強引「命名」で領有権宣伝 尖閣で中国 根拠ない学説も使用

「籌海図編」の「福建沿海山沙図」(台湾商務印書館、四庫全書より)。中国政府の「命名」の根拠になっていると見られるが、尖閣諸島を大陸の周辺に描いており、位置関係が誤っている
「籌海図編」の「福建沿海山沙図」(台湾商務印書館、四庫全書より)。中国政府の「命名」の根拠になっていると見られるが、尖閣諸島を大陸の周辺に描いており、位置関係が誤っている

 中国国家海洋局が今年9月、一方的に「命名」した尖閣諸島の26カ所の地名に、尖閣諸島と福建省沿岸の島名を取り違えたものがあることが分かった。長崎純心大の石井望准教授(漢文学)が16日までに明らかにした。尖閣の領有権を主張するため、根拠のない学説を総動員しており、中国政府のなりふり構わぬ姿勢がうかがえる。


 中国側は9月21日、尖閣諸島の丘陵・渓流・湾など26か所の地形に「命名」したと発表し、南北小島の間の水道を「橄欖門(かんらんもん)」と呼んだ。


 これは明国の古書「籌海図編(ちゅうかいずへん)」(1562年成立)の中の古地図「福建沿海山沙図(さんさず)」が根拠になっていると見られる。


 古地図では、「橄欖山」が「黄毛山(こうもうさん)」(尖閣諸島の久場島)と「赤嶼(せきしょ)」(尖閣諸島の大正島)の間に描かれている。中国の研究者は、これを尖閣諸島の南小島・北小島の合併名称だと主張。中国政府はその説を正式に採用していなかったが、今回の「命名」で、これを暗に後押しした形だ。


 古地図では「橄欖山」の傍らに「酒嶼(しゅしょ)」という島があり、下方の大陸海岸内には福建省の寧徳(ねいとく)県が描かれる。石井准教授によると、明の古書「寧徳県志」では「橄欖嶼」「酒嶼」とも福建省寧徳県沿岸部の島名とされる。


 現在でも寧徳市三都澳(さんとおう)には「橄欖嶼」が存在し、景勝地とされる。古地図は久場島と大正島が大陸周辺にあるような描き方をしており、そもそもの位置関係が誤っていることが分かる。


 さらに「橄欖嶼」を「一丸(いちがん)」(球形もしくは楕円形)と詠んだ漢詩も古書に引用されるが、尖閣諸島の南小島・北小島は球形ではない。「橄欖山」は本来、尖閣諸島を指す地名ではないことが分かる。


 石井准教授は「新命名はただの勘違いによるもの。何をするにも慎重で中々動かない日本政府とは対照的に、不確かな学説も使って宣伝する姿勢の表われだ」と話す。


 他に魚釣島中部に命名された「高華峰(こうかほう)」は、隋の煬帝(西暦604~618)の時代に福建省東方にあった「高華嶼(こうかしょ)」という島名から取ったもので、中国の研究者はこれも尖閣諸島だと主張している。全く根拠がないため、中国政府は正式にその説を採用するには至らないが、今回の命名で、同様に後押しした形になっている。


 魚釣島西部海岸に命名した「順風港」は、航路案内書「順風相送」から取ったものと見られる。


 「順風相送」には「釣魚嶼」(尖閣諸島の魚釣島)が載っており、中国は西暦1403年の成立書と主張している。今年十一月上旬にラオスで開催されたASEMの席上、中国の楊潔篪(よう・けつち)外相は、「中国は明の時代より600年間、釣魚列島(尖閣諸島)を支配している」と発言したが、その根拠が「順風相送」だった。


 しかしこの書の成立年代は1570年以後であり、しかもそこに記録された尖閣航路は琉球人特有のものであったことが分かっている。石井氏は、「『橄欖門』の誤りを指摘した講演映像を、近いうちにインターネットのユーチューブなどで公開したい。長崎純心大の論文集でも公表する計画」としている。