2016年

9月

03日

伊江病院事業局長起用の舞台裏 仲井眞知事との思い出③ 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 沖縄県は、新型インフルエンザへの対策に懸命に対応した。当初の予想に反し一例目の患者は6月であった。しかし、7月には流行が始まり患者は急増していった。8月中旬になると、患者発生数の増加に比例して重症者が急増した。沖縄においても海外情報と同じく、通常のインフルエンザとは異なり、重症者は若い人たちであった。
 八重山地方の離島診療所でも、重症患者が発生した。呼吸の止まった患者に診療所の医師によって挿管処置がなされた。患者はすぐに海上保安庁のヘリコプターで県立八重山病院に搬送され、ICU治療を行われ救命した。皆様方は既に忘れただろうが、当時そういったこともあったのだ。
 その頃はまだ病気の本質が十分には分かっていなかった。マスコミでは過度の恐怖情報が流れていた。搬送や治療の現場の方々にとっては、未知の病気への相当の恐怖もあったと思われるが、恐怖感を乗り越えて誠実に対応していただいた。改めて感謝の思いを表明したい。
 沖縄県では先人たちの努力で、宮古・八重山に拠点となる病院を整備してきた。また、各離島にはそれぞれ診療所を設け医師・看護師などの専門家を配置している。更に、海上保安庁や自衛隊の全面的な協力のもと、救急患者航空搬送体制を整備してきた。新型インフルエンザの経験を持ち出すまでもなく、こういった医療環境の整備は、離島住民の安心にとって最も重要な事項である。このことに関係してきた先人たちや、今現場で働いている方々への感謝の思いを軽んじては決していけない。同時に、医療の適切な確保と、その機能向上には、今を生きている私たちの重大な責務であることも忘れてはいけない。そのことがなければ地域医療はいとも簡単に崩壊してしまうのである。
 さて、当時の八重山病院伊江院長とは、電話で密接に連絡しあい対応した。また、10年以上にわたって八重山病院長を担っていることに、私は深い尊敬の念をいだいていた。後日そのことが大きな意味を持つこととなった。
 新型インフルエンザへの対応も終わった23年早々、前任の病院事業局長が任期満了を迎えた。次期病院事業局長をどなたに担っていただくか、県三役をはじめとした人事担当者の検討が始まった。数人の候補者の名が取りざたされた。どなたも立派な業績を上げられてきた先生方ばかりであった。
 総務部長から医療関係者の意見の聴取を依頼された。県立病院の主だった方々や、県医師会の先生方の意見を聴取することとなった。県立病院の先生方の多くは、離島で10年以上も頑張ってきた伊江先生こそが事業局長にふさわしいといった意見であった。しかしながら、知事をはじめとした三役には伊江先生を知る方がいなかった。そういうこともあり当初、ほかの先生が有力となっていたようである。
 私は当時の、総務部長や宮城県医師会長を通じて県三役に情報を上げた。人事が大詰めを迎えたころの昼休み時間に突然、仲井眞知事から電話があった。「伊江病院長を次期局長にするというのは宮里統括監のご下命ですか?」知事から〟ご下命〝などと言われ動転した。「そうではなく天命だと思います」私はとっさにそう答えた。
 普通に考えるととても変な会話であるが、これも仲井眞知事の特殊な言語感性の一例であると考え、皆さんに紹介した。