唐人墓160年回忌慰霊祭を前に㊦ 田島 信洋

 西里氏の研究主題は「事件への琉球国の対応」である。それにもかかわらず、首里王府の最高意思決定機関である表十五人から唯一発せられた唐人の護送中止命令書にふれていない。その命令書を所収しているのは島津文書のみで、西里氏は読んでいなかったのである。


 歴史の改ざんが絡む重大な問題であり、本来なら沖縄のマスコミが積極的に取り上げるべき対象である。しかし、西里氏の圧力に屈し、あるいは加担したのではあるまいが、沖縄タイムス紙と琉球新報紙は動かなかった。これでは、保守系の人々から「偏向ぶり」を非難されても仕方ない。さもなければ、ジャーナリストの嗅覚を発揮して問題の所在を察知し、歴史の改ざんを徹底的に追及するのが本来の使命ではないのか。


 数年前、日中友好協会沖縄県支部と同八重山支部が唐人墓に関する国際シンポジウムを計画していた。そこで、県支部顧問だった西里氏は自らコーディネーター役を務める予定であった。それが直前になって、突然、中止になった。前代未聞の珍事である。私がフロアーから発言するなら、というのが中止の理由であった。西里氏はシンポジウムを空中分解させて、逃げた。そのとき、パネリストとして名前を連ねていたのが琉大の豊見山和行氏、上里賢一氏、市史編集課の得能氏であった。一専門家として、この事態をどう受け止めているのか、三氏に問いたい。


 西里氏のプライドを思えば、同情に値する。けれども、唐人墓の現状と課題を考えると、西里氏が逃げればすむ問題ではない。同時に、専門家が一般世間では通用しない理屈を並べて、開き直ればすむ問題でもない。ハッキリ言わせてもらう。専門家が唐人墓をめぐる諸問題をタブー視して放置しているのは、無責任であり、責任放棄である。


 たったひとりの素人の正論の前に、周囲の専門家諸氏が沈黙する。なぜ西里氏の過失を厳しく問わないのか。真実の探求こそ専門家の使命ではなかったのか。今のままでは八重山研究、琉球史研究に大きな汚点を残す。そのことを専門家、関係者は自覚すべきである。


 最後に次のことを書き加えておきたい。
 一つ、唐人墓は事件の真相がわかって建立されたのではない。したがって、唐人墓の検証は不可欠である。けれども、台湾(中国)側の関係者と協議する前に、先ずは私たち自身が考えるべき問題である。


 一つ、協議する際には、率直に意見交換すべきである。島民や琉球国のおかれていた苦況を説明すれば、台湾(中国)側の理解は得られる。理解を得る必要性があると考えるなら、そのように努力すべきである。島民や首里王府が大勢の唐人を長い期間に及んで介抱したのは紛れもない事実で、友好親善のためには、それだけで十分なはずである。


 一つ、往時の島の経済的、社会的な状況も考えず、島民が中国人民と連帯して英米の植民地主義者と闘ったなどと主張する専門家や、それに同調する関係者の、古臭い冷戦時代のイデオロギーは無用である。


 一つ、私の提言が日台(中)の友好や経済交流の妨げになるのは本意ではない。計画どおり霊廟を建立して欲しい。島の観光名所、島の歴史を学ぶ絶好の学習教材として、唐人墓を最大限に活用して欲しい。将来的には、唐人墓を私が構想する「台湾村」の中核に位置づけて欲しい。


 一つ、福建における唐人護送をめぐる請諭使の請願運動を詳細に調べた研究領域は西里氏の独壇場である。事件関連史料では最後となった島に残る家譜を研究した得能氏の功績も大きい。二人の研究を高く評価したうえで問いたい。専門家としての自負があるなら、堂々と反論して後は市民の判断に委ねてはどうか。なによりも、唐人墓をめぐる諸問題に率先して取り組んではどうか。


 一つ、専門家諸氏を相手にこれまで孤立無援のなか、私はひとりで闘ってきた。その間、友人の山森卓彦くんらの気遣い―私にとっては大きな励みとなった―があったことを感謝の意味を込めて、ここに記しておきたい。


 現在の唐人墓像が徐氏や西里氏らの偏った研究に基づいて形作られてきたのは間違いない。それを承知で、その延長線上で慰霊祭を執り行うことには問題が多い。その同調者の得能氏らの主張にそって、趣意書、実施要項、式辞、祝辞は準備されるのだろうか。ここで期成会役員をはじめ関係者、石垣市民にお願いしたいことは一つ、島のしがらみから解放されて、自分で調べ、自分で考え、自分の言葉で語って欲しい。


 そのためには、戦前戦後の貧しい生活から、明和の大津波後、立ち直れないでいた往時の島民の暮らしを想像して欲しい。おそらく島民の多くはイモを食べ、薬もなく、医者に診てもらえず、次々と疫病で死んでいった。その傍らに、白い米を食べ、薬を与えられ、医者に診てもらう唐人がいた。この信じ難い光景…


 慰霊祭の目的が異郷の地に眠る唐人の御霊を追悼することにあるのは言うまでもない。しかし同時に、私たちは忘れてはいけない。中国(台湾)の人々が唐人墓から自国民の歩んだ歴史を学んでいるように、私たちには唐人の悲劇以外に学ぶことがある。慰霊祭がそれを見つける機会となり、中国(台湾)の人々とともに、琉球国の苦悩とバガースマの苦難の歴史にも思いを寄せる場となるよう心から願わざるを得ない。唐人墓が果たす日中(台)友好、国際親善のシンボルとしての原点は、ここにしか有り得ない。