2016年

9月

08日

県民思う〝侍魂〟に感動 仲井眞知事との思い出⑦ 元沖縄県福祉保健部長 宮里 達也

 私は平成21年度から23年度の3年間、県福祉保健部行政の分野において仲井眞知事にお仕えした。
 その頃の最大関心事は、平成24年度から始まる振興策の方向を決める『沖縄21世紀ビジョン基本計画』の策定であった。私も県幹部の末端にある者としてその議論・調整に参加する機会があった。知事は、復帰40年を経過し沖縄関係予算が年々縮小されていく状況に強い危機感をもたれていた。予算総額3千億円復活と一括交付金制度の造設を目標に幹部職員を叱咤激励していた。
 平成25年度予算は政権交代のため編成が遅れ1月にずれ込んだ。予算確保に向けて政府折衝が大詰めをむかえたころ、未明に予期せぬ強い腹痛に襲われ県立南部医療センターに緊急入院となった。
 そのころ私は県庁を去り、知事の動向を直接見ることはなくなっていた。その日の夜、病院事業局長から電話があった。「知事が腹痛で入院なさった。心配なので明朝一緒に見舞いに行ってくれ」そういった内容であった。
 翌早朝、病院で局長と待ち合わせ、病室を訪問したところ、病状は私が予想していたより重く感じた。悪いことに、まだ診断もついてない状態であった。しかし、運のよいことに、腹部超音波診断の専門医である当時の松本八重山病院長が本島に技術指導の講師として来ていた。直ちに局長が彼に連絡を入れ、検査してもらう手はずをとった。その結果、胆嚢炎であることが分かり、緊急手術となった。
 手術が始まったころ、私は、知事の病状説明へのアドバイスのため川上総務部長の部屋に呼ばれた。しばらくして部長の携帯電話に山本一太沖縄開発庁長官から電話が入ってきた。
 「今、知事から電話をいただいた。『東京で直接お会いして予算のお願いをする約束となっていたのに、これから緊急の手術を受けなければならなくなり、約束を果たせません。私の代わりに担当部長を行かせますので、新年度予算に関しては特段の配慮をお願いします』とのことで驚きましたが、知事は大丈夫ですか?」そういった内容であった。
 当時、心ないうわさも流れたりしたが、実際の病状は、胆嚢炎が悪化し予断を許さない状況であった。強い痛みとショックによる朦朧状態にあっても、沖縄の予算確保について気にかけ続けておられたのである。仲井眞知事の県民を思う〝侍魂〟に私は深く感動した。
 私は保健医療行政の専門家であり、辺野古問題は専門外である。しかし、元行政官としてあえて知事の立場を想像すると、沖縄県には『公有水面埋め立て』が法に定められた適切な手続きを踏んでいるかどうかの純粋な行政判断をするしかなかった。
 平成25年末に行われた次年度の予算確保活動も、激しい腰痛を発症し歩行困難となる厳しい中行われた。予算が満額回答された時、記者に囲まれた知事が「これで良い正月を迎えることができます」の言葉は、知事の命を懸けた活動に対する、総理をはじめとした各大臣のご配慮への、彼なりの最大の感謝の表明であり、断じてそれ以外のものではなかった。繰り返し行われたマスコミによる「知事は沖縄を(辺野古を)お金で売った!」といったイメージ報道は、全くの事実誤認であると私は確信している。(おわり)