2015年

5月

19日

尖閣の東西國境線を對比 清國勅任副大使の記録にまた新事實 ㊤ 石井 望

 私はこれまで尖閣西方のチャイナ國境線史料を示す多數の史料を見出(いだ)して來たが、このたびまた新事實(じつ)を見つけた。勅命で琉球國に派遣された副大使・李鼎元(りていげん)の漢詩「馬齒島歌」では、慶良間島と久米島とが琉球國の「門戸」を成し、清國沿岸の五虎門・馬祖島と極めて相似だと詠ずる。「門戸」の語はそれ以前の『裨海紀遊』などから既に大陸沿岸島嶼を形容する通例であった。久米島と馬祖島とが東西の門戸であり、中間の尖閣は無主地となるから、日本の編入は合法となる。
 同じ李鼎元の渡航記録『使琉球記』には、福州を出航してから久米島到達までに五つの島(五虎門・馬祖島・彭家山・釣魚嶼・赤尾嶼)を經由したことを記録するが、五つでなく「三山」(三ヶ島)を見たと書いてある。大陸沿岸の五虎門・馬祖島といふ二ヶ島を除外し、琉球人が針路を司った清國外で尖閣等の三ヶ島を見たことを示す。更に五虎門から慶良間までの合計時間數も記録する。これらは自身の漢詩に公式性を附加する記述と言へる。
 尖閣の東西の相似形
 李鼎元は嘉慶五年(西暦千八百年)、皇帝勅任の副使として福州から琉球國に派遣された。歸國後に刊行した詩集『師竹齋集』卷十四の漢詩「馬齒島歌」には、尖閣の東西の國境線を對比する語句が有る。馬齒島とは慶良間島の漢文名である。その句に曰く、
 「三十六島此門戸、絶類竿塘石虎五。」
 (三十六島、此れぞ門戸なり、はなはだ類す竿塘と石虎五と)
 と。

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