新聞にとって、誤植は尽きざる悩みのタネ…

 新聞にとって、誤植は尽きざる悩みのタネである。笑い話で済むような程度ならまだいい、と言っても、本来あってはならないことだ◆大手の新聞社勤めが長く「校正の神様」と呼ばれた人が、論語の「後世畏(おそ)る可(べ)し」という格言をもじって「校正畏るべし」と言ったが、当を得ている。例えば「自動販売機」を「児童販売機」と表記するミス。児童を販売したのでは、人身売買で手が後ろに回ることになる◆校正のミスが人名や数字の間違いになると大変だ。なかんずく、ゼロと小数点の打ち間違いは致命的。本紙にも例があった。一ケタ違うと、数十行の記事の信憑性が疑われてしまう。人名も、一字違うと別人になってしまい、とんだ迷惑を掛ける◆編集部の中でも苦労が多く、しかも報われることが少ないのが校正担当であろう。見落としがなくて当たり前。一字でも誤字、誤植、脱字などを見落とすと、たちまち非難が雨あられと降ってくる。しかも、夜は目が疲れる時間帯だ。追い討ちをかけるように印刷時間が迫ってくると、さらに焦ってしまう。パソコンで打つ原稿には、誤字がもっともらしく、ちょこんと居座っていて、つい見逃してしまう。憎たらしいほどだ。「校正畏るべし」は永遠の名言。本稿は大丈夫だろうか。