風化進む「4・28」 きょう講和条約60年 「主権回復」でも「屈辱」

4月28日の集会後、沖縄の本土復帰を求めて桟橋通りを行進する人たち。1965年前後の写真(黒島健さん提供)。
4月28日の集会後、沖縄の本土復帰を求めて桟橋通りを行進する人たち。1965年前後の写真(黒島健さん提供)。

 1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、太平洋戦争敗戦国だった日本が独立を回復してきょうで60年。しかし沖縄など南西諸島は引き続き米軍統治下とされ、日本本土にとっては「主権回復記念日」、沖縄にとっては、本土から切り離された「屈辱の日」とされてきた。しかし、復帰記念日の5月15日に比べ、「4・28」の記憶は急速に風化が進んでおり、八重山でも関連するイベントなどは予定されていない。県民の苦難を語り継ぎながら、沖縄の将来を改めて問い直す日とすることが求められている。

 

 「4・28は沖縄が本土から切り離された屈辱の日、5・15は本土復帰の日。本来は『4・28から5・15へ』というテーマで歴史を引き継がなくてはいけない」


 石垣市の前副市長、黒島健さん(64)は、「4・28」が風化している現状を嘆く。かつては「ヨンニッパー」とも略され、県民にとって「忘れられない日」だった。


 復帰前の石垣市では、毎年4月28日、沖縄の本土復帰を求める集会が美崎町の埋め立て地で開かれた。高校生だった黒島さんは、同級生たちと自主的に参加。「沖縄を還(かえ)せ」などというスローガンを記したちょうちんなども自分たちで作り、持ち寄ったという。


 「人の波がすごかった」。プラカードや日の丸の小旗を掲げた参加者は熱気にあふれ、集会後は現在の730交差点から郵便局方面へ行進した。


 1972年5月15日の沖縄復帰後は「5・15」が沖縄を象徴する新たな記念日になり「4・28」は忘れ去られがちになった。近年、この日を記念するイベントは八重山で全く開かれていない。


 現在、「4・28」を見直す動きは、保守的な勢力を中心に進められている。尖閣問題や北朝鮮問題で日米同盟の重要性が再認識される中、自民党は昨年「4・28」を「主権回復記念日」として祝日に定める法改正を提案した。


 藤村修官房長官は25日、「条約はわが国の戦後の発展の礎となったばかりでなく、国際社会の平和と繁栄の基盤となった」と同条約を評価。


 その上で「60年を経て、わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していることも事実。日米同盟を基軸としつつ、幅広い国や地域が参加する枠組みを活用しながら、この地域の秩序とルールづくりに主体的な役割を果たしたい」と述べた。


 「主権回復記念日」であると同時に「沖縄が切り捨てられた屈辱の日」という二面性を持つ「4・28」。複雑な思いを語り継ぐことができるのは県民しかいない。
 黒島さんは「5月15日の復帰記念日にも、改めて『4・28』を提起してほしい」と訴えた。