祖国復帰を心から祝おう 富川 昇

 沖縄県祖国復帰前年の、1971年10月31日(日)「沖縄返還批准貫徹県民大会」が与儀公園で開催された。当時私は二十八才でした。純粋に祖国を思う参加団体で約一千人余による大会であった。「戦争によって失った国土の主権を平和裡に回復することは人類の有史以来初めての快挙であり、平和外交の勝利として高く評価すると共に、何にもまして我々県民が日本国民としての主権を回復し、国民としての諸権利の行使と生活を享受することができることに深い意義と感激と希望と勇気を感じます。」と、大会宣言決議された。


 その『宣言決議』を携えて、政府や政党首脳関係者へ上京陳情した代表団七人の一人として私も参加させていただきました。団長は「沖縄子供を守る父母の会」代表の琉球政府文教局長をされた小嶺憲達先生でした。国会陳情後、山手線の各駅前で街宣やビラ配布活動を行い、東京都民へ祖国復帰を願う沖縄の熱き思いを訴えた。そして純粋な県民の陳情は結実していくのであった。翌十一月十七日衆議院沖縄特別委員会で採択、そして十一月二十四日衆議院本会議、十二月二十二日参議院本会議で採択され、翌年一九七二年一月七日、日米共同声明で「復帰は五月十五日」と発表され晴れて「沖縄県祖国復帰の日」を迎えることができた。当日は大雨で復帰を祝う天の涙、県民の涙であった。県民大会から採択までの期間はまさに奇跡の二ヶ月であった。当時は七十年安保闘争と抱合せにされ危うい凄まじい渦の中にあっての復帰実現で、まさしく国難を救った奇跡の二ヶ月間であった。私の郷里の大先輩早稲田大学元総長・大濱信泉先生や、日本健青会の末次一郎先生をはじめ関係諸賢より多大なお世話を戴きました。あらためて心より感謝を捧げたいと思います。


 復帰後二十余年後、佐藤栄作総理の「密使」として沖縄返還を実現した国際政治学者・若泉敬先生の存在を初めて知りました。いろいろと評伝はあることと思いますが、「沖縄を守るということは、日本を守るということですね」と言われた若泉先生の言葉が、今更に重みを持って感じられる昨今となって参りました。沖縄県祖国復帰までの日本の政情はまさに共産革命寸前の様相を呈していた。沖縄にあっては、「教公二法阻止闘争事件」(一九六七)、「コザ暴動発生」(一九七〇)、「十一・一〇ゼネスト」(一九七―)、国内にあっては、「東大安田講堂事件」(一九六九)、「国際反戦デー闘争」(一九六九)、「あさま山荘事件」(一九七二)、隣国・中国にあっては、「チベットを自治区に編入」(一九六五)など激動の事件が続きに続いた。


 このような地上の人心の乱れに、天は英断をくだされた。神しくみ、神わざであったと胸を撫でおろす心境である。そのようにして実現した祖国復帰に今悪魔の手先が尖閣諸島に押し寄せつつある。いや、すでに押し寄せているのだ。「尖閣を守るということは、沖縄を守るということですね、日本を守るということですね」と若泉先生の警告の声が聞こえてきます。


 私は尖閣諸島と同じ住所で、石垣市登野城出身である。だからこそ現在の尖閣諸島の問題は他人事ではないのです。尖閣諸島が中国に奪われることは祖国復帰運動で帰ってきた領土が再び奪われることであり、とても耐えられることではありません。沖縄がチベットのようにならないよう県民心を一つにして尽力しようではないか。きたる六月二日(沖縄は六月二十三日)より全国ロードショーされる映画『ファイナル・ジャッジメント』で、占領された日本を救う衝撃の近未来を描いた予言の映画が上映される。これはフィクションではなく、本当に起こる可能性があるのです。全県民必見である。


 本年五月十五日、沖縄県祖国復帰四十周年を迎えるにあたり、父なる祖国、母なる祖国へ帰りたいと純粋に燃え上がった初心を忘れることなく心から祝い、明るい未来を築いて参りたいと思う。(浦添市在)