2016年

9月

25日

中国船4隻が領海侵犯 尖閣周辺、今年28日目

 第11管区海上保安本部によると、24日午前10時過ぎ、尖閣諸島魚釣島(石垣市登野城)周辺の領海に中国海警局の船「海警2101」「海警2307」「海警2501」、機関砲のようなものを搭載した「海警31239」の4隻が相次いで侵入し、約1時間半航行した後、領海外側の接続水域に出た。中国公船が尖閣周辺の領海に侵入したのは11日以来で、今年に入って28日目。政府は、首相官邸の対策室で情報収集に当たった。

 

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2016年

8月

11日

「引き続き対応強化を」 市長、海保長官などに要請 尖閣周辺

外務省の小田原政務官と会談する中山市長=10日、外務省(石垣市提供)
外務省の小田原政務官と会談する中山市長=10日、外務省(石垣市提供)

 尖閣諸島(石垣市登野城)周辺海域に多数の中国公船と中国漁船が集結し、領海侵入を繰り返している問題で、石垣市の中山義隆市長は10日、海上保安庁と外務省を訪れ、引き続き対応を強化するよう要請した。中山市長は取材に対し「今後も危機感を持って尖閣を守っていくという力強い意思を感じた。しっかり対応してほしい」と述べた。

 

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2016年

8月

11日

「知事は毅然と対応を」 尖閣問題で自民県連が要請

 尖閣諸島周辺で中国の公船や漁船が領海侵入を繰り返している問題で、自民党沖縄県連は10日、県庁を訪れ、領土や領海の安全確保に向けた強いメッセージを発信するなど「毅然とした対応」を翁長雄志知事に求める要請書を手渡した。浦崎唯昭副知事が対応した。
 要請では、尖閣諸島を抱える石垣市選出の砂川利勝県議が「地元の漁師から、尖閣周辺で漁ができず不満が出ている」と説明。「翁長知事は現場の声を聞き、沖縄のリーダーとしてしっかり発信してほしい」などと訴えた。

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2016年

8月

10日

南シナ海上回る規模 尖閣集結の中国公船

 政府は9日、尖閣諸島周辺海域の中国公船、漁船の活動状況をまとめた。公船は接続水域で最大15隻の活動が確認されたが、南シナ海のスカボロー礁周辺に通常展開している公船4~5隻の態勢に比べ「はるかに多くの中国公船が展開している」と指摘している。
 約200~300隻の漁船が尖閣諸島周辺の接続水域で操業する中で、最大15隻という多数の公船が同じ海域に集結し、双方が領海侵入を繰り返すのは初めて。

 

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2016年

8月

10日

中国 外相の抗議無視 公船また侵入、漁船団数百隻 尖閣周辺

 岸田文雄外相は9日午前、中国の程永華(てい・えいか)駐日大使を外務省に呼び、石垣市の尖閣諸島周辺で多数の中国公船が航行している問題を取り上げて抗議した。「日中関係を巡る状況は著しく悪化している」と伝え、即刻引き揚げるよう求めた。しかし同日午後、尖閣諸島周辺では中国公船が相次ぎ領海に侵入。数百隻の中国漁船も周辺海域にとどまった。中国は外相の抗議を無視して公船の派遣や領海侵入を継続している。
 中国公船は9日、4隻が領海に侵入した。中国公船の領海侵入は3日連続。

 

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2016年

8月

07日

尖閣周辺に漁船230隻 中国、公船7隻は接続水域 外務省抗議「一方的行動」

 尖閣諸島(石垣市登野城)周辺海域で6日、中国漁船約230隻と中国海警局の船7隻が確認された。外務省、海上保安庁が明らかにした。中国漁船は大半が接続水域に入った。中国公船は5隻が機関砲のようなもので武装している。5日には、中国公船と漁船が初めて同時に領海侵入したばかり。実力行使の積み重ねで尖閣奪取を図る中国の意図が鮮明になっている。

 金杉憲治アジア大洋州局長は6日、中国大使館側に「緊張をさらに高める一方的な行動だ」と強く抗議した。

 

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2016年

8月

07日

中国、尖閣奪取に強い決意 資源収奪、軍事化の恐れも

 中国が尖閣諸島周辺に大量の漁船と武装した中国公船を派遣し、尖閣奪取に向けた新たな布石を打った。中国公船は漁船の警護または取り締まりという名目で尖閣周辺を航行していると見られ、日本の実効支配打破を国際的にアピールする狙いがありそうだ。中国漁船の襲来で、尖閣周辺の豊富な漁業資源を一方的に収奪される恐れが高まっている。今後、中国が尖閣の支配権を握るようなことがあれば、周辺を軍事基地化する事態も想定される。

 

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2016年

1月

16日

武装船 尖閣「常駐」 改造軍艦、緊張高まる

 石垣市の尖閣諸島海域で、中国政府が昨年12月から軍艦を改造して武装した中国海警局の船を航行させるようになり、緊張がさらに高まっている。現在までに尖閣海域で確認されている武装船は「海警31239」「海警31241」の2隻。機関砲のようなものを搭載している。今年に入って既に3回の領海侵犯も発生し、中国政府が武装船を尖閣海域に常駐させる意図が鮮明になった。
 香港の報道によると「海警31239」「海警31241」は中国海軍のフリゲート艦を改造した船。中国外務省の報道官は12月23日「海警局の船の装備は標準的なもので、国際的に使われているものと変わらない」「釣魚島(尖閣の中国名)は古来、中国の領土であり、パトロールに(日本が)口を挟む余地はない」と強調した。

 

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2015年

12月

27日

中国武装船が領海侵犯 尖閣周辺、ほか2隻も

22日に尖閣周辺を航行する「海警31239」(第11管区海上保安本部提供)
22日に尖閣周辺を航行する「海警31239」(第11管区海上保安本部提供)

第11管区海上保安本部によると26日午前9時半すぎ、尖閣諸島久場島(石垣市登野城)周辺の領海に中国海警局の船3隻が相次いで侵入し、約1時間10分航行した後、領海外側の接続水域に出た。このうち「海警31239」は機関砲のようなものを搭載しており、接続水域を航行しているのが22日から確認されていた。武装した中国公船の領海侵犯は初めて。3隻はこのあと、正午前に相次いで接続水域を出た。

 

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2015年

12月

02日

尖閣周辺の中国船交代 3日連続航行

第11管区海上保安本部によると1日午前11時ごろ、尖閣諸島久場島周辺の領海外側にある接続水域を航行していた中国海警局の船3隻が同水域を出て、新たに入った別の2隻と交代した。中国公船が尖閣周辺を航行するのは3日連続。
 接続水域を出たのは「海警2101」「海警2149」、「海警2401」新たな2隻は「海警2501」「海警2506」。領海に近づかないよう巡視船が警告している。

2015年

11月

17日

尖閣周辺の中国船交代 EEZにも調査船

 第11管区海上保安本部によると16日午前7時45分ごろ、尖閣諸島(石垣市登野城)周辺の領海外側にある接続水域を航行していた中国海警局の船3隻が同水域を出て、直後に入った別の3隻と交代した。中国公船が尖閣周辺を航行するのは4日連続。
 接続水域を出たのは「海警2102」「海警2307」「海警2308」、交代で同水域に入ったのは「海警2101」「海警2149」「海警2401」。
 また15日から16日にかけ、久米島周辺の日本の排他的経済水域(EEZ)で中国海洋調査船「勘407」が何らかの物体を海中から引き揚げた。沖縄周辺で中国調査船による海洋調査活動が確認されるのは5日連続。海保の巡視船が「日本のEEZで同意のない調査活動は認められない」と中止を要求している。

2015年

10月

17日

尖閣周辺の中国船交代 4日連続航行

 第11管区海上保安本部によると、16日正午ごろ、尖閣諸島(石垣市登野城)周辺の領海外側にある接続水域に中国海警局の船「海警2501」「海警2506」が相次いで入り、周辺を航行していた「海警2112」「海警2401」と交代した。周辺を航行していた別の船「海警2101」は午前9時過ぎ、接続水域を出た。
 「海警2501」「海警2506」は午後3時現在、魚釣島周辺を航行中。中国公船が尖閣周辺を航行するのは4日連続。


2015年

10月

10日

領海内で地元漁船追尾 尖閣周辺の中国公船

尖閣周辺海域で高洲丸に接近する中国公船「海警」=9日午前10時ごろ(仲間均市議提供)
尖閣周辺海域で高洲丸に接近する中国公船「海警」=9日午前10時ごろ(仲間均市議提供)

 石垣市議の仲間均氏らが漁船「高洲丸」で尖閣諸島海域に出漁し、帰途についた9日、日本領海内で、領海侵犯した中国海警局の船「海警2112」「海警2401」に追尾された。中国公船が途中で追尾をやめたため、高洲丸は無事、石垣港に戻った。八重山の漁業者が尖閣海域で中国公船に脅かされている実態が改めて浮き彫りになった。中国公船の領海侵犯は3日以来で、今年に入って28日目。

 高洲丸は8日朝、石垣島から出港し、尖閣海域で漁をしたあと、9日午前7時半ごろ、帰途についた。


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2015年

9月

02日

尖閣周辺の中国船交代 7日連続航行

 第11管区海上保安本部によると、尖閣諸島(石垣市登野城)周辺の領海外側にある接続水域を航行していた中国海警局の船3隻は1日午前11時半ごろ、久場島周辺で、新たに接続水域に入った別の3隻と交代した。中国公船が尖閣周辺を航行するのは7日連続。
 新たに接続水域に入ったのは「海警2307」「海警2308」「海警2506」。交代して接続水域を出たのは「海警2113」「海警2166」「海警2305」。


2015年

9月

01日

中国の驚くべき「歴史認識」と尖閣

抗日戦争70年の軍事パレードに向け訓練する中国軍兵士(中国国営テレビより)
抗日戦争70年の軍事パレードに向け訓練する中国軍兵士(中国国営テレビより)

 第二次世界大戦終結から70年。日本では「戦後70年」と呼ぶが、中国では「抗日戦争勝利70年」と称する。悲惨な地上戦を経験した沖縄では、マスコミを中心に「2度と戦禍を繰り返さない」と誓い、米軍基地の撤去を求め、さらには安倍政権が成立を目指す安全保障関連法案に反対する運動が盛り上がっている。一方、中国は9月3日、北京で「抗日戦争および世界反ファシスト戦争勝利70年」行事を開催し、堂々たる軍事パレードで武力を誇示する。「戦後70年」の節目に対する認識のギャップは、特に沖縄と中国で顕著だ。

 

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2015年

8月

28日

「辺境でも占領許さず」 中国海軍 募集動画に尖閣 日本政府が抗議

参院外交防衛委員会で、動画をめぐり中国に抗議したことを報告する岸田外相(27日午後)=参院ホームページより
参院外交防衛委員会で、動画をめぐり中国に抗議したことを報告する岸田外相(27日午後)=参院ホームページより

 中国海軍が今月公開した兵員募集用の動画で、石垣市の尖閣諸島を背景に「たとえ辺境の地であろうとも、彼ら(日本)の占領は許さない」と呼び掛けるシーンがあることが分かった。27日の参院外交防衛委員会で佐藤正久参院議員が取り上げ、中国が尖閣を軍事目標として明示していると指摘。岸田文雄外相は、中国側に抗議したことを明らかにした。

 中国海軍が8月上旬にインターネット上に公開した「使命に呼ばれて」と題する動画では、戦闘機やヘリコプターの飛行場面に続き、上空から撮影した尖閣諸島の北小島、南小島を紹介。日本を念頭に「たとえ辺境の地であろうとも、彼らの占領は許さない」との中国語の字幕が流れる。


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2015年

8月

14日

尖閣周辺に中国船2隻 5日以来

 第11管区海上保安本部によると13日午前10時ごろ、尖閣諸島久場島(石垣市登野城)の領海外側にある接続水域で中国海警局の船「海警2151」「海警2337」が航行しているのが確認された。
 中国公船が尖閣周辺を航行するのは5日以来。


2015年

8月

01日

中国船、一時漁船を追尾 尖閣周辺、接近はせず

30日午後、尖閣周辺で高洲丸を追尾した中国公船2隻(仲間均氏提供)
30日午後、尖閣周辺で高洲丸を追尾した中国公船2隻(仲間均氏提供)

 石垣市議の仲間均氏が29日から2日間、漁船「高洲丸」で尖閣諸島周辺に出漁した際、中国公船「海警2307」「海警2308」から一時、追尾されていたことが分かった。漁船には接近しなかった。仲間氏は「安全保障関連法案を『戦争法案』と呼ぶ人がいるが、こういう事態が発生していることの議論が深まっていないからだ」と安保法案の早期成立を求めた。
 仲間氏ら4人は29日午前9時ごろ、石垣港を出港し、午後4時ごろから尖閣海域で漁を開始。翌30日午後2時ごろ、漁を終えて石垣島に向かった。

 

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2015年

7月

05日

遺骨収集「尊厳の問題」 遺族会長発言を批判 伊良皆高吉さん

「父の遺骨を収集したい」と訴える伊良皆高吉さん=2014年10月、八重山日報社
「父の遺骨を収集したい」と訴える伊良皆高吉さん=2014年10月、八重山日報社

 3日の尖閣列島戦時遭難者慰霊祭で、同遭難者遺族会の慶田城 用武会長が「魚釣島に遺骨はなく、遺族会は遺骨収集を行わない」という趣旨の発言をしたことについて、遺骨収集を訴える遺族の伊良皆高吉さん(77)=東京=が4日、八重山日報の取材に対し「人間の尊厳を無視するような発言」などと批判した。遺骨収集への強い熱意を抱き続けている伊良皆さんは「親への愛はイデオロギーを超える。私が行けなくても子々孫々に『必ず行って遺骨を収集してほしい』と遺言するつもりだ」と言葉に力を込めた。

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2015年

7月

04日

遺族会、遺骨収集を否定 尖閣遭難70年で慰霊祭

尖閣列島戦時遭難者遺族会の慰霊祭が行われた=3日、慰霊碑前
尖閣列島戦時遭難者遺族会の慰霊祭が行われた=3日、慰霊碑前

 尖閣列島戦時遭難者遺族会(慶田城用武会長)主催の慰霊祭が、遭難から70年となる3日、慰霊碑前で行われ、遺族ら約60人が参列した。犠牲者を追悼するとともに恒久平和を願った。慶田城会長は日本と中国の尖閣諸島の領有権をめぐる対立について「日本も『来るなら来い』という態度をとっている。遺族会は安保法制に反対です」と呼び掛け、石垣市への自衛隊誘致に関しても反対と明言した。遺族会が自衛隊誘致について中山義隆市長に直接訴える形となったのは初めて。

 慶田城会長は平和を守る方法として「憲法9条と市民の経済活動が重要」と主張し、魚釣島について「平和的に守るべき。市民の利害に反することは許されない」と主張した。

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2015年

7月

04日

餓死「年上のぼくらが食べてしまったから」 遭難者ら当時語る

「戦争で逝った弟と妹に」と題して読み上げた宮良正之さん=3日、慰霊碑前
「戦争で逝った弟と妹に」と題して読み上げた宮良正之さん=3日、慰霊碑前

 尖閣諸島戦時遭難者や遺族からも報告が行われ、魚釣島での戦時遭難を経験した宮良正之さんは「戦争で逝った弟と妹に」と題して読み上げた。「ぼくらが餓死を免れたのは戦争とはいえ、幼い君たちの食べるものを、年上のぼくらが食べてしまったからだったんだね」と語り、亡くなった幼い命を悼んだ。

 「戦争がなければ、家族を持って平凡な人生を送ったかもしれない。何らかの才能があって社会に貢献する人物になったかもしれない」と話し、成長を見守れなかったことに胸を傷ませた。


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2015年

6月

01日

尖閣の東西に国境線 「無主地」証明、清の漢詩

 1800年、清国から冊封のため琉球王国に派遣された使節が執筆した漢詩に、清国の東側、琉球王国の西側の国境線が明示されており、その中間にある尖閣諸島が両国いずれにも属しない無主地であることを証明する一節があると、長崎純心大の石井望准教授が指摘している。石井氏は「尖閣史の全体像を一語で喝破した画期的な資料で、日本側の主張の正しさを証明する最終兵器になるだろう。年代としても近代への入り口。この価値を世界に訴えるべきだ」と話している。

 漢詩は使節団の副大使李鼎元(り・ていげん)が琉球王国からの帰途執筆した「馬歯島歌(ばしとうか)」。

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2015年

5月

21日

尖閣の東西國境線を對比 清國勅任副大使の記録にまた新事實㊦ 石井 望

李鼎元『使琉球記』嘉慶七年序の師竹齋刊本 ハーバード大學藏 グーグル社提供
李鼎元『使琉球記』嘉慶七年序の師竹齋刊本 ハーバード大學藏 グーグル社提供

 公式度の高い渡航記録
 李鼎元の「門戸」は漢詩の比喩に過ぎないので、論據(ろんきょ)として脆弱(ぜいじゃく)だと思ふ人も有らう。それを補ふ李鼎元自身の記述が幾つか有る。
 まづ第一に李鼎元が『師竹齋集』と同時に同版元から刊行した『使琉球記』卷三によれば、福州出航後に經由(けいゆ)した島々は、五虎門、官塘(馬祖列島)、彭家山、釣魚臺(尖閣の魚釣島)、赤尾嶼(尖閣の大正島)、以上五ヶ島を數(かぞ)へる。官塘は竿塘と同じである。そして琉球國境内の姑米山(久米島)に到達した時に曰く、
  「所見亦僅三山、即至姑米」
  (見る所もまた僅かに三山にして即ち姑米に至る)
 と。三山とは三ヶ島である。五ヶ島を經由しながら三ヶ島だけとするのは、清國の外に出た後、琉球人が船中で針路を司った海域の三ヶ島(彭家山、釣魚臺、赤尾嶼)を指す。他の諸史料と併せ覽(み)れば、最初の五虎門及び官塘は清國の勢力内だったため琉球人に針路を任せず、島數も算入しないのである。李鼎元自身が漢詩で詠じた東西相似形と全く同じ事を、『使琉球記』の「三山」が補ふ形になってゐる。

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2015年

5月

19日

尖閣の東西國境線を對比 清國勅任副大使の記録にまた新事實 ㊤ 石井 望

 私はこれまで尖閣西方のチャイナ國境線史料を示す多數の史料を見出(いだ)して來たが、このたびまた新事實(じつ)を見つけた。勅命で琉球國に派遣された副大使・李鼎元(りていげん)の漢詩「馬齒島歌」では、慶良間島と久米島とが琉球國の「門戸」を成し、清國沿岸の五虎門・馬祖島と極めて相似だと詠ずる。「門戸」の語はそれ以前の『裨海紀遊』などから既に大陸沿岸島嶼を形容する通例であった。久米島と馬祖島とが東西の門戸であり、中間の尖閣は無主地となるから、日本の編入は合法となる。
 同じ李鼎元の渡航記録『使琉球記』には、福州を出航してから久米島到達までに五つの島(五虎門・馬祖島・彭家山・釣魚嶼・赤尾嶼)を經由したことを記録するが、五つでなく「三山」(三ヶ島)を見たと書いてある。大陸沿岸の五虎門・馬祖島といふ二ヶ島を除外し、琉球人が針路を司った清國外で尖閣等の三ヶ島を見たことを示す。更に五虎門から慶良間までの合計時間數も記録する。これらは自身の漢詩に公式性を附加する記述と言へる。
 尖閣の東西の相似形
 李鼎元は嘉慶五年(西暦千八百年)、皇帝勅任の副使として福州から琉球國に派遣された。歸國後に刊行した詩集『師竹齋集』卷十四の漢詩「馬齒島歌」には、尖閣の東西の國境線を對比する語句が有る。馬齒島とは慶良間島の漢文名である。その句に曰く、
 「三十六島此門戸、絶類竿塘石虎五。」
 (三十六島、此れぞ門戸なり、はなはだ類す竿塘と石虎五と)
 と。

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2015年

5月

16日

尖閣上陸、日本人最古か 石井望氏 1819年に琉球王族

古文書で新たに解読した事実を説明する石井望准教授=15日午後、県庁
古文書で新たに解読した事実を説明する石井望准教授=15日午後、県庁

 長崎純心大學比較文学科の石井望准教授が15日、県庁記者クラブで記者会見し、史料具志川家の「向姓家譜」「十二世尚鴻基」から1819年に琉球王族が尖閣諸島の久場島もしくは魚釣島の淡水調査を行った記録を発見したと発表した。事実であれば、1885年の日本人最古の上陸記録が65年繰り上がり、1819年となる。
 史料によると、1819年9月18日、公務で薩摩に向かっていた王族の尚鴻基の船が暴風雨に流され、無人で高さのある「魚根久場島(ユンクバジマ)」に到達し、3日間飲み水を求めたが得られなかった。その後さらに暴風雨で漂流し、3日後に与那国島に到達した経緯が記されている。


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2015年

4月

07日

尖閣警備「長期戦の覚悟」 石垣、日本最大の海保に 宮崎部長就任

記者会見で就任の抱負を述べる石垣海上保安部の宮崎部長=6日午後、石垣海保
記者会見で就任の抱負を述べる石垣海上保安部の宮崎部長=6日午後、石垣海保

 第25代石垣海上保安部長に1日付で就任した宮崎一巳氏(56)は6日、就任後初の記者会見で、中国公船の領海侵犯が続く尖閣諸島海域の情勢について「中国も長い目でやっていると思う。長期戦として対応したい」と述べ、冷静に毅然とした態度で尖閣警備を継続する方針を示した。尖閣警備のため、石垣海保には来年3月末までに巡視船6隻と海上保安官約250人が新たに配備される。海上保安官は総勢約600人に達し、約370人の横浜海保を抜いて日本最大の組織を持つ海保になる。

 宮崎部長は2014年4月、巡視船の業務管理官として八重山に配属され、尖閣警備の最前線で勤務した経験を持つ。「いろいろなストレスもある」とした上で「地元住民とのコミュニケーションが力になって仕事ができる」と業務に対する住民の理解と協力を呼び掛けた。


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2015年

3月

19日

西洋諸国も「尖閣は日本領」 石井氏研究  編入前から認識

1887年、スタンフォード社「China」(オーストラリア国立図書館蔵)。尖閣の魚釣島(hoapin―su)が国境線の東側にあり、日本領として描かれている
1887年、スタンフォード社「China」(オーストラリア国立図書館蔵)。尖閣の魚釣島(hoapin―su)が国境線の東側にあり、日本領として描かれている

 昭和44(1969)年に中国測絵(そっかい)総局(国土地理院に相当)が刊行した尖閣諸島の地図で、日本名「尖閣諸島」が用いらているため、日本の外務省が「中国が尖閣を日本領と認識していた証拠」としてホームページに掲載。尖閣を自国領とする中国の主張の破たんが改めて浮き彫りになった。さらに長崎純心大の石井望准教授は「日本が尖閣を領土に編入するより先に、西洋の地理学では尖閣を日本領とみなしていた」と指摘する。石井准教授に話を聞いた。

 

 ―今回日本側の掲載地図に対する反論として、「人民日報」海外版3月8日第1面では、清華大学の劉江永(りゅう・こうえい)教授が「1845年に英国軍艦サマラン号が尖閣を探検計測して以後に刊行された地図や、1894年までにイギリス海軍がいく度も修訂した『中国海針路志』では、尖閣を台湾東北の諸島に入れている」と述べて、尖閣が中国に属したのが日本よりも先だと反論している。

 「中国側が証拠として採用するのは、ただ尖閣を清国周辺に掲載した地図ばかりであって、国境線を描いたものではない。国境線を描いた地図では、清国の国境線はすべて尖閣の西側になっている。

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2015年

2月

24日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑨ 石井 望

圖十 平成二十四年七月十七日、産經新聞第一面
圖十 平成二十四年七月十七日、産經新聞第一面

チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。殘念ながら、チャイナの曲解すら容(い)れ得ぬ諸史料はサイト不採用となった。不採用の中でもここ二年ほどで大いに知名度の上がった二史料がある。一つは西暦1561年、郭汝霖(じょりん)の上奏文、産經新聞がこれを報じた。今一つは西暦1617年、『明實録』(みんじつろく)の語、讀賣新聞がこれを報じた。
 郭汝霖上奏文は尖閣最東端の赤嶼(せきしょ、大正島)を琉球國の「界地」とする。産經新聞が第一面で大きく報じ、新華社や社會科學院などのメディアは次々に批判を掲載した。尖閣研究家・呉天穎(ごてんえい)氏の新刊書では、裏表紙の宣傳(せんでん)文句に「石井望が郭汝霖の史料を見つけて、逆に我々を助けてくれた」などと大きく書き立て、新聞も同じ宣傳文句を使った。

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2015年

1月

18日

「虚妄の史料」で領有権主張 石井氏、中国サイト調査 尖閣問題

 中国国家海洋局が2014年末、尖閣諸島(石垣市登野城)の領有権を主張するため開設した「釣魚島(尖閣諸島の中国名)ウェブサイト」の掲載史料が、学問的には何ら中国の主張の裏付けとならないことが、石井望・長崎純心大准教授(尖閣史)の調査で分かった。日本側に既に論破されている史料を羅列しているほか、新たに提出した史料も「意味のあるものはない」(石井氏)。中国が「虚妄の史料」を持ち出して強引に尖閣領有権を主張している実態が改めて浮かび上がっている。

 ウェブサイトの掲載史料を精査した石井氏は「従来の中国の主張を繰り返しているだけ」と指摘する。

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2015年

1月

15日

「地域の安定と平和を」 中山市長  戦時遭難事件に哀悼の意 尖閣開拓の日式典

尖閣開拓の日式典が行われた=14日、市民会館中ホール
尖閣開拓の日式典が行われた=14日、市民会館中ホール

 尖閣諸島(石垣市登野城)を行政区域とする石垣市は14日、尖閣諸島開拓の日式典を市民会館中ホールで開いた。中山義隆石垣市長は「尖閣諸島が対峙する場としてではなく、貴重な自然が残る場として多くの国民に認知されることを望むとともに、地域の安定と平和を求めていきたい」と述べた。同式典は今年で5年目。来場者は180人。

 中山市長は、尖閣諸島における故・古賀辰四郎氏の事業についてふれ、「紛れもなく尖閣諸島は日本固有の領土としての歴史的な事実」と強調。尖閣諸島や周辺海域については「世界的にも貴重で豊かな生態系が形成されている」と話した。

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2015年

1月

15日

来賓席ガラガラ 自民国会議員の姿なし

 14日に石垣市が開催した「尖閣諸島開拓の日」式典に参加した国会議員は2人だけで、政権与党の自民、公明の国会議員や県選出国会議員はゼロ。翁長雄志知事も自身は出席を見送るなど、例年に比べ、来賓席はガラガラの状態だった。前年はあった安倍晋三首相のメッセージも今年はなかった。
 市は各政党の代表や県選出国会議員などに招待状を送ったが、今年参加したのは民主党の渡辺周衆院議員、次世代の党の浜田和幸参院議員のみ。12人いる県選出国会議員はいずれも欠席した。

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2015年

1月

14日

尖閣 立体模型でPR 開拓の日 きょうから展示 石垣市

14日から一般公開される尖閣諸島のジオラマを視察する関係者=13日午後、市民会館展示ホール
14日から一般公開される尖閣諸島のジオラマを視察する関係者=13日午後、市民会館展示ホール

 石垣市は、行政区域内にある尖閣諸島のジオラマ(立体模型)を製作し、「尖閣諸島開拓の日」の14日に合わせて市民会館展示ホールで一般公開する。市企画政策課は「3D模型で各島の形状や自然が確認できる」としており、広く尖閣諸島に対する認識を深めてもらう資料として活用する方針。14日には午後3時から尖閣諸島開拓の日式典を市民会館中ホールで開催する。


 尖閣のジオラマは縦、横それぞれ約2㍍。上から異なる照明を当てることで、植物の分布、ヤギによる食害の状況などを確認できる。高さ約3㍍のガラスケースに収納されている。

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2014年

12月

24日

巡視船に退去要求  中国船、また領海侵犯

 第11管区海上保安本部によると、23日午前10時ごろ、尖閣諸島(石垣市登野城)周辺の領海に中国海警局の船「海警2166」「海警2401」が相次いで侵入した。約2時間航行し、領海外側の接続水域に出た。中国公船の領海侵犯は19日以来で、今年に入り31日目。
 巡視船の警告に対し、海警2401から「釣魚島(尖閣諸島の中国名)と付属の島々は古来、中国固有の領土であり、周辺12カイリは中国の領海である。貴船は中国の領海に侵入した。ただちに退去してほしい」と応答があった。


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2014年

11月

28日

中国調査船も尖閣周辺に 海中に物体投入

尖閣周辺を航行する中国海洋調査船「海大号」(第11管区海上保安本部提供)
尖閣周辺を航行する中国海洋調査船「海大号」(第11管区海上保安本部提供)

 第11管区海上保安本部(那覇)によると、27日午前11時15分ごろ、尖閣諸島の大正島から北北西約76キロの日本の排他的経済水域(EEZ)で、中国の海洋調査船「海大号」が計5回にわたり、何らかの物体を海中に投入したのを海上保安庁の巡視船が確認した。

 巡視船が「日本のEEZで同意のない調査は認められない」と無線で中止を要求すると、海洋調査船から「中国政府の許可を得て科学調査の任務に就いている」と応答があった。

 海洋調査船は午後4時40分ごろ、物体を引き揚げた。午後6時現在、依然として大正島周辺の日本のEEZ内を航行している。

2014年

10月

22日

尖閣の遺骨収集を決議 与党「戦後処理の問題」 野党反対「非現実的」 市議会 政府に要請団派遣へ

尖閣列島戦時遭難者の遺骨収集などを求める要請決議の採決で、起立して賛成する与党=21日午後、議場
尖閣列島戦時遭難者の遺骨収集などを求める要請決議の採決で、起立して賛成する与党=21日午後、議場

 石垣市議会(知念辰憲議長)9月定例会の本会議が21日開かれ、議員提案の「尖閣列島戦時遭難事件」遭難者の遺骨収集などを求める要請決議を与党の賛成多数で可決した。提案者の伊良皆高信氏は「戦後処理の問題として遺骨を収集してほしい」と求めた。野党は「現実的ではない」などと反対し、与野党で賛否が分かれた。市議会は今後、議員団を直接政府に派遣して要請する。


 決議では政府に対し①犠牲者の遺骨を早急に収集するため、魚釣島への上陸許可と慰霊祭の援助を行う②尖閣列島戦時遭難事件の資料を収集し、資料館建設などの慰謝事業を行う―ことを求めている。あて先は首相、内閣官房長官、外相、国土交通相など。


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2014年

10月

21日

遺骨放置「受け入れられず」 尖閣で父失った伊良皆さん

尖閣に関する資料を手にしながら、遺骨収集に懸ける思いを語る伊良皆高吉さん=20日午後、八重山日報社
尖閣に関する資料を手にしながら、遺骨収集に懸ける思いを語る伊良皆高吉さん=20日午後、八重山日報社

 尖閣列島戦時遭難事件の遺族で、強く遺骨収集を求め続けている一人が伊良皆高吉さん(76)だ。伊良皆さんは事件で、父の高晨(こうしん)さん(享年54)を失った。「人間として、親父の遺骨が放置されているのを受け入れることはできない」と訴える。


 高晨さんは、尖閣で一時、カツオ節工場を経営していた古賀商店に勤務。高吉さんの姉、安さん(享年17)と疎開船に乗り込んだ。高吉さんら家族は既に台湾に渡っており、現地で合流するはずだった。


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2014年

9月

27日

中国調査船も尖閣周辺に EEZ航行中国調査船も尖閣周辺に EEZ航行

中国の海洋調査船「新実践号」(第11管区海上保安本部提供)
中国の海洋調査船「新実践号」(第11管区海上保安本部提供)

 26日午前8時37分ごろ、尖閣諸島久場島(石垣市登野城)から北約170㌔の日本の排他的経済水域(EEZ)内で中国の海洋調査船「新実践号」が航行し、ワイヤーのようなのものを海中へ伸ばしているのが第11管区海上保安本部の航空機から確認された。航空機から「日本の排他的経済水域内において同意のない調査活動は認められない」と調査の中止を要求したが、応答はなかった。「新実践号」は同日午後2時25分ごろ、久場島から北北西約175キロ付近の日中地理的中間線西側で航行しているのが確認された。


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2014年

9月

12日

中国公船、地元漁船避ける 強硬姿勢も冷静対応

中国国営テレビで放送された、尖閣周辺を航行する「海警」内部と見られる映像(上/11日)尖閣周辺をパトロールする海上保安庁の巡視船(下/9日)=仲間均市議提供
中国国営テレビで放送された、尖閣周辺を航行する「海警」内部と見られる映像(上/11日)尖閣周辺をパトロールする海上保安庁の巡視船(下/9日)=仲間均市議提供

尖閣諸島(石垣市登野城)の国有化から2年となった11日、中国公船「海警2101」「海警2166」「海警2337」「海警2350」の4隻は尖閣周辺の領海外側にある接続水域を依然として航行し、連続航行日数は34日となった。前日には尖閣周辺で領海侵犯したものの、操業中の地元漁船の近くには姿を現さず、威嚇的な行動は控えるようになっている。中国国営テレビも国有化2年を大々的に報道することは避け、強硬姿勢を維持しながら、昨年に比べると冷静な対応が目立つ。

 9日から2日間、尖閣周辺に出漁した仲間均市議らの漁船「高洲丸」は10日午後11時ごろ、石垣市の登野城漁港に帰港した。海警4隻は仲間氏の出漁に合わせるように領海侵犯したものの「高洲丸」の前には姿を現さず、約2時間後には領海を出た。

 

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2014年

8月

07日

上空調査、国の意見照会 チャーター機飛行 慎重検討

尖閣諸島周辺海域に領海侵犯した中国船(右側奥)と、警備に当たる海上保安庁の巡視船=2013年8月、仲間均市議撮影
尖閣諸島周辺海域に領海侵犯した中国船(右側奥)と、警備に当たる海上保安庁の巡視船=2013年8月、仲間均市議撮影

 尖閣諸島(石垣市登野城)の環境調査を計画している石垣市が、尖閣を空撮するため、民間チャーター機を上空で飛行させることが可能か、国に意見を照会していることが、6日分かった。昨年11月、尖閣を含む東シナ海に中国が一方的に防空識別圏を設定したため、飛行の是非を国の判断にゆだねることにした。中山義隆市長は7月、「中国との関係がこじれたり、中国が何らかの対抗措置を取ってくるのであれば好ましくない」と慎重に検討する考えを示していた。

 

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2014年

8月

07日

尖閣 棚上げで解決主張 「自衛隊で八重山守れぬ」 孫崎亨氏

尖閣や集団的安全保障をテーマに講演した孫崎享氏(6日夜)
尖閣や集団的安全保障をテーマに講演した孫崎享氏(6日夜)

 元外交官の孫崎亨氏が6日、「八重山・尖閣諸島と集団的自衛権」をテーマに石垣市内のホテルで講演し「尖閣問題は棚上げすることで解決でき、中国との関係は強化できる」と訴えた。八重山への自衛隊配備については「軍事的に日本が中国と対決して勝つ方法はない。自衛隊が離島奪還作戦をやると自滅しかない」と日本の自制を求めた。

 

 孫崎氏は「一番重要なのは、私たちは平和を望むかどうかということ。平和を望むなら、一発で解決できる」と述べ、安倍政権が尖閣問題の棚上げに応じるべきだと主張。「(争いは)これですべて終わり、あとは日中関係が良くなるだけだ」と強調した。

 

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2014年

8月

07日

中国船3隻が領海侵犯 巡視船に退去要求も

 第11管区海上保安本部によると、6日午前10時過ぎ、尖閣諸島(石垣市登野城)魚釣島北北西で中国海警局の船「海警2101」「海警2112」「海警2151」が相次いで領海侵犯した。中国公船の領海侵犯は7月12日以来で、今年18日目。

 海保の巡視船が領海から退去するよう求めたのに対し、海警2151から中国語と日本語で「釣魚島(尖閣の中国名)および付属の島々は古来から中国固有の領土であり、周辺12カイリは中国の領海である。(巡視船は)ただちに中国領海から離れてほしい」と応答があった。

 3隻は午後零時過ぎ、相次いで領海から出たが、3時現在、魚釣島の領海外側にある接続水域を航行している。

 中国公船は7月30日、尖閣周辺の接続水域をいったん出ていたが、3隻は5日夕、久場島周辺から相次いで接続水域に入っていた。

2014年

8月

02日

尖閣の離島など名称発表 八重山は8島に命名 中国にらみ領海保全

総合海洋政策本部ホームページより
総合海洋政策本部ホームページより

 政府の総合海洋政策本部(本部長・安倍晋三首相)は1日午後、日本の領海や排他的経済水域(EEZ)の範囲を決める根拠となる離島のうち、尖閣諸島(石垣市登野城)を含む名称のない158の無人島に名前を付け、同本部のホームページ上で公表した。八重山の離島では8島が新たに命名された。海洋進出を活発化させる中国をにらみ、離島の日本帰属を明確にすることで、領海や海洋資源の保全と安全保障の強化を図るのが狙い。

 

 八重山の離島では、尖閣諸島の南小島周辺の2島に「南東小島」「南西小島」、久場島周辺の3島に「東小島」「南東小島」「西北西小島」、石垣島周辺の小島に「白保東小島」、与那国島周辺の2島に「新川鼻東小島」「馬鼻崎南西小島」と命名した。

 

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2014年

6月

17日

「異常接近」住民にも大問題 八重山呑み込む〝防空識別圏〟

 写真の地図は、日本の自衛隊機と中国軍機の異常接近を報じる中国国営テレビ(CCTV)の映像である。異常接近は、この赤いワク内の公海上で起きた。この赤いワクこそが、中国が主張する「防空識別圏」である。アナウンサーはこう伝えた。

 

 「中国空軍が中国の防空識別圏で通常のパトロールを実施中に、日本の自衛隊機が中国軍機を追跡した。中国のパイロットはプロフェショナルで知性的だったが、自衛隊機は危険で挑発的な飛行を行った」

 

 

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2014年

6月

10日

尖閣接近、海保が阻止 「頑張れ」港に引き返す

尖閣海域を目指して出港した「第一桜丸」。このあと沿岸から20カイリの海域で引き返した=8日午前、登野城漁港
尖閣海域を目指して出港した「第一桜丸」。このあと沿岸から20カイリの海域で引き返した=8日午前、登野城漁港

 頑張れ日本!全国行動委員会の船2隻は8日、尖閣諸島の実効支配をアピールする漁業活動のため登野城漁港から出港したが、沿岸から20カイリ(約37㌔)の海域に到達したところで引き返した。乗船した水島総幹事長によると、海上保安庁の巡視船数隻が進路をふさぎ、尖閣方面への接近を阻止した。


 水島氏は帰港後、「(尖閣への接近阻止が)安倍政権の意図であるなら国民に説明するべきだ」と指摘した。8月には尖閣遭難事件の海上慰霊祭を開くため、再度、尖閣周辺海域への出港を目指すとしている。

 

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2014年

6月

08日

水産庁、尖閣出港を阻止 漁業者以外の乗船認めず

尖閣出港を阻止され、水産庁の職員(右)に説明を求める水島幹事長=7日午後、登野城漁港
尖閣出港を阻止され、水産庁の職員(右)に説明を求める水島幹事長=7日午後、登野城漁港

 尖閣諸島(石垣市登野城)周辺での漁業活動を通じ、日本の実効支配をアピールしている「頑張れ日本!全国行動委員会」の漁船3隻が7日、登野城漁港から尖閣周辺へ出港しようとしたが、水産庁の職員に阻止された。「頑張れ」はこれまで、漁業名目で18回、尖閣周辺に出港しているが、政府に阻止されたのは初めて。水産庁は漁業者や漁業従事者(漁師見習い)以外が漁船に同乗することを認めない方針に転じ、今年4月1日付で都道府県知事に通知している。「頑張れ」は8日も出港を試みる。

 

 当初、「頑張れ」が所有する漁船やチャーター船3隻に政治家やマスコミ関係者など8人が「漁師見習い」として分乗し、出港する予定だった。乗船予定者はこの日午前5時ごろ、登野城漁港に集合した。

 

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2014年

6月

08日

「中国を取り締まれ」 政府方針の矛盾に批判 尖閣出港阻止

 「頑張れ日本!全国行動委員会」の尖閣諸島周辺への出港が7日、阻止された。尖閣周辺では中国公船が連日、航行を続けており、6日にも今年13回目の領海侵犯があったばかり。一方で日本の実効支配強化を目指す活動が抑え込まれる事態に、乗船予定者からは「こっちを取り締まるより、中国公船を取り締まってほしい」(長尾敬前衆院議員)などと政府方針の矛盾を突く声が上がった。


 漁船には本来、漁業者や漁業者に雇用される漁業従事者しか乗船できないが、過去、「頑張れ」の漁業ツアー参加者には、一般人のほか、政治家やマスコミ関係者なども含まれていた。この場合、参加者は漁業従事者である「漁業見習い」の名目で乗船し、水産庁や海保も黙認してきた経緯がある。

 

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2014年

5月

12日

歴史も日本主張を裏付け 尖閣有史480周年で講演 石井望氏

「尖閣問題のカギは歴史」と訴える石井望准教授の話に耳を傾ける聴衆=11日午後、健康福祉センターの視聴覚室
「尖閣問題のカギは歴史」と訴える石井望准教授の話に耳を傾ける聴衆=11日午後、健康福祉センターの視聴覚室

 尖閣有史480周年を記念する講演会(主催・集広舍、後援・八重山日報社)が11日、健康福祉センターで開催された。テーマは「尖閣諸島の争点は歴史か国際法か」。講師を務めた長崎純心大学の石井望准教授は「尖閣問題のカギは歴史。琉球国、中国双方は元来、尖閣諸島を含まない国境線を引いていた。1895年に日本が無所属の島を国土に編入。国際法上においても尖閣諸島が中国の領土であるという史実はない」と訴えた。会場に訪れた地域住民ら約35人は、熱心に耳を傾けていた。

 

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2014年

2月

06日

操業ルールに漁業者不満 日台協定問題で説明会 

 水産庁と県は5日、石垣島と尖閣諸島の間にある三角形の水域で、新たに策定された日台漁船の操業ルールについて、八重山漁協で地元漁業者に説明した。この海域の一部では、日本漁船が操業する際、台湾側は漁船間に4マイルの間隔を空けることが定められたが、日本側は操業5日前までに台湾側へ通報することが義務付けられた。参加者した漁業者からは通報制度などをめぐって不満が続出し、途中退席も相次いだ。

 

 

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2014年

1月

22日

「尖閣で政府主催慰霊祭を」 戦後70年で要望へ 遭難事件で伊良皆議長

 石垣市議会の伊良皆高信議長は21日、八重山日報社のインタビューに応じ、戦後70年の節目となる2015年に、尖閣列島戦時遭難事件の慰霊祭を魚釣島で開催するよう政府に働き掛ける意向を示した。魚釣島では1969年、石垣市が慰霊碑を建立し、慰霊祭を開催したが、その後は中国などの反発に配慮し、現地での慰霊祭開催を見送っている。

 

 伊良皆議長は「戦後70年を迎えるに当たって、遭難者のみ霊を慰めたい。政府主催の慰霊祭を魚釣島で開催できるよう取り組みたい」と述べた。
 死者を悼む気持ちは万国共通であり、他国による慰霊祭の批判は人道的に許されないとの認識を示した。

 

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2014年

1月

16日

尖閣「接近禁止」か 全国紙報道、地元で波紋

一般人が乗り込んだ漁船(右端)、日本の巡視船、中国公船(左端)が入り乱れる尖閣海域(昨年6月)=仲間均市議提供
一般人が乗り込んだ漁船(右端)、日本の巡視船、中国公船(左端)が入り乱れる尖閣海域(昨年6月)=仲間均市議提供

 漁業者以外の一般人が「漁業」名目で漁船に乗り込み、尖閣諸島海域に出港することを政府が法規制する方針だと全国紙が報じ「尖閣の地元」石垣島でも波紋が広がっている。尖閣の実効支配アピールや取材のため、一般人が漁船をチャーターして出港する行為も規制され、尖閣には事実上、漁業者以外は「接近禁止」となる可能性が大きいためだ。

 

 

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2014年

1月

09日

領土編入以前の尖閣諸島における熊本県人の活動㊦ 尖閣諸島文献資料編纂会 國吉 まこも

 南島探験より無人島(尖閣諸島)への航路が記されている略図。
 南島探験より無人島(尖閣諸島)への航路が記されている略図。

 ▽読売新聞が報じた熊本県漁業集団「図南軍」の活躍記事より
 「図南軍」とは熊本県より尖閣諸島を目指して遠征してきた漁業者集団の呼称である。野田正、山隈惟男をリーダーに十数名の天草漁夫で結成され、2艘の漁船を有す。


 伊沢弥喜太と、この図南軍との直接の関係は見出せない。伊沢は西表での見聞より尖閣を目指すことになったが、野田らは熊本県にいながら尖閣を有望な漁場であると認め出発している。両者の出発点は全く別であることに注意を払わなければならない。


 図南軍の活動が、東京で発行される読売新聞(1893年9月より1894年2月、4回に亘る)でも報道されている事も興味深い点であるが、これは同年9月15日より発刊された琉球新報の報道に因るものであると筆者は考えている。根拠は、同じ頃の九州日日新聞に図南軍の活動記事について、琉球新報によるとの説明があるからである。ともかく、この漁業集団の活動を簡単に紹介したいと思う。


 6月13日の九州日日新聞特別広告欄で、野田正、山隈惟男の両氏が今回図南の壮挙を企画したので送別会を鎮西館で行う旨の告知がなされている。送別会がどの様なものだったか、記事がないので知る由もないが、その後の8月8日尖閣諸島目指して熊本を出発したことが同紙に報じられ、その後、島原を経て鹿児島に15日着し、17日には奄美大島に向かう予定であるとの続報がなされている。


 8月31日夜、図南軍の一行は那覇港に到着。翌9月1日には笹森儀助と面談している事が『南島探験』に記されている。同書によると野田らの計画は当初より沖縄県当局に知られ、本島滞在の節は有志者よりの饗応が屡々なされたそうである。


 読売新聞の記事によると、奈良原知事もその一人であったようである。知事は一行を旧御物城に招いて酒宴を開き―壮快なる図南軍の発途を送るの演説を為し、次に自ら薩摩琵琶の一曲を声高らかに朗吟し、夫より船旗授与式を行い、漁船二艘に、第一舜天丸、第二舜天丸の名を命じ、終て酒杯の間に豪談し、翌一日右一行は風雨に乗じて那覇港を発し激浪怒涛を衝いて、尖閣群島に向かいたりと。―


 八重山に無事着した一行は、石垣島近海で第一舜天丸による試漁を実施したところ、立ちどころにサメ20尾以上を漁獲したという。そうして順風を待ち、9月30日魚釣島へ向けて石垣島を出帆した。その後、尖閣での試漁を終えた一行は石垣島に帰帆。野田、山隈の両氏は漁獲による製造品(鱶鰭、油、魚肚、干肉、干皮など)を携えて、汽船大有丸で本島那覇に帰港、尖閣遠征の結果を県庁に報告した。図南軍が製した品々を見た県庁の人々及び在覇の商人等は、その見事さに感嘆したという。


 さて、この野田ら図南軍の活動は、別方面に波及する事となる。その後の1894年2月の読売新聞記事によると、野田の報告―(尖閣諸島は)水産の利、拓殖の便は勿論、地味米麦に適し、島中所々に淡水湧出するが故に人類の生活に差支えなけれども、未だ何人も移住せし模様なく、又何国の版図に附属せるの形跡もなしと云えり。―この報告を受けた県庁では、内務省に照会(すなわち冒頭に記した1893年11月2日付の領土編入上申である)し、それに応える形で時の政府は1895年1月14日付で尖閣諸島領土編入を正式に閣議決定した。


 奇しくも伊沢の活動は領土編入後の尖閣諸島開拓へとつながり、図南軍の活動は尖閣諸島の領土編入へとつながった事になる。故郷熊本を遠く離れ、ここ八重山、そして尖閣諸島に影響を与えた2つのケースを想っていただければ幸いです。(おわり)

2014年

1月

08日

領土編入以前の尖閣諸島における熊本県人の活動㊥ 尖閣諸島文献資料編纂会 國吉 まこも

 写真は1908年ごろ撮影された久場島での一コマ。中央の母娘(長女真伎1901年生)と左隣に写る父弥喜太。
 写真は1908年ごろ撮影された久場島での一コマ。中央の母娘(長女真伎1901年生)と左隣に写る父弥喜太。

 与那国を経由する理由は、同島より永井が手配していた食料―米俵を受け取るためである。
 与那国からは1昼夜で尖閣に航したそうである(11月9日午後1時出帆、翌10日午前8時魚釣島着)。無動力の帆船時代とはいえ、順風を得れば八重山からはそう遠くない島々であった事が窺えよう。


 無事島に上陸した伊沢らは直ちに海岸に漂着する木材で2軒の小屋を仕立て、風雨を凌ぐ準備を整えた。島には水が湧き出で、野生の大根等の野草も少なからずあり、アホウドリ、カツオドリを始めとする海鳥、野鳥が群生しており、食料調達については問題なかったようである。


 殊にアホウドリは夥しく群生―遠く之を望めば全島白紙をはり廻わしたる如く、到る所信天翁ならざるなし。山に入らんとするときは、木片を以て之を払い除かざれば通行するを得ず。手を以て之を捕ゆるに、其易きこと、落ちたる物を拾うが如く、其実際は決して想像の及ぶ所に非ず。―


 当時、魚釣島でのアホウドリは取り放題であった。記事によると、当時その羽毛は1kg当り25円程度で取引されたという。伊沢は同行の糸満人に命じて、1日アホウドリ捕獲に専念させた所、彼は日の暮れる前に千羽以上のアホウドリを捕獲したそうである。領有後の久場島におけるアホウドリ捕獲状況を琉球新報(1900年6月25日付『無人島の遺利』)が報じているが、この時は1日で300羽とある。当時の魚釣島はアホウドリの一大繁殖地であり、おそらく久場島の及ぶ所ではなかったのであろう。


 伊沢は羽毛を採取する傍ら、その肉を燻製干肉に製して、八重山に送ったところ「余程旨かりし」との好評を得た。また島での食事の際、肉を煮て卵とじ(アホウドリの親子丼か)にすれば頗る美味だと述べている。


 漁業については、サメ、サワラ類が豊富なこと、また近海に出れば30kg前後のアラ(ミーバイの1種か)も立ちどころに数本釣れたそうである。周囲はカツオの群れも夥しく、試みにカツオ節を製したところ、頗る見事な節を得た。が、渡島の主なる目的はアホウドリの羽毛であったので、漁獲物については余技に留まり八重山に送ることはなかったという。


 明治26年の渡島の際に、伊沢は羽毛採取に留まらず、漁業においても活動しようと計画を立てた。必要な漁具についてはのちに石垣島より送致する確約を松村、永井から得て、糸満人と出稼人を率いて渡島し羽毛採取に取りかかった。が、待てど暮らせど石垣島より約束の漁具は届かない。


 業を煮やした伊沢は同年4月頃、一旦魚釣島を糸満人と共に出帆、石垣島に帰島し松村等に面会する。事情を聞いたところ、漁具については手筈が整わず準備出来ていないことを知る。ともかくも島に残した出稼人を迎えに行くことに決し、6月4日船頭として雇った鹿児島県人満石、有川2名を伴い、尖閣目指して石垣島を出帆した。


 当初、海上は少し時化ているも、嵐の襲ってくる様子はなく、翌日には魚釣島に付く筈であったが、夜が明けても眼に入るのは大海原のみである。翌6日、遠く西方にぼんやりと島の姿が見えた。これは台湾に違いないと船の進路を向けるが、嵐の襲来に遭い、ここに至って伊沢の船は完全に遭難することとなる。石垣島を出帆して漂流する事10日間。6月14日船は中国大陸清国温州府に属する1孤島に流れ着いた。


 清国に漂着した伊沢ら一行は、一路福建省を目指すも、その間に再度の漂流や同国地方官吏の懇切丁寧な応対、同地日本人団体の援助もあって、冒頭に記した様に、無事帰国。長崎港へと降り立つわけだが、今回はその部分は割愛させていただく。一つ言うならば、地方官吏の伊沢らへの応対は、清国領土である無人島尖閣で、許可を得ることなく、不法に羽毛採取及び漁業等を行った者に対するそれとは思えないものである。


 なお、記事の中で、伊沢は再度沖縄県八重山に渡り、尖閣での活動を続ける決意を述べているが、有言実行、尖閣の領土編入後は古賀辰四郎による同諸島開拓の一翼を担う事になる。また、魚釣島に残された出稼人はその後、夜光貝採取で渡島した別の糸満人らによって保護救出されていることも付記する(南島探験より)。


 余談だが、1856(安政3)年生の伊沢はこの年37才。未だ独身であったが、尖閣での開拓の間に妻を娶り、久場島で2人の娘を授かったそうである(高橋庄五郎著『尖閣列島ノート』より)。
 さて、話は変わって、伊沢ら3人が長崎港に降り立った9月11日を遡る事10日、9月1日、沖縄本島那覇港には尖閣を目指す熊本県人の集団の姿があった。彼らの名は「図南軍」という。(つづく)

2014年

1月

07日

領土編入以前の尖閣諸島における熊本県人の活動㊤ 尖閣諸島文献資料編纂会 國吉 まこも

画像は九州日日新聞10月8日付2面より
画像は九州日日新聞10月8日付2面より

 今年も尖閣諸島開拓の日式典が開催されるが、これは1895年1月14日付の閣議決定にちなんだものである。開拓の日と名付けられてはいるが、この日付を以て尖閣諸島の開拓が始まったというわけではない。閣議決定の文面を読めばわかることだが、同諸島で漁業を試みる者が現れた結果、明治政府は領土編入したわけである。


 同諸島における人々の営みは領土編入以前から開始されており、時の政府がこれを追認した日付に過ぎない、これを念頭に入れて置かなければ、式典を開催する意義も半減する事は言うまでもない。


 さて、政府の閣議決定は沖縄県の要請―具体的には明治26年11月2日付の沖縄県上申に応える形で為されたものである。明治26年頃の尖閣諸島における漁業状況、人々の活動とはどういうものであったか、同年沖縄諸島を訪れた笹森儀助の名著『南島探験』による記述は広く知られるところだが、もう少し具体的な記述が当時の新聞記事に見られるので、簡単にではあるがこれを紹介することで尖閣開拓の日に手向けたいと思う。


 ▽伊沢弥喜太による『漂流談』より
 これは1893年10月、九州日日新聞に掲載された5回に渡る連載記事である。熊本県人の伊沢は1891年・1893年の領土編入以前、2度尖閣においてアホウドリ羽毛採取及び漁業活動に携わった経験を持つ。九州日日の連載記事を下敷きに、他幾つかの資料を交えて、同時期の尖閣諸島における人々の活動を紹介したいと思う。


 1893年9月11日、清国上海より入港した郵船横浜丸より長崎港に降り立った3人の漂流人たちがいた。鹿児島県指宿の人満石良助、同県悪石島の人有川岩助、そして熊本県宇土郡住吉村の人伊沢弥喜太である。


 記事によると、伊沢は1891年頃から沖縄県八重山島より尖閣諸島に渡航して、陸海の物産採獲事業を営んでいたが、のちの1893年6月4日尖閣を目指して石垣島を出帆した際に運悪く海上暴風に遭い、清国に漂着。種々の苦労を経ながらも、清国地方官吏の懇な応接により、無事祖国に送還される事となった。


 ここで、そもそも伊沢が何故沖縄及び八重山に来る事になったかを略述する。伊沢は1885年5月熊本鎮台分遣隊の看護兵として、沖縄県に赴任した。その後は翌1886年県立病院の薬局に転職、翌1887年には三井西表炭坑所属の薬局に職を替えるも、同炭坑は1889年末に一時閉鎖される。勤め先を失った伊沢は沖縄本島国頭の病院に職を得るが、熊本より父が急病との知らせを受け、急遽帰郷。その看病は予想以上に長期に渡り、翌1890年沖縄に戻ったものの、同病院の職を辞さざるを得なかった。


 伊沢が西表炭坑に務めていた時、尖閣の事を耳にしたという―台湾を距る遠からざるの所に、児場島と称する無人島あり。信天翁群族せり。嘗て人あり。其鳥の羽毛を抜きて之を横浜に送りしに、頗る外人の好評を得たり。又た其周囲の近海には魚族群生して漁獲の利、甚だ多し―。


 職を失した伊沢は八重山西表島に立ち寄るも同炭坑は以前閉鎖状態である。この時に至り伊沢の脳裡にアホウドリが群れる尖閣の島が思い起こされたのだろうか、―余は一びは探検の為め之れ(※尖閣)に渡航せんと志しも、時期未だ至らず、準備熟せざりしかば、遂に其志を達するを得ず。常に以て憾みと為せしが、幸いにして今回は炭鉱事務所員三谷伊兵(※正しくは伊兵衛か)、鹿児島人松村仁之助、同永井喜左衛門(※南島探験には喜右衛門とある)の三人、余の志を賛じて其計画を助けんと誓えり―。


 三谷、松村、永井という3人のパトロンを得た伊沢は、炭坑で使用されていた石炭積み船(5t)及び資金の提供を受け、八重山に遠征していた糸満人6人(サバニ一艘、サバ釣船1艘)を伴い尖閣を目指すこととなった。1891年8月、石垣を出帆した伊沢らは、まず西表に渡り、そこから与那国を経て、尖閣に渡った。(つづく)

2013年

11月

24日

高洲丸を「恐れる」中国公船 一時追尾、すぐ姿消す

尖閣諸島の魚釣島周辺を航行し、警戒に当たる日本の巡視船(仲間市議提供)
尖閣諸島の魚釣島周辺を航行し、警戒に当たる日本の巡視船(仲間市議提供)

 尖閣諸島の南小島周辺を22日に航行した石垣市の漁船「高洲丸」が23日未明、石垣島に戻った。乗船した仲間均市議によると、中国海警局の船は一時、南小島周辺で高洲丸を追尾したものの、20分ほどで姿を消したという。仲間氏は「中国公船は、高洲丸を完全に避けている感じだ」と語った。
 高洲丸は漁のため21日夜に登野城漁港を出港し、尖閣周辺に向かった。22日午前4時ごろ、周辺にいた「海警」が高洲丸の追尾を開始。海保から「南小島の北に進路を取り、中国公船を回避してほしい」という無線連絡があった直後、海警は追尾をやめたという。

 

 

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2013年

11月

20日

離島防衛訓練が終了 主力部隊の撤収開始 自衛隊

部隊の撤収が始まり、民間の輸送船に搬入される自衛隊の車両=19日午前、新港地区
部隊の撤収が始まり、民間の輸送船に搬入される自衛隊の車両=19日午前、新港地区

 石垣市新港地区で6日から実施されていた自衛隊の訓練が終了し、19日、主力部隊が撤収を開始した。撤収作業は21日まで続く。


 新港地区には九州の地対艦ミサイル連隊など約200人が展開し、野営しながら通信訓練などを実施してきた。

 

 訓練は18日に終了。19日には、民間の輸送船に隊員約80人が乗り込んだほか、車両約30台も搬入された。

 

 

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2013年

11月

09日

「軍靴の音 急加速」 自衛隊訓練に抗議声明 平和憲法連絡協

自衛隊の訓練に対する抗議声明を発表する平和憲法を守る八重山連絡協議会=8日午後、官公労共済会館
自衛隊の訓練に対する抗議声明を発表する平和憲法を守る八重山連絡協議会=8日午後、官公労共済会館

 平和憲法を守る八重山連絡協議会(渡辺賢一会長)は8日、官公労共済会館で記者会見し、石垣市新港地区で実施されている自衛隊の訓練に対する抗議声明を発表した。尖閣諸島をめぐり日本と中国が一触即発の状況にある中、訓練で「これまで以上に緊張が高まることは必至」と批判した。9日には抗議集会も開催する。

 

 

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2013年

11月

07日

新港地区に陸自部隊展開 離島防衛 18日まで訓練

民間の輸送船から続々と下船する自衛隊員=6日午後零時過ぎ、新港地区
民間の輸送船から続々と下船する自衛隊員=6日午後零時過ぎ、新港地区

 陸海空3自衛隊の訓練の一環として、陸上自衛隊の第5地対艦ミサイル連隊(熊本)、第7高射特科群(長崎)を主力とする部隊約110人が6日、民間の輸送船で石垣港に到着し、新港地区で宿営を開始した。18日まで新港地区に展開し、通信訓練などを行う。


 離島防衛を想定した訓練で、尖閣諸島問題をめぐり、挑発行為を激化させている中国が念頭にあると見られる。ただ統合幕僚監部は「特定の国を想定した訓練ではない」としており、地対艦ミサイルは島内に搬送していない。

 

 

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2013年

11月

06日

ミサイル部隊 きょう展開 離島侵攻に対処 地元「特需」も 新港地区

 陸海空3自衛隊が総勢3万4千人を動員し、1日から九州、沖縄各地で実施している訓練で、陸上自衛隊の地対艦ミサイル部隊など200人規模の隊員が6日、民間のチャーター船で石垣市に入り、新港地区に展開する。他国の離島侵攻に対処するための訓練で、尖閣諸島問題をめぐり、挑発行為を繰り返す中国が念頭にあると見られる。地対艦ミサイルは石垣市に持ち込まず、主に通信訓練などを行う。

 

 

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2013年

11月

05日

尖閣紛争「沖縄が最前線」 訓練報道で中国が警告 

 1日から九州、沖縄で始まった陸海空3自衛隊の訓練に対し、中国メディアが反発を強めている。中国国営放送のニュース番組はトップで「釣魚島(尖閣の中国名)を含めた離島奪還訓練」と報道。「釣魚島の紛争では沖縄が最前線になる」と警告した。


 訓練は石垣島でも実施され、6日以降は新港地区に200人規模の部隊が展開する予定。那覇と宮古島の自衛隊基地では地対艦ミサイルも配備される。

 

 

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2013年

10月

02日

中国船、トラブル避ける 領海侵犯も漁船威嚇せず

石垣島に帰港した「頑張れ日本!全国行動委員会」のチャーター船(1日午後3時過ぎ)
石垣島に帰港した「頑張れ日本!全国行動委員会」のチャーター船(1日午後3時過ぎ)

 民間団体「頑張れ日本!全国行動委員会」の漁船2隻が1日、尖閣諸島海域で漁を行った。中国海警局の船4隻が領海侵犯し、一時、漁船の近くまで迫ったが、漁の妨害行動はせず、約2時間後に領海から退去した。「頑張れ」の水島総幹事長は「中国公船はトラブルを避けたのだろう」との見方を示した。

 

 第11管区海上保安本部によると、中国海警局の船「海警1126」「海警2113」「海警2146」「海警2151」は午前9時ごろ領海侵犯した。昨年9月の尖閣国有化後、領海侵犯は計67日。

 

 

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2013年

10月

01日

漁業で実効支配アピール 「頑張れ」の漁船出港 尖閣海域

 民間団体「頑張れ日本!全国行動委員会」の漁船4隻が30日午後10時過ぎ、新川漁港から尖閣諸島海域に出港した=写真。水島総幹事長、長尾敬前衆院議員ら8人が乗っており、漁業活動で日本の実効支配をアピールする。

 

 

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2013年

9月

29日

欧州でも「尖閣は沖縄」 明治元年のドイツ地図に記載

1869年刊 ハンド・アトラスより 中央上寄りに尖閣諸島 東京大学総合図書館蔵(5298948)
1869年刊 ハンド・アトラスより 中央上寄りに尖閣諸島 東京大学総合図書館蔵(5298948)

 明治元年(1868年)にドイツで製作された地図が、尖閣諸島の西側に日本の境界線を描いていたことが分かった。長崎純心大の石井望准教授は「西洋人は古くから、尖閣諸島を先島諸島に付随する島として認識していた」と指摘。尖閣が日本領であることの認識が欧州でも歴史的に定着していた証拠として注目している。

 

 地図の存在は、民間研究者の伊井茂氏、石井氏、東京大理学部助教の赤染康久氏の共同研究で明らかになった。
 地図はドイツの地図製作の大家、アドルフ・シュティーラーの名義で発行されていた「ハンド・アトラス」(小地図帳)の中の「中国・朝鮮・日本図」。図上では尖閣の西北側から与那国島の西側を経て、台湾の緑島(りょくとう、旧火焼島)の西南側まで点線が引かれ、日本と同じ薄青色に彩色されている。

 

 

 

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2013年

9月

22日

「古地図」で強引な領有主張 石井准教授が反論 尖閣で中国

【地図説明】(仏)ダンビル製作、1752年、Seconde partie de la carte d'Asie(アジア図第二)ラムゼー・コレクション(2603006番)より(www.davidrumsey.com)・中央やや上に「HAOーYUーSU」とある。尖閣と先島諸島と台湾東岸が黄土色、台湾西岸以西が桃色に近い。同コレクションは他に5749003・4607050・2310070・6830072各番でも中国は先島及び尖閣と異なる色。(石井准教授調べ)
【地図説明】(仏)ダンビル製作、1752年、Seconde partie de la carte d'Asie(アジア図第二)ラムゼー・コレクション(2603006番)より(www.davidrumsey.com)・中央やや上に「HAOーYUーSU」とある。尖閣と先島諸島と台湾東岸が黄土色、台湾西岸以西が桃色に近い。同コレクションは他に5749003・4607050・2310070・6830072各番でも中国は先島及び尖閣と異なる色。(石井准教授調べ)

 中国新華社が発行する「毎日経済」が20日、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)が中国に属する証拠」と題し、261年前の古地図を紹介する記事を掲載。インターネットなどで話題になっている。これに対し長崎純心大の石井望准教授が21日、「中国側の主張は完全に誤り」と反論した。

 

 ―ヤフーのトップ見出しは「尖閣は中国領? 261年前の地図」となっていました。これはどのような地図でしょうか。
 「フランス人製作の1752年の古地図とのことですから、地図学者ダンビル(1697―1782)製作の「アジア地図第二部分」(1752年)を指すと思われます。別段新発見ではありません」


 ―中国領だとしている根拠は何ですか。
 「図の中に魚釣島がローマ字で「HAO YU SU」と表記されています。これが福建南部の漢字音だとしています。中国の研究者の間では、清国の福建南部の漁民が尖閣海域で操業した証拠だとするのが一般的な主張です」


 ―その主張は正しいのですか。
 「完全に誤りです。このローマ字は福建音でなく、北方音です。少し前の1719年に清朝から沖縄に派遣された使節徐葆光(じょほうこう)が琉球紀行を出版し、その中で「釣魚嶼」(ちょうぎょしょ)が記録されました。その後フランスの宣教師ゴービルが北京に居留した期間に、徐葆光の釣魚嶼を北方標準音で「TIAO YU SU」と表記しました。その「TIAO」(釣)の筆画が誤って「HAO」となり、ヨーロッパで流布することとなったわけです」


 ―なぜ福建音でなく北方音だと分かるのですか。
 「魚を「YU」と読むのは典型的な北方音です。福建南部ならば「ヒー」と読みます。また「SU」は一見すると福建南部の「スー」という読みと似ていますが、正しくは現在のローマ字で「XU」と表記される北方音です。その証拠に徐葆光の徐(現代表記XU)をゴービルは同じ「SU」で記しています。福建漁民とは無縁の話です」


 ―福建でなく北方の音でも、中国領有の証拠になりませんか。
 ―なりません。例えば現在でも「沖縄」は中国語で「CHONG SHENG」と表記され、「八重山」は中国語で「BA CHONG SHAN」と表記されますが、日本領です。漢字をただ中国語で読んだだけです。
 ―ゴービルが基づいたのが清国の徐葆光の琉球紀行だということは、中国有利ではありませんか。
 ―逆です。徐葆光の書き記した「釣魚嶼」という漢文名は、はるか前の1534年に琉球国王派遣の公務員の案内で明国使節団が尖閣海域を渡航した時の記録が最古です。「釣魚嶼」は琉球国側による命名と推測されます。


 ―1534年の後、1719年の徐葆光は既に中国領と認識していた可能性は有りませんか。
 「有りません。徐葆光の時は、福建の海岸を離れてすぐその夜に、早くも水先案内人を福建人から琉球国公務員に交替させます。清国領海内であるならば、琉球国側が水先案内をすることは常識的に有り得ませんから、清国領外と認識していたと推測できます」


 ―推測では弱くありませんか。
 「根拠はまだ有ります。徐葆光及びダンビル図より後の1787年に成立した「皇朝通典」第60巻によれば、清朝の初めの1644年以来の規定で、朝貢使節の帰国時に国境から送り出すことになっています。そして北京故宮の「中琉歴史関係档案」(中国档案出版社)には、ほとんど毎年のように、琉球の朝貢使節の帰国時に福建沿岸数キロメートルの五虎門まで送ったことを記録します。これにより国境は福建沿岸だったことが証明されます。尖閣は領土外だったと確定しています」


 ―中国側がこの程度の無意味な史料で主張するのはなぜですか。
 「領有を示す史料がないからです。中国ではこのような180度誤った史料による主張が日常的に横行しています」

 

2013年

9月

12日

高洲丸、尖閣海域へ 伊良皆議長ら乗船

尖閣海域へ出港する高洲丸=11日午後10時ごろ
尖閣海域へ出港する高洲丸=11日午後10時ごろ

尖閣諸島国有化から1年となる11日、石垣島の漁船「高洲丸」(高江洲正一船長、4・8㌧)が登野城漁港から尖閣海域へ出港した。市議会の伊良皆高信議長、仲間均市議と高江洲船長が乗り込んでいる。


 13日まで尖閣海域で操業する予定。伊良皆議長は、尖閣国有化後、中国の領海侵犯が繰り返されている現状について「中国の傍若無人さに憤りを感じている。尖閣の現状を見て来る」と話した。

 

 

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2013年

9月

10日

国有化1年で挑発 中国船8隻が領海侵犯 尖閣海域から「テレビ中継」

10日、「海警指令センター」から生中継しているとされる中国国営放送のキャスター。尖閣周辺の海図を使い「海警」と日本の巡視船の位置を説明している(中国国営放送のテレビ画面より)
10日、「海警指令センター」から生中継しているとされる中国国営放送のキャスター。尖閣周辺の海図を使い「海警」と日本の巡視船の位置を説明している(中国国営放送のテレビ画面より)

 第11管区海上保安本部によると、10日午前10時半ごろから午後2時半ごろまでに、尖閣諸島(石垣市登野城)周辺の領海に中国海警局の船8隻が相次いで領海侵犯した。8隻の領海侵犯は4月23日と並ぶ過去最多の隻数。11日の尖閣国有化1年に合わせた挑発行為と見られる。中国国営放送は、尖閣国有化1年を大きく伝え、「海警」から生中継の映像を配信。尖閣海域について「中国の管轄海域だ」と繰り返し伝えた。8隻は午後5時までに領海から退去した。

 

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2013年

9月

08日

尖閣 インフラ整備求める 国土利用計画案まとまる 石垣市

尖閣諸島の南小島(石垣市提供)
尖閣諸島の南小島(石垣市提供)

 今後10年の土地利用のあり方を定める「石垣市国土利用計画」の第3回策定委員会(委員長・池田孝之琉球大名誉教授、委員14人)が7日、市役所であり、素案を取りまとめた。尖閣諸島については、周辺海域が豊かな漁場であることを挙げ「漁業振興に資する漁港や気候観測所などのインフラ整備が求められている」と初めて指摘した。今月中にもパブリックコメント(市民意見募集)や住民説明会を行い、11月に同計画案を市長に答申するスケジュールで策定作業を進める。

 

 計画案では石垣市を北部(伊原間、平久保)、西部(崎枝、川平など)、中部(名蔵など)、東部(宮良、白保など)、南部(四カ字など)、尖閣諸島の6地域に分け、それぞれの土地利用の基本方針を示した。

 

 

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2013年

9月

02日

中国公船の動きに「意図」 実効支配打破狙う 尖閣周辺

 政府が尖閣諸島(石垣市登野城)を国有化して今月11日で1年。中国公船は「パトロール」と称して尖閣周辺での航行を常態化させている。中国公船が初めて領海侵犯した2011年8月から現在までの動きを振り返ることで、尖閣周辺での中国の動きには「意図」があることが浮き彫りになってくる。「日本の実効支配打破」(中国当局者)を目指す強い決意がうかがえる。

 

 中国公船が初めて領海侵犯したのは2011年8月24日。八重山地区では前日、尖閣が日本の領土であることを詳述した育鵬社版が中学校公民教科書に選定され、マスコミで大きく報道されていた。中国公船の動きは、八重山教科書問題に反発した示威行為の可能性がある。

 

 

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2013年

8月

30日

「尖閣は国の一大事」 小島教諭が現地調査

 静岡県立大経営情報イノベーション研究科の小島茂教授が尖閣諸島問題の調査で21日から石垣市を訪れ、関係者と意見交換している。小島教授は「尖閣諸島は小さいが、国の一大事だ。日本を守るため、国民が危機意識を持つ必要がある」と強調する。

 

 

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2013年

8月

28日

中国公船「逃げた」 尖閣出漁の仲間氏

25日、尖閣周辺の接続水域を航行する中国海警局の船「海警2151」(仲間均市議提供)
25日、尖閣周辺の接続水域を航行する中国海警局の船「海警2151」(仲間均市議提供)

尖閣海域に出漁した漁船「高洲丸」は26日、石垣島に戻った。乗船した仲間均市議によると、中国公船は高洲丸の近くに現れたものの、操業を妨害することはなく、30分ほどで去ったという。仲間氏は27日、報道陣に対し「中国公船は、われわれを見て逃げた」と強調した。


 高洲丸は25日午後1時ごろ、登野城漁港を出発し、6時ごろに魚釣島周辺に到着。海保の巡視船から「中国公船が接近している」という連絡があり、6時半ごろ、接続水域に中国海警局の船3隻の姿が見えたという。

 

 

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2013年

8月

26日

高洲丸、尖閣へ出漁 中国船が妨害の可能性

 尖閣諸島(石垣市登野城)周辺に出漁することで日本の領有権をアピールしようと、仲間均市議らが25日、漁船「高洲丸」(4・8㌧)で登野城漁港から出港した。


 台風接近のため一時避難していた中国公船はこの日から再び尖閣周辺に姿を現しており、高洲丸の操業を妨害するため領海侵犯してくる可能性がある。仲間氏によると、海上保安庁の巡視船も高洲丸を警護する体制を敷いている。

 

 

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2013年

8月

19日

尖閣周辺で洋上慰霊祭 中国公船は現れず

石垣島に到着し、取材を受ける「頑張れ!」のツアー参加者(18日午後5時過ぎ)
石垣島に到着し、取材を受ける「頑張れ!」のツアー参加者(18日午後5時過ぎ)

尖閣諸島の領有権を主張するため、漁船5隻で尖閣海域に向かった「頑張れ日本!全国行動委員会」のツアーは18日午前、洋上で尖閣遭難事件の慰霊祭を行った。中国公船は現れず、一行は同日午後夕、無事に石垣島へ戻った。


 水島総幹事長は、超党派の領土議連が9月に「頑張れ!」のツアーに参加し、昨年に続いて洋上慰霊祭を開催する計画であることを明らかにしている。

 

 

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2013年

8月

18日

洋上慰霊祭に出港 中国船はきょう領海侵犯か 尖 閣

出港前、石垣海上保安部の臨検を受ける「頑張れ日本」ツアーの漁船(17日午後11時ごろ)
出港前、石垣海上保安部の臨検を受ける「頑張れ日本」ツアーの漁船(17日午後11時ごろ)

 尖閣諸島の領有権をアピールしようと「頑張れ日本!全国行動委員会」のツアーが分乗した漁船5隻が17日午後11時ごろ、石垣市の新川漁港を出港した。沖縄戦末期に起きた尖閣遭難事件の洋上慰霊祭を計画しており、石垣市の住職らも同乗している。第11管区海上保安本部によると、尖閣領海の外側にある接続水域では午後3時、中国海警局の船4隻が航行している。ツアーに対抗するため領海侵犯し、ツアーを警護する日本の巡視船ともみ合いになる場面もありそうだ。

 

 

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2013年

8月

09日

中国公船「拿捕」示唆し威嚇 尖閣周辺、高洲丸と対峙 過去最長 28時間領海侵犯

7日、尖閣諸島の魚釣島周辺海域を並走する中国海警局の船「海警2166」と日本の巡視船、ボート(仲間均市議提供)
7日、尖閣諸島の魚釣島周辺海域を並走する中国海警局の船「海警2166」と日本の巡視船、ボート(仲間均市議提供)

 第11管区海上保安本部によると、尖閣諸島(石垣市登野城)周辺で領海侵犯した中国海警局の船4隻は8日正午ごろまで領海内にとどまり、領海侵犯した時間は過去最長の28時間余に達した。周辺を航行した石垣島の漁船「高洲丸」(高江洲正一船長、4・8㌧)に乗船した仲間均市議らによると「海警」は高洲丸に衝突寸前の距離まで接近するなどして威嚇。船内に搭載されているボートを海に下ろそうとするしぐさを見せた。乗船者は「われわれを拿捕(だほ)しようとしたのだろう」と話している。

 

 高洲丸は7日午前5時ごろ、仲間氏、愛媛県議、同県松山市議ら計6人を乗せて魚釣島周辺海域に到着。仲間氏らによると、7時55分ごろから「海警」4隻が相次いで視界に入った。海保の巡視船約10隻が高洲丸を警護するため、周辺海域に集結した。

 

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2013年

8月

09日

「海警2166」は「海監66」か 中国公船

 尖閣諸島海域で7日から8日にかけ、石垣島の漁船「高洲丸」に接近した中国海警局の船「海警2166」について、高洲丸に乗り込んでいた仲間均市議は8日「(海洋監視船の)海監66の船体を塗り替えた船だった」と証言した。
 海洋監視船は7月の海警局発足に伴って「衣替え」した可能性が高い。
 「海監66」は尖閣周辺で頻繁に航行し、地元漁船をたびたび追尾するなど、中国公船の中でも特に攻撃性が強いとして地元漁船に警戒されていた。

 

 

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2013年

8月

08日

高洲丸を威嚇か 中国船、56回目領海侵犯 尖閣周辺

 第11管区海上保安本部によると、7日午前7時25分ごろから、尖閣諸島(石垣市登野城)魚釣島、久場島周辺の領海を中国海警局の船「海警2166」「海警2350」「海警1126」「海警2102」が相次いで侵犯した。中国公船の領海侵犯は昨年9月の尖閣諸島国有化以降、56回目。


 周辺海域では、石垣市の仲間均市議と、愛媛県議、同県松山市議ら6人が乗船した石垣市の漁船「高洲丸」(高江洲正一船長)が6日に登野城漁港を出港し、釣りと視察のために航行している。


 関係者によると、海警4隻は高洲丸に接近しており、海警4隻と、高洲丸を警護する巡視船がにらみ合っている状況と見られる。「海警2350」は午後8時43分ごろ、領海を退去したが「海警2146」が9時21分ごろ、入れ替るように領海侵犯した。4隻は9時半現在、領海内を航行している。
 尖閣の領有権を主張する中国は「パトロール」と称し、連日、周辺海域で公船を航行させている。


 最近は日本側に対する挑発行為が激化しており、周辺で日本漁船を発見すると、領海侵犯して威嚇。漁船を包囲するケースもあり、領有権をアピールするための拿捕(だほ)を狙っているとの見方もある。こうした行為について中国当局はホームページで、中国領海内で不法操業している日本漁船を「排除した」などと主張している。

2013年

8月

06日

自国漁船を臨検? 尖閣周辺の中国船

 第11管区海上保安本部によると、5日午後3時現在、尖閣諸島(石垣市登野城)の魚釣島の領海外側にある接続水域で、中国海警局の船4隻が航行している。尖閣周辺で中国公船が航行するのは20日連続。また、魚釣島西の日本の排他的経済水域(EEZ)で漂泊中の中国漁船2隻に対し、中国海警局の船から搭載艇を使い乗組員が漁船に移乗する姿を確認した。


 確認された中国公船は「海警2101」、「海警2166」、「海警2350」、「海警2350」の4隻。魚釣島の西の海域約34キロメートルをそれぞれ航行している。

 

 

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2013年

7月

02日

尖閣周辺「異様な光景」 山田衆院議員が会見

尖閣周辺の釣りツアーに参加後、石垣島で記者会見する山田衆院議員(1日午後)
尖閣周辺の釣りツアーに参加後、石垣島で記者会見する山田衆院議員(1日午後)

 保守系団体「頑張れ日本!全国行動委員会」の釣りツアーで尖閣諸島海域に向かい、乗り組んだ漁船が領海侵犯した中国公船の接近を受けた自民党の山田賢司衆院議員は1日、石垣市で記者会見した。山田氏は「思った以上に堂々と中国の船が入ってきている。恐怖はなかったが、憤りを感じた。異様な光景だった」と述べた。

 

 

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2013年

6月

29日

中国船 また威嚇行動 漁船に三重JCが乗船 尖閣周辺

尖閣周辺海域を視察した三重県の青年会議所メンバー(28日)
尖閣周辺海域を視察した三重県の青年会議所メンバー(28日)

 27日に領海侵犯した中国の海洋監視船が、周辺にいた八重山の漁船に約50㍍の距離まで接近するなどの威嚇行動を取っていたことが分かった。漁船に乗船していた三重県の青年会議所メンバーが28日、明らかにした。尖閣周辺海域では中国公船の領海侵犯が常態化し、同様の事件が繰り返されている。
 漁船は「第11善幸丸」「高洲丸」の2隻。日本青年会議所東海地区三重ブロック協議会のメンバー8人が尖閣視察のためチャーターし、26日夜、石垣港を出港していた。

 

 

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2013年

6月

20日

台湾漁船、尖閣周辺で転覆 乗組員を全員救助

台湾船の乗組員を救助する台湾海岸巡防署巡視船(第11管区海上保安本部提供)
台湾船の乗組員を救助する台湾海岸巡防署巡視船(第11管区海上保安本部提供)

 19日午後2時35分ごろ、尖閣諸島久場島の北北西78kmの海上で台湾漁船「FUNG JUNG106」が浸水しているとの連絡が台北救助調整本部から第11管区海上保安本部にあった。同船は転覆して漂流しているという。同本部の巡視船やしまが現場に急行したが、午後4時20分ごろ、台湾海岸巡防署巡視船から乗組員6人全員を救助したとの連絡があった。

 

 

 

 

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2013年

6月

18日

尖閣をまもる秘策あり㊦ 日本でなく福建の領土問題を論じよう 長崎純心大学准教授 石井 望

 この六月三日の共同通信電によると、「中國國家圖書館」は「釣魚島文獻圖籍録」といふ史料集を編纂出版するさうである。この種の宣傳(せんでんせん)に多くの日本國民は困惑してゐる。反駁すれば領土問題が存在することになるし、反駁しなければ言はれ放題となる。日本も對抗して四百八十年にわたる尖閣史料集を出版すれば良いのだらうか、それとも無視すれば良いのだらうか。


 實は、徹底的に反駁して且つ日本の領土問題にしない妙方がある。それは尖閣史料を論ぜず、福建の海防史料だけを論じることである。チャイナ領土を論じるのだから、日本の領土問題にならない。


 ▽福建の領土線・海防線
 歴代の史料を精査すれば、尖閣の遙か西方に福建の領土線・海防線が存在する。チャイナ側の主張では尖閣は臺灣(たいわん)に屬すると言ふが、清國が臺灣に省を創設したのは明治十八年であり、それ以前では福建省の最前線が臺灣島内のどこまで侵攻してゐたかといふ問題だけである。もちろん線が尖閣に到達したことは一度も無かった。福建領土線・海防線を明らかにすれば、必然的に尖閣はチャイナ國外だと確定する。福建琉球航路の西端を論ずる必要はあるが、尖閣に直接論及する必要度は高くない。福建領土線を示す史料としては、例へば次のやうなものがある。


 西暦1579年、蕭崇業「使琉球録」に曰く、
 「彼の國の夷船、汛期なるを以て、宜しく境上に候ふべし。乃ち戊寅(西暦1578)年、獨(ひと)り爽(たが)ひて至らず」
 と。汛(しん)とは季節風である。年末の季節風に乘って琉球船が福建に來航し、翌年使節船が出航するまで「境上」で伺候するのが通例だったといふ意である。福建海岸の國境から琉球航路への出航を待つのだから、尖閣は必然的に境外である。通例だから二度以上は前例があったことになるが、前の二度は本稿上篇で述べた最古の記録の陳侃(西暦1534年)及び、二番目に古い郭汝霖(西暦1561年)だけである。最古の記録から既に國境は福建海岸であった。


 西暦1606年の夏子陽「使琉球録」に曰く、
 「渡海所用の金銀酒器、共じて二百三十餘兩を以て、これを境上に追送す」
 と。使節船が琉球へ出航する前に、福建の長官が國境附近まで金銀酒器を屆けて來たといふ記述である。もちろん尖閣でなく大陸の海岸だらう。


 清の乾隆年間(西暦十八世紀)の「清朝通典」卷六十及び「大清會典」卷五十六によれば、琉球からの朝貢船が歸國(きこく)する時、福建の役人が朝貢使を「送出邊境」(邊境より送り出す)、「伴送出境」(伴送して境を出でしむ)と規定してゐる。伴送して出るのだから、國境のやや外側まで護送したと考へられる。この規定が施行された實證(じっしょう)は歴代枚舉(まいきょ)に暇(いとま)ない。例へば署理福建巡撫・周學健の上奏文に、乾隆八年五月に琉球國の官船が歸國したことを述べて曰く、
 「護送して竿塘(かんたう)の洋面に至り放洋し、長行して國に囘(かへ)る」
 と。中國第一歴史档案館編「中琉歴史關係档案」に見える。竿塘とは福建沿岸十キロあまりの馬祖(ばそ)列島中の一島である。國境を出て護送してもせいぜい馬祖列島あたりまでであった。尖閣はそこから更に三百キロ東方に在る。現在でも金門・馬祖は中華民國・アメリカの勢力圏内に在り、これぞ歴史を貫く眞の第一列島線である。▼全文は「新聞オンライン.com」でhttp://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2013年

6月

16日

尖閣をまもる秘策あり㊤ 四百八十周年が横取りされる 長崎純心大学准教授 石井 望

 

 尖閣は國際公法の上で疑ひなく日本のものだが、實際の防衞のためには世界の支持が必要である。チャイナ側は尖閣の歴史を前面に出してをり、そこに世界の同情も集まりつつある。既倒の狂瀾を返すために、日本は歴史でも完勝せねばならない。いま歴史を弘報するために二つの秘策を披露したい。一つは尖閣四百八十年史上最古の記念日、今一つは福建海防史料集の編纂である。


 ▽最古の記録は琉球人の案内
 世間には尖閣の漢文史料で我が方が不利だとの誤解が有る。要注意の一つは「釣魚嶼」といふ漢文名である。命名者の記録は無いが、琉球人の案内のもとで最初に記録されてをり、琉球人が命名した可能性が高い。漢文は東アジア共通の文語であって、西洋のラテン語や印度の梵語と同じである。


 琉球人の案内で釣魚嶼(魚釣島)を記録したのは、明(みん)の陳侃著『使琉球録』である。それを示す一段を私は「陳侃三喜」(ちんかんさんき)と呼んでゐる。


 明の使節陳侃は、福州から出航の前年末、未知の琉球への渡航を畏れてゐた。そこに琉球の朝貢貿易船が入港したので、情報を得られると喜んだのが一喜。次に琉球から迎接船が入港したので、先導してもらへると喜んだのが二喜。次に迎接船が羅針盤役らを派遣して陳侃と同船させ、琉球までの操舵を申し出たのが三喜である。翌年初夏に出航した使節船は、琉球の役人の操舵のもと、嘉靖(かせい)十三年(西暦1534年)陰暦五月十日に尖閣列島の「釣魚嶼」を通過する。尖閣は最初から琉球王が公式に外國の客を導く航路として記録された。チャイナ側はつねに陳侃が釣魚嶼を記録したことだけを強調して、琉球人が針路を司ったことを無視しつづけてゐる。


 ▽チャイナよりも先に記念式典を
 來年(平成二十六年、西暦2014年)は尖閣有史四百八十周年の記念すべき年となる。釣魚嶼を最初に記録した陰暦五月十日は、陽暦では今年の六月十七日もしくは十八日、來年の六月七日である。石垣市で記念式典を行なふことを提言したい。式典により、四つの正論を世界に弘報できるだらう。第一に、四百八十年前から尖閣は文化的に琉球のものだった。第二に、釣魚嶼の命名者はチャイナ人ではない。第三に、歴史でも日本が完勝である。第四に、尖閣は政治の島でなく、歴史の島である。


 記念式典の前提として、歴史に忠なるを要する。「日中友好」などを合言葉に記念日を無原則に利用する陰謀には警戒せねばならない。記念日名としては「釣魚嶼みちびきの日」もしくは「尖閣三喜記念日」を提案したい。制定主旨には「無主地にして琉球文化圏だった」と明記することが必須である。この原則を貫徹しないと、チャイナ側の勢力が記念行事に滲透してくることとならう。それどころか、チャイナ側に先に記念日とされて仕舞ふ可能性が高い。もうその危機は來年五月に迫ってゐる。今からしっかり準備しないと間に合はない。私としても「陳侃三喜」の弘報活動などに無報酬で取り組ませて頂ければ光榮である。▼全文は「新聞オンライン.com」でhttp://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2013年

6月

12日

「戦争にすべきでない」 エコノミスト誌が取材 尖閣問題

八重山日報社を訪れたディビッド・マックニール記者
八重山日報社を訪れたディビッド・マックニール記者

 尖閣諸島問題を取材するため、英エコノミスト誌のディビッド・マックニール記者(47)が10日、石垣市を訪れた。「中国と日本の最前線」という位置づけで、八重山の現状をレポートするという。▼全文は「新聞オンライン.com」でhttp://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

2013年

6月

06日

琉球史新議 ~明は併合に公式に同意した㊦~ 長崎純心大学准教授 石井 望

原文の「役屬」(えきぞく)とは課税や兵役などを以て服屬したことを指す。役屬の主語は琉球であり、琉球が半ば主動的に日本の領土となったものと韓仲雍は理解してゐる。赦前(しゃぜん)とは皇帝による大赦の前を指す。「明史」によれば西暦1614年、皇太后が崩御した際に萬暦(ばんれき)皇帝は天下を大赦した。日本(薩摩藩)が琉球を併合したのはその五年前なので「赦前」となる。即ち大赦の前に日本が琉球を併合したことを不問に付してゐる。


 「亦」(また)とは、過去の家康の事だとの言ひわけを承けて、明國側でも恩赦以前の事だと調子を合はせた語である。中華思想を原則とする明國だが、琉球を屬國(ぞくこく)としてゐたのは形式だけなので、派兵して薩摩を討伐しようにも尖閣航路すら掌握してをらず、已むを得ず迎合したのである。中華思想なるものは虚構であって、歴史の現場に適用できなかったことが多々有る。その好例がこれである。

 

 ▽自分で琉球と談判する事だ
 「議する」とは前罪を追究するのではない。赦前の罪は議しないのが法であり、議するのはこれ以後の琉球領有についてである。「自(みづか)ら」とは日本を指すとも明國を指すとも見える。明國と解すれば、薩摩が現に統治してゐる優先權に異をとなへず、「薩摩と別に自分で談判する」意となり、これ以後の兩屬關係を暗示してゐる。しかしこの解には以下の不足が有る。


 まづ明國としては、これ以後の朝貢について上から命ずることは有っても、琉球と對等に議論する語氣はふさはしくない。
 次に「當」(まさに~すべし)といふ助動詞は、自分がしようといふ場合にも用ゐられるが、韓仲雍が朝貢について自分で決定する權限は無く、中央朝廷が皇帝の名義で決めることである。しかし中央朝廷が「しよう」といふ不確定性の語氣で諭告するのはふさはしからず、「する」と言ひ切るのが通常である。


 また薩摩が現に領有してゐるのに咎め立てせず、明國が自分で琉球と談判するといふのも通じにくい。
 逆に「自ら」が日本を指すと解すれば、韓仲雍は日本による併合に完全に同意したことになる。しかし中華思想の語氣では「汝自ら琉球と談判せよ」と命ずるのが通例であって、矢張り「當」は語氣が弱い。


 私はどちらにも解してみたが、今一つ完全と言ひ切れない。そこで原文に忠實に、「この問題は自分で琉球と談判すべき事だ」と現代語譯すれば通じる。日本でも明國でも既に「前」の事だから、あとはそれぞれ勝手に琉球と談判しようといふ意である。


 以上三解のどれを取るにしても、明國が日本による併合に同意してゐたことだけは等しい。それを日本の使者に對して言明し、中央朝廷にも報告したのである。この時は臺灣(たいわん)島や日本との關係についてもまとめて報告したのだが、それに對する皇帝の返事は「確議して速聞せよ」(しっかり議論して速やかに報告せよ)であった。肯定的方向の返事である。少なくとも否定してゐない。

 

 ▽併合に同意しても異論出ず
 この記録は「皇明實録」及び黄承玄「盟鷗堂集」所收の上奏文に見えるほか、張燮「東西洋考」や陳子龍「皇明經世文編」など、明國の二次史料の中にも見えるもので、朝野に反感を惹起しなかった。なぜなら琉球人の案内によってどうにか渡航して儀式を行なってゐただけなのだから、明國が琉球に援軍を送ることは不可能であった。訊問中で大赦を理由としたのは半ばメンツのために過ぎない。


 以上の史事の周邊を論じた先行研究は幾つか有るが、日本の使者に向かって同意を示したことを論じた研究はこれまで無い。また「皇明實録」の通行複製本ではこの部分が省略されてをり、それが國立公文書館の寫本(しゃほん)に載ってゐるのは、今度の新出史料だと言って良いだらう。二次史料と違って朝廷の公式記録である。(終)

2013年

6月

05日

琉球史新議 ~明は併合に公式に同意した㊤~ 長崎純心大学准教授 石井 望

 人民日報に琉球の領有は未確定だとの論説が載り、世間を騷がせてゐる。實質上はチャイナによる領有の主張である。彼らは常々過去の朝貢を強調してゐる。


 しかしそもそも過去のチャイナ人は自力で尖閣海域を渡航できず、琉球人の案内でやっと渡ったことが史料に歴々と書かれてゐる。況や尖閣の先の琉球を領有することなど、形式上では可能でも、歴史と文化の實質上は有り得ない。


 私は昨年來の尖閣研究の中で、薩摩による琉球併合に關(かか)はる一史實を見つけてゐた。大したこととも思ってゐなかったのだが、人民日報のお蔭で大したことになったので、五月二十六日に日本會議長崎主催の公開講演會でこれを公表した。明國の高官が日本の使者を訊問する際に、琉球併合に同意することを公式に言明し、更に皇帝にまで報告して、中央朝廷で記録したといふ事實である。


 ▽薩摩による檢地を認知
 西暦1609年、薩摩藩は琉球を併合し、以後琉球王に明國皇帝の臣下として朝貢貿易をつづけさせたことはよく知られる。明國側は薩摩の統治を知り、一時は朝貢を禁じようとしたが、やがて已むを得ず朝貢再開をゆるしたことも、近年の研究で明らかになってゐる。


 薩摩が琉球を領有してから七年後の西暦1616年、琉球國は明國に使者を派遣した。明國福建の巡撫(軍政長官)黄承玄はこれについて皇帝に上奏文「琉球の倭情を咨報するを題する疏」(黄承玄の文集「盟鷗堂集」に收める)をたてまつって報告した。その中で黄承玄は、琉球が日本に編入され、日本の役人が統治してゐることを述べる。曰く、
 「近年已折入于倭、疆理其畝、使吏治之。」
 〔近年すでに倭に折入(せつにふ)し、其の畝を疆理(きゃうり)し、吏をしてこれを治めしむ〕
 と。折入とは編入されたことを指す。畝を疆理したとは薩摩藩が琉球で檢地を行なったことを指す。明國側は薩摩藩による檢地まで認識してゐた。


 ▽重大な新事實
 ここまでは瑣事に過ぎないが、越えて西暦1617年、福建に日本の使者明石道友が渡航すると、福建の海道副使(海防兼外交長官)韓仲雍(かんちゅうよう)がこれを訊問した。訊問記録は國立公文書館藏の寫本(しゃほん)「皇明實録」(くゎうみんじつろく、中央朝廷の議事録)の同年八月一日の條に見える。韓仲雍が「日本はなぜ琉球を侵奪したのか」と問ふと、明石道友は供述して曰く、
 「薩摩酋・六奧守、恃強擅兵、稍役屬之、然前王手裏事也。……但須轉責之該島耳。」
 〔薩摩の酋・陸奧守、強きを恃み兵を擅(ほしいまま)にし、稍やこれを役屬せしむ、然れども前王(家康)の手のうちの事なり。……ただ須らく轉じてこれを該島(薩摩)に責むべきのみ〕
 と。薩摩が琉球を併合したのは家康の世で濟んだ話であり、この件は薩摩を追究して欲しい、との意である。家康は前年(西暦1616年)に亡くなってをり、それを理由に言ひわけめいた供述となってゐる。これに對し、韓仲雍は次のやうに諭告した。曰く、
 「汝并琉球、及琉球之私役屬於汝、亦皆吾 天朝赦前事。當自向彼國議之。」
 〔汝(日本)の琉球を併する、及び琉球のひそかに汝に役屬するは、亦た皆な吾が天朝(明)の赦前の事なり。まさにみづから彼の國(琉球)に向かひてこれを議すべし〕
 と。これは昨今の中華人民共和國の主張に對して重大な意義を有する。一字一句を檢討せねばならない。            (つづく)
 (本稿で使用する正かなづかひ及び正漢字の趣旨については、「正かなづかひの會」刊行の「かなづかひ」誌上に掲載してゐる。平沼赳夫會長の「國語を考へる國會議員懇談會」と協力する結社である。)

 

 石井 望 長崎純心大学准教授。
 昭和41年、東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。長崎綜合科学大学講師などを経て現職。担任講義は漢文学等。研究対象は元曲・崑曲の音楽。著書『尖閣釣魚列島漢文史料』(長崎純心大学)、論文「大印度小チャイナ説」(霞山会『中国研究論叢』11)、「尖閣釣魚列島雑説四首」(『純心人文研究』19)など。

2013年

6月

04日

琉球侵攻 公式に容認 明「皇帝が大赦」 日本に帰属、400年前に同意

明朝廷の議事録「皇明実録」(国立公文書館所蔵、赤染康久氏撮影)
明朝廷の議事録「皇明実録」(国立公文書館所蔵、赤染康久氏撮影)

 江戸時代初期に起きた薩摩藩の琉球国侵攻と併合に対し、当時の明国高官が「皇帝が大赦(赦免)を行った」と述べ、公式に容認していたことが、長崎純心大学の石井望准教授の調査で明らかになった。中国共産党の機関紙、人民日報は5月、「琉球の帰属問題は未解決」という論文を掲載したが、歴史的には400年前、明国が琉球国の日本帰属に同意しており、大勢は決していたことになる。

 

 薩摩藩は1609年、琉球国に侵攻した。石井氏によると、明朝廷の議事録「皇明実録」に薩摩の琉球侵攻と明国の反応について記述があり、日本の国立公文書館所蔵の写本で確認できる。
 1617年、日本から福建省に渡航した徳川幕府の使者、明石道友に対し、福建省の海防と外交の担当者だった韓仲雍(かん・ちゅうよう)が、日本はなぜ琉球を侵奪したのかと質問。明石は、薩摩の琉球侵攻は家康の代で済んだことであり、この件は薩摩を追究してほしい、と答えた。
 韓仲雍は「汝(なんじ)の琉球を併する、及び琉球のひそかになんじに役属(えきぞく)するは、また皆、わが天朝の赦前(しゃぜん)の事なり」(日本の琉球併合と、琉球が日本に服属したことは、3年前の皇太后崩御時に明の皇帝が大赦を行った前の出来事だ)と発言。8年前の琉球侵攻は、皇帝による「大赦」の対象であるとして不問に付し、公式に容認した。
 韓仲雍はさらに「まさにみずから、彼の國(琉球)に向かいてこれを議すべし」と述べている。
 「みずから」は明とも日本とも解釈できるが、石井氏は「この問題は済んだことなので、明国も日本もそれぞれ勝手に琉球と談判しようという意味だろう。いずれにしても、明国が日本による琉球併合に同意していたことに変わりはない」と指摘した。


 石井氏によると、琉球国の帰属問題をめぐり、明国が公式に日本帰属に同意していたことを論じた研究はこれまでにないという。
 石井氏は「明国は琉球人の案内によって使者が琉球に渡航していただけであり、琉球に援軍を送ることは不可能だった。高官が(琉球の領有同意を示す)『大赦』という言葉を使ったのも、なかばメンツのために過ぎない」と分析している。 (琉球侵攻と明国の反応に関する石井氏の寄稿を近日中に掲載します)

2013年

5月

27日

中国船、また地元漁船追跡 常態化する領海侵犯

尖閣周辺での釣りを終え、石垣島に戻った「頑張れ日本!全国行動委員会」の漁船=26日午後、石垣漁港
尖閣周辺での釣りを終え、石垣島に戻った「頑張れ日本!全国行動委員会」の漁船=26日午後、石垣漁港

 民間団体「頑張れ日本!全国行動委員会」がチャーターした地元漁船など4隻が26日、尖閣諸島周辺で釣りを行った。中国海洋監視船3隻が午前10時5分ごろから相次いで領海侵犯し、漁船団を追跡する動きを見せたが、海上保安庁の巡視船が阻止。漁船団は無事、釣りを終え、同日午後5時ごろ、石垣漁港へ帰港した。

 

 中国公船は、これまでも尖閣領海で地元漁船を追跡、包囲する動きを見せている。中国公船が地元漁船の操業を妨害するため、領海侵犯を繰り返している実態が改めて浮き彫りになった。中国公船の領海侵犯は昨年9月の尖閣国有化後、46回目。


 同委員会の水島総幹事長によると、漁船団は25日夜、石垣漁港を出港。中国公船が来ても移動しないと海保には通告していたという。
 26日朝、魚釣島周辺で釣りをしていると、午前10時ごろ、中国海洋監視船「海監66」「海監46」「海監26」が接近してきた。
 海洋監視船は漁船団に向かってきたが、海保の巡視船が割って入るなどして漁船団をガード。


 漁船内はしばらく騒然としたが、海洋監視船が時おり、汽笛を鳴らす以外の行動は見せなかったことから、すぐに落ち着きを取り戻したという。
 漁船団は正午過ぎまで釣りを続けた。その間、海洋監視船に向け「君が代」を大音量で流すなどのデモンストレーションも行った。


 漁船団は正午過ぎ、釣りを終えて石垣島へ向かったが、海洋監視船2隻が20~30分間にわたって漁船団を追跡した。
 巡視船の警護を受けたため、漁船団に被害はなかった。
 海洋監視船3隻は領海内で約5時間航行し、午後3時14分ごろまでに領海内を退去した。


 同委員会のツアーは4月に次いで14回目。水島幹事長は「漁業活動ができたことは良かったが(領海侵犯が常態化している)状況を続けてはいけない。領海侵犯したら海上自衛隊が撃沈するか、拿捕(だほ)する法律を作るべきだ」と話した。

2013年

5月

25日

暴れん坊「海監66」 八重山漁民脅かす

尖閣周辺で領海侵犯した中国の海洋監視船「海監66」=今月13日、高洲丸から撮影
尖閣周辺で領海侵犯した中国の海洋監視船「海監66」=今月13日、高洲丸から撮影

 連日のように尖閣諸島(石垣市登野城)周辺海域で航行を続け、領海侵犯も尖閣国有化後、45回に達した中国公船。その中でも中心的な存在と見られ、八重山の漁船をたびたび脅かすなど、攻撃性が強いことで知られる「暴れん坊」が「海監66」だ。


 中国側の報道などによると「海監66」は黄埔造船所の長洲工場区が建造し、2011年に就役した海洋監視船。


 全長は77・39メートル、幅は10・4メートル、排水量は1290トン、メインエンジンの最大動力は2380馬力。最大航行速度は20ノット(約37㌔)以上だという。


 尖閣領海内で、2月には八重山の漁船「第11善幸丸」を1時間半にわたって執拗に追跡。4月には「頑張れ日本!全国行動委員会」がチャーターした「並里丸」を追跡して至近距離に接近し、威嚇した。


 今月には他の2隻の海洋監視船ともに「高洲丸」を包囲した。現在、尖閣海域は、中国の海洋監視船がわが物顔に巡回する「無法の海」と化している。


 「海監66」は尖閣海域ではほぼ連日航行していることから、地元の漁業関係者は「尖閣を巡回する海洋監視船の中でもリーダー格ではないか」と話している。

2013年

5月

21日

中国の〝妄説〟打破 香港研究者 ネットで流布 石井氏「清代の尖閣、無主地」

 中国の人民日報旗下の「京華時報」などは16日、「日本が琉球国を併呑する前、外国人が釣魚島(尖閣諸島の中国名)に上陸する際には、当時の清国政府の許可が必要だった」という文献が発見されたと発表した。中国側は、尖閣が中国領だったことを示す証拠だと主張。インターネットで話題になっているが、長崎純心大の石井望准教授は「当時の尖閣は無主地。文献を詳細に検討すると、逆に中国側の主張を弱めるものだ」と指摘している。石井准教授に20日、話を聞いた。


 ―京華時報の報道(新華社による日本語訳あり)によれば、香港の尖閣研究者・鄭海麟(てい・かいりん)氏は、英国船サマラン号が1845年、尖閣諸島を測量するにつき、琉球国駐福州琉球館を通じて福建省(清)に申請し、許可を受けた」と主張している。実際の経緯は。


 「鄭海麟氏の主張は、琉球国の著名な史書『球陽』の記述を誤読・曲解したものだ。『球陽』によると、この時サマラン号は清から那覇に渡航する途中で、八重山・宮古と尖閣を測量した。


 サマラン号は、清から渡航する前に、英国領事館を通じて琉球館に対し『島々を測量したい』と一方的に通知し、八重山などに到着するや測量を開始した。
 その情報は那覇にもたらされ、那覇当局は英国船に対し『迷惑だから測量を停止してほしい』と求めた。英国船はある程度まで測量を終えると、那覇当局の要求に従って測量をやめて琉球国を離れた」


 ―その経過だと中国は関係ないように見える。
 「ほぼ関係ない。ただ英国船は清国から渡航して来たので、事前に清国駐在の琉球館に通知したというだけだ。鄭海麟氏は、那覇の琉球国政府に直接通知せずに、福州の琉球館に通知したのは、尖閣が清国に属するからだと主張しているが、清国に滞在中に、清国駐在の琉球出先機関に通知するのは当たり前だ」
 ―鄭氏の誤解はどこから生じたのか。


 「琉球館は、福建当局にも通知について報告した。さらに那覇当局は、一度報告した以上、事実関係を明らかにする必要があるとして、事後に琉球国王の名義で追加報告した。鄭氏に言わせると、尖閣が清国領土だから福建側に報告したのだ、となる」
 「しかし、そもそも『球陽』のこの箇所には、尖閣については全く記載されていない。ただ英国側の記録には尖閣を測量したと書かれている。そのため鄭氏は、英国側の『島々を測量したい』という通知は尖閣を含むものだと決めつけている。しかし仮に尖閣を含むならば、琉球館に通知したのは、尖閣が琉球に属すると英国側が考えたからだ」


 ―鄭氏の主張とは話が逆では。
 「もちろん逆だ。しかも英国船が尖閣を測量したことを琉球側は知らなかったか、もしくは無関心だったので、琉球側から清国への報告文には尖閣のことは書かれていない。琉球国が尖閣について清国に報告した事実は存在しない。
 中国側としては、属国である琉球国が管轄する尖閣は清国の領土だという論理で主張するしかない。それは沖縄そのものを今の中国が領有しようという不可能な野望だ」


 ―結局これは、逆に中国側の主張を弱める資料ということか。
 「そうだ。中国側の主張はいつでもこんなもので、外野から見て対等に議論が成立しているかのように見せかけるのが彼らの目的だ。
 しかし、この時の尖閣は無主地。50年後の西暦1895年に日本政府が初めて領有しており、そのことに文句を言われる筋合いは一つもない」

2013年

5月

16日

中国船包囲「恐怖なかった」 政府は毅然と対応を

尖閣問題のインタビューに応じる仲間市議=15日午前、石垣市大川
尖閣問題のインタビューに応じる仲間市議=15日午前、石垣市大川

仲間市議インタビュー

 


尖閣諸島海域で釣りをしていた八重山の漁船「高洲丸」が13日、領海侵犯した中国公船3隻に一時、包囲された事件を受け、八重山日報社は15日、乗船していた仲間均市議に当時の状況を聞いた。


 ―今回の事件をどう思うか。
 「中国公船の領海侵犯が常態化し、彼らは尖閣海域の日本漁船を追い出そうとしている。しかし(今回の出来事で)力では追い出せないことが分かったはずだ。彼らは尖閣海域が自分たちの領海ではないことを知っており、領海侵犯はパフォーマンスだ」


 ―4月には「頑張れ日本!全国行動委員会」の釣りツアーが中国公船に威嚇され、石垣島に逃げ帰った。
 「その事件に対する悔しい思いがあったから、私は逃げなかった」


 ―包囲された時はどう感じたか。
 「尖閣海域に行くたび、危険が待ち構えていることは感じている。囲まれたくらいでは驚かない。恐怖心は全くない。われわれは囲まれている間、ラーメンを作って食べていた(笑)」
 「中国公船の領海侵犯は予測していた。攻撃を仕掛けてくるかと思ったが(包囲されたものの)実質的には攻撃はなかった。高洲丸に突っ込もうと思ったら、できたはずだ。しかし、われわれが釣りをしているのを見ているだけだった。彼らも国際紛争を起こしたくないと思っているのだろう」
 「海保は一晩中、われわれを警護してくれた。午前3時ごろに目が覚めると、すぐそばにゴムボートがいた。職員の赤い顔を見ると、寝ていないことが分かる。領海を守るため日夜、奮闘している海保に敬意を表したい」


 ―尖閣問題に取り組んでから18年になると聞いているが、現状をどう思うか。
 「最悪の状況にある。中国は日中中間線近くにガス田を作ったころから、本気になって尖閣を取りに来ている。日本政府の国有化がきっかけではない」
 「中国には軍備増強と、太平洋に抜けるルートを確保するという戦略がある。尖閣を取られると、沖縄は非常に厳しくなる。中国は今、沖縄も自分たちのものだと言っている。そういう恐ろしい国が、キバをむいて襲いかかってきている。交戦権を否定した憲法9条は改正するべき。平和とは力と力の均衡だ。日本政府は毅然とした対応を取り、国民の生命財産を守るべきだ」

2013年

5月

15日

中国公船に包囲された

高洲丸に異常接近する「海監15」(右)と、割って入る海保の巡視船=13日午後、南小島の東南2㌔、高洲丸船上より撮影
高洲丸に異常接近する「海監15」(右)と、割って入る海保の巡視船=13日午後、南小島の東南2㌔、高洲丸船上より撮影

 「中国公船に包囲された」―。「高洲丸」(4・8㌧)の高江洲正一船長(45)が緊張した声でつぶやいた。13日午後2時ごろ、尖閣諸島南小島の東南約2㌔。島を背に漁船から周囲を見渡すと、前にも右にも左にも中国公船の姿がある。3隻は、操業中の高洲丸を「取り締まる」ために領海侵犯してきたのだ。中国公船を阻止するため、海上保安庁の巡視船が高洲丸との間に割って入った。同乗した八重山日報の記者が緊迫の尖閣海域をレポートする。


 高洲丸が尖閣海域に到着したのは13日早朝。乗船者は高江洲船長、伊良皆高信市議会議長(53)、仲間均市議(63)ら6人。釣りと周辺海域の視察を兼ねた航海だ。
 釣りは好調で、アカマチやカンパチなどが次々と水揚げされる。正午ごろ、遠巻きに監視していた海上保安庁の巡視船から、職員がゴムボートで近付いてきた。


 「中国公船がこちらに近づいています」


 仲間氏は「ここは日本の領海だ。私は逃げない」と答えた。高洲丸の船尾には、目立つように日の丸が翻っている。
 八重山の漁業者は常々「中国公船は、尖閣海域で漁をする地元漁船を追い払うために領海侵犯する」と指摘していた。「やはり」という表情が乗船者の顔に浮かんだ。誰もが「中国公船は来る」と予期していた。その通りになったのだ。


 午後1時過ぎ。「海監66」を先頭に「海監50」「海監15」という3隻の中国海洋監視船が続々と、われわれの視界に入った。他国に領海侵犯しているにもかかわらず、傍若無人に航行する。少しも悪びれる様子はない。しかも、徐々に高洲丸との距離を詰めてくる。
 高洲丸を警護している巡視船の電光掲示板に「中国公船は接近すると大変危険です」と注意を促すテロップが流れた。しかし、仲間氏が事前に「逃げない」と宣言していたためか、海保から避難指示は来ない。


 「おーっ、こんな近くまで」


 乗船者の1人が悲鳴のような声を上げた。「海監15」がぬっと目前に現れた。私には数10㍍の距離に見える。高洲丸をガードするため、巡視船が懸命に割って入ろうとする。
 南小島を背にした高洲丸は、気がつくと3方向を中国公船に包囲された。われわれは、動きが取れない。
 巡視船が中国公船と高洲丸の中間で航行し、これ以上われわれに近づけないように警戒している。巡視船は9隻体制だ。高洲丸の乗船者には緊張が走る。しかし船は、その場でエンジンを切ったまま、じたばた動こうとしない。
 仲間さんは「中国公船は、何でおれたちが逃げないのかと思っているんだろうな。今逃げたら、中国公船に追い払われたことになる」と、誰にともなくつぶやく。
 中国公船は高洲丸を威嚇するように距離を詰めようとするが、巡視船に阻止され、考えあぐねているようだ。やがて中国公船、巡視船とも目立った動きがなくなり、膠着状態に入った。


 午後5時ごろ。「釣りをしよう。中国公船に見せてやれ」仲間さんの指示で、高洲丸は釣りを始めた。正面では、地元漁船をたびたび追跡したことで悪名高い「海監66」が見える。仲間さんによると「海監66の誰かが、釣りの様子を見てテレビカメラを回しているのが見えた」という。


 やがて周囲は暗くなった。釣りが終わる7時ごろには、遠巻きにしていた中国公船の姿も見えなくなった。いつの間にか去って行ったのだ。
 第11管区海上保安本部によると、中国公船3隻は午前9時ごろ、久場島北から相次いで領海に入り、8時46分ごろ、南小島南東から相次いで領海を退去した。高洲丸が包囲されていたのは、6時間くらいだっただろうか。
 高洲丸は翌朝まで尖閣海域にとどまり、魚釣りをしたが、中国公船はもう姿を見せなかった。漁獲高は2日間で約60㌔だった。


 仲間さんは「中国公船が高洲丸に突っ込んでくる機会はいくらもあったが、魚釣りをただ見ているだけだった。領海侵犯はパフォーマンスだ。ここが自分たちの領海でないことを知っている」と厳しい表情を見せた。
 伊良皆さんは「中国公船の姿に恐怖を感じた。尖閣海域は、まさに無法地帯だ。日本の領海をどう守るか、主権国家としての法整備を真剣に考えないといけない」と強調した。
 日本の領海内で八重山の漁船が、中国公船に包囲される。海上保安庁に何とか守ってもらい、漁をする。日本の、この悲しい現実は何なのか。何が日本をここまで無力にしたのか。


 答えはいろいろあるはずだが…帰りの船中、私の脳裏には、日本の交戦権を認めないと宣言した「憲法9条」という言葉が盛んに点滅した。
 (仲新城誠)

2013年

5月

07日

尖閣問題 本島と温度差 地元の危機感届かず 県市議会議長会

 県内11市の市議会議長で組織する県市議会議長会で2月、石垣市議会が、尖閣諸島海域の警戒監視体制強化と漁業支援施設整備を求める決議を提案したものの「各市議会で議論が尽くされていない」として継続審議になっていたことが分かった。議長会事務局によると、議案の継続審議は過去にほとんど例がない。議長会の調査では、その後も多くの市議会で尖閣問題を議論する動きはないという。尖閣を抱える石垣市と沖縄本島で、危機感の「温度差」が浮き彫りになっている。

 

施設整備決議持ち越し

 


 市議会の決議案では、尖閣をめぐり、中国当局者が「日本の実効支配を打破する」と発言したり、中国公船の巡視活動が活発化していることが「地元漁業者や住民を不安に陥れている」と指摘。漁業者が安心して漁が行えるよう警戒監視体制の強化、船舶気象情報システム設置、尖閣での灯台、避難港設置を求めている。


 伊良皆高信議長は2月に那覇市で開かれた議長会臨時総会で決議案を提案。伊良皆議長によると、議案に対し各市の議長は、尖閣海域が領海侵犯されているという現状認識が薄く「国の問題だ」として触れたがらない雰囲気。
 わずかに、尖閣海域で漁をする伊良部漁協を抱える宮古島市の議長から、理解を示す発言があっただけだったという。


 議長会は3月末、11市の市議会が、尖閣問題をどのように論議しているか調査したが、石垣市を除くほとんどの市議会で議論の動きはないという。
 同議案の取り扱いについては8月に開かれる次回総会で改めて審議されるが、伊良皆議長は「石垣市の声が届かない現状にあり、本島との温度差を感じる。可決は厳しいだろう」との見通しを示した。


 一方、米軍の新型輸送機オスプレイ配備に対する抗議などを盛り込んだ日米地位協定の抜本的な改定を求める意見書(宮古島市提案)などは全会一致で可決された。


 議長会のこうした対応について、石垣市の関係者からは「沖縄が本土から切り捨てられていると言って基地問題では同調を求めてくるのに、尖閣問題では離島を切り捨てるのか」と皮肉る声も上がっている。
 尖閣問題をめぐり、石垣市議会は3月議会で、中国に対する6回目の抗議決議を可決している。

2013年

4月

24日

中国船10隻、地元漁船威嚇 最多8隻領海侵入 海保と激しい攻防

 尖閣諸島(石垣市登野城)周辺の領海に23日午前、中国の海洋監視船8隻が相次いで領海侵入し、周辺海域にいた民間団体「頑張れ日本!全国行動委員会」がチャーターした漁船を追跡、威嚇した。中国公船の領海侵入は尖閣国有化後40回目。8隻同時は過去最多。接続水域でも2隻の海洋監視船が航行した。海上保安庁の巡視船が中国船と漁船の間に割って入り、海域は一時、緊迫した雰囲気に包まれた。同委員会の漁船は計9隻ですべて無事、石垣港に到着した。

 

 中国国家海洋局は同日、「釣魚島(尖閣の中国名)の海域で、多数の日本の船が活動しているのを海洋監視船3隻が発見し、監視している」と発表した。


 同委員会は、尖閣の実効支配をアピールする目的で釣り(漁労)ツアーを行い、約90人が参加していた。中国当局はツアーの動きを事前察知し、海洋監視船、漁業監視船計10隻を派遣して妨害行為に出た。


 ツアー参加者や海保によると、チャーターした漁船計10隻のうち、エンジントラブルを起こした1隻を除く9隻は午前6時半ごろ、魚釣島周辺に到着。


 しかし中国海洋監視船は魚釣島や久場島周辺で、午前7時23分ごろの「海監51」を皮切りに「海監15」「海監23」「海監46」「海監15」「海監49」「海監50」「海監66」が続々領海侵入してきた。


 海保からは「全速力で石垣港に戻ってほしい」と無線で連絡があり、9隻とも石垣港へ向け「避難」を開始。


 海保の巡視船は13隻ほどが漁船を取り囲み、警戒態勢を敷いた。しかし最も船足の遅い「並里丸」を見つけた中国監視船が猛スピードで追跡を開始。阻止しようと割って入った巡視船との攻防が繰り広げられた。


 海洋監視船は、ツアーに参加した漁船「第十一善幸丸」に数10㍍の距離まで接近した。


 「第一桜丸」に乗り組んで尖閣海域にいた同委員会の水島総幹事長は「尖閣海域に中国公船は入り放題、やり放題だ」と話した。


 中国の狙いについて「石垣の漁師を拿捕(だほ)すると脅して、尖閣に行かせないようにしている。どんどんエスカレートしている」と危機感を募らせ「中国公船を領海に入れないようにするべきだ」と訴えた。


 尖閣領海外側の接続水域では、中国の漁業監視船「漁政201」「漁政202」も航行した。


 海洋監視船8隻は、23日午後7時半ごろまでに領海から出た。

2013年

4月

24日

「事故起きていたかも」 中国監視船、地元漁船を猛追

 領海侵入した中国の海洋監視船は、船足の遅い地元漁船を猛スピードで追跡した。船長は23日、帰港した石垣港で「あのままだと事故が起きていた可能性が大きい」と憤った。


 「頑張れ日本!全国行動委員会」のツアーに参加した漁船9隻は、海上保安庁の避難要請を受け、13隻ほどの巡視船にガードされるように魚釣島周辺から石垣港へ引き返し始めた。


 しかし午前10時ごろ、中国海洋監視船「海監66」が突然、最後尾近くにいた「並里丸」めがけて猛スピードで突っ込んできた。


 並里学船長は「気がついたら並走していた。距離は約20~30㍍。(中国船は)本当にこんなことをやるんだなと思った」と振り返った。


 海上保安庁の巡視船が、並里丸を守るように割り込んできた。並里船長は「中国船にあれだけくっつかれたのだから(海保の船がいなければ)事故が起きていた」と危惧した。追跡は30分近く続いたという。


 「第十一善幸丸」は、2月にも尖閣海域で「海監66」の追跡を受けていた。「海監66」は、この日も数10㍍の距離まで接近してきた。


 名嘉全正船長は「見覚えがある船だと思ったのかも知れない。あれだけ海保の巡視船がいて、こっちは9隻もいるのに」と監視船の行動にあきれた様子だった。
 ツアーの漁船団はこの日午後6時ごろまでに、9隻とも無事、石垣港へ帰港した。

2013年

4月

24日

動き「見越していた」 日中の実効支配〝互角〟に 水島幹事長

尖閣海域への出港を前に、報道陣のインタビューを受ける水島幹事長=22日夜、石垣漁港
尖閣海域への出港を前に、報道陣のインタビューを受ける水島幹事長=22日夜、石垣漁港

 「われわれの行動を見越していた」―。尖閣諸島周辺では23日、「頑張れ日本!全国行動委員会」がチャーターした漁船団の到着を待ち受けるように、中国の海洋監視船が大挙して領海侵入した。同委員会の水島総幹事長は、「日本と中国の公船による尖閣の実効支配は五分五分になった。どんどん中国の圧力が強まっている」と、尖閣海域が侵食されている実態を訴えた。


 尖閣の実効支配をアピールするため、参加者を一般公募して始めた釣りのツアーは今回が13回目。水島氏は今回の出港も、中国側が事前に情報収集していたと見る。


 燃料費の高騰などを受け、尖閣海域で漁をする地元漁業者は減少している。


 「漁業者が燃料の補助を受け、尖閣で活発に漁をできるようになれば、われわれが行く必要もなくなる」とツアーの意義を訴える。


 9隻の漁船団が魚釣島周辺に到着し、釣りをしながら移動しようとした時、海保が「中国の海洋監視船が領海侵入した」と無線で島陰への避難を促してきた。
 さらに「監視船が接近している。全速力で石垣港へ戻ってほしい」と要請を受けた。


 安心安全操業どころではない実態。「結果として、向こうがわれわれを追い払ったことになる」と悔しさをにじませる水島幹事長は「自衛隊法を改正し、領海に入ってきた中国船に対しては警告の上、拿捕や撃沈できるようにするべきだ」と訴えた。


 国内には日中間の緊張を高めるとして、ツアーを非難するような風潮もある。
 「(日本の領海内で漁をするという)当然のことをやっているのに、とんでもないことをやっているように言われる」と苦笑しながら「今後も活動は続ける」と明言した。

2013年

4月

23日

漁船10隻が尖閣へ 領海侵入に緊張走る

尖閣海域へ出港する漁船=22日午後10時過ぎ、石垣漁港
尖閣海域へ出港する漁船=22日午後10時過ぎ、石垣漁港

 民間団体の「頑張れ日本!全国行動委員会」が企画した尖閣諸島海域での釣り(漁労)のツアー約90人が22日午後10時過ぎ、漁船10隻で石垣漁港を出港した。23日早朝に尖閣海域へ到着する見込み。尖閣海域には同日夜、中国の海洋監視船3隻が一時領海侵入し、同委員会の水島総幹事長が「中国公船は日本船の臨検を狙っていると思うが、絶対に中国人を乗船させてはいけない」と呼び掛けるなど、緊張が走った。


 中国公船による領海侵入が常態化している現状について「中国と海保の巡視船の実効支配は同じレベルになった。われわれが漁をすることで唯一、(日本が)優越している状態」と強調した。


 狛江市(東京)から参加した市議の辻村ともこさんは「日本の端の島で何が起こっているか、しっかり自分の目で見たいと思った。(尖閣が中国に奪われると)あの海域で中国の潜水艦が活動できるようになり、アジア全体の脅威になる」と指摘した。


 中国海洋監視船はツアーの出港に先立ち、午後9時35分ごろまでに領海を出た。
 ツアーは今回で13回目。出港に先立ち、石垣漁港では海上保安庁の職員が1隻ずつ立ち入り検査を行った。

2013年

4月

13日

「操業不能」漁業者反発 台湾船、尖閣海域進出へ 日台漁業協定

 尖閣諸島周辺で台湾漁船の操業を認める日台の取り決め(漁業協定)に対し、八重山でマグロ漁を営む漁業者から「尖閣では操業不能になる」と反発の声が上がっている。台湾漁船が地元漁業者のはえ縄を切断するトラブルが頻発した約10年前の「悪夢」が再来しかねないためだ。県は12日、政府に抗議。県議会でも地元選出議員を中心に、漁業者の安全操業確保を求める声が上がりそうだ。

 

 石垣島と尖閣諸島の間の海域はマグロの好漁場だが、漁業者によると、約10年前まで台湾漁船が日常的に出入り。台湾漁船が地元漁船のはえ縄を切断したり、ブイなどの漁具を勝手に捨てたりするトラブルが絶えなかった。


 漁業者によると、台湾漁船と地元漁船は、はえ縄を流す方向が異なるため、はえ縄が頻繁に絡まる。台湾漁船は地元漁船のはえ縄を切断し、自らのはえ縄を回収するという。


 現在では水産庁が取り締まりを強化し、台湾漁船を締め出したため、トラブルは目立たなくなっている。


 日台漁業協定では、尖閣周辺海域を「法令適用除外水域」(取り決め適用水域)とし、台湾漁船の操業を「自由化」。台湾漁船が石垣島北方海域まで進出する可能性も現実味を帯びてきた。


 久米島西のマグロの好漁場にも、日台が双方の操業を尊重し、操業秩序の確立のため最大限に努力する「特別協力水域」を設けた。


 マグロ船主会の並里学さんは「水産資源が少ないと言いながら、あんなにいい漁場を『はいどうぞ』と渡すのか」と憤る。協定にマグロ漁業者の要望は一切反映されていないという。


 名嘉全正さんは「(台湾漁船と一緒に操業すると)漁具が壊される。(台湾漁船の取り締まりが始まった)前よりも状況はひどくなるだろう。この海域は放棄するしかない」と指摘。「漁協の漁獲高は半減し、後継者も生まれなくなるだろう」と悲観する。


 こうした漁業者の声について砂川利勝県議は「漁業者の利害関係が絡む問題なのに、全く配慮に欠けている。他人の生活圏を奪うようなものだ」と政府を厳しく批判。県議会でもこの問題を取り上げる意向を示す。


 高嶺善伸県議は「大事なことは日台の友好関係。話し合いの窓口が動き出したことは評価したい」としながら「県や漁業者の意向が十分に反映されなかったことは残念。不安を払拭できるよう、地元漁業者の安全確保のルールづくりを早急に進めるべきだ」と述べた。


 水産庁の担当者は13日、市役所を訪れ、協定の内容を説明する予定。
 中山義隆市長は、内容の説明を受けるまでは詳細なコメントを控えるとした上で「八重山の漁業者が不利益にならないようにしてほしい」と求めた。

2013年

3月

24日

尖閣侵犯で抗議決議6回 中国政府、すべて無視 「大国化」とともに挑発激化

 尖閣諸島問題で、石垣市議会が2008年から今年までに、中国政府の領海・領空侵犯に対して6回の抗議決議を行っていることが議会事務局のまとめで分かった。中国は抗議決議をすべて無視しており、現在も尖閣海域への公船派遣を継続。実力で尖閣を奪う構えを崩していない。抗議決議の歴史を振り返ると、中国の経済発展や軍事大国化と歩調を合わせ、年々、挑発行為がエスカレートする状況が浮かび上がってくる。

 

 事務局のまとめによると、尖閣関連の意見書や決議は1970年から2013年の3月議会までに計21件。このうち、中国政府に対する最初の抗議決議は08年12月の「中国調査船による領海侵犯に対する抗議決議」だった。


 中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突する事件が起きた10年9月には「中国漁船領海侵犯に関する抗議決議」を行った。


 中国はこの年、日本を抜いて世界第2位の経済大国に浮上。軍事費支出も08年以降、米国に次ぐ世界第2位の規模を維持し、尖閣周辺での挑発行為も激化する。


 中国漁業監視船は11年8月に初めて領海侵犯。直後の10月に市議会は「中国漁業監視船等の尖閣諸島沖領海侵犯等の挑発行為と不当な主張に対する抗議決議」を可決した。


 しかし中国公船の尖閣海域での活動は活発化の一途をたどり、中国当局者は12年3月「日本の実効支配打破」を宣言。これを受け市議会は同月「中国公船の巡視活動常態化に対する抗議決議」を行った。


 中国は同年9月11日の尖閣国有化前からすでに、尖閣を実力で奪おうとする動きを加速させていたことがうかがえる。


 国有化後はこうした動きが露骨になり、9月14日には過去最多の海洋監視船6隻が相次いで領海侵犯。計7時間にわたって領海内を徘徊した。さらに12月には、中国機の領空侵犯も発生。これを受け市議会は同年12月「中国機の領空侵犯に関する抗議決議」を可決した。


 今年2月には、尖閣海域で領海侵犯した中国公船が地元漁船を1時間半に渡って追跡、威嚇する事件が発生。これを受け市議会は3月「尖閣諸島における中国公船領海侵犯に対する抗議決議」を行った。


 市議会の抗議決議は、日本政府とは別に、地元住民の「声」を直接、中国政府に伝える意義がある。

2013年

3月

23日

尖閣 「世界的に貴重」 環境保全と資源活用を 海洋基本計画を答申

 石垣市海洋基本計画策定委員会(会長・山田吉彦東海大教授)は22日、市に、尖閣諸島を含めた環境保全と資源の活用を図る「基本計画」を答申した。計画で、八重山海域の世界自然遺産登録に向け、尖閣諸島の生態系を「世界的にも貴重」として調査方針を明記。周辺の漁業と海底資源開発の重要性も指摘している。海洋計画策定は竹富町に続き全国で2例目。

 

 基本計画は、環境保全の在り方や海洋資源開発、漁業・観光振興、国際貢献について市の指針を規定している。
 尖閣諸島については1項目をあて、世界自然遺産登録に向け、尖閣の生態系を「世界的にも貴重で豊かな生態系が形成されている」と評価。「世界遺産」指定の中核地域として調査研究する方針を明記した。豊富な漁業・海底資源調査の重要性も指摘。尖閣諸島での灯台・無線施設・漁港整備の必要性にも触れ、周辺海域を保護区に設定するとした。
 尖閣以外でも、八重山海域の環境保全や漁業資源管理、観光開発、国際貢献の実践、海洋エネルギーの活用も計画に取り入れた。


 市役所であった答申で山田会長は「パブリックコメントも生かし、市民が参加できる計画にした。行政とも協力し、一人ひとりが自分は何ができるのか―を考え行動してほしい」と計画の具体化に期待を込めた。
 中山義隆市長は、答申を施策に生かすとした上で「尖閣が国有化され、まず自然環境の学術調査をしたい。学術調査なら中国からの異論は出ないのでは」と述べた。


 策定委は2012年1月に発足。竹富町海洋基本計画にも関わった山田教授を会長に、元防衛事務次官の秋山昌廣さんら識者、地元経済団体代表者を委員に策定作業を続けていた。1月18日に素案を発表、パブリックコメント(意見公募)を経て、この日の答申となった。計画は2013年度から10年間。

2013年

3月

17日

尖閣「無主地」 江戸時代に確認 領土編入の280年前 中国の非難成立せず 石井准教授発表

 1616年、当時の徳川政権が明国(中国)に対し、尖閣諸島がどこの国にも属さない「無主地」であることを確認していたことが16日までに、明国側の漢文史料で明らかになった。日本政府は明治28年(1895年)に尖閣が無主地であることを確認して領土に編入したが、漢文史料を発掘した長崎純心大の石井望准教授は「この史料で日本側の確認の年代が280年繰り上がる」と指摘。尖閣を「日本が盗んだ」と非難する中国政府の主張が成立しないことを示す有力な証拠になりそうだ。

 

 石井准教授が新事実を発見した史料は、明国の「湘西紀行(しょうせいきこう)」「東西洋考(とうせいようこう)」「盟鴎堂集(めいおうどうしゅう)」の3種。

 それによると、元和二年(1616年)、日本から台湾征討のため派遣された使者明石道友(あかしどうゆう)が漂流し、福建沿岸の東湧島(とうゆうとう)(今の馬祖列島東端)に停泊した。

 

 その際、明国の偵察員に対し「大明の境界に入らず」(明国の領土には立ち入っていない)と述べた。明石は出航前にも、長崎代官から「天朝(てんちょう)の一草一粒(いっそういちりゅう)をも犯すを許さず」(明国の領土に立ち入るな)と厳命されていた。


 石井准教授は「明国の領土を犯さないように、東湧から東が無主地だと事前確認した上で渡航したことを史料は示している。当時の尖閣航路は季節風を利用する帆船の一本道。その西の出入口に東湧が位置するため、尖閣航路全体を無主地として日本側が確認していたことが分かる」と分析した。


 1895年に日本政府が尖閣を領土に編入したことについて「明治の確認は決して一夜づけでなかったことが明らかになった。中国側の『盗んだ』などの主張は全く成り立たない」と強調した。


 石井准教授は、2月4日に開かれたキャノン・グローバル戦略研究所の研究会で今回の研究成果を発表。「島嶼(とうしょ)研究ジャーナル」(島嶼資料センター)4月最新刊にも掲載する。

 

2013年

3月

17日

不当主張には断固反論を 日・明の無主地認識証明

 徳川政権が、尖閣諸島が無主地であると確認していたことを示す史料の発掘について、尖閣問題に詳しい尾崎重義筑波大名誉教授(国際法)は「史料中、明国に対する明石道友の発言は、公務員としての立場で述べたものと位置づけるべき。当時の日本政府の公式の無主地認識を示している」と見ており、中国の不当な主張には「断固として反論しなくてはならない」と求める。


 その上で「近代以前の東アジアに国際法が存在したことはすでに研究されているが、今度の史料も、両国間における国際法の表われ」と、日本の領有権を証明する証拠の一つという認識を示す。


 中国は「日本は日清戦争の混乱に乗じ、尖閣を盗んだ」と、強硬に尖閣の領有権を主張している。


 尾崎名誉教授は「中国側の史料からも、言い分は完全な誤り。尖閣は八重山諸島に最も近く、古くからその存在は島民に知られていた。そのことは、八重山の人たちがつけた島名からも、十分に推測される。中国名は、その島名を漢文名にしただけだ」と指摘。「黙っていると世界は中国の発言が正しいという印象を持つ。逐一、反論することが大切だ」と話している。漢文史料は石井望長崎純心大准教授が発掘した。