2015年

2月

17日

中国「釣魚島」特設サイトの虚構を暴く⑦ 石井 望

 チャイナ國家海洋局は平成二十六年末、インターネット尖閣新サイトを開設した。その中の史料として、西暦1683年に册封大使の汪楫が航行中に記録した赤嶼の東の「中外の界」が採用されてゐる。チャイナ側はこれを「中國」と外國(琉球)との分界が赤嶼(大正島)の東側にあると解してをり、これまでの論爭でも最重要史料とされて來た。赤嶼は尖閣諸島の最東端であるから、その東側までチャイナであるならば日本は負けるのだらうか。
 幸ひ二年ほど前に私は、話が全然逆だと氣づいた。琉球の風水地理の史料にもとづき島々をならべてみると、首里を「中」として尖閣を「外」とする整合的配列の最西端が「中外の界」であり、「中」はチャイナでなく琉球なのである(圖八)。その位置は赤嶼の東側にずれたが、本來は赤嶼が「界」地である。なぜなら東への航行中、日暮れを待ってから界の祭祀を行なふ通例だったが故だ。しかも記録者汪楫の船は、臺灣(たいわん)海峽以東で琉球國の水先案内人の主張する針路を採用したことも記録されるから、「中外の界」は船中の琉球人が告げたことになる。さらに汪楫自身も臺灣海峽の馬祖島で「福建はここで終り」と述べてをり、中外の界そのものが遙かにチャイナ國境線外に存在する。以下に詳しく反駁しよう。


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