「国境の危機」とは⑧ 仲新城 誠

 第2の尖閣諸島
 そもそも尖閣諸島には戦前までカツオ節工場があり、一時は200人もの従業員が住んでいました。古賀さんという人が事業をやっていたので「古賀村」と言われたこともあります。1940年(昭和15年)に古賀さんの息子が事業継続を断念して撤退したので、無人島になったのです。もし尖閣に日本人が住み続けていれば、中国も領有権を主張することなどできなかったでしょう。


 国境に日本人が住み続けることが最大の安全保障なのです。国境が堅く守られれば、内側にある本土も安全です。逆にいえば国境が危機にさらされた時、その危機を見過ごしていると、時間差で、本土にも及んでくるのです。

 

 

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