「感無量、来年も」 廃村から50年 故郷を訪問 下地島 当時の面影探す

島に居た時代に戻り、巻き踊りを行った下地出身者=新城島下地、20日午後
島に居た時代に戻り、巻き踊りを行った下地出身者=新城島下地、20日午後

新城島(パナリ)の下地が廃村になって半世紀の節目に沖縄本島や八重山在住者20人が20日、故郷を訪れた。中には68年ぶりに故郷の土を踏む参加者も。現在の下地はほとんどが原野だが、その当時の面影を探し、懐かしんだ。
 参加者は、かつて自分が住んでいた自宅跡を探し、御嶽や中盛火番跡など史跡を訪れ、当時を懐かしんだ。
 最後は、参加者は島に居た時代に戻り、豊年祭の歌や巻踊りで輪を作って踊った。


 故郷の下地を訪れようと発案、参加を呼び掛けた真栄里晃さん(72)=宜野湾市在住=は、病身の体で参加した。「廃村50年を迎え、故郷を思う人も還暦過ぎた人々だけになった。節目に多くの参加者と訪れ、感無量。来年も来たい」と話した。
 68年ぶりに訪れた大嵩幸夫さん(74)=中城村在住=は「当時の跡は自宅横にあった井戸だけだったが、来て良かった」と喜んだ。


 下地島の旧跡調査で、県立芸術大学の波照間永吉教授も同行した。
 新城島下地は、1963年に廃村になった。新城島は、農業に不向きな土壌の基で、住民は粟や豆、西表島に渡り水田で米の栽培や漁業と、自給自足のような生活を送っていた。


 戦前、戦後と八重山郡島政府の政策で移住開拓が促進され、島民は西表島豊原や石垣島に移り住んだ。


 当時あった学校は1953年に中学校(大原中学校下地分校)、翌54年に小学校(大原小学校下地分校)が、廃校になった。