平和学習 宮良 長和

 毎年六月になると新聞に平和学習という文字が出てくる。平和学習という言葉を聞くとうんざりして黙っておれなくなる。平和学習の話を聞きに行ったことも、講習を受けたこともないが、新聞を読んで推察すると、戦争の悲惨さや残虐さを学び、現在の平和の尊さ有り難さを噛みしめ、戦争は二度と繰り返さないと誓い、それを子供達にも教えることらしい。九条を守って軍備をせず、そう誓うことで戦争が起こらずに済むならこんな簡単で楽なことはない。先の大戦でも我が国が戦争が好きで起こしたのではない。経済封鎖でどうにもならなくなって仕方なく起こしたのである。


 中国に対抗出来る武力を持っていなかったために、チベットもウィグルも蒙古も中国に侵略され自由が侵害されているのは周知の事実である。侵略されてみなければ目が覚めないのだろうか。九条を守って無防備に徹すれば戦争が防げるならそうしてみたらいい。侵略されて目が覚めても、もう遅いが彼らの目を醒ますには、それ以外に方法がないようである。


 何十年か前、戦争体験者の話を聞いた事がある。
 壕の中はうめき声と悪臭が漂い、二段ベッドの上の寝台に寝ている患者の汚物が下の人にしたたり落ちてくることもあったと言う。壕の外からは子供を泣かすな、早くしろという将校の怒声が響き、疲れと飢えと恐怖で生きた心地がしなかった。戦争とはこういうものです。ですから皆さん、絶対に戦争を起こしてはなりません。この平和を守り抜かなければなりません、云々と。誰もこちらから戦争をしようとは考えていない。勝手にどこかの国が攻め込んで来たらどうするかが、今問題なのである。


 成るほど、話を聞けば戦争の悲惨さ残酷さはよく解る。しかし何故、戦争は起こしてはなりません、現在の平和を絶対に守り抜かなければなりません、という言葉を呪文のように唱え、軍備さえしなければ外国から侵略されないですむのか。むしろ反対に、平和は相手に侵略の意図を失わせる程の軍備を備えて、初めて達成されるものではないか。勿論、周囲に隙あらば侵略しようという国があることを前提にしての話である。そんな国が無ければ勿論軍備は必要ない。


 しかし現実はどうか。現在、尖閣では毎日のように我が国の主権が犯され、我が国の漁船が追い払われている。彼等がそのうち与那国、石垣に上陸して来ないという保証はあるのか。その事実をこれらの九条信奉者達はどう見ているのだろうか。是非それに対する意見と対策を新聞に投稿して聞かせて欲しいものである。


 九条を守って軍備さえしなければ勝手に攻め込んで来る国はない、軍備をすれば戦争になるというおかしな信条を、何時までも振り回すのは止めて欲しい、もう聞き飽きた。