古来、人と神は日常生活で…

 古来、人と神は日常生活で共生してきたが、科学の発達とともに、神は存在感が薄くなった。明日の天気が気になるとき、現代人は神に聞くのではなく、テレビの天気予報を見る◆しかし、現代でも神は人間に宿り、目に見える姿となって地上に降臨することがある。その代表的な例が豊年祭だ。農業に依存していた時代には、農作物が豊作か否かは村々の死活問題だっただろうし、豊年祭は単なるイベントではなく、人と神の真剣勝負だっただろう◆八重山の夏を象徴する四カ字の豊年祭。神々の前で旗頭が林立し、伝統芸能がにぎやかに繰り広げられる。豊穣の神が出現し、真乙姥の神司に五穀の種子を授ける。そして子孫繁昌の願いがダイナミックに具現化されたアヒャー綱、武勇の権化のようなツナヌミン。大綱引きも霊気に包まれる◆ふだんは隔絶した存在の神と人が一体となり、人が人としての存在の限界を突破する法悦感。豊年祭で狂喜乱舞する人の波からは、そうしたものが感じられる◆豊年祭は単に地域の一体感を維持するためのイベントではないし、ましてや単なる地域行事の継承でもない。もっと人間性の根底にかかわる営みであり、現代の八重山の人たちも、それを遺伝によって感じている。きょうから、四カ字豊年祭が始まる。