明治二十八年一月十四日(今の尖閣諸島開拓の日)に、日本政府は尖閣を領有した。しかしそれより遙か三百六十一年前の五月十日、第一尚氏王統時代に琉球國人は既に明國使節を案内して尖閣海域を渡航してゐた。
第五囘 最古の「釣魚嶼」は誰が命名したのか
【チャイナ主張】
「釣魚嶼」の最古の記録は晩(おそ)くとも明國(みんこく)の嘉靖(かせい)十三年(西暦千五百三十四年)である。それ以前から明國側が見つけて命名してゐた。釣魚嶼はチャイナ名であり、特に「嶼」(しょ)は福建の常用字だ。日本の地名に「嶼」は存在しない。
【史料】
明國・陳侃『使琉球録』 嘉靖十三(西暦千五百三十四)年五月十日
「過平嘉山、過釣魚嶼、過黄毛嶼、過赤嶼。」
〔平嘉山を過ぎ、釣魚嶼(魚釣島)を過ぎ、黄毛嶼(久場島)を過ぎ、赤嶼(大正島)を過ぐ。〕
〔釋辭〕
平嘉山(へいかさん):今の臺灣島の北側の島。
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