清国史料、また「尖閣は国外」 台湾総統「発見」が逆証明 中台の領有主張崩壊

「全台図説」の該当箇所(文海出版社「皇朝経世文続編」より)
「全台図説」の該当箇所(文海出版社「皇朝経世文続編」より)

 今年9月、台湾の馬英九総統が「発見」し、尖閣諸島の魚釣島(台湾名・釣魚台)が清国に属する証拠とされていた史料が、実際には尖閣が清国の国外だったことを示していることが分かった。石井望・長崎純心大准教授が4日までに明らかにした。石井准教授は「馬英九総統は、尖閣が国外だったこと示す史料を、自ら発表したことになる。日本の領有権の正当性が改めて証明され、尖閣を日本が盗んだとする中国の主張も根本から崩れた」と指摘している。

石井望准教授
石井望准教授

 台湾側の9月の報道によると、馬総統は1872年(明治5年)に清の周懋琦(しゅう・ぼうき)が執筆した「全台図説(ぜんたいずせつ)」の中から「釣魚台」の記述を発見した。


 該当箇所には「山後の大洋に嶼(しま)あり、釣魚台と名づけらる。巨舟(きょしゅう)十余艘(そう)を泊(はく)すべし」と記されていた。


 「山後」とは台湾島の東半分であり、文意は「台湾東側の大海に島があり、島名は釣魚台という。大船十隻余りが停泊可能である」となる。


 日本が尖閣諸島の領有を開始したのは1895年で、「全台図説」の成立はその23年前。馬総統の「発見」は、日本の領有開始前に、尖閣が台湾の領土だったことを示す証拠として、台湾外交部の公式文書中に採用された。


 ニューヨークタイムズ紙の著名記者、ニコラス・クリストフ氏のブログ掲載論文でも取り上げられ、台湾側の主張が世界的に発信されることになった。


 しかし石井准教授の調査によれば、「全台図説」のこの記述の原文は台湾東側中部の「奇来」(今の花蓮)の項目中に掲載されていた。


 清国は台湾全土を統治していたのではなく、東側中部の「奇来」は、東側北部の清国領である宜蘭県の外にあり、清国の国外でもあった。


 「全台図説」の前年、1871年出版の官製地理書「重纂福建通志(じゅうさんふっけんつうし)」の今の宜蘭県の項目にも、同じ記述が見られることが既に知られている。台湾・中国両政府はこれまで、尖閣が清国に属していた最有力の根拠として、この記述を挙げていた。


 石井准教授によると、同項目には、宜蘭県の領域は東北端が台湾東北海岸の「三貂(さんちょう)」までと明記されており、海に出ると清の国外になる。その東北170キロメートル先の海上にある「釣魚台」は当然、国外情報として記録されたことが分かる。


 1852年の官製地理書「葛瑪蘭庁志(がばらんちょうし)」にも釣魚台について、宜蘭県の境外、すなわち清国外に存在することを示す「蘭界外」と記されている。


 石井准教授の研究成果は、12月に発行される「純心人文研究」第19号に掲載される。