西洋諸国も「尖閣は日本領」 石井氏研究  編入前から認識

1887年、スタンフォード社「China」(オーストラリア国立図書館蔵)。尖閣の魚釣島(hoapin―su)が国境線の東側にあり、日本領として描かれている
1887年、スタンフォード社「China」(オーストラリア国立図書館蔵)。尖閣の魚釣島(hoapin―su)が国境線の東側にあり、日本領として描かれている

 昭和44(1969)年に中国測絵(そっかい)総局(国土地理院に相当)が刊行した尖閣諸島の地図で、日本名「尖閣諸島」が用いらているため、日本の外務省が「中国が尖閣を日本領と認識していた証拠」としてホームページに掲載。尖閣を自国領とする中国の主張の破たんが改めて浮き彫りになった。さらに長崎純心大の石井望准教授は「日本が尖閣を領土に編入するより先に、西洋の地理学では尖閣を日本領とみなしていた」と指摘する。石井准教授に話を聞いた。

 

 ―今回日本側の掲載地図に対する反論として、「人民日報」海外版3月8日第1面では、清華大学の劉江永(りゅう・こうえい)教授が「1845年に英国軍艦サマラン号が尖閣を探検計測して以後に刊行された地図や、1894年までにイギリス海軍がいく度も修訂した『中国海針路志』では、尖閣を台湾東北の諸島に入れている」と述べて、尖閣が中国に属したのが日本よりも先だと反論している。

 「中国側が証拠として採用するのは、ただ尖閣を清国周辺に掲載した地図ばかりであって、国境線を描いたものではない。国境線を描いた地図では、清国の国境線はすべて尖閣の西側になっている。

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