命懸けで滑走路を補修 「みのかさ部隊」の苦闘

旧陸軍白保飛行場跡地を指す石垣繁さん。現在は一面の平野。
旧陸軍白保飛行場跡地を指す石垣繁さん。現在は一面の平野。

8月15日の終戦記念日を前に、石垣市の旧陸軍白保飛行場跡を訪れた。沖縄戦さなかの1945年、同飛行場は特攻機の出撃地だった。特攻機を阻止しようと、連日、米英機が来襲し、猛爆撃を加えた。空襲の合間をぬって、命懸けで弾痕だらけの滑走路を補修した兵士たちが、地元住民から徴兵された「みのかさ部隊」だった。

 みのかさ部隊は1944年に召集され、正式名称は五〇六特設警備工兵隊、別名・郷土防衛隊とも言われた。同飛行場の建設にも携わっている。

 物資不足の折で軍服は配給されず、着衣はすべて私服。当時を知る宮良祐八さん(87)=石垣市白保=は「部隊は雨が降ると、みのかさ姿だった。頭には2~3㍉の薄い鉄板を切り取った鉄かぶとをかぶっていた」と振り返る。

 靴のない者はわらじを履き、野良仕事のため田畑に出かける格好そのままだったという。(仲新城誠)

 

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