6月というと23日の…

 6月というと23日の「慰霊の日」を控え、沖縄各地では平和学習のシーズンを迎えるが、最近、学校現場を取材して気になるのは、平和学習の「希薄化」だ。各学校の平和集会を見ていても、児童生徒が平和学習で何を学んだのか、よく分からない◆「平和宣言」をしたり「平和の歌」を歌ったりするだけでは、平和学習とは呼べないだろう。「戦争」と言い「平和」と言っても、言葉だけで実感が伴っていないようだ◆昨年6月の県紙に掲載された沖縄市のアンケートによると、平和教育について教員の33%が「方法が分からない」、26%が「指導時間がない」と答えた。戦争体験者が高齢化し、平和集会に出席して生の体験を講話する機会が年々少なくなっていることも大きな要因だろう◆そうなると教師が教材を工夫し、自分なりに平和の尊さ、戦争の悲惨さを教えなくてはいけないが、教師自身にも確固とした信念があるわけではなく、何を教えていいか分からない―というのが実情ではないか◆国内唯一の地上戦を経験し、21世紀に向けて平和の発信地となるべき沖縄で、こうした現状は危機的だ。八重山を取り巻く国際環境は厳しい。どうすれば戦争を防げるのか、平和を創造できるのか。主体的に考え、学ぶ力を育む平和学習を求めたい。