尖閣諸島を発見した日本人 大浜 京子

 尖閣諸島に二〇一〇年九月、境界線意識がボーッとしていた日本人を覚醒させる出来事がおこり、ハンマーで右の足を思いっきり叩きつけられた様な痛みを感じた。ああ、尖閣諸島を守らなければ、日本は中国共産主義国に乗っ取られてしまうと強く思った。中国という国は海賊国家である。中国人が悪いという事ではなく、国体が悪い。政治体質が悪いのである。


 さて、尖閣諸島の名前の由来は、一八三七年にイギリス海軍のライラ号、一八四五年にはリマラン号などが島々に来航し、安政六年(一八五九年)には日本本土からも役人が調査にやってきたと資料に記されている。尖閣諸島の島影がピナクル・アイランズ(尖閣島)とイギリス海軍の航海図に記載されてあったように尖った島々に見えたからかも知れない。当時はどこの島にも属していなかった。

 

 アホウドリが楽しく悠々と暮らしていた島の楽園であったらしい。自然界の生き物が主(あるじ)だったのである。アホウドリは世界最大級の海鳥で、西洋では貴婦人達の帽子の飾りに使われたり羽毛布団として使われていた事から重宝がられ、古賀辰四郎氏が貿易として使うために九州から石垣にやって来て、羽毛から鰹節工場まで手掛けたらしい。

 

 95歳になる私の母は、当時の様子をまだ覚えている。明治に入って上江洲村長が主のいない尖閣諸島を石垣島の登野城に登記し、たくさんの人々が尖閣諸島で生活しバード・ラッシュ(日本人がアホウドリを追いかけた現象)がおこったとある。アホウドリとは人間の名づけた失礼な名称である。乱獲によって島から姿を消したが、最近姿を見せているという。
(石垣市登野城)