恒久的な空の安全を 辻 維周

 あの日から28年目の夏がやってきた。
 1985年8月12日午後6時56分、乗員乗客524人を乗せた、羽田発大阪伊丹行きJAL123便(JA8119)ボーイング747SR―100型機は、32分間の迷走後、群馬県にある御巣鷹山に墜落し、奇跡的に4人の乗客は助かったものの、単独航空機での事故としては世界最悪の520人もの犠牲者を出した。


 事故原因は、その機材が1978年6月2日、伊丹空港着陸時に起こした、いわゆる「しりもち事故」の際破損した、圧力隔壁の修理が不完全であったため、123便として飛行中に修理箇所が破壊され、そこから噴出した空気によって垂直尾翼の大半が吹き飛び、油圧系統を制御するオイルもその箇所から滅失、制御不能になったためと発表された。


 当日、仕事が入ったため数日前に当該便をキャンセルしたばかりだった私にとって、これほどの衝撃はなく、未だにその事故を背負い続けており、「自分の代わりに亡くなった方の分まで、しっかりと生きなくてはならない」と念じてはいるが、毎年8月12日が近付くにつれて、重い気持ちになってくる。


 後日公開された事故当時のボイスレコーダーを聞いていると、午後6時24分から56分までの32分間、高濱雅己機長を始めとするパイロットたちが必死に機体を立て直そうとしている様子が、脳裏にありありと浮かんでくる。そして機長のものと思われる「もう、だめだー」という絶叫の直後にクラッシュ音と思われるものが録音されており、これによってすべての希望が打ち砕かれてしまう。


 一方、フゴイド運動と呼ばれる急上昇、急下降に加え、ダッチロールと呼ばれるフラフラとした不安定な運動を繰り返す機体に、なすすべもなく閉じ込められていた乗客たちの恐怖は察するに余りあるものであり、何人かが残している遺書によっても、その恐怖と無念さとが感じられる。


 さらに恐怖と闘いながら、必死に乗客を落ち着かせようとしている客室乗務員の沈着冷静な声も涙を誘う。


 近年、日本の空にもスカイマークを始めとする新規参入航空会社や、ピーチアビエーションを始めとする格安航空会社が参入し、割引でも片道2万円以上していた羽田~石垣が、往復でも3万円程度になってきた。つまりバスや鉄道並みに気軽に利用できる乗り物となって来たわけである。しかし、鉄道やバスとは違い、航空機は言うまでもなく空中に浮かんで高速移動する乗り物である。ちょっとした整備を怠る事が、大惨事を引き起こしてしまう要因にもなってしまうので、航空関係者には、この事故をいつまでも風化させることなく、しっかりとした訓練や整備に取り組んでいただきたいと切に願わずにはいられない。