スマホ依存症 辻 維周

 通常の携帯電話(フィーチャーフォン=通称ガラケー)に代わって、スマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)の使用者が大きな割合を占めるようになるに従って、都会では「歩きスマホ」が横行し、自ら事故に遭ったり、歩行中の弱者と衝突して、相手に怪我を負わせたりする報道が連日のようになされている。私の年老いた母も、先日歩きスマホの女性と衝突し、危うく転倒するところだったという。
 月数回東京に行ったときにホームで観察してみると、電車を待つ乗客の大半は大人も学生もうつむいてスマホをいじり、電車に乗ってもスマホをいじり続けている人ばかりが目に付き、そこには友人との会話も無ければ、読書している人もほとんど見当たらないと言う一種異様な光景が広がっている。
 都会の人間はそれほど忙しいのかと思うのだが、多くの人の画面にはゲームが展開されている。これに熱中してしまうと、電車に乗ろうが歩こうが、その中にのめりこんでしまい、周囲を見る余裕など無くなってしまうのだろう。
 ではここ石垣はどうかというと、「歩きスマホ」をしているのは観光客に多いが、生徒たちの自転車スマホ、大人たちの自動車運転中のスマホなど、無法ぶりは都会並みである。特に生徒たちが自転車で車道を逆走しながらスマホを操作しているのを見ると、事故を起こさないほうが不思議である。常識で考えても、画面を注視しながら他の事などできるはずはないのだが、彼らはどうやら出来ると考えているらしい。
 さらに「バイト・テロ」と騒がれているように、バイト先や買い物先で面白半分に行った非常識な行為の写真を、twitterやfacebookへ何も考えずに投稿し、炎上した挙句、その店を潰してしまうというありえない事態までも引き起こしている。
 私が学生のときはもちろんネットなどはあるはずも無く、固定電話のコードを伸ばし、自分の部屋まで電話機を引き込んで友人との電話を楽しんだり、どうしても家族に聞かれたくない会話には、公衆電話を使ったりしていたものだが、1985年にNTTが発売した「ショルダーフォン」(重さ3キロ)に始まった携帯は、わずか30年弱でアナログからデジタルへ、そして高速通信のLTEへ劇的な進化と普及を遂げただけではなく、本体価格も通信・通話料も大きく下がったため、いつの間にか我々の生活に無くてはならないものとなってしまっている。それと同時に、本来「使うもの」であったはずの電話機に「使われる」ようになってしまったため、スマホがなくては落ち着かない、いわゆる依存症に陥っている人も、日本はもとより世界中でかなりの数に上ると言う。
 またLINEといわれるアプリは、パケット通信を利用するため、通信定額プランに入ってさえいれば、メールやチャット(ネット上での文字を使ったおしゃべり)のみならず、通話さえも無料で利用できるため、依存症に拍車をかけるだけではなく、子供同士のいじめにもつながっていると言う。
 その依存症から脱却するためには、言うまでも無く「必要なときしか使わないようにする」ことであるが、学校によっては朝のHRで担任が携帯を預かり、終礼時に返却するという習慣を徹底しているところもある。一方生徒はダミーの携帯(モックアップと言われる展示用=通信・通話の機能はない)を入手したり、すでに使っていない古い携帯を、あらかじめかばんの中に入れておき、それを担任に渡したりして、あの手この手で逃れようとする。
 さらにスマホになってからは、特にバッテリー消費が激しくなったせいか、所かまわず充電する姿が見られ、コンビニのコンセントから無断で充電し、窃盗罪で逮捕される事例も散見されるようになってきた。ここまで来ると場当たり的な規制ではなく、抜本的な教育が必要になってきてはいるが、どのような教育が有効なのか、実際は誰にもわからない。なぜならば、教育者自身の多くが携帯やスマホを手放せなくなってしまっているからである。
 文明の発達は生活を便利にはするが、その反面、人間をだめにしていく側面も持っているということの典型的な例であろう。
 もちろん悪い面ばかりではなく、緊急通報がどこからでも可能になり、離れて住んでいる年老いた親や災害時、遭難時の安否確認など、携帯のGPS機能を併用した使い方をすれば、貴重な命を救うことも出来る。
 かつて「武器はそれを使う人間の性格以上に善良にはなれない」と言った人がいたが、スマホも使い方を一歩間違えると、凶器にすら変容すると言うことを、心にとどめておくべきであろう。
 いずれにしても早急に何らかの手を打たなければ、国民の大多数がスマホ依存から抜け出せなくなってしまうに違いないが、これは行政や所謂「有識者」が先頭に立つのではなく、ある意味でのコア・ユーザーになっている生徒たち自身から、スマホの利用方法を見直そうと言う声が、自然と起こってくることが最良のあり方のように思える。
 このコラムを読んだ生徒諸君。スマホの正しい利用のあり方について、何とかクラスや生徒会で話し合う機会を設けられないものだろうか。