ワシントンから見た「沖縄返還」の一面 惠 隆之介

 復帰40周年を迎えた本年、私は米国統治27年間を総括する必要性と、インナー保守勢力による自己陶酔型復帰分析(万歳復帰記念式典)に異論を唱えてきました。


 実は米国は沖縄統治27年間に10億ドル以上の国費を投入し、沖縄史上初の大学をつくり、看護学校、総合病院、道路、橋梁、ダム、発電所(一部原発構想もあり)等のインフラをつくりました。なにより戦前より裸足で生活する住民にズックまで支給したのです。


  住民が高等教育を軽視するため、「学業手当て」と称して琉球大学学生、フルブライト留学生には高額なお小遣いまで支給しておりました。


 それがどうでしょう。1950年代、琉球大学は反米の巣くつと化し、米軍政府は那覇市をマンハッタン地区のように開発して沖縄を極東のショウウインドーにしようとしたら、今のオスプレイ反対運動に見られるような稚拙な反対運動が生起したのです。


 那覇市議(当時)いわく、「道路を拡幅したら戦時に滑走路に悪用される」「橋は戦車を通りにくくするため上下に彎曲して作れ」。ベトナム戦争で南ベトナムを失陥した米国は悟りました。「自主自立の精神のない人種にいくら国費を投入しても無駄!」、「施政権は日本に返還し、やっかいな沖縄左翼の子守は日本に任せ、基地の安定運用のみに特化しよう」。ワシントンはこうして沖縄返還を決意したのです。


 沖縄戦で米将兵3万人の戦死戦傷者を出し、約3万人の発狂者(主に海軍艦艇将兵)をだしてなお、短期間にかつ戦闘なしに占領地を敗戦国に返還した米国の戦略の一面がここにありました。(本紙論説委員長)