明和の大津波痕跡巡りに参加して② ~津波遺跡の教訓を生かそう~ 本紙論説委員 徳松 信男

 千人墓はほとんど知られていないが、津波による被災者の遺体を葬った洞窟である。これら津波被災者の遺骨は戦時中にすべて外に運び出されてその洞窟を日本軍が防空壕として使っていたと言われている。この近くの22メートルの地点まで、現在ある一直線の道路を津波が駆け上ったと言う。この千人墓は残された遺骨の一部を集めて供養塔を作り、この坂道を津波坂と名づけてはどうだろう。その後、宮良牧中の高台とすり山近くを通りバンナ公園へと向かった。

 

 牧野氏はこの地について、「津波は直進して、嘉崎浜から打ち上げた波は猛然として、この大地をかけ上り、台地の頂上近く、85・4メートルのところに達したものと思われる」とその著書に記している。バンナ公園の展望台は宮良川から名蔵方面まで一望でき、牧野氏のいう津波のルートを確認して、「形行書」(古文書)の被害報告と照らし合わせて、疑問が湧いてくるという事も一方ではあると解説された。このようにしてほぼ半日の津波ツアーが終わった。(つづく)