琉球侵攻 公式に容認 明「皇帝が大赦」 日本に帰属、400年前に同意

明朝廷の議事録「皇明実録」(国立公文書館所蔵、赤染康久氏撮影)
明朝廷の議事録「皇明実録」(国立公文書館所蔵、赤染康久氏撮影)

 江戸時代初期に起きた薩摩藩の琉球国侵攻と併合に対し、当時の明国高官が「皇帝が大赦(赦免)を行った」と述べ、公式に容認していたことが、長崎純心大学の石井望准教授の調査で明らかになった。中国共産党の機関紙、人民日報は5月、「琉球の帰属問題は未解決」という論文を掲載したが、歴史的には400年前、明国が琉球国の日本帰属に同意しており、大勢は決していたことになる。

 

 薩摩藩は1609年、琉球国に侵攻した。石井氏によると、明朝廷の議事録「皇明実録」に薩摩の琉球侵攻と明国の反応について記述があり、日本の国立公文書館所蔵の写本で確認できる。
 1617年、日本から福建省に渡航した徳川幕府の使者、明石道友に対し、福建省の海防と外交の担当者だった韓仲雍(かん・ちゅうよう)が、日本はなぜ琉球を侵奪したのかと質問。明石は、薩摩の琉球侵攻は家康の代で済んだことであり、この件は薩摩を追究してほしい、と答えた。
 韓仲雍は「汝(なんじ)の琉球を併する、及び琉球のひそかになんじに役属(えきぞく)するは、また皆、わが天朝の赦前(しゃぜん)の事なり」(日本の琉球併合と、琉球が日本に服属したことは、3年前の皇太后崩御時に明の皇帝が大赦を行った前の出来事だ)と発言。8年前の琉球侵攻は、皇帝による「大赦」の対象であるとして不問に付し、公式に容認した。
 韓仲雍はさらに「まさにみずから、彼の國(琉球)に向かいてこれを議すべし」と述べている。
 「みずから」は明とも日本とも解釈できるが、石井氏は「この問題は済んだことなので、明国も日本もそれぞれ勝手に琉球と談判しようという意味だろう。いずれにしても、明国が日本による琉球併合に同意していたことに変わりはない」と指摘した。


 石井氏によると、琉球国の帰属問題をめぐり、明国が公式に日本帰属に同意していたことを論じた研究はこれまでにないという。
 石井氏は「明国は琉球人の案内によって使者が琉球に渡航していただけであり、琉球に援軍を送ることは不可能だった。高官が(琉球の領有同意を示す)『大赦』という言葉を使ったのも、なかばメンツのために過ぎない」と分析している。 (琉球侵攻と明国の反応に関する石井氏の寄稿を近日中に掲載します)