尖閣諸島に行動を起こし続けよ ―外交は眠ってはならない― 大浜 京子

 先日、千葉在住の上津氏から一枚のコピーが手紙に添えられて送られてきた。上津氏は明治の頃の八重山村長(現石垣市長)の子孫である。当時の上江州(後に上津と字を変えた)村長は、治政時に八重山郡島の調査に乗り出し、特に与那国の沖に点在している尖閣諸島の周辺を徹底的に所有国の調査をしたらしい。台湾の所有でもなく、ましてや中国の所有でもなかったので、登野城一番地と登録したそうである。

 

 従って、尖閣諸島は八重山諸島の一部となり、日本の領土となったので住民が住み着くことが可能となった。その後明治二十八年に登野城一番地から、登野城二三九〇~二三九三番地と整えられたということである。そして、地番は現在に至っているらしい。


 上津氏は祖先の石垣島での活動を親から聞かされて育ったらしく、現在千葉県に住みながらも尖閣諸島の行く末を案じておられる。そのような事から、一枚のコピーが私のもとに送られてきたという次第である。


 内容は、月間WiLLの二〇一二年八月号のコラムであるが、筆者は九段靖之介(たぶんペンネーム)である。題は、「永田町コンフィデンシャル(永田町の確信と訳すべきか)―ローマ史に見る『尖閣買収』の計」とある。内容を要約すると以下の通りになる。

(要約)
 「〝石原都知事が尖閣諸島を買収する構想を発表し、日本側は共感を呼んでいるが、中国側は反感と惑いを持っている〟という今の状況はローマ史にもこれと似た事件があったらしい。どういことかと言うと、紀元前二一八年~二〇一年にローマとカルタゴが戦争をしていたそうである。開戦以来八年間も領土争いがあり、カルタゴ側はローマを争奪しておれば、ローマに勝てたはずなのだが、その直接攻撃をためらっていた。なぜならば、カルタゴ側(ここで中国に置き換えてみます)は、イタリア全土をアンチ・ローマにしてから最後に首都ローマ(ここで尖閣諸島に置き換えてみます)に攻撃を仕掛ける計画だった。カルタゴ(中国)読みは甘かったのだ。ローマ(尖閣諸島)は当時すでに弱っていたけれども、領地を、その所有者から別の市民が購入して、所有者名義の書き換えをしてしまう。そしてその売買の情報をカルタゴ(中国)に見せつけ、知らしめたのである。」まだまだローマ(尖閣)は弱っていないぞという行動の事実を、相手側(中国に)アピールし続けたことである。結局ローマ(尖閣)は勝利したという歴史的事実は、まるで現在の我々の尖閣諸島への行動に似ているではないか。ローマの格言にも、〝権利の上に眠る者を法は保護しない〟とあるらしい。たとえ個人レベルでも継続的に積極的に所有の事実を示し、公開し続けなければならない。中国側にとっては、日本側の行動は中国への嘲笑であり、侮辱と写っているだろう。」


 そこで我々は、中国側の言い分に負けてはならぬ。頑張るのだ。努力するのだ。その為には、「尖閣は日本の領土である。」と口論だけしてはあまり効果はないと私は思う。証拠の感謝状―豊川善佐氏に贈られた証拠品―中華民国長崎領事から石垣村側に感謝された『日本帝国八重山郡尖閣列島』に自信と確信を胸に揺るがぬ態度を誇示しよう。

 

 そして、この事実を、全世界に発信し、知らしめて、国際司法局に提出し、国際法にて決着をつけるべきだと私は考えている。我々が行動することが、先人である上江州村長や豊川善佐村長に対しての御恩を忘れぬ態度の証しとなると思う。