安良村で豊年祭 村再興へ夢語る 廃村から100年

ハスノハギリに囲まれた御嶽で、厳かに豊年祭が営まれた。風がそよぐ中、木漏れ日が差し潮騒が聞こえた=安良村跡の御嶽。
ハスノハギリに囲まれた御嶽で、厳かに豊年祭が営まれた。風がそよぐ中、木漏れ日が差し潮騒が聞こえた=安良村跡の御嶽。

 大正元年(1912年)に廃村となり、2007年に石垣市の文化財指定を受けた安良村跡に20日、子孫らが集い豊年祭が厳かに営まれた。今年は廃村から百周年の節目に当たり、関係者の感慨も一層深く、木漏れ日の下、村再興の夢を語り合った。

 

 安良集落に最後までとどまっていた浜崎マントさん(07年、102歳で没)が、当時6歳で母親とともに村を離れ、廃村となったのは1912年。マントさんは村を離れても、安良の神司として半世紀以上、祭事を取り仕切った。


 マントさんの姪にあたり、次の神司となった上地ミネさん(80)=平久保=が、中心となり、廃村から100年目の豊年祭。うっそうとしたハスノハギリに囲まれた御嶽で、手作りのごちそうを供え、上地さんらが安良村の子孫繁栄と豊年を祈願した。伝統の豊年祭には、関係者30人以上が集い、1世紀の節目に感慨を新たにした。


 マントさんの養子、崎浜秋男さん(58)=真栄里=は「小学生の頃は、馬車に荷物を積んで1日がかりで豊年祭をした。100年もの間、豊年祭は一度も欠かしたことはない。村の再興は夢。私一人ではできない。豊年祭と村の跡を守りながら、行政の力も借りて実現できれば」と話す。


 この日は、安良村の関係者が多い平久保(砂川充浩公民館長)でも豊年祭が営まれ、多数が参加、地域の繁栄に願いを込めた。


 [安良村]平久保半島の東側に位置。1753年に伊原間と白保、竹富島から移住して、計348人で開村。明和の大津波で大きな被害を受けた後、再興した。その後も疫病などで徐々に人口が減り、大正元年の1912年、最後まで残っていた浜崎マントさんとその母親が村を離れ廃村。159年の歴史に幕を閉じた。近世の村落形態を知る上で貴重として、石垣市は2007年5月、安良村跡の御嶽と周辺のハスノハギリ群落を有形民俗文化財に指定した。