尖閣前史、無主地の一角に領有史料有り ④ 長崎純心大准教授 石井望

法的な意義は無い

 現代世界の法理としては、明の史料は元々無効であり、今次の新見解はあくまで文化的な意義を持つに過ぎない。ただ八重山人を始めとする日本人が文化面で自信を持って我が領土と呼ぶことは大いに必要である。文化面での自信に搖(ゆ)らぎが有るから北京(ぺきん)駐在(ちゅうざい)の日本大使の放言をゆるす隙(すき)が出るのである。自信を持つためには釣魚列島の漢文史料を多くの人がよむべきである。それには上述の拙著(せっちょ)「和訓淺解・尖閣釣魚列島漢文史料」を自薦(じせん)したい。本年三月、長崎純心大の刊行である。書中(しょちゅう)にはほかにも幾(いく)つか新見解を盛り込んだ。


 本稿で使用した正かなづかひ及(およ)び正漢字の趣旨(しゅし)については「正かなづかひの會」刊行の「かなづかひ」誌上に掲載してある。「國語を考(かんが)へる國會議員懇談會」(國語議聯)と協力する結社(けっしゃ)である。(終)

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 郭汝霖「石泉山房文集」(四庫全書存目叢書、荘厳文化公司)
 郭汝霖「石泉山房文集」赤嶼の前後文
 嘉靖四十年夏五月二十八日、始得開洋。行至閏五月初三日、渉琉球境、界地名赤嶼。無風平浪、大魚出躍、船阻不行、顛頓播蕩、蓬扇損壞。舟人驚訝、若有水恠。如此三日、軍民慌甚、呼祝海神天妃求救。


 書き下し文
 嘉靖四十年夏五月二十八日に至り、始めて開洋するを得(え)たり。行(ゆ)きて閏五月初三日(しょさんにち)に至(いた)り、琉球の境に渉(わた)る、界地(かいち)は赤嶼(せきしょ)と名づけらる。風無く浪平らかにして、大魚(たいぎょ)出躍(しゅつやく)し、船阻(はば)まれて行かず、顛頓(てんとん)播蕩(はたう)し、篷扇(ほうせん)も損壞す。舟人驚訝し、水怪有るがごとし。かくの如(ごと)きこと三日、軍民慌てたること甚(はなは)だしく、海神(かいじん)・天妃(てんぴ)(媽祖)を呼祝(こしゅく)して救(すく)ひを求(もと)む。 

 

いしゐのぞむ
 長崎純心大学准教授。昭和41年、東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。
 平成13年、長崎綜合科学大学講師。21年より現職、担任講義は漢文学等。
 研究対象は元曲・崑曲の音楽。著書「尖閣釣魚列島漢文史料」(長崎純心大学、24年)、論文「大印度小チャイナ説」(霞山会「中国研究論叢」11)、「尖閣領有権、漢文史料が語る真実」(産経「正論」23年3月)など。