明和の大津波痕跡巡りに参加して④ ~津波遺跡の教訓を生かそう~ 本紙論説委員 徳松信男

 ここで考えるべきことだが私たちは明和の大津波のみを想定しているので、それ以外は想定外となっていないかということである。例えば崎原公園にある津波大石は明和の大津波でなく2000年前に打ち上げられたものであることが現在では明らかになっている。この津波石の打ち上げられた津波はどの方向から来たのか、そのときの津波石が別にもあるかなど疑問は尽きない。そして明和の大津波の遡上高について牧野氏は宮良牧中で85・4メートル、平得村は24・5メートル、4ケ字は8―12メートルであったという。(亜熱帯総合研究所は石垣島での最高遡上高を35メートルとしている。)


 ところで私は父母や祖父母から明和の大津波のことは幼いころより良く聞かされてきた。南方の海岸から押し寄せて来た津波は桃林寺を飲み込みその西通りを遡上してちょうどいまの4号線(標高約10メートル)のところまで来てとまったという。その1つ上の通りの我が家は難を逃れたということであった。私はそのたびホットした気持ちになっていたが想定外の方向で発生した津波についてはここもどうなるかわからないと今は思っている。(つづく)