辺野古移設に5万人の署名を 兼次 映利加

 8月18日、宜野湾市JAジュビランスにて、「基地統合縮小実現県民の会結成式」が執り行われました。中山恭子参議院議員(維新の会)をはじめ、西銘恒三郎衆議院議員(自民党)、地方議員、一般の来場者、あわせて250人が会場をうめつくしました。


 中山恭子議員は、平成14年に内閣官房参与に就任して以降、拉致問題の最前線で取り組んでこられた政治家の一人で、11年前5人の拉致被害者が日本に帰国したとき、彼らを北朝鮮から連れ帰ってこられた方です。


 当時わたしは高校生で、テレビで曽我さんや蓮池夫妻が飛行機のタラップを降りてくるシーンを何度も見ましたが「こんな奇跡みたいなことがあるんだなぁ」ととても感慨深く思ったのを覚えています。そのときのことが印象に残っている方も多いのではないでしょうか。


 さて、この「基地統合縮小実現県民の会」では、普天間基地の辺野古移設を促す五万人の署名活動を行うという方針がうちだされています。単に「普天間基地を名護市辺野古へ」というと、辺野古の環境をかえりみない冷たい言葉のようにきこえるかもしれませんが、一体これはどういうことでしょうか。


 会長の中地昌平さんは挨拶の中でこのようにおっしゃいました。「平成8年9月に当時の橋本総理大臣とクリントン米大統領が移設に合意をして17年、普天間基地の移設は進展していません。この合意の目的は、『基地周辺の危険性の除去』と、『近隣住民の負担の軽減』でありました。今なお実現できずにいるのはメディアや議員の強硬な〝県外移設要求〟が原因の一つではないかと思います。〝いつ〟、〝どこへ〟という具体的な移設候補地との交渉もなく県外移設を訴えるのは無責任ではないでしょうか。今移設が実現しなければ、実質的な普天間基地の固定化につながりかねません。」


 つまり、移設の目的はあくまで地域住民に対する危険を取り除くことと、住民の生活をより過ごしやすくすることであったのに、『県外移設』にこだわることによって逆に我々県民は基地の固定化を招いているということを問題と捉えているわけです。


 実際に20年近く進展がないということは、もめている間に10年先も20年先も普天間は返還されず、近隣住民は危険と隣り合わせの生活をこの先も続けていかなくてはならない…。そんな可能性が現実にあるのです。


 また「基地統合縮小実現県民の会」によると、日米が合意した辺野古移設計画では、普天間基地の面積が480ヘクタールであるのに対し、移設後は160ヘクタールとなり、現在の約3分の1まで面積を縮小することができます。そして米軍基地の7割が沖縄に集中しているとよく言われておりますが、自衛隊との共用面積を含めると実は全体の26%なのだということも、県民としては併せて知っておいた方が良いでしょう。


 この「26%」は決して少なくありませんが、地政学上沖縄がいかに大事な場所であるかを考えると、妥当な数字なのかもしれません。
 米軍基地や自衛隊は、普段の生活で言えば警察のようなものです。わたしたちの平和で安全な暮らしを守るのに必要なものなのです。
 そのように考えると、これを県外に排除しようとする動きが何を意味するのか、良識ある県民の皆さまにはもうおわかりのことと思います。


 警察のいない無法地帯で、わたしたちの生活は安全を保てるでしょうか。
 県民の生活を守りつつ、負担を軽減させ、なおかつ日本の防衛ラインも護ることができる辺野古移設案は、今のわたしたちにとって最善の選択肢だと、わたしは思います。
                             (東京都)