住民投票に防衛政策はそぐわない㊦ 拓殖大客員教授 惠 隆之介

 一九四六年十月十八日、終戦の翌年、中国国民党(現在の台湾・中華民国)は、沖縄統治権の譲渡を米国政府に要求した。さらには一九四八年六月、空軍機を石垣島の旧日本海軍飛行場に強行着陸させ実効支配を試みた。これは米軍によって排除されたが、彼らは懲りず、沖縄の日本復帰まで国際社会に対しラジオ「自由中国の声放送」で、「琉球列島はもともと中華民国の領土」と頻繁に主張し続けた。
 また沖縄の有力者を台北に度々招いては「独立」を働きかけていたのである。
 一方、台湾では戦後、住民が新たに進駐して来た国民党軍の実態に辟易していた。これまで駐屯していた日本軍に比べ、指揮統制がとれてなかったばかりか、モラルも滅茶苦茶であった。
 そこで林宗義医師ら親日派エリート達が日本復帰運動を開始したのである。
  国民党はこれを一斉に弾圧粛正し、一九四七年二月二十八日には林氏以下反国民党勢力(日本復帰派)住民約三万人を処刑したのである。とくに林氏は銃殺刑に処せられた。


 もし戦後、沖縄列島に米軍の存在が無ければ事態はまさに台湾の二の舞となっていたことであろう。反体制運動家として有名な故瀬長亀次郎氏などは国民党によって処刑され、琉球大学を占拠していた学生活動家たちは、天安門事件にように戦車で轢殺され、火炎放射器で火葬にふされていたにちがいない。
 ところで一九四九年十月一日、中国内戦で中国共産党が勝利し、中国大陸に中華人民共和国が誕生した。敗れた国民党は台湾に引きこもって中華民国を形成し現在に至っている。


 ここで東シナ海に平和が訪れるかに見えたがつかの間だった。中国共産党は台湾制圧を目指した。ちなみに沖縄には世界最強の米軍が存在するため、さしもの中国共産党も手出しができなかったのだ。
 中国は一九五四年、一九五八年と二度にわたって台湾侵攻を試みたがすべて在沖米軍によって阻止された。 

 一方、中国は一九五八年、チベットに侵攻し、八万七〇〇〇人のチベット人を虐殺し占領した。


 そこで米国は一九六〇年、沖縄本島に中国全土を射程内に入れた戦術中距離核ミサイル・メースB九六発を配備、翌年には同数の戦術核ロケットを配備して牽制した。
 この結果、中国は金縛り状態に陥って一歩も東シナ海、台湾海峡に出て来なくなったのである。
 残念ながらこのミサイル、ロケット群は日本の非核三原則に抵触するとして返還前に撤去された。
 一九九六年、時移り、米軍がフィリピンから全面撤退した光景を見た中国共産党軍は、「戦機到来」と言わんばかりに再び台湾侵攻を試みた。


 威嚇のため非核弾頭ミサイルを台湾海峡に連続発射、その一部は与那国島北方五〇㎞に着水、町民を恐怖のどん底に陥れた。与那国の漁師は魚に出れず三千万円以上の収益が消えた。
 中国共産党はさらに、台湾の対岸に十万の大軍を集結させて、台湾が領有する島嶼への上陸を試みたのである。これを挫いたのは、沖縄に駐留する米海兵隊第三海兵遠征軍であった。
 このように軍拡を続ける中国軍を抑止するには、中国軍上陸予想島嶼に自衛隊を駐屯させるなど、国家の強い意思と実行力を内外にアピールすることである。

 

 三、住民投票実施は町費と時間の無駄遣い
 以上述べた史実を与那国町民はどれぐらい理解しまた記憶しておられるであろうか。
 ここで米国の学者が、「政治に世論調査(住民投票)は無効」と断言した論考を紹介したい。
 平成十七年、米国ワシントン在のシンクタンク「ケイトー研究所」(cato Institute)は世論調査(住民投票)について、イリノイ大学政治学教授ロバート・ワイスバーグ論文、「政治家は世論調査を無視すべき」、「世論調査は政策決定に害悪だ!」を紹介している。それを引用紹介する。


 「世論調査の結果は、あくまでも大衆の期待や願望であって、複雑な背景や実現性を無視したものだ。政治の世界では世論調査は意味をなさない。例えば、国民が給与の増加を望んでいるからと言って紙幣の印刷量をむやみに増やすわけにはいかないのと同じことだ。民主主義政治において最善策はありえず次善の策になりがちだが、世論調査はそうした次善への配慮ができない。そもそも大衆は政策決定に必要な専門知識が不足しているのみか、政策決定後の責任やリスクをまったくとれないのである。」


 詳細は拙著『誰も書かれなかった沖縄の真実』(ワック出版)ご参照