし、沢山の人々に喜んで頂いた。


 4D2Uシアターの大画面に魅せられると、宇宙空間の中の地球はラムネ玉ほどに見える。解説者は思いおもいの言葉で解説して下さるが、徳松氏が指摘しておられるように心にひっかかる言葉を聞いたことがある。「こんな小さな地球の中でゴミみたいな尖閣諸島で争っているなんてばかばかしいですね」という内容であった。宇宙空間から見れば確かにそうだろうがこの解説者には生活感がまるで無いと思った。違和感が大いにあるのを感じた。

 

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2014年

4月

05日

法治国家の根本問われる 吉崎 富士夫

 3月15日一面に大きく報道されていたが、今回の竹富町教育委員会への文科省による是正要求にとても注目している。なぜなら、「違法状態を是正するための地方自治法に基づく国の是正要求が、教育への政治介入だとしてすべて否定されてしまうとするなら、いったい地方自治法とは何を実現するために存在するのか」その法治国家としての根本が問われようとしているからだ。

 

 文科省が直接是正要求に乗り出すと言うのは、きわめて異例な事態であり、新年度を迎えるギリギリのタイミングで「違法状態をこれ以上放置できない」との現状の判断はきわめて正当な行政措置と言える。

 

 

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2014年

3月

28日

片道5千円を守るために「スカイマーク」利用を 友寄永三

 石垣島は、新空港開港後、観光客の数が著しく伸びています。それは国内、海外からの直行便が増えたのも要因ですが、スカイマークの就航により、各航空会社の石垣、那覇間の航空運賃が大きく下がったことが一番の要因だと思います。


 これまで、石垣、那覇間の運賃は、片道一万五千円程度でしたがスカイマークが就航してから三分の一の五千円程度に(JTA,ANAは前日までの予約に限る)安くなりました。それの恩恵を受けているのは観光客や観光に従事している方々だけではありません。私たち一般市民も仕事や何らかの所用、子供たちの進学時、帰省時、スポーツや芸能、学業の大会や発表会等、石垣を離れる機会が増える中、親の旅費の負担が大きく軽減されました。地元の私たちにとっても本当に助かることです、各航空会社に対して多くの郡民が感謝していると思います。

 

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2014年

3月

16日

竹富町を支持 嶋崎 晋一

 新聞報道によれば、文部科学大臣が竹富町に対して教科書採択について是正勧告をしたとのこと。
 これが政治介入ではないかの質問に、菅官房長官が「政治介入には当たらない」と発言。
 例えは悪いが、泥棒が泥棒の行為を正当化しているような発言であり、思い上がりというか、奢りの発言としか言いようがない。
 政治介入か否かは、あくまでも国民が判断すべきことだ。
 更に一部に「法律違反では」との意見があるが、よく法律を読んでから意見を述べるべきだ。
 「教科書無償措置法」の第一条・目的を読めば分かるはずだ。
 私は九州・福岡の住民だが、人ごとではなく、竹富町教育委員会の英断を全面的に支持したい。(福岡県)

2014年

3月

02日

八重山が危ない 与那覇 恵子

 安倍政権誕生以降の世の中の動きに、かつて沖縄戦を体験したお年寄り達が「戦争前夜の状況に似ている」と言う。「過去に目をつむる者は未来に対しても盲目になる」と言ったのはドイツのヴァイツゼッカー大統領だ。ドイツ在住ジャーナリスト熊谷徹は歴史と向き合う姿勢について日本とドイツがいかに違うかについて述べ「歴史を忘れるという誘惑は大きいが我々は誘惑には絶対に負けない」とのシュレーダー元首相の言葉やブラント元首相の次の言葉を紹介する。


 「自分の国の過去について、批判的にとらえればとらえるほど、周りの国々との友好関係を深めることができる。若い人々には、ナチスの犯罪について責任を負わせてはならない。しかし彼らも歴史の流れから抜け出すことはできないのだから、ドイツの歴史の暗い部分についても、学ばなくてはならない」

 

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2014年

1月

24日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて⑧ 長崎純心大学 石井 望准教授

 久米島と尖閣諸島との間の黑潮に、歴史上のチャイナ國境線が存在したと、チャイナ側は主張する。その通りなのだらうか。

 【チャイナ主張】
 古くから尖閣の東側に「中外分界」が存在した。「中」はチャイナ、「外」は外國であるから、尖閣の東側まで全てチャイナの領土・領海である。

 【史料】
 清國・費錫章『一品集』 西暦千八百八年
 詩題「黑溝洋」、原註「中外分界處」
 詩句「無端破我遊仙夢、鉦鼓喧天過黑溝。」
 〔端(はし)無くも破る、我が遊仙の夢。鉦鼓天に喧(かまびす)しく黑溝を過ぐ。〕

 

 

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2014年

1月

23日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて⑦ 長崎純心大学 石井 望准教授

 あちこちの雜誌・新聞・インターネットには、尖閣諸島までの距離を示す地圖が載ってゐる。そこには石垣島から魚釣島までと、臺灣(たいわん)から魚釣島までとが百七十キロの等距離に描かれる。更には那覇からと、チャイナの温州からとで比較し、温州の距離が近い形になってゐる。日本の外務省ホームページまでその距離圖を載せる。まるでチャイナ側の主張を助けるかのやうだ。しかし歴史的に正しい距離の取り方ではない。

 

 

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2014年

1月

22日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて⑥ 長崎純心大学 石井 望准教授

 明治二十八年一月十四日(今の尖閣諸島開拓の日)に、日本政府が尖閣を領有するよりも數百年前に尖閣海域を渡航した琉球國人は、「三十六姓」と呼ばれる。彼らはなにものだったのか。

第六囘 尖閣の水先案内をした福建三十六姓は琉球に入籍してゐた

 【チャイナ主張】
 福建琉球間の尖閣航路で水先案内をした「三十六姓」は、琉球に住み着いて以後も福建に戸籍財産を持ってゐたから、チャイナ人である。チャイナ人が尖閣を發見(はっけん)したことになる。
 【史料】
 『皇明實録』嘉靖二十六(西暦千五百四十七)年十二月
 「蔡璟既永樂中從夷、何得於中國置産立籍。」
 〔蔡璟、既に永樂中に夷に從へば、何ぞ中國に於いて置産立籍するを得るか〕
 〔釋辭〕
 蔡璟(さいえい):三十六姓の祖先の一人とされる。
 永樂(えいらく):明國初期の年號。西暦千四百三年から千四百二十四年まで。
 夷(い):異邦人。ここでは琉球國人を指す。
 中國:世界の中心の國。ここでは明國を指す。
 産:不動産。

 

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2014年

1月

18日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて⑤ 長崎純心大学 石井 望准教授

 明治二十八年一月十四日(今の尖閣諸島開拓の日)に、日本政府は尖閣を領有した。しかしそれより遙か三百六十一年前の五月十日、第一尚氏王統時代に琉球國人は既に明國使節を案内して尖閣海域を渡航してゐた。

第五囘 最古の「釣魚嶼」は誰が命名したのか

 

 【チャイナ主張】
 「釣魚嶼」の最古の記録は晩(おそ)くとも明國(みんこく)の嘉靖(かせい)十三年(西暦千五百三十四年)である。それ以前から明國側が見つけて命名してゐた。釣魚嶼はチャイナ名であり、特に「嶼」(しょ)は福建の常用字だ。日本の地名に「嶼」は存在しない。
 【史料】
 明國・陳侃『使琉球録』 嘉靖十三(西暦千五百三十四)年五月十日
 「過平嘉山、過釣魚嶼、過黄毛嶼、過赤嶼。」
 〔平嘉山を過ぎ、釣魚嶼(魚釣島)を過ぎ、黄毛嶼(久場島)を過ぎ、赤嶼(大正島)を過ぐ。〕
 〔釋辭〕
 平嘉山(へいかさん):今の臺灣島の北側の島。

 

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2014年

1月

17日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて④ 長崎純心大学 石井 望准教授

 明治二十八年一月十四日(今の尖閣諸島開拓の日)に尖閣を領有するまで、日本政府は十年間「無主地確認」を進めたと言ふ。その動きは十年間だけだったのか。

第四囘 明治七年、大久保利通がほぼ無主地確認を北京で通告した

 

 【史料】
 『淡水廳志』卷十五引『蕃社紀略』、明治四年刊
 「山以西民蕃雜居、山以東有蕃無民。於東西之間分疆畫界。界外蕃或歸化、或未歸化。」
 〔山以西は民蕃雜居し、山以東は蕃あり民なし。東西の間に於いて疆を分かち界を劃す。界外の蕃、或は歸化(きか)し、或は未だ歸化せず。〕
 〔釋辭〕
 淡水:臺灣(たいわん)島の最北端の地名。
 山:臺灣島を南北に貫く中央山脈。
 蕃(ばん):先住民。
 民:清國人。
 疆:境域。
 界:分界線。
 【解説】 この史料は臺灣島を概論し、中央山脈を分界線として、東側は清國外、西側は清國内としてゐる。
 明治七年、日本が臺灣島東南部の牡丹社に出兵した際、北京で談判した大久保利通は、臺灣の地誌の記載にもとづいて臺灣東部が清國の統治外であることを指摘した。談判の記録は外交史料『同治朝籌辦夷務始末』卷九十七に見える。大久保が引いた書は、『續修臺灣府志』(ぞくしうたいわんふし)及び『淡水廳志』(たんすゐちゃうし)所引の鄧傳安(とうでんあん)『蕃(番)社紀略』(ばんしゃきりゃく)である。

 

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2014年

1月

16日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて③ 長崎純心大学 石井 望准教授

 百十八年前の一月十四日(今の尖閣諸島開拓の日)、政府は尖閣が「無主の地」だと確認した上で、日本の領土に編入した。無主地確認の過程はどうだったのか。

第三囘 明治政府は尖閣が清國内だと考へたのか

 【チャイナ主張】
 外務卿(外務大臣)井上馨は、清國から尖閣を盜む事が露見するのを恐れて、領土編入を延期させた。その結果、十年後にやっと「先占」(せんせん)と稱(しょう)して尖閣を盜んだ。しかし國際法の先占の原則は、殖民(しょくみん)主義者が先住民を侵奪するために作り出した論理である。日本が尖閣に於いて先占の法理を主張するのもまた、チャイナに對する侵奪行爲を正當化するものである。

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2014年

1月

15日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて② 長崎純心大学 石井 望准教授

 一月十四日の「尖閣諸島開拓の日」はどんな由來があるのか。それについてチャイナ側はどう主張してゐるのか。

 

第二囘 明治十八年、日本人が上陸したと上海の新聞が報道した。清國政府は動いたのか

 

 【チャイナ主張】
 明治十七年に日本人は尖閣に上陸し、日本政府は内密に調査を開始し、侵奪を企圖(きと)した。その舉動(きょどう)が清國の警戒心を呼び醒まし、上海の新聞『申報』で報道された。そのため日本側はすぐに尖閣を盜むことができず、十年間延期してから盜んだのである。
 【史料】
 明治十八年九月六日 上海『申報』記事
 「臺灣東北邊之海島、近有日本人懸日旗於其上、大有占踞之勢。」
 〔臺灣(たいわん)東北邊(へん)の海島に近ごろ日本人有りて日旗を其の上に懸け、大いに占踞(せんきょ)するの勢有り〕

 

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2014年

1月

12日

尖閣諸島歴史問答~開拓の日に寄せて① 長崎純心大学 石井 望准教授

右上の赤色「釣魚臺」が尖閣の魚釣島、中央の黄色が臺灣島。島内に臺灣縣・諸羅縣・鳳山縣が記載されてゐる。
右上の赤色「釣魚臺」が尖閣の魚釣島、中央の黄色が臺灣島。島内に臺灣縣・諸羅縣・鳳山縣が記載されてゐる。

 筆者は今年(平成二十六年)二月末に福岡の出版社「集廣舍」(集広舎)より『尖閣反駁マニュアル百題』を出版する運びとなった。その内容の一部分を數日(すうじつ)に分けて連載する。尖閣論議で負けたくない人は是非ご覽頂きたい。(最終日に贈り物のお知らせがあります。)第一囘は、「尖閣を臺灣(たいわん)と別色に塗る地圖なのに、「臺灣に屬する」と主張」

 

 【チャイナ主張】
 日本の江戸時代の林子平(はやししへい)の地圖(ちづ)は尖閣を福建省と同じ赤色に塗ってゐるから、日本人は尖閣をチャイナ領土とみなしてゐた。日本側は臺灣(たいわん)が福建と異なる黄色だから無効だと主張するが、島内に福建の「臺灣縣」(たいわんけん)、「諸羅縣」(しょらけん)、「鳳山縣」(ほうざんけん)を記載してゐるので、臺灣が福建に屬(ぞく)することに疑ひは無い。

 

 

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2013年

12月

03日

尖閣空島政策は軍備増強の陰謀だ③ 歴史を信じて決斷せよ 石井 望

 ここ二三ヶ月の間に、私は東京で尖閣に關聯する幾つかの會議に出席した。その席では政府周邊の立場の人々が口々に「尖閣はもう讓歩する以外に手が無い」と發言した。或る保守派の御用學者は、讓歩のすすめを政府要人に説いて囘ってゐると自分で語ってゐた。危機感の表明ではなく、あきらめの空氣が支配してゐるのだ。私は限りなく暗い氣持ちになった。年齡が高くなると面倒な喧嘩を好まないものだが、若い世代の未來と八重山住民の死活をさう簡單にあきらめてもらっては困る。


 今や憲法改正論議が盛んだが、憲法を幾ら改正しても、國を防衞する意志が無ければ無駄である。防衞意志の薄弱なるをごまかすために改憲論議をしてゐるのではあるまいか。尖閣常駐さへ實現すれば改憲も靖國參拜もしなくて良いと私は考へる。


 以上は一國民としての妄言である。私が研究にもとづいて確かなことを言へるのは、尖閣の歴史についてだけである。そもそも日本人は、尖閣が日本の領土であると信じてゐるのだらうか。「尖閣の歴史を議論するとチャイナ側の土俵にのせられる」と主張する保守論客が多い。彼らは我が日本の歴史を信じてゐないのだ。史實は全く逆である。現代の棚上げ論などを議論するからチャイナの土俵にのせられて、あきらめの空氣まで出て來るのであって、歴史で議論すれば日本の完勝である。尖閣の古名「釣魚嶼」は、數百年前に琉球國人が命名し、その後も琉球國の公務員が水先案内をして十九世紀に至る。チャイナの國境線は福建沿岸及び臺灣海岸に明瞭に線引きされてゐた。チャイナ國境線の外側の尖閣は無主地であった。多數の史料にその記録があることは、これまで八重山日報などが報じた通りである。安倍さん、歴史を信じて決斷して欲しい。(了)

2013年

12月

02日

尖閣空島政策は軍備増強の陰謀だ② オスプレイは必要か 石井 望

 チャイナ側が自衞隊の出て來るのを待ってゐて開戰に持ち込むといふのは嘘である。米軍機が堂々と飛行したが何事も起こらなかったではないか。チャイナは實行できずに法螺を吹く「紙虎」(張子の虎、毛澤東の好んだ言葉)に過ぎないことが、素人目にもよく分かったのが今囘の收穫である。


 安倍政權は公務員常駐を公約した。しかし防衞の專門家に訊くと、公務員常駐は意義を成さず、常駐するなら自衞隊が電光石火の速度を以て上陸野營して數日のうちに據點を築くべきであり、その能力も有るといふ。國内で部隊が移動するだけだから國會の同意も必要ない。過激な行動でも何でもない。


 自衞隊常駐は一方的行動だとして世界が批判するだらう、と識者は言ふ。しかし今の絶好機ならば批判を受けずに濟む。チャイナ側が先に平和を脅かしたからである。アメリカは口先で牽制しても、日本に制裁を加へることはできない。その後の新たな報道によれば、米國政府は民間航空各社が飛行計劃をチャイナに提出するやう求める方針を決めたといふ。未確定情報だが、いづれにしろ日本は米國にすがりついても尖閣喪失の時が近づくばかりだ。年内に常駐せねばこの絶好機は雲散霧消するだらう。かりに尖閣を領有するのが日本でなく韓國であればどうか。韓國軍は疾うの昔に常駐して要塞を築いてゐるだらう。竹島を見れば分かる。


 日本は尖閣に常駐せず、空島政策を續けてゐるため、逆にチャイナによる侵犯を呼び込んでゐる。眞空となった尖閣を取りまく周邊の軍備ばかり増強してゐるのは、日米共同の陰謀ではあるまいか。軍備増強のために尖閣を利用してゐるのだ。尖閣に常駐してしまへば、自衞隊が八重山海域で演習を行ふ必要も無くなり、八重山の人々は逆に安寧を得られる。演習は石垣本島でなく尖閣海域でやれば良い。オスプレイも不要となるかも知れない。
                              (つづく)

2013年

12月

01日

尖閣空島政策は軍備増強の陰謀だ① チャイナ情勢分析をやめよ 石井 望

 報道によれば中華人民共和國が「防空識別區」と稱して、識別のみならず公海上の自由飛行を阻碍する違法な範圍を設定した。通常の防空識別圏とは異なって、公海上で武力を採取するとしてゐる。日本側は準備も無く、日本航空及び全日空が慌てて飛行計劃をチャイナ側に提出した。

 

 兩社は安全のためと言ふが、公海上なのに安全でないといふ判斷ならば、戰時に準じて飛行を取りやめるやう日本政府が指示するのが筋だ。飛行計劃提出は暴力團に許可願を差し出すに等しい。ところが同じ空域を飛行する他國はチャイナの設定を無視し、飛行計劃をチャイナに提出しなかった。日本の會社だけが暴力團に協力したのである。世界の笑ひものだらう。更には他國が怖氣づかないのを見て、日本の國土交通省は各社に飛行計劃提出を取りやめるやう求めた。後追ひの醜態である。


 更に報道によれば、この空域を米軍機が飛行して、チャイナが警告も反應もできないことを誇示してみせたといふ。我が自衞隊はアメリカに先を越されたことになる。アメリカ樣々、お蔭で二番目からは平然と飛行できるといふわけだ。私は日本の恥だと思った。ところが軍事評論家鍛冶俊樹氏によれば自衞隊機が一番乘りだったといふ。確認してみると、チャイナ國防部が武力宣言の公告を出したのが十一月二十三日午前十時。自衞隊機が一番乘りの飛行をしたのがその日の午後であった。アメリカが一番乘りのやうに報道する大手マスコミはどうかしてゐる。


 チャイナは實行できなくても口先や文書の上でできることは何でもやる。チャイナの細かな情報をあれこれと分析することは無益である。尖閣を國有地にすればチャイナが怒るだらうとか、最近友好恢復の兆しが見えるとか、そんな分析をすればするほど日本は自繩自縛になる。


 一切の分析をやめて、小泉元首相の郵政民營化・原發廢止論のやうに、自衞隊を尖閣に常駐させることを決斷すべきである。(つづく)

2013年

11月

20日

沖縄の真実④ 琉球を狙う中国共産党の壮大な野望 仲村 覚

中国の毛沢東元国家主席は、沖縄の日本復帰を支持していた
中国の毛沢東元国家主席は、沖縄の日本復帰を支持していた

 沖縄が抱える問題を考えるうえで、注目すべき資料がある。1964年1月22日の中国・人民日報に掲載された、中国建国の父・毛沢東の発言(共産党新聞網・毛沢東文集第八巻)である。


 「中国人民は、強固に日本人民の偉大なる愛国闘争を支持する」とのタイトルで、毛沢東は「米軍基地撤去要求、日米安全保障条約の廃止、日本の領土沖縄返還要求。すべてこれは日本人民の意思と願望を反映しており、中国人民は心から日本の正義の戦いを支援する」と語っている。


 64年1月といえば、池田勇人首相時代で、沖縄返還(72年)を成し遂げる佐藤栄作首相が誕生するのは同年11月。毛沢東は当時、「日本への冲縄返還」を支持していたのだ。

 

 

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2013年

11月

17日

沖縄の真実② 移設反対派のシンボル 辺野古テント村の実態 仲村 覚

辺野古テント村には、地元住人はいないという
辺野古テント村には、地元住人はいないという

 米軍普天間飛行場の移設反対派にとって最大のシンボルといえば、名護市辺野古の「テント村」である。8年以上前から座り込みが続けられ、地元住人がこぞって反対しているような印象を全国に広めている。


 「米軍基地撤去」を掲げる野党の国会議員が沖縄を訪ねた際は、辺野古漁港にあるテント村を激励する報道も見られる。本土からの修学旅行生の見学コースの1つにもなっている。

 

 

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http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2013年

11月

16日

沖縄の真実① 村発展のために1957年に誘致 仲村 覚

米軍普天間飛行場の移設問題で注目される米海兵隊キャンプ・シュワブ。名護市辺野古区の民意は「移設容認」だ
米軍普天間飛行場の移設問題で注目される米海兵隊キャンプ・シュワブ。名護市辺野古区の民意は「移設容認」だ

 「沖縄・米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設は、地元住民の反対が強いため事実上不可能である」
 これは、沖縄以外の本土でよく耳にする、普天間問題についての現状認識であろう。そして、沖縄メディアは「政府は沖縄県民の反対の声を無視して、辺野古移設を強硬しようとしている」と報じる。
 だが、私が現地で取材すると、「事実は大きく違う」といえる。
 普天間飛行場の移設先は、名護市辺野古区にある米海兵隊キャンプ・シュワブである。辺野古区のホームページを見ると、同基地について「農村であった辺野古は、基地という経済基盤の元に地域開発を進めるために、有志会では軍用地契約に踏み切り、昭和32(1957)年に基地建設が着手されました」と記されている。
 つまり、辺野古区は米軍基地を反対どころか、村の発展のために誘致したのだ。

 

 

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2013年

11月

14日

ゲンは下駄を履いたか 鳩間 昇

 はだしのゲンが教育界に騒ぎをおこしているようである。何の事だろうと読んでみた。週刊新潮九月五日号に詳しいが、読んでおられない方に簡単に紹介したいと思う。
 『少年ジャンプ』誌にはじめて「はだしのゲン」が登場するのは、一九七三年だとのこと。ところが連載は一年で打ち切られた。次に『市民』という月刊誌に載ったが、今度は市民誌が廃刊となり、三度目に共産党系の文化評論誌に載った。しかし当時、原水協だの、原水禁だのと分裂していたため、原爆孤児のゲンはどちらの核も反対であったので、連載を打ち切られてしまったとのこと。
 捨てる神とか、拾う神とかはこのことか。四度目に載せてくれたのが、日教組の機関誌『教育評論』ということである。そこでゲンは次第に日教組の主張するようなことを発言するようになる。例えば、ゲンの中学校卒業式において、
 【先生】これから国歌を斉唱します
 【ゲン】なんできらいな天皇の歌を歌わんといけんのや、天皇は犯罪者じゃ。
 などの他、日教組の主張らしき事や、中国がプロパガンダとして用いた残酷な場面が、ゲンの発言として出てくる。
 マンガとは言え、これが本当に子どもたちに読ませて良い書物なのか大きな疑問を持つものである。騒ぎがおこるのも当然と言えよう。
 このことをゲンは、反日の下駄を履いたと評する人もある。誠に結構な評だと思っている。また日教組は、自分たちの思いをゲンに言わせている、との評もある。小生が教職についた頃に、日教組は退治しなければならないと言われた文部大臣がおられたことを記憶している。多数の国民が立ちあがり、日教組を退治したいものである。
                          (石垣市平得)

2013年

11月

06日

平和教育の難しさ ―思考停止発言について考える―㊦

 残念ながら、ここには重大な誤りがある。中国へ向かう進貢船などは軍船のように防備を固め、武器、弾薬を積み込んでいた。鉄砲の訓練も行っていた。武器、弾薬を持たなかったのでなく、持つことを許されなかっただけで、実際には薩摩から借用していた。この事実が沖縄で一般にあまり知られていないのは、おそらく、それを不都合だと考える琉球史の研究者や沖縄のマスコミが取り上げないからである。
 さて、念のために断っておく。日本兵の軍靴で踏みつけられたアジアの人々の痛みを理解せず、先の大戦を聖戦だと美化するような人々の歴史観に共感を覚えた記憶は、私にない。私の立ち位置は、あえて言えば、村山談話くらいである。過去の誤りを率直に認めて詫びる。当たり前である。
 一方、平和を守り、国を守る。その大切さを子供たちに教える。これも当たり前である。戦争の悲惨さ―平和の尊さを教えるだけでは平和は守れない。分かっていても、ここから先へは進まない。とにかく、批判する。反対する。ここで思考が停止してしまう。
 そして、決まり文句を言う。近隣諸国と仲良くすればいい。平和外交を積極的に進めればいい。基地を無くせばいい。しかし、そう言えるのは国民全体に責任を負う立場にないからである。国の安全保障は反対を唱えておれば解決する問題でないことを、旧社会党が政権与党についたとき、私は知った。
 平和を守る。保守であれ革新であれ、与党であれ野党であれ、国民がこの問題に重大な関心を持たない国は地球上に存在しない。いわゆる「革新」の人びとがタブー視してきたテーマであるが、それを保守勢力の専売特許にさせている現状は望ましいことではない。ただ反対するだけでは、危惧される右傾化の流れは止められない。そう思う。
 現実問題として、尖閣諸島をめぐり日中間に厳しい対立が続いている。領海侵犯が日常的にくり返されている。集団的自衛権のこともある。こうした微妙な問題をどう教えればいいのか。対象が中学生、高校生ともなれば、特設授業のなかで扱っても扱わなくても、課題は残る。教師個人の自由裁量に任せられるような問題ではない。
 平和教育の重大性を認識すればするほど、不安や戸惑いを感じる教師の方が多いのではないか。平和教育は自分の専門教科のように簡単には教えられない。玉津教育長の発言に抗議のこぶしを上げる教師より、自分が実践してきた特設授業をふり返り、その重みを謙虚に問う教師を私は信頼したい。
 市議会における教育長不信任決議や辞任を求める動き、それに反発する動き。私の想像であるが、今回の事態には政治次元の思惑が働いていないのだろうか?玉津教育長の発言を純粋に教育問題として考えれば、責任をとって辞任しなければならない理由があるとは私に思えない。
 石垣市の最大の教育課題は、県内最下位に低迷している子供たちの学力テスト成績を向上させることだった。それは、それこそ過去何十年、関係者の悲願であった。数多くの会合、公開授業、研究会、大会などが計画され、実行され、立派な報告書が残された。しかしながら、期待する成果は得られなかった。
 玉津氏は教育長就任に当たり、その課題に具体的目標を掲げて取り組むことを宣言した。今、それが実を結びつつある。最下位を脱出したと聞く。頑張ればできるという自信を子供たちに与え、離島のハンディはあっても生徒の学力を着実に伸ばすことができるという手応えを若い教師たちに持たせた玉津氏の功績は大きい。
 石垣市の教育を考えるとき、あくまでも主役は子供を持つ若いお父さん、お母さんたち、学校現場の先生方である。その率直な声を聞いてみたい。今は脇役の声しか聞こえない。外野席にいる私の意見など無視してもらってかまわない。私が自分の子供を市内の学校に通わせている親なら、玉津教育長の続投を支持する。

2013年

11月

05日

平和教育の難しさ ―思考停止発言について考える―㊤ 田島 信洋

 最近、ヤフーのトップニュースで八重山という文字が目についたので、久し振りに郷里の新聞にアクセスしてみた。教科書問題とは別に、平和教育に関する玉津博克石垣市教育長の発言をめぐり、ふたたび紛糾しているようである。


 27年前、『見えない学校・見えない授業』という一冊の本を世に問うたことがある。沖縄の現場教師が本音で教育を語った初めての教育エッセイ集であった。面識のない私のために序文を寄せた大城立裕氏は、事件の一つであった、と述べている。その本の冒頭に「特設授業と平和教育」という一文がある。


 そのなかで私は、マスコミで取り上げられることのない、普通の教師が平和教育として行っている特設授業に、次のような疑問を投げかけていた。あの当時、私なりに周囲の思考停止を感じていたのである。


 高く評価されている沖縄の平和教育であるが、生徒自身はどう感じているのか?戦争の悲惨さ、平和の尊さを教えられて卒業する生徒たちなのに、かれらの自衛隊支持率が高いのはなぜなのか?生徒が答えを出しているのではないか?


 その一つの答えを読むことができた。玉津教育長が紹介している高校生の作文がそれである。以来、生徒も教師も学校も、教育を取り巻く社会的な状況も大きく変わっている。しかしながら、平和教育の実態はほとんど変わっていないかもしれないと思った。


 もちろん、その生徒の声がすべての生徒の声ではない。特別な生徒の声かもしれない。しかし教師は、そうした生徒の疑問にも答えなければならない。なにより、せっかくの平和教育が生徒を戦争への恐怖感に慣れさせる結果に終わっては、それこそ弊害であり、困るではないか。


 戦争は悪だから、それにつながる一切を短絡的に否定する。自衛隊、米軍基地、日米安全保障条約は要らないと、負の側面だけを教える。その役割を肯定するような平和教育は保守派、右翼勢力が画策することだと非難する一方、自分たちの主張にそった授業をする。


 こうした平和教育が現在も行われているとしたら、そのあり方に疑問を抱く生徒が次々と出てきても不思議ではない。なぜなら、学校から一歩外へ出ると、特設授業で教えられている話とはあまりに違い過ぎる社会、世界があるからである。


 たとえば、自衛隊に関する各政党の見解や政策はどうか。ほとんどの主要政党は賛成である。それでは反対している政党はどうなのか。非武装中立を掲げてきた社民党(旧社会党)は党の存亡が危ぶまれている。地域政党の沖縄社会大衆党は「自衛権を逸脱する自衛隊の機能強化に反対し」と述べ、全面否定していない。日本共産党は、その機関紙「赤旗」で、読者の質問に「国民的合意が成熟することを見定めて自衛隊解消に本格的に取り組む」「自衛隊解消に取り組む過度的な時期に…必要にせまられた場合には存在している自衛隊を活用するのは国民に責任を負う政府の当然の責務である」と答えている。これ以上、正直で真っ当な見解はない。国際政治が絡む外交や防衛の問題は、相手国がある以上、真剣に政権を目指す政党であれば、けっきょく現実的に対応せざるを得ない。


 あるいは、たびたび実施される全国の世論調査の結果はどうか。全国紙、地方紙など各マスコミの論調はどうなのか。自衛隊、米軍基地、日米安全保障条約のマイナス面だけを大々的に報道する沖縄タイムス紙と琉球新報紙は、例外だと言ってよい。


 是非はともかく、それらを支持する意見が日本国民の圧倒的多数だという現実を認めざるを得ない。上の両紙によって主に世論形成されているはずの沖縄県内でさえ、容認派は決して少なくない。そのため、生徒たちは教室で受ける特設授業と現実社会との隔たりに疑問を感じるのである。それを先の高校生は作文に、いや教師にぶつけた。


 ここで話が少しそれる。米軍基地を撤去させ、自衛隊にも出ていってもらおう、米軍基地を沖縄に一方的に押し付ける本土の人間が許せない、その昔、平和を愛する琉球の民は武器を持たず、海外と交易し繁栄していた…このような懐古趣味が昂じたのだろうか、最近、琉球独立学会が設立されたと聞く。
                             (つづく)

2013年

11月

01日

知恵と工夫で学力向上を 宮地 久子

 10月30日の「金波銀波」で、全国学力テストの学校別成績公表について取り上げられていたが、大阪市の公立小・中学校でも、児童・生徒の学力向上は、急務の課題となっている。


 橋下徹大阪市長は、土曜日に地域住民との交流の場を設ける授業や、小学校からの英語学習に力をいれたいようだが、学力の基本である「読み・書き・そろばん(計算)」をしっかりと身につけさせなければ、理科や社会の学習も伸びない。総合学習や遊び半分の英語学習は、コツコツと地道な努力をすることを嫌う今どきの子供たちにはウケるだろうが、学力向上につながるとは思えない。


 関西には学力向上に熱心な私立学校が数多くあるため、学習の大切さを知っている保護者は、子供たちを小学生のうちから塾に通わせ、中高一貫の私立校へ入学させる。我が子も、数年前に中学受験を経験したが、70名余りの同級生のほぼ半数が、地元の公立中学ではなく、私立の中高一貫高へ進学するという有り様であった。


 しかし保護者も、何も好き好んで学費の高い私立校へ子供たちを行かせたいわけではない。できれば気心の知れた友人たちのいる地元の公立学校へ通わせたいのだ。だが、子供たちの将来のためだと思って、中学受験、私立校進学を選択しているにすぎない。


 また、たとえ学費がかからない公立学校へ通学しても、高校、大学受験のためには学校の勉強だけでは不十分なため、結局は高い月謝を払って、放課後の夜遅くに塾や予備校へ通わせなければならない。同じような費用がかかり、子供自身にも負担がかかるなら、学校だけできちんと学力をつけてくれる私立高の方が、効率的だと考えているのだ。


 公立学校は、保護者の学費負担が少ないといっても、実は子供一人当たり年間100万円前後の国民の血税が投入されている。決してタダではないのだが、「安かろう、悪かろう」というイメージが定着してしまって、敬遠されているのだ。


 あるいは中学校では、体育会系のクラブに所属すると、早朝7時からの授業前と、放課後の夜7、8時まで毎日練習、さらに土・日にも練習や試合が行われて体力を使い果たしてしまい、勉強をする時間や体力が無くなってしまうという実態もある。その後、夕食をとるひまもなく塾へやってきも、せっかくの授業に身が入らない子も多い。


 私も日々、子供たちの学習支援に携わっている一人であり、彼らの学力を上げるには、教える側にも忍耐力と高い指導能力が求められることを痛感し、悩み続けている。それでも、「分かった、分かる、自分でできる!」という自信が子供たちのやる気を引き出し、「勉強は楽しい」と感じて自ら学習に励むようになる姿をみると、苦労は吹き飛んでしまうのだ。


 どうか、日本の国力を上げるために大事な基礎となる国民の学力向上に、政府や政治のリーダー、そして学校の先生方は力と智恵と創意工夫を尽くしていただきたい。その大人たちのたゆまぬ努力が、子供たち一人ひとりの可能性を開き、将来の夢や理想を叶えるため大きな力ともなるのだから。   (大阪府大阪市)

2013年

10月

04日

明治元年、尖閣の西に境界線あり㊦ 国内航路上の尖閣諸島 伊井 茂 石井 望 赤染 康久

寛文航海書 「南方渡海古文献図録」(小林写真製版所)より 国立国会図書館蔵 レイシ(尖閣)から南南西に進むとヨナコ(与那国)に至る。
寛文航海書 「南方渡海古文献図録」(小林写真製版所)より 国立国会図書館蔵 レイシ(尖閣)から南南西に進むとヨナコ(与那国)に至る。

 江戸時代初期の「寛文航海書」に、長崎~与那国~ルソン間の朱印船航路で尖閣を記載していたこと、及び1787年にラペルーズ船長が台湾東方の全島嶼は那覇を首府とし、尖閣もそこに属するとの趣旨を述べていたことは、本紙9月29日付既報の通り。いずれも台湾東岸航路が背景にある。


 台湾東岸航路上の離島の一つ「蘭嶼」(らんしょ)は、16世紀末から「たばこしま」と呼ばれていた。17世紀の西洋製の古地図・古書でも「Tabako-Sima」「Tobaco-Xima」などと表記される。そして1837年に台湾東岸を北上したモリソン号の航海日誌によれば、たばこしまは日本語「しま」の最南端なので、日本の影響の及ぶ極限地かも知れないと述べる。蘭嶼は隣の緑島としばしば混同されるので、本紙既報の明治元年の図で緑島まで日本の範囲に入れたのは、モリソン号の報告などに由来すると考えられる。


 ついで1845年、英国軍艦サマラン号も台湾東岸を北上した。その航海日誌の序文では、英国全権使節の禁令で広東以北のいかなる清国領土にも近づくことを禁じられ、転じて遠洋の離島に関心を向けたと述べる。その上でサマラン号は尖閣諸島を測量した。尖閣を清国国境外とみなしていたことは明らかである。


 全権使節がわざわざ禁じたのはなぜか。それはアヘン戦争後の南京条約(1842年)で開港地を定め、英軍の退却を約したからである。かりに尖閣が清国の島であれば、英国軍艦による測量は早くも条約違反として問題となる。

 

 1848年2月5日のロンドン「エコノミスト」週報には、サマラン号について報道があり、清国国境への接近を禁じられたことも紹介されている。サマラン号の全測量が国境の外であったことは当時ひろく知られるに至ったと分かる。但し中華人民共和国政府は元々南京条約無効を主張しているので、「英軍が無効の条約を利用して勝手に尖閣を測量した」と反論する可能性はある。いずれにしろ英国が尖閣を清国外とみなしたことだけは確かである。


 尖閣航路の認識は、福州~那覇間の東西方向系統ばかりが従来から有名だが、台湾東岸を経由する南北方向系統も古くからあった。東西航路の尖閣は琉球国と中国との中間の無主地だったが、南北航路の尖閣は、与那国と長崎との中間の無主地である。琉球国が日本に併合されて以後で言えば、日本国内から日本国内への航路上の無主地である。


 明治28年の編入に向かう尖閣前史のドラマは、かくも長い。朱印船のルソン貿易以後、ラペルーズ船長、モリソン号、サマラン号など配役よろしきを得て、明治元年の線引きを以て我が最終幕にすすむ。西洋人も中国人も全て脇役であり、主役は沖縄を含む日本であった。我々はこの歴史を愛惜し、ひろく世界に知らせよう。(文責・伊井 茂)(終)

 

【著者紹介】
 ▽伊井茂・ビジネスコンサルタント。尖閣情報をインターネットで発信中。
 ▽いしゐのぞむ・長崎純心大准教授、漢文学専攻。
 ▽赤染康久・東京大理学部助教、生物学専攻。

2013年

10月

03日

明治元年、尖閣の西に境界線あり㊤ 無主地と確認するまで 伊井 茂・石井 望・赤染 康久

「Meyers Konversations-Lexikon」(マイヤー大衆百科) 書誌学学院(独)刊 1892年版より
「Meyers Konversations-Lexikon」(マイヤー大衆百科) 書誌学学院(独)刊 1892年版より

 平成23年7月16日、伊井は明治25年(1892年)刊行のマイヤー百科事典第一冊内「アジア政治大観」図の尖閣部分を自身のブログ「Kaiunmanzokuのざれごと、たわごと、綺麗事」※に掲載した。尖閣の西側にくっきりと線が描かれている。他の各国の国境線と同じ形式であり、尖閣に於いても国境として認識されたと分かる。日本が明治28(1895)年に領有する3年前である。

 百科事典の地図にはもとづく原本が存在する。それは本紙9月29日付既報の「ハンド・アトラス」(シュティーラー氏世界小地図帳)の中の「中国・朝鮮・日本図」(明治元年=1868年製作)である。

同じくマイヤー百科事典 1889年版 グーグルブックスより
同じくマイヤー百科事典 1889年版 グーグルブックスより
 同地図帳中のポリネシア図などでも尖閣の西側に点線が描かれている。地図帳を通観すると、点線は政治勢力分布で島嶼群をまとめたもののようである。日本が尖閣を領有する27年前から、既に西洋では尖閣が日本勢力圏内だという認識が広まっていたのだ。時あたかも明治維新の年、日本はまだ海洋進出を始めていなかった。日本から頼まなくても西洋人は勝手に尖閣を日本領とみなしていたことになる。そうなるまでに当然長いいきさつがあったことは後述しよう。  日本政府は明治28(1895)年に、清の支配が及んでいないと確認し、既に日本の勢力下にある「無主の地」として尖閣諸島を領有した。その正当性を国際認識の上からも裏付けるのが今回の諸史料といえるだろう。  尖閣諸島は中国大陸や台湾に成立したいかなる政権によっても、歴史的に一度もその領土となった事実がない。それは大陸政権の諸記録を精査した日本側研究により早くから明らかになっている。最近いしゐもそこに新たな証拠を加えつつある。  なぜ明治元年にこのような境界線が出現し得たのか。それをさかのぼって行くと、江戸初期の朱印船時代に台湾東岸航路が切り開かれ、その北方延長線上に尖閣諸島があったため、西洋人は先島諸島に附随する島として認識するようになったことが分かってきた。    (文責・伊井 茂)(つづく)  ※http://d.hatena.ne.jp/kaiunmanzoku/20120716/1342441946

2013年

9月

12日

水産業者への振興策を ~尖閣国有化1年に思う~ 砥板 芳行

 9月11日で、尖閣諸島主要3島が国有化され1年となりました。
 9月10日、中国海警局の船8隻が尖閣諸島の領海内に侵入し、国有化1年目という節目に示威行動を起しました。


 一方で、自民党青年局長の小泉進次郎衆議院議員が過去に例のない最大規模となる33名もの国会議員や100名近い地方議員を率いて台湾を訪問し、台湾の馬英九総統や李登輝元総統と会談を行い、東日本大震災で最大規模の支援を台湾が行なったことへの感謝を伝え、尖閣諸島についても意見交換を行ないました。


 中国は、自国を維持するために必要と見なす最重要の利益として『核心的利益』という文言を用います。
 近年は、台湾やチベット・ウィグル同様に尖閣諸島も核心的利益であると明言するようになりましたが、正確には、核心的利益である台湾の延長線上に尖閣諸島があるということであり、尖閣諸島国有化1年目となるこの時期に、自民党青年局長で国政への影響力の高い小泉進次郎衆議院議員と大勢の国会議員や地方議員が台湾を訪れ、馬英九総統と会談した意義はとても大きいと思います。


 しかしながら、尖閣諸島の台中合作分断を成功させた外交戦略上の日台漁業協定で、尖閣諸島周辺海域の良好な漁場での台湾の漁業者の操業を公式に認める形となった、広範囲の法令適用除外水域及び大きく譲歩した特別協力水域の設定で、八重山の漁業者は大きな損失を被る事となり、国有化以降完全に尖閣諸島周辺海域の漁場における経済的実効支配は失われ、八重山の漁業者には充分な補償と台湾側との操業ルールづくりがなされていません。


 また、冒頭で尖閣諸島主要3島が国有化され1年と書きましたが、魚釣島東北22kmの位置にあり、尖閣諸島の中で人が最も居住しやすい環境と言われている久場島は、未だ民間人所有のままです。
 国有化した際の政府の目的であった『平穏かつ安定的な維持管理』という観点から言うと、久場島の所有権及び管理のあり方にも課題が残されています。


 尖閣諸島主要3島の国有化以降、我が国は防戦一方であり、実効・有効支配が形骸化しつつある状況の中、世界中の目がこれまで以上に日本に注がれている今こそ、政府は、我が国の領有権の正当性を国際社会に訴えるべきであり、外交戦略上の犠牲となった八重山の水産業者に対し、しっかりと水産業の振興策を講じていかなければならないと思います。
    (石垣市議会議員)

2013年

8月

25日

八重山の危機は眼前に在り㊦ 安倍内閣が尖閣を見捨てる いしゐのぞむ

 ▽尖閣五百年、ゼロの歴史
 日本がチャイナの主張を「認知」するだけでも、事實(じじつ)上は尖閣喪失に等しい。チャイナの船舶は益々我が物顔に尖閣海域を出入し、認知してしまった日本側は永遠に彼らを逮捕できなくなる。北側の守りを失った宮古八重山には、明日にも目醒めればチャイナ勢力が迫ってゐるだらう。


 さきの世紀後半に棚上げの黙契があったか否か、そんな瑣末なことはどうでも良い。西暦1534年に琉球國公務員が使節陳侃を案内して尖閣を渡航して以來、尖閣は文化的沖繩圏にして法的無主地であった。漢文「釣魚嶼」の命名者も沖繩人だと推測される。それ以前の西暦1461年「大明一統志」以來、歴代史料では尖閣の西方に常にチャイナ東限の線が存在するが、チャイナ側は無視する。首里を中心とする風水概念の「中外(内外)の界」も、チャイナの中外だと曲解する。しかし結局、長い歴史でチャイナはゼロなのである。いま政府が正式に「認知」するならば、ゼロから一へ、純潔から傷物へ、尖閣四百八十年史上で初の大轉換となる。


 ▽地元の意志表示を
 日本政府は明治二十八年(西暦1895年)、尖閣を沖繩に編入した。同じく東シナ海に面する長崎や鹿兒島に編入しなかったのは、政府が沖繩を信頼し尊重した表れだらう。明治政府に陰謀家の一人も有れば、鹿兒島に編入して沖繩とチャイナとの間のくさびとするやう進言した筈だが、そんな動きは一つも無かった。


 くさびを打つどころか、明治十三年(西暦1880年)、政府は先島諸島(宮古・八重山)を沖繩から分割してチャイナに賣(う)り渡さうとした。所謂「分島改約案」である。日清兩政府は分割で合意までしてゐたが、幸ひに不調に終った。もし正式調印成れば、今頃島民はどんな暮らしをしてゐただらうか。


 されば政府はくさびを打つほど奸邪でもないが、うっかりすると「大局的利益」とやらのために小さな先島諸島を捨てる。今島民が立ち上がって意志表示しないと、分島改約案と同じやうに、政府は尖閣を切り捨ててアメリカに媚びるだらう。まして左翼の棚上げ論は、沖繩の頭越しにチャイナに媚びるばかりで、島民の利益など微塵も考へてゐない。


 今こそ島民自身の行動力が必要である。地元のためにも、日本のためにも。最後に、本稿で使用した正かなづかひ及び正漢字の趣旨については、「正かなづかひの會」刊行の「かなづかひ」誌上に掲載してゐる。「國語を考へる國會議員懇談會」(國語議聯)と協力する結社である。

 

 いしゐのぞむ
 長崎純心大学准教授。昭和41年、東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。平成13年、長崎綜合科学大学講師。21年より現職、担当講義は漢文学等。

2013年

8月

24日

八重山の危機は眼前に在り㊤ 安倍内閣が尖閣を見捨てる いしゐのぞむ

 ▽九月上旬にも危機か
 安倍内閣は「チャイナ側の尖閣主張が存在することを認知する」などの讓歩を企んでゐるらしい。共同通信七月九日の報道によれば、六月に北京に出向いた谷内正太郎内閣官房參與(さんよ)が、「尖閣に外交問題は存在する。チャイナ側の主張を妨げない」などの妥協案を提示したといふ。日本政府は否定したが、誤報として抗議もせず、態度不明瞭である。


 テレビ朝日「報道ステーション」七月二十九日午後十時四十分頃の報道によれば、「尖閣につきチャイナが主張するのは自由だ」との立場を日本政府が取る見込みだといふ。これにつき日本政府は否定しなかった。


 他にも類似の報道は多々有り、九月上旬にも讓歩するだらうと、もっぱらの噂である。その實否(じっぴ)は分からないが、このところ谷口智彦内閣審議官、飯島勲官房參與、齋木昭隆外務次官、伊原純一アジア大洋州局長らが次々に北京詣でを繰り返し、北京からは誰も日本に來ない。なぜ北京に詣でる必要があるのか。先方は尖閣を議題とすることを首腦會談の條件にしてゐるのだから、日本はわざわざ詣でなければ終る話である。安倍内閣が尖閣で讓歩を準備中だと考へざるを得ない。


 ▽アメリカの都合
 讓歩を迫られる原因は、アメリカに在るのだらう。尖閣に於けるアメリカの態度は、臺灣(たいわん)に於けると酷似してゐる。私のやうな素人からみれば、臺灣が一つの國家として獨立(どくりつ)し、完全にアメリカ側に就けば、アメリカにとって最大の利益となる筈である。ところが現實(げんじつ)のアメリカは臺灣の獨立を半ば支持しながら、半ば抑へ込み、平衡を取らうとして來た。それがチャイナ貿易の利益のためなのかは分からない。


 尖閣に於いてもアメリカは日本の自衞を支持しながら、同時に「平和的解決を望む」との言辭(げんじ)を繰り返し、自衞隊常駐の動きを牽制してゐるやうに見える。アメリカの論壇では尖閣棚上げ論が勢ひづき、アメリカ政府の要求を代言するが如くである。


 ウォール・ストリート・ジャーナル日本電子版が六月十二日に掲載した訪問録によれば、コロンビア大學教授ジェラルド・カーティス氏は、尖閣を棚上げするのが得策だらうと述べた。この種のアメリカの議論は隨分と多くなって來た。


 安倍内閣のゆらぎが報道されるとともに、國内でも棚上げ論を主張する左翼言論人が増えてゐる。鳩山由紀夫氏、野中廣務氏、孫崎享氏は言ふに及ばず、朝日新聞、毎日新聞、そして栗山尚一元外務次官、アニメ監督宮崎駿氏まで、棚上げ大合唱で懸命に民意を誘導する。
                            (つづく)

 いしゐのぞむ 
 長崎純心大学准教授。昭和41年、東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。平成13年、長崎綜合科学大学講師。21年より現職、担当講義は漢文学等。

2013年

8月

04日

平和のために抑止力を 桒田 英伸

 毎年、8月15日の終戦記念日近くになると、戦争の悲惨さを伝える報道が増える。確かに、戦争は大きな不幸である。であるならば、これを避けるために、我々は考えられるあらゆる手を事前に打たねばならない。
 今、隣国の強力な軍事国家である中国が、我が国の領空・領海をたびたび侵犯している。フィリピンは、自国領土の一部である中沙諸島のスカボロー礁を実質上、中国に奪われてしまった。戦争を起こさせないための抑止力は、政治学上でも軍事学上でも、国際的平和を実現するために非常に有効な手段である。


 日本はこれに対抗して、国土自衛のための強力な戦力(防衛力)を、ためらわずに構築する必要がある。自衛隊を憲法上で公認し、法的に問題なく機能させるために、第9条の憲法改正も当然ながら必要である。有事が起きてからでは、遅すぎる。我々の生命を護るのは、他ならぬ我々自身であり、我々自身の選択にかかっていることを、強く肝に銘じるべきである。(京都市伏見区)

2013年

7月

09日

中教審も改革を 蓮坊 公爾

 文部科学省は、第7期中央教育審議会の新委員を任命した。中教審は教育学術文化政策を決める為の機関として昭和28年に設置され今日に至っている。新中教審委員は、5分科会置かれていることもあり30人が任命された。また、それとは別に安倍内閣が創設した「教育再生実行会議」が有り、道徳教育の充実を求め指針をまとめつつある。


 こうした現状を把握すると疑問がわく。まず委員30人態勢は多すぎと言えよう。教育行政も迅速な対応が求められているので、スリム化による議論の短縮化を求めてもよいはず。それと、委員の顔ぶれを見てみると労働組合の連合会長のような、公教育の基本審議とはおよそそぐわぬ人物が加わっているのが気になる。


 どういう基準にて任命したのかが判断出来かねるが、国家の根源を成す教育。この基本姿勢には、多大な責任がともなう。それを肝に銘じて取り組んでもらいたい。(文芸評論家、埼玉県さいたま市)

2013年

7月

08日

裁判員制度は問題あり 蓮坊 公爾

 ついに危惧していた事が現実に起きてしまった。強盗殺人事件の裁判員を務めた女性が、国を提訴した。それは、殺害現場の写真を見て嘔吐。その結果、急性ストレス障害になってしまった。食事も出来ぬそうである。


 この女性も指摘しているが、この制度は国民の拒否を原則認めていない。呼び出しには応じる義務が、強制力を伴って被さってくる。しかし、中西輝政京大教授も指摘していたが、こうした強制は、「意に反する苦役」なる人身の自由を保障する権利である一二条人権の濫用禁止、一三条の幸福追求に対する国民の権利。これらの「基本的人権の保障」を著しく損ねる行為でもある。自由利益の保護にも違反しているのである。特に不可解なのは、こうした憲法無視の「裁判員制度」をなんら異議を唱える事なく同意している国会議員と裁判所・弁護士会の見識を疑ってしまう。国民軽視の際たるものである。(埼玉県さいたま市、文芸評論家)

2013年

6月

30日

「メディア再生」も必要 蓮坊 公爾

 教育を日本再生の柱と位置付ける安倍総理は、その本質を具現。結果として教育再生実行会議に本腰を入れる。また、その一環として「道徳教育の充実に関する懇談会」を設立した。教育失地回復の息吹が感じられる。しかし、語られていない死角がある。
 占領軍は、日本弱体化を遂行するために、3S政策(セックス・スポーツ・スクリーン)を実施した。メディアは日本の伝統文化を封建的と拒否する。
 個人の自己主張(権利)を奨励―マス・メディアに端的に現れている。例えば、TVドラマにおける敬語の省略(年長者呼び捨て)や、バラエティ番組のぞんない言葉(ヤベェー、ウッセー他)の連呼。正しい日本語への誘いを避ける。
 国民の祭日―その意義をいまだに無視―国民に伝えるべく番組が皆無とは、なんとも情けない限り。NHKしかり、良質の番組も「日本再生」の要だと思うが、いかに…。
 (文芸評論家、埼玉県さいたま市)

2013年

6月

29日

民族の英知・「新憲法要綱」 蓮坊 公爾

  良識の府『産経新聞』、日本人の日本人の為―「国民憲法」を発表した。
 ここでは、立憲君主国たる日本の国柄を明確化している。〈独立自存の道義国家〉―民族覚醒を促し、国民の義務を明らかにしている。国防・外交においても、き然たる情念が、その明敏さを伴い現れている。それは、〈戦後体制との決別〉を告げる「主張」に、集約する事に尽きる。


 すべからく求められるのは、この具現化にある。
 十年以上前、「読売・憲法試案」が発表されていた。しかし、何ら政界へのファクターになり得ず立ち切れに終わってしまった。こうした苦き経験に鑑み、安倍政権への何らかの形としての助言(憲法審査会での審議)他、実効性のある「主張」足らしめる事―期待致しております。合掌 (文芸評論家、埼玉県さいたま市)

2013年

6月

26日

平和学習 宮良 長和

 毎年六月になると新聞に平和学習という文字が出てくる。平和学習という言葉を聞くとうんざりして黙っておれなくなる。平和学習の話を聞きに行ったことも、講習を受けたこともないが、新聞を読んで推察すると、戦争の悲惨さや残虐さを学び、現在の平和の尊さ有り難さを噛みしめ、戦争は二度と繰り返さないと誓い、それを子供達にも教えることらしい。九条を守って軍備をせず、そう誓うことで戦争が起こらずに済むならこんな簡単で楽なことはない。先の大戦でも我が国が戦争が好きで起こしたのではない。経済封鎖でどうにもならなくなって仕方なく起こしたのである。


 中国に対抗出来る武力を持っていなかったために、チベットもウィグルも蒙古も中国に侵略され自由が侵害されているのは周知の事実である。侵略されてみなければ目が覚めないのだろうか。九条を守って無防備に徹すれば戦争が防げるならそうしてみたらいい。侵略されて目が覚めても、もう遅いが彼らの目を醒ますには、それ以外に方法がないようである。


 何十年か前、戦争体験者の話を聞いた事がある。
 壕の中はうめき声と悪臭が漂い、二段ベッドの上の寝台に寝ている患者の汚物が下の人にしたたり落ちてくることもあったと言う。壕の外からは子供を泣かすな、早くしろという将校の怒声が響き、疲れと飢えと恐怖で生きた心地がしなかった。戦争とはこういうものです。ですから皆さん、絶対に戦争を起こしてはなりません。この平和を守り抜かなければなりません、云々と。誰もこちらから戦争をしようとは考えていない。勝手にどこかの国が攻め込んで来たらどうするかが、今問題なのである。


 成るほど、話を聞けば戦争の悲惨さ残酷さはよく解る。しかし何故、戦争は起こしてはなりません、現在の平和を絶対に守り抜かなければなりません、という言葉を呪文のように唱え、軍備さえしなければ外国から侵略されないですむのか。むしろ反対に、平和は相手に侵略の意図を失わせる程の軍備を備えて、初めて達成されるものではないか。勿論、周囲に隙あらば侵略しようという国があることを前提にしての話である。そんな国が無ければ勿論軍備は必要ない。


 しかし現実はどうか。現在、尖閣では毎日のように我が国の主権が犯され、我が国の漁船が追い払われている。彼等がそのうち与那国、石垣に上陸して来ないという保証はあるのか。その事実をこれらの九条信奉者達はどう見ているのだろうか。是非それに対する意見と対策を新聞に投稿して聞かせて欲しいものである。


 九条を守って軍備さえしなければ勝手に攻め込んで来る国はない、軍備をすれば戦争になるというおかしな信条を、何時までも振り回すのは止めて欲しい、もう聞き飽きた。

2013年

6月

11日

『学問のすすめ』と『自助論』 日本の近代の発展を支えた思想 中川 建志

 およそ国が発展していく時、その背景には発展する必然性を持った思想なり、理念があるものだ。近代日本の発展を支えた理念とは、明治の青年が競って読んだ二冊の書籍に集約される。一冊は、「天は自ら助くる者を助く」(heaven helps those who help themselves)と言う序文で有名な『西国立志編』である。原題は、サミュエル・スマイルズ著『Self Help』。1871年(明治4年)発刊で翻訳は中村正直である。百万部を越えるミリオンセラーだ。▼全文は「新聞オンライン.com」でhttp://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2013年

5月

23日

無謀な琉球独立論 賛同者は歴史に学ぶべき 吉崎 富士夫

 現在、沖縄県の周辺海域、とりわけ尖閣諸島周辺の接続水域と領海に置いて、多数の中国監視船や原子力潜水艦までもが連日のように航行する異様な事態となり、漁業権すら脅かされ、日本全体の安全保障環境も含めて、いままでになくきわめて重大かつ深刻な局面を迎えていると言える。


 そのような中で、あろうことか沖縄県から「琉球民族総合研究学会」なる学術団体が発足し、公然と「琉球独立論」が宣言され、現地賛同者もいることを5月13日の紙面上で知り、正直驚きを禁じ得なかった。歴史上、琉球王国として沖縄が存在したことはだれも異論はないであろうが、現時点で沖縄県として日本の47都道府県の一つであり、しっかりと主権国家としての日本の行政権の中で、政府からの補助金も受け取り、運営が成り立っている地方自治体である事は否定し得ない事実である。


 とりわけ、看過できない重要な点は、財政面の確立も含めて地方自治体として今後の主体性の在り方を考えていく事と、国家の主権を放棄して独立することは似て非なるものであると言うことだ。主権国家として日本国民の生命と安全と財産を護る使命を持つ現時点での日本国の帰属を自ら放棄することは、当然、安全保障における地域の自殺行為と言ってもよいであろう。


 前述の通り、明らかに領土的野心を持っているとしかいいようのない中国からの軍事的圧力が常態化している中で、国家主権の放棄を言うのは無謀な行為でしかない。「独立すれば島が平和になる」は、むしろまったく反対の現実に直面する事は創造に難くない。


 何事も歴史から学ぶべきだが、17日紙面投稿欄にも、中華人民共和国に於けるチベットや新疆ウィグル(元は東トルキスタン)各自治区の歴史の話が紹介されていたが、内モンゴル(元は南モンゴル)自治区も含めて、ほぼ軍事力によって半ば強制的に併合された歴史は否定しがたいものがあり、いまだに全世界で抗議行動が行われている。


 また、東アジア全体に目を向ければ、南沙諸島、西沙諸島等で起きている中国とフィリピンやベトナムとの島嶼部の領有権抗争は、まさに現実に起きていることであり、明日の沖縄の現実ともなり得るのだ。


 中華人民共和国は、その政治体制はご存知の通り、中国共産党という革命政党の一党独裁体制であり、6月4日の天安門事件を批判し、自主憲法(零八憲章)制定を唱えたノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏がいまだに国家転覆の罪で投獄されているような、およそ近代国家の常識である基本的人権を無視した実質的な三権分立が確立していない国と言ってもよい。


 そして、その注視すべき外交方針は、表向きは関係国との「戦略的互恵」という言い方をしているが、その領土的野心を裏付けする考え方は、古くから「戦略的辺疆(せんりゃくてきへんきょう)」と呼び、国際的な国境線とは関係なく軍事的に実効支配できる範囲までを自国の領土とする基本的な考え方にあるからこそ前述のような高圧的行動に出るわけだ。


 このような隣国が存在しているなかでの琉球独立論がいかに無謀であるかは、冷静に考えれば本来は誰にでもわかることであり、それこそ学問領域の自由として、出来れば細々と非現実的な学説としてだけ存在していてもらいたいものだと思う。やはり最後は同じ日本国民として日本政府を信頼し、今後も平和に暮らす多くの心ある沖縄県民の良識を私は信じたいと思う。
     (千葉県市川市)

2013年

5月

17日

琉球独立論絶対反対 宮良 長和

 十三日の日報に松島教授の琉球独立論と「それに賛同する会」の意見が載せられているが、私はただの反対ではない。絶対大反対である。万一独立したら一番真っ先に喜ぶのはこの人々よりも中国だろう。今や我が国の周囲には強欲な中国や韓国、それに北にはロシアまで居る。万一独立したら、中国が真っ先に乗り込んで来るのは目に見えている。


 記事の中にあの小さなパラオでさえも独立しているともあった。あんな小さな島でさえ独立できるのだから、沖縄も当然と言わんばかりである。あの島は太平洋の真ん中にぽつんとあるからであって、その島が東シナ海か日本海にあったと仮定したらどうなったか、考えてみたらよかろう。もう少し地図を広げてみてからそんな話はして貰いたい。


 また、同新聞には本土は日米安保の利域だけ得て犠牲は沖縄に押し付けている、とも書いてあるが、沖縄がこれまで中国に占領されずに、また基地の収入のお蔭で潤っていることに異存のある方はいないだろう。東洋一の水族館、国立劇場、身分不相応な豪華な空港、島内の至る所に溢れる物品。全島に張り巡らされた舗装道路、何れを見ても沖縄県だけの経済力で出来るものではない。これらは殆ど基地経済と本土の思いやり予算(?)がもたらしたものではないか。それにも拘わらず我が沖縄には、それらの恩恵は当然として、基地がある為の不都合ばかり強調する。


 終戦直後から、本島にはたまたま行く程度であるから詳しいことはわからないが、昔は嘉手納も普天間も空港近くに民家は無かった。民家は基地とその周辺に住む家族や軍人を当てにして集まって来て、それが街になったというのが真相だろう。勿論、元々これらの土地には沖縄人のものではある。しかし、米国だって戦争で血を流して占領した島である。それ位の勝手はやむを得まい。


 さて、最近の沖縄は帰化人の子孫と言われる知事をはじめとして、中国に親近感を抱く人々が意外に多い。那覇の私の甥もそうである。彼を保守に改心させようと行く度に説得したり正論の会に誘ったりするが頑として応じない。最近は呆れて誘うのを止めた。日教組の教育を受けるとこうなるのかと、最近の教育の持つ影響力にほとほと感じ入っている次第である。彼らの目を醒ます絶対確実な手段は、一度中国に占領されてみることであるが、一度占領されたら最後、もう解った、これぐらいでいい、帰って下さい、と元に戻せないのが難点である。


 中国も沖縄を占領したら、真っ先に沖縄を軍事基地化するのは解りきっている。そうしても中国が基地料を几帳面に支払うとは考えられない。しかしそんな事はどうでもいい。それよりも、かの国の軍隊が乗り込んで来て乱暴狼藉を働くのは間違いない。中国がどんな社会か、中国人はどんな人間か新聞で知らないわけではないだろう。チベットやウイグルではどんなことが行われているか、抗議の自殺も相次いでいる。中国に愛想を尽かして日本に帰化した石平さんもいる。

 

 しかし我が沖縄の一部の人々は中国人は決してそんな乱暴狼藉はしない、中国人と仲良く暮らせると信仰にも似た盲信をしているとしか考えられない。軍事基地反対もマイナス面ばかり考えずに、その存在故に中国も勝手に沖縄には手出し出来ないのであるというプラス面も考慮したらどうか。左翼には基地は目障り、無用の長物そのもののようである。


 琉球はもともと独立国だったというが、封建時代は鹿児島も山口も会津もそれぞれ大なり小なり藩とはいえ独立国として振る舞っていたのである。長州藩のごときは独力で英国と戦争までしている。明治政府成立前はこれらの藩も幕府と対立し死闘を繰り広げたのであって、琉球だけが別格だったのではない。ただ、地理的に離れているので別格の度が少し大きかっただけである。言語学的に見ても元は同じ民族である。


 戦争で奪われた土地を話し合いで取り戻した例はこれまでの世界史に例がないという。沖縄は先の大戦で日米が死闘を繰り広げ、アメリカが占領した島である。それにも拘わらず佐藤首相の努力でアメリカから返して貰った。最近の知識人はアメリカの悪口をいうのが進歩的と考えているようであるが、独裁政治で無く同じく民主主義の国なので、このような話し合いも出来たのである。


 同じ紙面の金波銀波に「台風が来ただけでもスーパーの棚は空になる、だから戦争になったらそれこそ大変、だから軍隊は要らない」のだそうだ。論理の展開がおかしいのではないか。軍隊が居なければ戦争にならないのなら、こんな楽なことはない。彼ら九条の信奉者達にまずやって貰いたいことがある。無事成功して帰って来られたら旅費は私が全額払い戻して差し上げるから、まず中国に行ってかの国の首領に会い、米軍や自衛隊を無くしたら絶対に攻撃しない、日本も沖縄も占領しない、という言質を取って来てから、「だから軍隊は要らない」と言って貰いたい。そうでなければ頭が少しおかしいのではないかと言われても仕方がないだろう。


 我々が今なすべき事は、この愛する郷土を守り抜く為には、命も捨てる覚悟であり、その為の準備である。新空港、国際線の開発、観光客誘致、産業祭りはその後でいい。それ位の気概も無くて経済発展に浮かれている秋ではあるまい。


 過激なことも書いたが、私にも子供や孫も曾孫まで居る。平和を念ずることに於いて決して人後に落ちるものではない。しかしその前に肝心なことは、この愛する郷土を外国の侵略から守り抜かない限り全ては水泡に帰する。そのためには我々一人一人が郷土を死守する決意を示し、出来れば相手に侵略の意欲を喪失させる程の覚悟と準備が必要ということである。

2013年

5月

15日

休眠中の普天間問題 住民は自衛策を急げ 比嘉 達雄

 依然として街の中央に居座る普天間基地。その恐怖心と県外移設闘争のストレスで苦悩する普天間住民(住民)。それでいて基地撤去を他力本願に委ねる住民。基地の県外移設の困難さを認識しつつも、県外移設をかたくなに主張する県外移設派の民衆。政局が動くときに普天間問題(普天間)も動くという異様な事象。その背後で沖縄の歴史問題と普天間をリンクさせて「県民受けする表現」で県外移設をあおる県内マスメディア。世論に逆らえず自ら政治理念を曲げてしまった政治家。


 成果の実らない県外移設の米国への直訴。住民の生命と安全を守るという目的を逸脱し「構造的差別」と「沖縄独立論」といった言葉のイデオロギー症候群に同化された普天間。こうした不条理が普天間を翻弄し、沖縄社会のパラダイムを歪めている。


 今、沖縄は冷静な観察力と洞察力と思考力を欠き、日米両政府への批判を一層強めている。


 とりわけ、マスコミ各社の論調をみると、以前より増して政府への反発の傾倒が顕著になっており、公正公平であるべき発信情報とそれによる県民の判断の健全性が問われ兼ねない。


 県民調査によると、9割の県民は県外移設を支持しているという。誰でもベスト(理想)を選択するため当然であろう。ただ問題は「支持したけど後は他に任せる」という県民の事なかれ主義だ。普天間には住民の命を守るという人道的な目的がある。県民がその移設先を県外に拘り、しかも住民の生命を案ずる意志があるとすれば、これまで多様な方法を講じても実現できなかった県外移設を今後どう実現するのか、見解を論ずるすべきだろう。それを従来のように県外移設という「掛け声」だけで弄ぶのは住民への暴挙ともいえる。住民は爆弾を抱えた基地近郊で怯えながら暮している。その状況を県民も共有すべきだ。


 先日、日米両政府で合意した基地返還計画が県に提示された。今計画が普天間固定化を回避する唯一の機会だというのに、県外移設派は同計画が政府の米国への卑屈によるものと決めつけ政府を痛烈に批判した。


 同計画が破綻したとき、とりもなおさず普天間は固定化する。
 普天間の打開策は固定化を除き二つ。①県内移設を認める(人命最優先)、②基地の全面撤去(沖縄の日米安保否定による日本国からの独立)のいずれかである。


 その選択のためには住民が過度の理想論や感情論に感化されず、現実的理性観で自分の命は自分で守るという自己防衛を思考することだ。(東京都)

2013年

5月

01日

尖閣諸島への揺るぎない努力 大浜 京子

 4月24日(水)の新聞の一面記事に、どこかで見たような人物の写真が載っていた。二秒くらい考えて判った。〝チャンネル桜〟の水島代表である。私は日頃、インターネットで〝チャンネル桜〟を観て学んでいる。


 〝チャンネル桜〟とは、「日本の伝統文化の復興と保持を目指し、日本人本来の『心』を取り戻すべく設立された日本最初の歴史文化衛星放送」である。新聞報道を更にめくったディープ(深い)番組であると私は評価している。色々な考えを多方面から検証して報道されているのでとても勉強になる。三月の中旬あたりに、水島代表が「尖閣諸島に近隣の様子を取材に行きます」と言っていたので、いつか報道されるだろうと待っていた。


 4月21日(日)の夕方、私はある魚屋に入り刺身を購入した。その時、店の人との会話の中で「今晩十時に皆で尖閣諸島に行くので今その用意をしているのです。漁師がまとまって尖閣諸島まで行って実際に漁をしないと中国になめられてしまうから頑張らないとね」と力強く言っていた。ありがたいと思った。


 漁師の皆様のお蔭で日本の海は実効支配されているのだと改めて実感した。いつもおいしく食している魚貝類がより一層おいしく感じられた。魚屋さんとの会話の中で「海上保安庁の船に守られて漁をするのですね。ありがたいですね。尖閣諸島を守らないと私たちは大変なことになりますよね。よろしくお願いします」と私は挨拶して店を出た。


 チャンネル桜の水島代表は、漁師の皆様の団体の中に報道人として参加していたのだった。すでにインターネット上に公開されている。新聞報道によると、日本側の我々の行動を「見越していた」とあった。その為か互角の数の中国船が近海を航行していたという。外交は決して眠ってはならないと思った次第である。常に警備員を配置しスキを与えてはならない。


 世論の中には賛否両論あって、「あまり刺激をしてはいけない」と言ってそっとしておく方法を主張している意見もあるが、今の現状はそんな甘いものではない。常識の通じない隣人を相手に暮らしている以上、我々はもっとしっかり国境を守る義務がある。国境に住んでいるのだから当然ではないだろうか。


 天文学者の言う様に、「宇宙から見たら国境なんてないですよ。何をガタガタもめているのですか。地球は一つですよ」とたしなめられて終る時は理想であって現実の今ではない。


 日本の歴史を見ても解るように小さな国盗り合戦が進化して人間同士が知恵を出し合い日本の内戦が終わり平和な一つの国にまとまったように、世界中の人間が知恵を出し合って進化し、地球を一つにまとめ地球人となる日を目指して学び合い、行動している「パグウォッシュ会議」というのもある。人間が進化するしか道はない。(石垣市登野城)

2013年

4月

29日

玉津教育長への手紙㊦ 田村 文夫

 このように、左派的な歴史観に強い疑問を持ち始めた昨年春、驚くべき事実をネットによって知りました。世襲で北朝鮮の新権力者となった金正恩氏の生誕を祝う集いが、昨年1月8日那覇市で開かれ、社大党・社民党・労組幹部など多くの沖縄革新の人々が参加していたのです。


 北朝鮮は、100万人とも言われる餓死者を出しても、軍事を優先し核兵器を開発してきました。政治批判をすれば、劣悪な強制収用所に入れられ、反革命として殺害される恐るべき独裁国家です。日本人拉致の外に、大韓航空機爆破テロ、アヘンや覚醒剤の製造と密売、米国100ドル札の偽造などの考えられない犯罪行為を国家として行なってきました。


 このような軍事独裁国家の新権力者の誕生祝が全国で唯一、沖縄で開かれ、革新勢力の幹部が祝っていた事は大きな衝撃でした。


 元教員で社民党の山内徳信参院議員は「チェチェ思想も『命どう宝』の思想も、同じ生きる哲学と思います」と祝辞を述べていますが、国家暴力で簡単に反対者の命を奪ってきた、独裁体制を正当化する為のチェチェ思想をここまで賛美する事に驚きました。


 沖教組元委員長の石川元平氏は「参加できてうれしい。初めて訪朝したときに地上の楽園を見た思いがした」と述べていました。沖教組は、反戦・反核・反軍国主義、人権・民主主義の実現を理念としている組合と思っていましたが、軍事独裁の人民抑圧国家を評価している組合だった事に驚きました。


 また祝賀会を主催した「チェチェ思想研究会」の会長は、佐久川政一・沖大名誉教授で、八重山教科書問題では「おきなわ教育支援ネットワーク」の代表として、つくる会系教科書の採択に反対して「教育の方向を誤らせてはいけない」と発言していました。民衆に独裁者の個人崇拝を強制する、非民主的な北朝鮮の「チェチェ思想」に基づく教育が、この教授は正しい教育方向と思っているようです。


 以上は昨年の話で、今年も1月13日にやはり那覇市で開かれ、昨年のメンバーの外に、民主党の喜納昌吉氏と、県議会議長の喜納正春氏が挨拶をしていました。共産党以外の革 新勢力が、ここまで良識から逸脱している現状に愕然としています。


 台湾・朝鮮統治の実際と慰安婦問題を知り、更に沖縄革新の恐ろしい実態を知ることで、自分の歴史認識が変わりました。反日に偏向した歴史教科書を使っての学校教育と、新聞・テレビ等の左派識者のコメント等によって、知らないうちにマインドコントロールを受けてきたと思いました。自然と歪曲された歴史を信じ込み、親の世代への憎しみを持ち、反日的・自虐的となっていました。


 大切な歴史教科書に関しては、韓国・中国・北朝鮮などは、国が教科書を決定しており、日本の様な「採択の自由・権利」などありません。自国民に日本と戦う意識を持たせるために、反日の歴史教育をしているのが実態です。


 韓国では、北と協力して日本を核兵器で 攻撃するドラマが人気となり、中国も昨年の反日暴動勃発で、反日歴史教育が根付いている事が証明されました。更に中国は、尖閣だけでなく沖縄も自国領と主張して、止めどない軍備大拡張を行なっていて、教育で日本という敵・目標を作った上での軍拡は、極めて危険な状態であるといえます。


 一方、日本の歴史教科書は、先に書いたように「近隣諸国条項」と左派執筆者によって、反日的に偏りすぎているのが問題です。日本の立場を説明・弁護するような公平な記述の歴史教科書だと、左派的に教育された教員による順位付けで下位にされ、結局は採択されません。民間企業である教科書会社は、生き残るため執筆者に教員・日教組の意向に従うよう、書き換えを要求することになります。


 現在の教科書採択制度での、教員による「推薦順位付け制度」は、調査員たる「左派的教員が実質的に採択を決定している」のが実態でだと分かりました。貴氏はこのような、左派教員による採択決定の仕組みを変えるべく闘いました。沖縄と日本の教育と、教科書の採択を正常にするため、貴氏は立ち上がったと思います。


 単なる日本の一県であればともかく、沖縄戦と集団自決問題を抱える沖縄での採択を目指した事は、並大抵の決意では出来なかったことです。大変な規模での誹謗・中傷、反玉津バッシングを受けたと思います。今もバッシングを受けているかもしれませんが、「玉津改革」を多くの心ある人々は支持していると思います。


 貴氏への誹謗・中傷の数々を、最近読んだ八重山日報の仲新城記者の書いた本で知りました。この本を読み、「万死に値する」との、私のものと思われる抗議文を見つけ、一昨年の貴氏への無礼を思い出し、お詫びを兼ねて当時と今の思いを文にした次第です。


 その節は大変失礼しました。ここに深くお詫び申し上げます。
 改革ご苦労様でした。今後も大変な状況とは思いますが、お身体大切にご自愛下さい。(沖縄市) 早々
平成25年4月16日

 

追伸
 今回問題となった沖縄戦の集団自決問題は余り調べておりません。本は数冊用意しましたが、今のところ読まずにおきます。

 かなり前「曽野綾子・太田良博論争」があり、当時応援していた太田氏の『鉄の暴風』での記述は、実地調査不足を伝聞と感情的推論で補ったものと思えて、その時も説得力がないなとは思っていました。

玉津教育長への手紙㊤

2013年

4月

27日

玉津教育長への手紙㊤ 田村 文夫

 前略 突然のお便り失礼いたします

 一昨年8月の教科書採択問題に関連して、私は貴氏の属する採択協議会宛に抗議ファックスを二度送付しました。採択が迫った8月2日には切迫した思いで、「つくる会系を採択すれば、罪、万死に値する」と書き、二回目では「クーデター的採択で、玉津氏とその同調者は、県民に唾を吐くつもりか」と書き、貴氏を名指しで激しく責めました。


 又、中山市長には、貴氏の更迭を求める手紙も出しました。
 当時の私にとって、沖縄戦・集団自決強要の歴史の書き換えは許せないことでした。右翼的な「新しい歴史教科書をつくる会」系列の教科書は、史実を歪曲している。私は決め付けで、そう思っていました。


 私は復帰前の1969年に、本土復帰をめぐって問題になっていた沖縄関係の本を読んで、沖縄の歴史と現実に驚きました。翌年春、現地を見ようと野次馬魂で沖縄に来て、復帰協の事務所を訪ね、平和通りでカンパ活動をしていた学生達と話をし、帰京後は安保・沖縄関係の集会やデモによく参加する事になりました。


 沖縄戦と県民の犠牲を知ったことから、全基地撤去の復帰支援デモに行ったのですが、沖縄だけでなく中国・朝鮮をめぐる近・現代史を学ぶ講演会へも良く行き、そうした本も買って読みました。そして戦前の日本は、極悪の帝国主義・侵略国家だったと思いました。


 その巨悪の帝国の子孫である自分という存在を、そのまま肯定はできませんでした。当時流行った言葉に「自己否定」という言葉がありましたが、そうした心情でいました。


 「巨悪の帝国・日本軍国主義」の復活を許さず、真の民主主義的平和国家に再生させてこそ、沖縄・朝鮮・中国・アジアの人達に顔向けが出来るし、日本国と自己の肯定も可能と思っていました。


 72年の本土復帰後は、左翼運動の体質的問題点に疑問を持ち、特別な集会以外は行きませんでした。社会主義国の中国とベトナムの領土戦争・カンボジア共産党による100万の人民大虐殺・社会主義国に普遍的にみられる反対派殺害を含む粛清などは、独裁権力体制と軍事優先の暴力体質から来るものと思います。84年に沖縄に移住してからは、選挙の時に革新統一候補へ投票する程度で、基地包園行動や大規模な反戦集会に時々は参加しました。


 ともあれ「過去の全てにおいて日本国は悪だった」という左派的歴史認識を二年前も持っていた私にとって、文科省の教科書検定は通ったとしても、沖縄戦の歴史の書き換えを推し進める右派勢力の作った教科書の採択は、絶対許せないと思いました。そして、抗議文送付となったのでした。


 その私の認識が変わったのは、今回の八重山採択問題がきっかけでした。抗議の投稿後、10月過ぎから近代史をもう一度勉強しようという気持ちになったのです。日本の朝鮮・台湾への植民地支配について、「なぜ台湾は韓国ほど批判的でないのか」という疑問が常にありました。たまたま同業の友人が、右翼的で悪名高い小林よしのり氏の『台湾論』『沖縄論』を持っていました。たまには反対の立場の人の本も読んでみようと思い、借りて読みました。また別の作家の本も借りました。


 これらの本を読んで驚きました。戦前の日本の台湾統治は、自分の思っていた程極悪な支配ではなかったことを知り、救われた気持ちになりました。この『台湾論』は、地元台湾で刊行されると大問題となりました。内戦で負けた蒋介石軍が台湾にやってきて支配階級となったのですが、蒋介石軍による進歩的台湾人の大虐殺を記述した『台湾論』は、こうした「外省系中国人(現代中国支持派)」が支配するマスコミ主流に叩かれました。


 しかし、大多数を占める元々の台湾人達は、台湾の歴史教科書に載っていなかった台湾人大虐殺を記述した『台湾論』を支持し、日本統治の史実を光と影を含めて公平に評価しているので、総合的に見れば日本は善政をしたと判断し、親日的となっているのが分かりました。これに反して朝鮮では、多くの近代化事業を行い、身分・女性差別も撤廃し、多くの面で台湾よりむしろ優遇して統治していましたが、戦後の李承晩反日政権下で、全では悪政と政治判断され、極端な反日捏造教育をして今日に至っていることが分かりました。


 長らく中国の属国でいる間に「中華思想」的な優越意識と日本卑下意識が根付いていたことが、戦後の反日教育を受け入れた素地となったようです。その後、日中戦争関係の本を読み進めると、現代中国の言っている日本軍の悪行もかなり怪しいと思いました。南京事件等の、余りにもありえない数の被害者数には納得できません。日本文化と日本人なら行なわない、耳・鼻を削ぎ、目をくり抜く残虐な殺害とか「万人坑」という遺体の遺棄方法は、彼ら漢民族の伝統的方法・文化でした。


 こうして色々な本を読み進めることで、日本解体の偏向歴史観である「GHQ的日本極悪史観」に自分もどっぷり浸かっていた事を知りました。そして韓国・中国・北朝鮮三国の日本へのいわれなき非難に(歴史偽造・改蜜による不当な日本非難)の中に、今の日本が置かれていることを知りました。(従軍慰安婦問題は、一老人の虚構の証言が事実扱いされてしまい、ありえない数の奴隷狩り的強制連行と、慰安所での暴虐的な扱いが国際社会で史実として宣伝されています。とんでもない恐ろしいことです)


 歴史教科書について言えば、近・現代史歴史記述については、「米国・中国・朝鮮人を批判してはいけない」と規定した、戦後GHQの報道統制方針が、その後も報道だけでなく教育の世界でも引き継がれており、更に社会主義イデオロギーで歴史を歪曲し、「近隣諸国条項」によって中国・韓国の歴史記述に迎合した反日的に捏造された記述が史実とされ、これらの国に都合の悪い記述は書かない事で、教科書が検定されている実態を知りました。(つづく)

玉津教育長への手紙㊦ 

2013年

4月

18日

石垣を訪れて 宮本 真由佳

 「今日は30匹・・・」
 これは、新石垣空港が開港と同時に起きた一晩のロードキル、つまり車両によって轢き殺された動物の数だ。それまでもかなりの数の動物が車によって轢き殺されているとは聞いていたが、3月7日はかなり酷かった。おそらく開港で多くの観光客が訪れた結果だとは思うが、何故、車両が増えたことと同時にロードキルも増えるのだろうか。


 車を運転する人が気を付ければ車両は増えてもロードキルは増えないのではないか。しかし、悲しいかな車両とロードキルがイコールになってしまっている。私は、石垣島に住んでいるわけではなく、観光でしか訪れたことはない。しかし初めて行った石垣島で、道を走行する車のスピードの速さにも、ロードキルによって轢き殺された動物の数にもとても驚いた。


 私の住んでいる静岡県に比べると、道路も見通しがよく、信号機も少ない。それなのになぜロードキルが起きるのだろう。それはおそらくドライバーが道路上にいる野生動物に全く気を遣っていないからなのだろう。

 

 私は、動物が道に倒れていると、生死を確認し、死んでしまっていたら市役所に「こんにちは。県道37号線、小笠南小学校付近に狸が車両に轢かれ血を流し、死んでしまっています。すぐに安心できる場所へ連れていってあげて下さい」と電話をいれる。それは、死んでしまった動物を食べに来る動物が、また轢き殺されるという2次被害を防ぐためである。轢き殺された動物たちの姿は、車のスピードをもの語っているかのようにとてもひどい。


 しかし、市役所の人間は「宮本さんですね。わかりました。すぐに業者に行かせますから」といってまるで「自分の仕事を増やされて面倒だ」といわんばかりの口調で電話を切る。最近その付近に新しい道が造られた。その道は、緑豊かな山が連なっていたところを削りとって造られたものだ。山に生息していた動物達の行き場をなくしてまでも人間は快適さを求める。


 その山に出来た道を走る車両は、動物注意の表示があるにもかかわらず、真っ直ぐな見通しの良い道を、法定速度40キロをはるかに越え、70~80キロを平気で出して走行しているが、これは石垣島で目にした光景と同じことである。


 見通しが良く効く真っ直ぐな道でスピードを出して走りたくなるから法定速度を守らないに違いない。これからの季節、石垣島は観光客が増えてゆくだろう。それと同時にロードキルは更に増えることを私は大変心配している。


 法定速度を守ると言う当たり前のことをするだけで動物が轢き殺されずにすむ。時々「轢き殺されるのが人間であったらとてもこわい」という人もいるが、その言葉は動物ならよいと言って命の差別をしているようにも思える。自然が観光資源と言うならば、1匹1匹大切な命であると言う事をみんなが自覚し、動物と共存していける安全安心な島になってほしいと心から思っている。(会社員・静岡県小笠郡)

2013年

4月

16日

三線学び、息子とコラボ 森野 直美

 石垣島に魅せらせ、今まで三度訪れている。仕事や子供の都合で、冬休みに訪れてるが、何度行ってもまた行きたくなる。


 三度めに訪れたときは、生憎の雨模様続きで、美しい海で遊ぶことはあまりできなかったが、そのおかげで今まで気づかなかったことや、できなかったことができた。


 その一つが、三線である。泊まったホテルで体験教室に参加し、音色のしっとり感にすっかり惚れて、雨の中、わざわざ専門店まで買いに出かけた。
 今我が家にある。簡単な旋律ならばどうにか弾けるので、独学で島んちゅぬ宝が弾けるようになった。


 それを息子のピアノ発表会で、コラボで演奏する。うまくいくかどうか、ドキドキだが、癒やされる音色はじぶんで奏でていても感じる。


 石垣島で出会った三線が、私に新たな楽しみを与えてくれた。思春期にさしかかった息子との接点にもなる。


 今度石垣島を訪れたら、三線引っさげて、海を見ながら弾けたらいいな。これがささやかな夢である。
   (広島県広島市)

2013年

4月

07日

「感謝の気持ち伝えたい」 原田 としこ

 3月18日の大雨の日、夕方の便でしたが、早々と観光を諦め、レンタカーで空港に向かっていました。


 冠水箇所が、ほんとうにたくさんあり、どのルートで空港に行ったら良いのかもわからず右往左往してた時に、バンパーが外れるというトラブルにも合ってしまい、ほとほと困ってました。


 そんな時、通りすがりの方が、バンパーを器用に直してくださいました。ありがとうございました。あの、大雨の中ほんとにほんとに感謝です。

 

 また、その後、雨が小康状態になるまで待たせていただいた、家畜市場の方々、そして、先導して空港への安全な道を教えてくださった方、みなさん、ありがとうございました。


 本来なら、お名前伺って、お礼をしなくてはいけないのに、お名前をおっしゃる事もなく、去られてしまい何もできませんでした。感謝の気持ちを、どうしても伝えたいので、投稿させていただきます。(愛知県新城市)

2013年

3月

24日

アベノミクスの強み生かせ 吉崎 富士夫

 なにかこう日本の大手企業の春闘の高額回答ばかりが話題に上るが、話題にすべき論点が違うような気がしてならない。旧民主党政権で停滞していた日本経済の3年間を完全に払しょくし、とにかく実体経済がアベノミクスで動き出した事実は認めざるを得ない。民主党も、もうそろそろ「負け惜しみ」をするのはやめて政党として白旗を上げるべきだ。


 そして、急激な為替相場の変化はいろいろな弊害を生むのは事実であり、超円高なら強い円を背景に海外と輸入取引が出来るし、超円安なら輸出攻勢に拍車をかけられる。それぞれ一長一短があるのは当たり前の話だ。
 ただし、国内景気に焦点を当てれば、為替相場でどのように円高・円安になろうと所詮1円は1円。手堅い内需拡大のための振興策意外に有効な手段がないことくらいは冷静に考えれば誰にでもわかる。

 

 つまり、消費経済の基盤は、日本国民一人ひとりの可処分所得が増え続けることにあるのは自明の理だ。来年以降の消費税の増税政策は、間違いなく国民の総消費額に増税されるのだから、景気への悪材料であることはほぼ間違いない。おそらく、それまでの短期的な国内景気(これから1年半程度)の好況感で終わってしまう可能性は大である。


 一部マスコミは、その本質を指摘しないで、アベノミクスは期待感が先行しているなどと的を外した批判をしている。これなども経済は期待感が先行するから景気は良くなるという基本中の基本の経済原理がわからないのだから、3年半前に民主党政権を誕生させてしまうようなことになる。これでは話にならない。


 本来、現時点で指摘すべきは、社会保障と税の一体改革などと言いながら、単なる増税先行でしかないのだから、「来年の消費増税を転機に一気に冷え込む国内景気への警鐘」と、それこそ本格的な景気回復に向けて、「実質的な消費増税凍結への道」を提示する事が大切だ。


 そして、独立国家として盤石な外交・安全保障政策を断行する事が、結果的にアベノミクスの強みを生かすことにもなる。経済と国防とは密接な関係がある。
 以上の事から、新石垣空港開設を基に、為替相場に左右されない手堅い国内景気を活性化させる内需拡大策はきわめて重要であり、12日(火曜)紙面にもあったが、島の資源を活用する起業を積極的に支援する「地域ファンド」等の設置は、まさに地域密着型の雇用創出の機会ともなり、地域振興のきわめて有効な手段と言え、積極的に活用すべきだ。


 さらに21世紀におけるアジア地域との関係で言えば、異論もあろうが、主権国家における島嶼防衛の要としての空港の位置づけもある。
 先の中国の全人代において、習近平国家主席は、新たに海洋局の権限強化やステルス型戦闘機の開発等、海洋覇権の姿勢を明確にしており、日本の制空権を脅かす中国人民解放軍の脅威も相まって、とても日本に対して友好的な外交政策をとるとは思えず、八重山諸島を不測の事態から守る施策も当然必要である。


 まさに内需拡大と島嶼防衛という内と外の両方をしっかりと固めていく姿勢が何よりも求められているのは間違いない。ぜひ沖縄県の仲井真県知事にも、日本政府の姿勢に理解を示し、その観点での大局的な判断をいただきたいものだ。
       (千葉県市川市)

2013年

1月

30日

医療保険制度を守れ 宮良 長和

 新聞に保険財政の逼迫に関しての記事の中に「終末期医療――さっさと死ねるように」との題で麻生氏の発言を載せてある。題もどうかと思うが、その中に死にたいと思っても生かされますから、というおかしな言い回しもある。


 しかしこれを書いているのは、そんな不適切な題や奇妙な言葉遣いを訂正するためではない。年を取り人生を充分生きてきて、もう何時死んでも悔いはないと思っている老人でも、一度現代医療の手にかかると無理にでも生かされ続けるこの制度を、この際改革しなければならないと考えたからである。


 それだけでなく日本の貧富の差なく誰でも受けられる優れた医療保険制度はこれからも是非守り抜かなければならないという考えから、この機会に私見を追加したいと思って紙面を拝借することにした。


 確かにこの様に医療に金がかかれば医療費は無限に膨らみ国庫もその負担に耐えられなくなる。それを防ぐには無駄な治療を止める以外に方法はない。私は安楽死協会に入っているが、入っていない人も、本人がまたは本人がはっきり意思表示できない程度に惚けたり弱ったりしておれば家族の希望により、全ての無駄な延命治療を止めることから始めなければならないと思う。


 医療の側としては、無駄な検査でも治療でもやるだけ収入になるのであるから、それに対しても何らかの規制が必要だろう。確かに我が国の保険医療制度は素晴らしい制度ではあるが、それらの問題点を改めなければその財政負担に耐えられず破綻してしまうだろう。


 これまでに何回か書いたが、年寄りの中にはもう十分生きた、これ以上生きて行くのは難儀、それでも自分は死ねないと、お迎えを待っている人も少なくないのである。そういう人々を点滴その他で無理に生かし続ける現代医療の現状は、考え直さなければならない時に来ていると思う。


 若い人は人間は誰でも長生きしたいし、何時までも生きていたいと考えていると思っているのかも知れないが、年をとってみると生きて行くこと自体が大儀に感ぜられる時があるのを認めないわけにはゆかない。


 何回か書いたが人によっては「早く死んだらいいのにねー(早く死ねたらいいのにね)」が口癖だった患者さんもいた。この人のことは今までに機会ある毎に何回か書いたが、この人だけではない。


 とにかく早急に取り組むべきことは老人を治療によって何時までも生かし続けなければならない、その方が医学の使命であるという考え方を止めて、無駄な治療を止めることから始めなければならない。


 しかし無駄な治療であるかどうかを、医師の独断で決めては問題であるから、それを審査決定する委員会が必要だろう。同時に家族も老いて死ぬのは自然であるし、祖父母や父や母を無理やりに何時でも生かし続けることが患者本人にとっても必ずしもいいことではないし、また親孝行でもないことに気づかなければならない。


 それ以上のことを実行に移すには以下の諸事項を整えなければならないし、国会の決議も必要だろう。
 ①家族の意識の改革
 ②無駄な治療であるかどうかを審査する委員会の設置
 ③無駄な治療であると委員会が認めた場合、その時点以後医療費の支払い停止
 ④本人が希望すれば安楽死の認定許可


 若い人は、人間年をとっても何時までもこの世に執着があると考えているのかも知れないが、そうでもない。先年読んだ本のなかに『極楽大往生院』という少しふざけた題の本があった。年を取って、もうこれで自分の人生は十分、心身ともに弱り、あちこち痛くなり、これ以上生きて行くのが難儀と思う老人たちを一堂に集めて、安楽死させる内容の本である。即ちお寺のような広い部屋にベッドを並べ、そこに寝てもらい、老人向けの音楽を流しながら薬を飲ませるやり方であったように記憶している。


 その本が案に相違して大好評だったそうで、読者から続々と感想が寄せられたと言う。これから察すると、そろそろあの世に行ってゆっくり休みたいと考えている人々も少なくないようである。これを書くために本棚を探したがもう見つからない、年を取るとこのように何でもすぐなくなる。誰かが勝手に取っていった、とまでは言わないが、そのうち惚けてそう言いだすかも知れない。


 更に近藤誠、中村仁一両著者の『死ぬなら癌がいい』という題の本もある。ご両人は「まだ七十代であるが、もう子育ても終わり人間としての賞味期限は切れたから何時死んでもいい、そして死ぬのは癌に限る、老年者の癌に限って言えば医者が治療と称して、手術したり抗がん剤を投与したりしていじくり回さなければ次第に弱り苦しまずに楽に死ねる」と確信を持っておっしゃる。


 中村さんは老健施設に長く居られて、多くの入居者を観察し、また郷里の長野県の田舎で小学生の頃苦しまずに自然に死んでいった年寄りたちを多く見てきた経験に裏打ちされた結論である。


 我が国の医療制度もこのまま無駄な治療を放置していては財政的に行き詰ることは間違いなく、その上老人を無益に苦しめることを知らなければならない。政権交代のこの機会に抜本的に改革すべき好機であると思う。

2013年

1月

29日

与那国に施設誘致を 西田 實

 与那国では人口減少に悩んでいると聞きます。特に若い人が定着しないとのことですが、これは極めて深刻な状況です。


 人口を増やすという意味から自衛隊誘致の話も上がっているが、反対も多いと聞きます。しかし、特に国境の町与那国では自衛隊誘致は必要です。


 その他、国や県の施設の誘致も必要かと思います。私は、県か国の園芸試験場を誘致してはいかがと思います。特に薬草類の栽培研究が将来的に有望でしょう。


 とにかく、働ける施設を誘致することが必要です。温暖な気候を利用して老人施設もどうでしょうか。人口が増えれば、高校の設置も可能と思います。初めは分校でも構わない。(宮崎県宮崎市)

2013年

1月

24日

国が「責任」を持ってやるべき事 奥間 政和

 アルジェリア南東部の天然ガス施設で日本人らがイスラム過激派武装勢力に拘束された事件で、アルジェリア軍は犯行グループが人質とともに立てこもる同施設のガス生産設備区域に強行突入した。


 このテロ事件に関して安倍首相は「人命最優先」を強調する発言をしていました。この発言が国際社会の中で自国民の事しか考えていないとの批判があるようです。おそらく安倍首相は国民に対してはそう言うしかなかったのだと思いますが。わたしを含め国民の大多数の方が「同じ日本人、仲間達を無事に救出したい」と思った事でしょう。しかし、日本国内で爆弾テロも、自爆テロもありません、テロリストに対する危機意識がほとんどないんです。あの時点で首相はまず「人命最優先」と言わなければマスコミの批判を受けることになったでしょう。


 安倍首相は先見性があり、正義感の強い方だと思います。あの時、国際的立場から「日本国はテロリストには屈しない、許さない」という強い姿勢を最初に表明するべきであったと思います。テロ組織に対し断固とした態度を国際社会へ伝える事が必要で、国家の意思表明(テロに屈しない)を明確にするべきであったと思います。


 国(政府)が責任を持ってやらなければならない事の中に、沖縄の基地問題でも同じ事が言えると思います。米軍の普天間基地を辺野古へ移設、宮古、石垣、与那国への島嶼防衛のために自衛隊配備、日米安全保障の強化のための最新鋭の航空機配備、すべて国の裁量であり、国民を守る、領土を守るという日本国政府の意思表明であり、国民に対しての安全保障と同時に東南アジア、近隣の友好国に対しての責任でもあると思います。


 安倍首相はベトナム、タイ、インドネシア歴訪を終えました、ASEAN加盟国の中には、南シナ海において中国と領有権問題を抱えている国があり、特にフィリピンなどは中国に対抗するために日本の軍備強化に肯定的です。一般的に他の国に「軍備強化してくださいと言いますか?」日本がこれほど信頼されているという事だ思います。


 日本国が正々堂々と当たり前の事を当たり前にするとても重要な時期にきていると思います。最後にアルジェリアの今回のテロ事件で命を落とされた方々へお悔やみを申し上げます。(石垣市)

2013年

1月

08日

「安里屋ユンタ」歌碑建立に 向けたみなぎる郷土愛 石垣 栄一

 夢ふくらむ清新な巳年をお迎えのことと心からお喜び申し上げます。


 昨年9月、郷里白保において、星克先生の創作した「安里屋ユンタ」歌碑建立期成会が設立され、直ちに白保公民館コンサート広場に歌碑起工に着手した。


 12月16日には、台座に碑名を刻銘した自然石を設置し、今年2月の序幕へ向けて、工事は順調に進み、一方資金造成については、地元での寄付金集めを始め、記念ボトル「泡盛」の販売等を推進中である。


 昨年11月18日には、那覇市ぶんかテンブス館において資金造成のため、テーマ「八重山の心の響き」と称しチャリティーコンサートを開催したところ、500名余りの方々にご来場いただいた。公演の結びには、全員で「安里屋ユンタ」を合唱し、成功裡にコンサートを終えることができた。


 コンサートを実行した者として、チケットの販売は目標通り販売できるのか、広告掲載に協力できる事業所はあるのか大きな不安もあったが、在沖白保郷友会の皆様のみなぎる郷土愛が呼応を奏し、コンサートを成功へ導くことができ感動した。
 11月30日には、沖縄カントリーでチャリティーゴルフコンペも開催し、八重山出身のゴルファーの皆様のご支援も頂いている。


 来る1月18日には、石垣市民会館大ホールにおいて、故郷白保の皆様を中心に「みなぎる郷土愛」をテーマに「安里屋ユンタ」資金造成チャリティーコンサートが予定されており、出演者一同ユニークな公演にと張り切っている。


 「安里屋ユンタ」歌碑建立に向け、郷里白保を誇りに持つ皆様の「みなぎる郷土愛」の山が大きく動いている。


 郡民の皆様方、チャリティーコンサートへ、ご支援ご協力を賜りますよう、よろしくお願い致します。(沖縄市松本)

2012年

12月

29日

「国防の危機」は大げさなのか 喜島 永理

 政治・行政・2012年12月の「市議会 中国、基地、尖閣… 市長認識めぐり激論」の記事を読みました。


 今、尖閣付近にいる中国船は漁船から、公船に変わり、堂々と領海侵犯を行っています。そして、12月12日午前10時頃、北朝鮮が南方向に向け多段式ロケットを発射しました。


 今、私たちは現実問題、「国防の危機」を迎えています。そのような中、市議会の議論を振り返ってみると、議員が「反戦平和教育」や中山市長の国際情勢について「話が大げさだ」と述べられたことは、現状認識が甘いと言わざるを得ません。


 沖縄の金城に住むおばは、米軍基地の必要性を冷静に語っています。米軍基地があるから、戦後質の良い医療を受けることができたし、実際、北朝鮮や中国からの脅威に、抑止力として米軍基地が働いてきたと思う。今の米軍立ち去れ一辺倒の報道が本当に県民全ての意見なのか疑問に思う、と。南を守る首長として、中山市長に「正論」を堂々と貫いていただきたいと心から願います。
 (栃木県大田原市)

2012年

12月

28日

与那国島を救え 大浜 京子

 12月24日の「金波銀波」に与那国島に関する記事が載っていた。与那国島の人口減少にまつわる暗い影の内容であった。


 自衛隊配備の理由を、外間与那国町長は「自衛隊は消費する部隊だ」と述べ経済活性化が目的だと言って町民をなだめている様であるが、そうではないだろう。国防のために我が島は警備してもらわないといけない。そして、当然自衛隊の家族も与那国町民として引越してくるのだから住民も増えるし、消費生活も上昇して経済効果が出て町が活性化するということを説得してもらいたいと思うのである。国防第一という意識が必要である。


 与那国は学力も八重山で一番だという事を、先日の会合で玉津教育長から伺った。玉津教育長は就任当時、学力のグラフ表を見て驚いたそうである。与那国島の子ども達の学力は一番高くて、石垣市の子ども達の学力は大差をつけられて一番低かったという事実を知り、「これは大変だ。石垣市の子ども達の学力を与那国島に近づける様に頑張るべきだ。学力向上に全力を尽くそう」と心に誓ったそうである。つまり、昔から与那国島の学力は高いという事である。


 何が原因であろう。与那国島の風土であろうか。遊興にふける様な環境にないというのも原因の一つかも知れない。今年も学力審査で高学力を示している。与那国島方式というのを学びたいものである。素晴らしい素質のある島を活性化させる事に協力したい。


 石垣市も竹富町も知恵を出し合って、これまで以上に与那国島をサポートしよう。「金波銀波」にも記されている様に、「石垣市は兄弟が生死をさまよっている今『我々は全国の離島で唯一、人口が増えている』などと得意がっている場合ではあるまい」。遠く離れた与那国島に頭脳明晰な宝の人々が沢山住んでいる。
(石垣市登野城)

2012年

12月

20日

「九条は守って」に飽き飽き 宮良 長和

 新聞に「国防軍に危惧、九条は守って」との大見出しで戦争被害者らが昔の戦争中の悲惨な体験を繰り返したくないと書いている。九条信奉者達はいつまで同じことを唱えるつもりだろうか。

 この問題に関しては機会ある毎に書いてきたが、又書く。何回書いても同じことが繰り返されるようだから何回でも書く。一体戦争はどうして起こるのか。相手が攻め込んで来るから起こるのであって自衛隊や国防軍があるから、又は軍備したから戦争が起こるのではない。外国の軍隊が勝手に攻め込んで来た場合に戦争になるのである。

 

 少なくとも我が国は積極的にこちらから戦争をしなければならない理由もなければ、又したいと考える者もいない。日本人はこの列島で平和に暮らせたらそれだけで十分満足している。外国を侵略する必要は全くない。

 

 それなら、なぜ外国が我が国固有の北方領土や竹島や、尖閣を欲しがるのか。それはロシアや韓国や中国に聞いてみたらいい。北の拉致問題に至っては、人間としてその心情は我々の理解を越えている。人間を勝手に拉致し、肉親を引き離して平然としている。軍隊があればそれを出動させて拉致されている人々を取り返すべきではないか。

 

 動物は腹が減ったら他の動物を襲って食うかもしれないが、人間ともあろう者が食べられもしない同じ人間をさらっていって隔離して、残された肉親を苦しめる。人間は万物の霊長と言われているが、動物の中で最低最悪の生物だろう。 日本人は少なくとも現在は、昔からの固有の領土である日本列島だけで十分満足している。それなのになぜ外国は上記の領土を、それだけでなく日本本土を占領して、自らの勢力範囲にしようと企むのか。

 

 なるほど、昔は大東亜共栄圏といって日本軍が南方や中国に攻め込んだこともあった。昔の大東亜戦争に関しては、我が国が食うか食われるかの土壇場に追い詰められたのでやむを得なかった。又、アジアを白人の支配から解き放つための戦争でもあったという人もいるし、一方では日本がアジアどころか全世界を征服するための戦争であったという人もいる。

 

 あの戦争は、最終的には我が国は負けたが、少なくともアジアでは、それまでの白人の植民地支配から解放され独立を勝ち取った国も一つや二つではない。しかし、これらの問題は今日の主題に反するのでこれ以上書かない。

 

 とにかく現在の世界情勢下では日本は、戦争をこちらから進んですることはない、しようと考える者もいない。外国が強引に攻めて来た場合は、なすがままにされるわけにはゆかないから、武器を取らざるを得ないというだけのことである。

 

 それでも戦争は嫌だ、どんなことになっても戦争には巻き込まれたくない言ってみたところで外国の軍隊が勝手に入り込んで来たらどうするのか。それでも戦争は絶対嫌、御免こうむるという人間もいるだろう。そういう人々は万一戦争になったら、無抵抗に徹すればいい。侵略者のいいなりになって居れば戦争にはならない。絶対に戦争をしたくない人は外国軍が勝手に島に、次いで家に上り込んで来たら、丁寧に家に招き入れ冷蔵庫の前に案内し、車の鍵も渡し、自分は出ていけばいい。

 

 それだけで済めばむしろ幸いである。言いがかりをつけられて乱暴されるかも知れないし、最悪の場合は殺されるかも知れない。しかし、今では向こうでもちゃんと名簿が出来ていて日本国内にいる敵味方はちゃんと解っているに違いない。なぜなら驚くべきことに我が国にも、外国軍に早く占拠されることを待ち望んでいる人々がいるというからである。

 

 沖縄には外国から軍事基地反対応援のための人物も入って来ているという。それらの人々は占領されてもいい仕事が与えられるだろうし、殺されることもないだろうが、こんなことを書いている私などは真っ先に処刑されるだろう。 そんなことまでするはずはないと思う人はチベットやウイグルの現状を見たらいい。チベットやウイグルでも無抵抗に徹したわけではなく抵抗もしただろうが、圧倒的な侵略者の力の前に屈したといった方が真実に近いだろう。

 

 とにかく戦争はまっぴら、軍備、自衛隊は無用、という人は以上のことを考慮にいれてから言ってもらいたい。最後に聞き飽きた平和憲法信奉者達の「軍隊があるから戦争になる、国防軍に危惧、九条を守って」を取り上げ、一面に堂々と掲載する新聞社も同類、九条信奉者達の、何十年たってもくじけない殉教者にも似た信仰には敬意を表する外はない。

2012年

12月

18日

サムライ日本を取り戻す時 大浜 孫典

 現在は明治維新の時に似ていると言われている。400年に及ぶ徳川幕府により世の中は安泰となり鎖国により一国平和主義を貫いてきた。


 アジアに於いてはヨーロッパ列強が次々と植民地にしていく状況であるなか、中国はアヘン戦争に敗れ植民地化される状況にあり、日本もヨーロッパ列強の嵐の中に巻き込まれこのままでは日本も植民地化されるという恐れから倒幕運動が起こり幕府を倒さなければいけないという事で明治維新が起こった。


 現在を振り返って見た時に、今の日本の状況は戦後70余年の一国平和主義の中で事実上の鎖国状態の中にある。ぬるま湯に浸かり妥協の中を生きている状態である。


 政治経済、国防問題を今一度、考え直さなければいけない状況にある。尖閣諸島周辺では日常的に中国監視船が領海侵犯を繰返しており、日本政府が気概をしめさなければ、このままでは中国解放軍による尖閣上陸も起こり兼ねない状況にある。海上保安庁の巡視船が一ヶ月以上も監視体制を続けており職員にも疲労が溜まってきているはずである。


 今、中国は北朝鮮にミサイル発射を行わせ、日本やアメリカがどの様な対応にでるのかを見ている状況である。私達にはこの石垣、日本を守る義務がある事を知らなければいけない。
 (石垣市真栄里)

2012年

12月

15日

維新志士を見習え 山本 純子

 北朝鮮が「想定外」の早さと正確さでミサイルを撃ってきた。これが、領土に落ちていたら…ということを今、政治家は絶対に想定しておかねばならない。しかし、肝心の最前線、沖縄からは何の声も聞こえてこないのが不思議でならない。これは本土に住む者の率直な気持ちだ。


 現実を見れば、日本は、早急に決めねばならないことが山積している。一例をあげれば、集団的自衛権の行使だ。北朝鮮は、次は核実験かと言われている。また、中国も領海侵犯だけでなく、領空侵犯もしてきた。これ以上、問題を先送りしているときではない。


 沖縄にミサイルが撃ち込まれて、米軍が戦い、日本人が指をくわえて見ていては、日米の信頼関係は一気に失われる。そうなってからでは遅いのだ。第一、そんなこと、ちゃんとした国家として恥ずかしい。


 以前、琉球大学の学生の「オスプレイが必要な理由は理解できる。声高に反対しているのは一部の人たち」という声をネットで読んだ。それならば日本の危機のときに、なぜ獅子吼しない?沖縄の若者たちよ!日本人は明治維新の志士たちを誇りに思っているが、今ほど、彼らを見習わねばならないときはないのではないか?


 米軍兵士たちの良くない素行と国家全体の問題を同レベルで俎上に乗せてはならない。そのような感情論に左右されず志士たちのように知的に戦おうではないか。
 (京都府京都市)

2012年

12月

12日

〝女性の翼〟のフランス研修報告会 大浜 京子

 私は〝旅のみやげ話〟を聴くのが大好きである。この度、〝女性の翼〟の旅行話を聴きたくて報告会に出席した。社会の中で活躍している女性達が勢揃いしていてウーマンパワーを感じる雰囲気がみなぎっていた。〝女性の翼〟という名称からして、大空に羽ばたく行け行けウーマンというイメージである。


 私の友人が那覇のメンバーの一人ということもあり、この日を楽しみにしていた。

 八重山代表として松島かず代氏、大屋記子氏、上原有代氏の三人のおみやげ話を楽しんだ。スライドを観ながらの話なので、女性の目線からのフランスの社会生活、市民の努力の様子がリアルに感じられて有意義で楽しかった。


 松島かず代氏は、パリの市場の様子、保育園の様子、市役所の都市交通運営導入の工夫の話が印象深い。フランスは農業大国でもあり、その一面として市民農園の現状は農薬を結構使用している点が気になるとのこと。


 大屋記子氏は、フランスの男女共同参画の現状報告が印象深い。表向きは美しいパリのイメージで華やいでいるが、少し裏道に入ると落書きが目立っているし、DV(ドメスティックバイオレンス)も多いらしい。


 フランスの社会保障体制制度の在り方として、例えば日本での生活支援制度の金銭の受給額と違うのは、足りない分を援助する方法を取っている点である。最低生活費を出して、足りない分を国が補償する方法らしい。これは日本が学ぶべき点だと思う。


 生活保護家庭は働いてはいけないという制度がある点が私は問題であると考えている。これでは改善は難しい。


 上原有代氏は、今年のノーベル平和賞受賞のEU本部の内部の様子や、公共交通事情の工夫の様子などを報告。人々を結ぶ足としての車を公共の乗り物であるトラム(路面電車)で超低速の30キロ以下で中心街を移動して美しい景観を保っているとのこと。石垣市に導入したいものである。(石垣市登野城)

2012年

12月

06日

核保有の検討も必要か 堤 静江

 ここ数ヶ月間おとなしかった北朝鮮が、10日から22日の間にミサイルを発射すると予告してきた。事実上の弾道ミサイル発射だ。国父・金日成主席の生誕100数年の「祝砲」の意味があった4月のミサイル発射は、発射直後に失敗している。

 

 その時の名誉挽回と正恩氏の権威付けのために、国際社会の批判を無視した上での強行だ。このような暴挙を日本はなぜ武力で阻止しないのだろうか。今回のミサイルも沖縄の近くを飛ぶ。ミサイルの誤爆や予定の弾道を外れることも考えられる。被害が起きてからでは遅いのだ。発射後の対応ではなく、発射させない対応そこ必要とされてきている。

 

 日本は尖閣諸島を中国に狙われ続けても、強い態度に出ない。「領海を侵犯したら攻撃する」と通告した上で、侵犯したら実際に攻撃すればいいのだ。中国人だって殺されたくはないので、日本の本気を知ればひるむはずである。日本は何をされても「遺憾です」としかいわないから、完全に舐められている。その弱腰がどれほど国益を損ね、国民を不安にしてきたかしれない。特に沖縄県民の方々を。

 

 日本が外交上、強い態度に出れないのは日本が核を持っていないからだ。核を持っていないことが精神的な弱みになっているのだと思う。日本は核で脅されたら、北朝鮮のような国民が餓死しているような国にですら白旗を揚げざるを得ない。核を持つ国から核で脅されたら、降伏するしかないのが現実だ。この事実を日本人は直視しなければいけないと思う。

 

 中国のミサイルは日本列島に向けて配備されていることを忘れてはならない。(神奈川県横浜市)

2012年

12月

05日

八重山歴史研究会の皆さんへ㊦ 田島 信洋

 また、この部分を貴研究会は得能氏の発言だという前提で書いていますが、間違いです。出版社が内部で検討すべき問題であるとか、行政が今すぐにも対応すべき問題ではないとか述べていたのは松村氏でした。松村氏は大手出版社勤務の経験がある得能氏の知恵を借りていたのでしょうか。誰がリード役なのか想像させる、興味深い間違いでした。

 

 観光ガイドブックの掲載情報は変更される部分が多くあり、その性格上、常に改訂を求められています。市長名で要請文を届け、誠意をもって説明すれば、出版社は快諾してくれるものと信じています。

 

 改訂費用を請求されるようなアホなことまでして対応するよう、私は市当局に求めたつもりはありません。ちなみに南山舎は、私が批判している碑文の程度まで自主的に書き改めています。

 

 私は「地元研究者が田島氏の本の内容に対して無関心であること」を批判しているわけではありません。私はむしろ関心は高いのではないかと想像しています。私が批判しているのは、関係者が唐人墓について、あるいは開き直り、あるいは沈黙している現状です。

 

 私に過大評価されるような歴史の専門家ではないと謙遜しながら、一方で、学会誌へ投稿してはどうだとか、私の著書は研究者が議論を交わす論文になっていないとか、皆さんは専門家風を吹かせています。

 

 八重山歴史研究会の皆さんが相手にしない私の研究について、市民の皆さんに簡単に紹介しておきます。専門家の論文を手にとって、読み比べて頂ければ幸いです。

 

 アジア関連本で著名な神田の老舗内山書店の『図書』2000年度読書アンケートで、私の『石垣島唐人墓事件』を数多い本のなかからベスト5に挙げた専門家がいます。指摘のとおり、私の本は一般普及書の体裁になっていますが、唐人墓に関して書かれた初めての本であり、唐人墓の背後にあった事件の真相を一般の人々に広く知らしめたという点で画期的だったと自負しています。

 

 さらに、私の2冊の本は、この事件に関する英文史料、『琉球王国評定所文書』第六巻に所収された関連史料を、専門家の誰よりも圧倒的にくわしく紹介する内容になっています。

 

 評定所文書の史料を、時系列に、しかもほぼ全体を、並べなおし、事件の全貌をとらえることができるようにした唯一の本です。また、事件にかかわったリリー号艦長、サラトガ号艦長の事件報告書をすべて訳出して、琉球国側の史料と比較しながら、事件を検証した唯一の研究となっています。

 

 唐人墓期成会が石垣島まつりにあわせて計画していた160年回忌慰霊祭は頓挫しました。期成会は事業終了もできないまま、このまま年を越すと、6年目に入ってしまいます。誤って唐人墓を紹介している観光ガイドブックなどの問題は放置されたままです。

 

 八重山歴史研究会の皆さん、そもそも「史実」とは異なるとして、現在の碑文に書き改められた際、大きな原動力となったのは貴研究会ではありませんでしたか?貴研究会にはその史実を市民に提示する責任の一端がありませんか?

 

 「大規模な苦力貿易反対ののろしが打ち上げられた」と結ばれているこの碑文は、歴史の改ざんまで行われた論文などを参考資料に書かれたのではありませんか?誘惑に負けた西里喜行元琉大教授をなぜ皆さんは批判せず擁護しようとするのですか?その碑文には、唐人のみ霊に哀悼の意を表する慰霊の言葉さえ見当たらないのです。

 

 皆さんは私の反論文を掲載しないよう、地元新聞社2紙に対して堂々と懇請していますが、恥ずかしくないでしょうか。私には異様に思えます。相手の反論を封殺しようとする―いったい皆さんはどこの国の研究会ですか?寒々とした気持ちになります。市民の皆さんは貴研究会の依頼をどう感じたのでしょうか?

 

 ともあれ、貴研究会が協力を拒んでいる以上、私から皆さんにお願いすることはありません。とても残念ではあります。私に貴研究会の活動等に対する批判をした覚えはなく、したがって、批判を続けることなどあり得ません。どうぞご安心下さい。

 

 最後になりますが、いつの日か、私以外のところから貴研究会に対し唐人墓の件について問い合わせや協力依頼があった場合には、地元の歴史研究会として、賢明に判断し対応して頂くことを期待申し上げ、この手紙を閉じさせて頂きます。

2012年

12月

04日

八重山歴史研究会の皆さんへ㊤ 田島 信洋

 先日、貴研究会の寄稿文「唐人墓に関する対応について」を読ませてもらいました。お互いに意見を交換することは一歩前進であり、お礼を申し上げます。


 貴研究会が長年にわたり研究活動を続け、着実に成果を積み上げてこられたことは衆目の一致するところです。会員のなかにはその研究業績を認められ、立派な賞を受賞された方もおられます。したがって、市民が貴研究会に寄せる期待は大きく、それだけ社会的使命を帯びてくるのは必定です。

 

 これまで私は、唐人墓をめぐる諸問題について、貴研究会には十分すぎる力量があると期待し、協力をお願いしてきました。そして、もうやめようかとそのつど自問自答しながら、地もと新聞紙上で発言を続けてきました。そのなかで、貴研究会から積極的な関与を断る回答文書が届いたことにも触れました。

 

 そして、私は次のように書きました。「まだ一度も議論されたことのないこの事件を、島の歴史や文化、教育に携わる地元の人間が考えないで、いったい誰が考えるのか。島で起きた類まれな事件を、子供たちにどう教えるのか。」この問いは、一般論として、正しいと認めてもらえるはずです。この問いが批判的に響いて聞こえてくるのは、それだけ皆さんに良心と良識があるからだと推察します。

 

 さて、貴研究会について私が言及した部分は、皆さん自身が述べているように、この数行だけです。そのどこに貴研究会の名誉を傷つける言葉があるのでしょうか。私に他意はなく、隠された意図などありません。

 

 たしかに私は、市史編集課元職員、元課長の得能壽美氏、松村順一氏を批判しています。しかし、あくまでも専門家あるいは市職員としての二人の研究や対応を批判しているだけです。貴研究会の会員としての得能氏を批判しているわけでもありません。

 

 東京八重山文化研究会の会員のひとりとメールを交換したことがあります。
 その際、私は唐人墓の現状と課題について同研究会でも考えてもらえないかとお願いをしました。その方は私のメール文のコピーを、月例会終了後、居残った数名の役員の皆さんへ配り、説明しようとしたそうです。その場に得能氏がいました。これが、東京の研究会で「文書」がばら撒かれた事実の経緯です。

 

 この事実をもって、「この件については一切回答しない」と皆さんは全会一致で決めました。あたかも八重山歴史研究会が批判されているかのように錯覚し、貴研究会は得能氏、松村氏の立場を弁護しています。

 

 これらの事実は、唐人墓の現状と課題について貴研究会がどう考えているのか、今回の釈明文のなかでなにも書いてはいませんが、貴研究会の考え方が市史編集課のそれと基本的に同じであったことを、期せずして市民の前に明らかにしてくれました。もっとも注目すべき点だと言えます。

 

 八重山歴史研究会の皆さん、市民の貴重な財産である唐人墓が観光ガイドブックなどで年代以外すべて誤って紹介されているという、国学院大名誉教授の山下重一先生、そして一市民である私の指摘に対し、得能氏が「いちいち個人や組織が答える必要はない」と言い放ちました。

 

 この対応の仕方を適切だったと、皆さんは本気で考えておられるのでしょうか? これは学問研究の話ではなく、公僕としての在り方の問題です。この点に限って、今からでも撤回あるいは謝罪してもらうべきだと、私は考えています。

 

 出版社などへ記述を訂正してもらうよう市当局に私が要請していることについて、「石垣市からは行政の立場では言えないとした回答もあったと思いますが、田島氏はその法的根拠をもった行政の対応でさえ認めません」と、述べていますが、どこからの情報でしょうか。そのような回答を市当局から受けた事実はありません。(つづく)

2012年

11月

28日

唐人墓に関する対応について㊦ 八重山歴史研究会

 もう1つ例を挙げますと、刊行物に関することです。田島氏は、「誤った記載の刊行物が多いから、行政が指導して改めさせるべき」と主張しています。さて、当会でも、会誌を発刊しています。読者の皆さまの中にも、様々な形で出版に関わった方もいらっしゃるでしょう。

 

 もしも、掲載された内容について、行政から、「この部分は誤りだから書き直せ」と指示されたら、どうしますか? 出版には多額のお金がかかります。正誤表程度で済むのならまだしも、冊子の根幹を揺るがすような誤りでない限り、簡単に改訂版は出せません。

 

 それでも、「必ず指示した文章に直せ」というのであれば、出版の自由を主張し、再版・改訂にかかる編集費用及び印刷費用の負担を行政側に要求します。改訂の目途が立たず、絶版にしなくてはならないのなら、在庫処理費用も要求します。民間企業なら、さらにシビアでしょう。

 

 なぜならば、日本国憲法第21条第2項前段に象徴されるように、一部の例外を除き、行政にも、出版の自由を認められた刊行物の内容をチェックして、書き直しを求める権利はないからです。

 

 もちろん、義務もありません。そして、法に基づいて業務をしているわけですから、行政側は、越権行為によって生じるリスクを、重々承知しているはずです。それで、石垣市からは「行政の立場では言えない」とした回答もあったと思いますが、田島氏は、その法的根拠をもった行政の対応でさえ認めません。

 

 なお、余談ではありますが、当研究会員の得能氏の発言についても、故意に発言の一部のみを切り取って批判しています。石垣市の職員になる前に民間の大手出版社勤務だった彼は、このリスクを身を持って知っていました。「記事の内容にまで行政が口を挟めるものではなく、個々の出版社の対応に任せるしかない」、という流れでの発言が、「元行政職員の無責任な暴言」のように、繰り返し責め続けられているのです。


 このことに関連いたしまして、内容に、研究そのものへの評価ではなく、特定人物の人格や名誉、団体の名誉を傷つける表現が含まれていたのに、その部分を編集することなく掲載した八重山日報社の内部では、「細かな文言のチェックや、事実確認をするという意見が出なかったのか」と、悲しく思います。私たちの研究会と所属する会員は、ここに至る経緯を一切無視した、一方的な主張の掲載により、読者にあらぬ誤解をされてしまいました。


 田島氏の要望書の中身に踏み込んだ内容ではありませんでしたが、ここまでお読みいただいた皆さまには、当研究会が、この問題について、あえてコメントしてこなかった理由がご理解いただけたのではないかと思います。


 以上を踏まえた上で、ご提案させていただきます。


 管見ではありますが、図書館等の検索で田島氏の「論文」を探しましたが、学会誌等への投稿はないように思います。本気で「専門家の意見」を求めているのであれば、学会誌へ投稿してみてはいかがでしょうか。特に、査読付(レフェリー制)のものであれば、なお、良いと思います。それは、掲載前に原稿はくまなくチェックされ、場合によっては、添削されたり、掲載拒否として返却されるなど、確実に意見をいただけるからです。


 2冊もあるせっかくの著書ですが、残念ながら、論文・論集という体裁ではなく、一般書としての扱いになっていると思います。つまり、田島氏は、研究者レベルでの議論を望まれているにも関わらず、未だ、実際に研究者が議論を交わすための「論文」がないのです。

 

 ぜひこの機会に、一般書籍や地域限定の新聞という媒体ではなく、論文という形で学会に発表なさって、まずは、専門家たちが議論できるステージに、ご自身の考えを乗せてください。一般的な学会・研究者の考え方では、専門誌に発表した上で反論がなければ、その時に初めて、ひとつの学説と認められます。換言すれば、本を出版したからと言って、田島氏が求めている「必ず読んで、必ず感想を述べる義務」は、誰も負っていません。


 長文となってしまいましたが、今回は、当研究会の立場をお知らせするために、投稿させていただきました。田島氏の投稿の中に数行で書かれた研究会等への批判に、どのようなことが隠れていたのかが、少しでも伝わり、誤解が解けたのなら幸いです。当会はこれまで述べてきたような経緯から、この問題に積極的には関わらないことを、会員の総意として決めました。他の個人・団体のお考えとは異なる部分もあるかもしれませんが、ご了承いただければと思います。


 最後になりますが、私たちは、これからも、研究スタイルを変えるつもりはありません。現在は、楽しみながら、石垣島四ヵ村の家号・屋号調査を実施し、時にはフィールドワークも行っています。「歴史の専門家」などにはこだわらず、敷居を低くして、自由に会を運営し、地域に密着した研究活動を続けていく所存です。


 なお、本文及び当研究会の活動等に対する批判を続けることは、今後、一切お断りいたします。地元新聞2紙の関係者様も、どうか実情を把握し、ご対応くださいますことを切に願います。

2012年

11月

27日

唐人墓に関する対応について㊤ 八重山歴史研究会

 日本国憲法第21条は、日本におけるいわゆる表現の自由、言論の自由、出版の自由が認められた根拠条文となっています。そして、日本国憲法第23条には、学問の自由が謳われています。それを前提として、私たち、八重山歴史研究会の活動と、田島信洋氏によって連投されている本件に対する考え方を述べたいと思います。


 私たち研究会は、個々の会員が興味ある研究テーマを持ち寄り、それを全員で共有して、活動しています。会員は会費を払い、学習会を重ね、研究会誌の発刊や、現地踏査などを実施しており、所属しているメンバーの興味・専門も様々です。会員資格は、いわゆる研究者に限定されません。門戸を広げているのは、皆で学びながら、多角的に八重山の歴史を考えようという、会の方針によるものです。このようなメンバー構成・活動内容について、田島氏に「歴史の専門家」と過大評価されたことを嬉しく思う反面、現実は異なるということを、あえて申し上げておきます。また、行政からの補助金等は一切なく、あくまでも自主的な学習の場です。


 以前、田島氏から、「助けてください」というメッセージと、唐人墓に関するシンポジウムの開催を含め、関連する研究をして欲しい旨、ご連絡をいただきました。私たちは、現在進行中の研究活動があること、また、会員個々にテーマをもって学会活動等も行っているため、唐人墓中心の研究にシフトできる状況にないことを踏まえ、田島氏宛の回答を作成しました。しかしながら、その回答では納得いただけなかったようで、「八重山歴史研究会は、会員の多忙を主な理由に、積極的な関与を断る回答文書を私に寄せた」と、研究会活動への批判とも取れる表現を、新聞紙上に寄せています。


 改めて申し上げますが、私たちは学問の自由の下に、自らの研鑽のために研究会に所属しており、その活動は、誰に制限されるものでもありません。それを回答したことに対し、会員でもない田島氏が、再三にわたり「地元の人が唐人墓の研究をしないのはおかしい」という論調で迫ってくるものですから、取りつく島もないというのが現状です。


 本件に関する問題点はいくつもあります。ここで2つの例を挙げますので、読者の皆さまには、今回のことを客観的に考えていただきたいと思います。


 まず、田島氏の批判のひとつに、地元研究者が、田島氏の本の内容に対して無関心であるということが挙げられています。それがまるで、西里喜行先生の陰謀のようなコメントまでも、お書きでした。しかし、そんなことは決してありません。例えば、同じ歴史的分野という範疇で、田島氏に、「八重山にとってたいへん重要なことですから、人頭税制度や考古遺跡について、一般的ではなく、専門的コメントをしてください。研究も進めてください。シンポジウムも開催してください」と一方的にお手紙をお送りしたら、どう反応なさるでしょうか。

 

 これまで様々な団体・個人への要望に辛辣な言葉を綴ってきた経緯からしますと、当然、田島氏なら、継続している研究の手を止めて、立派な論文を仕上げ、見事なシンポジウムを開催してくださるのでしょう。しかし、残念ながら、唐人墓の問題について同様の要求をされた私たちには、それに応える力量がありませんでした。そして、進行中の研究活動を、優先する道を選びました。そのため、歴史研究会の決定事項として、「唐人墓に関する諸説については、コメントする立場になく、積極的に関わることができない」という主旨をお伝えしました。ところが、その回答は、先述のように批判的なコメントとなって、新聞に投稿されてしまったのです。


 真摯に受け止めた上で、会員で話し合いを持って回答をお送りしたにも関わらず、今度は、その内容をもって批判される状況。加えて、東京・八重山文化研究会の場で、新聞投稿と同主旨の文書がバラ撒かれた事実を知ったことから、研究会では今年、「もう、この件について一切回答しない」ということを全会一致で決めました。しかし、今度は、「回答しない権利」さえも認めてもらえず、他団体・行政と一括りで批判され続けています。(つづく)