考え方、考えさせ方 辻 維周

 先日の報道によると、教育長が提唱した冠鷲プロジェクトの努力が報われて、学力の向上が顕著に表れてきたとのことであるが、非常に喜ばしい限りである。


 私は約三十年間大手予備校の講師を務め、それ以外にも中学校から大学院そして社会人教育まで幅広く教える機会に恵まれているが、近年は生徒・学生に「考える力」「考えようとする努力」が急速に失われてきているように感じられてならない。少し難問にぶつかると全く考えようともせずに「わからない」を連発し、問題を解決しようとする努力すら放棄する。その態度を叱るとふて腐れたり逆切れしたりする。それを「ゆとり教育」のせいにするのは簡単であるが、指導するほうも努力を怠っていたのではないだろうか。

 

 つまりほとんど何の指導もせずに「とにかく考えてみなさい。」と無責任な発言をしたり、面倒になってすぐに解答を与えてしまったりしてはいなかっただろうか。これでは、言われた側も考える糸口を見つけられず困惑したり、安易な方向に走ったりするばかりである。


 物事を考えさせるコツは、生徒・学生が出した答えを正解か失敗かすぐに判断するのではなく、なぜそのように考えたのか、なぜそのような結論に達したのかを労をいとうことなく生徒・学生と話し合い、向き合うことである。

 

 さらに結論として間違ってはいたとしても、そこに至るプロセスがある程度あっている場合には、その部分を評価して軌道修正させ、正しい答えに誘ってゆく努力も大切である。またその解答が斬新なものであった場合には、否定せず教える側も一緒になって検証してゆくような柔軟さもほしい。その時点での教育が社会人になったときにマニュアル人間のままで終わるか、それとも柔軟な思考を持つ人間に成長してゆくかの基礎作りになってゆくということに、教員側にも気づいてもらわなくてはならない。


 そのためには「結論が出ない問題」を自分なりに考えさせてゆくトレーニングが重要である。たとえば必ず私が学生に課す課題として「無とゼロと虚の違いを自分なりに考えよ。」というものがある。これは当然結論など出るはずのない問題であり、いきなり出題された学生は当然ながら困惑している。しかししばらく考えさせた後で考え方のヒントを与えると、思考の糸口が見つかり、きちんとした論理を構築した論文を書き上げる学生が多い。


 学校であれ職場であれ、指導する側の人間は相手が何も考えてくれないと嘆く前に、自分自身の思考を柔軟にし、その上で考え方のヒントを与えるとかなり状況が改善されることもあるということを、知っておくほうがいいだろう。(本紙論説委員)