―知らないことの罪― 滅ぼされ隷属する運命 中国の覇権主義に対峙する 中川建志

 北朝鮮のミサイルがたった一分しか飛ばず、海の藻屑となったと思ったら、今度は石原都知事の尖閣諸島購入の衝撃発言。触らぬ神に祟りなしを貫いていた政府が大慌てして、国有化を言い出すあたり、都知事の一石は、意味があったかなと思わざるを得ない。しかし、こういう事態になって気になるのは、中国側を刺激することはしないほうがいいという、主体性のない意見が識者から出て来ることだ。刺激しないようにして、竹島を韓国に実効支配されてなお、抗議もせず、侵略されてしまった事実を、彼らは忘れてしまっている。主権国家として言うべきことは、常に言わなければならないのだ。


 ここ何年か、沖縄や八重山から聞こえてくる声で、私が一番、違和感があるのは、過去の歴史に対する認識である。その中でも、特に、中国に対する印象だ。「中国とは昔から親和性がある」というコメントと共に、反米親中を語る声が沖縄、八重山の一部からメディア報道されることがある。確かに、琉球王朝は、清と冊封体制にあった。朝貢によって守られていた部分はあるだろう。しかし、それは国家間の対等な関係ではありえないのだ。


 1636年、清が成立した時に、李氏朝鮮に対して朝貢を求めたが、朝鮮側が拒絶したところ、即座に清は朝鮮に侵攻し、45日で降伏させたのである。時の朝鮮王は、皇帝に対する三跪九叩頭の礼を行い、許しを懇願させられたのだ。この世界で最も屈辱的とされる三跪九叩頭の礼は当然、琉球国王に対しても求められた。こんなものは友好国としての関係でも何でもない。ちなみに、西洋諸国は近代、この儀礼をことごとく拒否、明治政府も当然、拒否をした。首里城の展示に、「琉球国王之印」があるが、その説明に沖縄はチベットと同じランクの冊封国とある。ということは中国の認識は、琉球王朝配下の島々は中国の隷属物であって、異を唱えた場合、チベットと同じような運命にあるということだ。こんな恐ろしいことはない。これを親和性と言うならば、そこに待っているのは、滅ぼされ隷属する運命しかないのである。


 もう一つ、論点がある。清は異民族が支配した中国である。この国を滅ぼし、新たに興した国が現・中華人民共和国である。百歩譲った立場から、「中国と親和性がある」という意見に対して言いたい。「皆さんが言う清と中華人民共和国は全然違う国ですよ」と。漢民族はようやく打ち立てた漢民族国家として、異民族を差別的に支配している。大量の漢民族が、異民族の地域に移住して、実権を握り、漢民族支配に塗り替えて行くのである。チベット然り、ウィグル然り、モンゴル然り。その結果、小数民族の地域では、汚職と横暴、専制、抑圧、何でもありとなる。当然、沖縄然り。八重山然りである。


 私たちは政府に納得いかないことがあれば、異議を唱えることができる。陳情だってできる。しかし、共産党独裁の中国では、同じことをすれば、知事であろうと国民であろうと、粛正されるのである。しかも、その政府は政策ミスで自らの信用を失った時には、反日を煽って自己正当化してきたのだ。そのための道具として、学校では「日本は悪魔の国で、どんな目にあってもしようがない」と子供たちに教えてきたのだ。私は自分のことを悪魔の国の国民と言われたら、それを撤回し謝罪してくれない限り、心から信用することができない心の狭い人間である。しかし、私の意見は、フィリピンやベトナムなど、中国の領土侵略に現在、脅かされている中国周辺諸国の意見と、認識を一にしていることは理解していただきたいと思う。