八重山の危機は眼前に在り㊦ 安倍内閣が尖閣を見捨てる いしゐのぞむ

 ▽尖閣五百年、ゼロの歴史
 日本がチャイナの主張を「認知」するだけでも、事實(じじつ)上は尖閣喪失に等しい。チャイナの船舶は益々我が物顔に尖閣海域を出入し、認知してしまった日本側は永遠に彼らを逮捕できなくなる。北側の守りを失った宮古八重山には、明日にも目醒めればチャイナ勢力が迫ってゐるだらう。


 さきの世紀後半に棚上げの黙契があったか否か、そんな瑣末なことはどうでも良い。西暦1534年に琉球國公務員が使節陳侃を案内して尖閣を渡航して以來、尖閣は文化的沖繩圏にして法的無主地であった。漢文「釣魚嶼」の命名者も沖繩人だと推測される。それ以前の西暦1461年「大明一統志」以來、歴代史料では尖閣の西方に常にチャイナ東限の線が存在するが、チャイナ側は無視する。首里を中心とする風水概念の「中外(内外)の界」も、チャイナの中外だと曲解する。しかし結局、長い歴史でチャイナはゼロなのである。いま政府が正式に「認知」するならば、ゼロから一へ、純潔から傷物へ、尖閣四百八十年史上で初の大轉換となる。


 ▽地元の意志表示を
 日本政府は明治二十八年(西暦1895年)、尖閣を沖繩に編入した。同じく東シナ海に面する長崎や鹿兒島に編入しなかったのは、政府が沖繩を信頼し尊重した表れだらう。明治政府に陰謀家の一人も有れば、鹿兒島に編入して沖繩とチャイナとの間のくさびとするやう進言した筈だが、そんな動きは一つも無かった。


 くさびを打つどころか、明治十三年(西暦1880年)、政府は先島諸島(宮古・八重山)を沖繩から分割してチャイナに賣(う)り渡さうとした。所謂「分島改約案」である。日清兩政府は分割で合意までしてゐたが、幸ひに不調に終った。もし正式調印成れば、今頃島民はどんな暮らしをしてゐただらうか。


 されば政府はくさびを打つほど奸邪でもないが、うっかりすると「大局的利益」とやらのために小さな先島諸島を捨てる。今島民が立ち上がって意志表示しないと、分島改約案と同じやうに、政府は尖閣を切り捨ててアメリカに媚びるだらう。まして左翼の棚上げ論は、沖繩の頭越しにチャイナに媚びるばかりで、島民の利益など微塵も考へてゐない。


 今こそ島民自身の行動力が必要である。地元のためにも、日本のためにも。最後に、本稿で使用した正かなづかひ及び正漢字の趣旨については、「正かなづかひの會」刊行の「かなづかひ」誌上に掲載してゐる。「國語を考へる國會議員懇談會」(國語議聯)と協力する結社である。

 

 いしゐのぞむ
 長崎純心大学准教授。昭和41年、東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。平成13年、長崎綜合科学大学講師。21年より現職、担当講義は漢文学等。