八重山歴史研究会の皆さんへ㊤ 田島 信洋

 先日、貴研究会の寄稿文「唐人墓に関する対応について」を読ませてもらいました。お互いに意見を交換することは一歩前進であり、お礼を申し上げます。


 貴研究会が長年にわたり研究活動を続け、着実に成果を積み上げてこられたことは衆目の一致するところです。会員のなかにはその研究業績を認められ、立派な賞を受賞された方もおられます。したがって、市民が貴研究会に寄せる期待は大きく、それだけ社会的使命を帯びてくるのは必定です。

 

 これまで私は、唐人墓をめぐる諸問題について、貴研究会には十分すぎる力量があると期待し、協力をお願いしてきました。そして、もうやめようかとそのつど自問自答しながら、地もと新聞紙上で発言を続けてきました。そのなかで、貴研究会から積極的な関与を断る回答文書が届いたことにも触れました。

 

 そして、私は次のように書きました。「まだ一度も議論されたことのないこの事件を、島の歴史や文化、教育に携わる地元の人間が考えないで、いったい誰が考えるのか。島で起きた類まれな事件を、子供たちにどう教えるのか。」この問いは、一般論として、正しいと認めてもらえるはずです。この問いが批判的に響いて聞こえてくるのは、それだけ皆さんに良心と良識があるからだと推察します。

 

 さて、貴研究会について私が言及した部分は、皆さん自身が述べているように、この数行だけです。そのどこに貴研究会の名誉を傷つける言葉があるのでしょうか。私に他意はなく、隠された意図などありません。

 

 たしかに私は、市史編集課元職員、元課長の得能壽美氏、松村順一氏を批判しています。しかし、あくまでも専門家あるいは市職員としての二人の研究や対応を批判しているだけです。貴研究会の会員としての得能氏を批判しているわけでもありません。

 

 東京八重山文化研究会の会員のひとりとメールを交換したことがあります。
 その際、私は唐人墓の現状と課題について同研究会でも考えてもらえないかとお願いをしました。その方は私のメール文のコピーを、月例会終了後、居残った数名の役員の皆さんへ配り、説明しようとしたそうです。その場に得能氏がいました。これが、東京の研究会で「文書」がばら撒かれた事実の経緯です。

 

 この事実をもって、「この件については一切回答しない」と皆さんは全会一致で決めました。あたかも八重山歴史研究会が批判されているかのように錯覚し、貴研究会は得能氏、松村氏の立場を弁護しています。

 

 これらの事実は、唐人墓の現状と課題について貴研究会がどう考えているのか、今回の釈明文のなかでなにも書いてはいませんが、貴研究会の考え方が市史編集課のそれと基本的に同じであったことを、期せずして市民の前に明らかにしてくれました。もっとも注目すべき点だと言えます。

 

 八重山歴史研究会の皆さん、市民の貴重な財産である唐人墓が観光ガイドブックなどで年代以外すべて誤って紹介されているという、国学院大名誉教授の山下重一先生、そして一市民である私の指摘に対し、得能氏が「いちいち個人や組織が答える必要はない」と言い放ちました。

 

 この対応の仕方を適切だったと、皆さんは本気で考えておられるのでしょうか? これは学問研究の話ではなく、公僕としての在り方の問題です。この点に限って、今からでも撤回あるいは謝罪してもらうべきだと、私は考えています。

 

 出版社などへ記述を訂正してもらうよう市当局に私が要請していることについて、「石垣市からは行政の立場では言えないとした回答もあったと思いますが、田島氏はその法的根拠をもった行政の対応でさえ認めません」と、述べていますが、どこからの情報でしょうか。そのような回答を市当局から受けた事実はありません。(つづく)