伊舍堂中佐 顕彰碑建立へ 終戦記念日目指す 募金活動、近くスタート

伊舍堂用久中佐
伊舍堂用久中佐

 沖縄戦で、陸軍特攻隊の先陣を切って出撃し、米軍空母に体当たり攻撃を敢行した伊舍堂用久中佐=石垣市登野城出身=の顕彰碑建立期成会(三木巌会長)が今月18日に発足する。終戦記念日の8月15日の建立を目指して募金活動を開始する予定。「軍神」とたたえられながら、戦後教育の中で忘れ去られてきた中佐を再評価する機運が高まりそうだ。

 

 期成会準備会がこのほど開かれ、募金額の目標を200万円に設定することを確認した。顕彰碑は市が管理する新港地区の一角に決定した。
 顕彰碑には、中佐の辞世の句「指折りつ 待ちに待ちたる機ぞ来(きた)る 千尋の海に散るぞたのしき」が彫り込まれる。


 中佐の甥、伊舍堂用八さん(75)の要望で、碑には、中佐とともに出撃した部下ら9人の名前も入れる。用八さんは「(中佐の)部下の遺族もたびたび石垣島に来る。遺族のためにも、供養の碑は必要だと思う」と話した。
 三木会長は「現在の日本は、伊舍堂中佐のような人たちがいたから存在している。戦後教育の中で価値観が変わった部分もあるが、現在の価値観で特攻隊を断罪してはいけない」と指摘した。


 期成会メンバーの市議、砥板芳行氏は「この島にも特攻隊の基地があったことを知る人は少ない。エリート中のエリートだった特攻隊の人たちが、どんな思いで戦地に赴いたかを考えることは必要だ」と顕彰碑建立の意義を強調した。
 伊舍堂中佐は陸軍第8航空師団誠第17飛行隊の隊長。大尉だった1945年、石垣島白保の基地から出撃し、慶良間諸島沖で米軍空母に体当たり攻撃、多大な戦果を挙げた。特攻後、二階級特進。尉官としてはまれな功三級勲四等旭日章を授与され、正六位に叙された。