朝から縁起でもない話だが…

 朝から縁起でもない話だが、40歳を過ぎると、そろそろ「自分はどう死ぬか」という問い掛けを始めたほうがいい、というのが持論だ。死はいつやって来るか分らない。普通に考えればまだまだ先だろうが、意識して考え始めるのなら、恐らくこの年代が一つの節目ではないか◆本に例えると、誕生が表紙なら死は裏表紙。人生を完結させてくれる出来事なのだ。そして死を考える時、即座に浮かぶのは「晩節を汚さない」という言葉である◆昔の武士は、醜く生きるより潔い死を選んだ。戦時中の特攻隊は、愛する故郷や家族を守るため、多くが10代後半や20代で決死の任務に就いた。平和な今になって「あの時代は間違っていた」「彼らは犠牲者だった」としたり顔で話す人たちの、何という薄っぺらさ◆「鴻毛(羽毛)より軽し」と言われたはずの命が戦後は地球より重くなり、死と正面から向き合うことがタブー視されるようになった。何でもかんでも生きながらえることが正しい、という風潮が強まった◆しかし哲学者ニーチェは、縄を延々と長くないながら、一歩ずつ後退していくような生き方はしたくない、と言った。死を意識する人の生き方は変わる。いかに死ぬかという問いは、必然的に、いかに生きるかという問いにつながっていく。