尖閣をまもる秘策あり㊤ 四百八十周年が横取りされる 長崎純心大学准教授 石井 望

 

 尖閣は國際公法の上で疑ひなく日本のものだが、實際の防衞のためには世界の支持が必要である。チャイナ側は尖閣の歴史を前面に出してをり、そこに世界の同情も集まりつつある。既倒の狂瀾を返すために、日本は歴史でも完勝せねばならない。いま歴史を弘報するために二つの秘策を披露したい。一つは尖閣四百八十年史上最古の記念日、今一つは福建海防史料集の編纂である。


 ▽最古の記録は琉球人の案内
 世間には尖閣の漢文史料で我が方が不利だとの誤解が有る。要注意の一つは「釣魚嶼」といふ漢文名である。命名者の記録は無いが、琉球人の案内のもとで最初に記録されてをり、琉球人が命名した可能性が高い。漢文は東アジア共通の文語であって、西洋のラテン語や印度の梵語と同じである。


 琉球人の案内で釣魚嶼(魚釣島)を記録したのは、明(みん)の陳侃著『使琉球録』である。それを示す一段を私は「陳侃三喜」(ちんかんさんき)と呼んでゐる。


 明の使節陳侃は、福州から出航の前年末、未知の琉球への渡航を畏れてゐた。そこに琉球の朝貢貿易船が入港したので、情報を得られると喜んだのが一喜。次に琉球から迎接船が入港したので、先導してもらへると喜んだのが二喜。次に迎接船が羅針盤役らを派遣して陳侃と同船させ、琉球までの操舵を申し出たのが三喜である。翌年初夏に出航した使節船は、琉球の役人の操舵のもと、嘉靖(かせい)十三年(西暦1534年)陰暦五月十日に尖閣列島の「釣魚嶼」を通過する。尖閣は最初から琉球王が公式に外國の客を導く航路として記録された。チャイナ側はつねに陳侃が釣魚嶼を記録したことだけを強調して、琉球人が針路を司ったことを無視しつづけてゐる。


 ▽チャイナよりも先に記念式典を
 來年(平成二十六年、西暦2014年)は尖閣有史四百八十周年の記念すべき年となる。釣魚嶼を最初に記録した陰暦五月十日は、陽暦では今年の六月十七日もしくは十八日、來年の六月七日である。石垣市で記念式典を行なふことを提言したい。式典により、四つの正論を世界に弘報できるだらう。第一に、四百八十年前から尖閣は文化的に琉球のものだった。第二に、釣魚嶼の命名者はチャイナ人ではない。第三に、歴史でも日本が完勝である。第四に、尖閣は政治の島でなく、歴史の島である。


 記念式典の前提として、歴史に忠なるを要する。「日中友好」などを合言葉に記念日を無原則に利用する陰謀には警戒せねばならない。記念日名としては「釣魚嶼みちびきの日」もしくは「尖閣三喜記念日」を提案したい。制定主旨には「無主地にして琉球文化圏だった」と明記することが必須である。この原則を貫徹しないと、チャイナ側の勢力が記念行事に滲透してくることとならう。それどころか、チャイナ側に先に記念日とされて仕舞ふ可能性が高い。もうその危機は來年五月に迫ってゐる。今からしっかり準備しないと間に合はない。私としても「陳侃三喜」の弘報活動などに無報酬で取り組ませて頂ければ光榮である。▼全文は「新聞オンライン.com」でhttp://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html