ロンドンオリンピック、日本選手団にエールを送る旧敵英国海軍関係者 本紙論説委員長 惠 隆之介

 8月になると毎年、広島、長崎、終戦記念日という悲劇3点セットが報道され陰湿な気分になる。ところが今回はロンドンオリンピックに見る日本人選手勝利の続報に感動と闘志を貰って気分は爽快となった。


 ここで報道されない話を披瀝したい。
 我が国は戦後3年経た1948年、ロンドンで開催されたオリンピックへの参加を拒否された。理由は、「日本が大戦中、英国海軍主力戦艦『プリンス・オブ・ウエルズ』を沈めたから」と英国政府から通知されたからである。


 中国人なら、「当然のことをしたまでだ!防衛戦争をしたまでだ、負けおしみするな!」と反論したであろうが、謙譲の美徳を重んじる日本国民は抗弁しなかった。


 小著「敵兵を救助せよ!」(草思社刊)に「プリンス・オブ・ウエルズ」「レパルス」と我海軍航空隊の戦闘、すなわちマレー沖海戦について詳述してある。


 昭和16年12月10日、日本軍攻撃のためマレー半島クワンタン沖北上中の英国東洋艦隊を、我海軍航空隊が迎撃し、約2時間で壊滅させたのである。世界海戦史上、航空機のみで高速戦艦を屠った画期的な戦いであった。


 私は2005年、ロンドンで東洋艦隊司令長官フィリップ提督の副官として海戦に参加したグレム・アレン大尉(当時)と少尉候補生で乗艦していたサー・アンソン提督(戦後、英国中東艦隊司令官を歴任)と会食したことがある。長官は、当時の英国人特有の有色人蔑視観を持っていた方で、日本人もその延長線上に見ていた。副官が、「日本人は他の有色人種と異なる、侮っては危険」と意見具申したところ、「黄色いサルが何ができるか」と一笑していたと言う。


 ところが、我海軍航空隊の攻撃が開始されるや、長官は、『こんな見事な雷撃を私は見たことがない』と絶句し顔面蒼白になった。日露戦争(1905年)で我が国がロシアバルチック艦隊に圧勝するや、米英両国海軍はこれまで海軍技術を指導していたものが極端な秘密主義に転換していた。


 我が国はそこで零戦、酸素魚雷等、世界最高水準の科学兵器を短期間で独自に開発したのみか、ワシントン、ロンドン両海軍軍縮条約で米英両国から課せられた劣勢比率を練度でカバーすべく猛訓練を積んでいたのである。


 ところが英国海軍東洋艦隊将兵を感動させることが起こる。帝国海軍航空隊は戦いの雌雄が決するや、指揮官機の信号で一切の攻撃を中止、英国護衛駆逐艦による救助活動を一切妨害しなかったばかりか、母港シンガポールへ残存部隊が帰還するまで上空より護衛したのである。


 この情報はジャワ方面やインド洋で活動する全英海軍将兵に達し、彼らが抱いていた白人絶対優位のうぬぼれは一挙に崩れ去った。アレン大尉は、日本帝国海軍を「偉大な海軍」と絶賛し、「貴殿は帰国したら、日本国民の皆様に我々の敬意と感謝を伝えてくれ」と強調した。


 以降、私はかつて日本海軍と戦った英国海軍士官子孫と兄弟のように交流している。彼らは熱心な日本ファンで、今回も日本選手団にエールを送り続けていたのである。