平和教育の難しさ ―思考停止発言について考える―㊤ 田島 信洋

 最近、ヤフーのトップニュースで八重山という文字が目についたので、久し振りに郷里の新聞にアクセスしてみた。教科書問題とは別に、平和教育に関する玉津博克石垣市教育長の発言をめぐり、ふたたび紛糾しているようである。


 27年前、『見えない学校・見えない授業』という一冊の本を世に問うたことがある。沖縄の現場教師が本音で教育を語った初めての教育エッセイ集であった。面識のない私のために序文を寄せた大城立裕氏は、事件の一つであった、と述べている。その本の冒頭に「特設授業と平和教育」という一文がある。


 そのなかで私は、マスコミで取り上げられることのない、普通の教師が平和教育として行っている特設授業に、次のような疑問を投げかけていた。あの当時、私なりに周囲の思考停止を感じていたのである。


 高く評価されている沖縄の平和教育であるが、生徒自身はどう感じているのか?戦争の悲惨さ、平和の尊さを教えられて卒業する生徒たちなのに、かれらの自衛隊支持率が高いのはなぜなのか?生徒が答えを出しているのではないか?


 その一つの答えを読むことができた。玉津教育長が紹介している高校生の作文がそれである。以来、生徒も教師も学校も、教育を取り巻く社会的な状況も大きく変わっている。しかしながら、平和教育の実態はほとんど変わっていないかもしれないと思った。


 もちろん、その生徒の声がすべての生徒の声ではない。特別な生徒の声かもしれない。しかし教師は、そうした生徒の疑問にも答えなければならない。なにより、せっかくの平和教育が生徒を戦争への恐怖感に慣れさせる結果に終わっては、それこそ弊害であり、困るではないか。


 戦争は悪だから、それにつながる一切を短絡的に否定する。自衛隊、米軍基地、日米安全保障条約は要らないと、負の側面だけを教える。その役割を肯定するような平和教育は保守派、右翼勢力が画策することだと非難する一方、自分たちの主張にそった授業をする。


 こうした平和教育が現在も行われているとしたら、そのあり方に疑問を抱く生徒が次々と出てきても不思議ではない。なぜなら、学校から一歩外へ出ると、特設授業で教えられている話とはあまりに違い過ぎる社会、世界があるからである。


 たとえば、自衛隊に関する各政党の見解や政策はどうか。ほとんどの主要政党は賛成である。それでは反対している政党はどうなのか。非武装中立を掲げてきた社民党(旧社会党)は党の存亡が危ぶまれている。地域政党の沖縄社会大衆党は「自衛権を逸脱する自衛隊の機能強化に反対し」と述べ、全面否定していない。日本共産党は、その機関紙「赤旗」で、読者の質問に「国民的合意が成熟することを見定めて自衛隊解消に本格的に取り組む」「自衛隊解消に取り組む過度的な時期に…必要にせまられた場合には存在している自衛隊を活用するのは国民に責任を負う政府の当然の責務である」と答えている。これ以上、正直で真っ当な見解はない。国際政治が絡む外交や防衛の問題は、相手国がある以上、真剣に政権を目指す政党であれば、けっきょく現実的に対応せざるを得ない。


 あるいは、たびたび実施される全国の世論調査の結果はどうか。全国紙、地方紙など各マスコミの論調はどうなのか。自衛隊、米軍基地、日米安全保障条約のマイナス面だけを大々的に報道する沖縄タイムス紙と琉球新報紙は、例外だと言ってよい。


 是非はともかく、それらを支持する意見が日本国民の圧倒的多数だという現実を認めざるを得ない。上の両紙によって主に世論形成されているはずの沖縄県内でさえ、容認派は決して少なくない。そのため、生徒たちは教室で受ける特設授業と現実社会との隔たりに疑問を感じるのである。それを先の高校生は作文に、いや教師にぶつけた。


 ここで話が少しそれる。米軍基地を撤去させ、自衛隊にも出ていってもらおう、米軍基地を沖縄に一方的に押し付ける本土の人間が許せない、その昔、平和を愛する琉球の民は武器を持たず、海外と交易し繁栄していた…このような懐古趣味が昂じたのだろうか、最近、琉球独立学会が設立されたと聞く。
                             (つづく)