明和の大津波痕跡巡りに参加して③ ~石垣市の防災計画にみる想定内の津波について~ 本紙論説委員 徳松信男

 明和の大津波研究家の正木氏によれば大津波以前に29,000人いた人口の中3分の一が失われ、生き残ったのは19,000人であった。津波による田畑の塩害による食糧生産の落ち込みや疫病の流行等で100年後までも八重山の人口は減少し続け、明治の初めには津波以前の人口の40%12,000人になっていたという。


 ところでこの3月の石垣市の防災計画によると、石垣島東方沖地震の発生により想定 される津波は3分後に到達し、南方沖地震の場合は早いところでは市内に7分程度で到達するとされ、広い範囲で5メートル以上の津波が想定されている。それで被害想定であるが地震による被害は建物全壊360棟、半壊1,160棟、人的被害は死者9人、重軽傷者1,246人と想定されるとしている。石垣島東方沖地震津波による被害は建物全壊859棟、半壊0棟である。人的被害は死者2,867人、重軽傷者146人と想定されている。

 

 石垣島南方沖地震津波の場合、建物被害は全壊793棟、半壊70棟、人的被害は死者2,932人、重軽傷者146人と想定している。石垣市での被害想定対象地震震源位置は石垣島北方沖及び、南方沖のみしか想定されていないので不思議に思い、博物館の研究者に問い合わせてみたら、北方沖や西方沖の可能性もあるとの事であった。(つづく)