就任2年目で甲子園へ 石垣出身 選手と同じ目線で 浦添商・宮良監督

子どものころからの夢、甲子園出場を決めた、石垣市出身の宮良高雅監督。甲子園はベスト4以上が目標という(本人提供)
子どものころからの夢、甲子園出場を決めた、石垣市出身の宮良高雅監督。甲子園はベスト4以上が目標という(本人提供)

 夏の全国高校野球県大会決勝(15日、沖縄セルラースタジアム那覇)で、沖縄尚学高校を下し、全国のトップを切って、4年ぶり4度目の甲子園出場を決めた浦添商業高校。チームを率いたのは石垣市出身の異色監督、宮良高雅さん(43)。強豪・沖尚を相手に、的確な采配と選手操縦でチームを夢の舞台へ導いた。


 宮良監督は、字石垣の高市さん(75)と順子さん(72)夫妻の次男。石小野球チーム「荒鷲」、石中野球部を経て甲子園を目指して甲南高校に進学。現役時代は、3年連続準Vと夢をかなえられなかったが、大学進学後も野球を続け1994年、八重山特別支援校を皮切りに、県内各地の支援校で教べんをとった。


 浦添商業には昨年から赴任。普通校での勤務は初めて。野球部の監督になったのも同校が最初という異色の経歴を持つ。


 瞑想をトレーニングに取り入れ、選手の精神面を強化するとともに、体力づくりに力を入、就任2年目の夏、自身初となる甲子園の切符をつかんだ。


 宮良監督は「1回戦から厳しい試合の連続。楽な闘いは一つもなかった。優勝した瞬間は、何かぼう然とした感じだった」と激戦を振り返る。


 モットーにしているのは、選手とのコミュニケーション。雲の上の存在ではなく、選手と同じ目線で考え、行動する監督を心掛けている。どんな優秀な選手も、清掃活動など基本的な生活習慣ができない部員は試合に出さないという方針も貫く。16年間の特別支援校での体験を生かした指導方針だ。


 宮良監督を支えたのが同期生で、新川出身の真玉橋克彦さん(43)。真玉橋さんと宮良監督は石中まで同じチームで白球を追ってきた仲間。当時は、宮良監督が4番でショート。真玉橋さんがエースだったという。


 高校と大学は別となったが大学卒業後、2人とも教師になり、宮良監督の浦商赴任を機に、真玉橋さんがチームに合流、ともに夢を追ってきた。


 1年余りで真玉橋さんは浦商の両エースを育て上げた。
 宮良監督は「浦添商はすでに、甲子園4強を記録している。チームをさらに強化し、それ以上を狙いたい。今があるのは石垣で、野球を教えてくれた指導者のおかげ。いずれ、2人で八重山に恩返しができれば」と夢を広げている。