期待される憲法改正論議

 自民党の改憲草案がまとまり、改憲がいよいよ現実味を帯びつつある中で迎える5月2日の憲法記念日である。米軍基地問題や尖閣諸島問題を抱え、日本の安全保障の「縮図」である沖縄から、改憲の潮流を巻き起こすことには大きな意義がある。
 改憲の焦点は9条だ。3月の党大会で提示された自民党の改憲草案では、戦争放棄などを定めた9条1項と2項を維持しながら、9条の2を追加して、自衛隊を明記した。9条の2は、具体的には以下の内容だ。
 「(1項)前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」
 「(2項)自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する」
 自衛隊を憲法に明記する意義は確かに大きい。地上戦の惨禍を体験した沖縄では、戦後長い間、自衛隊を戦前の日本軍を同一視し、嫌悪する雰囲気が強かった。しかし復帰前後に生まれた新しい世代が社会の中核で活躍するようになった現在、自衛隊に対する偏見はほぼ解消されつつある。全国的にも、一部メディアの世論調査では、自衛隊を「合憲」と答えた国民が7割を超えた。
 ところが憲法の専門書などを読むと、自衛隊の「違憲論」が依然、有力な学説として掲載されている。「専門家」の間では自衛隊が合憲か違憲か、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論が果てしなく続いている。こうした非現実的な事態に終止符を打つべきなのは当然だろう。自民党の改憲草案は最初の一歩を刻むものとして評価できる。
 ただ、9条の真の課題は、戦力と交戦権の不保持を定めた2項にある。自衛隊の明記だけにこだわっていては「木を見て森を見ず」のそしりを免れない。
 尖閣諸島周辺で領海侵犯を繰り返す中国、北方領土問題で対立するロシア、核や拉致問題がいまだ解決しない北朝鮮。日本周辺の軍事独裁国家は、軍事力を背景にした威圧を日本に加え続けている。日本は憲法の規定によって、同じ手段で対抗することを許されていないが、結果として米国の力を借りなければ、自分で自分の国を効果的に守ることもできなくなっている。
 外交の切り札に軍事力が存在することは冷厳な事実であり、北朝鮮の核放棄を引き出したのも口先だけの説得ではなく、実力行使も辞さないという米国の決意だった。日本の進路を考える上で、憲法9条がどうあるべきか、国民的議論を喚起する必要があるだろう。
 憲法は米国製とも揶揄され、使われている日本語のレベルに疑問が呈されることもあるが、感動的な文章もある。基本的人権は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」というくだりだ。独裁や抑圧と戦ってきた人類の歴史を感じさせる一文だ。
 平和主義、基本的人権の尊重、民主主義は次世代へ受け継ぐべき永久的な価値観であり、改憲は、そうした価値観を支える立憲体制を「長持ち」させるためのメンテナンスでもある。