住民投票に防衛政策はそぐわない㊤ 拓殖大客員教授 惠 隆之介

 近々、与那国町では自衛隊の配備をめぐって住民投票が行われる。
 防衛政策は外交の最も重要な課題であることは言うまでもないが、さらにこれを論じるには基礎知識と国際情勢の分析が要求される。
 その両者の経験もない大衆が、ただ感情だけで自衛隊の配備について反対表明することは却って危険ではないだろうか?
 今、反対派の方々の理論根拠がいかに薄弱なものであるか三点列挙したい。


 ①わが国国民は、戦後、国家の外交政策を個人倫理の延長線上にとらえると言う、とんでもない錯誤を起こしている。国家はそもそも、国益伸張のためには戦争をも辞さない。また国内においては、反体制派の粛正(暗殺処刑)も平気で行う。その傾向は隣国、中国、北朝鮮を見れば一目瞭然に解る。


 ②戦後六十五年にわたる平和は日米安保条約と米国の核抑止力によるものであった。ところが、わが国戦後世代はそれを、憲法九条によるものと教育されており、「軍備をもたない方が『平和』を達成できる」と錯覚するようになっている。


 ③米国は中国の軍事拡張に伴う緊張開始に伴い、日本国民が自らの国土を真剣に守る意志があるのか、万一の際、米国は自国青年の血を流してまで日本を守るに値するパートナーであるか疑念を持ち初めている。


 それでは、単純な平和主義がどんなに結末を生じたか史実を挙げたい。

 

 一、平和主義者が起こした第二次世界大戦
 一九三八年春、ヒットラー・ドイツはチェコスロバキア政府に対し、ズデーテン地方の割譲を要求していた。今の中国が尖閣の領有を主張するようなものだ。それ以前、ドイツは第一次大戦の責をもって再軍備を禁じられていたが、ヒットラーは国際社会に「反戦平和」を主唱しながら秘密裡に軍拡を実施していたのである。


 一方、ドイツに対抗し、かつ戦勝国であったイギリス、フランス両国には今の日本のような理想平和主義が蔓延していた。
 政治家で「国防の必要性」を主張する者は大衆からたちまち疎まれ、政治生命をも絶たれていたのである。
 従って英仏両国首脳は、ヒットラーの再軍備政策を察知していながら、譲歩策(appeasement policy)をとらざるを得なかった。


 ヒットラーの侵略手法は、まずドイツ人を近隣諸国に多量に移住させる。その後、一定数に達すると、移民たちが「民族自決」を当該国に要求しはじめる。この時ドイツは政治介入し、コミュニティの自治を早期に達成させた、そしてその後に併合するのであった。


 話を戻そう。一九三八年九月二十九日、ズデーテン地方のドイツへの割譲をめぐって、ドイツ・ミュンヘンで欧州首脳会談が開催された。
 参加者はヒットラー総統(ドイツ)、チエンバレン首相(イギリス)、ダラディエ首相(フランス)、ムッソリーニ首相(イタリア)の四者であった。


 ヒットラーはそこで、「最後の領土割譲要求」と発言したため、ドイツとの戦争を恐れた英仏両国代表は妥協した。勿論、英仏両国の民衆も懸念を示すどころか歓迎したのである。


 当時の欧州は異常だった。
 チャンバレン首相がヒースロー空港に帰任するや、大衆十万人が空港に駆けつけ、首相を「平和の使者」と褒め称えたのである。


 ヒットラーはほくそ笑んだ、英仏両国の厭戦ムードを察知したからである。半年後ドイツ軍は電撃作戦を開始、あっという間に西ヨーロッパー全土を席捲し英国に迫った。
 フランスは、かつて大陸軍国と世界から評されていたが、僅か一週間でドイツ軍の軍門に下った。当時、フランスは政治家が政争を繰り返しており、また軍人の処遇も劣悪で、士気も低かった。

 

 二、日本はこのままではナチス時代のフランスになる
 前回の「寸鉄直言」で、私は「復帰四十周年記念式典では米国の沖縄統治を総括すべきでは」と、国会議員や地元保守層に提言したことを述べた。野田桂彦首相も仲井真弘多知事もこのような視点を持たないから新型機オスプレーの配備を含む新たな沖縄政策、とりわけ南西諸島防衛強化策が県民に理解されないのである。


 ところが、東シナ海をはじめ石垣をとりまく情勢は油断をならない状況に来ている。とくに中国は尖閣諸島をチベットのように「核心的利益」と主張しており、沖縄本島への潜在主権さえ言及するようになっているのだ。
 ここで戦後、米軍統治のいったんについて述べたい。 (つづく)